市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第6講

第一部 ガリラヤでの「神の国」告知

       本講解で、数字だけの引用箇所はすべてルカ福音書の章節です。

はじめに ― 「誕生物語」の扱いと講解の進め方

「誕生物語」の扱いについて

 ルカ福音書には、イエスの誕生の次第と少年時代のエピソードを伝える「誕生物語」(一〜二章)があります。しかし、本来のルカの福音書は、序言(一・一〜四)の後、三章一節から始まっていたのではないかと推察されます。そう推察する根拠をあげておきます。

 1 著者自身が、先に著した第一巻(ルカ福音書)について、「イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」と、第二巻の序文で言っています(使徒一・一〜二)。誕生から始まるイエスの生涯を伝えるとは言わないで、あくまでイエスが公の舞台に登場して活動し、その奇跡などの働きを示し、教え始めてからのことを書き記したとしています。イエスの登場は、洗礼者ヨハネの活動の時ですから、福音の告知は、洗礼者ヨハネのバプテスマ運動から始まるのが普通です。これは、マルコ福音書に典型的に見られるように、使徒たちの福音宣教に共通するパターンです(ルカ自身がまとめた使徒言行録一〇章のペトロの説教も参照)。また、使徒たちの福音告知は、弟子として目撃した師イエスの働きと教えの証言ですから、それが洗礼者ヨハネのもとでイエスと出会ったところから始まるのは自然です。ルカがこの共通のパターンに従って福音書を著述したとすると、それは三章の洗礼者ヨハネの活動を伝える記事から始まることになります。
 2 ルカは自分の著作をローマの高官であるティオフィロに献呈しています。その献呈の文(一・一〜四)の続きとしては、「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督・・・・・・であったとき」(三・一)という文で、これから述べる出来事をローマの歴史に位置づけるのが自然です。そうしないで、ローマの教養人にはまったく無縁なユダヤ教の祭司のことから始め、「ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリヤという人がいた」(一・五)というような文を続けることは考えにくいことです。
 3 一章(五節)から二章にかけての「誕生物語」は、三章以下の本体部と違って、ユダヤ教の枠の中で記述されており、きわめて強くユダヤ教世界での成立を示唆しています。旧約聖書の引用が圧倒的に多いだけでなく、その用語(ヘブライ語の使用を予想させる語法)や思考がきわめてユダヤ教的であり、クムランなどの黙示思想の影響もかなり認められます(これは「誕生物語」を取り扱うときに触れることになります)。この事実は、「誕生物語」がルカの著述と別起源のものであり、後でルカの著述に組み入れられた可能性を示唆しています。著者のルカ自身が編集して自分の著作の序章として用いた可能性も十分あり、むしろそう見るべきですが、ここでは一応別起源の文書として扱います。

 このような根拠に基づいて、「誕生物語」を本来のルカの著述に属するものではないと推察するのは、けっして「誕生物語」の信仰的価値を無視するものではなく、また、それを不必要として削除するものでもありません。その成立とルカの著述に含まれるようになった経緯はともかく、この「誕生物語」もルカ福音書の不可分の一部であり、その使信を真剣に受け取らなければなりません。しかし、そのためには考慮にいれなければならない前提や要素があまりにも多く、福音書全体を講解した後で扱うのが適切と考えられます。それで、ここでは割愛してルカの福音書の本体部分から入り、「誕生物語」の考察と解釈は、十字架と復活というイエスの生涯を最後まで見た後で行うことにします。「誕生物語」は復活者イエス・キリストの賛美という性格の文書ですから、そうする方がふさわしいと考えられます。

講解の進め方について

 この「ルカ福音書講解」は、新共同訳の「ルカによる福音書」をテキストとして、その段落区分に従い、段落ごとの解説という形で進めていきます。段落のテキストは、新共同訳新約聖書を見ていただくことにして、この講解の本文には掲げません。段落の標題と章節を、ゴシック体の文字であげておきますので、その段落の本文をお手持ちの聖書で読んでから、この講解に入っていただくようにお願いします。段落には通し番号をつけて、後で参照しやすいようにしておきます。
 段落区分は新共同訳に従いますが、ギリシア語テキストの日本語訳としては、新共同訳と協会訳(口語訳)を対等に扱い、必要に応じて文語訳、新改訳、岩波版新約聖書翻訳委員会訳の中の佐藤研訳、岩波文庫版の塚本訳を適宜参照します。また、必要に応じ、私訳による講解を行います。
 ルカ福音書の成立事情、その構成などについては、先に「序章・ルカ二部作の成立」で扱いましたので、繰り返しません。ただ、本講解では、一〜二章の「誕生物語」を別扱いとすることになりますので、三章以下を次のような区分で扱うことになります。

 序 章 洗礼者ヨハネとイエス ( 三章一節 〜 四章一三節 )
 
 第一部 ガリラヤでの「神の国」告知 ( 四章一四節 〜 九章五〇節 )
 
 第二部 エルサレムへの旅 ( 九章五一節 〜 一九章二七節 )
 
 第三部 エルサレムでの受難と復活 ( 一九章二八節 〜 二四章五三節 )

 先に「ルカ二部作の成立」で見ましたように、第一部と第三部では、ルカはほぼマルコに従っています。その部分ではマルコとの違いに重点をおいて、ルカの福音理解の独自性を見ることになると思います。マルコと重なるところは、重複を避けるために、マルコ福音書講解に委ねて、この講解では簡単にしておきます。これは、マタイ福音書講解でしたのと同じ講解の進め方です。ルカの特殊資料が多く含まれる第二部には、ルカの独自性がよく出ていますので、その部分の講解が詳しくなることと思います。

 本著作集においては、「ルカ福音書講解T」(本書)において序章「洗礼者ヨハネとイエス」と第一部「ガリラヤでの神の国告知」をまとめて「第一部」として扱い、続いて刊行予定の「ルカ福音書講解U」で第二部「エルサレムへの旅」、「ルカ福音書講解V」で第三部「エルサレムでの受難と復活」および「誕生物語」を扱うことになります。