市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第11講

69 汚れた霊が戻ってくる(11章24〜26節)

 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」。(一一・二四〜二六)

 新約聖書時代のユダヤ人社会では、悪霊祓いはよく行われていました。だいたい病気は悪霊の仕業だと考えられていたので、祈祷(や呪文)による治癒は悪霊祓いの結果であると見られていました。そのさい、治癒は一時的で、再び以前よりも悪い状態に陥るケースもしばしばありました。そのようなケースは、追い出された悪霊が仲間の悪霊を引き連れて戻ってきたのだと説明されました。
 これと同じ文章がマタイ(一二・四三〜四五)にもあり、マタイとルカは「語録資料Q」の一段を用いていると見られます。ただ、マタイはこの後に「この悪い時代の者たちもそのようになろう」という一文を加えています。この文を加えることによってマタイは、この悪霊の出戻りを語る一段をマタイの時代に至るユダヤ教団(この悪い時代の者たち)の退廃の進行を語る預言としています。ユダヤ教団は洗礼者ヨハネとイエスの使信を受け入れず、家を空き家のままにしていたので、熱心党の狂気に取りつかれ、ついに破滅に至ります。その狂気はユダヤ戦争の敗北で取り除かれましたが、その後に成立したファリサイ派主導のヤムニヤ体制はさらに悪くなり、厳格な律法主義体制の中でイエスの民を異端としてユダヤ人社会から追放するに至ります。その結果、ユダヤ人は第二次ユダヤ戦争の敗北と徹底的な離散を招くことになります。マタイはこの段落をベルゼブル論争とは別の文脈、すなわち「拒否されるメシア」を語る第二ブロックに置いています。
 ルカはパレスチナから遠く離れて著述しています。ルカはこのようなユダヤ教団の歴史との関連を加える必要はありません。この語録をあくまで霊の事態を語るものとして、同じ霊の出来事を扱っている「ベルゼブル論争」の段落の後に置きます。そうすることで、イエスによって悪霊を追い出してもらった者は、しっかりと新しい主人であるイエスの霊を宿して生活し、自分を空き家にしないように警告しています。