市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第33講

37 やもめの息子を生き返らせる(7章11〜17節)

ナインの城門でなされた「しるし」

 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。(七・一一〜一二)

 イエスと弟子の一行は、カファルナウムを拠点としてガリラヤの各地を巡回し、神の支配の到来を告げ知らせる活動を続けます。カファルナウムの百人隊長の僕をいやされた後しばらくして、イエスはガリラヤ南部にあるナインの町に行かれます。この時には、イエスの評判を聞いて集まってきた大勢の群衆も一緒について行きます。ナインはカファルナウムから南西へ四〇キロほど(ナザレから南南東一〇キロほど)のところにある重要な都市で、城壁に囲まれていました。
 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど葬列が町の門を出て、城壁の外にある墓地に向かうところでした。それは、ある寡婦(やもめ)の一人息子が死んで、その遺体が担ぎ出されるところだったのです。一人息子を失ったやもめの母親の悲しみはどれほど大きかったことでしょう。近親者や町の人が大勢付き添って、嘆きを共にしてこの母親を慰めようとします。しかし、彼女の悲しみはいやされません。彼女は泣き続けます。

一二節の原文は「ある母親の一人息子が死んで担ぎ出されるところ」とあるだけで、「棺」という語は用いられていません(文語訳参照)。一四節で、イエスが近づいて《ソロス》に触れられたとありますが、この《ソロス》は、後に「棺」という意味にも用いられますが、もともとは運搬台を指す語で、埋葬前に遺体や棺を安置する可動式の台を指します。亡くなった若者の遺体は担架とか戸板のようなもので担がれていたと考えられます。一四〜一五節の情景は、イエスが直接遺体姿の若者に声をかけられたのであって、遺体が棺の中に納められていたのであれば不自然です。岩波版を含め日本語訳はすべて「棺」と訳していますが、これは再考を要します。

 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。(七・一三〜一五)

 ここで、イエスが息子を失った母親を「憐れに思い」と訳されている語は、もともと犠牲動物の内臓を指す名詞《スプランクノン》から造られた特殊な動詞です。この《スプランクノン》は人間の内臓をも指すようになり、人の奥底の感情を意味する語として用いられようになっていました。この名詞から造られた動詞は、「はらわたの底から」愛するとか憐れむという意味になり、福音書で苦しんでいる群衆に対するイエスの憐れみを指すときに用いられています(マタイ九・三六など)。また、イエスご自身もたとえ話で、王が借金を返せない家臣を憐れむとか、父親が放蕩息子を憐れむとか、サマリア人が強盗に襲われた人を憐れむという場面で用いておられます。
 旧約聖書では神が苦しむ民を憐れまれます。そして、最終的に神はメシアによってその憐れみを民に現されることが待ち望まれていました。いまイエスがこのように民を憐れまれるのは、この終末的な神の憐れみをイエスが示しておられるのだ、と福音書は語っているのです。

パウロは《スプランクナ》という名詞形(複数形)をよく用いていますが、動詞形では用いていません。福音書では動詞形だけで、名詞形は一回だけしか出てきません。この用語について詳しくは、拙著『パウロによるキリストの福音V』208頁を参照してください。

 イエスはこの母親の嘆きを深く憐れまれて、彼女がもう泣かなくてもよいようにしようとされます。世の中には身近な者をなくして嘆き悲しむ者は多いのですが、イエスはそのすべての者を慰めるために、死者が出た家を訪ねて生き返らせたのではありません。福音書にはイエスが死者を生き返らされた実例が報告されていますが、それはその時代と地域で亡くなった人の中のごく僅かです。福音書では、会堂司ヤイロの娘(マルコ、マタイ、ルカ)と、このナインのやもめの息子(ルカだけ)と、ベタニアのラザロ(ヨハネだけ)の三例です。イエスは居合わせたところで死者を生き返らせるという究極の「しるし」を行って、自分が神から来た者であることを示されます。この奇跡は、イエスの内に神が働いておられることを指し示す「しるし」であり、その「しるし」によって世がイエスを信じるようになることを目指しているのです(ヨハネ一四・一〇〜一一)。その信仰によって、すべての人が死の現実の中にあっても、もう泣くことはなく、永遠の命の希望をもつことができるようになるのです。
 イエスは近づいて遺体を乗せた台(棺ではなく担架とか戸板のようなもの)に手を触れられます。これは止まるようという合図です。すると遺体を担いでいた人たちは立ち止まります。イエスは遺体の若者に声をおかけになります。「若者よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」。
 死んだ人にこのように命じることができる方とは、いったい誰でしょうか。今この方において、人類は今までまったく知らなかった事態に直面しているのです。イエスがこうお命じになると、その若者は担架の上で上体を起こして(英語では sit up)、あたりを見回し、ものを言い始めます。死んだ若者が生き返ったのです。イエスはこの生き返った若者を母親にお渡しになります。母親の驚きと喜びはどれほどだったでしょうか。

新共同訳の「起き上がって」は、「立ち上がって」という意味ではなく、寝てきた姿勢から上体を起こす動作を意味する動詞です。この動詞は、ペトロがタビタを生き返らせたところにも使われています(使徒九・四〇)。

主《ホ・キュリオス》の働き

 この箇所(一三〜一五節)で注目すべき重要な点は、行動している方(文章の主語)が「イエス」ではなく、《ホ・キュリオス》(定冠詞つきの《キュリオス》、主)とされていることです。一三節の初めに「《ホ・キュリオス》はこの母親を見て・・・・」とあり、以下この《ホ・キュリオス》を主語とする三人称単数形の動詞が続きます。イエスという名は出てきません。新共同訳は一四節で「イエスは言われた」としています。この講解でも実際の出来事を説明するために、イエスの行動として記述しています。しかし、原文ではすべて《ホ・キュリオス》の行動として描かれています。
 《ホ・キュリオス》は復活されたイエスの称号です。ルカ福音書では、一〜二章の誕生物語を別にすれば、三章以下の本論部分ではここで初めてイエスが《ホ・キュリオス》という称号で呼ばれ、以降様々な場面でそう呼ばれることになります。そして、この箇所で「イエス」ではなく《ホ・キュリオス》という称号で呼ばれていることには、特別の意味があります。
 いったい、死んだ者に「わたしはあなたに言う。起きなさい」と命じることができるのは、人間を創造された神以外にだれができるでしょうか。ここに用いられている「起きる」という動詞は、神がイエスを死人の中から復活させたことを語るときに用いられている動詞です。神は死人の中からイエスを「起こされた」のです。死人に向かって「起きなさい」と命じ、生き返らせることができるのは神だけです。ここで神がイエスの中にあって働き、このような言葉を発し、その言葉通りに死人を起き上がらせておられるのです。
 使徒たちは復活されたイエスの顕現を体験し、復活されたイエスを《ホ・キュリオス》として世界に告知しました。そして、この「主イエス」《ホ・キュリオス・イエスース》の名によって、すなわちこの方の働きとして、死人を生き返らせました。ペトロはタビタを生き返らせ、パウロはトロアスの青年を生き返らせました。他にもあったことでしょう。使徒たちは《ホ・キュリオス》である復活者イエスが死人を生き返らせておられることを体験しました。そのような体験があるので、地上のイエスが死人を生き返らせた出来事を語り伝えるときにも、「《ホ・キュリオス》が死人を生き返らせた」と語ることになります。ここでは、地上のイエスと復活者イエスが重なっています。ルカがここで、イエスが死者を生き返らせた出来事を《ホ・キュリオス》(主)の働きとして記述しているのも、地上のイエスの出来事によって復活者イエスの福音を告知しようとする福音書の性格から必然的に結果する二重性です。

神の訪れの時

 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また「神はその民を心にかけてくださった」と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。(七・一六〜一七)

 イエスが死んだ若者に命じられるとその死人が生き返ったという出来事を目撃した人たちは、「恐れを抱き」ます。人間は異次元の現実に直面すると、恐れを感じます。ここでも、神の働きの現実に直面した人々は、畏怖の念を抱きます。しかし、その畏怖は賛美に変わります。人間の力ではどうしようもない悲しみを喜びに変えてくださった神の働きを見て、このように自分たちを顧みてくださった神を賛美します。神はその民を放棄されず、心にかけてくださっていることを実感して、神を賛美します。
 神を信じるとは、このような力があることを信じ、自分の存在がこのような力によっていることを信じることです。それ以下ではありません。イエスはこのような神の力を歴史の中で示されました。イエスにおいて神が人間社会を訪れ、その力を示しておられるのです。イエスが地上で活動された時は、まさに神の訪れの時なのです。
 この出来事を目撃した人たちは、それを実感して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言います。当時のユダヤ人には、それ以上の表現ができなかったのでしょうが、実は預言者以上の方が「神の訪れの時」をもたらしておられるのです。神は終わりの時に、限りない憐れみをもって民を訪れておられるのです。
 後にイエスはご自身の働きを「神の訪れの時」として、このように言っておられます。

 「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」。(一九・四二〜四四)

 このお言葉は、エルサレム入城を前にして、平和の君として入城されるイエスを理解せず、平和の君を殺し、神の裁きとして自身に滅亡を招くことになるエルサレムために涙を流して語られた言葉です。しかし、イエスにおいて神がその民を訪れてくださっているのは、このエルサレム入りの時だけでなく、イエスが神の力で働き、神の言葉を語られた地上の働きの全期間において起こっているのです。やがて神はイエスを死者の中から復活させ、その出来事において人類に最終的な訪れを与えられます。しかし、その前にもイエスは死んだ人を生き返らせることまでを含む働きによって神の訪れの時を指し示しておられるのです。ところが、神の民であるイスラエルは、自分への神の訪れを理解しませんでした。それは、その時の彼らには隠されていたのです。イスラエルの中の一部の人たち、とくに貧しい庶民は「大預言者が我々の間に現れた」と言って、イエスにおいて神が苦しむ自分たちを顧みて働いておられることを賛美しましたが、イスラエルは全体としては(公式には)イエスを拒否し、裁き、殺したのです。
 死にかけている百人隊長の僕をいやされた出来事と、死んでしまっているナインのやもめの息子を生き返らせた出来事を並べて、神の民であるイスラエルに神の訪れの時が来ていることを語ったルカは、それに続いて、先駆者としてこの神の訪れの時を切り開いた洗礼者ヨハネについて、彼の出現の意義を彼とイエスの関係で語ります。