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126 イエスを殺す計画(22章1〜6節) 

イエスに対する祭司長たちの殺意

 さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。(二二・一)

 過越祭はユダヤ暦のニサンの月一四日に行われる一日の祭りであり、除酵祭はそれに続く一五日から二一日まで七日間続く祭りです。この出エジプトを記念する二つの祭りの八日間を、ユダヤ人は過越祭とも除酵祭とも呼んでいました(わたしたちはこの祭り全体を普通「過越祭」と呼んでいます)。これは春に行われるユダヤ教の大祭であり、七週後の七週祭と秋の仮庵祭と並んで、すべての男性ユダヤ人がエルサレムの神殿に巡礼して参加することが律法で定められている三大巡礼祭の一つです(申命記一六・一〜一六)。
 イエスはこの過越祭を目指してエルサレムに向かって旅をし、祭りの少し前に弟子たちと共にエルサレムに入られました(一九・二八〜四六)。祭りのために清めの儀式を受ける必要から、ユダヤ人巡礼者は七日から八日前にエルサレムに入りました。イエスとその一行もそうしたと見られます。その後のイエスの日々をルカは、日中は神殿で祭りのために集まってきた民衆に教え、夜はオリーブ山で過ごされた、と要約しています(二一・三七〜三八)。イエスがエルサレムに入られてから日が過ぎ行き、祭りの日が近づいてきます。その間、舞台裏で進む祭司長たちの陰謀がこの段落で描かれます。

 祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。(二二・二)

 イエスを殺そうとしたのは、神殿を支配するユダヤ教指導層の中心勢力、具体的には大祭司を頂点とする祭司長たちのグループです。この一〇人ほどのグループはユダヤ教の最高権力機関である最高法院の中で中枢を形成し、当時のユダヤ教教団国家を統率する実質的な行政機関でした。日本でいえば、首相と閣僚で構成される内閣に相当する権力組織です。当時のパレスチナはローマの支配下にありましたが、実際の統治と行政はローマ皇帝からの承認を受けた各地域の領主たちに委ねられていました。イエスが活動されたガリラヤは領主アンティパスが支配していました。ユダヤは六年に領主アルケラオスが失脚してからはローマ総督の直轄領になっていましたが、エルサレムは大祭司の支配下にありました。ローマ総督とローマ軍は、治安維持のために祭りの期間にエルサレムに駐留するだけでした。
 ここで祭司長たちと並んで律法学者たちがイエスを殺そうとした勢力に数えられています。ここだけでなく福音書にはイエスに敵対する勢力として「祭司長たちと律法学者たち」という表現が頻出しますが、これは福音書が形成された七〇年以後の時代には、キリスト者共同体に敵対する勢力が律法学者だけが率いるユダヤ教会堂であった結果、イエスに敵対する勢力がこのような組み合わせで語られるようになったからだと考えられます。たしかにイエスの時代の最高法院にもファリサイ派律法学者たちが議席の一角を占め、イエスの律法違反を問題視する学者もいたことでしょうが、当時の階層としての律法学者(おもにファリサイ派)全体はけっしてイエスに敵対していませんでした。イエスはファリサイ派の律法学者たちとも食卓を共にするなど親しい交わりをもたれたことが福音書にも伝えられています。もっともイエスの時代でも、一部の律法学者(とくに最高法院に議席をもつファリサイ派律法学者)が、イエスをローマ支配に対する過激な危険分子と見て、イエスを抹殺する謀議に加わった可能性は十分あります。
 祭司長たちがイエスを殺そうと謀った(謀議をした)ことは、イエスがエルサレムに入ってすぐに神殿で商人の机をひっくり返すなどの激しい象徴行為をされたときから始まっています(一九・四七〜四八)。しかし、民衆が熱心にイエスの話に聞き入っていたので手を出すことができなかったとされています。祭りの日が近づき、なんとかしなければと彼らは焦りますが、下手に手を出して、イエスを支持する民衆が騒ぎ出せば、騒乱になりかねません。それは彼らがもっとも恐れる事態です。祭りの時は、パレスチナ中のユダヤ教徒がエルサレムに集まり、エルサレムは宗教熱心なユダヤ人で満ちあふれており、ユダヤ人の民族意識がもっとも高揚する時です。万一騒乱が起これば、たちまちに拡大して手が付けられなくなり、ローマの駐留軍が出動し、彼らの支配権が危うくなります。この間の大祭司や祭司長たちの危惧とイエスへの殺意は、ヨハネ福音書(一一・四五〜五三)が詳しく伝えています。彼らは「民衆を恐れていた」のです。
 ここで考慮に入れなければならないのは、祭司長たちのイエスに対する殺意はイエスのガリラヤでの活動時期から始まっているという事実です。イエスがガリラヤの会堂で教えておられたとき、安息日に手の萎えた人をいやされ、それを安息日律法の違反として咎めた律法学者たちを論駁されたことを伝える段落の結びで、マルコ(三・六)は「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた」と書いています(マタイ一二・一四も同じ)。この箇所をルカ(六・一一)は「ところが、彼ら(律法学者たちやファリサイ派の人々)は怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」としています。表現は違いますが、これもイエスに対する殺意を指しているとしなければなりません。ガリラヤには祭司長たちはいませんから、律法学者だけになっていますが、このようなガリラヤ時代から始まっているイエスに対するユダヤ人の殺意はどこから来るのでしょうか。
 神殿を自分たちの支配の拠点とする祭司長たちにとって、神殿の崩壊を予告し、自分が神殿に取って代わるような言動を弄して民衆を扇動する預言者はもっとも危険な預言者であり、何としても取り除かなければなりません。マルコがイエスの神殿での激しい預言者的象徴行為を最後のエルサレム入りの時のこととし、その直後に祭司長たちのイエスに対する殺意を描く記事を置いたのは合理的です(マルコ一一・一五〜一八)。マタイとルカはこのマルコの構成に従っています。その合理性から現代の多くの研究者は、このマルコの構成は実際の歴史的出来事を伝えているとしています。
 しかし、イエスの生涯の目撃証人から出たと見られるヨハネ福音書は、イエスの神殿での象徴行為を初期のエルサレムでの活動時としています(ヨハネ二・一三〜二二)。イエスの歴史的実像は共観福音書を資料として探求されなければならないとする研究者は、ヨハネ福音書の記述はヨハネの神学的意図からする構成であると見ています。しかし、イエスに対するユダヤ人の殺意がガリラヤ時代から始まっていたとする共観福音書の証言は、イエスの神殿での象徴行為が初期にあったとするヨハネ福音書の伝承を裏書きしていると見られます。共観福音書には「エルサレムから来た律法学者たち」がイエスのガリラヤでの活動を監視したことが伝えられていますが(マルコ三・二二)、これは、イエスがガリラヤで活動を始める前にエルサレムで神殿での象徴行為があり、イエスを危険視した祭司長たちが律法学者を派遣したものと考えられます。イエスが安息日律法を破られたからすぐにそれが殺意になる(マルコ三・六)というよりは、神殿を否定するイエスに対する殺意が律法違反の行為をとらえて噴出していると見ることができます。しかし、ガリラヤはアンティパスが支配する領地であり、大祭司の支配は及びません。またガリラヤの民衆はイエスの教えに感激し、イエスを熱く支持しているので手を下すことはできません。イエスを取り除くための謀議をこらし、機会を待つほかはありません。
 そのイエスが今や祭りのためにエルサレムに入り、自分たちが支配する領地にいます。祭司長たちは、どうすれば民衆の騒乱を引き起こすことなくイエスを秘かに逮捕することができるか、その方法を謀議します(マルコ一四・一)。

ユダの裏切り

 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。(二二・三)

 この場面でユダが登場します。イエスが選ばれた十二弟子の一人がイエスを引き渡したのです。イエスの弟子にはユダという名の弟子が他にもいますので(六・一六)、他のユダと区別するために、このユダは「イスカリオテのユダ」と呼ばれています。

ヨハネ福音書(六・七〇〜七一)でイエスが自分を裏切る弟子のことを語られたとき、「イスカリオテのシモンの子ユダのことを言っておられたのである」という表現が出てきます。ユダがシモンの子であることを述べるのはヨハネだけで、共観福音書では「イスカリオテのユダ」と呼ばれています。「イスカリオテ」の意味については議論が続いており、決着していません。大別すると、「シカリ」(短刀)から出た語で、ユダが「シカリ派」とも呼ばれる熱心党の出身であるという見方と、ユダの出身地を示す地名であるという見方があります。地名と見る場合も、それがどこであるかについては見解が分かれています。「イスカリオテ」を「イシュ(人)+カリオテ」と見て、「カリオテ出身の」と理解し、ヨシュア記(一五・二五)に出てくる「ケリヨト」(ユダ族に割り当てられた地)として、ユダをユダヤ地方出身とする説、また、シケム近くのアスカル出身とする説、さらに、これを元にあるアラム語表現から「町の出身」として、ユダをエルサレム出身者と見る説などがあります。いずれにしても、「十二人」の中でユダだけがガリラヤの出身ではないことになります。イエスの弟子の中にユダヤ出身者がいることは、洗礼者ヨハネの弟子の中からイエスに従う者が出たという事実(ヨハネ福音書一章)からして不自然ではありません。なお、「偽り者」とか「引き渡す者」というアラム語をそのままギリシア語で音訳した語であるという説もありますが、ヨハネ福音書のここの記述では、「イスカリオテの」は(格の形から)ユダにはかからず父親のシモンを説明しているので無理です。また、父親の説明であるので、出身地を指すと見るのが自然だと言えます。

 イエスを引き渡したこの弟子のことは謎が多く、古来から多くの議論を呼び起こしてきました。その謎の中で最大のものは、ユダはなぜ師のイエスをその命を狙う敵対勢力に引き渡したのか、その動機とか理由ないし目的です。最初の福音書であるマルコ福音書(一四・一〇〜一一)では、イエスを引き渡そうというユダの申し出に対して、祭司長たちが金を与えることを約束したことになっています。そうであれば、ユダの裏切りは金が目当てであったとは限らないことになります。ユダは何か他の動機でイエスを裏切った可能性も残ります。しかしマタイ(二六・一四〜一六)は、ユダがまず「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言ったので、祭司長たちは銀貨三十枚を支払うことを約束した、と変えています。すなわち、ユダの裏切りは金目当てであったと、明確に述べていることになります。ルカ(二二・一〜六)は、まずユダの中にサタンが入って裏切りを決意させ、ユダのイエス引渡しの相談に対して祭司長たちが金を与えることを約束したと、マルコの順序に従っています。いずれにせよ、福音書記者はみな金のことに触れているので、ユダは金欲しさに師を裏切った卑劣な男であるとの印象を与える結果になっています。
 しかし、それではあまりに単純で説得力がないので、ユダの裏切りの動機についてさまざまの推測がなされることになります。たとえば、ユダはイエスに対する失望から裏切ったとする説があります。ユダは熱心党的な思想の人物で、イエスこそイスラエルを回復するために神から遣わされたメシアであると期待して、すべてを投げ出してイエスの運動に身を投じたのに、イエスは民衆の期待を裏切って立ち上がろうとしない。イエスの姿勢に失望したユダはイエスを軽蔑するようになり、金と引き換えにイエスを敵に引き渡したという推測です。あるいは、ユダにはイエスを裏切るつもりはなく、イエスを苦境に追い込めば、イエスはその大いなる力をふるって民衆のために立ち上がるかもしれないと期待したのであるが、こと志しに反しイエスは十字架刑になってしまったので、ユダは自分の行為を悔やみ自殺したとする説もあります。さらに、ユダの行為は裏切りではなく、彼の不用意な行動からイエスの居場所が敵に察知されたにすぎないのであるが、彼の失策は教団の伝承の過程で裏切り行為とされるようになったという説まで様々です。いずれも推測にすぎず、ユダの裏切りの動機は人間の魂の深い暗黒の中に閉ざされています。ルカやヨハネ(一三・二)が言うように、「悪魔がユダに入った」としか説明のしようがないミステリーでしょう。最初期の共同体では、ユダの行為は「悪魔がユダに入った」というフレーズで語り伝えられていたと見られます。

最近古写本が発見され、各国語に翻訳されて出版された「ユダの福音書」は、全然別の見方で書かれています。この文書はグノーシス主義の立場で書かれており、一八〇年頃のエイレナイオスの『異端論駁』においてすでに名をあげて批判されています。それでこの文書の成立は一四〇〜一六〇年頃と見られますが、最近断片化した古写本から復元された本文から、ほぼその内容が知られるようになりました。それによると、ユダはイエスからもっとも信頼された優れた弟子であり、イエスから特別の啓示を受けていました。ユダがイエスを官憲に引き渡したのも、イエスが朽ちるべき肉体を脱ぎ捨てて、イエスがそこから来た大いなる光の世界に帰るために、イエスから委託されていたことを成し遂げた行為であり、それによってユダは十二人を超える存在になるとされています。この福音書では、イエスはユダに「お前は真のわたしを包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在となるだろう」と言っています。このような見方は、世界を創造した旧約聖書の神を劣る神とし、その神を超える絶対的な光を神として想定するグノーシス主義の立場から出るものです。ここでその思想を解説することはできませんが、ごく初期からユダの行為について様々な見方が行われていたことの実例の一つとしてあげておきます。「ユダの福音書」について詳しくは、カッセル他編著の『原典 ユダの福音書』(日経ナショナルジオグラフィック社)を参照してください。

 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。(二二・四)

 「神殿守衛長」という地位は、神殿支配体制においては大祭司に次ぐ地位で、祭儀全体の監督と、神殿警護に当たるレビ人や祭司たちの監督に当たりました。神殿を中心とするユダヤ教教団国家はある程度の軍事力・警察力をもっていましたが、その長官が「神殿守衛長」で、普通単数形で言及されます(使徒四・一、五・二四、二六)。ここで「神殿守衛長たち」と複数形で出てくるのは、長官に率いられた部隊長たちのグループを指していると考えられます。同じく「祭司長たち」というのも大祭司を含むグループを指しており、ユダは大祭司と神殿守衛長に率いられたユダヤ教教団最高の権力機関に接近したということになります。
 ユダは彼らに「どのようにして」イエスを引き渡そうかと相談をもちかけたとされています。すなわち、イエスを引き渡す方法について相談したことになります。彼らは群衆の騒乱を恐れて手を出すことができなかったのですから、ユダは(六節に明言されているように)群衆のいないときにイエスを引き渡す方法を相談したことは確実です。実際ユダがイエスを彼らに引き渡した出来事を見ますと、ユダと祭司長たちの謀議はこの方法をめぐってなされたことは明らかです。ユダはイエスと弟子たちが秘かに夜を過ごすオリーブ山麓の隠れ場所を知っています。その秘密を洩らしたということになります。
 しかし、ユダがイエスを裏切ったのはそれだけでしょうか。ここからは推察になりますが、ユダはイエスが弟子たちだけに打ち明けておられたご自身の身分に関する言葉などを洩らしたのではないかと推察されます。祭司長たちはイエスの運動が過激なメシア運動となってローマに対する騒乱となることを極度に恐れていました。イエスを逮捕して裁判にかけ有罪として処刑するためには、律法違反の容疑だけでなくメシア僭称とか神への冒?行為の証拠が要ります。ユダはその証拠となるようなイエスの言動を洩らしたのではないかとも推察されます。

 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。(二二・五〜六)

 ユダの申し出を受けた祭司長たち神殿指導層は、自分たちの計画を実現することができることを喜び、ユダに報酬として金を与えることにします。マタイ(二六・一四〜一六)は、ユダがまず「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言ったので祭司長たちは銀貨三十枚を支払うことを約束したとしていますが、その間の経緯についてルカはマタイの順ではなく、マルコと一致して、ユダの申し出に対して祭司長たちが金を与えることにしたとしているので、ユダの裏切り行為の動機について、金銭以外の動機を推察する余地を残しています。
 ユダの申し出は「過越祭が近づいていた」時、おそらく数日前になされたと見られます。ユダは「群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた」ところ、ついにその機会がやってきます。それは「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日」(次節)にやってきます。