市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第35講

39 罪深い女を赦す(7章36〜50節)

ファリサイ派の人に食事に招かれる

 先に(二九〜三〇節)洗礼者ヨハネに対するファリサイ派や律法学者たちなどユダヤ教指導層の人たちと徴税人をも含む民衆の態度の違いを描いたルカは、洗礼者ヨハネとイエスを一組として提示するこの区分(七章)の最後に、イエスを食事に招いたファリサイ派の人物(おそらく律法学者)と、イエスの足に香油を注いだ「罪深い女」(おそらく遊女)のエピソードを置いて、イエスに対するユダヤ教指導者と民衆の態度の対照を描きます。

 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。(七・三六)

 福音書の中でルカだけがイエスがファリサイ派の人の家に招かれて食事をされた事実を伝えています(ここと一一・三七、一四・一の三カ所)。イエスはファリサイ派の議員とも食事をしておられます(一四・一)。イエスを信じるユダヤ人共同体がファリサイ派ユダヤ教と厳しく対立する七〇年以後の時期に成立した福音書は、イエスがファリサイ派の者と食事を共にされたという伝承を用いる気にはなれなかったのでしょう。その中でルカは、歴史家として資料に忠実であるという姿勢からかその事実を伝える伝承をそのまま用いています。
 イエスはきわめて優れた、天才的な律法学者でした。十二歳の少年イエスのエピソードは、そのことを物語っています。イエスは、弟子の一団を引き連れて各地で民衆に教えを説く教師として有名になっていました。ユダヤ人に教えを説くには、当然律法に基づいて教えるのですから、その律法理解は明確でなければなりません。イエスの律法理解は、特異ですが鋭いものがあり、人々を驚かせていました。専門の律法学者たちも、イエスと律法の議論をすることを望む者がいました。福音書にはしばしば、律法学者が律法解釈の問題でイエスに問いかけている光景が出てきます。ここの「あるファリサイ派の人」も、このような律法学者の一人であったと見られます。この律法学者も、イエスを律法学者と認めて、「先生」と呼んでいます(四〇節)。それ以上に、神から遣わされた預言者ではないかと感じていたのかもしれません(三九節)。しかし、食事に招いたのは、イエスの教えを認めたからではなく、そのような優れた教師と律法について議論するためであったと考えられます。事実、ここも含め三回の食事の場面は、いつもイエスと律法学者の立場の違いを鮮明にする結果になっています。
 イエスがそのファリサイ派律法学者と論じ合っておられるとき、一人の女性が部屋に入ってきます。安息日の集まりの後に知人たちが食事を共にする習慣があったようです(四・三八、一四・一)。とくに会堂で立派な説教をした巡回の教師を、安息日の食事に招くことは賞賛すべき行いとされていました。その食事はかなりオープンなもので、この時の食事もそのような性格の食事であって、外から入ってくることができたのでしょう。

罪深い女

 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壷を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。(七・三七〜三八)

 この時の食事は、当時のユダヤ人も受け入れていたギリシア風の食卓であったのでしょう。頭を卓に向け足を外に伸ばしてゆったりと横たわる姿勢で食事をします。それで、外から入ってきた者には、客の足がもっとも近づきやすいことになります。部屋に入ってきた女性は、「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め」ます。男性の前でかぶり物を脱ぎ、まとめている髪を解くことは、当時のユダヤ人女性には恥ずべきことでしたが、彼女はすべての慎みを忘れて髪を解き、「自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻」します。そして、持ってきた石膏の壺から香油を注いで、イエスの足に香油を塗り続けます。この行動から、この女性のイエスに対する敬愛と感謝の思いがいかに深いものであったかがうかがわれます。当時、足への接吻は救命者への心底からの感謝の表明とされていました。
 この女性は、その町では皆が知っている娼婦であったと見られます。当時、女性について公に「罪深い」というレッテルが貼られるのは、遊女・娼婦を職業としている者の場合です。

原文の「この町に」という句は、「いた」にかけるのではなく、「罪深い」にかけて「町中に知られている」、英語では publicly の意味に理解するのが順当でしょう(ノーランド)。

 この女性は、この時までにイエスに出会っていたはずです。イエスが徴税人や遊女たち、当時罪人と呼ばれてイスラエルの民の交わりからはじき出されていた人々と食事を共にして、神が無条件の恩恵によって彼らをそのまま子として受け入れてくださっていることを示されたとき、その場に居合わせて、イエスの言葉に感激し、涙にむせんだ人たちの一人であったのかもしれません。食事の前の会堂でなされたイエスの説教でそのような体験をしたばかりであったのかもしれません。あるいは、「七つの悪霊を追い出して病気をいやしていただいた」マグダラのマリア(八・二)のように、イエスの祈りによって霊の苦悩と身体の病から解放していただいた女性であったのかもしれません。
 そのイエスが今この家で食事をしておられることを知って、自分が周囲の人たちやファリサイ派の律法学者からどのように見られているのかを顧みることなく、大切にしている香油の壺をもって食事の部屋に入ってきて、イエスの足もとに伏し、このような大胆な行動に出ます。それは彼女にとって、そうしないではおれない行動だったのです。

 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこでイエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。(七・三九〜四〇)

 ここでイエスを食事に招いたファリサイ派の人物がシモンという名であることが分かります。「シモン」は、シメオンというヘブライ語名のギリシア語風の呼び方です。この名はユダヤ人男性にはよくある名前であり、イエスの弟子のペトロも、その本名はシメオンです。
 ファリサイ派は、もともと神殿の外の日常生活の場で律法が求める清浄を実現しようとしたユダヤ教内の宗教運動であり、汚れとの接触を避けるために細心の注意を払いました。彼らが異邦人との接触を避けたのも、異邦人は律法で禁じられている汚れたものを食べ、汚れた生活をする汚れた存在だからです。ユダヤ教内でも、徴税人や遊女のような汚れた者たちと食事をすることは避けなければなりませんでした。まして遊女と身体が触れることなど、とんでもないことです。ファリサイ派のシモンは、イエスが遊女が自分に触れるのをそのままにしておられるを見て驚き、不審に思います。
 イエスが神から遣わされて神の言葉を伝える預言者であるならば、自分に触れている女が罪深い者であることが分かるはずだし、そのような汚れた者が聖なる預言者に触れることは許せないはずだとファリサイ派のシモンは考えます。イエスは、日頃ファリサイ派の者たちが罪人たちと食事を共にしたりして接触している自分を批判していることはよくご存知です。そして、今シモンにありありとその疑念や批判の思いが起こっていることを見抜かれます。そこでイエスは、彼に名指しで呼びかけ、その疑念にたとえを用いてお答えになります。

多くの罪を赦された者

 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」。シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。(七・四一〜四三)

 当時の一デナリオンは一日の労働に対する報酬に相当する金額でしたから、現在の貨幣感覚からすると、五百デナリオンは五百万円ぐらい、五十デナリオンは五十万円くらいでしょうか。金額はともかく、このたとえが言おうとしていることは明らかです。シモンもこのたとえの意味を正しく理解して、イエスの問いに答えています。

「帳消しにする」と訳されているギリシア語《カリゾマイ》は、《カリス》(恩恵)から出た動詞で、「(恩恵として)与える、認める」という意味から、「免除する、赦す」という意味で用いられます。ここでは、このように負債を免除《カリゾマイ》してやる金貸しの寛大さで、神の恩恵《カリス》の大きさ、無条件性が示唆されています。なお、「愛する」と訳されている用語については、四七節の注記を参照してください。

 シモンの答えを聞いて、イエスは女の方を振り向いて、シモンに言われます。

 「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた」。(七・四四〜四六)

 ここで、この女性がとった行動と、イエスに対するシモンの振舞いが正確に対照されます。イエスに対して、ファリサイ派律法学者のシモンと「罪深い」女性がとった行動を対照して、それが意味するところを、イエスは次のように結論されます。

 「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。(七・四七)

ここで《アガペー》(愛)の動詞形《アガパオー》が二度用いられています。「彼女は多く愛した」と「少し愛する」の二回です。この罪深い女の行動や、多くの負債を免除してもらった人の反応(四二節)を「愛する」と表現するのは、新約聖書での《アガペー》という語の理解からすると、やや不自然な感じがします。これは、本来アラム語でなされたやり取りをギリシア語で伝えようとした結果であると見られます。ヘブライ語やアラム語やシリア語には、「感謝する」や「感謝」に相当する言葉がないので、それを含んだ言葉、たとえば「(感謝して)祝福する」とか「愛する」で表現しました。そのようなアラム語がそのままギリシア語で伝えられた結果、このような表現になったと見られます。したがって、ここの「愛する」は、感謝をこめた愛であり、「感謝する」と同義であると理解してよいと考えられます(J・エレミアス『イエスの譬え』新教出版社139頁以下)。

 イエスは言われます。「彼女の多くの罪は赦されている。彼女は多く愛したのだから。少しだけ赦された者は、少しだけ愛する」(四七節直訳)。「彼女は多く愛したのだから」の「だから」は、理由とか原因ではなく、結果とか、そう判断する理由です。彼女は多く赦された結果、多く愛した(感謝した)、あるいは、多く赦されていることは、多く愛している(感謝している)ことで分かる(新共同訳)、という意味に理解しなければなりません。このように理解すべきことは、後半の「少しだけ赦された者は、少しだけ愛する(感謝する)」という命題の並行表現として、前半では「多く赦された者は、多く愛する(感謝する)」という命題が前提されていて、それが彼女の実際の行動で語られているからです。彼女は多く赦されているから、多く愛した(感謝した)のです。
 ここで罪について「多く」とか「少し」という表現が用いられています。ここの「罪」は複数形ですから、多くの罪と少しの罪という形で、罪の多少が問題にされているように見えます。しかし、罪の多少ではなく、自分の罪に対する姿勢、いや罪ある自分についての姿勢そのものが問題なのです。ここの「罪深い」女性は、イエスによって、罪の多い自分、罪そのものである自分が、そのまま神に受け入れられている、すなわち罪が赦されていることを知りました。それで、イエスが告知される神の無条件の恩恵に自分の全存在を投げ出して感謝しているのです。
 それに対して、ファリサイ派律法学者のシモンは、自分は律法を守り行うことに日々精進しているので、神は自分をご自身の民として受け入れてくださっている、という自信があります。その上で、自分にも少しの過ちはあるかもしれないが、それは罪の贖いの祭儀によって赦されているので、その赦しの恵みには感謝している、という程度の感謝です。自分が神の無条件の恩恵によって受け入れられていることを感謝することはありません。そのような無条件の恩恵を認めるならば、律法を守り行うことを努めるている自分が、律法を守らない徴税人や遊女と同じ立場になり、律法を守る精進は無意味になるではないか、という思いです。
 この罪深い女とファリサイ派律法学者とのイエスに対する態度の違いは、イエスが告知される無条件絶対の恩恵に対する姿勢の違いを示しています。その恩恵がなければ生きていけない者と、その恩恵を必要としない者の違いです。罪過の量の違いではありません。

罪の赦しの福音

 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。(七・四八)

 ここの「赦された」は現在完了形です。すでに赦され、現に赦されている状態です。「赦されている」と訳すべき形です。罪は、神と人を隔てる壁であり、力です。罪が赦されているということは、この神と自分を隔てる壁が取り除かれており、神が自分を受け入れてくださっていることを意味します。神はこの女性の罪を赦し、御自分の子として受け入れておられるのです。神は、この娼婦の女性をそのまま御自分の子と宣言しておられるのです。このような宣言は、周囲のユダヤ教徒にはショックです。

 同席していた人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。(七・四九)
 罪とは神に対する背反ですから、それを赦すことができるのは神だけです。人間には罪を赦す権限はありません。律法学者たちやファリサイ派の人々が、「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」(五・二一)と考えるのは当然です。イエスはすでに、この批判に対して実際に足の麻痺した人を立たせて、神が与えられる罪の赦しを地上で告知する資格がある者であることを示しておられます(五・二二〜二六)。ここでは、周囲の者たちの思いは放置して、この女性にこう言われます。

 「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。(七・五〇)

 「信仰によって救われる」、この宣言は最初期の福音の旗印です。パウロは「信仰によって義とされる」と言いましたが、パウロ以後の異邦世界での福音告知においては、「義とされる」というユダヤ教独自の表現はあまり用いられず、「信仰によって救われる」という形になります。すでにコロサイ書やエフェソ書にこの傾向が見られます。ルカの時代の福音活動は、この「信仰によって救われる」という旗印をかかげて、異邦世界にキリストの福音を宣べ伝えていました。
 ルカは、この宣言がイエスご自身から始まっているとして、イエスがこの女性に語られた言葉として、「あなたの信仰があなたを救った」という形で伝えます。この宣言はルカ福音書に繰り返し現れます(八・四八、一七・一九、一八・四二)。福音書ではしばしば、イエスが語られた言葉と、共同体が告知する福音の言葉が、分かちがたく重なっていますが、ここもその一例と考えられます。
 イエスはこの女性に、「あなたはわたしを信じたことによって、救われているのだ」と宣言しておられます。それは、「あなたはわたしを信じ、わたしが告知する父の恩恵をひれ伏して受け入れたので、今や父に受け入れられて、そのままで神の子とされて救われている」という宣言です。そして、そう宣言した後すぐに続けて、「安心して行きなさい」と言っておられます。これは当時のユダヤ教徒が用いた、「平安の内に暮らしてください」という別れの挨拶です。しかし、ここでは特別の意味を帯びています。
 ここの「行く」は「暮らしていく」の意味です。イエスはこの社会からつまはじきにされている女性に、「これからは心配することなく、安心して暮らしていきなさい」という励ましの言葉を与えておられます。生活を変えなさいとか、今までの行いを改めなければ赦しは取り消されるとか、そのような条件は何も付けておられません。今の信仰のまま暮らしていけばよいのです。その信仰とは神の無条件の恩恵を全身で受けて生きることですから、イエスは「あなたが受けた恩恵の中に、安心して生きていきなさい」と言っておられるのです。
 では、この女性のその後の暮らしは以前と同じ「罪深い」生活のままだったのでしょうか。神の恩恵は「罪深い」生活をそのまま認めることを意味したのでしょうか。それとも劇的な変化を見せたのでしょうか。福音書は何も語っていません。この女性のその後は、恩恵の場に生きるという生き方の性質から推察するほかありません。
 罪の赦しという形で示される神の恩恵は、神への離反である罪を容認するものではありません。それを受ける人を離反の中に放置するものではありません。逆です。離反を無条件で赦すことにより、離反していた人間が神との交わりを与えられ、神の命を受けて、もはや罪に支配されない新しい命を生き始めることを可能にします。その命が実際の生活の変化として現れるのは、状況によって、劇的な場合もあるでしょうし、漸進的かもしれません。しかし、何らかの形で、もはや神からの離反という罪の中に止まることはできず、神に仕える(神に生きる)生き方が始まります。
 このような恩恵の場に生きる生き方の原理から推察すると、時期や状況は確認できませんが、いずれはこの女性も今までの生活から脱けだして、イエスの弟子として新しい生き方を始めたはずです。あるいは、すぐ後(八・一〜三)に報告されているように、マグダラのマリアと共にイエスに従い、自分の持ち物を出し合って(イエスと弟子の)一行に奉仕した「そのほか多くの婦人たち」の一人であったかもしれません。ルカは女性に強い関心を向けていますが、そのことは次の段落(八・一〜三)で扱うことにします。
 ルカは「罪の赦し」を福音の内容として強調します。ルカの福音は「罪の赦しの福音」です。そのことは、他の福音書が復活されたイエスの命令として全世界に福音を宣べ伝えることを置いているところで、ルカは「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」としていることからも分かります(二四・四七)。この女性の記事は、ルカの福音の特質である罪の赦しを物語る典型的な事例となり、まことにルカ的な記事と言えます。

「赦し」《アフェシス》が「罪の赦し」という形で現れるのは圧倒的にルカ文書(ルカ福音書と使徒言行録)です。パウロはこの語を用いていません。パウロは「罪の赦し」という表現で福音を語ることはありません。しかし、パウロ以後のコロサイ・エフェソ書になると、「罪の赦し」が福音の中心的な位置を占めるようになっています(コロサイ一・一四、エフェソ一・七)。その方向がルカに引き継がれていると見られます。この事実は、最初期の福音理解と福音告知の変遷を示唆する重要な事実ですが、それは別著『福音の史的展開』に譲ります。

イエスに香油を注いだ女性の伝承

 ところで、一人の女性がイエスに高価な香油を注いだという記事は四つの福音書すべてにありますが、それぞれかなり違った形で伝えられています。四福音書の記事を比較すると、この記事には主要な三つの型が認められます。第一はルカの型、第二はマルコとマタイの型、第三はヨハネの型です。マタイはマルコの記事をそのまま踏襲していますから、一つの型として扱うことができます。
 決定的な違いは、第二と第三の型、すなわちルカ以外の三福音書(マルコ・マタイ・ヨハネ)のすべてが、イエスへの塗油の出来事を受難直前のベタニアでの出来事としているのに対して、ルカの記事は受難とは関係なく、ガリラヤでの出来事とされていることです。このような状況の違いから、女性が香油を注いだ意義も違ったものになっています。第二と第三の型(マルコ・マタイ・ヨハネ)では、イエスへの塗油は「埋葬の準備」の行為とされています。罪の赦しとは関係ありません。それに対して、ルカの記事は、イエスの受難とは関係なく、したがって「埋葬の準備」という意味はなく、罪の赦しを宣言する記事となっています。
 さらに、同じく受難直前に置いて、この塗油の行為を「埋葬の準備」と意義づけている第二の型(マルコ一四・三〜九とマタイ二六・六〜一三)と第三の型(ヨハネ一二・一〜八)の間にも、大きな違いがあります。出来事の舞台は同じく受難直前のベタニアですが、マルコ・マタイでは「らい病の人シモン」の家での出来事ですが、ヨハネではラザロ・マルタ・マリア兄弟姉妹の家です。時期も、マルコ・マタイでは過越祭の前日ですが、ヨハネでは過越祭の六日前で、エルサレムにお入りになる前日です。香油を注いだ女性の名は、マルコ・マタイでは無名ですが、ヨハネではマリアと名指されています。マルコ・マタイでは香油は頭に注がれますが、ヨハネでは(ルカと同じく)足に塗られます。女性の行為に苦情を申し立てた者も、マルコ・マタイではある弟子たちですが、ヨハネではイスカリオテのユダと特定されています。
 このような違った三つの型の記事が生まれるに至る伝承の過程を確認することはきわめて困難ですが、同一の伝承からこのように場面も意義も決定的に違う記事を生み出すことは想像することが困難ですので、少なくともガリラヤでの出来事と受難前の出来事を伝える二つの伝承があったと推察することが順当かもしれません。ルカはマルコ福音書を知っているのですから、二つの伝承を知っていたのでしょうが、同じような出来事を二重に伝えることを避けて一つにするルカの傾向(たとえば多くの人への供食の記事)から、罪の赦しを宣言するガリラヤでの出来事を採用して、受難直前の伝承を省略したと推察することもできます。
 なお、ルカの記事ではこの女性の名前は伝えられていませんが、敬虔なユダヤ教徒であれば触れることができないはずの「罪深い女(汚れた女)」であるという記事から、売春婦のような職業の女性だとされてきました。そして、マグダラのマリアが「七つの悪霊を追い出していただいた女性」であるという伝承(マルコ一六・九、ルカ八・二)から、ルカの女性はマグダラのマリアであると推定され、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承が形成されるきっかけになりました。実は、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承は、マグダラのマリアをペトロ以上の権威とするグノーシス主義に対抗するために、正統派の教会が意図的に形成した伝承で、かなり後の時代のものです。ルカの記事からこの女性を特定することはできません。

むすび

 この講解では、ルカ福音書の七章を「神の訪れの時」という視点からまとめました。福音書は、イエスの出現が洗礼者ヨハネと一体となって、神が終わりの日にイスラエルの中に成し遂げると約束しておられた、神ご自身が民を訪れる出来事であると告知しています。ルカ福音書の七章は、この告知を洗礼者ヨハネとイエスの関係を語る段落(七・一八〜三五)を中心に、その前後に神の訪れを指し示すイエスの働きを置くという形で構成しています。
 イエスの出現が神の訪れの時であるという告知は、この七章だけでなく、誕生から復活に至るイエスの出来事全体が指し示していることです。それで、福音書のどの部分を切り取っても、それは神の訪れの時を指し示していると言えますが、この七章も典型的な場合の一つです。この時代のイスラエルの民は、この神の訪れの時を理解せず、イエスを退けたために、神の裁きを身に招くことになりました。世界は、このイエスにおける神の訪れの時に真剣に向かい合わなければなりません。わたしたちキリストの民は、それぞれの時代に、ルカがしたように、イエスが神の訪れであること、神の恵みの年の到来であることを告げ知らせることが使命です。