市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第38講

96 「放蕩息子」のたとえ(15章11〜32節)

 このたとえは、数多いイエスのたとえの中でもっとも有名なたとえです。このたとえは、放蕩に身を持ち崩した弟息子が父親のもとに帰ってくることを描いた第一部(一一〜二四節)と、帰ってきた弟息子を父親が歓待していることに不平を言う兄息子を描く第二部(二五〜三二節)の二つの部分から成っていますが、とくに放蕩息子の帰還を描く第一部が有名です。この部分が第二部から切り離されて「放蕩息子のたとえ」と呼ばれることも多く、伝道説教でもっとも多く用いられるたとえとなります。米国のある教会で、説教者からだけ見える後ろ側の壁に、「ルカ一五章から説教しないでください」という張り紙がしてあったという挿話を聞いたことがあります。次々に伝道に来る説教者がみなこの「放蕩息子のたとえ」で説教するので、たまりかねてこのような張り紙をしたということです。
 たしかにこの第一部は、神なき世界に向かって、また神を見失っている魂に、神に立ち帰るように呼びかけるのにもっともふさわしいたとえです。イエスが告知された「恩恵の支配」を、もっとも印象深いたとえの形で語っています。しかし、このたとえは第二部も含めて一つのたとえであり、その全体が罪人たちと交わり食事をされるイエスに対する律法学者たちからの批判(一〜三節)に答えています。

父親から去った弟息子の窮迫

 「また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった」。(一五・一一〜一二)

 イスラエルの相続法では、長子は他の息子たちの二倍の分け前を受け取る権利があります(申命記二一・一七)。二人の息子の中、弟息子は父親の束縛から逃れて独立した自由な生き方をしたいと望んだのでしょう(青年期にはよくあることです)、自分が相続することになっている相続分を今いただきたいと願い出ます。それで父親は自分の財産を二人の息子に分けてやります。兄息子に財産の三分の二、弟息子に三分の一を与えます。弟息子だけに分け前を与えたのではなく、このとき同時に兄息子にも彼の分け前を与えています。そのことは、父親が兄息子に「わたしのものは全部お前のものだ」と言っていることからも分かります(三一節)。

ユダヤ教の律法規定では、相続に二通りの形式がありました。一つは遺言による相続で、もう一つは生前の贈与による相続です。遺言による場合は、父親の死亡の後に財産を相続します。生前贈与の場合は、息子は財産の所有権を得ていますが、父親が存命中は処分権はなく、もし売却しても買い主は父親の死後になってはじめて所有することができます。また息子に用益権はなく、父親は存命中は贈与した財産を自由に使用することができます。実際、このたとえの父親も、長男が唯一の所有者と呼ばれていても(三一節)、自由に自分の財産を使用しています(二二〜二四節、二九節)。このたとえでは、弟息子は処分権も要求して、贈与された財産を売却して金に換えていますが(一三節)、買い主は父親が生存中は実際にその財産を所有することができなかったはずです。父親が生存しているのに、生前贈与された財産を売却して金に換えることができるのかが議論されていますが、神から背き離れた人間の姿を描くために用いられた比喩に、あまり法律上の厳密さを求めることは場違いでしょう。

 「何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた」。(一五・一三〜一四)

 分け前をいただいた弟息子はすぐに行動します。何日もたたないうちに、贈与された財産全部を金に換えて、遠い国に旅立ちます。当時パレスチナのユダヤ人は五〇万人前後と推定されますが、パレスチナ以外の地中海世界の諸都市に住んでいる離散のユダヤ人(ディアスポラ・ユダヤ人)の数は四〇〇万人を超えると言われています。パレスチナのユダヤ人が自由な天地を求めて、あるいはさらに豊かな生活を求めてヘレニズム世界の大都市に移住することは、決して珍しいことではなく、よくあることでした。彼の移住先は、豚を飼っていたとあることから(一五節)、異教の都市であったと見られます。
 ところが、この弟息子は贈与された資産で手にした金を全部放蕩に使い果たします。この弟息子は、妻子のことが全然出てこないので、独身者と見られますが、異教の大都市は快楽に満ち、人生経験の浅い若者にはあまりにも誘惑が多い場所です。当時ユダヤ人男性の結婚適齢期は一八〜二〇歳でしたから、この弟息子の若さと未熟さがうかがわれます。養うべき妻子のない若者は、誘惑に負け、快楽に溺れ、放蕩に身を持ち崩します。
 放蕩の限りを尽くして財産を使い果たしたころ、その土地にひどい飢饉が起こります。気前よくお金をばらまいていたときには、お世辞を並べていた者たちも、彼にもはや金がないと分かると、金の切れめは縁の切れめとばかり、窮迫している彼を振り返ることもなく、みな去っていきます。彼を雇う者はなく、彼を助ける者もありません。彼は食べるものにも困る窮状に陥ります。

 「それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった」。(一五・一五〜一六)

 食べるものにも困るようになった弟息子は、つてを頼ってその地方のある一人の住人の家に身を寄せます。するとその住人は彼を畑にやって豚の世話をさせます。ユダヤ人にとって豚は決して食べてはならない汚れた動物です。その豚の世話をしなければならないという状況は、ユダヤ人にとってこれ以上はない屈辱であり、嫌悪と苦痛のどん底の暮らしです。豚を飼っているその住民は異教徒ですから、彼に安息日にも仕事を強要したことでしょう。弟息子はユダヤ人として生きていけないような境遇に陥ります。このたとえは豚を登場させることで、聴き手のユダヤ人に弟息子の窮状をこれ以上できないほど強調します。
 彼は何も食べるものがないので、忌み嫌っている豚が食べるいなご豆でもよいから、あればそれを食べて腹を満たしたいと願うほどであったという表現は、彼が餓死の直前の状態までいっていることを指し示しています。しかし、誰も与えてくれませんでした。

一六節の最後の文は「だれひとり彼に与えなかった」とあるだけで、何を与えなかったかは指示されていません。塚本訳や岩波版佐藤訳は、そのいなご豆ですら誰も彼に与えなかったと解釈しています。新改訳もその解釈です。協会訳は、他の欧米語訳と同じように、「何もくれる人はなかった」と訳し、新共同訳はその「何も」を「食べ物」と言い換えています。文章上は「与える」の目的語は「いなご豆」になると見られますが、豚の飼料としてのいなご豆は目の前に多量にあるので、それを食べることはできるはずです。それで、「豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかった」ほどの彼の飢餓を助けるために、「何かを」与える人は誰もなかったという解釈が出てきます。解釈は、与えるものを「そのいなご豆すら」とするか、食べ物一般とするかに分かれますが、どちらをとるにしても彼の窮状の記述であることは変わりません。

本心に立ち帰る放蕩子

 「そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで餓え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と』」。(一五・一七〜一九)

 「我に返って」と訳されているところの原文は、「彼自身に来て」です。彼は本来自分自身がいるべき場所に帰ったのです。「本心に立ち帰って」と訳してもよいでしょう。彼は放蕩にふけっている間は、自分が贅沢な生活ができるのも父親の資産のおかげであることも忘れ、自分の力で立派に生きているように錯覚していたのですが、自分の力では食べるものにも困る境遇に陥ってやっと、自分は父親の力で生かしてもらっている存在だという、本来の自分の立場に目覚めます。父親があっての自分だという、息子としての本来の心に立ち帰ります。
 彼は「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで餓え死にしそうだ」という、父親の家の豊かさと、そこから切り離された自分だけの境遇の悲惨さとのギャップに気づきます。もう選択の余地はありません。彼は父親の家に帰る決意をします。それ以外に生きる道はありません。
 このような境遇で、彼は、自分が勝手な暮らしを享受するために自分の分け前を要求し、それを手にして父親の家から去ったことが、いかに大きな間違いであったかを悟ります。その間違いを認める気持ちが、「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました」と言おうと心に決めた彼の決心に示されています。
 彼は自分が父親に対してした行為がまず「天に対して罪を犯した」ことだと自覚しています。ユダヤ人にとって「天」は神の別称です。彼は自分の行為が神に対する罪だと自覚します。人間を創造し、家族の秩序を定めて、「あなたの父と母を敬え」と言われた創造者なる神の秩序に背き、その秩序を乱す行為をしたことを彼は悟ります。
 彼は「お父さんに対しても罪を犯しました」と、父親に対する罪を自覚しています。それは実際に彼を息子として慈しみをもって育て、彼の立派な生涯を見ることになると信頼して送り出した父親の信頼を裏切り、このような間違った生活をして悲惨な結果になったことへの悔恨です。
 「罪を犯す」と訳されている動詞は、もともと「的外れをする」という内容の動詞です。ここでの「罪を犯す」は、神の戒めに背くとか、父親の言いつけに背くという個々の行為ではなく、神との関わり、父親との関係で、根本的に間違った態度をとり、行動をしたことを指しています。自分の願望を満たすために、父親に背を向けて去ったということが根本的な間違い(=的外れ、罪)であったのです。
 このように、自分から父親に背を向けて去り、父親を裏切って、自分から息子としての立場を捨てたのですから、彼は家に置いてもらうには、「もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と言おうと決心します。悔い改めは、自分に何かを当然のこととして受ける資格がないことを認める砕かれた心です。

帰ってきた息子を迎える父親

 「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。(一五・二〇)

 このように、弟息子が「本心に立ち帰って」父親のもとに帰って来たとき、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけます。父親は息子が帰ってくるのをずっと待ち続けていたのです。去っていった弟息子のことを一日も忘れることはありませんでした。今日は帰ってくるかもしれないと思って見ていると、遠くに破れ果てた衣をまとい、よろめきながら歩いてくる息子を認めます。その姿を見て、父親は彼の状況をすべて悟り、苦境に陥っていた息子を憐れみます。ここに用いられている「憐れむ」は、息子を亡くしたナインの寡婦に対してもたれたイエスの憐れみ(七・一三)や、強盗に襲われて倒れていた人に対してサマリア人がもった憐れみ(一〇・三三)と同じ語が用いられており、「はらわたの底から」の感情を表現しています。
 父親の方が息子のところまで走って行き(走るのは高齢の家長には異例の行動です)、首を抱き、接吻します。この情景は、帰ってきた弟ヤコブを迎える兄のエサウの行動を思い起こさせます。創世記(三三・四)にはこうあります。「エサウは走ってきてヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけをし、共に泣いた」。
 このたとえの父親は、息子の犯した罪を全然問題にしていません。息子が帰ってきたことを喜ぶ喜びで一杯で、ただその喜びの中で無条件に息子を受け入れています。その父親の温かい慈愛が、息子の悔い改めの告白を引き出します。

 「息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません』」。(一五・二一)

 父親に温かく抱きしめられた息子は、彼が本心に立ち帰ったときに言おうと決心した言葉を、父親の温かい懐の中で言い表します。父親は帰ってきた息子を無条件に受け入れています。悔い改めの告白を聴いてはじめて抱き締めたのではなく、息子が何もしない、何も言わない前に、彼を抱きしめています。無条件の恩恵が悔い改めに先行します。
 ここで息子が言い表した悔い改めの告白は、先に本心に立ち帰ったときにこう言おうと決心したときの言葉(一八〜一九節)と較べると、「雇い人の一人にしてください」という部分がありません。息子の告白を聴いた父親は、ここまで聴けば十分だとして、最後まで言わせず、次節の僕たちへの命令の言葉で、息子の言葉を遮ったのでしょう。父親は帰ってきた息子を雇い人の一人にする気持ちは毛頭なく、かえって大切な賓客のようにして迎え入れます。

息子の悔い改めの言葉は二回繰り返されており、冗長の感はいなめません。それで、元の資料では一七節から二〇節に続いており、一八〜一九節はルカの拡張であると見る説もあります。そうだとすると、父の慈愛が悔い改めの告白を引き出すのであることが、さらに明白になります。一八〜一九節は、福音における人間の側の悔い改めを重視するルカの拡張である可能性があります。

 「しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。(一五・二二〜二四)

 帰ってきた息子が「もう息子と呼ばれる資格はありません」と言ったのに対して、父親は息子としての資格を示すもので息子の身を飾ります。いちばん良い服、指輪、履き物はみな息子であることを示しています。このようなものを息子が与えられたことは、よくヨセフがファラオから(創世記四一・四二)、またモルデカイが王から(エステル六・八)、権威を示すしるしとして与えられたものと比較されますが、厳密には対応していません。たしかにその家のいちばん良い服は、その家の継承者であることを示しています。ファラオは自分の紋章の入った指輪をヨセフに与えて、ヨセフがファラオの権力を代行する地位であることを示していますが、ここの指輪はそういう性格のものではないでしょう。しかし、その父親の確かな継承者であるという身分を指し示しています。また、履き物は奴隷ではなく息子であることを示すか、裸足で歩いてきた境遇に対して楽な生活を示すものでしょう。
 さらに父親は僕たちに肥えた子牛を連れて来て屠るように命じ、盛大な祝宴を始めます。父親にとってこの弟息子の帰還は、息子が「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」ことを意味します。この言葉によって、劇的に構成されたこの長いたとえ話は、先の「見失った羊」と「無くした銀貨」の二つのたとえと同じ主題のたとえとして、一つのまとまりの中に入れられます。先の二つのたとえは、「一人の罪人が悔い改めるならば、天に大きな喜びがある」という結びの言葉で締めくくられていましたが、その天にある喜びがここでは父親の喜びと祝宴で描かれています。

「神の国」の比喩としての放蕩息子の父親

 この「放蕩息子」のたとえは、祝宴に不平を言った兄息子の話が第二部として続き、その全体でファリサイ派の律法学者たちの批判に答えるたとえになっています。しかし、ここまでの弟息子の放蕩と帰還を内容とする第一部だけで、先行する二つのたとえと同じ主題を扱うたとえとして成り立ちます。それで、この第一部が独立して「放蕩息子のたとえ」と呼ばれ、イエスが宣べ伝えられた福音の重要な提示として扱われることが多くあります。たしかにこのたとえの第一部は、イエスが告知された「神の国」の福音を実に見事に指し示しています。イエスが語られた代表的なたとえとして扱われるのも当然です。それで、この第一部を独立したものとして、そのたとえとしての性格を見ておきます。
 このルカだけにある「放蕩息子のたとえ」は、同じくルカだけにある「善いサマリア人のたとえ」と同様、きわめて劇的な構成で語られています。このように劇的に構成された長いたとえ話は、寓喩化されやすいものです。先に「善いサマリア人」のたとえ話がキリストによる救済の寓喩とされたことを見ましたが(二〇〇九年4号39頁「放蕩息子」のたとえ話もしばしば寓喩化されて、このたとえの一つ一つの細部(弟、遠い地、住民、豚、いなご豆、服、指輪、履き物、仔牛、祝宴、生き返りなど)に意味が与えられ、悔い改めと神の慈愛による救済の物語とか説教とされます。たしかに、このたとえの父親は慈愛深い神を指し示し、放蕩息子は神から離れ去った人間の現実を指しています。しかし、これは寓喩ではありません。イエスは寓喩を用いられませんでした。これはイエスが語られた数多くの「神の国」の比喩の中の一つです。
 比喩とは、「神の国はパン種のようなものである」というように、見えない霊的現実である「神の国」と共通点のある日常体験の事実を横に並べて、その共通点で見えない「神の国」の姿を指し示す語り方です。その共通点を比較の梃子として、日常的体験でもって見えない現実を指し示します。比喩においては、比較点は普通は一つです。「パン種」の比喩では、僅かのパン種が大きな練り粉をふくらませる働きが比較点とされています。この「放蕩息子」のたとえが比喩であるというのは、この世間でよくある放蕩息子の帰郷という出来事の中の一つの事実が「神の国」の現実を指し示しているということを意味します。
 では、その放蕩息子の帰郷という出来事のどの点が、「神の国」の現実を指し示しているのでしょうか。その答えは、このたとえが先行する「見失った羊」と「無くした銀貨」の二つのたとえと同じグループに属し、同じ主題、同じ内容のたとえであると見ると、自ずから明らかです。「見失った羊」と「無くした銀貨」の二つのたとえは、失ったものが見つかったときの喜びを主題とし、その喜びの背景として失ったものを捜す羊飼いや女性の熱意、とくに多くのものが残っていても失った一つを捜す熱意が語られています。この二つのたとえでは、見つけられたもの(迷い出た羊と見失われた銀貨)は、何も行動していません。ただ見つけられるだけです。
 この三つ目の「放蕩息子」のたとえも、「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と喜ぶ父親の喜びを結論としています。この父親はいなくなった弟息子を熱心に捜したのではありませんが、心配して帰りを切に待っていたのですから、失われたものの回復に対する熱望は変わりません。その熱望は、帰ってきた息子を遠くに認めて、自ら走っていって迎えた行動によく表れています。その熱望が、息子を迎えたときの喜びの背景にあるのは、先の二つのたとえと同じです。
 この三つ目の「放蕩息子」のたとえが先の二つのたとえと大きく違う点は、見つけられる側の弟息子に悔い改めという行動が入ってきていることです。先の二つのたとえでは、迷い出た羊も見失われた銀貨も、ただ探しに来た者に見つけられるだけでしたが、この三つ目のたとえでは、迷い出た息子が本心に立ち帰り、帰郷の決心をして実際に自分で帰ってきています。しかし、父親は息子が帰ってきた事実だけを見て、無条件に迎え入れ、抱擁しています。息子の悔い改めを確認した上で迎え入れたのではありません。息子が遠い見知らぬ土地で生活できなくなり、他に行くところがなく切羽詰まって帰郷しただけだとしても、父親は同じように喜んで彼を抱きしめたことでしょう。その父親の慈愛に包まれて、息子は自分のしたことの間違いに気づき、深く心を刺されて、「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と言わないではおれなくなった、と見ることができます。
 先に見たように、息子が苦況に陥ったときに「本心に立ち帰って」、すなわち豊かな父親の息子であるという立場に目覚めて、父親の家に帰ろうと決心しますが、そのとき「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と言おうと考えたという部分(一八〜一九)はルカによる拡張である可能性があります。たしかに、この部分がなくても、いや、ない方が一層明確に、父親の息子に対する無条件の慈愛が指し示されることになります。ルカは「悔い改め」を強調する傾向があります。その傾向がこのような拡張をさせたと見ることができます。
 「放蕩息子」のたとえでは、放蕩息子の悔い改めに焦点があてられることが多いようです。しかし、イエスがこの比喩で示そうとされた「神の国」の現実は、むしろ父親の姿で指し示されています。「神の国」 ― 「神の支配」の方が適切です ― とは、この父親のように、無条件で背く者を受け入れてくださる神の無条件絶対の恩恵が支配する場です。背く者の悔い改めは、神の無条件絶対の恩恵がもたらす結果です。イエスは神の無条件絶対の恩恵を、「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い」(六・三五)とか、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ五・四五)というような直接的な表現を用いて語られることもありましたが、このたとえで実に印象深く、一度聴けば忘れることができないような仕方で世に語りかけておられます。

法華経の「長者と迷える子」のたとえとの比較

 実は仏教経典に、この「放蕩息子」のたとえとよく似たたとえがあります。法華経の「信解品」に次のような物語があります(要旨)。

ある人が父のもとから家出して他国を放浪し、五十年の歳月が経った。五十年経ってもまだかれは衣食を求めて放浪の旅を続けていた。その間に父親の方は無量の財宝を持つ、国中第一の富豪となっていた。
貧窮した子はやがて父の住む都にやって来た。一方、父なる富豪は、自分の財産を譲るべきわが子のことをしきりに思い起こしていた。この父の心に呼ばれるようにして貧窮の子は門に近づいて来るのである。貧窮の子は一目その父を見るのであるが、あまりの威勢に恐れをなし、自分の父であるとも知らず、走り去ろうとする。父は傍らの人にその後を追わせ、かれらはこの貧人を捕らえる。かれは恐怖し、戦慄し、動転して悶絶してしまうのである。
やむを得ず父親はこの貧人を放して自由に欲するところに行かしめる。そうしておいて、自分の家の中で顔色の悪い者二人をえらんで貧人のあとを追わせ、ことば巧みに邸内に連れてこさせるのである。この三人は、富豪の邸で塵埃を掃除する仕事をすることになり、富豪の邸宅の近くの小屋にすむようになる。
さて、父なる富豪は、美服を脱ぎ捨てて垢づいた着物を身にまとい、貧人に近づく。そして言う、「おまえが仕事をしているのを見ると、ねじけたところがなく、怠けず、嘘をいわない。他の人間にはそんなところがあるのに、おまえにはそんなところが全くない。今からのちはおまえをわしの息子と思おう」。
こうして二十年経った。富豪はこの貧人に金塊・黄金・金庫・穀倉などの管理をさせるようになる。しかし、貧人は、これらを管理するようになってもこれらを欲しいとは思わず、その中からパン粉の値さえも要求することなく、貧しい人の思いをなしつつ、相変わらず小屋の中に居住していた。
 さてこの間、つぶさに息子を観察して、その息子が有能な護持者に成長したことを知り、高度の判断力を持ちながら、沈んだ気持ちでいることや、また、過去の貧しい人の思いを嫌い恥じていることを知った富豪は、臨終に際してその貧人を招き、大勢の親族たちや、王や、王の大臣や、都人士や、地方の人の前で、この人こそわたしの子であると告げて、所有する富を全部かれに授けたというのである。
          
       ― 紀野一義『いのちの世界・法華経』(筑摩書房・現代人の仏教(5)第五章「長者と迷える子」より引用 ―

 このたとえは釈迦が語ったものではなく、釈尊の教えに感動した弟子たちが問われないのに語り出したたとえであり、大富豪は世尊(釈迦)であり窮子は彼ら自身を指します。父親の家から迷い出て貧窮に陥った息子が、最後には父親に迎えられて大きな資産を受け継ぐというのは同じ内容ですが、よく見ると違います。このたとえでは、息子と認められたのは、彼が正直、謙虚、勤勉であることを示しただけでなく、さらに「有能な護持者」であることが認められたことが理由となっています。父親は二〇年以上にわたって彼を観察し、それを確認して息子として扱います。彼が息子と認められたのは、息子の側に理由があります。息子が立派に息子としての資格を証明したからです。これは、悟りを救済とする仏教の基本的な原理に即したたとえであることを示しています。
 それに対してルカ福音書のたとえでは、息子の方には何の資格や理由がありません。一方的に父親が無条件に帰ってた息子を抱きしめ、息子であることを宣言しています。先に見たように、この父親の姿は神の無条件絶対の恩恵を指し示す比喩です。この点で、法華教のたとえとは根本原理が違います。
 二つのたとえは、どちらかが他方に影響を及ぼして成立したものではなく、まったく別々に成立したものでしょう。貧しい姿の子が実は王子とか富豪の息子であったという物語はどこにもあり、それを素材としてこのようなたとえ話が形成される可能性はあります。それが、神からの啓示(それは神からの働きかけです)に依存するユダヤ教文化圏と、人間の内面的悟りを追及する仏教文化圏という成立の場の違いで、このような内容上の違いが生じてきます。二つのたとえは、それぞれが属する宗教文化圏の特質をよく示しています。

引用した著作で著者(紀野氏)は、このたとえの巨大な富とは根源的ないのちを指し、このたとえは根源的ないのちと人間の出会いを指し示していると解説しています。法華経は大乗仏典の一つですが、大乗仏典の主題である「無量寿」(限りないいのち、根源的ないのち)とか「無量光」(限りない光、根源的な光)というのは、新約聖書、とくにヨハネ福音書の「永遠の命」と「光」を思い起こさせます。大乗仏教とキリスト教との関係は、宗教史上の大問題ですが、あまりにも大きな問題ですので、ここで触れることはできません。両者の関連を示唆するにとどめます。

兄息子の不満

 「ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた」。(一五・二五〜二六)

 「放蕩息子」のたとえは、放蕩に身を持ち崩した弟息子の帰郷で終わっていません。続きがあります。帰ってきた弟を祝宴で喜び迎えた父親への不満を言った兄息子のことを語る部分(二五〜三二節)です。これがこのたとえの第二部を形成します。
 兄息子は畑にいます。彼は父親の家にとどまっています。先行する二つのたとえの、迷い出ることなく柵の中に残っていた九九匹の羊、また見失われることなく女性の手元に残っていた九枚の銀貨の立場です。九九匹の羊や九枚の銀貨は文句を言いませんが、人間の世界を題材とするこのたとえでは、父親の家にとどまっていた兄息子から不満が出て、たとえ話は拡張されます。
 兄息子は畑から帰ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきので、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねます。

 「僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです』」。(一五・二七)

 尋ねられた僕は、弟息子が帰ってきたことを喜び、父親が肥えた子牛を屠って盛大な祝宴を開いている事実をそのまま伝えます。ここでも、「無事な姿で迎えたというので」という句が、父親が弟息子の改心がどれほど本物かどうかなど、息子の側の状態を全然問題にしてない(条件としていない)ことを示しています。

 「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる』」。(一五・二八〜三〇)
 これを聞いた兄息子は怒って家に入ろうとしません。父親が出て来てなだめますが、その祝宴に参加することを拒否します。兄息子は、父親に対する不満をぶちまけます。ここで兄息子が父親に言っている言葉は、徴税人や罪人を迎えて食事まで一緒にしているイエスに対して非難を浴びせたファリサイ派の人々や律法学者たち(一五・二)の思いを描いています。
 ファリサイ派の人々や律法学者たちは、兄息子が父親の言いつけに背かなかったことを言い立てているように、自分たちが神の戒めに背かず、それを熱心に順守しようとしていることを誇りとし、それを自分たちが神からの恵みをいただく根拠とし、自分たちを恵みをいただく資格のある者と言い立てます。兄息子が「それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか」と父親に抗議しているのは、自分の資格を言い立てている言葉です。それに較べて、神の戒めを守らず、汚れた生活に溺れていたこの「罪人」を迎え入れて、「神の国はおまえたちのものだ」などと告知しているイエスは、自分たちを侮辱し、自分たちが神の戒めを順守する熱意を無意味とするのではないか。その思いが、「ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」という、兄息子が父親のやり方に抗議する言葉で示唆されています。兄息子は、弟を「あなたのあの息子」と呼んで、自分の兄弟とは認めていません。戒めを守ってきた自分を差し置いて、戒めを守ってこなかった「罪人」を「幸いだ」などと祝福するイエスを許すことはできません。神の律法を守らない者たちを自分たちと同じ兄弟、同じ神の民と認めることはできません。

 「すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか』」。(一五・三一〜三二)

 この兄息子の抗議に対する父親の言葉で、イエスは罪人たちを迎えて食事まで一緒にするご自身の行動に対するファリサイ派の人々や律法学者たちの抗議にお答えになります。父親は兄息子に、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と言って、彼が父親の資産を受け継ぐ嫡子であることを思い起こさせています。しかし、彼が父親の資産を受け継ぐ者であるのは、彼が父親の言いつけを守ったからではなく、父親の息子として生まれたからです。その事実は兄息子も弟息子も変わりません。
 ところが、弟息子の方は父親に背を向けて去って行きました。父親にすると、息子を失ったのです。父親にとって、息子はいなくなり、死んでしまったのです。その息子が帰ってきたことは、父親にとって「死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかった」という喜びです。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当然だということになります。
 ここにきて、この長いたとえ話の結論が、先の「見失った羊」と「無くした銀貨」の二つのたとえ話の結論と同じであることがはっきりします。ここ(一五章)に集められた三つのたとえは、失ったものが見つかる喜びを語るたとえであり、一人の罪人(神に背を向けていた人)が悔い改めて神の恩恵に帰依するようになることを神が喜ばれることを語るたとえであることが明らかになります。イエスは、その神の喜び、天にある喜びを求めて、罪人のところに行き、彼らを迎えて食事を共にして語り、神の恩恵の招きを告知されるのです。

たとえの呼び名

 このように、ここ(一一〜三二節)で語られているたとえ話は、放蕩息子の帰郷で終わるのではなく、兄息子の抗議も含めて完結します。ここまで来てはじめて、イエスが徴税人や罪人たちを迎えて食事まで一緒にするというファリサイ派の人々や律法学者たちの抗議(一〜二節)に対して、「そこでイエスは次のたとえを話された」(三節)という一五章冒頭の状況設定にふさわしい帰結が明らかになります。イエスは、兄息子の抗議に対する父親の言葉で、ファリサイ派の人々や律法学者たちの抗議に答えておられます。
 そうすると、このたとえを「放蕩息子」のたとえと呼ぶことは適切ではないとする議論が出てきます。この呼び方は、このたとえの中の第一部だけの呼び方としてはふさわしいが、第二部の兄息子の抗議も含めて一つのたとえであり、むしろ兄息子の抗議に対する父親の答えこそがこのたとえの眼目であるのだから、呼び方を変えるべきだという主張が出てきます。少なくとも「放蕩息子とその兄」とか「二人の息子」のたとえと呼ぶ方がよいという議論にも一理あります。また、このたとえ全体の主人公は、父親、兄息子、弟息子の三人の中のだれであるのか、という議論もあります。先に見たように、このたとえの眼目は放蕩息子の悔い改めではなく、父親の無条件の受け入れであり、父親がこのたとえの主人公であるから、これは「慈愛深い父親」のたとえと呼ぶべきであるという議論も成り立ちます。しかし、兄息子の抗議とそれへの回答も放蕩息子の帰郷という場で意味のあるものとなるので、伝統的な「放蕩息子」のたとえという呼び名を用いてもよいのではないかと考えます。ただし、兄息子の話が含まれることと、全体として比喩の主人公は父親であることを忘れてはなりません。このたとえは、「神の国」とか「神の支配」とは、このたとえの父親のように、父としての神の無条件絶対の恩恵が溢れるように圧倒的に支配する場であるというイエスの告知を指し示す代表的なたとえです。

異邦人の救いのたとえ

 ルカが一五章に同じ主題の三つのたとえを集めた意図は、冒頭の状況設定(一〜三節)に明言されているように、徴税人や罪人を迎えて食事まで一緒にされるイエスの行動に対するファリサイ派の人々や律法学者たちの抗議に答えるためでした。その意図は、最後のたとえの兄息子に対する父親の答えで完結しますが、ルカはその帰結に至る過程を、三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプのように、三つのたとえを配列して巧みに構成しています。はじめの「見失った羊」と「無くした銀貨」の二つのたとえでは、彼らの抗議に対する答えは直接与えられていません。ただ、失われたものが見つかった喜びだけが強調され、その喜びが最後のたとえで、兄息子の抗議に対する父親の答えの中で「(失われたものが見つかったのだから)喜ぶのは当たり前ではないか」という形で用いられ、彼らの抗議に対する反論が力強くなされています。
 一五章の状況設定では、三つのたとえ、とくに最後の「放蕩息子」のたとえで、ユダヤ教の中で罪人として差別されている人たちの救いが扱われていましたが、この三つのたとえを一つの章にまとめたルカの念頭には、ユダヤ人から神の律法を知らない汚れた民として軽蔑されていた異邦人の救いがあったのではないかと推察されます。それはとくに、兄息子が弟息子のことを「娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶした」(三〇節)と言っている言葉に感じられます。旧約聖書は預言者以来、偶像礼拝をヤハウェに対する淫行だとしており、ユダヤ人は異邦人の世界で広く行われていた偶像礼拝と娼婦との交接を一組にして忌み嫌っていました。この兄息子の言葉に、異邦人に対するユダヤ人の嫌悪と軽蔑が響いているように感じられます。
 ヘレニズム期のユダヤ人が、日常接する周囲の異邦人に対してもっていた優越感、裏返せば異邦人に対する軽蔑は、パウロのローマ書(二・一七〜二〇)などにも証言されていますが、とくに異邦人世界の偶像礼拝と淫行には激しい嫌悪を抱いていました。律法をもつユダヤ人は神に属する民(聖なる民)であり、神の資産の継承者であるが、律法をもたず、偶像に淫し、その結果淫行に溺れている汚れた異邦人は神の民ではありえないとしていました。
 ルカの視野の中では、ユダヤ教内部での律法順守を誇るファリサイ派の人たちや律法学者たちと罪人との対立は、律法を誇るユダヤ人と律法の外にいる異邦人との対立と重なっていると思われます。神の恩恵によって罪人が救われることを語る一五章の三つのたとえ、とくに「放蕩息子」のたとえは同時に、これまでまことの神を知らず、偶像礼拝と淫行に溺れていた異邦諸民族の救済を語るたとえでもあったと見ることができます。
 異邦人はまことの神、いのちの源である創造者なる神から離れて死んでいました。その律法のない異邦人が、律法のないままで、キリストにある神の恩恵によって救われ、いのちを得ました。死んでいた者が生き返ったのです。神から離れ、神から見放され、遠くにさまよっていた異邦人が、今はキリストにあって近い者となり、神の家に住む者となりました(エフェソ二・一一〜二二)。
 聖書の伝統では、いつも兄よりも弟の方が神の祝福を受け継ぐことになっています。カインよりもアベルが、エサウよりもヤコブが神の祝福を受け継いでいます。それは、神は人間の規準ではより一層弱い者、より小さい者を顧みられる方であることを示すためでしょう。また、人間的規準では後の者が先に祝福に入っています。イエスは神殿で祭司長や民の長老たち、宗教的にもっとも恵まれて民の先頭に立っている者たちに向かって、「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」と言っておられます(マタイ二一・三一)。宗教社会で最後尾にいる者たちが、先に神の国に入るというのです。
 イエスは、神の国に入ることについて、「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」と言っておられます(一三・三〇)。その言葉は、それが置かれている文脈(一三・二八〜二九の後)からすると、イスラエルの民よりも異邦人が先に神の国に入ることを預言された言葉です。救済史においても、後回しにされて長らく無知と不従順の中に放置されていた異邦人が、先に選ばれて神の啓示にあずかっていたイスラエルよりも先に福音の恵みにあずかるようになり、それを見てイスラエルも恵みによって救いに入るという、「後の者が先に、先の者が後になる」ということが起こっています。それは、異邦人もイスラエルも、神の恩恵によって救われるための神の御計画であり、「救済史の奥義」です。それはパウロによって、計り知れない神の知恵として賛美されています(ローマ一一・二八〜三六)。
 ルカは、異邦人の救いが神の御計画であることを世に示すために、その二部作(ルカ福音書と使徒言行録)を著しました。そのルカが、このたとえをその著述の中に取り入れるとき、当然異邦人の救済を重ねて語ろうとしたと考えることができます。ルカがこの「放蕩息子」のたとえを語るとき、彼はパウロがいう「救済史の奥義」に深く思いを馳せていたことでしょう。