市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第17講

75 恐るべき者(12章4〜7節)

 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」。(一二・四)

 イエスは親しみをこめて、弟子たちに友人として、また仲間として語りかけられます。イエスが弟子を自分の仲間とされていることは、後に出てくる「自分をわたしの仲間と言い表す者」という表現(八節)の伏線になっています。
 「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者ども」は、人間、とくに権力をもつ人間を指しています。周囲の人間、とくに権力者は、イエスの弟子を憎んで、裁判にかけ、殺すこともできます。しかし、体を殺すこと以上のことは何もできません。そのような者どもを恐れるなというのは、イエスの弟子としてこの世で迫害されるとき、迫害を恐れるなということです。マタイでは「神の国」を宣べ伝える弟子に対する迫害ですが、ルカではイエスの仲間であると言い表す者に対する迫害です。イエスを憎んで殺した「世」は、イエスの弟子をも憎み、裁判にかけ、殺すこともあるかもしれない。しかし、恐れることはない。彼らは体を殺す以上のことは何もできないのだから、とイエスは言っておられるのです。

 「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい」。(一二・五)

 では、誰をも恐れることはないのか。そうではない。恐れるべき者がある。「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者ども」を恐れることはないが、「殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方」をこそ恐れるべきである、とイエスは言われます。この言葉は、体の生死の問題以上に重大な問題があることを指し示しています。それは、死んだ後に神の栄光にあずかるようになるのか、神から永遠に切り離された絶望と暗闇の世界、すなわち「地獄」に墜ちるのかの問題です。それを決める権威のある方をこそ恐れ、その方の意に反して地獄に墜ちることなく、その方の意に従って栄光に入るために、「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者ども」を恐れてはならないのです。ここでも、神が裁かれる終わりの日の視点から、現在の迫害が見られています。

ルカ福音書で「地獄」という語が出てくるのはここだけです。「地獄」およびその原語である《ゲヘナ》については、拙著『マルコ福音書講解T』392頁以下、および拙著『キリスト信仰の諸相』228頁以下を参照してください。

 新共同訳は「地獄に投げ込む権威を持っている者」を神と解釈して訳していますが(それは正当な解釈です)、それでは神が殺す者となり、受け容れがたいとして、サタンとか別の解釈も出てきます。しかし、旧約聖書では、神は「殺し、また生かす」神です(申命記三二・三九、サムエル上二・六など)。イエスは、「地獄」とか「殺し生かす神」という当時のユダヤ人の宗教用語を用いて、迫害を乗りこえる原理を語っておられるわけです。真に恐れるべき方を恐れることによって、恐れる必要のない者を恐れる恐れから解放して、神に従う勇気を持ちうるための原理です。

 「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀より もはるかにまさっている」。(一二・六〜七)

 アサリオン(銅貨)はローマの通貨で、一デナリオン(ほぼ労働者一日の賃金)の一六分の一に相当します。五羽で二アサリオン(マタイでは二羽で一アサリオン)で売られている雀は、貧しい者たちにとって手軽に買えるご馳走の代表格でした。そのように安い雀さえも、神の配慮から漏れることはない、とイエスは言われます。マタイは「その一羽さえ、父の許しがなければ地に落ちることはない」と表現しています。
 どのように小さいことも神の配慮の中にあることを、イエスはさらに「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」という表現で語られます。これは、神は人間のどのような小さな行動も見逃すことなく厳格に裁かれると言っているのではなく、神はどのように多くの群衆の中の小さい一人をも見落とすことなく見ておられて、すべての状況を知っておられることを保証する言葉です。そのことをルカは他のところ(二一・一八)で、「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」と表現しています(使徒二七・三四でも)。
 この雀と髪の毛の語録は、イエスを言い表す者が迫害に直面するときに勇気を出すための言葉であることは、最後に「恐れるな」という言葉で締めくくられていることからも明らかです。一羽の雀をも配慮したもう神が、たくさんの雀よりもはるかにまさっているあなたがたを見過ごされることがあろうか、と神の顧みを保証します。