市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第30講

補論 ペトロの否認記事の位置と意義

裁判の過程における「ペトロの否認」の位置

 ペトロの否認の出来事が、イエスの裁判の過程のどの段階で起こったのかを確認するために、ここでイエスの裁判の過程について整理しておきましょう。四福音書の記事を総合しますと、イエスは次の三段階の裁判を受けられたと見られます。
 
1 アンナスの屋敷での予審尋問
2 最高法院での裁判
3 ピラトの法廷での裁判

 1のアンナスの屋敷での予審尋問は、正式の裁判ではなく、裁判に提出するための証拠などを確認するための予審です。死刑が予想される重大事件には予審が行われました。また、最高法院での正式の裁判は夜に開くことはできない規定がありました。逮捕されたイエスが最初に連れて行かれたのはどこかについて、マルコ(一四・五三)は「人々はイエスを大祭司のところに連れて行った」と書いています。ルカも同じく「大祭司の家に連れて行った」としています。マタイ(二六・五七)は「人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った」としています。イエスの時代の大祭司がカイアファであることをよく知っているマタイが、マルコの「大祭司」を説明するために付け加えたものと見られます。しかし実際は、目撃証人でありエルサレムの祭司たちの実情に詳しいヨハネが伝えているように、逮捕されたイエスはまずアンナスのところに連れて行かれと見られます。ヨハネ(一八・一三)は、アンナスのところに連れて行かれた理由を、「彼がその年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである」と、具体的に説明しています。
 アンナスは六年から一五年まで大祭司職にありましたが、退いてからも絶大な権勢をふるい、五人の息子と孫までも大祭司の地位につけて背後から権力をふるいました。このようにアンナスによって操られる大祭司の一人で、洗礼者ヨハネとイエスの時代に大祭司職にあったのがカイアファ(アンナスの女婿、在位一八〜三六年)です。このような実情をルカ(三・二)は「アンナスとカイアファとが大祭司であったとき」と伝えています。公式の大祭司はカイアファですが、彼のしゅうと(妻の父)であるアンナスが大祭司一族の長として絶大な権力を振るい、事態を主導していました。
 アンナスは過越祭当日の裁判や処刑を避けるために、迅速に事を運ぼうとして、イエスの逮捕が予想される夜に(それはユダの通報により十分予想することができました)、最高法院を構成する「祭司長、長老、律法学者たちを皆」招集して屋敷に来させていました(マルコ一四・五三)。それで、これはまだ予審でありながら、正式の最高法院の裁判であるかのような様相を見せることになります。この時の尋問を描くマルコ(一四・五三〜六五)の記事は、証人調べだけでなく大祭司と議員一同による死刑決議(一四・六四)を含み、正式裁判の過程として記述されています。マタイ(二六・五七〜六八)はマルコに従っています。
 それで新共同訳はこの段落に「最高法院で裁判を受ける」という標題をつけていますが、これは不正確な標題であり、イエスの裁判の過程について誤解を与えています。これは予審であり、正式裁判ではありません。最高法院の裁判は夜間には開けません。夜が明るとすぐに、大祭司カイアファを議長とする正式法廷が開かれ、死刑の判決を下し、ただちに死刑を執行してもらうために、イエスを総督ピラトのところに引いていきます。すでにアンナスのもとで全員が死刑の決議をしているのですから、夜が明けてからの正式の裁判は形式的で、短時間で終わり、イエスはピラトのところに引いて行かれます。この状況を、マルコはごく簡潔に次のように伝えています(マタイ二七・一も同じ)。

 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。(マルコ一五・一)

 このユダヤ教側の裁判は、訴訟法的にはアンナスのもとでの予審尋問と大祭司カイアファのもとでの正式の最高法院法廷に分かれますが、実質的にはアンナスの屋敷での尋問で死刑が決定しており、マルコは(マタイも)ユダヤ教側の裁判の内容をすべてここで記述することになります。それで、新共同訳がこれに「最高法院で裁判を受ける」という標題をつけるのも一理あることになります。
 ヨハネはユダヤ教側の裁判についてはさらに簡略にしています。アンナスの尋問とイエスの応答についてごく簡単に触れた後、「アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った」(ヨハネ一八・二四)と書いて、カイアファのもとで正式の裁判が行われたことを示唆し、ペトロの否認の記事を入れた後すぐ「人々はイエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった」(ヨハネ一八・二八)と続けています。ピラトのところに連れてこられたのが「明け方」であるというのですから、「夜が明けるとすぐ」開かれた最高法院の裁判がいかに迅速であったかがうかがわれます。
 ルカはこのユダヤ教側の裁判過程を簡略に整理して記述しています。夜中に逮捕されたイエスは最初「大祭司の家」に連れてこられます。ルカは(マルコと同様)アンナスという名は出していません。またそこでの尋問の内容についてもいっさい触れず、ペトロの否認がこのときに起こったことだけを伝えています(二二・五四〜六二)。そこでイエスが警護の兵士から暴行を受けた記事(二二・六三〜六五)を置き、その後すぐに「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出した」(二二・六六)という正式裁判の記事に移ります。そして、その最高法院の法廷で、マルコが伝えているような証人調べやイエスの教えについての尋問はいっさいなく、ただ「お前はメシアか」という問いと、それに対するイエスの答えだけが伝えられ、イエスがご自分を「神の子」と言い表されたことで、神を冒?する罪で死刑の判決が出たことだけを簡潔に伝えています(二二・六〜七一)。このルカの段落には「最高法院で裁判を受ける」という標題は正確な標題となります。
 ルカは、異邦人読者にはユダヤ教の訴訟手続きの正確さは問題ではないとしたのでしょう。そのような問題はいっさい触れず、ただイエスがなぜユダヤ教支配層から死刑を言い渡されたか、その主要点だけを伝えます。その後すぐに、ピラトのもとに連れて行って、イエスをローマに対する反逆という政治的理由で訴えた記事を続けます(二三・一〜五)。
 ピラトのもとでの裁判の経過については、後で扱うことにして、ここではペトロの否認が起こったユダヤ教側の裁判の経過を整理しました。このユダヤ教側の裁判の過程で、ペトロのイエス否認は最初のアンナスの屋敷での予審のときに起こった出来事であることは、ヨハネ(一八・一二〜二七)が正確に伝えています。ヨハネは、ペトロが「もう一人の弟子」の手引きでアンナスの屋敷の中庭に入ったときに、女中の詰問に対してイエスを知らないと否認し、イエスに対するアンナスの尋問の記事の後に、ペトロの二度目と三度目の否認を伝えています。
 ルカ(二二・五四〜六一)も同様に、ペトロの否認がアンナスの予審のときに起こったことを伝えています。ルカは屋敷の中でのイエスに対するアンナスの尋問のことはいっさい触れず、ただ中庭で起こったペトロの否認を、「少したってから」とか「一時間ほどたつと」と、時間の経過を入れながら物語っています。
 ところが、先に見たように、マルコはアンナスの屋敷での予審を最高法院の裁判のように記述しているので、その記事の後にくるペトロの否認の出来事は最高法院の裁判の後に起こったような印象を受けます。しかも、新共同訳がしているように、この予審の記事に「最高法院で裁判を受ける」という標題がつくと、この印象は強められます。しかし、最高法院の法廷は夜間には開けないのですから、ペトロが三度イエスを否認したとき、夜明けを告げる鶏が鳴いたという記事と矛盾します。この矛盾を乗り越えるためには、マルコ(およびマタイ)が予審の記述を(事実上)最高法院の法廷のように扱って、イエスに対するユダヤ教側の追究を描いているという記述方法をよく理解しておく必要があります。この矛盾は、マルコ一五・一の「夜が明けると、祭司長たちは長老や律法学者と共に、つまり最高法院全体で議決した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに引き渡した」(私訳)という記事を正確に理解することで解消します。ペトロの否認の出来事は、このことの前になります。

マルコ一五・一の「《シュンブーリオン》を行った」の《シュンブーリオン》は「相談」という意味と「決定、決議」という意味があります。討議や相談は予審の場で十分行われたのですから、形式的な夜明けの法廷では「決議」の方がよいのではないかと考えられます。

「ペトロの否認」記事の意義

 「ペトロの否認」の記事は四福音書のすべてにあり、それもかなり詳しく伝えられています。イエスの十字架と復活を伝える「受難物語」は、福音書のもっとも重要な部分ですが、その中で「ペトロの否認」の出来事は、かなり重要な部分を占めているという印象があります。なぜこの物語がこれほど重視されるのでしょうか。
 最初期共同体がこのような物語を創作したというようなことはありえません。自分たちの共同体を代表する人物の弱さや師への背信は、もしあれば隠したいものであり、それをわざわざ創作して聖なる物語に入れることはありえません。これは、イエス復活後に、主イエス・キリストの受難と復活を語り伝えるペトロが、その受難物語の中でいつも、涙ながらに自分の弱さから師を裏切り、イエスを見捨てて逃げた事実を語ったので、受難物語の伝承の中にこの「ペトロの否認」が組み込まれ、それが福音書の記述に含まれるという結果になったと見られます。受難の日の直前にイエスの頭に香油を注いで「葬りの備え」をした女性のことについて、イエスは「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(マルコ一四・九)と言っておられますが、「ペトロの否認」の出来事も、「世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では」、受難物語に含まれて語り伝えられることになります。
 イエス復活の証人として、イエスの十字架上の死と復活者イエスとの出会いを語るペトロが、その中で十字架の出来事を前にして自分がイエスを裏切った事実を涙ながらに語る姿の中に、主イエス・キリストを信じる信仰の消息、すなわち福音の消息が語られています。その事実(復活の証人ペトロが自分の裏切りを語ること)が、この「ペトロの否認」の出来事が受難物語に組み込まれて、「福音が宣べ伝えられる所では世界中どこでも」語られる理由となります。では、このペトロの姿が指し示す信仰の消息とはどのような内容でしょうか。
 ペトロは、イエスがガリラヤで「神の国」を宣べ伝える活動をされていたとき、初めから弟子として従い、傍にいてイエスがなされる力ある業(奇蹟)を目撃し、イエスが語られる言葉を聞いてきました。それだけでなく、イエスから派遣されて、イエスと同じく病気をいやし悪霊を追い出す働きをなし、神の支配の到来が近いことを告知する働きをしてきました。そのような弟子であるペトロでさえ、イエスが歩まれる「主の僕」の道は理解することができず、イエスがメシアであると信じていても、そのメシア期待が「サタンよ、引き下がれ」と叱責されるような始末でした。そして、時が来て、イエスが父の御旨に従ってご自身の命を献げようとされたとき、「ご一緒なら死んでもよいと覚悟しております」と言っていながら、イエスの仲間であることを知られるのを恐れて、舌の根も乾かぬ数時間後に、イエスを知らないと三度まで否認するという裏切りをしてしまいます。ペトロは自分の弱さと背信の深さに、激しく泣くほかはありませんでした。
 そのペトロが今は大胆に立ち上がって、神がイエスを死者の中から復活させて、キリストまた《ホ・キュリオス》としてお立てになったと告知しています。イエスを十字架に追いやった勢力からは逮捕されたりしてもひるまず、「人に従うよりは神に従うべきだ」と言って、証言を続けています。再び逮捕され、仲間のヨハネが処刑されて自分も処刑を覚悟しなければならないような目に遭いながらも、イエスを証し続けます。このペトロは、イエスを三度まで否認したあのペトロとは別人です。どうしてこのようなことが起こったのでしょうか。
 それは復活されたイエスがなされたことです。イエスはペトロの弱さ、というより人間の弱さをよくご存知でした。ご自身が歩んでおられる道は、人の決意とか理解とか能力で歩むことはできないことをよくご存知でした。イエスに従うことができず、悲しみながら去っていった富める青年について、イエスは「人にはできないが、神にはできる」と言っておられます。ペトロがどのようにイエスを慕っているとしても、「(御霊がまだ降っていない)今はついて来ることはできない」ことをご存知であり、ペトロの否認を予告されます。
 しかし、イエスはペトロを見放しておられません。サタンはペトロを試みてふるいにかけることを許されていることを、イエスはご存知であり、ペトロのために祈っておられます(二二・三一〜三二)。ペトロがイエスを三度目に否認したとき、イエスは「振り向いてペトロを見つめ」られますが、その眼差しはペトロを責める眼差しではなく、ペトロを赦し、包み込む眼差しであったと思います(二二・六一)。ペトロは生涯その眼差しを忘れることはなかったと思います。ヨハネ(一三・三六)は、最後の食事の席でイエスがペトロに、「わたしの行く所に、あなたは今はついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」と言われたことを伝えていますが、この時の眼差しはこのような語りかけであったと推察されます。
 十字架につけられて処刑されたイエスの仲間であることを否認してガリラヤに帰ったペトロたちは、漁師の生業に戻ります。その仕事の場であるガリラヤ湖で、復活されたイエスがペトロたちに現れて、彼らを「人間をとる漁師」なるように召されます。マルコ(一・一六〜二〇)やルカ(五・一〜一一)のペトロたちの召命の記事は、ペトロたちが復活されたイエスの顕現を体験して、生業を捨てて復活されたイエスの証人として召された出来事を伝える伝承から出たものと考えられます。ルカ(五・八)では、そのときペトロがイエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言ったと伝えられていますが、これは直前に三度までイエスを否認したことを指しているとすると、この記事全体がよく筋が通ります。
 復活されたイエスの顕現を体験することは、聖霊の働きです。ペトロたちは聖霊を受けて、復活者イエスを証言する力を与えられます(使徒一・八)。人にはできないことを、神は聖霊によってなされます。ペトロは聖霊によって復活者イエスを証言する活動を続けます。その中で、イエスを三度まで否認して裏切った自分が、今こうして反対や迫害の中でイエスを証し続けることができるのは、そのような裏切り者を赦して受け入れ、ご自分の働きを委ねてくださっている主イエス・キリストの絶対無条件の恩恵によるものであることを語らないではおれないという思いから、ペトロはイエスの受難と復活の福音を告知するさい、自分のイエス否認の物語も組み入れます。この物語は、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」(コリントT一五・一〇)というパウロの言葉のペトロによる物語版です。そして、それはペトロ個人の恩恵物語であるだけでなく、福音によって救われるすべての人間にとって主イエス・キリストにおいて示される神の恩恵の物語でもあります。