市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第46講

増 補 部

第二三章 ル カ の 誕 生 物 語

       ― ルカ福音書 一〜二章 ―

はじめに

 新約聖書にはイエスの誕生の次第を語る「誕生物語」が二つあります。一つはマタイ福音書一〜二章の「マタイの誕生物語」です。もう一つはルカ福音書一〜二章にある「ルカの誕生物語」です。「マタイの誕生物語」については、先に拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』で扱いましたので、ここでは マタイのそれと比較しながら「ルカの誕生物語」を講解することになります。
 ところで、ルカ福音書は「誕生物語」で始まっていますが、本書『ルカ福音書講解』では三章の洗礼者ヨハネの出現から講解を開始し、一〜二章の「誕生物語」は最後に回しました。その理由については『ルカ福音書講解T』(54頁)の「誕生物語の扱いについて」の項で述べましたが、そこで、この「誕生物語」が三章以下の本体部分とは違い極めてユダヤ教的色彩の強い別起源の伝承をルカがまとめて、すでにできていた本体部分に付け加えた可能性について触れておきました。ルカがこのような誕生物語を自分の福音書に付け加えた理由と経緯については、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」で詳しく論じておきましたので、それを参照していただくことにして、ここではとにかくまず「ルカの誕生物語」を読んで、その後でこの「誕生物語」がここに置かれている意義とこの誕生物語の性格について見ることにします。
 なお、一章冒頭の段落1「献呈の言葉」(1章1〜4節)は、『ルカ福音書講解T』の「序論」で詳しく扱っていますので、ここでは段落2から始まる「誕生物語」だけを扱うことにします。



ヨハネの誕生とイエス誕生の予告

       ― ルカ福音書一章 ―

誕生物語におけるヨハネとイエス

 「誕生物語」は本来イエスの誕生を語り告げるための物語です。ところがルカの誕生物語には、洗礼者ヨハネの誕生の物語が組み込まれていて、イエスの誕生とヨハネの誕生が交互に語られて、二つの相似形の図柄を織り込んでいる一つの織物のような様相を呈しています。この事実が意味するところが重要です。
 だいたい誕生物語というのは、偉大な人物の偉大な生涯が終わってから、その人物出現の意義を誕生に遡って語ろうとするものです。イエスの場合、イエスの活動は洗礼者ヨハネの運動から始まり、ヨハネとイエスは一組の預言者としてイスラエルの民に新しい時代を告知したのでした。それで、イエスの偉大な生涯が終わった後、イエスを信じた者たちの共同体は、イエス出現の意義をヨハネの出現と一体で物語ることになります。
 ヨハネの誕生記事とイエスの誕生記事との並行関係は明白です。二人の誕生は両方とも天使によって予告されます。ヨハネの場合は天使ガブリエルのザカリアへの男子誕生の予告(一・五〜二三)と母になるエリサベトの賛美(一・二四〜二五)、イエスの場合はマリアへの天使の告知(一・二六〜三八)とマリアの賛歌(一・四六〜五六)とが並行しています。天使の予告は、この両方の出来事が共に神の御計画によるものであることを指し示しています。
 二人の誕生は、両方とも人間的には不可能な状況で、ただ神の働きの結果として奇跡的な出来事として物語られています。ヨハネの場合は老齢の不妊女性エリサベトからの出生、イエスの場合は処女マリアからの出生です。
 二人の誕生は聖霊によって賛美されます。ヨハネが誕生したとき、父親の祭司ザカリアが聖霊によって賛美し預言します(一・六七〜七九)。イエスの誕生のあと、神殿で預言者シメオンとアンナが聖霊によって賛美し預言します(二・二五〜三八)。
 そして、天使の予告、人間的には不可能な状況での出生、これを体験した者の喜びと賛美という両者に共通のパターンは、旧約聖書の前例から採られています。イサクの誕生物語(創世記一七〜一八章)、サムソンの誕生物語(士師記一三章)、(部分的に)サムエルの誕生物語(サムエル記T一章)などにこのパターンが見られます。ルカも伝承の担い手たちも、このような旧約聖書の奇蹟的誕生の物語に親しみ精通していた人たちだったのでしょう。
 しかし、イエスをメシア・キリストと信じる者たちの共同体は、復活されたイエスこそが最終的な救済者であり、ヨハネはその方の道備えをするために遣わされた先駆者であるとしていましたから、二人を共に神から遣わされた者とし二人の誕生を一組で並行して物語る時も、ヨハネをイエスに従属する者と位置づけて物語っており、相似形は崩れています。この二面性、すなわり一面でヨハネとイエスの誕生を共に神による出来事として物語りつつ、他面でヨハネをイエスに従属させ、イエスの先駆者と位置づける二面性が、福音書の誕生物語の図柄を複雑にしています。この二面性は講解で見ることになります。
 なお、マタイの誕生物語に較べると、ルカの誕生物語におけるイエスとヨハネの並行関係は際だっています。マタイでは洗礼者ヨハネの誕生は触れられていません。ルカがこれほどまでにイエスとヨハネの並行関係を強調するのは、イエスの出現を旧約聖書と切り離したマルキオンに対抗して、イエスとヨハネの出現が共に同じ神の働きから出たものであることを示して、イエスをヨハネが代表する旧約聖書の預言の系列に結びつけるためであると考えられます。

ルカの誕生物語がマルキオンに対抗するという意図で構成されていることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」、とくに455頁の「増補改訂版ルカ福音書」の項目の中の「1誕生物語」を参照してください。