市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第27講

第三節 イエスを殺す計画

39 イエスを殺す計画(11章 45〜57節)

 45 マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人たちの中の多くの者がイエスを信じた。 46 けれども、彼らの中に、ファリサイ派の人たちのところに行って、イエスがなさったことを告げた者たちがいた。 47 そこで、祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して、こう言った、「この男は多くのしるしを行っているが、われわれはどうすればよいか。 48 彼をこのまま放置すれば、みな彼を信じるようになるだろう。そうすると、ローマ人たちがやって来て、われわれから土地も民族も取り上げてしまうことになる」。
 49 彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った、「あなたがたは何もわかっていない。 50 一人の人間が民のために死んで、民族全体が滅びないですむのが、あなたがたにとって得策だと考えないのか」。 51 彼はこれを自分から言ったのではなく、その年の大祭司であったので、イエスが民族のために死ぬことになるのを預言したのである。 52 この民族のためだけではなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬことを預言したのである。 53 この日から、彼らはイエスを殺そうと協議を始めた。
 54 そこで、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず、そこから荒野に近い地方へ去って、エフライムという町へ行き、弟子たちとそこに滞在された。
 55 さて、ユダヤ人たちの過越祭が近づいた。多くの人が、身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムに上って行った。 56 彼らはイエスを捜し、神殿の境内に立って、互いに言った、「あなたたちはどう思うか。彼は祭りには来ないのであろうか」。 57 祭司長たちとファリサイ派の者たちは、イエスがどこにいるかを知る者があれば、届け出るように命令を出していた。イエスを逮捕するためである。

最高法院の議決

 マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人たちの中の多くの者がイエスを信じた。けれども、彼らの中に、ファリサイ派の人たちのところに行って、イエスがなさったことを告げた者たちがいた。(四五〜四六節)

 ここで、ラザロの葬儀のためにエルサレムから来ていたユダヤ人たちが、ドラマの舞台回しの役割を演じます。彼らの中の多くの者がイエスがなさったことを見てイエスを信じましたが、ある者たちがエルサレムに急いで戻り、神殿の指導層の人たちにこの出来事を報せます。彼らの行動により、舞台は回りエルサレム神殿内の最高法院に変わります。
 このように神殿のユダヤ教指導層に報告したことを、この福音書は「ファリサイ派の人たちに告げた」と言いますが、これは福音書成立当時のユダヤ教会堂がファリサイ派の会堂であり、指導層はファリサイ派律法学者であったからです(九・一三)。

 そこで、祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して、こう言った、「この男は多くのしるしを行っているが、われわれはどうすればよいか」。(四七節)

 この報告を受けて、「祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して」議論を始めます。このエルサレムの最高法院での議論が、このドラマの第五の場面(第五場)になります。登場人物は、大祭司カイアファと議員たちです。
 「祭司長たち」というのは、最高法院(サンヘドリン)を構成する三つのグループ(祭司長たち、長老たち、律法学者たち)の中で、貴族祭司階級の代表者たち六〜十名で構成され、祭儀・財政・警察の執行を担当し、いわば大祭司を首班とする内閣のような存在で、最高法院の中で中心的な位置を占める執行機関です。すでに七章(三二節と四五節)でイエスを捕らえようとする勢力として登場しています。しかし、そこではまだ最高法院全体の議決とはなってはいませんでした。
 この「祭司長たち」と「ファリサイ派の人たち」が、最高法院の全議員を召集して議論を始めます。イエスの時代の最高法院にはファリサイ派律法学者たちも含まれていましたが、彼らは招集される側の議員であって、招集する側ではありません。最高法院を招集するのは大祭司を首班とする「祭司長たち」です。ここで「祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して」とあるのは、福音書執筆当時のユダヤ教指導者のファリサイ派律法学者がイエスの時代の指導者である「祭司長たち」と重なっているからだと見られます(前節参照)。この重なりはこの福音書ではよく見られます(七・三二、七・四五、一八・三)。
 これまでイエスの行為が律法違反にならないか査問したのは、おもに会堂を指導するファリサイ派でしたが、ここからユダヤ教の最高宗教法廷である最高法院がイエスを追求し、殺す計画を立てることになります。彼らは、イエスが多くの「しるし」を行われたことに恐怖を感じています。イエスがなされた力ある業(奇蹟)は、本来イエスが父から遣わされた方であることを指し示す「しるし」であり、終末がイエスにおいて到来していることの「しるし」ですが、彼らにとっては恐怖のしるしであり、滅びのしるしとなります。なぜそうなるのかが、次の節で語られます。

 「彼をこのまま放置すれば、みな彼を信じるようになるだろう。そうすると、ローマ人たちがやって来て、われわれから土地も民族も取り上げてしまうことになる」。(四八節)

 「祭司長たち」ユダヤ教指導者が恐れているのは、先ず第一に、イエスがされる「しるし」を見てユダヤ人がみなイエスを信じるようになれば、ユダヤ教における自分たちの権威が失墜し、民衆を指導する立場が揺らぐからです。神殿での過激な行動が示しているように(二・一三〜一六)、イエスはすでに神殿体制に対して激しい批判の矛先を向けていた人物です。ユダヤの民衆がイエスに従うようになれば、民衆はもはや祭司長たちの指導には服さなくなるでしょう。
 それだけではありません。当時のユダヤでは、「熱心党」に代表されるように、律法に忠実で熱心なユダヤ教徒が異教徒のローマ人の支配を嫌って、その支配を覆そうとする動きが絶えませんでした。その中で、自分こそ神から油を注がれて神の民を解放するために遣わされたメシアであると自称し、民を糾合して反ローマの戦いに立ち上がらせようとする者がしばしば現れました。この時の祭司長たちも、民衆がイエスをメシアと信じて、反ローマの大きなメシア運動になることを恐れたのです。そのような事態になれば、せっかくローマ人に取り入って認めてもらっている自治権も取り上げられ、もはや自分たちがユダヤの「土地と民族」を支配する者ではなくなることを恐れたのです。イエスの時代には、反ローマ支配のメシア運動はすでにいくつもローマ軍によって鎮圧されていました。著者は70年の神殿崩壊に至るユダヤ戦争を知っています。

「土地」と訳した語の原語は「場所」です。これを「土地」と理解する訳(協会訳)と「神殿」と理解する訳(新共同訳)があります (RSVは our holy place としています)。内容的には、どちらも成り立ちます。ここでは、神殿も含むことができる広い意味の「土地」と訳しておきます。 「民族」と訳した語の原語は《エスノス》です。この語は、新約聖書ではふつう複数形で用いられ、「異邦人」を指しますが、ヨハネ福音書では定冠詞つきの単数形で一八・三五とこの箇所(一一・四八〜五二)だけで用いられ、イスラエルの民を指しています。

 彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った、「あなたがたは何もわかっていない。一人の人間が民のために死んで、民族全体が滅びないですむのが、あなたがたにとって得策だと考えないのか」。 (四九〜五〇節)

 この時の大祭司はカイアファでした。大祭司は「祭司長たち」の中の一人が選ばれて、最高法院の議長を務め、全ユダヤ教団を代表し統率する最高の地位でした。このイエスの死による贖いの出来事がなされた重大な「その年」にユダヤ教を代表する大祭司職にあったのはカイアファでした。

大祭司職は、ユダヤ教の規定では終身職でしたが、実際はローマの意向で任命されたり廃されたりしました。ユダヤが皇帝直轄のローマ属州になった6年からは長年アンナスが大祭司職にありましたが、18年に総督グラトスは、彼を退位させてカイアファを大祭司に任命しました。カイアファは36年に退位させられるまで、20年近くにわたって大祭司職にありました。この情勢の中でのこの長さは、彼がいかに狡猾な現実政治家であるかを物語っています。なお、「その年の大祭司であったカイアファ」という表現を、「一年ごとに交代する大祭司」制と理解して、著者はユダヤ教の大祭司制を知らなかったとする見方もありますが、これは違います。著者はユダヤ教大祭司職のことは熟知していて、ただこの決定的な「その年」の大祭司がカイアファであったことを強調しているだけです。

 この人物が、民の安全のために、実は自分たちの権力の安全のために、イエスを抹殺することを提案します。イエスを取り除けば、危険なメシア運動の芽は未然に摘み取られ、圧倒的なローマの軍事力によってユダヤ教団としての「民族」が滅びるのが避けられるではないかと言って、イエスを殺すことを提案します。つい先にもガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスが、多くの民衆の期待を集めていた洗礼者ヨハネを処刑して、彼の運動が反ローマのメシア運動となることを防いだことを、カイアファは十分承知していたはずです。彼は政治的損得を計算し、自分たちの権力維持のためだけを考える冷徹な現実政治家です。
 彼は「一人の人間が民のために死ぬ」ことによって民族全体が滅びないですむと言っています。この「民のために」という表現は、福音がイエスの十字架上の死を「わたしたちのために」あるいは「わたしたちに代わって」という時の「のために」と同じ語が用いられており、大祭司がイエスの死を「民のための死」、「民に代わっての死」と認めていることになります。そのことの意義が次節で語られます。

「民のために」の「民」の原語は《ラオス》です。この語は、八・二では「群衆」という意味で用いられていましたが、ここと一八・一四ではイスラエルの「民」という意味で用いられています。「民族」《エスノス》と同じ意味で用いられていますが、原語が違うので、別の語で訳しています。

 彼はこれを自分から言ったのではなく、その年の大祭司であったので、イエスが民族のために死ぬことになるのを預言したのである。(五一節)

 カイアファは支配者であるローマ総督を相手に術策を弄し、一九年間も大祭司の地位を保ち、ユダヤ教団の自治を守った老獪な政治家でした。この大祭司の政治術策的発言を、著者は彼の地位から、イエスについてのユダヤ教団の公式の預言とします。すなわち、イエスの死が「民のための死」であることは、福音が告知するだけでなく、ユダヤ教団も(動機はまったく異なるが、その意義は)公式に認めているという主張です。

 この民族のためだけではなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬことを預言したのである。(五二節)

 「散らされている神の子たち」というのは、「この民族のためだけではなく」という句と対照されていることから、「全世界に散らされている神の子たち」、すなわち異邦諸民族の中にいる神の子たちを指すと理解できます。ヨハネ共同体は本来おもにユダヤ人信徒で形成されていたと考えられますが、異邦人も迎え入れる方向に進みつつあったと見られます。それで、ユダヤ人だけでなく「異邦人にも」という主張が、やや取って付けたように加えられることになります(一〇・一六参照)。

 この日から、彼らはイエスを殺そうと協議を始めた。(五三節)

 これまではイエスを殺そうとする動きは個々のファリサイ派律法学者の敵意からでした。この動きは、「この日から」最高法院の公式の動きとなります。後に逮捕されたイエスに対して裁判が行われますが、それは形を整えるだけの手続きで、大祭司を議長とする最高法院は「この日から」イエスを処刑しようという意図で行動しています。
 ヨハネ福音書は、イエス処刑の直接の動機をラザロを生き返らせたイエスの力が民衆のメシア運動を刺激するのではないかという最高法院の恐れに求めています。共観福音書は、イエスが神殿で行った激しい批判行為を殺意の直接の動機としていますが、ヨハネ福音書はこの行為を初期に置いているので、直接の動機として別の動機を求めることになります。

 そこで、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず、そこから荒野に近い地方へ去って、エフライムという町へ行き、弟子たちとそこに滞在された。(五四節)

 イエスがラザロを生き返らせた大いなるドラマは、第五場のエルサレムでの最高法院の場面で終わりますが、その後に主役のイエスの消息を伝える短い語りが付け加えられます。
 最高法院がイエスを殺すことを決めているのですから、イエスを逮捕するための何らかの行動が始まっているはずです(五七節参照)。そこでイエスは、「ユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず」、ユダヤ人の地であるベタニアを去って、荒野に近い地方へ行かれます。「荒野」というのは、ここではエルサレムの東に拡がる「ユダの荒野」のことです。「荒野に近い地方」とは、エルサレムから荒野に入る前に位置する地方ですが、そこにある「エフライムという町」は、現在ではどこにあるのか確認は困難です。イエスはしばらくユダヤ人の目の届かない所に身を潜め、過越祭に合わせてエルサレムに入ろうとされます。

「エフライムという町」は、歴代誌下一三・一九の「エフライン」と考えられ、現代のエツ・タイーベと推定されています。この村はベテル(エルサレムの北17キロ)から山腹を迂回して北東に10キロほど行った山深いところにあり、道はさらに「荒野」を通ってエリコに通じていました。この荒野に通じる山間の隠れ村のような所にもイエスの支持者がいたようです。

過越祭前のエルサレム

 さて、ユダヤ人たちの過越祭が近づいた。多くの人が、身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムに上って行った。(五五節)

 過越祭前のエルサレムの様子を記述する五五〜五七節は、最後の過越祭にイエスがエルサレムに入られることを主題とする一二章の内容に属します。したがってこの段落は本来一二章の一部として扱うべきですが、五七節がイエスを殺すことを決意した最高法院の行動に触れていることから、伝統的にこの最高法院の場面の段落に入れられて、一一章の締め括りとされています。それで、一応伝統的な章区分に従い、ここで扱っておきます。
 この福音書の著者はユダヤ人と考えられますが、対立するユダヤ教会堂勢力を「ユダヤ人たち」と呼び、ユダヤ教の祭りを「ユダヤ人たちの祭り」と突き放した表現で指し(二・一三、五・一、六・四、七・二)、自分とその共同体は「ユダヤ人」ではないという姿勢をとっています。
 モーセ律法によれば、過越祭のとき祭儀的に清い者だけが、神殿の内庭で過越の子羊を食べることを許されました。巡礼者が身を清めるには七日間が必要な場合もあり(民数記一九・一一〜一二参照)、そのために巡礼者たちは「過越祭の前に」エルサレムに着くようにして、地方から続々とエルサレムにやって来ました。この「地方」(単数形)は、聖都であり首都であるエルサレムに対して、それ以外の地域を広く指しています。

 彼らはイエスを捜し、神殿の境内に立って、互いに言った、「あなたたちはどう思うか。彼は祭りには来ないのであろうか」。 (五六節)

 過越祭のためにエルサレムに上り、身を清める儀式にあずかるために神殿に集まっていたユダヤ人たちは、イエスがこの過越祭に来られるかどうかに大きな関心を持ち、互いに予想を語り合っていました。それは、ラザロを生き返らすなど、イエスがなされた数々の力ある業を知っていたので、イエスがエルサレムに入れば何か大変なことがおこるのではないかという期待もあったことでしょう。
 そのような期待だけでなく、神殿に集まったユダヤ人たちは最高法院がイエスを逮捕するための指令を出していることを知っているので(次節)、この緊迫した情勢に対してイエスがどのように対処するかに強い関心をもったのでしょう。このような情勢のエルサレムにイエスは来ないかもしれないとか、いや、エルサレムに来て何か大きな働きをするだろうとか、イエスの動静を予想して噂が飛び交っていました。

 祭司長たちとファリサイ派の者たちは、イエスがどこにいるかを知る者があれば、届け出るように命令を出していた。イエスを逮捕するためである。(五七節)

 ラザロのことで、もはやイエスの活動を黙認することはできないとし、イエスを抹殺することを決意した最高法院は、このような命令を出してイエスを逮捕するための行動を始めていました。その年の過越祭前のエルサレムは、最高法院は行動を開始し、神殿に集まる群衆は興奮し、イエスをめぐる問題で緊迫した状況でした。イエスはそのようなエルサレムにお入りになるのです。その最後のエルサレム入りが次章(一二章)の主題となります。ヨハネ福音書は、次章で共観福音書とは違う視点でイエスの最後のエルサレム入りを描きます。

補論―ヨハネ福音書における「復活」

生き返りと復活

 この講解では、ラザロが墓から出て来た出来事を語る段落(二八〜四四節)の標題は、「ラザロの復活」としないで「ラザロが生き返る」としました。この出来事はラザロの「復活」ではないからです。新約聖書において「復活」《アナスタシス》とは、死者が現在の朽ちるべき体を脱ぎ捨て、もはや朽ちることのない「霊の体」をもって生きるようになる、終末的な出来事を指しています(コリントT一五章)。ここのラザロのように、いったんは死んだが、息を吹き返して元の体で生きるようになった出来事は「復活」《アナスタシス》ではありません。このような事例は、ラザロの他に会堂司ヤイロの娘(マルコ五・三五〜四三と並行箇所)とナインの寡婦の息子(ルカ七・一一〜一七)の場合が伝えられています。このような事例は、病気のいやしや悪霊を追い出す業の延長上にあります。それで、イエスが行われた力ある業を「しるし」として列挙するリストの中で、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ」と列挙された最後に、「死者は生き返り」という業が最大の「しるし」として置かれることになります(マタイ一一・五)。
 ところで、日本語訳新約聖書では、終末的な「復活」も元の体に生き返ることも、「よみがえり」という同じ用語で訳す伝統があるようです。おそらくこの伝統は文語訳が、イエスの復活も死んだ人間の生き返りも同じ「甦る(よみがえる)」と「甦り(よみがえり)」という語で訳したからであろうと考えられます。文語訳は終末の復活を指す場合にも、「復活」という漢字に「よみがへり」という振り仮名をつけています(ヨハネ一一・二四〜二五)。その伝統を受け継いで、口語訳も新改訳も終末的な復活を「よみがえる」とか「よみがえり」という用語で訳しています。しかし、「よみがえり」という日本語は本来「黄泉(よみ)帰り」から来ており、いったん死んで「黄泉(陰府、よみ)」へ降った者が再び地上に戻ってくることを指していました。したがって、ラザロのような場合には「黄泉帰り(よみがえり)」が適切かもしれませんが、イエスの復活や終末における死者の復活には不適切な訳語となります。イエスは「シェオール」(黄泉、陰府)から地上に帰ってきたのではありません。霊の体をもって復活するという終末的な復活《アナスタシス》がイエスの身に起こったのです。
 このように、新約聖書が告知する終末的な復活《アナスタシス》を指すのに「よみがえり」という語は適切ではないので、本講解では使用をさけて「復活」に統一し、ラザロのような場合は「生き返る」という語で表現するようにしています。おそらく新共同訳もこの点に留意したのでしょう、「よみがえる」とか「よみがえり」という訳語はごく僅かで、ラザロについて「イエスが死者の中からよみがえらせたラザロ」という形で3例あるだけで(一二章の一、九、一七節)、他はみな「復活」という用語で訳しています。この3例は「生き返らせた」というべき場合です。

ただし、動詞は、《アナスタシス》の動詞形の《アニステーミ》(起き上がらせる、起き上がる)と、《エゲイロー》(目覚めさせる、起こす、起きる)という動詞が、あまり厳密に区別されずに、地上の生き返りと終末的復活の両方の場合に、そしてキリストの復活について用いられています。これは、どういう体に至るのかという結果には注目しないで、神が死んだ者を起き上がらせる行為だけに注目したからでしょう。《アニステーミ》の名詞形《アナスタシス》はもっぱら終末的な復活を指すのに多数用いられていますが、《エゲイロー》の名詞形はほとんど用いられていません(イエスの復活を指すマタイ二七・五三だけ)。地上の生き返りを指す名詞は見当たりません。

パウロの復活信仰とヨハネの復活信仰

 新約聖書の信仰の基本は復活信仰です。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ一〇・九)のです。これが、福音が宣言する「信仰の言葉」です。もっとも、この復活だけの(最初期の)信仰告白には、直ちに「十字架の言葉」が加えられなければなりません。十字架につけられたイエスが復活して、「主またキリストとして立てられた」のです。復活者キリストは十字架につけられた姿でわたしたちに現れ、その救いの働きをなしてくださるのです。パウロが「十字架につけられたキリスト」を福音の核心として語るとき、それは「十字架につけられたままの姿で現れる復活者キリスト」のことです。そして、そのキリストの十字架は「わたしたちのため」、「わたしたちの罪のため」の死であるのです。
 パウロは聖霊の働きによってこのような「十字架につけられた姿の復活者キリスト」に合わせられて生きていました。パウロはその事態を「キリストにあって」という句で表現しています。この十字架のキリストに合わせられて自分は死に、自分の中に来た復活者キリストの命に生きるようになったのです。この命はキリストを死者の中から復活させた命ですから、この命に生きる者は自分の復活をも信じないではおれません(ローマ八・一一)。キリストはわたしたちの「初穂」として復活されたのです。この命が発する光が終末というスクリーンに投影されるとき、その命は「死者の復活」という希望の姿を取ることになります。それがどのような内容であるのかは、パウロのコリント第一書簡一五章に詳しく展開されています。聖書(旧約聖書)の救済史的な枠組みの中に生きているパウロにとって、御霊によって始まっている復活の命の現実は、そのような構造で語らざるをえないものでした。

パウロの復活信仰については、拙著『パウロによるキリストの福音 U』の第六章「死者の復活」を参照してください。

 ところがヨハネ福音書になると、これまでの講解で見てきたように、終末時の「死者の復活」はほとんど語られなくなり、イエスを信じる者は現在すでに「永遠の命」を持っているという事実に関心が集中しています。六章だけに集中して四回、終わりの日の復活を約束する言葉が出て来ますが、いかにも取って付けたような印象は否定できません。ラザロの記事でも、終わりの日の復活を言い表したマルタの信仰を訂正するような書き方がされています(一一・二三〜二六)。このような事実から、ヨハネの復活信仰はパウロの復活信仰とは違ってきているというような議論がされますが、はたしてそうでしょうか。
 わたしは、パウロの復活信仰とヨハネの復活信仰は基本的に同じであると理解しています。「基本的に」と言ったのは、パウロもヨハネも復活者キリストに合わせられて、キリストを復活させた命、復活の質の命に生きているという点では同じであるという意味です。そういう質の命、復活の命に生きている現実が「復活信仰」です。この復活信仰においてパウロとヨハネは同じです。
 ただ、その命が現れるとき、その命に生きる人間の歴史的状況という枠組みの中でその姿を現すことになります。復活の命は光であって、その光そのものを見ることはできません。わたしたちが見るのは、その光がその命に生きる人間の歴史的・具体的な生き方や思想や言表に投影された形を見るだけです。光源は同じでも、それが投影されるスクリーンの違いによって、その光は様々に違った形と光彩を放つことになります。
 復活に関するパウロとヨハネの違いは、スクリーンの違いです。その光源は同じ復活信仰です。同じ復活者キリストの命に生きているのですが、その命の光を映し出すスクリーンが、パウロとヨハネでは違っているのです。その違いは、それぞれが置かれている歴史的状況とか、それぞれが背負っている宗教的文化的背景の違いによります。
 スクリーンの違いと言えば、その違いはすでにパウロ書簡自体と、次の世代の成立と見られるコロサイ・エフェソ書など「パウロの名による書簡」の間にも見られます。パウロは熱烈なファリサイ派ユダヤ教ラビとしての背景から、聖書の救済史的枠組みと(当時のユダヤ教に浸透していた)黙示思想的な影響の中で思考し語っています。したがってパウロにおいては、復活の命という光は時間軸上の終末というスクリーンに投影されて、「死者の復活」という希望を色濃く描き出すことになります。
 ところがコロサイ・エフェソ書になるとそのようなユダヤ教的な枠組みはなくなり、自分たちが現に生きているヘレニズム世界の枠組みの中で表現されるようになります。キリストにある復活の命という光は、ヘレニズム思想の枠組みである《コスモス》(宇宙存在)に投影されて、キリストは《コスモス》を照らし出す光となり、その充満と完成の原理となります。パウロにおいては時間的な終末に向かっていた光は、コロサイ・エフェソ書では《コスモス》という上なる霊的空間に向かいます。コロサイ・エフェソ書では、もはやキリストの来臨とか死者の復活など終末に関する希望は語られなくなります。

コロサイ・エフェソ書のキリスト理解と復活理解については、拙著『パウロ以後のキリストの福音』第一章と第二章のコロサイ書とエフェソ書の要約・講解を参照してください。とくに18頁の「コロサイ書におけるキリスト」と、75頁の「復活信仰の現在化」の項をお読みください。

 ヨハネ福音書は、救済史的・黙示思想的枠組みがなくなっているという点ではコロサイ・エフェソ書と同じ線上にあります。しかし、復活の命という光が投影されるスクリーンは、《コスモス》という霊的空間ではなく、信じる個々の人間の内面になってきます。もちろん、パウロにおいてもその面は強くありました。しかし、ヨハネではそれだけに集中している点に特色があります。そして、個人の内面というスクリーンに集中して映し出される復活の命は、この福音書では「永遠の命」と呼ばれて、福音書全体を貫く主題となります。
 ただヨハネ福音書は、福音書という類型から、地上のイエスと周囲の人たちとの対話で構成されるドラマという形で、その主題を展開していきます。そのさい、主役である復活者イエスから発する復活の命の光が、舞台を照明する光源としてそのドラマ全体の真相を照らし出します。ヨハネ福音書においては、復活の命という光は、イエスと弟子たちや敵対者(ユダヤ人たち)との対話で構成されるドラマの舞台というスクリーンに向けられていると言えます。

ヨハネ福音書における一一章の意義

 このように永遠の命を主題として、イエスと周囲の人たちとの対話という形で劇的に構成されるこの福音書において、イエスがラザロを生き返らされたことを描く一一章はどのような位置を占め、どのような意義をもっているのでしょうか。
 一見してすぐ分かることは、この出来事はイエスの地上での働きを描く前半部(一〜一二章)にあげられている「しるし」の系列の最後に置かれ、後半部(一三〜二〇章)に描かれる受難の直接の原因として扱われているということです。一連の「しるし」の系列の最後に置かれているという事実は、この出来事が「しるし」としてもつ意義の重要性をうかがわせます。そして、この出来事がイエスの受難の直接の原因として、受難物語の直前に置かれている事実は、この記事が「しるしの書」とも呼ばれる前半部と受難を語る後半部を結びつける連結器の役割を果たしていることを意味します。そのような位置と意義から、この記事はこの福音書の不可欠の構成要素であることが分かります。それがなければ福音書全体の構造が壊れて、バラバラになってしまいます。どのように過激な文献批判も、一一章を後代の編集者による付加とか挿入とすることはありません。一一章は本来のヨハネ福音書の本質的な章、すなわち、それがなければヨハネ福音書が福音書でなくなる章です。
 では、この章が描くイエス、すなわちラザロを生き返らせたイエスの働きは何を指し示す「しるし」なのでしょうか。端的に答えれば、この出来事は復活者イエスこそ死者を復活させる方であるということを指し示す「しるし」です。イエスがなされた様々な奇蹟は、イエスが神から遣わされた方であることを指し示す「しるし」であり、イエスが与えてくださる救いとか命がどのような質のものかを指し示す「しるし」です。その中で、復活者イエスが与えてくださる命が「復活の命」であることを指し示すのに、死んだ人を生き返らせるという働き以上に適切な「しるし」があるでしょうか。
 イエスは地上の人間が死なないようになるために遣わされたのではありません。イエスが死から生き返らされたのはごく僅かの場合です。生き返らされたラザロもやがて死にました。イエスが死んだ者を生き返らせた事例を用いて、ヨハネはこの一一章の壮大なドラマを構成しました。それは、復活者イエスこそ「復活の命」を与える方であること、そのためにこそ神から遣わされた方であることを指し示す「しるし」とするためです。イエスを信じる者は、「復活の命」を与えられるのです。それは、復活に至らざるをえない質の命、終末の復活を希望として生きざるをえない命です。復活者イエスが与えてくださる命がこのような質の「復活の命」であることは、すでに六章の「命のパン」のところで繰り返し語られていました(六・三九、四〇、四四、五四)。

 「わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」。(六・四〇)

 この福音書では「永遠の命」と「復活」は一つです。そのことは端的に「わたしが復活であり、いのち《ゾーエー》である」と宣言されています(一一・二五)。そして、「復活」を指し示すしるしとしての一一章がこの福音書の本質的な構成要素として存在している事実が、この福音書が主題とする「永遠の命(ゾーエー)」とは「復活の命」であることを確認させます。この復活者イエスに結ばれて生きる命は、地上の生と死を相対化し、「わたしを信じる者は、死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない」と言わせる命です。

ヨハネ福音書における「永遠の命」と「復活」の関係については、本書271頁の「補論―永遠の命と死者の復活」を参照してください。