市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第28講

第一二章 一粒の麦

       ―― ヨハネ福音書 一二章 ――




第一節 エルサレムに入るイエス

40 ベタニアで塗油を受ける (12章1〜11節)

 1 さて、イエスは過越祭の六日前にベタニアに行かれた。そこにはイエスが死者の中から起こしたラザロがいた。 2 イエスのために夕食の席がそこに設けられ、マルタが給仕していた。ラザロはイエスと一緒に席に着いている者たちの中にいた。 3 すると、マリアが純粋で高価なナルドの香油一リトラをもってきて、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足を拭った。家は香油の香りで満たされた。 4 弟子たちの中の一人で、やがてイエスを引き渡すことになるイスカリオテのユダが言う、 5 「なぜこの香油を三百デナリオンで売って、貧しい人たちに施さなかったのか」。 6 彼がこう言ったのは、貧しい人たちのことが気がかりであったからではなく、彼が盗人であり、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 7 そこでイエスは言われた、「彼女のしたいようにさせなさい。彼女はそれをわたしの葬りの日のために取っておいたのだ。 8 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」。
 9 イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の群衆が大勢でやって来た。それはイエスのためだけではなく、イエスが死者の中から起こしたラザロを見るためでもあった。10 祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。 11 多くのユダヤ人たちが彼のゆえに離れていって、イエスを信じるようになったからである。

ベタニアに戻るイエス

 さて、イエスは過越祭の六日前にベタニアに行かれた。そこにはイエスが死者の中から起こしたラザロがいた。(一節)

 先の一一章の講解で書いたように、過越祭直前のエルサレムの様子を伝える一一章五五〜五七節の段落は、最後の過越祭にイエスがエルサレムに入られることを主題とする一二章の内容に属します。ただ一一章五七節がイエスを殺すことを決意した最高法院の行動に触れていることから、伝統的に最高法院の場面の段落(一一・四五以下)に入れられて、一一章の締め括りとされています。しかしこの段落は、内容からすると本来一二章の一部として扱うべきです。
 そこで見ましたように、過越祭直前のエルサレムは、イエスをめぐる問題で緊迫した状況でした。ラザロのことで、もはやイエスの活動を黙認することはできないとし、イエスを抹殺することを決意した最高法院は、イエスがどこにいるかを知る者があれば届け出るようにという命令を出して、イエスを逮捕するための行動を開始していました。祭りのために各地から巡礼して続々とエルサレムに集まって来たユダヤ人群衆は、このような情勢のエルサレムにイエスは来ないであろうとか、いや、エルサレムに来て何か大きな働きをするだろうとか、イエスの動静を予想したり噂しあって興奮していました。イエスはそのような状況のエルサレムにお入りになるのです。その最後のエルサレム入りが本章(一二章)の主題となりますが、ヨハネ福音書はここで共観福音書とは違う独自の視点でイエスの最後のエルサレム入りを描きます。
 最高法院が自分を殺そうとたくらんでいることを察知されたイエスは、「ユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず、そこ(ベタニア)から荒野に近い地方へ去って、エフライムという町へ行き、弟子たちとそこに滞在され」ます(一一・五四)。イエスはしばらくの間弟子たちと共に山間の隠れ村のような地に身を潜めて過ごされますが、「過越祭の六日前に」なって、再びベタニアに戻って来られます(一節前半)。しばらく身を隠された後、この時期になってあえて危険な地に戻ってこられたのは、過越祭にエルサレムに入るための決意の表れであると推察されます。
 このベタニアには「イエスが死者の中から起こしたラザロがいた」という説明がつけられて(一節後半)、一一章のラザロの出来事と一二章以下のエルサレムでの出来事の関連が改めて指摘されます。

一節後半に用いられている動詞《エゲイロー》は、もともと「起こす」をいう意味の動詞ですが、多くの場合神がイエスを死者の中から復活させた場合に用いられています。それで、「復活させる」と訳される場合が多いのですが、ここではラザロは「復活した」のではないので、「起こした」という本来の意味を示す訳語にしています。新共同訳はここ(と九節、一七節の三箇所)で「よみがえらせる」という訳語を用いています。「復活」と「よみがえり」の相違については、435頁の「生き返りと復活」の項を参照してください。

マリアが香油を注ぐ
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 イエスのために夕食の席がそこに設けられ、マルタが給仕していた。ラザロはイエスと一緒に席に着いている者たちの中にいた。(二節)

 ベタニアに到着されたイエスは、マルタとマリアの姉妹とその兄弟ラザロの家に滞在されます。その家でイエスのために夕食が用意されます(二節前半)。その夕食の席で「マルタが給仕していた」とあるのは、ルカ福音書(一〇・三八〜四二)のマルタとマリアの記事を思い起こさせます。この姉妹に関して、マルタがイエス一行のもてなしに熱心であったという伝承があったのでしょう。
 イエスが受難の直前にベタニアで香油の注ぎを受けられた記事は、マルコ(一四・三〜九)とマタイ(二六・六〜一三)に並行記事があります。マルコとマタイでは、それは「イエスがベタニアでらい病人シモンの家におられたとき」の出来事とされていますが、ヨハネでは姉妹の「マルタが給仕していた」という事実からも、ラザロの家と見なければなりません。
 「ラザロはイエスと一緒に席に着いている者たちの中の一人であった」(二節後半の直訳)とありますが、この夕食の席にラザロがいたことが強調されている点が、マルコ・マタイの並行記事と違う重要な点です。ヨハネはラザロが生き返った出来事をイエスの受難と深く結びつけ、逮捕の直接のきっかけとしています(九〜一一節)。これは、イエスの神殿での過激な行為を直接のきっかけとしている共観福音書と対照的です。

 すると、マリアが純粋で高価なナルドの香油一リトラをもってきて、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足を拭った。家は香油の香りで満たされた。(三節)

 マルコとマタイの並行記事では、イエスに香油を注いだ女性の名は伝えられていませんが、ヨハネはラザロの姉妹の一人マリアであると明示しています。「ナルドの香油」は東アジア原産の植物「甘松香」の根から精製される高価な香油です。「リトラ」は重さの単位で、一リトラは約三二六グラムです。この量のナルドの香油がいかに高価であるかは、ユダがこれを三〇〇デナリオンで売れると言っていることからも分かります。一デナリオンは労働者一日の賃金に相当する額ですから、三〇〇デナリオンはほぼ労働者の一年分の収入に相当することになり、現在の日本では数百万円の価格になります。
 マリアがこの高価なナルドの香油を惜しげもなく注いで、「イエスの足に塗り、自分の髪の毛で彼の足を拭った」ので、「家は香油の香りで満たされ」ます。イエスの足に香油を塗った女性の物語がルカ福音書(七・三八)にもありますが、ルカではその女性は「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」となっています。ヨハネには「涙でぬらし」はありません。ルカではその女性の名は伝えられていませんが、ヨハネではラザロとマルタの姉妹マリアであるとされています。

四福音書の記事の比較

 ところで、一人の女性がイエスに高価な香油を注いだという記事は四つの福音書すべてにありますが、それぞれがかなり違った形で伝えられています。ここでその異同を概観してまとめておきましょう。
 一人の女性がイエスに高価な香油を注いでイエスを信じ慕う真情を吐露したという出来事は、初期の教団に広く伝承されていたと見られます。その伝承をどのように自分の福音書の中に組み入れて用いるかは、それぞれの福音書によってかなり違ってきています。四つの福音書には、主要な三つの型が認められます。第一はルカの型、第二はマルコ・マタイの型、第三はヨハネの型です。
 ルカ(七・三六〜五〇)は、この出来事をイエスのガリラヤ宣教の時期に置き、イエスが罪深い女の罪を赦された美しい物語に仕上げています。したがって、ルカの記事にはイエスの葬り準備という意味はありません。この女性の名前は伝えられていませんが、敬虔なユダヤ教徒であれば触れることができないはずの「罪深い女(汚れた女)」であるという記事から、売春婦のような職業の女性だとされてきました。そして、「七つの悪霊を追い出していただいた女性」という伝承(マルコ一六・九、ルカ八・二)から、この女性はマグダラのマリアであると推定され、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承が形成されるきっかけになりました。実は、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承は、グノーシス主義に対抗するために正統派の教会が意図的に形成した伝承で、かなり後の時代のものです。ルカの記事からこの女性を特定することはできません。
 ルカはマルコを知っているはずですから、この出来事を受難の前に置いたマルコに従わないで、あえてガリラヤ宣教の時期に置いたのは、かなり確実な根拠または理由があったからだと推察されます。むしろ、この女性の伝承を受難の前において、イエスの葬りの備えとしての意義をもたせたのはマルコであると考えられます。
 マタイ(二六・六〜一三)はマルコ(一四・三〜九)に忠実に従っており、マルコ・マタイ型の物語を形成しています。この物語は、出来事を受難日の直前に置いて、イエスの葬りの備えであると意義づけている点で、ルカの物語と大きく違います。それに伴って、香油は足にではなく頭に注がれ、全身にしたたるようになっています。この女性の名前が伝えられていないことは同じです。
 ヨハネもマルコ・マタイと同じく、この出来事を受難の前に置いて、イエスの葬りの準備としての意味をもたせています。ヨハネが共観福音書を知っていたかどうかは議論のあるところですが、少なくともマルコ福音書は知っていたのではないかと見られています。この出来事を受難日の前に置いて、イエスの葬りの備えと意義づけるという点で基本的にはマルコ型ですが、物語の内容はかなり違っています。
 これがベタニアで起こったことは同じですが、マルコ・マタイでは「イエスがらい病人シモンの家におられたとき」のことですが、ヨハネではマルタ、マリア、ラザロの三人の家になっています。場所が違うだけでなく、日付も違います。マルコ・マタイでは過越祭の前日ですが、ヨハネでは過越祭の六日前で、エルサレムにお入りになる前日です。
 マルコ・マタイでは、香油はイエスの頭に注がれますが、ヨハネでは香油はイエスの足に塗られ、髪の毛で拭われます。この点ではヨハネはルカに近い描写になっています。また、文句を言ったのは、マルコ・マタイでは「ある人たち」とか「弟子たち」ですが、ヨハネではイスカリオテのユダであると特定され、ユダの裏切りの行為と関連づけられています。
 何よりも大きな違いは、ルカとマルコ・マタイの両方では女性の名前は伝えられていなかったのに対して、ヨハネではラザロの姉妹マリアであるとこの女性が特定されていることです。
 このように相異なる記事から一つの史実を確定することはできませんし、またする必要もないでしょう。それぞれの福音書がこの伝承を用いて語ろうとしている意図を受け止め、その物語の中に信仰への語りかけを聴くことが重要です。ここではヨハネが語る物語に耳を傾けていきましょう。

ユダの抗議

 弟子たちの中の一人で、やがてイエスを引き渡すことになるイスカリオテのユダが言う、「なぜこの香油を三百デナリオンで売って、貧しい人たちに施さなかったのか」。(四〜五節)

 高価な香油をイエスに注いだ女性の行為に文句を言ったのは、マルコでは「ある人たち」、マタイでは「弟子たち」ですが、ヨハネではイスカリオテのユダであると特定されます。ユダの名がこの福音書に出てくるのは、ここが二回目です。一回目は六章七一節ですが、そこでもユダはイエスが弟子として選ばれた十二人の中の一人でありながら、「イエスを裏切ることになる」者という説明がついています。

「イスカリオテのユダ」という呼び方が何を意味するのかについては議論がありますが、「イスカリオテ」を出身地と見るのが順当であると考えられます。詳しくは、六章七一節「イスカリオテのシモンの子ユダ」についての講解を参照してください。

 著者は、あの裏切り者のユダがこう言ったのだと特記して、この抗議の言葉がいかに邪悪な心から出たものであるかを印象づけます。そして、次節で彼がこう言った動機を説明します。

 彼がこう言ったのは、貧しい人たちのことが気がかりであったからではなく、彼が盗人であり、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。(六節)

 著者は、ユダが「金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていた」ことを「盗人である」として、彼が香油を三百デナリオンで売ることを主張した動機としています。すなわち、香油を売った金で、彼がごまかした会計の穴埋めをしようとしたとするのです。
 イエスが選ばれた十二弟子の中の一人がイエスを裏切ったという事実は、初期の教団にとって重荷であったので、裏切りの動機の説明において、ユダをだんだん卑しい人物として描くようになる傾向があります。ユダを「盗人」と決めつけるヨハネの記事は、その傾向のかなり進んだ段階を示していると見られます。

葬りの備え

 そこでイエスは言われた、「彼女のしたいようにさせなさい。彼女はそれをわたしの葬りの日のために取っておいたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」。(七〜八節)

 ここで「葬り」と訳している語は、本来「埋葬の準備」を指す名詞ですが、「埋葬」そのものを指すのにも用いられる用語です。ユダヤ人は遺体を埋葬するとき、遺体に香油を塗り、布で包んで墓に納めました。それが「埋葬の準備」です。イエスは御自分の死がそのような正式の「埋葬の準備」も許されない非業の死であることを覚悟しておられたので、マリアの塗油をご自分の埋葬の準備としてお受けになります。イエスは、生きながらにしてすでにご自分を遺体としておられるのです。

処刑された囚人の遺体は、塗油など「埋葬の準備」を受けることなく、共同墓地に投げ捨てられました。

 七節のイエスのお言葉は、直訳すると、「彼女がそれ(香油)をわたしの埋葬の日のために取っておいたことになるために、彼女にそれをさせてやりなさい」となります。マリアは初めからこの香油をイエスの埋葬の日に用いようとして蓄えてきたのではないでしょう。しかし、これまでとくに目的を定めず蓄えてきた香油をこの日にイエスに注ぐことによって、これまで香油を蓄えてきた行為がすべてイエスの埋葬の準備としての意味、すなわち神の救済史のかけがえのない出来事に参与するという高貴な意味をもつことになります。そのように、わたしたちもイエスの死に自分を投げ込むとき、これまで自分が蓄積してきたものすべてが、イエス・キリストに仕えるため、キリストにあって神に仕えるためであったという尊い意義を獲得します。
 マリアがどのような動機でイエスの足に香油を注いだのかは、正確に知ることはできません。愛する兄弟ラザロを生き返らせてもらったことへの感謝、日頃深く敬愛する師イエスへの敬意もあったことでしょう。しかし、女性特有の愛の直感から、イエスのただならぬ決意を察し、これが最後の機会になると感じて、自分のもっている最も大切なもの、いや自分自身をすべてイエスに注ぎ込んだのでしょう。重要なのは、マリアの動機ではなく、これをご自分の埋葬の準備とされたイエスのお言葉です。そのお言葉が指しているイエスの死の事実です。このイエスの死がわたしたちのために持つ意義です。
 この重要な意義の前には、貧しい人たちへの慈善という善い働きも二の次の問題となります。わたしたちにはまずイエス・キリストとの関係があって、その次に人々との関係が来ます。「わたしはいつも一緒にいるわけではない」と言って、世から去って行かれたイエス、すなわち十字架の死を通って天に帰られた方に自分を注ぎ尽くすことが、人々への奉仕の前になければなりません。
 マリアがイエスの足に香油を注いだとき、「家は香油の香りで満たされ」(三節)、イエスを囲む晩餐の席は、イエスから発するただならぬ霊気と共に、この世のものと思えない場になります。このベタニヤにおけるもう一つの「最後の晩餐」の光景は、イエスの死によって贖われた者たちにとっては、忘れることができない貴重な場面となります。この場面についてマルコ(一四・九)が伝える「世界中どこでも福音が宣べ伝えられるところでは、この女のしたこともまた語り伝えられて、彼女を記念することになる」というイエスのお言葉は、そのままこのヨハネ福音書のベタニアの晩餐についても言えます。

ラザロを殺す陰謀

 イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の群衆が大勢でやって来た。それはイエスのためだけではなく、イエスが死者の中から起こしたラザロを見るためでもあった。(九節)

 イエスの動向はエルサレム近辺のユダヤ人たちの大きな関心事となっていました(一一・五六)。イエスがベタニアまで来られて、ラザロの家に滞在されていることは、ベタニアのユダヤ人たちからすぐにエルサレムにも伝わったことでしょう。ラザロの葬儀のときもエルサレムから大勢のユダヤ人がベタニアに来ていました(一一・一八〜一九)。その時ラザロを生き返らせたイエスの力ある働きを見たユダヤ人たちは、イエスが再びベタニアに来ておられるのを知って、大勢でやって来ます。それは、大いなる預言者であるイエスを迎えるためだけでなく、死人の中から生き返らされたラザロがその後どのように生きているかを見るためでもありました。

 祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人たちが彼のゆえに離れていって、イエスを信じるようになったからである。(一〇〜一一節)

 ひとたび死んで葬られたラザロが今現実に生きて生活しているという事実は、イエスが神から遣わされた方であり、真実の命を与える方であることの何よりの「しるし」です。この「しるし」を見て、多くのユダヤ人が大祭司の支配するユダヤ教から離れて、神殿体制を批判するイエスを信じる者になりました。ラザロはイエスの権威を指し示す生き証人です。彼の存在は、大祭司を頂点とする神殿ユダヤ教体制を脅かす脅威です。ユダヤ教の実質的な指導層である祭司長たちは、この脅威を除くためにラザロを抹殺することを決意し、その謀略を巡らし始めます。

41 エルサレム入り ( 12章 12〜19節)

 12 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめやしの枝を取り、イエスを出迎えるために出て来て、叫び続けた。
 13 「ホサナ、
   主の名において来るべき者に、
   イスラエルの王に祝福あれ」。
 14 イエスは子ろばを見つけ、それにお乗りになった。次のように書かれているとおりである。
 15 「恐れるな、シオンの娘よ。
   見よ、あなたの王が来る、
   ろばの子に乗って」。
 16 弟子たちは当初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光をお受けになったとき、これらのことがイエスについて書かれてあったのであり、これらのことを人々がイエスにしたのであることを思い起こした。 17 イエスがラザロを墓から呼び出し、死者の中から起こしたとき一緒にいた群衆は、見たことを証しした。 18 群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのしるしを行われたと聞いていたからであった。
 19 そこで、ファリサイ派の者たちは互いに言った、「あなたたちがしたことはすべて無駄であったことを認めなさい。見よ、世はあの男の後について行ってしまった」。

エルサレム入りの日付

 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめやしの枝を取り、イエスを出迎えるために出て来て、叫び続けた。(一二節)

 「その翌日」、イエスはついにエルサレムに入られます。ベタニヤでの塗油が「過越祭の六日前」ですから(一二・一)、「その翌日」は過越祭の五日前になります。その年の過越祭は金曜日であったので、その五日前は日曜日に当たります。
 イエスを迎える群衆ついて、マルコとマタイでは「(葉のついた)木の枝を切って道に敷いた」とありますが、ヨハネ福音書だけがそれが「なつめやし」の枝であることを伝えています。「なつめやし」は棕櫚(しゅろ)の木のことで、この日曜日が後に「棕櫚(しゅろ)の日曜日」と呼ばれることになります。棕櫚(しゅろ)の木は仮庵祭で救いと統一の象徴として用いられる四種の木の一つであり(レビ記二三・四〇)、勝利を祝うときにその枝が振りかざされました(マカバイ記T一三・五一、ヨハネ黙示録七・九)。

マルコ福音書は、イエスがエルサレムに入られた日付を特定していません。それで、十字架の日から(エルサレムでの行動を伝える記事によって)逆算してエルサレム入りの日付を決定することは困難です。十字架の日付が一日違うなど、マルコとヨハネとの間には、受難週の出来事の日付について重要な相違がありますが、エルサレムでの祭りにさいしてのイエスの行動についてはヨハネ福音書が正確であると考えられます。教会暦もイエスのエルサレム入りを日曜日として「棕櫚(しゅろ)の日曜日」を祝っています。

都に入るメシアへの歓呼

 「ホサナ、
 主の名において来るべき者に、
 イスラエルの王に祝福あれ」。(一三節)

 「ホサナ」は、イスラエルの民がエルサレムに巡礼するときに用いた「ハレル歌集」(詩編一一三〜一一八編)の最後の詩編一一八編(二五節)に出てくる《ホーシーアンナー》(主よ、わたしたちをお救いください)が転化したもので、イエスの時代にはほとんど意味のない「ばんざい!」という喚声になっていました。
 イエスを迎える群衆は棕櫚の枝を振りかざして、「祝福あれ、主の名において来るべき者に」と歓呼します。これは、先の詩編一一八・二五の《ホーシーアンナー》(主よ、わたしたちをお救いください)にすぐに続いて出てくる句です(詩篇一一八・二六)。「来るべき方」は、当時約束されていたメシアを指す呼び方になっていました。ここで群衆は詩篇の言葉を用いて、イエスをメシアとして歓呼していることになります。そのことは、「主の名において来るべき者に」が、続いてすぐに「イスラエルの王に」と言い換えられていることからも明らかです。
 この「イスラエルの王に」という句は詩篇一一八では続いていません。すなわち、これはユダヤ人の群衆がイエスをメシアとして迎えて叫んでいる句になります。マルコでは「我らの父ダビデの来るべき国に」、マタイでは「ダビデの子に」と歓呼したとなっていますが、ルカは「王に」、ヨハネは「イスラエルの王に」としています。どの表現もみな、イエスをイスラエルに約束された王として歓呼していることには変わりはありません。

子ろばに乗るメシア

 イエスは子ろばを見つけ、それにお乗りになった。次のように書かれているとおりである。

 「恐れるな、シオンの娘よ。
  見よ、あなたの王が来る、
  ろばの子に乗って」。 (一四〜一五節)
 共観福音書では、子ろばに乗ってエルサレムに入るようにイエスが手配され、イエスの指示に従って弟子たちが子ろばを連れてきたとなっていますが、ヨハネ福音書では、イエスご自身が子ろばを見つけられたことになっています。ヨハネ福音書には、イエスの予知のモチーフはありません。
 共観福音書では、子ろばに乗ってエルサレムの城門に向かわれるイエスに群衆が歓呼したのですが、ヨハネ福音書では「イスラエルの王、ばんざい!」と叫ぶ群衆を見てから、イエスが子ろばに乗られたことになります。そうするとヨハネ福音書は、イエスが子ろばに乗られたのは、当時のユダヤ人民衆のメシア期待に対して、「わたしはあなたたちが考えているようなメシアではない」と言うためにイエスがなされた意図的な象徴行為である、と書いていることになります。
 イエスは子ろばに乗って都に入られます。棕櫚の枝を振りかざして、勝利の凱旋将軍を迎えるように歓呼している群衆の姿と対比して、子ろばに乗るイエスの姿は何と対照的でしょうか。軍馬に乗って堂々と都に入城する凱旋将軍と違って、イエスは大人を乗せて歩くのはやっとという弱々しい子ろばに乗って都に入られます。死ぬことを決意しておられるイエスは、おそらく沈痛な面持ちで群衆を見つめておられたのではないかと推察されます。イエスはエルサレムに入られる直前、エルサレムのために涙を流しておられます(ルカ一九・四一以下)。
 いつも頭を垂れ、重い荷物を背負って黙々と働くろばは、柔和さ、謙虚さ、平和を象徴します。イエスが子ろばに乗られたのは、群衆の「ダビデの子」としてのメシア期待に対して、別のメシア像を示すための預言者的象徴行為でした。権力をもって支配する王ではなく、人々の重荷を背負って、黙して苦しみを担う救済者(メシア)です。
 イスラエルの王となるべき人物が子ろばに乗って来るという預言は、すでに預言者ゼカリヤが語っていました。
 「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って」。(ゼカリヤ九・九)
 このゼカリヤの預言には次の預言の言葉が続いています。

 「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ」。(ゼカリヤ九・一〇)

 イエスはこの預言を深く心にとめ、九節と一〇節の対比、すなわち子ろばと軍馬の対比も意識して、子ろばに乗られたのではないかと思います。

エルサレム入りにさいしてイエスが子ろばに乗られたことについて、それがゼカリヤの預言の成就であるという理解は初期の教団に広く流布していたのでしょう。マタイとヨハネがそれを明記していますが、七十人訳ギリシャ語聖書のゼカリヤ九・九と比べると、マタイ(二一・五)は少し、ヨハネはかなり大きく簡略化しています。マタイは「柔和な方で、ろばに乗り」と、七十人訳ギリシャ語聖書に用いられている「柔和な」という形容詞を残しています。この語はマタイ特愛の用語だからでしょう。マタイではろばが二頭になっている問題については、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』285 頁の注記を参照してください。

御霊によって悟る

 弟子たちは当初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光をお受けになったとき、これらのことがイエスについて書かれてあったのであり、これらのことを人々がイエスにしたのであることを思い起こした。(一六節)

 「当初」とは、「出来事が起こったその時には」の意です。その時には、この出来事が預言の成就であること、およびその意義(イエスがろばに乗って都に入られたことの意味)を理解できませんでしたが、後で、すなわち、復活して「イエスが栄光をお受けになったとき」、聖書の預言がイエスについて書かれていることとその意義を弟子たちは悟った、ということです(二・二二の講解を参照)。
 「これらのことを人々がイエスにした」というのも、ここではイエスのエルサレム入りにさいしてエルサレムの群衆が歓呼したことを指しています。それは「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ」という預言の成就だからです。しかし、広く見れば、これだけでなくユダヤ人たちがイエスにしたことはすべて、イエスを殺したことも含めて、聖書に書かれていることが成就した出来事であると悟ることになります。
 当初、出来事が起こったその時には、弟子たちはイエスが子ろばに乗って都に入られたことの意義も、イエスがどのような意味で「イスラエルの王」であるのか悟ることができませんでした。それは、イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、弟子たちに御霊が降っていなかったからです(七・三九)。栄光をお受けになったイエスから御霊を受けてはじめて、弟子たちはこの時の出来事が指し示している霊的内実を理解することができるようになったのです。「思い起こした」というのは、たんにその出来事があったのを思い出したということではなく、その出来事の意義を理解した、悟ったということです。
 そのことは後にイエスご自身がこう語っておられます。「だが、かの同伴者、すなわち父がわたしの名によって遣わされる聖霊であるが、その方があなたたちにすべてのことを教え、わたしがあなたたちに話したことを思い起こさせてくださる」(一四・二六)。また、「あなたたちに話しておくべきことはまだ多くあるが、今あなたたちはそれに耐えることができない。しかし、その方、すなわち真理の霊が来るときには、あなたたちをすべての真理に導き入れるであろう」(一六・一二〜一三)。
 一六節は、預言を引用するにあたって、著者または彼の共同体が挿入したコメントです。このようなコメントは、イエスの復活を体験した信徒の共同体が、イエスの出来事の意義を聖書の言葉で理解し、イエスの物語を聖書の預言の成就として構成していった様子をうかがわせます。

 イエスがラザロを墓から呼び出し、死者の中から起こしたとき一緒にいた群衆は、見たことを証しした。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのしるしを行われたと聞いていたからであった。(一七〜一八節)

 イエスがエルサレムに入られるのを歓呼して迎えた群衆の中には、「イエスがラザロを墓から呼び出し、死者の中から起こしたとき一緒にいた」人たちも大勢いました。彼らがベタニアで見た驚くべき出来事を証言したので、エルサレムのユダヤ人たちの期待はいやが上にも高まり、このような力ある「しるし」を行われた王的なメシアに対する熱烈な歓呼となったわけです。

 そこで、ファリサイ派の者たちは互いに言った、「あなたたちがしたことはすべて無駄であったことを認めなさい。見よ、世はあの男の後について行ってしまった」。(一九節)

 イエスのエルサレム入りの状況においては、この言葉はイエスに敵対する祭司長たちの危機感を示す言葉です。しかし、この福音書が書かれた状況においては、著者が敵対するファリサイ派に向かって、イエスを信じる者を妨げ迫害する彼らの不信仰の働きが、死者を生き返らせるイエスの前ではすべて無駄であることを認識するように求めている言葉が重なっています。それは、この言葉を言ったものが、イエスを殺そうと謀略を巡らした祭司長たちではなく、「ファリサイ派の者たち」だけになっていることからもうかがわれます。この福音書が書かれた時期では、ヨハネ共同体に敵対するユダヤ教はファリサイ派だけのユダヤ教になっていました。