市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第53講

U 救い主イエスの誕生

       ― ルカ福音書二章 ―

 福音書の一章で先駆者ヨハネの誕生を物語ったルカは、二章に入っていよいよ主人公イエスの誕生の出来事を語ります。もっとも、すでに一章のヨハネの誕生物語の中に、天使によるイエス誕生の予告や、その予告を受けたマリアの賛歌など、準備する記事は組み込まれていました。そのような記事と合わせて、この二章が「救い主」イエスの誕生を物語ることになります。


8 イエスの誕生(2章1〜7節)

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。(二・一〜二)

 おもにユダヤ人向けに福音書を書いているマタイは、イエスの誕生をユダヤの王ヘロデとの関連で書いています。ローマ皇帝の布告は言及されません。それに対して異邦人に向かって書いているルカは、ローマ皇帝の治世の中に位置づけてイエスの誕生を物語っています。ヘロデ王は登場しません。ルカにとって救い主イエスの誕生は、全世界に告知されるべき出来事であって、一ユダヤ民族内のことではありません。そして、当時のルカの読者にとって、全世界とはローマ帝国でした。
 ルカはイエスの誕生を、皇帝アウグストゥス(在位前31年〜後14年)の時代に行われたシリア州総督キリニウスによる最初の住民登録の時のことであるとしています。ローマ帝国は新たに支配を打ち立てて属州とした地域には、総督を派遣して人口調査を行い、全住民の戸籍や資産の登録を行わせ、それに基づいて税金を徴収することを属州統治の根幹としていました。この新たに属州とされた地域の人口調査の活動は、被支配民族の抵抗もあり、困難な事業となることが多く、長い年月がかかる場合がありました。シリア州は当時東方でローマと対立する強大なパルティアに対抗するための重要な地域でしたが、政情の不安定や反抗運動のために人口調査の活動は困難を極めました。その困難な大事業を、アウグストゥス帝から派遣された腹心のキリニウスが一四年で成し遂げ、後六年に住民登録を完了します。
 ルカはイエスの誕生を「キリニウスの最初の住民登録」の時としていますが、これは後六年の住民登録のことではありえません。というのは、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイ二・一)という伝承は、広く認められている確かな伝承であり、イエスの誕生はヘロデ王の没年である前四年より後ではありえないからです。ここに用いられている「最初の」を「最初の時期の」という意味に理解すれば、キリニウスの人口調査の活動はヘロデ王の最晩年には始まっていたのですから、イエスの誕生をキリニウスの人口調査と関連づけることはできます。

ここではルカの誕生物語の意義とか特色を見るだけにして、キリニウスの住民登録の歴史的事実については、拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2イエスの生い立ち」、とくにその中の「イエス誕生の時と場所」を参照してください。

 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。(二・三〜五)

 皇帝布告による住民登録は「自分の町」でしなければなりませんでした。「自分の町」というのは、出生した町(いわば本籍地のような町)のことで、エジプトの古文書にも住民登録は生まれた土地でするように命じたものがあるとのことです。「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので」、ダビデ家の本拠地であり、おそらくヨセフもそこで生まれたユダヤのベツレヘムまで、ガリラヤのナザレから数日かけて旅して行きます(もしヨセフがベツレヘムで生まれていたのであれば、若き日にナザレに移住したことになります)。ベツレヘムにはヨセフ家の資産があったのかもしれません。ベツレヘムはダビデの父エッサイの家があった町であり、ダビデはそこで生まれ育ち、そこで預言者サムエルから油を注がれています(サムエル記上一六章)。
 ただ聖書(旧約聖書)では、ダビデが陥れて都としたエルサレムが「ダビデの町」と呼ばれていて(サムエル記、列王記、歴代誌で多数)、ベツレヘムが「ダビデの町」と呼ばれることはありません。ところがルカは誕生物語の二箇所で(ここと二・一一)で、ベツレヘムを「ダビデの町」としています(全聖書でベツレヘムがこう呼ばれているのはこの二箇所だけです)。マタイには「ダビデの町」という呼称はありません。この呼称は、イエスが「ダビデの子」であることを印象づけるためのルカの工夫ではないかと考えられます。ルカの時代では異邦人の間でも救い主が「ダビデの子」であるという信条(テモテU二・八)が普及してきていたからでしょう。
 ガリラヤのユダヤ教徒は年に三回の巡礼祭にはエルサレムの神殿に詣でていたのですから、馴れた道でしょうが、出産直前の身重のマリアには辛い旅だったことでしょう。ユダヤ教社会では、婚約中の女性も法律上は妻として扱われますので、マリアも夫ヨセフの町であるベツレヘムで住民登録をしなければなりませんでした。

現住地でないところでの住民登録やマリア同行の義務など、この記事の歴史性については議論があります。それについては先にあげた拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2イエスの生い立ち」の「イエス誕生の時と場所」130頁の注記を参照してください。

 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(二・六〜七)

 イエス誕生の出来事そのものは、このように淡々と描かれます。マリアは旅先のベツレヘムで「月が満ちて、初めての子を産む」ことになります。「イエスはベツレヘムで生まれた」のは同じですが、マタイはヨセフとマリアがベツレヘムの住民であることを当然のこととして前提し、東方からの博士たちは預言と星に導かれてベツレヘムに来て、「その家に入って」母マリアと共にいる幼子に捧げ物を捧げています(マタイ二・一一)。それに対してルカは、ナザレの住人のマリアが旅先でイエスを産んだとして、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ので、馬小屋に泊まり、生まれた子を「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と物語っています。この大きな違いは、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれた」という伝承が、福音書記者の立場と意図の違いによって、これほどまでに大きく違う物語を生み出すことの実例となっています。
 「布にくるんで」というのは、産着やおむつでくるんだことを指します。出産間近なマリアは、当然産着やおむつを用意して旅に出たことでしょう。地上に生まれたイエスは、他のすべての赤子と同じく、おむつにくるまれた赤子であったことを、この一句が思い知らせます。
 「初めての子」という表現は、後にマリアは他の子をも産んだことを示唆しており、マリアは生涯処女であったというような教会教義は無理であることを示す一つの根拠となります。この出産はマリアの最初の出産であり、生まれた子は「初子」となります。ユダヤ教では初子の男子は、律法により特別の扱いをされます。そのことは後の段落10で触れることになります。
 「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」のは、ヨセフとマリアのように遠くの土地に住んでいる人たちが住民登録のために一斉に生地のベツレヘムに戻ってきたからです。「宿屋」と訳されている語は、一般の住居で人を泊まらせる部屋とかスペースを指す語です。二人はやむをえず知人の家の馬小屋を借りて、そこで出産することになります。「馬小屋」という用語は使われていませんが、「飼い葉桶」がある場所は牛やろばを飼う「家畜小屋」であり、当時のユダヤ人の住居では家屋の中にその一部として造られていました。かつての日本の農村の住居もそのような構造の家屋でした。そのような屋内の家畜飼育用スペースを、日本語で誕生物語を語るときは、「馬小屋」と呼んでいます。
 イエスはそのような馬小屋でお生まれになり、飼い葉桶に寝かせられていた、とルカは伝えています。これは世界の偉人の誕生物語の中では異例の語り方です。普通は主人公の偉大さにふさわしい「瑞兆」が語られますが、世界の救い主の誕生を物語るこの誕生物語では、偉大さとは逆に家畜小屋での誕生という卑賎の姿で描かれます。期待される「瑞兆」とは反対の「逆兆」です。ルカはこの福音書で、イエスを復活して神の右に上げられた世の救い主として告知しています。その福音書において主人公の誕生をこのような卑賎の姿で描くことによって、実は「イエス・キリストの福音」の性格が指し示されることになります。
 最初期の福音告知は、復活されたイエスをキリストとして、すなわち神から油を注がれて世に遣わされた救い主として告知しました。同時に、この方が地上では十字架の死に至る苦しみをお受けになった事実を、「わたしたちの罪のため」、すなわち罪の問題の解決のための出来事として告知しました。このイエス・キリストの十字架・復活における神の救いの働きは、かなり初期に次のようにまとめられて告白され、賛美されるようになっていました。

 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主《キュリオス》である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ二・六〜一一)

 このキリスト告白の前半に見られるように、イエスの地上への出現は、永遠に神と共にいます、神と等しいキリストが「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた」出来事として言い表されるようになっていました。このキリストの《ケノーシス》(自分を無にすること)の「しるし」として、イエスの誕生の卑賤な姿はふさわしいものとなります。これは「逆兆」ではなく、キリストの《ケノーシス》を指し示す「兆」(きざし、しるし)となります。ここに引用したキリスト告白(キリスト賛歌)は、誕生物語の性格の理解にとって重要な鍵となるところですので、後の「補論」で改めて取り上げることになりますが、イエスの誕生の様子が記述されたこの箇所で、その「しるし」としての意義を確認するために引用しておきます。