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第一部をふりかえって

マルコ福音書の三部構成とルカの福音書構想

 ルカはマルコ福音書を知っていたと考えられます。それが現在わたしたちが持っているマルコ福音書とまったく同じものか、少し違った形のものかは議論のあるところですが、ほぼ現在の形で流布していたマルコ福音書を手元に持っていたと推察されます。マルコ福音書は地上でのイエスの働きを、ガリラヤでのいやしと教えの働き、エルサレムへの旅、エルサレムでの受難と復活という三部構成で描いています。しかし、実際のイエスの働きや出来事はこのように単純ではなかったと考えられます。ヨハネ福音書によると、イエスは地上の働きの期間、何回もガリラヤとエルサレムを往復しておられます。ヨハネ福音書は、イエスの実際の働きを目撃した証人から出た伝承を用いていると見られ、この方が実際のイエスの出来事に近いと見られます。マルコ福音書の構成、すなわちガリラヤでの働き、エルサレムへの旅、エルサレムでの受難という三部構成は、イエス伝承を用いて十字架・復活のキリストを告知しようとする目的のために構想されたもので、実際の出来事の順序通りに記述された歴史ではありません。
 ルカはヨハネ福音書を知りません。ヨハネ福音書を生み出したヨハネ共同体は、少なくとも後期にはエーゲ海地域でエフェソを中心として活動していたのですから、エーゲ海地域をおもな活動地域としていたルカもその伝承と何らかの接触をもっていたかもしれません。しかし、ヨハネ福音書はまだ成立していないか、あるいは流布していない状況であったと考えられます。ルカは、自分の時代のキリストの民のために福音書を書こうとしたとき、マルコ福音書の三部構成に従って、自分の福音書を構想します。おそらくルカの時代には、マルコ福音書は使徒ペトロが伝えたイエスの物語から出たものとして、権威ある文書として流布していたと見られます。ルカがこのマルコ福音書の三部構成に基づいて自分の福音書を構想したのも当然です。ルカ福音書もマルコ福音書と同じく、イエスの出来事を、ガリラヤでの「神の国」告知の働き、エルサレムへの旅、エルサレムでの受難と復活という三部構成で描くことになります。
 しかし、ルカはマルコ福音書にはない多くの資料を手元に持っています。「語録資料Q」とルカ特殊資料Lです。これらのマルコにはない資料を活用してさらに豊かな内容の福音書を書くために、ルカはこれらの資料を第二部のエルサレムへの旅の区分に置きます。ガリラヤでの働きを描く第一部と、エルサレムでの受難を語る第三部では、記事の内容も順序もほぼマルコに従っていますが、第二部のエルサレムの旅を扱う部分では大きくマルコから離れています。この部分は「ルカの旅行記」と呼ばれていますが、旅行の行程に触れるところはごく僅かで、ほとんどは旅行の行程とは関係のない物語で占められています。第二部は、ガリラヤとかエルサレムという地理的な枠組みから解放されて伝承資料を用いることができる一種の物語空間を形成しています。
 こうして、ルカ福音書第二部はルカの特色がもっともよく出ている部分になるのですが、その内容と順序については第二部の講解で扱うことになりますので、第一部の講解を終えたこの時点で、第一部をふりかえって、第一部に見られるルカの特色をまとめておきたいと思います。

第一部におけるルカの特色

 第一部ではルカは基本的にマルコに従っているとはいえ、マルコ福音書を引き写しているのではありません。当然のことながら、同じ内容のことを伝えるときも、文体はルカのものになります。たとえば、マルコは「直ちに」という語を、おもに「そして直ちに」という形で四一回も用いて、物語を続けて行きます。ところが、ルカが「直ちに」という語を用いるのは(全体で)三回だけで、マルコが「そして直ちに」としているところを、「そして」とか「ところで」とか「そこで」とかに言い換えたりしています。「そして直ちに」という句の連続した繰り返しによる直截的ではありますがやや単調で稚拙な感じのするマルコの文体を、ルカは前後のつながりを理解しやすくする流麗な文体に変えています。もっともルカも出来事の継起を印象づけるために、「〜が起こった」という同じ語で始まる段落を並べるなど、独自の文体上の工夫をしているところもあります(171頁の注記を参照)。その他、分詞構文を多用するなど、ギリシア語の文体としてはマルコと違って、より一層洗練された文体になっています。
 文体だけではなく内容でも、重複を避けて簡潔にするなど、マルコとの違いも観察されます。たとえば、大勢の群衆に食べ物をお与えになった記事は、マルコでは二回あったことになっていますが、ルカは一回にまとめています。一方、ナインのやもめの息子を生き返らせた物語などマルコにはない奇跡物語伝承とか、ルカの福音の主題である「罪の赦し」を物語るイエスの足を涙で拭い香油を注いだ女の物語など、ルカの特殊伝承から得た伝承により、マルコにはない記事を入れています。
 しかしここでは、ルカの福音理解と著述の意図にかかわる重要な違いを、第一部の中から数例取り上げておきましょう。その違いはそれぞれの箇所の講解で述べたところですが、第一部を終えるにあたって、それらの数例をまとめて観察し、ルカの特色を見ておきたいと思います。

 第一に、そしておそらく最も重要な違いは、マルコではガリラヤ伝道の最後の時期の出来事として簡潔に記述されていた故郷ナザレでの拒否の記事が、ルカでは内容も詳しくされて、ガリラヤ伝道活動の最初に置かれていることです。その箇所(四・一六〜三〇)の講解で述べたように、ルカはこの記事で自分が告知しようとしている福音の三つの面を、イエス御自身の宣言とそれに対するユダヤ人の対応として、綱領的・象徴的に提示します。
 1 聖書が来たるべきメシヤについてしている預言がイエスにおいて成就したという宣言(四・二一)は、マルコ(一・一五)の「時は満ちた」という宣言の内容を詳しくしたものです。イエスこそ、神の霊がとどまる終わりの日のメシヤ(油注がれた者)であるという宣言です。そして、イザヤ書の預言を用いることで、イエスによる告知が「恩恵の支配」の告知であることを指し示します。こうしてルカはイエスの福音告知の内容を、その活動の最初に綱領的に掲げます。
 2 ルカはその二部作で、イエスの福音が同族のユダヤ人に拒否されて異邦の諸民族に向かうことを歴史的に論証しようとしていますが、これもイエスの宣言(四・二三〜二七)と、イエスが同郷の人たちに拒否されるという象徴的な出来事の中で、イエスご自身によってなされた宣言であるとして、ルカはイエスの宣教活動の最初に置きます。
 3 イエスの活動全体が激しいユダヤ人の敵意の中で行われたことを示すために、イエスを石打にしようとした同郷のユダヤ人の行為が最初に置かれたと考えられます。これによって、イエスの宣教活動全体が、最後にはイエスを殺すに至るユダヤ教指導層の激しい敵意の中で行われたことを印象づけようとしています。

 第二に、これも重要な違いですが、弟子たちに対するイエスの教えが「平地の説教」(六・二〇〜四九)としてまとめられていることです。ルカは、マルコにはないイエスの語録をまとめた「語録資料Q」を手元に持っています。ここに集められた重要なイエスの語録をどこかに入れなければなりませんが、イエスのガリラヤにおける「神の国」の告知、すなわち神の恩恵の招きに応じてイエスに従う者となった弟子たちのことを語る区分(五一〜六・一六)が一段落したところで、弟子としてイエスに従う生き方について、弟子たちに求められるイエスの語録がまとめて置かれます。
 マタイもイエスの語録を「山上の説教」にまとめていますが、ルカがそれを知っていて倣ったというのではなく、ルカはマタイを知らなかったと推察され、ルカは自身の構想によって「語録資料Q」をこのような形でここに用いたと考えられます。マタイの「山上の説教」よりもルカの「平地の説教」の方が「語録資料Q」の原型に近いとされています。ルカは手元にある「語録資料Q」の内容をおもに第二部「エルサレムへの旅」で用いていますが、「語録資料Q」の「幸いの言葉」と「敵を愛せよ」という絶対愛の教えなどは、イエスの弟子となった者への教えとして、ルカはここに置かないではおれなかったのでしょう。

 第三に、マルコ(七・二四、三一、八・二七)が詳しく伝えている、ティルス、シドン、デカポリス、フィリポ・カイサリアなど、北方の異邦の地への旅をルカは全面的に省略していることです。『マルコ福音書講解』で見たように、この旅行の行程は不自然で、伝承の扱い方に問題があると見られていますが、ルカはこの旅行そのものをばっさりと削除しています。それで、マルコではこの旅行の終わりに、イエスがいよいよ「イスラエルの地」に入られるところとしてフィリポ・カイサリアでペトロの告白がなされたことになっています。それに対して、この旅行をすべて省略したルカでは、ペトロの告白はベトサイダ近くの荒れ野で五千人に食物をお配りになった出来事の直後に続き、ガリラヤのどこかで行われたことになります。したがって、ペトロの告白のすぐ後に続くイエスの変容の出来事も、マルコではフィリポ・カイサリアのすぐ北に連なるヘルモン山系の高い山とされるのですが、ルカではガリラヤのどこかの山となります。異邦人に向かって福音書を書いているルカは、パレスチナの地理に関するマルコの混乱した記事を取り入れる必要を感じず、出来事の信仰的意義を際だたせるために、この旅行記事を一切省略したと見られます。

 第四に、ペトロの告白記事にあるイエスの叱責の言葉(マルコ八・三二〜三三)をルカは省略しています。ペトロが受難を予告されたイエスを「そんなことはあってはなりません」と諫め、それをイエスが叱責されたという事実は、この時のペトロの「あなたはメシアです」という告白がなおユダヤ教のメシア理解にとどまっていることを示しています。従って「メシア」と訳するのが順当になります。その記事を削除することによって、ルカはペトロの告白を、ユダヤ教のメシア理解の枠から解放し、彼の時代のキリストの民が告白する「あなたこそ神からのキリストです」というキリスト告白を代表するものとしています。この削除によって、ペトロの告白は「あなたはキリストです」と訳すことができるようになります。マルコではまだペトロの告白の歴史的背景が響いていましたが、ルカではもはやユダヤ教内の出来事という歴史的状況は遠く過去のものとなり、自分たちのキリスト告白の場面として描くことができるようになっていたことを示しています。

 他にも、この第一部でも「主」《キュリオス》という称号の使用において、ルカの時代状況の反映が見られるなど、マルコとは違う書き方が見られますが、ここにあげた四例だけでもルカの特色とか傾向がはっきりと見られます。マルコがペトロを代表者とする使徒たちの状況を強く響かせているのに対して、ルカは地理的にもパレスチナから遠く離れ、時間的にも七〇年以後のすっかり変わった状況、すなわちもはやユダヤ人ではなく異邦人が主役となっている状況で、異邦人に語りかけています。その違いが、以上に見たようなマルコとの違いを生み出し、マルコに大きく依存している第一部でも、マルコとは違うルカの特色となっていると考えられます。