市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第4講

113 権威についての問答(20章1〜8節)  

 ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか」。(二〇・一〜二)

 一節前半の原文は直訳すると、「それらの日々の中のある一日、イエスが神殿の境内で御言葉を教え、かつ福音を告げ知らせておられると」となります。イエスが神殿の境内で毎日しておられた活動が、ここでは「御言葉を教え、かつ福音を告げ知らせる」という表現で語られています。イエスの活動においては、神がこう語っておられると御言葉を教えること(それは預言者の働きです)は、その内容において「福音を告げ知らせる」ことと等置されています。たしかにイエスは預言者としてエルサレムの滅亡を予告して警告されるという面もありますが、イエスが「御言葉」《ホ・ロゴス》を教えるとされるのは何よりも「福音」を告知することなのです。最初期共同体の用語では、《ホ・ロゴス》は福音の言葉を指す術語(専門用語)になっていました。イエスはエルサレムの神殿においても、ガリラヤでしておられた福音告知の活動を毎日続けられたことを、この一文は伝えています。エルサレム神殿での活動は、批判と応酬の激しい論戦の面が前面に出て来ていますが、基本的にはユダヤ教徒に「福音を告げ知らせる」活動であったことを見落としてはなりません。

ここに用いられている「福音を告げ知らせる」という動詞《エウアンゲリゾマイ》は、ルカ特愛の動詞であり、四福音書の中でルカ以外に出てくるのはマタイ一一・五の一カ所だけで、ルカには一〇回出て来ます。この事実はルカが、「福音を告げ知らせる」ことを使命とし、「福音」を思想の中心に据えたパウロの活動圏であるエーゲ海地域を基盤として活動した人物であることを指し示しています。

 イエスはエルサレムに入ってからは「毎日神殿の境内で教え、福音を告げ知らせておられた」のですが、そのような活動をしておられるある日、神殿を支配している勢力がイエスの活動を咎めて、そのようなことをする資格を民衆の前で問い糾します。ここで「祭司長たちや律法学者たちが、長老たちと一緒に」としてあげられている三つのグループは、大祭司の下で最高法院を構成するユダヤ教指導層の三つのグループの名称です。この三つのグループがすべてあげられているのは、最高法院全体が、すなわちユダヤ教指導層の全体がイエスを糾弾しようとして迫っていることを語っています。

「祭司長たち」というのは、在職の大祭司、その代理としての神殿守衛隊長(宮守頭)、いく人かの貴族祭司、若干の財政専門家の八人から一〇人で構成される常任の評議会で、ユダヤの最高権力機関です(日本の内閣に相当)。彼らは神殿祭儀を拠り所とする貴族階級で、神学的にはサドカイ派です。「律法学者たち」は神学と法学に関する専門家であって、議会が扱う律法問題が複雑になるに従って発言権を増し、その中でもパリサイ派の学者が優勢になっていました。「長老たち」というのは地方の大土地所有者の世襲貴族であって、エルサレムの議会に常時出席していたのではありません。このような階層の七一人の議員が、大祭司を議長として議会であり最高法廷である最高法院を構成し、ユダヤの宗教や政治や法律の重要問題を協議し、決定し、裁判しました。

 彼らはイエスに対して、「何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか」と問い糾します。「このようなこと」は複数形であり、直前の神殿での象徴行為だけでなく、毎日神殿で民衆に教えるという行為、さらにガリラヤも含めてイエスがこれまでしてこられた公の活動すべてを指しています。現在形の動詞も「するのか」ではなく、「しているのか」と継続的に訳すのが適切です。
 彼らは、イエスがこのような「御言葉を教え、かつ福音を告げ知らせる」活動をする根拠、権威を問い糾します。ユダヤ教ではラビとして弟子に律法を教えるには、ラビとしての允許(いんきよ)が必要でした。彼らは、誰がイエスにその允許を与えたのかを問い糾します。もしその権威が天からのもの、すなわち神から直接与えられたものであるならば、それを証明するしるしが必要だとして、彼らは以前から執拗に「天からのしるし」を求めました(一一・一六)。イエスはそのようなしるしをあたえることを拒否しておられます(一一・二九)。イエスの権威は「天からもの」であったのですが、彼らはそれを悟らず、自分たちの権威に敵対するものとして拒否します。御言葉(福音)を告知する権威を誰が与えたのかは、パウロの場合も問題にされましたが、パウロは福音を告知する使徒としての権威が「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって」与えられたものであることを宣言しています(ガラテヤ一・一)。同じ問題がイエスの場合は、このような形で神殿に集う民衆の面前で持ち出されています。

 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」。(二〇・三〜四)

 彼らのこの詰問に、イエスは同じ性質の問いを突きつけて答えられます。ヨハネがバプテスマを施すことによって神の言葉をイスラエルに伝える働きをしたのは、「天からのもの」であったのか、すなわち神から遣わされてそのような活動をしたのか、それともヨハネ自身を含め誰か地上の人間の思いつきでしたことか、あるいは誰かから委託されてしたことかと、彼らを問い詰められます。

 彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから」。そこで彼らは「どこからか、分からない」と答えた。(二〇・五〜七)

 彼らは即答することができず、お互いの間でひそひそと相談します。マルコ(およびマタイ)では「論じ合った」となっています。その相談の内容は、外に聞こえるものではないので、彼らの立場の矛盾をつく福音の立場からの推察を伝承がこのような形でまとめたものであると考えられます。彼らはヨハネのバプテスマを「天からのもの」とせず、彼の使信を無視しました。さらに、彼らはヨハネが神から遣わされたことを信じないで、彼を危険なメシア運動の主導者として危険視し、監視したり糾弾したりしました(ヨハネ一・一九〜二五)。しかし、彼らは民衆の前でそれを公言することはできません。それを公言すれば、ヨハネからバプテスマを受けて、彼を預言者として熱狂的に迎えた民衆の反感を招き、自分たちの権威が地に落ちることを恐れなければなりません。「民衆はこぞって我々を石で殺すだろう」というのは極端な表現ですが、彼らは自分たちに敵対する者を「石打」の刑で殺してきたので、民衆の敵意が自分たちに向けられる恐れをそのように表現したのでしょう。彼らはイエスの問いに、「どこからか、分からない」と答えざるをえません。

 すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」。(二〇・八)

 ヨハネの権威を神からのものと認めることができず、ただ民衆の反発を恐れてそれを公言できないような偽善者に、ご自分の権威が神からのものであることを宣言しても意味がないとして、イエスは彼らの質問に答えることを拒否されます。イエスを問い詰めようとした者たちは、民衆の面前でヨハネの権威の源を「分からない」と答えざるをえない状況に追い込まれ、イエスを問い糾す資格のない者であることを暴露され、面目を失って引き下がります。
 イスラエルの民衆は、ヨハネの告知が天からのものであることを認めてバプテスマを受けました。その民衆は今、イエスが語られる福音、すなわち恩恵の言葉が天からのものであることを直感して、喜んで耳を傾けています。その民衆が、すぐ後では祭司長たちに扇動されて、「この男を十字架につけよ」と叫ぶようになるのですから、群衆の動きに引きずられることは危険です。イエスにたいしては、一人ひとりの人生をかけた態度決定が求められます。