市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第45講

146 天に上げられる(24章50〜53節)

 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(二四・五〇〜五一)

 五〇節と五一節を続けて読むと、復活されたイエスはベタニアの辺りで天に上げられたことになります。しかも、この出来事が前段の週の初めの日の顕現にすぐに続いて起こったような印象を受けます。しかし、この段落(五〇〜五三節)は、同じ著者(ルカ)による第二部の冒頭部(使徒言行録一章)と呼応して、第一部(福音書)と第二部(使徒言行録)を結びつける連結器の役割を果たしています。そうすると、イエスは復活後四〇日の間弟子たちに現れ、その後オリーブ山から昇天されたという第二部冒頭の記事との整合性が問題になります。両者の間の矛盾を解決するために、様々な読み方と解釈が提案されています。
 すでに古代写本の一部に「そして天に上げられた」という文を欠くものがあります。この文がなければ、この箇所は「そして、祝福しながら彼らを離れた」で終わることになります。この形であれば、次の顕現までしばらくの間弟子たちから離れておられたことになり、第二巻冒頭の「四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(使徒一・三)やオリーブ山での昇天との矛盾は解消します。
 しかし、この最後の「そして天に上げられた」という文が初めからなかったとすることは困難です。その理由の中で決定的なものは、同じ著者のルカ自身が第二巻の冒頭で、第一巻の内容として「わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」としていることです(使徒一・一〜二)。そうすると、第一巻の終わりに昇天の記事がなければならないことになります。そうであれば、「そして天に上げられた」という文を欠く写本は、第二巻の冒頭と矛盾を感じた後代の人が削除したということになります。底本はこの文を本文に残しています。ある翻訳は本文に残し、欄外に「この文を欠く写本もある」と注記しています(NRSVなど)。
 そうすると福音書末尾の段落(二四・五〇〜五三)は復活されたイエスの昇天を語っていることになりますが、それが使徒言行録冒頭部分(一・三〜一五)と矛盾しているように感じさせるのは、福音書末尾の記事が昇天が復活後ただちに起こったという印象を与えるからです。使徒言行録は昇天が復活の四〇日後に起こったことを明確に語っています。
 新共同訳は「そこから」という語を入れていますが、そのギリシア語原語は底本では、挿入であることを示唆する[ ]に入れられています。これは挿入として除き、訳出すべきではないと考えます。これがあるために、それが「その部屋から」と理解され、この段落の出来事が前段の続きという印象を与えています。これがなければ、この段落には時を指定する表現はなにもないのですから、これを復活後四〇日目の出来事として読むことも可能になります。ルカは第一巻の結尾の記事としては、復活後の顕現の詳細を語ることなく、昇天の事実だけを伝えて、地上のイエスの働きを伝える第一部(福音書)の結尾としたと見られます。
 なお、復活されたイエスはオリーブ山から昇天されたと広く理解されていますが、ルカの著作には(そして新約聖書のどこにも)復活されたイエスがオリーブ山から昇天されたという記事はありません。ただ、使徒言行録で昇天の出来事を語った部分の直後に「使徒たちは、オリーブ畑と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た」(使徒一・一二)とあることから、そう理解されているだけです。そうすると、ベタニアはオリーブ山を越えた(エルサレムの反対側の)山麓にある村ですから、昇天が「ベタニアの辺り」であったとしても、使徒一・一二の記事と矛盾しないことになります。
 復活されたイエスは弟子たちから離れるとき、「手を上げて祝福された」とあります。「手」は複数形ですから、イエスは両手を上げて祝福されたことになります。両手を挙げて祝福するのはユダヤ教の大祭司の動作ですが(シラ書五〇・二〇〜二一)、聖書に精通していたルカには、天に取り去られたエノクやエリヤの出来事や、創世記四九章のヤコブや申命記三三章のモーセの最後の祝福が念頭にあったのでしょう。

 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。(二四・五二〜五三)

 弟子たちは両手を挙げて祝福される復活者イエスを「伏し拝み」ます。この動詞はユダヤ教徒が神を礼拝するときに用いる動詞であり(ヨハネ四・二一〜二四)、復活されたイエスに向けられるときは、イエスを神として拝んでいることを示しています(マタイ一四・三三、二八・一七)。ルカもここで、最初期共同体が復活者イエスを神として礼拝した事実を背景として、それがイエスの昇天のときから始まっていることを語ります。
 墓が空であることが報告されたときには、弟子たちはまだ途方に暮れていて、不安と恐れに閉じこめられていました。しかし状況は変わりました。復活されたイエスご自身が繰り返し弟子たちに現れ、弟子たちに聖書の真理を解き明かされたので、弟子たちは神がイエスを復活させて義としておられることを覚り、「大きな喜びをもって」、イエスが指示された通りエルサレムに戻り、このような人の思いを超える大きな働きをされる神をほめたたえます。
 エルサレムに戻った弟子たちは「絶えず神殿の境内にいて」神をほめたたえていたとされていますが、これは最初期の福音活動がユダヤ教の中心部から始まったことを物語っています。実際は泊まっていた家は別にあったようですが(使徒一・一三)、昼間は神殿の境内でユダヤ教徒としての生活を忠実に送っていたようです。
 このようにルカは、復活されたイエスの昇天を告知することで、第一部である福音書の結びとします。

復活の身体性について
以上に見たように、ルカの復活物語の特色は、復活の出来事が聖書の成就であることと、復活されたイエスに身体があることの強調です。第一の点については、旧約聖書を否定したマルキオンに対抗して、福音の救済史的意義を確立するための強調であることを他の箇所(拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節「ルカ二部作成立の状況と経緯」)で詳しく論じました。第二の強調点である復活されたイエスの身体性については、福音における復活信仰の基本にかかわる重要な神学問題として、福音書講解の枠を超えており、ここで取り扱うことはできません。この「復活の体」の問題については、拙著『パウロによるキリストの福音U』の「第六章 死者の復活」、とくにその中の第五節「復活の体」と、第八節「補論・霊魂不滅と死者の復活」を参照してください。なおルカの復活物語における身体性の強調については、拙著『福音の史的展開U』500頁の「ルカ福音書における顕現物語2」の項を参照してください。