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附 論 

第四章 長老ヨハネの遺訓

        ―― ヨハネの第一の手紙 翻訳と講解 ――

はじめに ― 長老ヨハネの遺訓としての第一書簡

 ヨハネ福音書を生み出した共同体、すなわちヨハネ共同体は、福音書の他に新約聖書正典の中に含まれる三通の手紙を残しています。この三通の「ヨハネの手紙」の著者が誰であるのか、同じ著者か別の著者か、また福音書の著者または福音書の最終編集者と同じか別の人物かという問題は、議論が続いていて未だに決着はついていません。また、福音書と手紙はどちらが先に書かれたのか、三通の手紙はどの順序で書かれたのか、という成立時期の問題も解決していません。しかし、ヨハネ福音書と三通のヨハネの手紙は同じ共同体から出たものであることは確実であり、広く認められています。
 このヨハネ福音書と三通のヨハネの手紙の成立事情については、補論の『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立について』で見てきました。ごく短い第二書簡と第三書簡については、その中でこれらの書簡の成立事情を見るところで、内容も同時に取り扱いました。三通の書簡の中でもっとも長くて内容的にも重要な第一書簡は、その成立事情はそこで見ましたが、その内容まで詳しく触れることはできませんでした。そこで見たように、この第一書簡は、共同体の分裂の事態に直面して、長老が共同体の諸集会に向かって切々と語りかける回状の手紙と考えられます。
 このように、共同体分裂の危機に際して書き送られたこの書簡は、結果として長老ヨハネの「遺訓」となります。長老自身は決して自分の最後の近いことを意識して、この書簡を遺訓として書いたのではないかもしれませんが、おそらく晩年に書かれたこの書簡の後には、長老が書いた文書は伝えられていませんので、結果としてこの書簡が、世に残された長老ヨハネの最後の文書となり、キリストを信じる民に長老が最後に語りかけた遺訓となりました。これは、パウロがローマ書を書いたとき、遺言として書いたのではありませんが、結果としてローマ書がパウロの最後の文書となり、「パウロの遺言」と呼ばれるようになったのと同じです。
 これが「遺訓」であるというのは、この手紙が「遺訓文学」という類型に属する文書であると言っているのではありません。「遺訓文学」というのは、誰かが自分の主張を述べるのに、過去の著名な人物が死に臨んで語った(あるいは書き残した)言葉として著述した文書であり、一種の偽名文書です。ペトロの第二の手紙は、このような「遺訓文学」の文書です。それに対して、このヨハネ第一書簡は、そのような「遺訓文学」文書ではありません。これは長老ヨハネ自身の肉声であり、長老ヨハネが彼の長い活動の最後に残した貴重なキリスト証言の書です。わたしたちはこの書簡に、最初期の一人の比類ない証人の肉声を聴いているのです。
 この附論の最後の章として、ここでその内容を講解することにします。このヨハネ第一書簡は、段落ごとにギリシア語原典からの翻訳と、その段落の要点を解説する略解を添えるという形で講解します。

底本は Nestle-Aland, Novum Testamentum Graece, 27th Edition (1993) を用います。

1 序言 ― 主題と目的(1章 1〜4節)

 1 初めから在(いま)した方、わたしたちが聞いた方、わたしたちが自分の目で見た方、わたしたちがよく見つめ、そして、わたしたちの手が触れた方、すなわち命の言葉について。―― 2 命が現されたのです。父と共にいましたが、今やわたしたちに現された永遠の命を、わたしたちは見て、証しをし、あなたたちに告げ知らせます。
 3 わたしたちが見たこと、聞いたことを、あなたたちにも告げ知らせます。それは、あなたたちもまた、わたしたちと一緒に交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりとは、父との交わりであり、御子イエス・キリストとの交わりです。4 わたしたちがこれらのことを書き送るのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。

本書の主題(一・一〜二)

 この第一の手紙は、第二と第三の手紙と同じく「長老であるわたしから」書き送られた文書であると考えられますが、手紙の形式としての差出人・宛先・挨拶の部分や結びの挨拶がありません。これはおそらく、この文書がもともと各集会で読まれることを目的とした回状形式の勧告ないし説教であったからだと推察されます。
 この手紙は、いきなり本文から始まります。長老は、彼の共同体に伝えられ確立している信仰を改めて提示します。それは福音書(ヨハネ福音書)において表現されている信仰に他なりません。
 福音書(一・一〜一八)の序詩でうたわれていましたが、あの「初めに神と共にいまし、神であった」方が、肉体をとってわたしたちの間に来られたという受肉の真理が、ここで改めて提示されます。実は、これこそがこの手紙の主題であるのです。長老は、「イエスを肉体をとって来られたキリストであると言い表そうとしない」者たちが、共同体の交わりから出て行ったという事態に直面して、この手紙を書いています(二・一九)。それだけに、「わたしたちが聞いた方、わたしたちが自分の目で見た方、わたしたちがよく見つめ、そして、わたしたちの手が触れた方」という面を強調せざるをえないのです。
 本来その姿は人間の目は見ることができず、その声を聞くことはできず、触れることができない永遠の霊的実在者、「初めから在(いま)した方」が、人の姿をとって世に現れたのです。これが福音書の使信でした。長老は実際に、この方の声を聞き、自分の目で見て、手で触れたのです(原文では一節の代名詞はみな出来事を指す中性形ですが、その出来事が指し示す対象は人格的な実在ですから、あえて「方」と訳しています)。
 長老はこの方を「命の言葉」と呼びます。福音書の序詩では、この「初めから在(いま)した方」が《ロゴス》(言葉)と呼ばれていました。同時に、「彼によって成ったものは《ゾーエー》(命)であった」と言われていました。この《ロゴス》は《ゾーエー》をもたらす《ロゴス》、いや《ゾーエー》そのものであるのです。それで、ここでは一息に「命の言葉」と呼ばれることになります。
 長老は本書でこの「命の言葉について」説こうとします。こうして、本書の主題は「命の言葉」であることが、著者自身によって明示されています。しかし、その命に関わる真理の中で、とくにその命が、その声を聞き、自分の目で見て、手で触れることができるような形で世に「現された」ことが強調されます。
 そして、《ゾーエー》(命)は、(福音書における用例と同じく)ごく自然に、生まれながらの命とは別種の命であることを指し示す「永遠の命」と言い換えられて、本書の主題が福音書の主題と同じであることが示されます。そして、「父と共にいましたが、今やわたしたちに現された」方こそが「永遠の命」であるとして、その方を見、その声を聞き、自分の手で触れた者として、その出来事を証言し、「あなたたちに告げ知らせる」と宣言します。

本書の目的(一・三〜四)

 この「わたしたちはあなたたちにも告げ知らせる」(二節と三節)における「わたしたち」は、著者が「その方を見、その声を聞き、自分の手で触れた者」たちを代表して「わたしたち」と言っています。「あなたたち」は、「わたしたち」の証言を聞く人を広く指しています。特定の範囲の人たち(たとえば異邦人など)に限定する必要はないでしょう。
 長老は、この証言をする目的を、「あなたたちもまた、わたしたちと一緒に交わりを持つようになるためです」と書いています。ここの原文は「わたしたちと交わりを持つようになるため」とも訳せますが、「もまた」という表現があることと、以下に続く説明の文からして、ここは「(この証言を聞く)あなたたちもまた、わたしたちの仲間として、(証言する)わたしたちと同じ種類の交わりを持つようになるため」という意味であると理解すべきでしょう。この証言活動の集大成が福音書です。
 では、「わたしたちの交わり」とはどういう内容の交わりであるのかが、続く文で説明されます。それは「父との交わりであり、御子イエス・キリストとの交わり」です。「父との交わり」と「御子イエス・キリストとの交わり」は、別の交わりではなく一つです。わたしたちは「御子イエス・キリストとの交わり」に入ってはじめて、「父との交わり」を持つことができるのです。キリストにあってはじめて、わたしたちは御霊によって「アバ、父よ」と呼び、子として父との交わりを持つことができるのです(ローマ八・一五)。これは、福音書(一四・六)が「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」と言っていることです。
 長老は改めてこの文書を書き送る目的を、「わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです」と述べます。ここを「あなたたちの喜びが満ちあふれるようになるため」と読む写本もあります。たしかに、こう読む方が理解しやすいようです。しかし、理解しにくい読み方が理解しやすい読み方に変えられるという写本の傾向からすると、「わたしたちの喜び」の方が原文であると考えられます。著者は、「わたしたちが」これを書き送ることを強調した上で(原文には強調の代名詞が用いられています)、あなたたちがこの証言を受け容れてくれることによって、書き送る「わたしたちの」喜びが満ちるのだと言っていることになります。
 あるいは、書き送る「わたしたち」と聞く側の「あなたたち」が、この文書の語りかけによって、同じ一つの信仰に達して、書き送る側と聞く側とが新しい一つの交わりを形成して、その「わたしたちの」喜びが満ちるようになることを願っているとも解釈できます。この手紙が、共同体の分裂(二・一九)に際して書かれたものであることを考慮すると、この解釈も考えすぎではないと思われます。