市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第31講

89 安息日に水腫の人をいやす(14章1〜6節)

 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。(一四・一)

 この区分(一三・九〜一四・三五)の最初に、イエスが安息日に会堂で腰の曲がった女性をいやされた記事(一三・一〇〜一七)が置かれていました。その出来事は、イエスの中に「神の支配」が到来していることを指し示していました。そして、その現実(イエスの中に隠された形で「神の支配」が到来している現実)をめぐって、たとえや周囲の人たちとの対話が続いていました。ここで再び、安息日にイエスが病人をいやされた記事が置かれ、その後にイエスが「神の支配」のことをたとえで語り出された記事が続きます。今回は会堂ではなく、会堂での安息日の集まりが済んだ後で、地域の有力者がイエスを食事に招いたときの出来事です。それで、イエスが語られるたとえも、その状況にふさわしく「神の国」への招きが宴会への招きを比喩として語られることになります。
 今回、会堂での安息日の集まりの後にイエスを食事に招いたのは、「ファリサイ派のある議員」とされています。イエスがファリサイ派の人の家で食事をされたことを伝えるのはルカだけです。ルカはすでにファリサイ派の人の家での食事を二回取り上げていましたが(七・三六と一一・三七)、ここではそのファリサイ派の人が「議員」であることが違います。「議員」は最高法院の議員のことですから、この人は地域の有力者であり、ユダヤ教社会上層の指導的人物であったことになります。この食事の席もかなりの規模であり、多くの客が招待されていたのでしょう。そのことが、この席で語られたイエスのたとえに反映しています。

イエスがファリサイ派の人の食事に招かれて食卓を共にされたことの意義については、拙著『ルカ福音書講解T』333頁の「ファリサイ派の人に食事に招かれる」の項を参照してください。
 「議員」は最高法院の議員であり、最高法院はエルサレムにありますから、この議員の家はガリラヤではなくエルサレムかエルサレムを含むユダヤの地にある可能性が高いと言えます。「旅行記」の中にユダヤの地での出来事が含まれていることについては、「旅行記」の初めにエルサレム近くのベタニア村での出来事が置かれていることの意義を述べた「ベタニアでの出来事」の項(一〇・三八の講解)を参照してください。

 そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」。(一四・二〜三)

 「水腫」という病気は、血液中の水分が何らかの原因で大量に体の組織内に移動したときなどに起こる組織の機能障害を指します。普通むくみを伴います。たとえば胸腔内に溜まったときは「胸水」と呼ばれ、呼吸困難を引き起こします。中国医学では「水病」と呼ばれるものです。イエスの前にいた人は、重い水腫で、ひどいむくみが現れていて、一目でそれとわかったと見られます。
 イエスはこの病人を見て憐れみ、進んで病人をいやそうとされますが、そこに律法の専門家たちやファリサイ派の人々がいるのを見て、まず彼らのやまい(律法についての倒錯)をいやそうとされます。イエスの方から彼らに「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」と質問されます。

 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。(一四・四〜五)

 ユダヤ教の律法では、安息日に病気をいやす行為は仕事の一種として、基本的には許されていません。命にかかわる緊急の場合は例外として認められてはいますが、「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない」(一三・一四)というのがユダヤ教律法の原則です。この水腫の人の場合は、今までずっとこの状態できているのですから、明日でもよい場合として、「律法では許されていない」ことになります。しかし、抵抗しがたい権威をもって語るイエスが、いやそうとしておられることを感じて、「許されていない」と答えることができず、黙ってしまいます。恩恵の支配の前では、律法は沈黙してしまいます。
 イエスは、沈黙している彼らの目の前で病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになります。神の恵みの働きを見せた上で、彼らにさらに「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」と問いかけられます。

 彼らは、これに対して答えることができなかった。(一四・六)

 律法の議論であれば、これは命にかかわる緊急の事態であるから許されている、と答えることができたかもしれません。しかし、現に目の前で律法の規定を超える神の恵みの働きがなされた場にいて、もはや律法解釈の議論を持ち出すことはできません。彼らは答えることができず沈黙します。
 イエスが安息日にされた行動と安息日に関する発言が、律法違反を教唆し、聖なる律法を汚す異端の教師として追及されるようになる重要な理由となったことは顕著な事実です。それで、どの福音書も必ず安息日の出来事を取り上げています。ルカは、ガリラヤでの福音活動を語る第一部では、ほぼマルコに従い、安息日に弟子たちが麦の穂を摘んだことから生じた論争(六・一〜五)と、安息日にイエスが手の萎えた人をいやされたこと(六・六〜一一)を報じています。ルカはさらに、マルコにも「語録資料Q」にもない安息日の出来事を伝える伝承(ルカの特殊伝承L)を持っており、それをマルコの枠から離れて自由に物語を構成できる第二部の「旅行記」に置きます。それが一三章の腰の曲がった女性のいやしと、ここの水腫の人のいやしです。
 マタイ(一二・一〜一四)も、マルコに従って麦の穂の論争と手の萎えた人のいやしを伝えていますが、それ以上はありません。おもにユダヤ人に向かって書いているマタイでもこれだけです。それに対して、異邦人をおもな対象として福音書を書いているルカが、特殊資料から安息日問題をさらに二つ加えていることは注目されます。異邦人にはそれほど切実な問題ではなく理解しにくい安息日問題をこのようにていねいに取り扱っているのは、自分が入手した資料をできるだけ生かそうとする歴史家としてのルカの誠実さからでしょうか。ルカのおかげでわたしたちは、イエスが律法学者たちからの批判を承知しながら、あえて繰り返し安息日に病人をいやされた事実を知ることができます。