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第一五章 神の国に入るのは誰か

       ― ルカ福音書 一八章(九〜三〇節) ―

神の国に入るのは誰か(一八・九〜三〇)

 「神の国はいつ来るのか」という問いから始まり、「神の国」あるいは「人の子」の到来を主題とする区分(セクシヨン)(一七・二〇〜一八・八)に続いて、ルカは「神の国」に関わる別の共通した主題をもつ三つの段落からなる区分(セクシヨン)(一八・九〜三〇)を置きます。この「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえと、続く「子供を祝福する」、「金持ちの議員」の三つの段落は、「神の国に入るのは誰か」という主題でまとめられています。後二つの段落では、明確に「神の国に入る」という句でその主題が指し示されていますが、最初の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえにはこの句はありません。しかし、それと同じことを問題にしている「義とされる」という表現があり、この三つの段落が一つの共通した主題でまとめられていることが分かります。
 この区分(セクシヨン)(一八・九〜三〇)にまとめられた三つの段落の中、第一の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえは他の福音書にはなく、ルカの特殊資料Lに属します。しかし、後の二つはマルコとマタイにもあり、「旅行記」でずっとマルコから離れていたルカは、ここでマルコに戻ります。


104 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ(18章9〜14節)

 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。(一八・九)

 「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」は、どの社会にもいます。「自分は正しい人間であるということに頼って(基づいて)」(直訳)他人を見下げることは、ほとんど人間の本性です。自分は正しい人間であると自覚したり口にしたりしていなくても、わたしたちは無意識のうちに自分を規準(物差し)にして他人を見て測っています。何人かの人が集まって人のうわさ話をしているのを聴きますと、人を賞賛することは少なく、大部分は批判であり悪口です。その話しぶりにはありありと、自分はあんなことをしないが、あの人はあんなことをしているという気持ちが滲み出ています。それは無意識に自分を規準として他人を批判し裁いているのです。
 イエスはそのような人間の本性が神に忌み嫌われるものであることを、たとえを用いて語り出されます。これは実例としてあげられたファリサイ派の人に対する警告であるだけでなく、すべての人間に本性的な、ほとんど無意識の自己義認に対する警告です。従って、文頭近くにある「〜もまた」という語は、こういう(一部の)人々に対してもまた語られた、という意味ではなく、(多くのたとえの中で)このようなたとえをも語られたと理解すべきでしょう。ここでは「この比喩を語られた」とありますが、これは比喩というより、実例をあげて説くという内容です。

 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった」。(一八・一〇)

 イエスは、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」の実例として、ファリサイ派の人を取り上げられます。イエスの周囲にいる人たちの中で、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」の代表格はファリサイ派の人々です。そして、その対極にいるのが徴税人です。当時のユダヤ人の社会は、ユダヤ教が支配する宗教社会でした。そのユダヤ教社会で自他共に「義人」とされていたのがファリサイ派の人々であり、その対極で「罪人」と呼ばれて軽蔑され、ユダヤ教社会から疎外されている人たちの代表格として徴税人が取り上げられます。イエスは、神殿に上って祈る二人の姿を実例としてあげて、人間に本性的な自己義認がいかに神に忌み嫌われ、神に義とされる(=神に受け入れられる)のを妨げているかを示されます。

「ファリサイ派」と「徴税人」については、これまでの福音書講解で繰り返し触れてきましたので、重複を避けるためにここでは解説を省略します。
「ファリサイ派」については、拙著『マルコ福音書講解U』100頁以下の「パリサイ派」の項を参照してください。なお、その講解では私訳を用いていますが、私訳当時標準訳として用いられていた協会訳(口語訳)に準拠して「パリサイ派」と訳しています。
「徴税人」については、拙著『マルコ福音書講解T』117頁以下の「取税人」についての解説を参照してください。なお、その講解では協会訳(口語訳)に準拠して「取税人」と訳しています。

 「ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています』。ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください』」。(一八・一一〜一三)

 ファリサイ派の人は立って、「心の中で」このように祈ったとありますが、心の中を読むことは誰にもできません。これは、日頃のファリサイ派の人たちの言動から、彼らの祈りの内容を推察あるいは構成したものでしょう。しかし、その推察・構成がなければ、このたとえ話(例話)は意味をなしませんから、この形でイエスのたとえ話として伝承されていたとすべきでしょう。
 神殿での祈りは「立って」祈るのが普通ですが、ここの「立って」には、義人である自分の祈りは当然神に受け入れられるという彼の自信が示唆されているように感じられます。
 ファリサイ派の人々の祈りがこのようなものであることは、伝えられているファリサイ派の有名なラビの祈りが示しています。イエスから少し後、ルカよりは少し早い時代(七〇年頃)の有名なファリサイ派ラビのネフニア・ベン・ハッカーナーの祈りとして次のような祈りが伝えられています。

「わが神、わが父祖の神よ、私はあなたが私に律法の教えの家と集会堂に座す人々に連なる者とさせてくださったこと、私を劇場とか演技場に連なる者となさらなかったことに感謝します。私は努力し、彼らも努力します。私は熱心で、彼らも熱心です。しかし私は楽園を得るのに努力しますが、彼らは墓の泉のために努力します」。 (パレスチナ・ベラコート四・七d三一)

 この祈りはファリサイ派の人々が神の前に出るときの姿勢が典型的に語り出されています。どちらの祈りでも、彼らはモーセが伝えた神の律法を守ることに熱心であることを神の前に誇り、自分を「義人」だと自任しています。そしてその裏側として、律法を知らず、学ぼうともせず、行うことのない「ほかの人たち」を「罪人」と呼んで見下し軽蔑しています。その軽蔑はとくに、ユダヤ教社会で「罪人」と呼ばれる階層の中でも代表格の徴税人に向けられ、自分が「この徴税人のような者でもない」ことを神に感謝することになります。
 ファリサイ派の人々はモーセ律法を順守するだけでなく、献げ物や断食など、敬虔の業で規定以上のことを行って、自分の神に仕える敬虔さを誇っていました。たとえば、律法は年に一度の大贖罪日の苦行(断食)を命じていますが(レビ一六・二九〜三四)、ファリサイ派の人々は、歴史の中で律法学者たちが形成した口伝律法に基づき、週に二度、月曜日と木曜日に断食していました。献げ物の中でも重要な「十分の一」の献げ物についても、律法は収入のすべてについて命じているのではありませんが(申命記一四・二二〜二三)、ファリサイ派の人々は、「はっか、いのんど、クミンなどの薬味」に至るまで「十分の一」を宮に納めて、その厳格な律法順守を誇っていました(マタイ二三・二三協会訳)。

ファリサイ派の人々の断食については、拙著『マルコ福音書講解T』128頁以下の「ユダヤ教における断食」の項を参照してください。

 ファリサイ派の人が、自分が他の人たち、とくに徴税人のような律法を学ぶことも行うこともない者ではなく、律法を学び行う義人にしてくださったことを神に感謝していますが、その感謝の祈りにはありありと、自分の義によって神に受け入れられていることを誇る気持ちが滲み出ています。
 それに対して徴税人は、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈っています。彼は「遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら」祈っています。彼も「立って」祈っていますが、「遠くに」立っていることと、「目を天に上げようともせず」うつむいた姿勢で祈っているのは、おそらく天を仰いで両手を広げて祈っているファリサイ派の人と対照的に、彼の神の前での心情、すなわち自分は神の前に出る資格は何もないという無価値、無資格の自覚の表れでしょう。さらに「胸を打ちながら」は改悛を表すジェスチャーです。
 外の姿勢に表された彼の心の中での祈りが、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」という言葉で表現されています。徴税人の自分は神の前に出る資格のない者であるという自覚が「罪人のわたし」という告白に出ています。ここの「罪人」は、律法に違反する個々の行為あるいはその集積ではなく、自分の全存在が汚れた者として神との交わりに値しないという自覚です。、しかし、その資格のない者も神に受け入れられることを切に願わないではおれないところに、「わたしを憐れんでください」という祈りが出てきます。
 ここで「憐れんでください」と訳されている動詞の原意は、「和解してください」という意味です。この動詞は、新約聖書ではこことヘブライ書二・一七の二カ所に出てくるだけです。この動詞は、「贖い、償い」という意味の《ヒラスモス》と同系の動詞で、ヘブライ書では「罪を償う」という本来の意味で用いられています。この徴税人の祈りは、「神様、あなたが(わたしを贖って)罪人であるわたしと和解してください」と祈っているのです。すなわち、自分は何もすることができないので、神様、あなたがわたしと和解して、わたしをあなたとの交わりに受け入れてください」と祈っているのです。自分の働きを放棄して、ひたすら神の贖いと和解の働きに委ねているのです。

 「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。(一八・一四)

 ここでイエスは「わたしはあなたたちに言う」と、改まった言い方で重大な宣言をされます。これは「モーセは言っている」に対立するイエスの宣言です。モーセが言っていることを超える事態が到来していることを宣言する表現です。モーセ律法の立場では、義とされるのは律法を守っているファリサイ派の人であって、徴税人ではありません。それに対してイエスは逆のことを宣言されます。
 「義とされる」は、当時のユダヤ教徒の最大関心事でした。神から義人(正しい者)と認められて、神の民としての資格のある者と宣言されることは、すべてのユダヤ教徒の宗教生活の目標でした。当時のユダヤ教では、義とされるのはモーセ律法を順守することによるというのが自明の原則でした。イエスの「神の国」告知は、その常識をくつがえすものでした。
 イエスの「神の支配」の告知の実質は、終末的な恩恵の支配到来の告知でした。父の無条件絶対の恩恵が支配する終末的事態が到来しているのです。律法を行ったからではなく、自分の無価値を認めて、神の恩恵に身を委ねる者が「神の国」に入るのです。その事態をイエスは、「貧しい者は幸いだ。神の国はその人のものである」とか、「わたしが来たのは義人を招くためではなく、罪人を招くためである」と宣言されました。自分の律法の行いを誇り、それを根拠にして義を主張する「義人」は、恩恵を必要とせず、恩恵を拒むことで、神の終末的な恩恵の支配、すなわち「神の国」から退けられます。このことが最後に、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」という格言的な表現で指し示されます。今このたとえで、自らの無価値を認めて「へりくだる者」である徴税人は高められて神の子とされ、自らを義人と自任して「高ぶる者」ファリサイ派の人は、神に退けられて「低くされ」ます。
 このたとえはルカだけにあるたとえで、他の福音書にはありません。しかし、恩恵の告知のゆえにファリサイ派と対立し、徴税人と食卓を共にされたイエスがこのようなたとえを語られたことは当然であり、このたとえがイエスから出たものであることを疑う理由はありません。ところが、このたとえをこのようなギリシア語の形で福音書の中に置いたのはルカですから、その語り方にルカの時代の状況が重なっているのも事実です。
 たとえば、徴税人の「神様、罪人のわたしを憐れんでください」という祈りについて、イエスがどのようなアラム語で語られたかは確認できませんが、それを「神様、罪人のわたしと和解してください」という珍しいギリシア語を用いて伝えたのはルカです。このような表現を用いて、律法順守を誇るファリサイ派の人との祈りと対照したのはルカですから、この対照によってルカは自分の時代のファリサイ派ユダヤ教会堂と異邦人キリスト信仰共同体を対比している可能性もあります。すなわち、いまだにモーセ律法の順守を神の民の根拠としているユダヤ教会堂(ルカの時代の会堂はファリサイ派でした)に対して、もはやモーセ律法とは全然関係なく、ひたすらイエス・キリストの十字架によって成し遂げられた贖いに依り頼み、神がなしてくださった和解だけを神の民の根拠にしている異邦人キリスト共同体こそが、神に義とされ、神の民として受け入れられているのだ、という主張を重ねている可能性があります。そうだとすると、ルカにおいてはこのたとえのファリサイ派の人はユダヤ教会堂を指し、徴税人は異邦人キリスト共同体を象徴することになります。
 さらに視野を世界の宗教史にまで広げると、この比喩は親鸞の「悪人正機」の思想を思い起こさせます。親鸞は、自身の罪業深重を自覚し、ひたすら弥陀の本願に頼るほかはないと身を委ねるのは、善人よりも悪人であるから、悪人の方が弥陀の本願にあずかる本道にいるとしました。このような質の信仰は、まさにイエスがこのたとえで指し示された信仰に他なりません。
 両者の信仰の同質性は、両者の深い宗教性が、イエスの場合はユダヤ教伝統の中で、親鸞の場合は仏教文化の中で発現したものであって、相互の関連はないとする見方もできます。しかし、イエスは親鸞より千二百年も前に現れた方であり(親鸞の活動は一三世紀)、その間の世界の歴史における東西交流が想像以上に盛んであったことを考えると、イエスの信仰から始まるキリスト教の影響がアジアの仏教世界に影響を及ぼし、その影響下に大乗仏教の中で浄土系の信仰が発展し、日本の法然・親鸞の信仰に至ったという関連も可能性があります。