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第三節 ルカ二部作の構想

旅の書

 以上に見たように、ルカは二部作の全体でキリストの福音をギリシア・ローマ世界に提示しようとしています。他の三つの福音書がすべてイエスの生涯の枠内で福音を告知しようとしているのに比べて、この点がルカの福音提示の最大の特色であり、貢献です。ルカは、第一部のイエス言行録というべきルカ福音書だけでなく、それに第二部の使徒言行録を加えて、世界に対する神の救済を告知するのです。両部とも同じ福音の告知ですから、構成の上でも内容においても相対応する形になるのは自然なことです。その対応関係は個々の段落の講解で触れることになりますが、ここでは大枠における両部の対応関係を見ておきたいと思います。
 ルカの主要関心事は、ユダヤの辺境ガリラヤで始まったイエスの「神の国」の福音が、全世界の救済の告知として(当時の人にとって全世界である)ローマ帝国の首都に到達する過程を描き、それによってこの世界にキリストの福音を提示することでした。ルカはこの二部作で、ガリラヤにおけるイエスの働きから始まって、その神の救いの告知が聖都エルサレムを経て、帝国全体を代表するローマに達するまでの歴史的過程を描きます。そのことによって、イエスをキリストと信じている人たちに、その信仰の根拠とその確かさを示し、周囲のギリシア・ローマ世界の人たちに、このキリスト信仰を認め、受け入れるように呼びかけます。その著作の意図は、著作への序文(ルカ一・一〜四)で見たとおりです。
 このような地理的な進展がルカの二部作の大枠を形成します。第一部(福音書)では、イエスによって担われた福音がガリラヤからエルサレムまで進む過程が叙述されます。そして第二部(使徒言行録)では、使徒たちに担われたキリストの福音がエルサレムから始まってローマに到達する過程が物語られます。この地理的な進展は、福音の担い手の地理的な移動、すなわち旅の姿で描かれます。従って、ルカの二部作は「旅の書」の様相を示すことになります。
 第一部(福音書)については、イエスがガリラヤからエルサレムに行かれたことはどの福音書にも記述されていますが、ルカ福音書においては、ガリラヤからエルサレムに向かうイエスの旅が、ガリラヤでの「神の国」の宣教活動と、エルサレムでの受難と復活の出来事と並んで、福音書の主要部分を形成しています。この旅の部分(ルカ九・五一〜一九・二八)は「ルカの旅行記」と呼ばれ、その分量からも特色ある内容からも、この区分が重視されていることが分かります。分量だけみても、この旅の部分は計三七七節あります。これは、ガリラヤでの活動を描く部分(四・一四〜九・五〇)の二七五節、エルサレムでの受難と復活を語る部分(一九・二八〜二四・五三)の二九六節と較べて、かなり大きなことが分かります。
 その内容も、モデルとしているマルコ福音書から大きく離れて、ルカ独自の性格を示しています。他の部分はほぼマルコ福音書に従っていますが、この「旅行記」では、ルカだけに見られるイエスの語録やたとえを多く取り入れています。たとえば、ルカだけに伝えられている有名な「放蕩息子」、「失われた銀貨」などのたとえ話は、みなこの「旅行記」に収められています。ルカだけの独自の内容を収めた部分(九・五一〜一八・一四)は、この「旅行記」の大部分を占めています。
 第二部の使徒言行録が「旅の書」であることは、一読して明らかです。フィリポのサマリアから沿岸地方への宣教の旅、ペトロのカイサリアに至る旅など、使徒たちの旅によって福音はエルサレムから各地に広まっていきます。エルサレムから追放された「ヘレニスト」(ギリシア語を用いるユダヤ人)によって設立されたアンティオキア集会から、ユダヤ教の枠を超えた伝道活動が始まり、それはヘレニズム世界に広く離散していたディアスポラ・ユダヤ人の会堂を拠点としながら、周囲の異邦人世界へ拡大していきます。そのクライマックスはパウロの伝道旅行です。アンティオキアから始まったパウロの宣教活動は三次に及び、ついにローマに達します。使徒言行録は、使徒たちの旅の物語で満ちています。
 ルカの二部作が「旅の書」という様相を見せているのは、著者自身が旅の人であったからではないかと考えられます。先に「著者」の項で見たように、著者のルカは(全部ではないにせよ)パウロの伝道旅行に同行し、その活動をその目で見た同行者であり、「われら章句」の著者であると見られます。この伝統的な見方に対しては、様々な批判があり議論は続いていますが、それを否定する決定的な根拠はありません。少なくとも、現形のルカの二部作を理解する上で、この見方に立って読むことは有益であると考えられます。
 ルカは、パウロの最後の旅、すなわちマケドニア州・アカイア州からアジア州を経てエルサレムに上り、エルサレムで逮捕され、カイサリアで拘禁され、ローマに護送されるまでの旅にも同行して、パウロの最後を見届けていると考えられます。すでにパウロの生前にルカの旅は広範囲にわたっていますが、パウロ亡き後も、ルカは各地を旅して、使徒たちが伝えた諸伝承を集めたのではないかと推察されます。ルカが資料として用いている伝承が地域的な広がりを見せていることから、そのような推察が促されます(ルカが用いた資料については後で触れます)。

二部作の地理的な枠組み

 このような地理的な進展という大枠をもって構想されたルカの二部作は、その構想に従って構成されているので、その構成は比較的見分けやすくなっています。細かい区分は講解に委ねますが、二部作全体の構成は、著作への序文(一・一〜四)を別にして、大枠で以下にようになっていると見られます。

  第一部 福音書―イエスの言行録

導入部
 誕生物語と幼児物語              一・五〜二・五二
 イエスの登場                 三・一〜四・一三

第一主要部 ガリラヤでの「神の国」宣教活動   四・一四〜九・五〇

第二主要部 エルサレムへの旅          九・五一〜一九・二八

第三主要部 エルサレムでの受難と復活      一九・二八〜二四・五三

  第二部 使徒言行録

導入部 イエスの歴史から使徒たちの歴史への移行   一章

第一主要部 エルサレム原始共同体とその宣教活動   二〜一二章
―ペトロが主要な担い手 

第二主要部 パウロの異邦人伝道           一三〜二八章

 使徒言行録については、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒一・八)という綱領的な預言に従い、使徒たちの働きを次の三段階にまとめる見方もあります。

 T エルサレムでの証言活動   一〜七章
 U ユダヤとサマリアへの進展  八〜一二章
 V 地の果て(ローマ)への到達 一三〜二八章

 これは第一主要部を、エルサレムとユダヤ・サマリアの二つの段階に分けた形となります。
 なお、地理的な視点から見ると、ルカ二部作全体はエルサレムを中心として構成されていると言えます。福音はエルサレムに向かい(第一部)、エルサレムから発します(第二部)。第一部の福音書においては、イエスの働きはエルサレムを目指しているものとして描かれ、エルサレムにおいてキリストとしての働きが完成します。復活されたイエスはエルサレムとその近郊で現れ、ガリラヤでの顕現は触れられていません。弟子たちはエルサレムにとどまるように指示されます。第二部の使徒言行録においても、使徒たちの働きはエルサレムから発し、つねにエルサレムとの関連で進んでいきます。異邦人への使徒パウロも、繰り返しエルサレムに戻ってきて、エルサレムとの結びつきを確認しています。それで、パウロを「エルサレムとローマの間に立つ使徒」(佐竹)とする見方も出てくることになります。
 ルカはエルサレムの陥落・神殿の崩壊を知っています。ルカが執筆した時には、神殿は焼失し、エルサレムは異教徒が支配する都市になっています。それにもかかわらずルカがエルサレムを福音の史的展開の中心地とするのは、エルサレムが「イスラエル」を象徴する地であるからです。ルカにとっては、エルサレムは神殿と一体です。エルサレムは神殿と一体となって「イスラエル」を象徴しています。イエスの働きはエルサレムにおいて完成し、そこから諸国民への福音が発します。大きく見れば、ルカは預言者がイスラエルやシオンについて語った預言(たとえばイザヤ二・三、二四・二三、三五・一〇、四六・一三など)が成就しているという構想で、このエルサレムを中心とする二部作を構成したと言えます。

二部作の構成原理としての預言と成就

 ルカも、他の福音書と同じように、預言と成就の図式を重視していますが、イエスの生涯の個々の出来事が聖書の預言の成就であるとして聖書箇所を引用することは、マタイ福音書に較べるとずっと少なくなっています。マタイは聖書を熟知しているユダヤ人に向かって書いていますから、イエスの生涯の出来事一つ一つに、「それは預言者を通してこう言われていたことが成就するためであった」として、繰り返し聖書を引用しています。それに対してルカは、イエスの出来事が聖書の成就であるという福音の基本的な使信を継承し、「わたし(イエス)についてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」(ルカ二四・四四)と言っていますが、イエスの働きを記述する本体部分では、マタイのように個々の出来事を預言の成就として聖書を引用することはほとんどありません。これも、聖書を知らない異邦人読者には、福音は聖書(古い契約)の成就であるとする総論は告知しているが、具体的な適用という各論は省略していることになります。
 しかし、ルカがその著述を二部作という形で構成したことから、預言と成就の図式にルカ独自の形が出てきています。すなわち、第一部でのイエスの言動が預言となり、それが第二部の使徒たちの働きにおいて成就しているという構造が見られます。ルカにおいてはイエス自身が預言者であり、イエスが語られた言葉や為された働きが、イエス復活後のキリスト者の共同体《エクレーシア》において実現しているという図式で、その二部作が構成されることになります。個々の対応については、それぞれの段落の講解で扱うことになりますが、ここで代表的な場合を例示しておきます。
 この図式で最も重要な事例は、イエスが御自身の十字架の受難と復活について、それが神的必然であるとして予告・預言されたことが、使徒たちの宣教においてすでに実現した過去の出来事として告知されていることです。
 イエスは御自分に従う弟子たちが周囲から迫害を受けるときに喜ぶように語られましたが(ルカ六・二二〜二三)、使徒言行録では、迫害された使徒たちが喜びに満たされ(五・四一)、集会も迫害の中で喜びに溢れたことが伝えられています。
 イエスは弟子たちが証しのために法廷に引き出されることを預言されましたが(ルカ一二・一一〜一二など)、使徒言行録には使徒たちが会堂や最高法院、また総督の法廷に引き出されてキリストを証ししたことが数多く物語られています。
 イエスは「大宴会」のたとえで、福音はまずユダヤ人に与えられるが、ユダヤ人が拒んだので異邦人に向かうことを預言されましたが(ルカ一四・一五〜二四)、それは使徒たちの働き、とくにパウロの働きにおいて、その通りに実現します。パウロは繰り返しユダヤ人に、「あなたたちが拒むので、わたしは異邦人に向かう」と宣言して、その福音の働きを進めていきます。
 イエスは福音を拒む者たちには「足の埃を払い落とせ」と語られ(ルカ九・五)、使徒たちは福音をののしる者たちに向かって「足の塵を振り払って」去っていきます(使徒一三・五一、一八・六)。
 ルカ福音書は他の福音書に較べて、イエスを預言者として描くことが多いようです。とくに、ルカはイエスを申命記(一八・一五)で預言されている「モーセのような預言者」として描いています。ペトロは、ペンテコステのすぐ後に神殿でイエスをメシアとして宣べ伝えたとき、申命記の預言を引用してイエスを「モーセのような預言者」とし、この方に聴き従うように呼びかけています(使徒三・二二)。ステファノは最高法院で弁明したとき、昔のイスラエルの民がモーセに従わなかったように、今のイスラエルは約束された「モーセのような預言者」であるイエスに背き、この方を殺したと、イスラエルを非難しています(使徒七・三七、五二)。このように、終わりの日にイスラエルに遣わされる「モーセのような預言者」を拒んだために、イスラエルは見捨てられ、異邦人が神の民として選ばれることになったという見方が、ルカの二部作には貫かれています。

ルカ二部作における対応構造

 ルカの二部作には、預言と成就という関係ではありませんが、第一部と第二部の記述に対応関係が見られます。すなわち、第一部でイエスについて語られたのと同じこと、またはそれに相応する出来事が第二部の使徒たちの働きや共同体についても語られるという関係です。この対応構造は、同じ一つの福音を二部作で提示するルカの著作に必然的に伴う構造であると言えるでしょう。個々の対応関係は講解に委ね、ここでは主要なものを例示して、対応構造があることを指摘するに止めます。
 その中でまず第一にあげるべきことは、第一部のイエスの働きや出来事と、第二部の使徒たちの働きや出来事が、ともに聖霊の働きとして記述されていることです。第一部では、幕が上がる前の序曲というべき誕生物語でも、イエスの誕生は聖霊によるものであることが強調されています。第一部での宣教の働きは、イエスが上より聖霊を受け、聖霊の力に満たされて、預言の成就として御霊の到来を宣言されることから始まります(ルカ三・二二、四・一、一四、一六〜二一)。それに対応して第二部での宣教も、使徒たちが聖霊を受けて力に満たされ、終わりの日の預言の成就として聖霊が降ったという宣言から始まります(使徒一・八、二章)。その後に続くイエスの働きも、使徒たちの働きも、聖霊によるものとして繰り返し記述されます。
 イエスは「神の国」を宣べ伝えられました(ルカ四・四三など多数)。使徒たちも「神の国」を宣べ伝えたとされています(使徒一九・八など多数)。しかし、第二部では、使徒たちは「神の国と主イエス・キリストの御名」を宣べ伝えたとされることが多くなります(使徒八・一二など)。実際には使徒たちは「キリストを宣べ伝えた」(使徒八・五)という方が事実に近いと考えられます。使徒たちは、イエスを復活されたキリストとし、その十字架の死を罪の贖いとして告知したはずです。それを「神の国」の告知としたのは、むしろルカが使徒たちの宣教をイエスの宣教と対応させるために用いた表現であると考えられます。
 イエスは神の霊によって多くの力ある業(奇跡)を行われました。使徒たちも、それに対応する奇跡を行っています。イエスは病人を癒されました。使徒たちも多くの病人を癒します(使徒五・一五〜一六)。イエスは手や足の麻痺した人を癒されました。使徒たちも麻痺した人を癒します(使徒三・一〜一一)。イエスは悪霊を追い出されました。弟子たちも悪霊を追い出します(使徒八・七など)。イエスは死者を生き返らせました。使徒たちも死者を生き返らせます(使徒九・三六〜四三)。このようにルカは、使徒たちが行った多くの奇跡の中から、イエスの奇跡に対応するものを代表的な事例として列挙して、使徒たちの働きを記述しています。
 第二部の最後はパウロのエルサレムへの旅、逮捕、裁判、ローマへの護送というパウロの受難記になっています。パウロの最後は(おそらく意図的に)伏せられていますが、このパウロの受難記は多くの点でイエスの(エルサレムへの旅を含む)受難物語に対応しています。たとえば、パウロのエフェソの長老たちへの別れの言葉(使徒二〇・一七以下)は、イエスの最後の食事の時の訓話に対応しています。福音書がイエスの受難物語で終わるように、ルカは第二部を、使徒たちを代表する人物の受難記で終わります。
 第一部(福音書)と第二部(使徒言行録)との間だけではなく、第二部(使徒言行録)の前半の第一主要部と後半の第二主要部の間にも対応関係が見られます。前半の第一主要部の主要人物であるペトロと、後半の第二主要部の主要人物であるパウロについての記述において、ペトロがしたことやその身に起こったのと同じこと、またはそれに対応することをパウロはしており、またその身に起こっています。たとえば、ペトロは神殿で足の萎えた人を立ち上がらせ、その奇跡に驚いたエルサレムの民衆に最初に福音を説いています(三章)。パウロは異邦人への伝道旅行で、足の萎えた人を立ち上がらせ、驚いた民衆に福音を宣べ伝えます(一四章)。ペトロはヘロデ王によって投獄されますが、天使の働きで獄舎から救出されます(一二章)。パウロもフィリピで投獄されますが、地震によって奇跡的に獄から逃れます(一六章)。
 パウロ書簡(たとえばガラテヤ書二章)で見る限り、ペトロとパウロの間には、イエスの十字架と復活という基本的なことでは一致していますが、ユダヤ教律法に対する姿勢などで違いがあることが知られます。ところが、使徒言行録では、ペトロは律法について、まるでパウロが説いているようなことをユダヤ人に向かって主張しています(使徒一一・一〜一八、一五・七〜一一など)。総じて使徒言行録においては、ペトロの説教とパウロの福音告知は、入れ替えても差し支えがないほど似ていると言われています。二人の説教にも対応関係が読み取れます。
 このような対応関係は、ルカが初期の福音宣教を担った二人の中心人物の間の相違や対立をできるだけ抑え、二人の一致と協力を印象づけるために採用した構成によるものと考えられます。このルカの意図は、自分たちの時代のキリストの民にとって範例的な時代となる使徒時代の共同体の姿を美しく描くためであると見られます。このように共同体の一致を描くことは、キリストの民の内部においても範例として必要ですし、外部に対して自分たちの信仰を弁証する護教的な見地からも有益ですから、ルカがこのような構成をとったことは理解できます。