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まえがき

 わたしは学生時代に信仰に入り、聖書を読み始めました。とくに新約聖書は懸命に読みましたが、その中でもヨハネ福音書は感銘深く、何の予備知識もないまま、ギリシア語の原文を大学ノートに筆写しながら、その使信を直接、丸ごと受け取りたいと熱心に読みました。ヨハネ福音書の原文を筆写したのは、そのギリシア語が単純で、初心者にも分かりやすかったからですが、同時にこの福音書の言葉には燃える心に直接深く語りかけるものがあることを感じたからです。
 それから五十年、新約聖書時代の最後にそびえる高峰であるこの福音書を、自分の納得できる日本語で読みたいと願い、ギリシア語の専門家でない限界も顧みず、ヨハネ福音書の全文をギリシア語から日本語に翻訳し、問題点は注記して、私訳のヨハネ福音書を完成しました。そして、その私訳を用いた「ヨハネ福音書講解」を、二〇〇三年から個人福音誌『天旅』に連載し始めました。この「ヨハネ福音書講解」はまだ完了していませんが、この福音書の前半(一〜一二章)を扱う第一部が本年の初めに完成しましたので、独立伝道五十年の節目のこの年に、まずこの第一部を刊行することにいたしました。福音書後半(一三〜二一章)を扱う第二部は、来年に刊行する予定です。
 ヨハネ福音書は、他の福音書と同じく、イエスの生涯や働きをも伝えていますが、この福音書の内容の大部分はイエスと周囲の人たちとの対話で成り立っています。ヨハネ福音書の特色は、この対話の部分にあります。ヨハネ福音書は、この対話によって「永遠の命」、「死んでも死なない命」という霊的現実・宗教的真理を世に証言しようとするユニークな文書です。
 ところで、プラトンが哲学的な真理を追究し、それを世に伝えるのに「対話編」という形をとったことはよく知られています。ヨハネがどれだけプラトンを知り、また意識していたかは分かりませんが、結果としてヨハネはプラトンと同じ対話編という形で、自分が世に提示しようする福音を書いています。それで、「ヨハネ福音書講解」を『対話編・永遠の命』という標題で刊行することにした次第です。もっとも「対話」と言っても、プラトンとヨハネではずいぶん性格が違います。プラトンの場合は、ある命題に対して反対の命題が立てられ、両者を統合してより高い次元の理解に至るという「ディアレクティーク」が対話の本質ですが、ヨハネの場合、対話はしばしば断絶した二つの世界の主張のぶっつかり合いにとどまっています。イエスが代表されるあちら側の言葉と、わたしたちがとどまっているこちら側の現実との間には、論理で超えることができない深淵が横たわっており、わたしたちがこちら側からイエスがおられる命の領域に移るには「信仰の飛躍」が必要です。このささやかな講解が、この飛躍を可能にし、かなたの命の領域にとどまる助けとなることを願って、本書を世に送ります。

二〇〇六年 八月
               京都の古い町並みの中から
                    市 川 喜 一