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第三節 イエスの埋葬

63 イエスの埋葬(19章 31〜42節)

 31 その日は準備の日であり、その時の安息日は大祭の日であったので、安息日にからだを十字架上に残さないため、ユダヤ人たちはピラトに彼らの脚を砕いて、からだを取り除くように求めた。 32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との脚を砕いた。 33 ところが、イエスのところに来てみると、すでに死んでおられるのを見て、その脚を砕くことはしなかった。 34 ところが、兵士の一人がイエスの脇腹を槍で刺した。すると、すぐ血と水が流れ出た。 35 それを目撃した者が証しをしてきた。彼の証しは真実であり、その者は自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたたちもまた信じるようになるためである。 36 これらのことが起こったのは、「彼の骨は砕かれることがないであろう」とある聖書が成就するためであった。 37 また、聖書は別の所で、「彼らは自分たちが刺した者を見つめることになる」と言っている。
 38 ところで、これらのことの後、アリマタヤ出身のヨセフが、イエスのからだを取り降ろしたいとピラトに願い出た。ヨセフはイエスの弟子であったが、ユダヤ人たちを恐れて隠していたのであった。そこで、ピラトは許可した。 39 以前夜中にイエスのもとに来たことがあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜたものを百リトラほど携えて、やって来た。 40 彼らはイエスのからだを引き取って、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料を添えて亜麻布で包んだ。 41 イエスが十字架につけれらた所には園があり、その園にはまだ誰も葬られたことがない新しい墓があった。 42 ユダヤ人の準備の日であり、その墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

遺体の取り降ろし

 その日は準備の日であり、その時の安息日は大祭の日であったので、安息日にからだを十字架上に残さないため、ユダヤ人たちはピラトに彼らの脚を砕いて、からだを取り除くように求めた。(三一節)

 イエスが十字架上に死なれたのは「準備の日」でした。「準備の日」というのは、安息日とか大祭の前日で、祭儀のための準備をする日のことです。ところが、「その時の安息日は大祭の日であった」とありますが、ここでの「大祭の日」は過越祭の日を指します。過越祭の日付はニサンの月の一四日と決まっていますから、その年はたまたまその大祭の日が安息日になっていたことになります。イエスが十字架につけられたのは(ヨハネ福音書では)過越の小羊がほふられる「過越の準備の日」であり(一八・二八参照)、それが金曜日の午後になり、その日没から土曜日の安息日が始まることになります。
 律法(申命記二一・二二〜二三)は、木にかけられた者の死体はその日のうちに(すなわち日没までに)埋めるように命じています。この規定は安息日とか祭日とは関係ありませんが、とくにこの場合は日没から始まる翌日が安息日であり、かつ大祭であったので、聖なる土地を死体で汚さないために、この律法規定を守ることが重視されました。それでユダヤ人たちはピラトに「(十字架から)からだを取り除くように」求めます。

マルコは死なれた後のイエスのからだについては「遺体」《プトーマ》という別の用語を使っているのに対して、ヨハネはずっと「からだ」《ソーマ》を使っています。それで、訳でも「遺体」を避けて、「からだ」を用いています。原文では複数形の「からだ」で、「残る」という述語動詞は三人称単数形であるので、著者はおもにイエスのからだのことを念頭に置いて書いているとも考えられますが、すぐ後に「彼らの脚」とあることから、やはり三人のからだと理解すべきであると考えられます。英訳などは複数形にしています。

 そのさい、彼らは「彼らの脚を砕いて」からだを取り下ろすように求めています。これは、受刑者が仮死状態や気絶から息を吹き返して逃走することを防ぐために、脚の骨を砕いて歩けなくすることが、十字架刑の習慣であったからです。脚を砕くことは死を早めるためであったとする説もありますが、槍で脇腹を突くことに較べると、脚を砕くことが死を早める効果は疑問です。いずれにしても、祭司長たちは三人の脚を砕いて早急に死体を取り下ろすように、ピラトに願い出ます。ピラトは、ユダヤ人たちとの不要の摩擦を避けるためか、これを認めます。

 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との脚を砕いた。ところが、イエスのところに来てみると、すでに死んでおられるのを見て、その脚を砕くことはしなかった。(三二〜三三節)

 イエスの他の二人にはこのように兵士たちが脚を砕きましたが、イエスはすでに息絶えておられましたので、脚の骨を砕くことはしませんでした。共観福音書には、二人の受刑者の脚を砕く記事はありません。

 ところが、兵士の一人がイエスの脇腹を槍で刺した。すると、すぐ血と水が流れ出た。(三四節)

 脚を砕く代わりに、受刑者の死を確実にするため、「兵士の一人がイエスの脇腹を槍で刺し」ます。イエスは、(ヨハネ福音書では)正午以後に十字架につけられ、夕方の前に死なれたので、十字架の上で苦しまれたのは三時間か四時間程度になります。これは、十字架刑においては、例外的に短い時間です。このように、ピラトが不審に思うほど短時間で死なれたので、このような死を確実にするための処置がとられたのでしょう。この記事も共観福音書にはありません。
 槍で脇腹を刺した結果血が流れ出たことは自然に理解できますが、水が流れ出たことはやや異様です。この「血と水」の組み合わせは、(順序は違いますが)ヨハネの第一の手紙(五・六〜八)で強調されており、福音書のこの部分(三四節後半と三五節)は後の編集者(おそらく第一の手紙の著者)による挿入であるとする注解者が多いようです。第一の手紙では、「水と血」は、バプテスマと聖餐を象徴し、救済の手段であるので、十字架の死が救済をもたらす出来事であることを象徴するために、編集者がこの記事を加えた可能性があります。

 それを目撃した者が証をしてきた。彼の証しは真実であり、その者は自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたたちもまた信じるようになるためである。 (三五節)

 「イエスが愛された弟子」がこの福音書の情報源とされているので(二一・二四)、この目撃者もこの弟子と見なければなりません。他の弟子たちは十字架の場所にいませんでしたが、この弟子だけはそこにいたとされています(一九・二五〜二六)。
 十字架上のイエスの脇腹から血と水が流れ出たことを書き記した著者(あるいは編集者)は、この記事が信用できるものであることを強調するために、その場に居合わせてその事実を目撃した者が、そのことを繰り返し証言し続けてきたことを付け加えます(「証しをしてきた」は現在完了形です)。その目撃者は今までずっとその証言を続けてきており、わたしたち(この福音書を生み出したヨハネ共同体)はその証言を聴いてきて、その証言が真実であることを知っているとします(二一・二四)。ここではさらに、「その者」(その目撃者)自身が、「真実を語っていることを知っている」とされ、その目撃者の信頼性が保証されます。
 ここの「その者」は、「目撃した者」とは別の人物を指すと見て、「あの方は、彼(目撃者)が真実を語っていることを知っている」と理解する説もあります。その場合、「あの方」はイエスを指すことになります。これは洗礼と聖餐という二つのサクラメントが、愛弟子とイエスの二重の権威によって保証されていることを語るためだとされます(NTDのシュルツ)。
 このように、この記事が目撃者の真実な証言によるものであることを強調したのは、「あなたたちもまた信じるようになるため」であると、その意図が説明されます。この「あなたたち」は、ヨハネ共同体でイエスのことを聴いている人たち、この福音書の読者たちを指していると見られます。このような人たちがイエスの十字架の死の意義を理解して受け入れるようになるために、著者はこの目撃者の証言の真実なることを特記して強調します。

 これらのことが起こったのは、「彼の骨は砕かれることがないであろう」とある聖書が成就するためであった。また、聖書は別の所で、「彼らは自分たちが刺した者を見つめることになる」と言っている。(三六〜三七節)

 この記事は本来三三節〜三四節前半に続いています。兵士たちがイエスの脚を砕かなかったことと、イエスの脇腹を槍で刺したという事実が、聖書の成就であることを確認するために、それを預言する聖書の箇所が二カ所引用されます。
 「彼の骨は砕かれることがないであろう」は、詩編三四・二一の引用です。七十人訳ギリシャ語聖書では、少し違った表現で三三・二一にあります。なお、出エジプト記一二・四六に、過越の小羊について、「その骨は折られないであろう」(直訳)とあります。ヨハネは、過越の羊が屠られる時刻に十字架につけられたイエスこそ、過越祭の成就であるとしているので、過越の羊の骨についての律法が成就したとしていることになります。
 「聖書は別の所で」というのは、ゼカリヤ一二・一〇に、「彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ」とあるのを指しています。ヨハネ黙示録一・七にもこの預言が響いていますが、そこでは「雲に乗って」来臨される方について語られています。それに対してヨハネ福音書では、そのような黙示思想的な関連はなく、イエスの遺体が槍で刺されたことが、この預言の成就であるとして引用されています。

イエスの埋葬

 ところで、これらのことの後、アリマタヤ出身のヨセフが、イエスのからだを取り降ろしたいとピラトに願い出た。ヨセフはイエスの弟子であったが、ユダヤ人たちを恐れて隠していたのであった。そこで、ピラトは許可した。(三八節)

 アリマタヤはエルサレムから北西へ40キロほどにある地中海近くの町です。マルコ(一五・四三)はヨセフを「アリマタヤ出身の名望ある議員」としていますが、ヨハネは彼の身分には触れず、出身地だけをあげています。しかし、ピラトに直接願い出ることができる立場の人物であるので、マルコが伝える通り「議員」であることは間違いないでしょう。最高法院を構成する祭司長、長老、律法学者の三つの階級の中の、地域を代表する「長老」階級の議員であったと見られます。
 ヨセフやニコデモなどのように、最高法院の議員の中にも「隠れた弟子」がいました(一二・四二〜四三参照)。この福音書の著者自身も「大祭司の知り合い」(一八・一五)としてエルサレムの上流祭司階級の出身である可能性があります。しかし、著者は別にして、これら議員など上層階級の者は、イエスを信じていても、「ユダヤ人を恐れて」、すなわちユダヤ教指導層や会堂勢力のユダヤ人からの異端追及を恐れて、イエスに対する信仰を言い表すことなく、その信仰を内心に隠していました。
 しかし、ヨセフがイエスの遺体の取り下ろしと埋葬をピラトに願い出たことは、勇気のいる行動です。これまではユダヤ人を恐れてイエスへの信仰を隠していましたが、この時に及んで、自分が異端者としてユダヤ教から追放されたイエスの仲間であることを公然と表明する行動に踏み切ります。この時、ヨセフの内面に神の働きかけがあったとしなければなりません。
 ピラトはこのヨセフの願いを許可します。これは、すでに安息日が始まる日没までに遺体を取り下ろしたいと願い出た祭司長たちの願いを認めたのですから、とくに拒否する理由はなかったはずです。

 以前夜中にイエスのもとに来たことがあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜたものを百リトラほど携えて、やって来た。(三九節)

 ニコデモも議員です。彼は以前、夜中にイエスを訪れ、神の国に入ることについてイエスと問答をしています(三・一〜二)。ニコデモは、ヨハネ福音書ではすでに、この夜中の問答(三・一〜一〇)と、イエスの訴追を始めるには本人から事情を聴く必要があると最高法院で弁論している場面(七・五〇〜五二)と二回登場しています。ここは三回目の登場になります。
 ニコデモは「没薬と沈香を混ぜたもの百リトラ」をもってやって来ます。ユダヤ人の埋葬では、遺体を安置する横穴に香料を添える習慣がありました。その習慣に従って、埋葬する横穴墓地に添えるために、百リトラもの香料を持ってきます。「リトラ」は重さの単位で約三二六グラムですから、百リトラは約三三キログラムになります。ニコデモがこのような高価な香料を大量に持ってきたことは、ニコデモが富裕な議員であることを示していますが、同時にイエスに対する秘めた熱い思いをも示していることになります。

 彼らはイエスのからだを引き取って、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料を添えて亜麻布で包んだ。(四〇節)

 当時の「ユダヤ人の埋葬の習慣」では、先ず遺体を亜麻布でくるみ、人が立って入れるほどの横穴式の墓室に安置します。遺体の側に、死臭を防ぐための香料を置きます。数日の服喪の後、遺体を墓室の壁面に水平に掘られた小さい横穴に入れて、その入り口を塞ぎ、一年ないし二年経って遺体が腐食して骨だけになった段階で、その骨を石灰石でできた小さい骨箱に移し、その骨箱に故人の名前や墓碑を刻んで、そのための場所に安置します。エルサレムの近郊には、このような骨箱を安置する場所が数カ所あったようです(詳しくは次章で)。

この名前や墓碑を刻んだ骨箱の発掘調査は、当時の社会の様子を知るための貴重な考古学資料となっています。

 ここの「彼ら」には、ヨセフとニコデモが含まれますが、その他に誰がいたかは特定されていません。十字架の側にいた五人、すなわち、彼の母、彼の母の姉妹、クロパの妻マリア、マグダラのマリアと愛弟子の五人(二五〜二六節)は、当然含まれるでしょう。彼らは「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」イエスの遺体を丁重に葬ります。
 マルコ(一六・一)では、香料はイエス(の遺体)に「塗る」ためとありますが、ヨハネの「香料を添えて」という表現の方が正確でしょう。三三キログラムの香料は、一遺体に塗るには量が多すぎます。香料は遺体の防腐処理ではなく、そばに置いて死臭を防ぐためのものであったと見られます。もちろん、遺体を亜麻布で包むときにも香料を用いたことは、十分ありえます。

 イエスが十字架につけれらた所には園があり、その園にはまだ誰も葬られたことがない新しい墓があった。(四一節)

 マタイ(二七・六〇)だけが、その墓がヨセフのものであったことを伝えています。他の福音書は(ヨハネ福音書を含めて)たまたま近くにあった墓としています。遠く離れたアリマタヤの人がエルサレムに墓を持つことは不自然だとする見方もありますが、当時敬虔で資産のあるユダヤ人は聖都エルサレムに墓を持つことに憧れていたので、ヨセフがエルサレム近郊に墓を持っていた可能性は十分にあります。しかし、だれの墓であるかはこの物語では重要ではなく、その墓が「まだ誰も葬られたことのない新しい墓」であることが重要です。そうでなければ、イエス復活の告知において、墓が空であったことにならず、その墓にある遺骨がイエスのものでないことを証明しなければならなくなるからです。

 ユダヤ人の準備の日であり、その墓が近かったので、そこにイエスを納めた。(四二節)

 「準備の日」については、三一節の講解を参照してください。安息日であり大祭の日である翌日が始まる日没までに、遺体を墓に安置しなければなりません。それで、近くにあった「まだ誰も葬られたことがない新しい墓」に、急いでイエスの遺体を納めます。「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」とか「ユダヤ人の準備の日であったので」とか、この福音書には異邦人に、それがユダヤ人の習慣であることを説明する句がよく用いられています。