市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第14講

18 ナザレで受け入れられない(4章16〜30節)

会堂での教え

 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。(四・一六)

 イエスが故郷のナザレに来て、そこの会堂で教え、故郷の人々から拒否された出来事は、マルコ福音書ではガリラヤ伝道の最後の時期に置かれています。それをルカはガリラヤ伝道の最初にもってきています。それは何を意味するのかが、この段落の理解にとって最大の問題ですが、それはこの段落の講解の最後で触れることにして、ここではまずナザレの会堂での出来事自体を見ていくことにします。
 「いつものように」という句が示唆しているように、「安息日に会堂に入り」、会堂で教えることが、イエスのガリラヤ伝道の基本的な形でした。先に「ガリラヤの社会」のところで見たように、会堂はガリラヤの村社会における生活の中心でした。とくに安息日には全員が会堂に集まり、ユダヤ教の神礼拝が行われ、聖書(律法や預言書)が教えられ、祈りと賛美が捧げられました。イエスはそこで、ご自分が御霊によって新しく受けた啓示を伝え始められます。
 安息日の会堂礼拝は、典礼的な第一部と教育的な第二部から成り、第一部では「シェマ」や「十八祈願」が唱えられ、第二部では聖書の朗読と講解が行われます。ユダヤ教会堂においては、聖書を朗読し、それについて説教をする者は、現代のキリスト教の教会のように司祭とか牧師に限定されず、男性の会員であれば誰でも許されていました。最初にモーセ五書から、次いで預言書から朗読され、講解または説教が行われました。律法や預言書を朗読する者は、立ち上がって朗読します。イエスはナザレの会堂で、預言書の朗読を担当され、開かれた預言書の言葉について大胆な宣言をされることになります。

会堂での礼拝について詳しくは、前出のE・ローゼ『新約聖書の周辺世界』198頁以下を参照してください。

聖書が成就した

 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。(四・一七)

 その日、会堂で朗読すべく係の者から手渡された預言書はイザヤ書でした。会堂に置かれている聖書は巻物でした。イエスは巻物を開いて、次の預言の言葉が記されている箇所を「見つけ」られます。ここに用いられている動詞は、たまたま目にとまったというのではなく、探して見つけたという意味です(二・四四〜四六の用例参照。ここは新共同訳より新改訳が適切)。イエスは次のイザヤ書の箇所を意識的に選び出して朗読されます。

 「主の霊がわたしの上におられる。
  貧しい人に福音を告げ知らせるために、
  主がわたしに油を注がれたからである。
  主がわたしを遣わされたのは、
  捕らわれている人に解放を、
  目の見えない人に視力の回復を告げ、
  圧迫されている人を自由にし、
  主の恵みの年を告げるためである」。(四・一八〜九)

 これはイザヤ書六一章一〜二節の預言です。この預言が含まれるイザヤ書の部分(五六〜六六章)は「第三イザヤ」と呼ばれ、イスラエルが捕囚の地からエルサレムに戻り、神殿を再建した頃の預言の集成と見られています。この箇所は、この時代にイザヤの系列に属する預言者が、再建される神殿を超えて、将来イスラエルの民を救うべく神から遣わされるメシヤ(油を注がれた者)の到来を預言した言葉です。
 この預言には、捕囚の末期に、捕囚の軛からの「贖い」(=解放)を預言した第二イザヤ(四〇〜五五章)の使信が響き渡っています。彼が預言したバビロンからの解放は実現しました。しかし、人間が捕らわれ、圧迫され、目の見えない状況にあることは変わりません。神は終わりの日に、主の霊を与えられたメシヤを遣わして、このような捕らわれの状態にある人間を解放してくださると語られます。用語も、福音、油を注がれた者、解放、自由、恵みなど、第二イザヤの用語を引き継いたものが用いられ、第二イザヤに現れていた「主の僕」の姿が、さらに集約された形で現れています。とくに、時代の状況から、将来現れるメシヤの救いの告知が「貧しい人」に向けられるとされていることは、やがて到来する新約の救済告知をよく先取りしています。
 イエスは普段からイザヤ書を深く読み込んでおられたと推察されます。それは、イエスの語録の端々にイザヤ書の言葉が響いていることからも確認できます。とくに「主の僕」の預言はイエスのお心に深く刻み込まれていたことでしょう。イエスはこの時、イザヤの預言のこの一段を選び取って、会衆の前で力強く朗読されます。

 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。(四・二〇)

 立って聖書の朗読をした者は、その聖書の箇所について解釈や奨励説教をするときには、座ってします。イエスが巻物を巻き、係の者に返して席に座られると、「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」という張り詰めた空気になります。それは、ナザレの人たちはイエスがカファルナウムなどでなされた力ある業のことを聞いていたので(四・二三参照)、この同郷の人物に特別の興味と関心を寄せていたからです。この人物が、このイザヤの預言についてどのようなことを語り出すのであろうかと、固唾をのんで見つめていたのです。

 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した」と話し始められた。(四・二一)

 そのような会衆に向かって、イエスは実に驚くべき言葉を発せられます。イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言し、その内容を説き始められます。預言の個々の句についてイエスが解説された内容は伝えられていませんが、ルカはこの時のイエスの講話の核心を、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」という宣言として要約しています。
 これは、実に大胆で驚くべき宣言です。聖書が終わりの日に現れると預言したメシヤ、主から油を注がれた者、主の霊がとどまる方が、今目の前に立っているという宣言です。マルコ福音書(一・一五)は、イエスの宣教の要約として、「時は満ちた」と宣言しています。イエスの出来事は聖書の成就であるという宣言は、福音告知《ケリュグマ》の第一項目です(コリントT一五・三〜五、ローマ一・二〜四など)。ルカは、このことをナザレの会堂でのイエスの宣言で告知しているのです。

ナザレの人たちの反応

 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか」。(四・二二)

 イエスは、引用されたイザヤの言葉の一つ一つについて語られたことでしょう。イエスは、ヨベルの年が無条件に負債者を負債から解放したように、貧しい者が無条件に主の御霊の働きによって苦悩から解放される「恵みの年」の到来を告知されます。引用されているイザヤの預言の最後の節は、「主の恵みの年と神の報復の日を告知する」とありますが、イエスは「主の恵みの年」だけにして、「神の報復の日」を省略しておられます。これは、イエスの働きが「恩恵の支配」の告知であることにふさわしい引用の仕方です。ここでもイエスはその働きを先取りして、イザヤの預言の言葉によって神の終末的な恩恵の時の到来を諄々と語られたことでしょう。自分たちがよく知っているイエスの口から出るこのような恩恵の言葉にナザレの同郷人は驚きます。
 この驚きは、このような聖書の深い内容が、今まで聞いたことのないような権威ある仕方で(マルコ一・二二)語られることに対する驚きですが、実は、それがごく身近な、自分たちの一員であるイエスによってなされたことに驚いているのであることが、「この人はヨセフの子ではないか」という言葉で表現されています。自分たちが「ヨセフの子」として子供の頃からよく知っているイエスがこのように語られることへの驚きが、このナザレの会堂での物語のポイントです。
 彼らの思いを見抜いて、彼らが言おうとしていることを、イエスの方から言い出されます。

 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない」。(四・二三)

 ルカは、ナザレの会堂での出来事をガリラヤ伝道の最初に置いていますが、この記事はイエスの活動がすでにカファルナウムで始まっていたことを示しています。ナザレの人たちは、イエスがすでにカファルナウムで病気を癒し悪霊を追い出す力ある業をなされたことを聞いているのです。マルコ(一・二一〜三九)は、ガリラヤに戻ってこられたイエスは最初にカファルナウムで活動を始められたと伝えています。ルカはマルコの記事を知っており、ほぼそれと同じようにカファルナウムでのイエスの働きを伝えていますが(四・三一〜四四)、マルコがガリラヤ伝道の最後に置いているナザレの会堂での出来事を、あえてその前に置いています。その意図が問題になりますが、それは最後に触れることにします。
 ナザレの人たちがイエスの行う奇跡を見たいと願っていることを見抜いておられるイエスは、その要求を拒否されます。

 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルにはらい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった」。(四・二四〜二七)

 「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」というイエスの言葉は、表現は少しずつ違いますが、四つの福音書すべてに伝えられています。共観福音書ではみな故郷のナザレで語られたとされていますが、ヨハネ福音書(四・四四)では違った文脈に出てきて、エルサレムとかユダヤが故郷として扱われています。
 預言者が故郷で歓迎されず「敬われない」(ルカ以外の福音書の用語)のは、故郷の人たちは預言者の人間としての面をよく知っているので、預言者の外面だけを見て、内なる神の霊の働きが覆われて見えないからです。しかしルカは、諺となっているこの言葉を、福音がユダヤ人にではなく異邦人に向かうようになることの預言として用います。
 預言者は自分の故郷では歓迎されないものであることを、イエスはイスラエルの歴史の中で代表的な預言者とされているエリヤとエリシャの事例を論拠として語られます。エリヤの事例は列王記上の一七章からの引用です。エリシャの事例は、列王記下の五章にあります。両方とも、神から遣わされた預言者が、神から受けた言葉で助けたのは、イスラエルの人ではなく、異邦の女や将軍であったことを語っています。このように、「預言者は自分の故郷では歓迎されない」という言葉は、イエスの福音が同族のユダヤ人には歓迎されずに拒否され、異邦諸族に向かうことの預言として用いられています。
 イエスが自分を受け入れないナザレの人たちに向かって、このようなことを語られたとするのはルカ福音書だけです。マルコとマタイは、イエスは故郷の人たちの不信仰をいぶかり、あまり奇跡を行うことができなかったと語るだけです。それに対してルカは、福音がイスラエルではなく異邦人に向かうことを、イエスのガリラヤ伝道の初めに、イエスの宣言として置くのです。福音がイスラエルではなく異邦人に向かうことは、序説の「ルカ二部作の成立」で見たように、第二部「使徒言行録」の主題です。それと対応する形で、ルカは第一部の福音書においても、その主題をイエスご自身の宣言として最初に置くことになります。

 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。(四・二八〜二九)

 このようなイエスの発言を聞いたナザレの人たちは皆、初めの驚きが激しい憤りに変わります。その憤りの理由には、次のような多くの要素が絡まっていると見られます。
 まず「ヨセフの子」として自分たちと同じように育った仲間の一人であるイエスが、自分こそ「主の霊」がとどまり、神から油を注がれたメシヤとして、聖書の預言を成就し、最終的に民を解放する者であると宣言することは、認めることができない不遜であり、許されない僭越ではないかという怒りです。
 さらに、そのように主張するイエスが、その主張を根拠づけるために要求したしるしを拒否するのは、自分たちを軽蔑しきっている態度ではないか。その上、律法に忠実に歩むユダヤ教徒である自分たちを無視して、律法を知らない異邦人に救いが与えられると主張することは、聖なる神の律法を汚す発言ではないか。このような感情が爆発して、皆が総立ちになります。
 人間でありながら自分を神のような立場に置く者、神の聖なる律法をないがしろにするような発言で律法を汚す者は、神を汚す者であり、そのような者はイスラエルの中から取り除くことが、イスラエルの民の義務とされていました。そして、その方法として石打の刑が定められていました。
 石打の刑は、犠牲者を崖や城壁のような高いとことから突き落とし、その上に死ぬまで石を投げつけます。ナザレの会堂の人たちは、律法に対する熱心から、イエスを石打にしようとします。彼らは「イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうと」します。

 しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。(四・三〇)

 激しく憤ってイエスを取り囲み、イエスを崖から突き落とそうとしている人々の「間を通り抜けて立ち去る」のがどうして可能かということは問題になっていません。ヨハネ福音書では、ユダヤでユダヤ人たちがイエスを石打にしようとしたが、イエスは身を隠して逃れたという出来事が繰り返されています(ヨハネ八・五九、一〇・三一〜三九)。ルカがヨハネ福音書の記事や伝承を知っていたかどうかは分かりませんが、ルカもヨハネと同じく、同郷または同族のユダヤ人がイエスを石打にしようとしたと書いて、ユダヤ人のイエスに対する拒否と敵意を表現しています。しかし事実は、イエスがユダヤ人の石打によってではなく、ローマ人の十字架刑によって死なれたのですから、「まだ時が来ていなかったので」として、どの石打も逃れて行かれたとしなければなりません。

ナザレの会堂記事の位置について

 以上がイエスの故郷のナザレの会堂で起こったこととしてルカが伝える内容ですが、この段落の問題点は、内容だけでなくその位置です。マルコ福音書では、ナザレの出来事はガリラヤ伝道の最後の時期に置かれており、その内容もルカのように詳しいものではなく、イエスとその家族を身近に知っている同郷の人たちがイエスを信じないので、イエスはごくわずかの病人をいやされただけで、彼らの不信仰を驚かれたとあるだけです(マルコ六・一〜六)。
 ところが、マルコ福音書に基づいて福音書を書いているルカが、このナザレの出来事をあえてガリラヤでの活動の最初に置き、しかもマルコにはない聖書成就の宣言や福音が異邦人へ向かうことの宣言を入れ、それに対するユダヤ人の激高が石打にまでなったとしているのはなぜか、ルカの意図、あるいはこのような内容でこの位置に置かれている意義が問題になります。著者の意図を推察するのは難しいことですが、このような内容の記事がガリラヤ伝道の最初に置かれていることの意義は、ほぼ次のようにまとめることができると考えられます。
 第一に、イエスの福音告知の内容を、その活動の最初に綱領的に掲げるために、ルカはこのような書き方をしたと考えられます。マルコ(一・一五)は、イエスの福音告知の活動を、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というイエスの言葉でまとめ、それをガリラヤ伝道の最初に置いています。ルカは、それをナザレの会堂でのイエスの説教で行います。聖書が来たるべきメシヤについてしている預言がイエスにおいて成就したという宣言は、マルコの「時は満ちた」という宣言の内容を詳しくしたものです。イエスこそ、神の霊がとどまる終わりの日のメシヤ(油注がれた者)であるという宣言です。そして、イザヤ書の預言を用いることで、イエスによる告知が「恩恵の支配」の告知であることを指し示します。このように、ルカが提示しようとする福音のもっとも基本的な内容を、イエスご自身が宣言されたとして、イエスのガリラヤ伝道の最初に置きます。
 第二に、ルカはその二部作で、イエスの福音が同族のユダヤ人に拒否されて異邦の諸民族に向かうことを歴史的に論証しようとしていますが、これもイエスが同郷の人たちに拒否されるという象徴的な出来事の中で、イエスご自身によってなされた宣言であるとして、ルカはイエスの宣教活動の最初に置きます。ルカは二部作の第一部と第二部を対応する形で書いていますが、第二部の主題であるユダヤ人から異邦人への福音の進展を、第一部では冒頭で、郷里のナザレでの同郷人の拒否と、イエスご自身の宣言という形で提示します。
 第三に、イエスの宣教活動全体が激しいユダヤ人の敵意の中で行われたことを示すために、イエスを石打にしようとした同郷のユダヤ人の行為が最初に置かれたと考えられます。マルコ福音書で見る限り、イエスに対するナザレの人たちの対応は、石打にしようとするような激しいものではなかったと見られます。この後、マルコに従ってイエスのガリラヤ伝道を描くルカの記述には、そのような激しい敵意は見られません。イエスはガリラヤのユダヤ人の中に入って行き、食事を共にしたりして彼らと親しく語っておられます。ルカ自身もイエスのガリラヤでの働きを「皆から尊敬を受けられた」と総括しています。それにもかかわらず、このような記事を最初に置いたのは、イエスを石打にしたいと願うほど激しくイエスに反発したユダヤ教指導層の姿を、ナザレのユダヤ人たちに代表させ、それを最初に置いて、イエスの宣教活動全体がユダヤ教指導層の激しい敵意の中で行われたことを印象づけようとしたと考えられます。
 このように見てくると、ナザレの会堂での出来事を描くルカの記事は、実際にあった出来事の記述というより、ルカが告知しようとしている福音の綱領的・図式的提示であることが分かります。だからといって、この記事の価値が下がるわけではありません。まさにこのような性格の記事こそが、福音書という文書の性格をよく示しています。この記事は、ルカの福音理解を示す典型的な記事となります。