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第六章 ガリラヤ巡回伝道の進展

       ― ルカ福音書 八章 ―




はじめに

 八章の初め(一節)に、ガリラヤでのイエスの働きを要約する記事が置かれています。「その後もイエスは神の国を告げ知らせ、福音しながら、町や村を巡って旅を続けられた」(私訳)という記述は、「天に上げられる時期が近づくとエルサレムに向かう決意を固め」(九・五一)、ガリラヤを去られる時までの、ガリラヤでのイエスの働きを総括しています。この区分(八・一〜九・五〇)において、ルカはガリラヤ巡回伝道の時期に起こった様々の出来事を配置して、弟子たちの告白とイエスの変容というガリラヤ伝道のクライマックスに物語を進めていきます。
 この区分は、一つの章で一気に扱うには分量が多すぎ、便宜上二回に分けて扱います。福音書八章はイエスの働きが前面に出ているのに対して、九章は「十二人」の派遣から始まり、弟子たちの働きと告白が扱われるようになりますので、本章では福音書八章を、次章で福音書九章を取り上げることにして、二つの章に分けて講解することにします。

40 婦人たち、奉仕する(8章1〜3節)

イエスと十二人の巡回伝道

 すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。(八・一)

 ルカは、イエスがガリラヤでの伝道活動を開始されたときに、イエスはその地の諸会堂を巡って教え、またいやしの働きをして「神の国」を告げ知らされたという総括的な記事を置いていました(四・一四〜一五、四三〜四四)。ガリラヤでの働きの記述が一段落したところで、ルカはもう一度、イエスのガリラヤでの働きを総括する記事を置いて、その巡回伝道の中での出来事を配置して、物語を進めていきます。
 「すぐその後」という表現は、ルカだけが用いる用語で語られていて、「順序通りに」という意味ですが(一・三参照)、ここでは特定の出来事の直後の出来事を指すのではなく、イエスの働きの継続を指して、「その後も」とか「引き続き」と訳してよいでしょう。
 ルカはイエスの働きを「神の国を告げ知らせ、福音する」(直訳)と、「神の国」を目的語とする二つの動詞で表現します。「告げ知らせる」は、王の告知などを大声で知らせるという一般的な動詞ですが、「福音する」というのは、四福音書の中ではルカだけが用いる独特の表現です。これは「福音」(=よい報せ)という名詞の動詞形ですが、「福音」という用語を宣教活動の中心に据えたパウロ系の宣教活動の圏内で著作したルカの特色をよく示しています。
 イエスがガリラヤで進められた「神の国」を福音する活動は、「町や村を巡って旅を続け」る巡回伝道でした。拠点のカファルナウムにじっとしていて、人々が聴きに来るのを待つというのではなく、人々が生活しているところに出向いていって「神の国」を告げ知らせる活動でした。これは、「神の国」という事態は、人々を教えたり訓練して悟らせるという性質もものではなく、神の働きとしての最終的な支配の到来を指しているので、それは広く告知されるべき性格のものだからです。しかも、その神の支配は恩恵の支配として、苦しむ貧しい者には喜びの報せ(福音)であり、パウロの福音活動の圏内で活動するルカは、「神の国を福音する」と言わないではおれなかったのです。
 イエスが町や村を巡って旅を続けられたとき、「十二人も一緒」に旅をしました。そもそもイエスが「十二人」を選ばれたのは、「自分のそばに置く」ためでした(マルコ三・一四)。そばに置いて、自分がすることを見させ、働きを共にさせるためでした。このことは、ルカは「十二人」の選びの記事(六・一二〜一六)で触れていませんでしたが、ここで事実を報告するという形で、「十二人」が選ばれた目的を示唆しています。「十二人」の弟子は、イエスと一緒に「神の国」を告げ知らせる旅をすることで、イエスの働きを身をもって体験して学び、後に同じように「神の国」を告げ知らせる働きに派遣されることになります(九・一〜六)。

女性たちの奉仕

 ガリラヤでのイエスの巡回伝道活動を総括的に描くところで、もう一つルカ独自の記述が続きます。

 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。(八・二〜三)

 イエスがガリラヤの町や村を巡って旅を続けられたとき、十二人の男性の弟子だけでなく、数人の女性も一緒であったことを、ルカは報告しています。これは、ルカだけにある記事で、他の福音書にはありません。当時の男性中心の社会では女性は弱い立場であり、苦しく悲しい思いを強いられる女性が多かった時代です。ルカは、そのような女性に暖かいまなざしを注ぐ著作家です。ここでもそのルカの特色がよく出ています。
 イエスの巡回伝道の活動に女性が含まれていたことは、当時の宗教的運動では特異なことではなかったかと考えられます。後にパウロは、キリストにあっては男も女もないと、救済の体験においては男女の差別を乗り越えた主張をしていますが(ガラテヤ三・二八)、イエスはすでにそれを実践しておられたことになります。その働き方には自ずから男女の差はあったでしょうが、イエスの弟子として、イエスに従い、働きを共にするという点では、男と女の差別はありません。
 イエスに従って旅を共にした女性として、三人の女性の名があげられています。最初に「マグダラの女と呼ばれるマリア」があげられています。このマリアは、イエスに従った女性集団が語られるときには、いつも筆頭者としてその名があげられています。それはこの女性の重要性を示していますが、その重要性は復活されたイエスが最初にこのマリアに現れたという事実によるものと見られます(マルコ一六・九、ヨハネ二〇・一一〜一八)。実際、後にキリストの民の一部(グノーシス派)で、このマリアはペトロに優るキリストの第一の使徒とされるようになります。
 このマリアは、その出身地から「マグダラの女」《マグダレーネー》と呼ばれていました。「マグダラの女」といえばあの女性かと分かる有名人であったのです。後の時代の正統派の教会で、彼女はマグダラの娼婦であったという伝承が形成されますが、先に見たように、これには根拠はありません。
 このマリアには「七つの悪霊を追い出していただいた」という説明がついています(マルコ一六・九も)。彼女がイエスに出会うまでは、悪霊に取りつかれて、様々な症状が重なるひどい状態だったのでしょう。それが、イエスの内に働く神の霊の力によっていやされ、正常な心に復帰したとき、イエスに対する献身的な愛となり、自分の資産を投げうって、イエスに仕えるようになったと考えられます。
 次に「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」の名があげられています。イエスが活動されたガリラヤ地方の領主は、あのヘロデ大王の子のヘロデ・アンティパスでした。そのヘロデの宮廷で「家令」(おそらく王室財産の管理人)をしていたクザの妻であるヨハナが、イエスの弟子として巡回伝道の旅に加わっていたのです。このような宮廷内の高官のところにまで、イエスの名声は届いており、イエスを信じる女性があったのです。ヨハナがイエスに従って旅をしたという事実は、彼女が夫と家を捨てて旅に出たのか、夫はすでになくなっていたのか確認はできませんが、いずれにせよこのように上流階級の女性にもイエスに従う者がいたということが分かります。
 三番目の「スサンナ」は、ここに名があげられているだけで、どのような女性であったのか分かりません。ここにあげられている女性たちは、「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち」に含まれているのですから、ヨハナもスサンナも、そのようなイエスにいやされた女性たちです。さらにルカの記述では、「そのほか多くの婦人たち」も、「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち」に含まれることになり、イエスと一緒に旅をしたことになります。そのような女性は何人ぐらいであったのか、十二人の男性弟子よりも多かったのか少なかったのか、分かりません。とにかく、このような女性たちを含むイエスの一行がガリラヤの町や村を巡って旅を続けたのです。この女性たちは、イエスが最後にエルサレムに上られるときも、イエスと一緒にエルサレムに上って行き、イエスの十字架と復活の証人として重要な働きをすることになります(二三・四九、五五)。
 この女性たちは、「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」と報告されています。イエスをリーダーとして、二十名前後の男女が家業から離れて旅を続けるためには、それなりの手間と費用がかかります。その食事とか宿の世話は、行き先の滞在地でイエスを歓迎した住民が提供した場合もあるでしょうが、基本的には同行した女性たちが担当することになります。女性たちは自分が所有する高価な宝飾類を売ったり、資産を売却するなどして、一行の旅の費用にあて、また滞在先での食事の世話などして、「一行に仕えた」のです。このような女性たちの奉仕がなければ、イエスの一行が「町や村を巡って旅を続け」、神の国を福音する活動は成り立たなかったのです。このような裏方の奉仕は、ともすれば見過ごされがちですが、ルカは女性に対する暖かいまなざしで、これを記録にとどめます。