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「最後の晩餐」におけるパンと杯の言葉



128 主の晩餐(22章14〜23節)

到来する神の国を前にして

 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。(二二・一四)

 過越の食事は夜に行われます。イスラエルの民がエジプトを脱出したのは夜であったので、それを記念する過越の食事は夜にすることになっていました。ユダがこの食事の席から出て行ったとき「夜であった」と記されています(ヨハネ一三・三〇)。イエスと弟子の一行は、おそらく夕方暗くなってから(マルコ一四・一七)、人目につかないようにバラバラに打ち合わせてあった家の二階の広間に集まり、夜遅くまで食事を共にして語り合ったと想像されます。ここの「時刻になったので」は、過越の食事が行われる夜の時刻になったのでという意味に理解できます。二二章の受難物語は、「過越祭と言われている除酵祭が近づいていた」(一節)から、「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た」(七節)と進み、遂に「その時刻になった」と、迫る時の緊迫感をもって事態の進行が物語られます。

エレミアスは最後の食事が夜に行われたことを、それがエルサレムで行われたことと合わせて、これが過越の食事であったことの重要な論拠としています。ユダヤ人の日常生活では、簡単な朝食を午前一〇時と一一時の間にとり、主要な食事を仕事が終わった後、午後遅くとるのが普通でした。食事が夜行われるのは、割礼の祝いとか結婚式のような祝祭の時だけでした。詳しくは、J・エレミアス『イエスの聖餐のことば』(田辺明子訳、日本基督教団出版局)の第一章「イエスの最後の晩餐は過越の食事であったのだろうか」、とくに58頁以下の第四節「イエスの最後の晩餐 ― 過越の食事!」を参照してください。

 「食事の席に着かれた」と訳されている原語は「(卓に)寄り掛かる、横になる」という一語の動詞で、宴会とか改まった食事の席に着くときの姿勢を描くもので、ルカが好んで用いています(一一・三七、一四・一〇、一七・七)。おそらくルカは周囲のローマ社会の宴席の姿勢を記述する動詞をここにも用いたのでしょう。動詞はイエスの行動だけを指していますが、使徒たちも同じ姿勢で食事の席に着いたはずです。ヨハネ(一三・一二、二五)も最後の食事の席をこの動詞で描いています。日常生活の食事で「横になる」ことはないので、この姿勢もこの食事が過越の食事であることを示唆しているとされます(エレミアス)。
 なお、この時イエスと一緒に食事の席に着いた者たちを、ルカだけが「使徒たち」と呼んでいます。「使徒」という称号は本来復活後の共同体でイエスの復活の証人であり、イエスの直弟子として共同体の指導に当たった「十二人」に与えられた称号であり、この段階ではまだ「弟子たち」と呼ばれる人たちです。ヨハネ福音書は「使徒」という称号を用いませんし、マルコ(一四・一七)とマタイ(二六・二〇)は「十二人」と呼んでいます。ルカだけが、「十二人」を「使徒」と呼ぶことを、彼らがイエスと一緒にいた時期に遡らせています。

 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない」。(二二・一五〜一六)

 「わたしは切に願っていた」と訳されている箇所は、「わたしは願いをもって願っていた」という同系の動詞と名詞を重ねて用いて強調する形です(七十人訳ギリシア語聖書によく見られる形)。ここの「《パスカ》を食べる」を「過越の食事をする」と理解する限り、「苦しみを受ける前に」、すなわち自分の命を狙う権力者たちの企みによって自分がこの世から取り去られる前に、不利で危険な状況でこのかけがえのない重要な機会を実現したいとするイエスの強い願いを表現しておられると理解することになります。事実、大多数の翻訳はそう理解して翻訳しています。
 ところが、いよいよそれが実現して弟子たちと一緒に過越の食事をすることが実現したとき、イエスは不思議な言葉を語り出されます。「神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してそれを食べることはない」(一六節)。ここの「それを食べる」は、一五節の「あなたがたと共に《パスカ》を食べることを切に願っていた」の「《パスカ》を食べる」を指しています。先に見たように「《パスカ》を食べる」には、過越の食事をするという意味と、過越の小羊を食べるという意味の二つがあるので、ここの「神の国で過越が成し遂げられるまで、《パスカ》を食べることはない」という宣言は何を意味するのかが争われることになります。
 ここでも、「《パスカ》を食べる」を過越の食事をするという意味に理解する限り、終わりの日に神の国が実現して、その交わりの中で成就した過越を祝う宴席で食事を共にする時まで、地上で再びこの過越の食事をすることはないであろうという意味になります。死が間近に迫っていることを自覚しておられるイエスは、この過越の食事が最後だと言っておられるのだとする解釈です。事実、この理解が多数派であり、この意味を明確にするため「再び」という語を補っている翻訳もあります。
 しかし、原語の《ト・パスカ・ファゲイン》(パスカを食べる)という表現は語法からして「過越の小羊を食べる」という意味以外ではありえないとして、イエスはここで自分は過越の小羊を食べないと宣言しておられるのである、とする理解があります(エレミアス)。この理解においては、先の「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの《パスカ》(過越の小羊)を食べたいと、わたしは切に願っていた」の「切に願っていた」は実現しない願望を表現していることになります。

日本語でも欧米語でもここは「過越の食事」と理解する翻訳が大部分ですが、古いルター訳だけがここを「過越の小羊」と訳しています。シュラッターもその『新約聖書講解』でここを「過越の小羊」と訳しています(原文は「パスカ」ですが、訳者は「過越の小羊」と訳しています)。またルカではここで用いられている《エピシュメオー》(願う、欲しがる)という動詞が、いつも実現しないことへの願望を指しているという事実(一五・一六、一六・二一、一七・二二)もこの言葉が食べることを断念している宣言であるとする理解を補強します。この言葉が食べることの断念を意味し、イエスはこの食事の席で断食しておられるのであるとする説について詳しくは、前出のJ・エレミアス『イエスの聖餐のことば』(田辺明子訳、日本基督教団出版局)、とくに337頁以下の「第二節 イエスの物断ち宣言」を参照してください。

 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」。(二二・一七〜一八)

 もともとユダヤ教の過越祭は昔モーセに率いられてエジプトから脱出した時の神の働きを記念する祭りですが、それは同時に、同じように神の奇跡的な働きによりイスラエルにもたらされる将来の解放と栄光を待望する祭りでもありました。この過越祭の時期は、ユダヤ人の神の民としての民族意識がもっとも高揚する時期でした。
 イエスもこの食事の席で「神の国で過越が成し遂げられる」(一六節)とか「神の国が来る」(一八節)時のことを語られます。マルコ福音書(一四・二五)では、食事の後の杯の時に語られた言葉として、「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」という形で伝えられています。マルコ(一四・二五)の形とルカ(二二・一五〜一八)の形にどういう伝承史的・編集史的背景があるのかは議論されていますが、ここではその詳細に立ち入ることはできません。ここではルカはマルコを改変、編集したのではなく、ルカ独自の伝承によって書いていると見ることができます。いずれにせよここでは、イエスは神の支配の実現が間近に迫っているという場で、しかもご自分の死が神の支配の到来をもたらす過程で決定的な意味をもつことを強く自覚して、この食事の席で語っておられることを理解することが重要です。

この箇所のマルコの形とルカの形の伝承史的・編集史的関係について、エレミアスは『イエスの聖餐のことば』253頁以下で大略次のように述べています。 この終末論的展望がマルコでは食事の後に、ルカでは食事の前に置かれている事実と、 ルカの記事にはルカ特有の語法が多く見られることから、ルカはマルコを改変したのではなく、別系統のルカの特殊資料を用いているのであり、われわれはこの終末論的展望の言葉を二通りの伝承において所有している、すなわち短い形のマルコと、価値多い長い形のテキストをルカにおいて所有している。両方のテキストは、「《パスカ》を食べる」とか「ぶどうの木の実」などの表現をはじめ、パレスチナのセム語の世界に起源をもつ特色を多く示している。

 イエスの時代の過越の食事は次の四つの部分から成っていました。

1 前菜 ― 第一の杯(キドゥシュの杯)についてなされる家長の聖別の祈り、青菜、苦菜、ジャムなどの前菜
2 過越の儀式 ― 家長による過越の意義の解説(ハッガダー)、過越のハレル第一部、第二の杯(ハッガダーの杯)
3 食事の主要部 ― 家長による種入れぬパンについての祈祷、食事(過越の小羊、パン、苦菜、ジャム、ぶどう酒)、第三の杯(祝福の杯)
4 結末部 ― 過越のハレル第二部、第四の杯(ハレルの杯)についての頌辞

 イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから「これを取り、互いに回して飲みなさい」と言われたのは、(これが過越の食事だとすると)「パンを取り、感謝の祈りを唱え」(一九節)の前であるから、第一の杯(キドゥシュの杯)か第二の杯(ハッガダーの杯)の時であると考えられます。おそらくパンについての祈りの直前の第二の杯の時であろうと推察されます(一九節冒頭の「それから」参照)。杯の分配は普通無言で行われるものですが、ここでイエスがわざわざ「これを取り、あなたたち自身の間で分配せよ」(直訳)といわれたのは、ご自分は飲まないで弟子たちだけに飲ませられたと理解すべきであり、「今から後、けっして飲まない」(直訳)という表現も、「今は飲むが、今後は飲まない」ではなく、「今も、これからも飲むことはない」と理解すべきです。
 こうしてイエスは、一同が過越の食事の主要部である小羊とパンを食べる前に、ご自身は小羊を食べることはなく、杯からぶどう酒を飲むこともないという二重の「物断ち」の宣言をしておられることになります。最後の食事の席で、イエスが小羊やパンを食べることなく、またぶどう酒を飲むことなく、断食を宣言しておられるとする理解は、長年のキリスト教会の伝統的な理解(イエスもパンを食べぶどう酒を飲まれたとする理解)と異なるため、受け入れられることが困難で少数派にとどまっていますが、次ぎに続く食事の主要部での最も重要な言葉、すなわち「これはわたしの体である」と「これはわたしの血である」という言葉を語り出されるイエスが(一九〜二〇節)、その自分の体であるパンをご自分が食べ、ご自分の血であるぶどう酒をご自分が飲まれるとするよりは、それを弟子たちに与えるだけでご自分は食べたり飲まれることはなかったとする方が自然な理解です。

以上の過越の食事の順序とイエスの「物断ち」宣言の記述は、これまでにも参照文献としてあげたJ・エレミアス『イエスの聖餐のことば』(田辺明子訳、日本基督教団出版局)に依拠しています。エレミアスはこの書で、イエスと弟子たち一行の最後の食事は過越の食事であったことを論証し、その食事の席でイエスは断食しておられることを綿密に考証しています。エレミアスは、こういう状況での「物断ち」の誓願は旧約聖書に実例がしばしば見られるところであり、またこの宣言をされるイエスの言葉遣いが、そういう場合に特徴的な荘重な儀式的表現であることを論証して、その主張を根拠づけています。しかし、何よりも「これはわたしの体である」と「これはわたしの血である」というイエスの言葉自体から、イエスご自身は小羊はもちろんパンとぶどう酒もとることなく断食しておられると理解することが正当であると、わたしは考えています。最後の食事の席でのイエスの「物断ち」宣言については、J・エレミアス『イエスの聖餐のことば』(田辺明子訳、日本基督教団出版局)337頁以下の「第二節 イエスの物断ち宣言」を参照してください。

パンと杯の言葉

 最後の晩餐を過越の食事として語り伝えたエルサレム共同体の伝承を受け入れて、その枠組みで物語を進めてきたルカは、食事の主要部に来て、自分たちの共同体で用いられている「主の晩餐」の伝承を用いて「パンと杯の言葉」を語ります。ルカが活動の基盤としているエーゲ海地域のパウロ系共同体では、パウロが「主から受けた」として伝えた「最後の晩餐」伝承(コリントT一一・二三〜二五)が確立していました。ルカはその伝承をほぼそのまま用います(この二つの別系統の伝承が併置されることになる事情については後の「補論」で触れることになります)。その結果、ルカの「最後の晩餐」記事は、それを過越の食事として語る部分(二二・七〜一八、とくに一五〜一八節)と、過越の食事とは関係なく語られているパウロ系の伝承(二二・一九〜二〇)の対比が際だつことになり、注解者や釈義家の注意を引くことになります。この点は後述の「補論」に譲り、ここではイエスが語られたパンの言葉と杯の言葉の意義について考察を進めます。

 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」。(二二・一九)

 過越の食事(の主要部)でも普段の食事でも、食事の前には家長(または家長役の人)がパンを手に取って感謝の祈りを唱えます。この感謝の祈りが《エウカリスティア》(マルコ・マタイ型では《エウロギア》)です。この感謝の祈りによって、パンは神の賜物として聖別されます。後にこの《エウカリスティア》が、十字架され復活されたキリストを礼拝する礼拝儀礼全体を指す「ユーカリスト」(聖餐)という教会用語となります。

ここの「パン」を指すギリシア語《アルトス》が、過越の食事のときに用いられる種入れぬパン《マッツアー》を指す語ではなく普通のパンを指すギリシア語であるので、この食事が過越の食事ではないことの論拠の一つとされます。エレミアス(91頁以下)はそれに対して《アルトス》が種入れぬパンを指すこともあり得ると丁寧に反論しています。その通りだとしても、普通《アルトス》は普段の食事のパンを指すことも事実ですから、最後の晩餐が普段の食事であることを示唆する可能性が高いものであることを指し示していることも事実です。エレミアスの議論は、それが過越の食事であることを積極的に論証するものではありません。

 次にイエスはそのパンを「裂いて、弟子たちに与え」られます。この動作は、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」と言われる言葉が指し示す事実を象徴する動作となります。イエスは自然の死ではなく不当な十字架刑という暴虐によって命を取り去られました。まさにそれは体が裂かれるような出来事であり、しかもそれは自分に属する者に命を与えるために自分を与える行為であったのです。最初期の共同体は、この時のイエスの「パンを裂き、それを弟子たちに与えた」という動作を、十字架されたキリストが信じる者に命を与える出来事を象徴する動作であることを理解し、十字架され復活されたイエスを礼拝する集まりにおいて、「毎日家ごとに集まってパンを裂き(分配し)・・・・神を賛美した」のでした(使徒二・四六)。「パン裂き」は、最初期共同体の礼拝の重要な要素となります。
 パンを裂き、弟子たちに分配しながら言われたイエスの言葉は、ギリシア語原典の語順に即して書くと、「これはわたしの体である、あなたたちのために与えられるところの」となります。イエスが実際に語られたアラム語でもこの語順で語られたと推察されます。イエスがパンを指して「これはわたしの体である」と言われた最初の言葉が、弟子たちには強烈な衝撃であったはずです。その後に、その体を説明する「あなたたちのために与えられる」という言葉が続きます。

西方写本の一部に「これはわたしの体である」だけを伝え、後に続く部分を欠く写本があります。エレミアス(217頁以下)は、後半部を含む現行の長文テキストが古いテキストであることを綿密に論証していますが、「これはわたしの体である」だけの短文テキストが存在した事実は、説明句を欠くマルコ・マタイ型の伝承(「〜のために」の句がパウロ・ルカ型ではパンについて用いられているのに対して、マルコ・マタイ型では用いられていません)の存在と並んで、この言葉こそが共同体にとって絶対不可欠の基本伝承であったことを示唆しています。

 イエスがパンを裂いてそれを(ご自身は食べることなく)弟子たちに分配される動作は、象徴行為です。そして、その動作が象徴する現実を、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」という言葉で指し示されます。しかし、その言葉もなお謎《マーシャール》です。
 裂かれたパンを指して「これはわたしの体」と語られ、一同が回して飲む杯のぶどう酒を指して「これはわたしの血」と語られるイエスの言葉は、弟子たちにとって驚きであり、謎(マーシャール)であったにちがいありません。たしかにイエスはここで「マーシャール」を語っておられます。《マーシャール》というヘブライ語は、謎、象徴、比喩(直喩、隠喩、寓喩を含む広い意味)、格言などきわめて広い意味の語です。このような広い意味で理解するならば、イエスが「神の国」について語られることはほとんどみな「マーシャール」であると言ってよいでしょう。福音書記者もこのようなイエスの語り方に強い印象を受けて次のように言っています。「イエスはこれらのことをみな、マーシャールを用いて群衆に語られ、マーシャールを用いないでは何も語られなかった」(マタイ一三・三四)。イエスはここで弟子たちに、遺言ともいうべき最後の大切な言葉をも「マーシャール」の形で語られます。「謎の言葉」という表現が適切ではないのであれば、「神秘の言葉、奥義の言葉」と言い換えてもよいでしょう。イエスはご自分の死の意義を象徴行為と隠喩の言葉を用いて指し示されるのです。
 イエスは迫っているご自分の死を裂かれるパンで象徴しつつ、その死が「あなたたちのため」の死であることを明言されます。ここで用いられている「〜のために」と訳されている前置詞《ヒュペル》は、イエスの死の意義を告知する文に繰り返し現れる重要な語で、その意義が熱く議論されています。代表的な箇所は、《ケリュグマ》(コリントT一五・三〜五)の中の一節、「キリストはわたしたちの罪過のために死なれた」ですが、やはりもっとも重要な箇所はこの「最後の晩餐」におけるイエス自身の言葉です。イエスはパンについて「あなたたちのために与えられるわたしの体」、杯について「あなたたちのために流されるわたしの血」と語り出されています。
 この「あなたたちのために」という語が「あなたたちに代わって」という意味を含むのかどうかなど、神学的な議論が積み重ねられていますが、それは杯の言葉と合わせて後で検討することにして、ここではイエスの生涯と存在全体が、自分のための存在ではなく、他者のための存在であることの究極の表現であることを指摘するにとどめます。

パンについて語られた「あなたたちのために与えられるわたしの体」では、《ディドマイ》(与える)という動詞が受動態で用いられています。ここの用例が《ディドマイ・ヒュミーン》(あなたたちに与える)ではなく、《ディドマイ・ヒュペル・ヒュモーン》(あなたたちのために与える)ですから、この《ディドマイ》はイエスの体が何に与えられるのかが明示されていないことになります。それで、ここでは「あなたたちのために(死に)引き渡されるわたしの体」と言っておられると解釈するのが順当であると考えられます。《ディドマイ》(与える)という動詞は、ヨハネ三・一六で「神はその独り子を与えた」という表現で、イエスが死に「引き渡された」ことを指しているように、《パラ・ディドマイ》、すなわち、(死に)引き渡すという意味にも用いられます。

 なお、ルカの伝承には「わたしの記念としてこのように行いなさい」という文が続いています。これはマルコ・マタイ型の伝承にはなく、パウロが伝えた「主の晩餐」伝承(コリントT一一・二三〜二五)にある文と同文です。この指示の言葉の存在は、ルカがパウロの伝承を用いていることを指し示しています。パウロの場合は、この文がパンと杯の言葉の両方に付け加えられていますが、ルカはそれをパンの言葉だけにつけています。杯の言葉につけられていない理由は、一回で十分としたのでしょうか。あるいは、パウロ系の集会の一部では、まだ杯は主の晩餐の不可欠の要素とはなっていなかったことを示しているのかもしれません。いずれにしても、このような儀礼の繰り返しを求める言葉は、「主の晩餐」が共同体の慣習として繰り返される過程で成立したものと考えられるので、マルコの形がルカよりも古く、イエスの元の言葉に近いことを示す根拠となります。

パウロが伝えた「主の晩餐」伝承(コリントT一一・二三〜二五)は「儀式を通して形成されてきた伝承」(エレミアス)ですが、「これを行いなさい」という指示の言葉がルカではパンの言葉だけに付けられていて杯の言葉にはないという事実は、ルカの形はパウロ系伝承の形態のパウロ以前の段階(具体的にはおそらく四〇年代前半)のものであることを示唆しています。

 なお、原文は「このように行いなさい」ではなく、「これを行いなさい」です。すなわち、儀礼の行い方(パンとぶどう酒を用いることやユダヤ教過越祭の形式に従うことなど)を指示したものではなく、パンを裂き分配してする共同の食事を、「わたしの記念として」、すなわち主イエスの死が自分たちのための死であることを思い起こすためのものとして行いなさい、という指示です。したがって、この言葉は、どのような形の食事であっても、主イエス・キリストの名によって集まる集会の共同の食事では、その食事は自分たちのために死なれた主の苦しみを記念するためのものでなければならないことを意味しています。

「わたしの記念《アナムネーシス》のために」が何を意味するかについては、さらに詳しく考察すべき問題がありますが、それは後述の「補論」で扱います。

 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」。(二二・二〇)

 過越の食事では主要部の食事の後に「祝福の杯」が来ます。普通の食事でも、「食事の後に」杯が上げられてぶどう酒が飲まれます。ルカは、パウロによって伝えられた伝承(コリントT一一・二三〜二五)と同じように、「食事を終えてから」杯が「同じように」されたと伝えます。「同じように」というのは、パンの場合と同じように、イエスご自身はその杯から飲むことなく、杯を弟子たちに回して飲まされたことを指しています。
 この象徴行為について語られたイエスの言葉は、原文の順序では、「この杯は新しい契約である、わたしの血による、あなたたちのために注ぎ出されるところの」となっています。この杯の言葉は、マルコ・マタイ型の伝承と違います。マルコ(一四・二四)では「これはわたしの血である、契約の(ための)、多くの人たちのために注ぎ出されるところの」とあり、マタイ(二六・二八)では、「これはわたしの血である、契約の(ための)、多くの人たちのために注ぎ出されるところの、罪の赦しへと」となっています。パウロ・ルカ型と違う点は、最初の言葉が「これは契約である」ではなく、「これはわたしの血である」となっていることです。
 伝承を担ったユダヤ人信者にとって、「これは血である」という言葉は理解しにくい言葉、むしろ「血を飲む」というのは戦慄すべき言葉であるのに対して、「これは契約である」という言葉は理解しやすい言葉です。伝承は理解しにくい形から理解しやすい形に変えられるという鉄則からすると、マルコ・マタイ型の方が古い形を保っていると判断されます。また、パウロ・ルカ型の方が最初期の共同体での典礼で用いられた影響を多く示していることや、マルコ・マタイ型のギリシア語がセム語的であることも、この判断を補強します。その中でも、マタイの形にはマタイ独自の用語法や附加が見られるので、マルコの形が最古のテキスト、すなわちイエスの言葉にもっとも近い形であると見てよいと考えられます。
 最後の食事のさいに、イエスがその食事のパンとぶどう酒について語られた言葉は、新約聖書では次の四箇所に伝えられています。


 1 コリント第一書簡 一一章二三〜二五節
 2 マルコ福音書   一四章二二〜二五節
 3 マタイ福音書   二六章二六〜二九節
 4 ルカ福音書    二二章一五〜二〇節

 この四箇所は微妙な違いを見せています。この四箇所は大別するとマルコ・マタイ型の伝承系列とパウロ・ルカ型の伝承系列に分けられます。元は一つのイエスの言葉がこのように僅かづつながら違った形に書かれるにいたった伝承の過程については、実に精密な議論がなされています。ここでその議論の細部に入ることはできませんが(その一端は後述の「補論」で触れます)、イエスがパンとぶどう酒について語られた言葉、しかも「これはわたしの体」、「これはわたしの血」という衝撃的な形の言葉が核心にあることは間違いありません。
 先に見たように、「これはわたしの血である」という言葉は「マーシャール」(謎の言葉)です。この「マーシャール」を最初期の共同体が理解したところを語り伝えたのが、「この杯は新しい契約である、わたしの血による、あなたたちのために注ぎ出されるところの」というパウロ・ルカ型の伝承です。ここでパウロ・ルカ型の伝承がこの杯をどのように理解しているかを、ここに用いられている用語を手がかりに検討してみましょう。

マルコ・マタイ型の伝承も、「これはわたしの血である」という「マーシャール」に、「契約の」とか「多くの人のために注ぎ出される」という解釈の言葉を添えて伝承されていますが、パウロ・ルカ型はそれを含みつつ、さらに詳しく「新しい」契約という点を入れていますので、ここはルカ福音書の講解でもありますから、ルカの伝承によってこの「マーシャール」に対する最初期共同体の理解を追究します。

 最後の晩餐でパンと杯の言葉を語る方も聞く者たちもみなユダヤ人(ユダヤ教徒)です。しかもその言葉は、過越祭というユダヤ教の心臓部ともいうべき祭儀の場で語られています。当然その言葉は聖書の背景で理解され、語り伝えられることになります。事実、伝承されたこの杯の言葉には聖書の伝統が強く響いています。杯の言葉には、聖書の主要な三箇所が響いているのを聞くことができます。
 第一は、出エジプト記二四章(とくに三〜八節)のシナイにおける契約締結の記事です。そこにはこう記されています。

 モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」。(出エジプト記二四・六〜八)

 イエスの「これはわたしの血である」という言葉を聞いたユダヤ教徒の弟子たちは、直ちにそれが「契約の血」であることを悟ります。今やイエスが流される血によって、モーセの時とは違う別の契約が結ばれようとしていることを悟ります。聞いたときはまだ「マーシャール」のままであったかもしれませんが、イエスの復活後にイエスの晩餐の言葉を繰り返し用いて語り伝えた共同体は、そう悟ります。それが、「これはわたしの血による契約である」というイエスの言葉となって語り伝えられます。
 第二は、預言者エレミヤが語った「新しい契約」の預言です(エレミヤ三一・三一〜三四)。そこではモーセによって与えられたシナイの契約は、イスラエルの民が不従順によってその契約を破ったので無効となり、神は終わりの日にそれとは別の「新しい契約」を結ばれることが預言されています。イエスの復活後、復活者キリストが流された血によって結ばれた契約は、これまでのイスラエルの祭儀で繰り返されてきた動物の血による契約とは別の、終わりの日に結ばれるとされていた終末的な契約、もはや古くなることのない永遠に「新しい」契約であることを共同体は悟ります。それが「これは、わたしの血による新しい契約である」という言葉として伝えられます。
 第三は、イザヤ書五三章に伝えられている「主の僕」の預言です。ルカのテキストの「私の血による新しい契約」の後に、その血を説明する句として「あなたたちのために流される(注ぎ出される)」という句がついています。この「あなたたちのために」という部分は、それに並行するマルコのテキストでは、「多くの者たちのために」となっています(マタイも同じ)。パンの後の説明句でも同じです。この「多くの人のために」という句は、イザヤ書五三章の「主の僕」の歌に繰り返し現れる重要な句で、「主の僕」が受ける苦難が自分のためではなく「多くの人のため」のものであることが強調されています(一一、一二節)。マルコが「多くの人のために流される血」という言葉を伝えたとき、この「主の僕」の預言を成就する方としてのイエスを指していたと考えられます。事実、イエスご自身も「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ一〇・四五 と、イザヤ書五三章(一〇節)の表現を用いてご自分の使命を語っておられます。
 この「多くの人のために」という表現は、「すべての人のために」を意味するセム語独特の表現であるとされています。ギリシア語系の人たちに語るパウロ・ルカ形の伝承では、このセム語系の表現が「あなたたちのために」に変わっているため、この句がイザヤ書五三章を反映していることが分かりにくくなっていますが、意味内容からすれば当然これはイザヤ書五三章の「主の僕」の預言を指し示すものであることは分かります。最初期の共同体はこの句をイザヤ書五三章の背景の中で語り伝えたはずです。
 このように最後の晩餐の席でイエスが語り出された「これはわたしの体」、「これはわたしの血」という「マーシャール」は、イエスの復活後、共同体の中でパンを裂き杯を共にする共同の食事の中で、このような意義内容を指し示す言葉として理解され、それが「主イエス」の言葉として伝承されます。それが書きとどめられて、現在わたしたちが見ている各福音書の記事となって伝えられます。それは最初期共同体のキリスト信仰の核心部を告白する言葉であり、後の世の教会の「ミサ典礼」として、キリスト教の心臓部を形成することになります(この消息は後述の「補論」で扱います)。

「最後の晩餐」席上でのイエスと弟子たちの対話

 弟子たちとされた最後の食事の席でイエスが語られた言葉は「パンと杯の言葉」だけではありません。しかし、この「パンと杯の言葉」、とくにその意義を語り、食事をそのようなものとしてするようにと語られた部分(ルカでは二二・一九〜二〇)は「制定語」などと呼ばれ、特別に重要視されています。けれども、その他にもこの最後の食事の席で語られたイエスの言葉は多くあり、各福音書に伝えられています。その中でも、とくにヨハネ福音書は「パンと杯の言葉」を伝えることなく、それを中心に伝えている共観福音書と大きな違いを見せています。ヨハネ福音書(一三〜一七章)の「最後の晩餐」の記事は、イエスと弟子たちとの対話が主要な内容であり、弟子たちに対するイエスの遺訓の集成という内容になっています。共観福音書の中では、ルカ福音書が(マルコとマタイに較べると)弟子たちとの対話が多く伝えられており、ヨハネと共通の内容も多く、ヨハネと似た傾向を示しています。

裏切る者

 「しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ」。(二二・二一〜二二)

 最後の食事の席でイエスが弟子の一人が自分を裏切ることを語り出されたという記事は、四福音書のすべてにあります。マルコとマタイでは食事の前に語られていますが、ルカはそれを食事の直後に置いています。「わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている」という表現が示しているように、ヨハネも含めて、すべての福音書はその発言が食事の席でなされたことを指し示しています。したがってルカはこのイエスの発言を食事の席での出来事として、先行する「パンと杯の言葉」と一体の記事にしており、新共同訳も同じ段落に含ませています。しかし、弟子についての発言は、「パンと杯の言葉」とは種類が違うものとして、他の弟子の在り方についての発言と一緒に、この講解では別の見出しの下にまとめます。
 食卓を共にするというのは、もっとも親しい人間関係を示しています。今、信頼して食卓を共にしている仲間の一人がイエスを引き渡そうとしています(「裏切る」と訳されている動詞は「引き渡す」という意味の動詞です)。誰に引き渡そうとしたのかは明示されています。イエスの命を狙い、秘かに逮捕する機会をうかがっていた祭司長たちに引き渡したのです。しかし、なぜ引き渡そうとしたのかは、先に見たように、深い謎に包まれています。
 イエスが選ばれた弟子の一人がイエスを裏切ったという事実は、イエスをキリストとして告知する最初期共同体にとって辛い事実でした。ルカはそれを「ユダの中にサタンが入った」(二二・三)と説明していましたが、ここにイエス自身がその事実の意義を語られた言葉が伝えられています。すなわち、イエスは「人の子は、定められたとおり去って行く」と言って、その事実を自分に与えられた神の定めとして受け入れておられます。ここで用いられている「定める、決める、設定する」という動詞は、とくにルカがよく用いる動詞で(ルカ文書に六回、他では二回だけ)、主語はいつも神です。これは、神が救いの働き(救済史)のために定められた計画を指すときに用いられています。マルコ(一四・二一)は同じことを「聖書に書いてあるとおりに」と表現しています。
 ルカのこの箇所では受動態で用いられ、神が「人の子」について定められた役割に従って、世を去っていくことになる、とイエスは言っておられるのです。しかし、そのことが起こるために、「人の子」を引き渡す役割に定められた者は気の毒なことだ、とイエスは言っておられます。その者は世々に汚名を着せられて罵られ続けるのですから。イエスはその者について、「生まれなかった方が、その者のためによかった」と言われた、とも伝えられています(マルコ一四・二一)。
 この語り方は、弟子の裏切りによる死という出来事を神の御計画という視点から見た語り方であって、そうだからといってそれを行った人間の責任がなくなるわけではありません。イエスを引き渡した者の憐れな末路については別に語られることになります(使徒一・一五〜二〇)。

 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。(二二・二三)

 この時の情景は、有名なレオナルド・ダヴィンチの名作「最後の晩餐」に生き生きと描かれています。ユダ以外の弟子たちは、弟子の一人がイエスを引き渡すようなことをするとは夢にも思わないことです。弟子たちはイエスの言葉に衝撃を受け、それはいったい誰かと、互いに顔を見合わせ、ひそひそと語り合います。その場に居合わせた弟子の証言から出たと見られるヨハネ福音書(一三・二一〜三〇)の記述では、イエスの胸元によりかかっていた「イエスの愛しておられた弟子」に、イエスはそれがユダであることを示されたとされています。マルコの記事も、ルカが用いた特殊資料も、このような事実を知りません。ルカの記述は、弟子たちの驚きと戸惑いの姿を伝えるだけで終わっています。

 このように食卓での発言(パンと杯の言葉および弟子の裏切りについての発言)の後、食事とは直接関係のないイエスの発言が、弟子との対話という形で置かれています。対話といっても、弟子たちに語りかける最後の機会に、イエスが弟子たちに与えられた説話という性格のものです――ヨハネ福音書(一三〜一七章)の最後の晩餐の記事は、ほとんどこの部分だけで構成されています。その対話は(新共同訳のルカ福音書では)以下の三つの段落にまとめられています。
 1 いちばん偉い者(二二・二四〜三〇)
 2 ペトロの離反の予告(二二・三一〜三四)
 3 財布と袋と剣(二二・三五〜三八)