市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第31講

135 暴行を受ける(22章63〜65節)

 さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。(二二・六三)

 アンナスによる予審の尋問が終わり、警備の兵士に囲まれて中庭を通って行かれるとき、イエスは「振り向いてペトロを見つめ」られます。その眼差しを受けて、三度までイエスを否認したペトロが外に出て激しく泣いているとき、イエスはアンナスの屋敷の一隅に連れて行かれ、警備の兵士から暴行を受けることなります。「見張りをしていた者たち」と訳されている語は、囚人イエスを監禁し監視する役目の神殿警護隊の兵士(警官)を指しています。
 マルコ(一四・六五)は、最高法院(実際は予審尋問)での死刑決議の後、「(議員の中の)ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、『言い当ててみろ』と言い始めた。また下役たちは、イエスを平手で打った」と伝えていますが、ルカはそれを警備の兵士の仕業にし、「唾を吐きかけ」を「侮辱し」というやや抽象的な表現にしています。

 そして目隠しをして、「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねた。そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。(二二・六四〜六五)

 目隠しをして、「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねたことを伝えるのは、共観福音書はみな共通しています。ただマタイ(二六・六八)は、「メシアよ、言い当ててみろ」として、自分をメシアとした罪で判決を受けたイエスに対する侮蔑の行為としています。
 このユダヤ教法廷での裁判の過程でイエスが暴行を受けたことを伝える点では、三共観福音書は共通していますが、ルカがヨハネを含む他の三福音書と違うのは、ピラトの裁判の後イエスがローマの兵士から侮辱と暴行を受けたこと(マルコ一五・一六〜二〇と並行箇所)を伝えず、ユダヤ教側の裁判の過程での暴行だけにしている点です。これは、イエスの受難におけるローマ側の責任を少しでも軽くしようとするルカの護教的動機からと推察されます。