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48 ヤイロの娘とイエスの服に触れる女(8章40〜56節)

会堂長ヤイロの懇願

 イエスが帰ってこられると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。(八・四〇)

 湖の向こう岸で悪霊に取り憑かれて悲惨な状況にあった男を救われた後、イエスは普段の活動の地であるガリラヤ湖西岸に戻って来られます。ここからルカは(そしてマタイも)マルコに従って、イエスの衣に触っていやされた女性の話と、会堂司ヤイロの娘を生き返らせた奇跡を、一つの段落にまとめて伝えています。しかし、マルコと較べると、ルカの記述はやや簡略になっており、マタイは大幅に簡略化しています。
 イエスに退去を求めた向こう岸の人たちと違って、多くのいやしの働きを知っている湖のこちら側の人たちはイエスを歓迎します。再び自分たちの間で、イエスが神の恵みの業をしてくださることを待っていたのです。

 そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。(八・四一〜四二a)

 ユダヤ教社会では、会堂は宗教活動の施設であるだけでなく、日常生活の中心でした。子供の教育も、違反者の処罰のための裁判も会堂で行われました。会堂の統率者である会堂長は、安息日の礼拝にはトーラー(モーセ五書)の読み手や祈りを導く者を指名し、時には外からの説教者を依頼しました。その他、会堂の建物の維持管理にも当たり、教育や裁判にも携わり、外に対しては、その会堂に集まるユダヤ教共同体を代表しました。会堂長の職については、明確な規定はなく、長老たちから任命されたり、選挙で選ばれたり、世襲したりしたようです。任期がある場合や終身の場合もあったようです。いずれにせよ、会堂長は地域のユダヤ教社会を代表する人物であり、名誉ある地位でした。
 イエスが訪れた地域の会堂長であるヤイロが、イエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと懇願します。その地域社会の一番の名士が、イエスの足もとにひれ伏したのです。人々から尊敬される立派な信仰生活を送り、学識も豊かな会堂長が、体面や見栄をかなぐり捨てて、イエスの足もとにひれ伏します。それは、十二歳ぐらいの一人娘が死にかけていたからです。もうイエスだけがこの娘の命を救うことができると知って、イエスに自分の家に来て、娘をいやしてくださるように懇願します。
 イエスは会堂長の懇願を受けて、彼の家に向かって出発されます。その途上で、思いがけない出来事が起こります。ヤイロの娘と長血の女の二つの記事が一つにされている事情については、伝承過程で起こったこととして様々に説明されますが、実際に二つの出来事がこのような形で起こったからだとするのが、もっとも自然で適切な理解でしょう。

イエスの衣に触れる女

 イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。(八・四二b〜四四)

 女性の出血は、当時のユダヤ教社会では不浄とされていたので、聖なるものに触れることは許されませんでした。また、この女性は恥ずかしくて、公衆の面前でイエスにいやしをお願いすることができなかったのでしょう。群衆に取り囲まれているイエスに後ろから近づき、イエスの服の房に触れます。ルカは省略していますが、マルコ(五・二八)は、この女性が「この方の服にでも触れればいやしていただけると思ったからである」と、女性の動機を説明しています。ここにこの女性の信仰があります。この女性は、イエスは神から来られた方であり、イエスの中に神の力が働いていることを信じたのです。そして、何とかしてイエスにお願いしようとして、後ろからイエスの服の房に触れます。神の力に満ちている人が身につけているものに触れるだけで、力が働き、いやされると信じたのです。このような信仰は古代人にはよくあり、パウロの場合にも見られます(使徒一九・一二)。これは、布など事物に魔術的な力があると信じるのではなく、その事物を接触点として、その事物が指す人物と、その人物に働く超越的な神の力を信じているのです。この女性は、イエスの服の房に触れた途端に、出血が止まったことを感じます。

マルコは「房」という語を用いず、ただ「服に触れた」としています。マタイとルカは「服の房」としています。「房」と訳された語は、衣服の縁をさしますが、当時のユダヤ教社会では、神のすべての誡めを覚えるために外衣の四隅につけた「房」を指します(民数記一五・三八以下)。ファリサイ派の人たちは、自分の敬虔さを誇示するために、この「房」をとくに長くしたようです(マタイ二三・五)。イエスがこのような「房」をつけた外衣を着ておられたかどうかは確認できませんが、律法規定にある以上、イエスもこのような房のついた外衣を着ておられたと考えられます。

 イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。(八・四五〜四六)

 女性が出血が止まったことを感じたとき、イエスは自分から力が出て行くのを感じられます。それで、「わたしに触れたのはだれか」と問われます。しかし、弟子たちが言うように、群衆がイエスを取り巻いて押し合っているのですから、何人もの人が何らかの形でイエスに触っているはずです。しかし、彼らはただ物理的にイエスの衣服に触れているだけで、イエス御自身に触れたとは言えません。イエス御自身に触れたのは、イエスを信じて、イエスに身を委ねて、その衣の房にすがりついた女性だけです。この女性がイエスに身を投じたとき、イエスの中からいやす神の力が出ていったのを、イエスは感じられたのです。
 このイエスの言葉は、イエスの人格の秘密を垣間見させてくれます。イエスはいつも御自分の中に神の力の充満を自覚し、その力の働きを感じておられます。そして、その力を自分のために用いることをせず、神の御旨に従ってだけ用いるように、厳しく神の前にひれ伏し、その御旨を求めて祈っておられます。この消息は、後にゲツセマネでさらに明確に語られることになります。イエスは、御自分と弟子の安全を確保するために十二軍団の天使の力を用いることができる方であるのに、父の御旨を行うために、その力を用いることなく、受難の道を歩まれます(マタイ二六・五三)。

 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。するとイエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。(八・四七〜四八)

 この場合は、イエスが「わたしの意志だ。いやされよ」と言われる前に、世に遣わされた御子を信じる者をいやす父の御旨によって、この女性にいやす神の力が働きます。この事実をイエス御自身が、「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されます。「救った」と訳されている語は、この女性が「この方の服にでも触れればいやしていただけると言っていたからである」の中の「いやされる」と同じ用語です。この女性は信仰によって長年の難病からいやされると同時に、人間としての救済の世界に入ったのです。後にパウロが、「信仰によって救われる」というスローガンを掲げて福音を世界に告知しますが、この大原則はすでにイエスがこのような形で語っておられたのです。

ヤイロの娘が生き返る

 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません」。(八・四九)

 イエスが出血の止まらない女性のいやしで時間をとり、会堂長の家に到着するのが遅れている間に、会堂長の娘が亡くなります。その家から使いの者が来て、その事実を知らせます。人間の常識では、これで万事終わりです。娘が亡くなった以上、どのような立派な先生や強力な霊能者に来てもらっても、どうしようもありません。わたしたちは、どのように愛している者であっても、その人が息を引き取れば諦めるほかありません。
 しかし、この場合は違います。イエスはすでに会堂長の懇願を聞き入れて、娘のいやしのために出発しておられます。娘を生かすという神の意志を身に体して歩みを始めておられます。その神の意志、いまイエスがその歩みで体現しておられる神の意志は、どのような状況にも妨げられることはありません。現に娘が病気の状態であろうと、息を引き取って死亡した状況であろうと、娘を生かすという神の意志は妨げられることはありません。イエスは、死んだ者を生かす神の力を信じておられます。ですから、会堂長にこう言われるのです。

 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」。(八・五〇)

 イエスは会堂長に言っておられるのです。「あなたはわたしを信じ、わたしに来てもらい、祈ってもらえば、神は娘を救ってくださると信じたのではないか。今状況が変わったからといってその信仰を放棄してはならない。わたしを信じ、神を信じ続けなさい。そうすれば、すなわち信じ抜けば、その信仰によって娘は救われるのだ」。
 そう言って、イエスはヤイロと一緒に彼の家に向かって歩みを続けられます。その歩みは、死者を生かす神の力を信じる者の歩みです。

 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。(八・五一)

 ここはマルコでは、イエスはペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人の弟子以外の弟子がついてくることを許さず旅を続け、会堂長の家に着いたとき、泣き悲しんでいる人たちに「泣くな」と言って追い出し、それから三人の弟子と両親だけと娘のいるところに入られたとなっています。ルカはそれを簡略にして、家に入られたときの記述にまとめているので、泣き悲しむ人たちに語られた部分が後になって、浮き上がっています。マルコの方が、物語の運びが自然です。

 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ」。人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。(八・五二〜五三)

 当時のユダヤ教社会では(そして多くの古代社会では)、葬儀にさいして参列者は死者に哀悼を表すために儀礼的に、そして大げさに泣き叫ぶことをしました。葬儀で泣くのを職業とする女性「泣き女」を雇う場合もあったようです。マルコ(五・三八)の「大声で泣きわめいて騒いでいる」という表現は、このように葬儀にさいして人々が儀礼的に泣きわめいていたことを示唆しています。ルカはそれをただ「娘のために泣き悲しんでいた」と簡略にしています。
 周囲の人たちは、若くして死んだ薄幸の娘に涙し、愛する娘を失った親の悲しみに同情し、逃れられない死の現実に泣き悲しみます。その中でイエスだけは違う現実を見ておられます。イエスはすでに、神の意志はこの娘を生かすことであると知っておられます。その神の意志の前では、この娘は死んでいるのではなく、生きる姿の一局面にすぎません。イエスはそれを、「娘は死んだのではない。眠っているのだ」と表現されます。イエスがこう言われたので、イエスの復活後イエスを信じた者たちは、死ぬことを「眠る」という表現で指すことになります(テサロニケT四・一三〜一五、五・一〇、使徒七・六〇)。しかし、このことは後で触れることにして、今は出来事の成り行きを追いましょう。
 イエスの言葉を聞いた人たちは、イエスをあざ笑います。娘が死んだことを知っている人たちにとって、イエスの言葉は正気の沙汰ではありません。神が見られるところと人間が見るところは、天が地から遠いようにかけ離れています(イザヤ五五・九)。
 マルコ(五・四〇)によると、イエスの言葉を聞いて嘲笑した人たちを、イエスは家の外に追い出し、三人の弟子と両親だけを連れて、娘がいる部屋に入られます。このあたりのことは、ルカは省いています。イエスと一緒に家に入った三人の弟子と両親は、死んだ娘が横たわっている部屋で驚くべきことを目撃します。

 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。(八・五四〜五五)

 イエスは、死んだ娘の手を取って、他の病人に声をかけられた時と同じように、生きている者に呼びかけるのと同様に、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられます。これは、ナインの寡婦の息子を生き返らせたとき(七・一四)と同じです。ここでは、親が眠っている子を起こすときのように、「娘よ、起きなさい」とお命じになります。
 マルコは、この時のイエスのお言葉をアラム語のまま伝え、それをギリシア語で解説しています。イエスはアラム語で、《タリタ・クーム》と言っておられます。マルコはこれを、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」とギリシア語に訳しています。この言葉をその場で聞いたペトロは、この出来事を語り伝えるとき、イエスが発せられたこのアラム語の言葉をそのまま伝えないではおれなかったのでしょう。マルコは、ペトロが語り伝えたこの出来事の伝承をそのまま用いています。それに対してルカは、このようなアラム語を伝えることは異邦人読者には必要がないとして省いています。このようなことは、ゲツセマネのイエスの祈りを伝えるとき、マルコ(一四・三六)は「アッバ、父よ」と、アラム語とギリシア語を並記していますが、ルカ(二二・四二)はギリシア語だけにしているところにも見られます。また、イエスの十字架上の「エロイ、エロイ」というヘブライ語の叫びも伝えていません。
 この「娘よ、起きなさい」というイエスの言葉が発せられると、「その霊が戻って」娘はすぐに起き上がります。「その霊が戻って」という表現はマルコにはありません。ルカが入れた表現です。これは、死とは人の霊魂が身体から離れることだとするギリシア的な理解の中で生きているヘレニズム世界の読者に語りかけているルカの筆です。これはイエスの死の描写にも見られます。ルカは、マルコやマタイにはない「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という言葉を、イエスが叫ばれたとしています。
 このような表現の違いは枝葉末節のことです。重要なことは、イエスの言葉によって死んだ娘が生き返った事実です。その言葉によって、死を含む病を支配されるイエスの権能です。イエスが生かそうと意志されるならば、いかなる病も、死に至ってしまった病もいやされて、死んだ人も生き返るのです。
 イエスは、生き返った娘に食べ物を与えるように指図されます。娘が生き返ったのは幻ではなく、現実の出来事であることが確認されます。

 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。(八・五六)

 娘が死んだことを嘆き悲しんでいた両親にとって、娘が生き返ったことはどれほど大きな喜びだったことでしょうか。しかし、両親は喜びよりも驚きに圧倒されます。死んだ人間が、イエスの一言葉で生き返ったのです。これは、人類が今まで体験したことのない奇跡です。様々な呪術でいったん息を引き取った人が蘇生したことはあったかもしれません。しかし、「起きよ」という命令の一言葉で死者を生き返らせた人間は、かってありません。この人物とその言葉の権威に、両親は非常に驚きます。ここに使われている動詞は、「エクスタシー」の語源になる動詞で、われを忘れるほどの驚きです。おそらく、イエスの前にひれ伏したことでしょう。
 最後に、ルカはマルコに従って、イエスが弟子と両親に、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになったことを付記しています。マルコには「メシアの秘密」という重要な動機がありますが、ルカもこれを継承しています。このことについては、次章の「ペトロのメシア告白」のところ(九・二一)で詳しく扱うことになります。
 ところで、見たこと聞いたことを秘密にするようにという命令は、一律ではなく様々な動機が考えられます。ここでは、イエスの命令により死者が生き返ったという事実を人に語らないようにという命令です。ペトロたち弟子が命令を守ってこれを語らなかったら、この出来事は世に伝えられず、福音書の記事もなかったわけですから、この出来事もある時からは語られるようになったとしなければなりません。その「ある時」とはいつでしょうか。それを示唆するヒントがマルコ福音書にあります。イエスの姿が変わったあの「変容の山」から下りてくるとき、イエスは弟子たちに「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と命じておられます(マルコ九・九)。弟子たちはこの命令を守って、「弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった」のです(九・三六b)。ということは、この変容の出来事も、イエスが復活された後には、イエスの栄光を指し示す出来事として語り出されていたわけです。ヤイロの娘の場合も、イエスの復活が宣べ伝えられるようになったとき、復活の予表としての意義を担って語られることができるようになります。それまでは、時代のメシア期待の火に油を注ぐ結果になりかねず、イエスの使命の実現に妨げになることを恐れて、このような沈黙の命令をされたと考えられます。

 イエスは強力な悪霊に憑かれた人から、その権威によって悪霊を追い出されました。次いで、嵐という自然界の猛威も、その命令のひと言葉で従わせられました。そして今、人の力ではどうしてもいやせなかった女性と死んでしまった少女をいやして、人間界の現象をも支配する権能を示されました。このような霊界も自然界も人間界も支配する権能をもつイエスとはいったいだれか、これが次章(ルカ福音書九章)の主題となります。