市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第29講

第二節 人の子が栄光を受ける時

42 時が来た ( 12章 20〜36節)

 20 祭りのとき礼拝するためにのぼってきた人々の中に、何人かのギリシア人がいた。 21 ところで、彼らはガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポのところに来て、「わたしたちはイエスにお目にかかりたいのです」と言って、彼に頼んだ。 22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
 23 イエスは彼らに答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時が来た。 24 アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ。 25 自分の生命に愛着する者は、それを滅ぼし、この世において自分の生命を憎む者は、それを護って永遠のいのちに至る。 26 もし誰かがわたしに仕えようとするのであれば、わたしに従ってきなさい。そうすれば、わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになる。誰かがわたしに仕えるなら、父はその人を尊重してくださるであろう」。
 27 「今わたしの心は騒ぐ。わたしは何と言おうか。父よ、わたしをこの時から救ってください。しかし、わたしはこの時のために来たのだ。 28 父よ、あなたの御名の栄光を現してください」。すると、天から声があった。「わたしは既に栄光を現した。さらに現すであろう」。 29 そばに立っていた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、他の者たちは「天使がこの人に語ったのだ」と言った。 30 イエスは答えて言われた、「この声が起こったのは、わたしのためではなく、あなたたちのためである。 31 今や、この世の裁きの時である。今こそ、この世の支配者は外に投げ捨てられるであろう。 32 わたしが地から上げられるならば、すべての人をわたしのもとに引き寄せるであろう」。 33 イエスは、自分がどのような死を遂げようとしているかを、しるしとして示そうとしてこう言われたのである。
 34 そこで群衆はイエスに答えた、「わたしたちは律法から、メシアはいつまでも留まると聞いています。それだのに、あなたが人の子は上げられると言われるのはなぜですか。この人の子とは誰のことですか」。 35 そこでイエスは彼らに言われた、「まだしばらく、光はあなたたちの間にある。暗闇があなたたちを捕まえることがないように、光のあるうちに歩みなさい。暗闇の中を歩む者は、自分がどこへ行くのか分からないのである。 36 光のあるうちに、光の子となるために、信じて光の中へ入りなさい」。
  イエスはこれらのことを語り、立ち去って彼らから身を隠された。

イエスを求めるギリシア人

 祭りのとき礼拝するためにのぼってきた人々の中に、何人かのギリシア人がいた。(二〇節)
 当時のユダヤ人の間では、「ギリシア人」という呼び方は、必ずしも民族とか国籍の名ではなく、ユダヤ教徒から見た非ユダヤ教徒を指す用語でした。彼らはまだ割礼を受けた正式のユダヤ教徒(ユダヤ人)ではないが(すなわち異邦人であるが)、ユダヤ教の神を敬い、会堂に集まって律法を聴いていたのでしょう。そして、ユダヤ教の大祭である過越祭で神を礼拝するためにエルサレムに巡礼してきたと見られます。このような異邦人は「神を敬う者」と呼ばれていました。もしこのギリシア人がすでに割礼を受けてユダヤ教に改宗している者であれば、彼らはすでに「ユダヤ人」であるので、「ギリシア人」と呼ばれることはありません。ヨハネがここで「ギリシア人」を登場させるのは、イエスの死が異邦人の救済にも関わりがあることを示すためであると見られます。

 ところで、彼らはガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポのところに来て、「わたしたちはイエスにお目にかかりたいのです」と言って、彼に頼んだ。(二一節)

 イエスは地上でお働きになっている時には、ユダヤ人だけに働きかけるのを原則とされました。弟子たちを宣教に派遣するときも、「異邦人の道に行ってはならない。サマリア人の町に入ってはならない」と命じておられます(マタイ一〇・五)。イエスが異邦人と接触されるのはごく例外的な場合だけでした。異邦人の百人隊長がイエスに子の癒しを願ったとき、それを意外なこととして、「このわたしが(異邦人である)お前の子をいやすのか」と答えておられます(マタイ八・七)。また、ティルスで異邦人の女が娘の癒しを求めたときも、「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と答えておられます(マタイ一五・二四)。

百人隊長に対するイエスのお答えは、「わたしが行って、いやしてあげよう」ではなく、驚きを表す疑問文と読むべきことについては、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』121頁の注記を参照してください。

 このギリシア人たちは、イエスの働きを伝え聞いてぜひイエスにお目にかかり、直接その教えを聴きたいと願ったのでしょう。あるいは、病気やその他の問題のために祈っていただきたいと願ったのでしょう。しかし、異邦人の立場で直接イエスのもとに行くことはできないことも承知していて、フィリポに仲介を頼みます。
 彼らがなぜフィリポに頼んだのか、その理由が「ガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポ」という句に示唆されています。フィリポは最初から「ベトサイダ出身」と紹介されています(一・四四)。ここでとくに「ガリラヤのベトサイダ出身であるフィリポ」と出身地が強調されているのは、ギリシア人住民が多いギリシア風の都市であるベトサイダ出身のフィリポがギリシア語をよくしたからであろうと見られます。フィリポという名もギリシア名です。フィリポはギリシア的な素養があるユダヤ人であったのでしょう。あるいは、イエスに会いに来たギリシア人たちはベトサイダの住民であって、フィリポの知り合いであったのかもしれません。

フィリポとベトサイダについて詳しくは、一章四三〜四四節の講解を参照してください。

 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。(二二節)

 アンデレも、フィリポと同じベトサイダの出身です(一・四四)。この両名の仲立ちによって、異邦人はイエスに会うことができるようになったという本節の記事は、異邦人世界に福音を告げ知らせようとしているヨハネ共同体にとって、二人が重要な意義を担う使徒であることを反映していると見られます。
 ここに登場するフィリポは、十二使徒の中の一人ですが、共観福音書では十二人のリストに名を上げられているだけです。ヨハネ福音書ではパンの出来事などイエスとの対話が数カ所伝えられていますが(六・五〜七、一二・二一、一四・八)、その後の福音宣教の働きについては報告されていません。
 ところが、もう一人のフィリポ、すなわち、イエスの復活後エルサレムの原始教団においてギリシア語系ユダヤ人の間から選ばれた七人の中の一人であるフィリポ(使徒六・五)は、サマリア伝道をはじめ、地中海沿岸諸都市での伝道に活躍したことが、使徒言行録(八章)にかなり詳しく報告されています。このフィリポは後にカイサリアに居を定め、シリア州で広く活動したようです(使徒二一・八)。この同名の二人が重なって(混同されて)、初期の教団では「使徒フィリポ」を重視する流れがあったようで、後にグノーシス系文書にフィリポの名による福音書が現れることにもなります。

この二人のフィリポの混同は、すでに二世紀の教父たちに見られます。二世紀後半にエフェソの司教として活躍したポリュクラテスは、小アジアにおける福音伝承の主要な源として「十二使徒の一人のフィリポ」と「主のみ胸に寄りかかったヨハネ」の二人を上げ、前者はヒエラポリスで、後者はエフェソで没したと、ローマ司教あての書簡で書いています。このフィリポは七人のヘレニストの一人であるフィリポが十二使徒のフィリポと混同されて、使徒ではないヨハネよりも先に置かれたと見られます。このヨハネが「長老ヨハネ」として、ヨハネ共同体の指導者であり、ヨハネ福音書の実質的な著者であることについては、拙著『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立について』を、二人のフィリポの混同については、同書の「ヨハネ共同体の場所」の項を参照してください。

 アンデレも共観福音書では名が上げられているだけですが、ヨハネ福音書ではペトロをイエスに導いた人物として重視され(一・四〇〜四二)、ここやパンの奇跡の場面(六・六)で登場しています。ヨハネ福音書ではペトロ以外の弟子が活躍することが多くなっています。
 問題は、アンデレとフィリポは行ってイエスにこのギリシア人たちのことを話しましたが、それに対してイエスがどう対応されたのかが伝えられていないことです。次節に「イエスは彼らに答えて言われた」とあって、有名な「一粒の麦」のたとえが語り出されますが、その「彼らに」がアンデレとフィリポだけを指すのか、二人の紹介を受けてイエスにお目にかかったギリシア人たちも含むのかが決定できません。このギリシア人たちは、その後どうなったのかは全然触れられることなく、ここで姿が消えます。しかし、重要な「一粒の麦」のイエスの言葉を伝えるのに、ヨハネはこのようなギリシア人の来訪という場面を設定したのですから、このイエスのお言葉が異邦人の救いと深く関わっていることは確実です。そう理解しますと、このギリシア人たちもイエスにお目にかかって、「一粒の麦」のお言葉を聞いたとするのが順当でしょう。

「一粒の麦」のたとえ

 イエスは彼らに答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時が来た」。(二三節)

 ヨハネ福音書では、イエスはこれまで、苦しみを受けて天に帰る出来事を「わたしの時」と呼んでこられましたが(二・四、七・六、七・八)、今その「わたしの時」が来たと宣言されます。そして、その「時」を「人の子が栄光を受ける時」と呼ばれます。
 著者ヨハネはこれまで、イエスが受難を経て復活される出来事を「イエスが栄光を受ける」という表現で指してきました(七・三九、一二・一六)。ここではイエスが御自分のことを語られる言葉として、主語が「人の子」になります。ヨハネ福音書も、イエスがご自身のことを語られるときには「人の子」という黙示思想の用語を用いて語られたことを伝える語録伝承の用例を継承しているようです。ヨハネ福音書でも、終末的な救済者としてのイエスの働きや権能を語るところでは、この「人の子」という称号が用いられています。共観福音書も、イエスがご自身の受難を語られるときは、「人の子」を主語にして語られたことを伝えていますが(マルコ八・三一、九・三一)、ヨハネ福音書はそれを「人の子が栄光を受ける時」と表現します。

ヨハネ福音書における「人の子」の用例と意義については、本書118頁以下の「天から降った人の子」の項を参照してください。

 イエスはすでに、この過越祭こそ「人の子が栄光を受ける時」であると心定めて、エルサレムに入っておられます。そして、異邦人がイエスのもとに来たこの時に、イエスはその時が来たことを明確に宣言されます。「イエスは彼らに答えて言われた」とありますが、彼らは何も質問をしていません。イエスは、自分の前に現れた数名のギリシア人に全世界の諸国民の姿を見て、ご自身の死がすべての人のための死であることを、御霊に迫られて語り出されたものと推察されます。

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」。(二四節)

 共観福音書では、人の子が受難することを告知したお言葉の直後に、イエスに従おうとする者は苦難を覚悟し、自分を捨てなければならないという言葉が続きます(マルコ八・三一〜三八とその並行箇所)。ヨハネ福音書もここで、人の子の受難の告知(二三節)に続けて、弟子の覚悟に関わる言葉(二五〜二六節)を語りますが、その間にこの福音書独自の福音告知の形式(アーメン句)を用いて、先行する人の子の受難の意義と、後続する弟子の受難の歩みの両方に関わる「一粒の麦」の比喩を入れて、両者を結びつけます(二四節)。この構成は見事という他はありません。
 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う」で始まる宣言は、これまでに何度も出てきましたが、この福音書がキリストの福音を世に告知するさいに用いる独自の形式です。ここではその福音の告知がたとえの形でなされます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」というのは、わたしたちが日常の中で観察し体験する自然界の事実です。麦粒が地に落ちて発芽する事実を、その麦粒が「死ぬ」と表現することで、これをイエスの死と重ね合わせ、イエスの死がもつ意義を語るたとえにしています。一人のイエスが死なれることによって、多くの人が真実の命に生きるようになるという福音の奥義が、たとえの形で宣言されています。このようにイエスの死の意義を麦の種子をたとえとして語るのはヨハネ福音書だけです。
 実は、福音の事態を種子のたとえで語ることは、初期の福音宣教において広く行われていました。イエスご自身も神の国のこと、すなわち命の世界のことを語るのに種の比喩を多く用いられました。パウロも、福音の核心である復活を語るのに種粒の比喩を用いています(コリントT一五・三五〜三八、四二〜四四)。ヨハネ福音書とそう変わらない時期に成立したと見られる使徒教父文書の一つ、「クレメンスの第一の手紙」(二四・四〜五)も、復活を種の比喩で語っています。その中で、イエスの死の意義を種粒の比喩で印象深く提示したのは、このヨハネ福音書だけであり、この福音書の大きな功績です。
 共観福音書もイエスの死が「多くの人のため」であることを語っていますが、それは「契約の血」という用語が示しているように、旧約聖書の祭儀を背景として表現されています(マルコ一四・二四)。それに対してヨハネ福音書は、地に落ちて死んだ麦粒が多くの実を結ぶという自然界の出来事を比喩として用いて、ユダヤ教徒でなくても誰もが理解できる形でイエスの死の意義を語っています。一人の人イエスが死なれたのは、実にその死によって多くの人が真実の命に生きるようになるためです。
 イエスの十字架の死は、一人の人間の死ではなく、キリストの死、すなわち復活者キリストの死です。復活者キリストがわたしたちすべての者のために死なれ、その死を負った方としてわたしたちに現れるのです(ガラテヤ三・一)。復活者キリストは「十字架につけられたままの姿」で現れるキリストです。このパウロの「十字架されたままのキリスト」《クリストス・エスタウロメノス》を、ヨハネは「栄光を受けたイエス」と表現します。これまで繰り返して見てきたように、ヨハネの「イエスが栄光を受ける」は、十字架を経て復活するイエスを指しています。十字架の死と一体として現れる復活者イエスを指しています。このイエスに合わせられて自分が死ぬとき、人は新しい命、イエスを復活させた命、永遠の命に生き始めます。これは、イエスを信じる者すべてに起こることですから、一人のイエス・キリストの死が多くの人の命となって現れることになります。これが福音の奥義《ミュステーリオン》です。この奥義が、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる。だが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」という比喩で宣言されているのです。

 「自分の生命に愛着する者は、それを滅ぼし、この世において自分の生命を憎む者は、それを護って永遠のいのちに至る」。(二五節)

 ついに人の子の受難の時が来たことを宣言し、イエスの死の意義を「一粒の麦」の比喩で語ったヨハネは、その比喩を真実の命に生きようと願う者に適用して、真の命に至る道を指し示します。
 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままにとどまる」ことになります。そのように、「自分の生命に愛着する者は、それを滅ぼす」ことになります。ここに用いられている「生命(いのち)」の原語は、人間の生まれながらの命を指す《プシュケー》です。「永遠のいのち」の「いのち」《ゾーエー》と区別するために、ここでは「生命」と訳しています。なお、「愛着する」の原語は、肉親などの情愛を示す《フィレオー》ですが、ここでは「生命」に対する情愛であるので、執着という意味も含めて「愛着する」と訳しています。
 この「自分の生命に愛着する」は、次の「自分の生命を憎む」と対照して語られていますから、「憎む」についている「この世において」は、意味の上では「愛着する」にもかかっていると見るべきでしょう。「この世において自分の生命に愛着する者」とは、この世の価値だけを追い求め、そこに生の意味や充実を追い求める生き方です。それは快楽や富や名誉などだけでなく、教養や芸術など内面的な価値も含みます。そのような価値の中だけに自分の生命(プシューケー)の充実を求める者は、地に落ちて死なない種粒が一粒のままにとどまるように、その生命だけにとどまり、それ以外の命を受けることはありません。ところが、その生命《プシュケー》は必ず死にます。それは死に定められた生命ですから、その生命だけにとどまることは、結局生命を滅びに委ねることになります。

この節の「世」の原語は《アイオーン》ではなく《コスモス》です。ヨハネ福音書では、黙示思想的な二つの時代を指す《アイオーン》は用いられず、永遠の天(そこからイエスが来られた世界)に対立する、時間に限界づけられた現在の宇宙秩序として、「このコスモス」が圧倒的に多数用いられています(72回)。

 それに対して、地に落ちて死ぬ種粒が多くの実を結ぶように、「この世において自分の生命(プシューケー)を憎む者は、それを護って永遠のいのち(ゾーエー)に至る」ことになります。「憎む」は「愛着する」の反対です。共観福音書では「自分を捨てる」(マルコ八・三四と並行箇所)と表現されていますが、ヨハネ福音書ではさらに強く「自分の生命を憎む」と表現されます。この表現は、地上の生命が生み出す文化的な諸価値を無視することを求めているのではなく、地上の生命に執着せず、キリストのためには捨てる覚悟をもつことを指しています。
 「この世において自分の生命(プシューケー)を憎む者」とは、この世に生きる主体としての自己が、キリストの死に合わせられて死ぬ者を指しています。これは仏教の厭離穢土の思想とは別です。汚れたこの世を厭い、汚れた世から離れて生きようとする思想とは違います。この思想では、厭い憎むのは穢土であって、生きる主体としての自己はそのままとどまっています。それに対して福音は、この世の価値に生きる自分が死ぬことが、真実のいのちに至る道であることを指し示しているのです。
 キリストの死に合わせられて自分が死ぬ者は、「それを護って永遠のいのちに至る」ことになります。ここの「それを護って」の「それ」は、文法上は「自分の生命《プシュケー》」を指します。しかし、この節全体の内容は、この世における生命(プシューケー)に愛着せず、それを憎み失うことによって、この世に属さない別種の「いのち(ゾーエー)」を得ることですから、《ゾーエー》を得ることが《プシュケー》の意義(わたしたちがこの世に生きた意義)を全うすることになるという意味で、「それを護って」と言われていると理解することができます。

 「もし誰かがわたしに仕えようとするのであれば、わたしに従ってきなさい。そうすれば、わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになる。誰かがわたしに仕えるなら、父はその人を尊重してくださるであろう」。(二六節)

 ヨハネ福音書における「わたし」は、復活者イエスと地上のイエスが重なっていることに留意しなければなりません。二六節は、復活者イエスに仕え、復活者イエスのいのちに生き、復活者イエスを世に現そうとする者は、地上のイエスに従い、地上のイエスが受けた苦難を身に受けて歩む覚悟を求めています。先の二五節とこの節は、共観福音書の「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(マルコ八・三四〜三五)という語録のヨハネ版と言えます。
 イエスの苦難を身に受けて従う者には、「わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになる」という約束が与えられています。「いることになる」という動詞は未来形です。イエスの苦難を身に受けて、イエスに従い仕える者だけが、復活者イエスの霊の次元に生きるようになる、という約束です。この約束は、後で一三〜一六章において詳しく展開されることになります。
 このようにイエスに仕える者は、「父はその人を尊重してくださるであろう」と約束されます。父がイエスを尊重されたように、父はイエスに仕える者を尊重してくださるという約束です。イエスに仕えることによって受ける苦難には、父がイエスに与えられたような復活の命と栄光が、父から与えられます。そういう形で父はイエスに仕える者を「尊重して」くださいます。イエスに仕えるということは、イエスの戒めを守り行うというような倫理道徳の問題ではなく、苦難の中で復活の命を顕すということです。
 そのもっとも典型的な実例は使徒パウロの生涯です。パウロは自分の生涯の体験からこのように告白しています。
 「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために」(コリントU四・一〇〜一一)。
 このように語る使徒パウロこそ、「イエスに仕える」者の典型です。

このように告白するパウロには、「イエス神秘主義」とも言うべき一面があります。このことについては、拙著『パウロによるキリストの福音V』の第二章第二節「復活信仰の具体相」、とくにその中の「イエスの死を負う」(91頁)と、「イエス神秘主義」(94頁)の項を参照してください。

ヨハネ福音書のゲツセマネ

 「今わたしの心は騒ぐ。わたしは何と言おうか。父よ、わたしをこの時から救ってください。しかし、わたしはこの時のために来たのだ。父よ、あなたの御名の栄光を現してください」。(二七〜二八節前半)

 数人のギリシア人が面会に来た場面で、イエスは「時が来た」と宣言され、ご自分の受難の意義を語り出されましたが、その後突然に、「今わたしの心は騒ぐ。わたしは何と言おうか。父よ、わたしをこの時から救ってください」と、ご自身の心情を吐露し始められます。
 「心」の原語は《プシュケー》です。「魂」と訳してもよいでしょう。「心は騒ぐ」とは、魂が震撼し苦悶している様を語り出しています。「栄光を受ける時」が来たとき、イエスがこのようにその魂に深い怖れと苦悩を覚えられたことは、この「栄光」の中には神の裁きの下に死ぬ苦悩が含まれていることを、イエスは予感されているからです。この苦悩は、共観福音書では「ひどく恐れてもだえ始め」と記されています(マルコ一四・三三)。
 イエスは、「父よ、わたしをこの時から救ってください」と祈られます。この文を疑問文と読む読み方もあります。すなわち、先行する「何と言おうか」の内容を示す疑問文として、「父よ、わたしをこの時から救ってください、と言おうか」と理解するのです(RSV、新共同訳をはじめ最近の訳に多い読み方です)。この訳は、イエスは実際にはこう祈られなかったことを示唆しますが、そうすると後続の文との緊張は弱まります。私訳では(協会訳も)、イエスが実際こう祈って直面する苦悩から救われることを切望されたが、同時に直後の言葉でその願いを克服する決意を示されたと理解しています。これは、共観福音書のゲツセマネの記事で、イエスが「この杯を取り除いてください」と祈られた後、「御心が行われますように」と言って、この杯を受ける決意を示された記事と対応することになります。
 イエスは、予想される十字架刑という怖ろしい処刑を恐れてこう祈られたのではありません。多くの殉教者たちが残酷な刑罰を恐れることなく、聖霊の満たしの中で信仰を告白して、従容として死んでいきました。イエスの受難は信仰告白のための殉教ではなく、人間の罪を贖うための贖罪の死です。神の裁きの下に、神から見捨てられ、呪われた者として死ぬのです(ガラテヤ三・一三)。子として父との親しい交わりに生きてこられたイエスにとって、これほどの苦悩はありません。もし自分がこのような苦しみを受けないで人間が救われる方法があるならば、自分から「この杯を取り除いて」別の方法をとってくださいと願わないではおれないのです。
 しかし、イエスはこの願いを、共観福音書では「御心が行われますように」という祈りによって、そしてヨハネ福音書では「しかし、わたしはこの時のために来たのだ」という使命の自覚によって克服されます。ヨハネ福音書は、イエスの死と復活の出来事をイエスが出現されたことの目的としています。イエスご自身が初めからそれを自覚して、それを「わたしの時」という言葉で表現してこられたとしています。共観福音書がイエスの死を「引き渡される」という受動態で語るのに対して、ヨハネ福音書は、イエスが自覚的かつ能動的にこの時に向かって歩まれたことを強調しています。ヨハネ福音書のイエスはこう言われます、「その命をわたしから奪う者はだれもいない。わたしが自分からその命を捨てるのである。わたしは自分の命を捨てる力があり、それを再び得る力がある。この定めを、わたしはわたしの父から受けた」(一〇・一八)。
 使命の自覚でご自分の願いを克服されたイエスは、ただ「あなたの御名の栄光を現してください」と祈られます。この祈りは、「主の祈り」の最初の「父よ、あなたの名があがめられますように」という祈りと同じです。イエスはこの祈りをもって生涯を貫かれた方です。子として父から見捨てられるという苦悩をも、父から与えられた使命を全うすることで、父がその栄光を現されるようになることだけを願う祈りで克服されます。共観福音書のゲツセマネでは、「この杯を取り除いてください」という願いを「御心が行われますように」という祈りで克服されます。ヨハネ福音書では、「この時から救ってください」という願いを「あなたの御名の栄光を現してください」という祈りで克服されます。この両方が「主の祈り」に含まれていることが注目されます。この二つは一つで、イエスの生涯を貫く根本的な祈りです。これは、父の御心と栄光の前に自分を無にする姿勢です。この祈りに、「自分を無にして・・・・・死に至るまで、それも十字架の死に至るまで」(フィリピ二・七〜八)従われたキリスト・イエスの姿が現れています。
 この場面は「ヨハネ福音書のゲツセマネ」と呼ばれています。この場面は、先のギリシア人たちの来訪から続いており、弟子たちも居合わせています。それに、次節では群衆もいたことが語られています。この状況は、連れてきた内輪の三人の弟子からも離れ、夜の暗闇の中でひとり祈られた共観福音書のゲツセマネの場面とは、随分様子が違います。しかし、イエスが苦しみを受ける直前に、心を騒がせ、苦悶の中でその苦しみが取り除かれるように祈られたという事実は共通しています。おそらく実際の出来事としては共観福音書が伝えるような場面があったのでしょう。しかし、ヨハネはその伝承を、自分の福音書の構成の中でこのような形で用います。イエスが十字架の苦難を、けっして殉教者の確信と平安の中で受けとめられたのではなく、神の裁きの下に死ぬ苦悩の中で受けておられるという神秘を垣間見させるこの伝承を、ヨハネも大切にしていることが分かります。その意味でこの箇所を「ヨハネ福音書のゲツセマネ」と呼ぶことは当を得ていると言えます。

天からの声

 すると、天から声があった。「わたしは既に栄光を現した。さらに現すであろう」。(二八節後半)

 このようにイエスが「あなたの御名の栄光を現してください」と祈られたとき、その祈りに応えて天からの声が聞こえました。その声は、「わたしは既に栄光を現した(過去形)。さらに現すであろう(未来形)」という声でした。この声は、父はイエスが行われた多くの「しるし」によって既に栄光を現されたが、これから起こるイエスの死と復活の出来事によって「さらに」大きな栄光を現すことになることを指しています。

 そばに立っていた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、他の者たちは「天使がこの人に語ったのだ」と言った。(二九節)
 天から来た声はイエスだけに聞こえたのではなく、周りの群衆にも聞こえました。その声があまりにも圧倒的な響きで迫ったので、群衆はその天からの声の響きを「雷が鳴った」とか、「天使がこの人に語ったのだ」と感じて、互いに驚きを語り合いました。

 イエスは答えて言われた、「この声が起こったのは、わたしのためではなく、あなたたちのためである」。(三〇節)

 イエスはすでに、ご自分の働きと受難の出来事が父の栄光を現す出来事であることを知っておられます。このときに、このような天からの声が起こったのは、事(イエスの受難)が起こったときに周囲の人たちがイエスを信じることができるようになるためです。
 共観福音書では、イエスがバプテスマを受けたときに「あなたはわたしの愛する子」という天からの声が聞こえます(マルコ一・一一)。また、山上の変容のさいイエスの受難について語られたときに、「これはわたしの愛する子」という声が雲の中から聞こえます(マルコ九・七)。ヨハネ福音書には、その両方ともありませんが、ここで、すなわち受難の直前に、イエスの苦悩の祈りに応えて、天からの声が、イエスこそ神の栄光を現す方であることを、公に宣言します。

上げられる人の子

 「今や、この世の裁きの時である。今こそ、この世の支配者は外に投げ捨てられるであろう」。(三一節)

 本節で二回繰り返される「今」は、「人の子が上げられる時」、すなわち主イエスの十字架と復活が起こった時を指しています。イエスがユダヤ教の宗教法廷とローマの法廷で裁かれて死なれた時、実はイエスを裁いている「この世」が神によって裁かれているのだと、この福音書は宣言します。そして、その裁きの内容を後半で、「この世の支配者たちが外に投げ捨てられる」ことと説明します。
 「この世の支配者」とは、この世《コスモス》を支配している諸霊の頭(かしら)のことです。「支配者」《アルコーン》というのは、当時の宇宙観では、階層をなす諸天(七層と見られる場合が多い)の各層を支配する霊的存在を指しています。パウロ書簡(とくにパウロの名による書簡)にも、「権威」《エクスーシア》と「勢力」《デュナミス》と並んで、宇宙を支配する諸霊として言及されており、後にはグノーシス主義的な文書に多く出てきて、その救済論の中で重要な構成要素となる名称です。ここでは、定冠詞つきの単数形で出て来ますので、そのような諸霊の首領を指し、ヨハネ福音書ではサタンを指しています(一四・三〇、一六・一一)。
 イエスが「上げられる時」、すなわち十字架の死を経て復活者の栄光に上げられるとき、「この世の支配者」は「外に投げ捨てられ」ます。彼は支配の座から追われて、神の支配の領域、神の栄光の領域の外へ投げ捨てられます。キリストの十字架と復活の出来事は、霊的宇宙《コスモス》の支配権が交代する時であるのです。
 ここの「投げ捨てられる」という動詞は未来形です。この支配権の交代は、著者の目にはすでに起こった事実ですが、あくまで死の前に語っておられる地上のイエスの言葉の中では未来形になります。「外へ投げ捨てられる」は、終末の審判によって神の支配から閉め出されることを指すのに、共観福音書にもよく用いられる表現で(マタイ七・二三、八・一二、二二・一三、二五・三〇など)、黙示思想から来ていると見られます。

 「わたしが地から上げられるならば、すべての人をわたしのもとに引き寄せるであろう」。(三二節)

 「地から上げられる」という表現は、ヨハネ福音書においてはイエスが十字架につけられて地面から引き上げられることと、復活して地上から天に引き上げられることの両方を含んでいます。ここでは、突き落とされる石打の刑とは対照的に、地面から高く挙げられた形で処刑される十字架刑が示唆されています。
 恥辱にまみれた十字架刑の死が「すべての人を引き寄せる」という逆説が成り立つのは、その死が栄光の場に上げられた復活者キリストの死であるからです。「すべての人」は、ユダヤ人と異邦人の区別なく、人間である限りのすべての人を指しています。十字架された復活者キリストは、世界の万民を自分のもとに引き寄せ、そのことによって万民を神に立ち返らせる救済者となります。ここではじめて、フィリポとアンデレの仲介でイエスのもとに来ようとしたギリシア人たちの願いが満たされる場が明らかにされることになります。

 イエスは、自分がどのような死を遂げようとしているかを、しるしとして示そうとしてこう言われたのである。(三三節)

 著者ヨハネ(あるいは編集者)は、このイエスの言葉(三二節)に、説明を付け加えます。イエスが「地から上げられる」と言われたのは、イエスが「どのような死によって死のうとしているか」(直訳)を予め語ることによって、ご自分の死が神の御旨の中の出来事であることを「しるし」として示されたのだとします。

 そこで群衆はイエスに答えた、「わたしたちは律法から、メシアはいつまでも留まると聞いています。それだのに、あなたが人の子は上げられると言われるのはなぜですか。この人の子とは誰のことですか」。 (三四節)

 イエスが「地から上げられる」という形でご自分の死を語られたので、それを聴いた群衆は、自分たちが期待しているメシアとは違うといぶかり、答えます。
 「わたしたちは律法から聞いています」いうのは、「聖書から教えられて信じている」の意です。ユダヤ人たちは「メシアはいつまでも留まる」と言っていますが、聖書には直接メシアの永生を語る箇所はありません。おそらくサムエル記下七・一三やイザヤ九・六、詩編八九・三七など、ダビデの王座が永遠であることを予言する箇所が念頭にあるのでしょう。
 当時のユダヤ教におけるメシア待望の内容は様々ですが、少なくとも敵対者から命を奪われて、地から取り去られるメシアはありえません。メシアは神の民イスラエルを支配する異教権力を打ち破って、イスラエルの栄光を回復する指導者でなければなりません。

当時のユダヤ教におけるメシア観については、拙著『マルコ福音書講解U』90頁の「ユダヤ教のメシア待望」の項を参照してください。

 そうであるのに、イエスが「すべての人をわたしのもとに引き寄せる」とメシア的な発言をしながら、ご自分の死について語られるのは理解できません。
 ヨハネ福音書では、イエスはご自分の死を「わたしが地から上げられる」という形で語られることもありますが(三二節)、他の箇所では「人の子」が上げられるという表現で語っておられます(三・一四、八・二八)。共観福音書でも、イエスがご自分の受難について語られるときは「人の子」が主語になっています(マルコ八・三一など)。この事実は、イエスの受難を語る語録伝承では「人の子」を主語としていたことを示しています。ヨハネもこの伝承を用いて、イエスの受難を「人の子は上げられる」と表現しています。
 ユダヤ教において「人の子」とは天から現れる終末的な審判者であり救済者ですから、「上げられる(殺される)人の子」というような考え方は、ユダヤ人には理解できません。ユダヤ人は、十字架につけられたイエスが「人の子」であるという秘義につまずきます。ユダヤ人はイエスに、「あなたが人の子は上げられると言われるのはなぜですか。この人の子とは誰のことですか」と迫ります。これは、十字架につけらたイエスを「人の子」と告知するヨハネ共同体に対するユダヤ教団の反問でもあります。

 そこでイエスは彼らに言われた、「まだしばらく、光はあなたたちの間にある。暗闇があなたたちを捕まえることがないように、光のあるうちに歩みなさい。暗闇の中を歩む者は、自分がどこへ行くのか分からないのである。光のあるうちに、光の子となるために、信じて光の中へ入りなさい」。(三五節〜三六節前半)

 このユダヤ人の質問に直接答えることなく、イエスはご自分を光として告知されます。「わたしは、世にいる限り、世の光である」(九・五)と言われたイエスは、「今しばらくわたしはあなたたちと一緒にいる」(七・三三)とも言っておられます。したがって、地上のイエスの言葉としては、この言葉は「まだしばらく、光としてのわたしはあなたたち(ユダヤ人)の間にいる」という意味になり、この箇所(三五〜三六節)で二回繰り返される「光のあるうちに」は、イエスが地上におられる間に、という意味になります。しかし、世に呼びかける著者ヨハネ(あるいはヨハネ共同体)の言葉としては、「まだしばらく」復活者イエスは光として地上で働いておられる、やがてその働きは終わり、裁きの時が来る、それまでに光としてのイエスを信じるように、という呼びかけの言葉となります。
 復活者イエスが世の光として恵みの働きを進めておられる間に、その光を受けて内に宿し、その光に導かれて歩みなさい(生きなさい)、とイエスは呼びかけられます。それは、著者の世に対する呼びかけでもあります。そうでないと、「暗闇があなたたちを捕まえる」ことになります。「捕まえる」と訳した動詞は、「闇は光に打ち勝たなかった」(一・五)の「打ち勝つ」と同じ動詞です。両方で、「暗闇」は一つの霊的な勢力を指す語として用いられています。暗闇の力に打ち勝たれ、捕らえられると、「暗闇の中を歩む者」となり、「自分がどこへ行くのか分からない」生涯を送ることになります。復活者イエスという光を内に持たない者は、「暗闇の中を歩む者」です。
 人間は、生まれながらのままでは内に真実の光をもっていません。生まれながらの人間は「暗闇の中を歩む者」です。そのようなわたしたちが内に光を宿す「光の子」となるためには、光の中へ自分を投げ入れなければなりません。そのことが、「信じて光の中へ入りなさい」という形で呼びかけられています。この言葉は、直訳すると「光の中へ信じ入りなさい」という形で、この福音書にしばしば用いられる「彼の中へ信じ入る」(believe into Him)と同じです。復活者イエスの中に自分を投げ込み、この方に自分を結び合わせて生きる姿を指しています。

なお、ここの「光の子となるために」という句は、「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて(主にあって)光となっています。光の子として歩みなさい」(エフェソ五・八)と並行しています。この比較は、パウロとの関連、とくにコロサイ書やエフェソ書など「パウロの名による書簡」との深いつながりをうかがわせます。「光の子」は「闇の子」と一対で、クムラン宗団の基本的な用語でした。エフェソ書はクムランの影響が推定されていますが、ヨハネ福音書もクムランの死海文書と同じように、光と闇の厳しい二元論的対立を枠組みとしています。

 イエスはこれらのことを語り、立ち去って彼らから身を隠された。(三六節後半)

 イエスがユダヤ人たちの間から立ち去って「身を隠された」ことは、すでに八章五九節でも語られていました。そこでは、ユダヤ人たちがイエスを石打にしようとしたので、イエスは「身を隠された」のでした。ここでは、石打にしようとする試みはありませんが、激しいメシア観の対立から(三四節)、ユダヤ人群衆は殺気をもってイエスに押し迫ったのでしょう。ここでイエスは最終的にユダヤ人群衆の間から立ち去り、これ以後はもはや「群衆」の前に現れて呼びかけることはなく、弟子たちだけに奥義を語られることになります。
 なおギリシア語底本では、二七節から始まる段落は三六節前半で終わり、この三六節後半は次の段落の導入部として扱われています。新共同訳やNRSV(英語の新改訂標準訳)もこれに従って段落を区切っています。この私訳では旧来の節区分に従い、(八章五九節の場合と同じく)この文を段落の締め括りとして扱います。