市川喜一著作集 > 第20巻 福音の史的展開T > 第2講

序論2 新約聖書における多様性と一体性

はじめに

 福音誌『天旅』誌上で昨年(二〇〇七年)末までに、わたしはルカの二部作(ルカ福音書と使徒言行録)を除くすべての文書を講解しました。福音書ではマルコ、マタイ、ヨハネの三福音書、使徒書簡ではパウロの七書簡とパウロの名による六書簡、他の使徒名書簡や公同書簡を含むすべての書簡、それにヨハネ黙示録まで、時には私訳と講解で詳しく、時には段落ごとの略解だけという簡略な形で、講解してきました。
 今年(二〇〇八年)からルカの二部作の講解に入ることになりますが、その準備のためにルカの二部作を読み始めて、新約聖書の全文書を見渡すことができる時期に入っています。新約聖書の全文書を検討して、強い印象を受けている事柄は、新約聖書各文書の多様性です。新約聖書の大小様々な二七の文書は、同じ主イエス・キリストを証しして、その福音を世に伝えるという共通の主題を扱いながら、その形式や主張や傾向は実に様々で、決して一様ではありません。相違があるだけでなく、時には反対の主張をしていて、矛盾を感じることが少なくありません。
 このように多様多彩な主張、ときには矛盾する主張をしている多くの文書を含む新約聖書を、一つの統一体として理解することはできるのでしょうか。全体として統一的に理解するには、どのような視点から新約聖書を見ればよいのでしょうか。今回はこの問題を取り上げてみようと思います。厳密な学術的論説ではなく、信仰的所感の程度ですが、わたしなりに取り組んでみたいと思います。