市川喜一著作集 > 第16巻 対話編・永遠の命U > 第15講

第三節 ローマ総督による裁判

60 ピラトの法廷 (18章 28〜40節)

 28 さて、彼らはイエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。早朝であった。彼らは汚れを受けることなく過越の食事をするために、自分たちは官邸に入らなかった。 29 そこで、ピラトは外にいる彼らのところに出て来た。そして言う、「この男について何の訴えを持ってきたのか」。 30 彼らはピラトに答えて言った、「この男が悪事を働く者でなかったら、貴下に引き渡すことはないのです」。 31 そこでピラトが彼らに言った、「自分たちでその者を引き取って、自分たちの律法で裁くがよかろう」。ユダヤ人たちは言った、「われわれは誰ひとり処刑することも許されていません」。 32 それは、御自分がどのような死に方で死ぬことになるのかを示そうとして語られたイエスの言葉が成就するためであった。
 33 そこで、ピラトは再び官邸に入り、イエスを呼び出して言った、「お前がユダヤ人たちの王であるのか」。 34 イエスはお答えになった、「あなたが自分からそう言うのか。それとも、他の者たちがあなたにわたしのことをそう言ったのか」。 35 ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人であるものか。お前の国の者と祭司長たちがお前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか」。 36 イエスはお答えになった、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの部下たちはわたしがユダヤ人たちに渡されないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はここから出たものではない」。 37 そこでピラトはイエスに言った、「では、お前は王なのか」。イエスはお答えになった、「わたしが王だと言うのはあなただ。わたしは真理に証を立てようとして、そのために生まれ、そのために世に来た。真理からの者はみな、わたしの声を聴く」。 38 ピラトはイエスに言う、「真理とは何か」。
 こう言って、ピラトは再びユダヤ人たちの前に出て来て言う、「わたしはこの者に何の咎も見出せない。 39 ところで、過越祭にはあなたたちのために一人を釈放する慣例がある。それであなたたちは、わたしがあのユダヤ人の王を釈放することを願うか」。 40 すると、彼らは再び叫び出して言った、「この男ではなく、バラバを」。バラバは強盗であった。

ピラトへの引き渡し

 さて、彼らはイエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。早朝であった。(二八節前半)

 先に「アンナスはイエスを縛ったまま、大祭司カイアファのところに送った」(二四節)とありました。その年の大祭司カイアファの下に開かれた最高法院の議事のことは全然触れられないで、イエスはすぐに総督ピラトがいる総督官邸に連れて行かれます。そして、その時刻は「早朝であった」と報告されます。
 当時属州シリア(パレスチナも含まれる)を統治する総督の官邸(総督府)はカイサリアにありましたが、全国のユダヤ人がエルサレムに集まる過越の大祭などの時には、都の治安維持のために、総督はエルサレムに滞在しました。神殿域の北西角に「アントニアの砦」と呼ばれる一段と高い建造物がありますが、総督はエルサレム滞在中ここで執務したと推察されます。あるいは、ヘロデの宮殿に滞在したという見方もあります。いずれにせよ、総督の執務所が「総督官邸」(プラエトリウム)と呼ばれていました。イエスは、カイアファのところ、すなわちカイアファの下に開かれた最高法院から、この総督官邸に引いて行かれます。
 共観福音書では、「夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと一緒に、全最高法院で議決をして、イエスを縛って引き出し、ピラトに引き渡した」(マルコ一五・一私訳)となっています。その記事が、夜明けと共に始まった最高法院での正式裁判を意味するのであれば、そこですぐに死刑判決を出して、まだ「早朝」と言える午前の早い時刻にピラトに引き渡したことになります。ピラトの判決は「正午ごろ」になります(一九・一四)。夜には正式の法廷は開くことが(律法で)許されていませんから、アンナスの屋敷での夜の尋問はあくまで予審に過ぎず、夜が明けてから正式の最高法院の法廷が開かれ、そこで死刑の判決がなされたと見なければなりません。
 カイアファの下で開かれた最高法院の法廷については、共観福音書が裁判の成り行きを詳しく報告しているのに較べると、ヨハネ福音書が何も伝えていないことが目立ちます。アンナスの屋敷での予審も含め、ヨハネ福音書はユダヤ教側の裁判の内容をほとんど伝えていません。最高法院での裁判は、議員だけしか法廷に入れないので、その成り行きの詳細を知ることは、部外者にとって、とくに敵視されている信徒の共同体にとってきわめて難しいと考えられます。ヨハネは、確かな情報がないのでユダヤ教側の裁判については、裁判があった事実を報告するだけで、その内容まで立ち入らなかったと見てよいでしょう。すると、むしろ共観福音書における最高法院での裁判の記事が、最初期の共同体とかマルコの構成によるものではないかという視点から検討されなければならないことになります。

 彼らは汚れを受けることなく過越の食事をするために、自分たちは官邸に入らなかった。(二八節後半)

 ユダヤ人にとって異邦人との接触は祭儀上の汚れとされていました。それで、その日の日没に続いて行われる過越の食事を汚れのない状態でするために、「自分たちは官邸に入らなかった」とあります。ということはイエスだけを官邸の中に押し入れて、自分たちは官邸の外に留まり、外から訴えを叫んだことになります。
 この記事からすると、ピラトの裁判とイエスの処刑は過越の食事の前に行われたことになります。すなわち、ヨハネ福音書によれば、(日没から一日が始まるユダヤ暦によれば)過越の食事の前日、準備のために子羊が屠られる日、「過越祭の準備の日」になります。一九章一四節は明確にそう記述しています。この日付は、過越の食事をした後、逮捕、裁判、処刑が行われたとする(すなわち、過越祭の当日とする)共観福音書と食い違います。この一日の食い違いは調停困難です。

この裁判と処刑の日付が違う問題は、最後の食事の性質とも関連しますので、「告別説教」の講解に入る前に詳しく取り扱いました。本書10頁以下の「最後の食事の日付」の項を参照してください。

 そこで、ピラトは外にいる彼らのところに出て来た。そして言う、「この男について何の訴えを持ってきたのか」。(二九節)

 イエスを訴えるために来たユダヤ教側の祭司長たちは官邸の中に入ろうとしないので、やむなく総督ピラト自身が外に出て来て、彼らの訴えの内容を尋ねます。

 彼らはピラトに答えて言った、「この男が悪事を働く者でなかったら、貴下に引き渡すことはないのです」。(三〇節)

 ピラトの問に対して祭司長たちは、自分たちがこの男の悪事を十分確認したので、最終的な判決を得て処刑してもらうために、総督に引き渡すのだと答えます。

 そこでピラトが彼らに言った、「自分たちでその者を引き取って、自分たちの律法で裁くがよかろう」。ユダヤ人たちは言った、「われわれは誰ひとり処刑することも許されていません」。(三一節)

 ピラトはその答えを引き取って、「では(=自分たちで十分調べて悪事を確認したのであれば)、自分たちでその者を引き取って、自分たちの律法で裁くがよかろう」と突き放します。「悪事を働く者」に対する裁判権は、最高法院などのユダヤ教体制に認められているのであるから、そこで裁判をするがよい、とピラトは突き放すわけです。ピラトにすれば、訳の分からない「律法(ユダヤ教)」内の紛争に関わることにうんざりしていたのでしょう。
 それに対して、「ユダヤ人たち」は言います。ここでイエスを訴えたユダヤ教指導層の者たちが「ユダヤ人」と呼ばれていますが、ここにもユダヤ教団と対抗するヨハネ共同体の厳しい姿勢が顔を覗かせています。彼らはこう言います。「われわれは誰ひとり処刑することも許されていません」。
 ここの「処刑する」の原語の動詞は「殺す」です。死刑の判決を出すことではなく、実際に処刑することを指しています。当時、最高法院に死刑執行権がなかったというこの証言については議論があります。しかし、もし死刑執行権があるのであれば、ピラトに引き渡す必要はないのですから、これは歴史的事実であるとしなければなりません。同じ属州シリアの中でも、ガリラヤなどの「領主」は死刑執行権を認められていました(ヘロデ・アンティパスは洗礼者ヨハネを処刑しています)。また、少し後ではユダヤでも、ローマから王とされたヘロデ・アグリッパ一世(在位41〜44年)は、十二人の中の一人であるゼベダイの子ヤコブを逮捕処刑しています(使徒一二・一〜二)。しかし、6年の反乱以来イエスの時代のユダヤは総督直轄領となっており、死刑執行権は総督だけにあったとされます。これは、ローマ側につく者を現地の権力が処刑することを防ぐ意味もあったとされています。

 それは、御自分がどのような死に方で死ぬことになるのかを示そうとして語られたイエスの言葉が成就するためであった。(三二節)

 イエスは先に「わたしが地から上げられるならば、すべての人をわたしのもとに引き寄せるであろう」と言って、「自分がどのような死を遂げようとしているかを、しるしとして示そうとしてこう言われた」とされています(一二・三二〜三三)。ここで祭司長たちがピラトにイエスの処刑を求めたことは、イエスがユダヤ教式の石打の刑ではなく、ローマ式の十字架刑によって死なれることになるための行動とされています。イエスは「自分がどのような死を遂げようとしているか」も予め知っておられて、それに身を委ねられるのだと、この福音書は解説します。なおこの福音書では、「上げられる」という用語が、十字架につけられて地から上げられるという意味と、復活して天に上げられるという意味の二つが重なっていることについては、これまでに度々見てきた通りです。

イエスとピラトの問答

 そこで、ピラトは再び官邸に入り、イエスを呼び出して言った、「お前がユダヤ人たちの王であるのか」。(三三節)

 一度外に出て訴えるユダヤ人たちと問答したピラトは、「再び官邸に入り」、イエスと一対一で対面します。ここから三八節前半までは、イエスとピラトとの一対一の対話になります。対話によって福音を提示しようとするこの福音書の姿勢はここでも貫かれています。
 ここまで祭司長たちがどういう内容の訴えをしたのか語られていませんが、この質問からユダヤ人たちは、イエスが自分は王であると称して民衆の反ローマ運動を扇動する者として訴えたことが分かります。ユダヤ人たちはイエスを神を汚す律法違反の異端者として死刑判決を下していながら、ローマ総督に訴えるときは政治的な反逆者として訴えます(ルカ二三・二)。ローマ人がユダヤ教の宗教問題に理解も関心もないことをよく知っているからです。このピラトの質問は、裁判の焦点として共観福音書にも同じ言葉で伝えられています(マルコ一五・二と並行箇所)。

 イエスはお答えになった、「あなたが自分からそう言うのか。それとも、他の者たちがあなたにわたしのことをそう言ったのか」。(三四節)

 共観福音書では、「お前がユダヤ人たちの王であるのか」というピラトの質問に、イエスは「あなたが(それを)言う」とだけ答えておられます。これは「あなた」が強調された文で、「そう言うのはあなたの方だ」(私訳)という意味です(新共同訳は「それはあなたが言っていることです」)。おそらく、これがピラトの尋問に対するイエスの答えとして伝えられた言葉であろうと見られます。ヨハネはそれに「あなた自身から」という句を加え、「他の者があなたに言ったのか」と対照させて、質問の形にしています。三七節では「わたしが王だと言うのはあなただ」となっています。

 ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人であるものか。お前の国の者と祭司長たちがお前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか」。(三五節)

 イエスの問いかけに対するピラトの答え、「このわたしがユダヤ人であるのか」(直訳)は、「そんなことはあるものか」と、否定の答えを予想し強調する疑問文です。わたしはユダヤ人ではないのだから、お前が王であると考えたり言ったりするはずはない、という意味です。ピラトはイエスの反問に、わたしがそう言うのではなく、お前の同国人たちがそう言ってお前を訴えたのだと答えます。お前の同国人がそう言って訴えるからには、お前がそれに相当する何かをしたからだろう。いったい何をしたのか、と問いただします。

 イエスはお答えになった、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの部下たちはわたしがユダヤ人たちに渡されないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はここから出たものではない」。(三六節)

 イエスは、「わたしの《バシレイア》(王の支配、王国)」という表現を用いて答えておられます。イエスの宣教が「神の《バシレイア》」を主題としていたことは、共観福音書が繰り返し詳しく伝えています。それに対してヨハネ福音書では、この《バシレイア》という用語はほとんど出てきません。三章(三節と五節)に二回と、本節の三回だけです。しかし、ヨハネもイエスの宣教の内容が「神の《バシレイア》」であり、イエスがこの《バシレイア》をいう語を繰り返し使われたことをよく知っています。ユダヤ人たちも、イエスがこの語を用いられたことを利用して、イエスが自分を王と主張したと訴えたのでしょう。その語を用いて、ヨハネはイエスとピラトの対話を構成します。
 「お前は王であるのか」というピラトの質問に、イエスは「たしかに、わたしは《バシレイア》(王としての支配)を説いた。しかし、わたしの《バシレイア》はこの世のことではないのだ」と答えておられるのです。イエスは、「わたしの《バシレイア》はこの世からのものではない」(直訳)と答えておられます。この世から出たもの、この世に起源をもつもの、この世に属すもの、この世の事柄ではないという意味です。もしわたしの支配がこの世のことであるならば、敵対するユダヤ教勢力に引き渡されたら実現できないのだから、部下たちがそうならないように戦ったであろう。しかし事実、わたしも部下も戦うことなく、わたしはユダヤ人たちの手に身を委ねた。この事実が、わたしの《バシレイア》がこの世のことではないと証明している、とイエスは答えられます。そのことがもう一度、「わたしの《バシレイア》はここ(地)から出たものではない」と、表現を少し変えて繰り返されます。

 そこでピラトはイエスに言った、「では、お前は王なのか」。イエスはお答えになった、「わたしが王だと言うのはあなただ。わたしは真理に証を立てようとして、そのために生まれ、そのために世に来た。真理からの者はみな、わたしの声を聴く」。ピラトはイエスに言う、「真理とは何か」。(三七節〜三八節前半)

 ピラトにとって「この世のことではない支配」というようなことは理解できません。支配とは一つしかありません。この世で誰が支配するのか、ローマ皇帝か、誰か他の者か、それだけが問題です。イエスが《バシレイア》(王の支配)という言葉を用いて「わたしの支配」と言われたので、ピラトは「では、お前は《バシレウス》(王)なのか」と詰問します。
 それに対してイエスは、「わたしが王だと言うのはあなただ」とお答えになります。共観福音書では「あなたが言う」あるいは「言うのはあなただ」という形で伝えられていますが、ヨハネは言う内容を加えて、「わたしが王だと言うのはあなただ」としています。このヨハネの文は、共観福音書の「言うのはあなただ」というイエスの言葉はこの意味で理解されるべきことを指し示しています。
 イエスは自分が王だとは主張されていません。しかし、ピラトはイエスを王の僭称者として処刑します。それは十字架につけられた「罪状書き」からも明らかです。ピラトがイエスを王だと言っているのです。この「お前は王か」と「それを言うのはあなただ」というピラトとイエスの問答は、ピラトの法廷の核心部分です。共観福音書が伝えるように、ピラトの法廷でイエスが発せられた言葉はこれだけだと考えられます。
 最高法院での裁判と違って、ピラトの法廷は公開で行われ、訴える者たちや群衆が取り巻いています。それで、この問答も多くの人が聞き、それを伝えたと考えられます。共観福音書はこの問答の事実だけを伝えていますが、ヨハネ福音書はそれを核として、イエスとピラトの対話を構成しています。官邸内でのイエスとピラトの二人だけの対話は、誰も聞いていないのですから、この対話は著者ヨハネの構成によるものと見ざるをえません。ヨハネは自分が理解しているところ、すなわちイエスの言われる《バシレイア》はこの世のことではないという理解で、このイエスとピラトの対話を構成したと考えられます。
 このことをヨハネはさらに「真理」という彼特愛の言葉(この用語は他の新約聖書の文書に較べてヨハネ文書に圧倒的に多く出てきます)で表現します。イエスが世に来られたのは、この世に支配をうち立てるためではなく、「真理に証しを立てる」ためであるとします。イエスは世に向かって「真理」を語ってこられました(八・四〇、四五、四六)。ですから、「真理からの者(真理から生まれた者、真理に属する者)はみな、わたしの声を聴く」のですが、真理に属さない者、真理に無縁な者はイエスの声を聴くことができません。まことの羊飼いに属さない羊は、その羊飼いの声を聞き分けることはないのです。
 こうして、イエスは生死をかけた裁判の場で、「真理に証しを立てる」ことを貫かれます。ヨハネはピラトの前で証しを立てられたイエスをこのように描きます。
 ピラトは「真理とは何か」と尋ねます。この問いには、イエスはもはや答えられません。それは言葉で解説できるものではないからです。真理を体現するイエスと、真理の外にいるピラトの対話はここで終わります。

バラバ釈放の要求

 こう言って、ピラトは再びユダヤ人たちの前に出て来て言う、「わたしはこの者に何の咎も見出せない」。 (三八節後半)

 ここから四〇節までは、内容的には一九章(一〜一六節)のピラトによる死刑判決を描く段落に属します。その箇所と一緒に講解すべきところですが、伝統的な章分けに従って、一八章の一部としてここで見ておきます。本来ならば、ここで章を分けるべきであり、伝統的な章分けは適切ではないようです。
 イエスと一対一の対話を終えて、ピラトは再び官邸の外に出て来て、訴えているユダヤ人たちに宣言します。「咎」と訳した原語は、裁判に訴える理由を指す語です。ピラトはイエスに何の訴追理由も見出せないとして釈放しようとします。

 「ところで、過越祭にはあなたたちのために一人を釈放する慣例がある。それであなたたちは、わたしがあのユダヤ人の王を釈放することを願うか」。(三九節)

 ところが、あくまでもイエスの処刑を求めるユダヤ人たちの気勢に押されたのか、ピラトは別の釈放理由を提案します。神殿勢力の代表者たちはイエスを訴えているが、民衆はイエスを慕っていて、イエスの釈放を求めるであろうとピラトは予想したのでしょう。
 この「過越祭に(ユダヤ人の囚人)一人を釈放する慣例」は、ローマ側の資料にもユダヤ教側の資料にも記録がないので、歴史的事実であったかどうか疑問視されています。しかし、6年にユダヤがローマ総督直轄領になったとき、最高法院から死刑執行権が取り上げられた代償に、このような特赦の権利が与えられた可能性があります。あるいは、31年にピラトの後盾であり反ユダヤ主義者のセヤヌスが失脚するのですが、その前後の時期にピラトは自分の地位を護るためにユダヤ人の歓心を買う必要を感じていたので、このような特赦を与えていた可能性もあります。

 すると、彼らは再び叫び出して言った、「この男ではなく、バラバを」。バラバは強盗であった。(四〇節)

 ピラトの予想に反して、裁判の場に押し寄せていた群衆は「この男ではなく、バラバを」と叫びます。著者は「バラバは強盗であった」と説明を加えています。「強盗」の原語《レーステース》は、たしかに「強盗」という意味の語ですが、反ローマの武装革命家をローマ側がこう呼んで逮捕処刑しました。イエスと一緒に十字架刑に処せられた二人もこう呼ばれています。「暴徒」と訳してもよいでしょう。たんなる物取り強盗の類ではなく、宗教的な動機から支配者であるローマの権力に武力をもって反抗した運動家たちを、ローマ側がこのような蔑称で呼んだのです。事実、彼らの中には軍資金を得るために、金持ちを襲うという強盗行為をした者もあったようです。
 バラバもこのような暴力主義の運動家でした。「バラバ」という名は、「バル・アッバ」(師父の子)という意味のアラム語で、著名な律法学者の子であったと推察されています。おそらくこれは本名ではなく、指導的な革命家に民衆から敬愛の念をこめて与えられたニック・ネームでしょう。マタイ福音書(二七・一六)のある写本では「バラバ・イエス」と呼ばれています。そうすると、ピラトは群衆に「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」と、選択を迫ったことになります。このとき、ユダヤ人たちが恩恵の支配、愛の王国を説いたナザレのイエスではなく、剣をもって立とうとしたバラバ・イエスを選んだことが、その後のユダヤ人の歴史を決めることになります。