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第九章 目の見えない人のいやし

       ―― ヨハネ福音書 九章 ――




第一節 シロアムの池でのいやし

31 生まれつき目の見えない人をいやす (9章1〜7節)

 1 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 2 弟子たちがイエスに尋ねて言った、「ラビ、この人が目の見えない状態で生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか、それとも彼の両親ですか」。 3 イエスはお答えになった、「この人が罪を犯したからではなく、また両親が罪を犯したからでもない。それは、この人に神の業が現れるためである。 4 わたしたちは、わたしを遣わされた方の業を、まだ日があるうちに行わなければならない。だれも働くことができない夜が来る。 5 わたしは、世にいる限り、世の光である」。 6 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で泥を作り、その泥を彼の両目に塗られた。 7 そして彼に言われた、「シロアム―遣わされたという意味―の池に行って洗いなさい」。そこで、その人は行って洗い、見えるようになって帰ってきた。

不幸は罪の結果か

 秋の仮庵祭を舞台にした「世の光」をめぐる論戦(七〜八章)の後に、福音書の著者は、生まれながら光を見ることができなかった人がイエスによって光を見るようになったという、光に関連した象徴的な意味を持つ物語を置きます(九章)。これは冬の神殿奉献祭の前になります(一〇・二二)。したがって、この出来事は秋から冬にかけてのある時期に、シロアムの池からそれほど離れていないエルサレムのどこかで起こったことになります。
 イエスが目の見えない人を見えるようにされたという物語は、ベトサイダの目の見えない人の癒し(マルコ八・二二〜二六)やエリコの目の見えない物乞いバルティマイの物語(マルコ一〇・四六〜五二)などが伝えられており、ヨハネ共同体もそのような伝承を知っていたと考えられます。著者は、そのような目の見えない人の癒しの伝承を著者独自の視点から再構成して、イエスによる救いを世に告知する一幕のドラマに仕上げます。その視点とドラマの構成は後で扱うことにして、ここではまず発端になった出来事を見ておきましょう。

 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 (一節)

 この「通りすがりに」という表現や、その目の見えない人が道に座って物乞いをしていたという記述(八節)から、このヨハネの物語はエリコの目の見えない物乞いバルティマイの物語(マルコ一〇・四六〜五二)の伝承を用いているものと見られます。ヨハネは、マルコにはない「生まれつき」という説明を入れていますが、完全に目の見えない人は途中失明者よりも生まれつきの人が多いことから、また、近所の人も彼を小さい時からよく知っていることから、この説明は自然なものです。しかし、ヨハネは次節の弟子たちの質問を準備するために、この「生まれつき」という説明を入れたと見られます。

 弟子たちがイエスに尋ねて言った、「ラビ、この人が目の見えない状態で生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか、それとも彼の両親ですか」。(二節)

 弟子たちはイエスに、この人が「目の見えない状態で生まれた」ことの理由を訊ねます。弟子がある出来事の理由や行為の目的などその意義を尋ね、ラビがそれを律法の観点から説明して律法の真意を説くというのは、当時の律法教育の普通の仕方でした。
 ここで弟子たちは、目の見えない状態で生まれるというような不幸は何らかの罪の結果であるという考えを前提にしています。ただ、その罪は誰が犯した罪なのかを、ラビであるイエスに訊ねているのです。普通は、不幸な結果は本人が犯した罪に対する神からの刑罰であるとされるのですが、この場合は目の見えない状態で生まれたのですから、本人に責任はないはずです。そうすると、彼の両親の罪の結果となるのか、という意味の質問です。
 この弟子たちの質問の前提になっている「人生の不幸は罪の結果である」という考え方は、世界古今の諸民族と諸宗教に広く見られます。「善い行為はよい結果(幸福)を生じ、悪い行為は悪い結果(不幸)を招く」のは、たしかに人生の事実です。このように、ある結果には必ずそれに相当する原因があるとする「因果応報」の考え方は人類の思考に深く染み込んでいます。しかし、現実には何の罪もない(悪をなしていない)人に不幸が襲いかかるという「不条理」が起こるのも人生の現実です。この因果応報の原理と人生の不条理という現実との間の矛盾に、人間は苦しみ抜いてきました。この問題を正面から議論するならば、万巻の書も足りないでしょう。聖書の中では、ヨブ記がこの問題と格闘しています。
 この問題を解決するための様々な努力を取り上げて検討することは、この講解の中ではとうていできません。ここでは、この問題にイエスがどう対処されたかだけを取り上げます。

 イエスはお答えになった、「この人が罪を犯したからではなく、また両親が罪を犯したからでもない。それは、この人に神の業が現れるためである」。(三節)

 イエスと弟子たちはユダヤ教が支配する社会に生きています。ユダヤ教では、モーセ律法が神の意志の啓示であり、罪とはモーセ律法に違反する行為です。モーセ律法は、申命記(二八章)に典型的に見られるように、その律法を順守する者には祝福を、違反する者には呪いを宣言しています。そうすると、目の見えない状態で生まれるという不幸は罪の結果に違いないのだから、「誰が罪を犯したからですか」と弟子たちは訊ねます。本人はまだ何もしていないのですから、彼の両親が律法に背く罪を犯した結果になるのかという質問です。
 イエスは、そのどちらであるかを答えるのではなく、その質問が出てくる立場そのものの間違いを指し示されます。イエスは、きっぱりと「この人が罪を犯したからではなく、また両親が罪を犯したからでもない」と断定して、その目の見えない状態が罪の結果であること自体を否定されます。すなわち、弟子たち(および一般のユダヤ教徒)が立っている律法を基準とする因果応報の立場そのものを否定されるのです。
 イエスは父の絶対恩恵の場に生きておられます。恩恵が支配する場では、律法はそれを順守する者に救いの祝福を与え、違反する者に処罰として禍を下すための基準ではありません。父は、律法を守る「義人」にも、律法を守れない「罪人」にも、同じように雨を降らせ、陽の光を注ぐように、憐れみ深く取り扱ってくださるのです。恩恵の場では、律法は恩恵に生きる者の姿を指し示す指標に過ぎません。
 ですから、生まれながら目が見えないという不幸は、誰かの罪の結果ではありません。生まれながら目が見えないという事実は、父の恩恵がどのようなものかを示すための機縁に他なりません。それは、「この人に神の(恩恵の)業が現れるため」です。恩恵の場は因果律の支配を乗り越えます。すべての事実を、神の恩恵が現れるためという視点から受けとめさせます。

 「わたしたちは、わたしを遣わされた方の業を、まだ日があるうちに行わなければならない。だれも働くことができない夜が来る。わたしは、世にいる限り、世の光である」。 (四〜五節)

 目の見えない人の癒しの物語は、三節から六節に続きますが、その間に「わたしたち」に対する訴えが入ってきます。当時の労働者は日没で仕事ができなくなるという状況をたとえとして、「わたしたち」キリストに属する者たちは、イエスを遣わされた方の業を終わりの日が来るまでに成し遂げておかなければならないと、著者は訴えます。
 「わたしたち」がイエス自身とその一行を指すのであれば、「わたしが世にいる限り」は、「イエスが地上におられる間は」という意味になります。そうであれば、イエスがもはや地上におられない福音書の時代には、「だれも働くことができない夜」がすでに来ていることになり、福音書の読者に対するこの呼びかけは無意味になります。
 しかし(この福音書では通例のように)「わたしたち」がヨハネ共同体の告白であるとすれば、「わたしが世にいる限り」という句は、「復活者キリストが世界の中で働いておられる間は」と理解しなければなりません。ここで著者はヨハネ共同体の人たちに、門が閉ざされて裁きが始まるまでに、光であるイエスを信じるように呼びかける働きをしなければならないと、訴えていることになります。ここにも、地上のイエスの出来事を語る物語の中に、「継ぎ目なく」ヨハネ共同体の説教が編み込まれている実例が見られます。

 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で泥を作り、その泥を彼の両目に塗られた。そして彼に言われた、「シロアム―遣わされたという意味―の池に行って洗いなさい」。そこで、その人は行って洗い、見えるようになって帰ってきた。(六〜七節)

 マルコ福音書(八・二三)では、イエスは目の見えない人の目に唾をつけて癒しておられます。当時、霊能者はこのような仕草で信仰を呼び起こし、癒しの業を行ったことが多かったのでしょう。イエスもここで「地面に唾をし、唾で泥を作り、その泥を彼の両目に塗られた」とされています。ここでは、著者はマルコ福音書(八章)に伝えられている伝承を利用していると見られます。
 ところで、ここの「唾で泥を作る」、「泥を目に塗る」、「池で洗う」というような行為はすべて安息日に禁じられている行為ですから、この治癒行為が後で安息日違反として問題にされます(一四節)。ベトザタの池の場合(五・八〜一〇)と同じく、イエスはあえて安息日違反になるような形で癒しの業を行われたことになります。
 このように彼の目に泥を塗った上で、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われます。「シロアムの池」は神殿の丘の南斜面にある貯水池で、北にあるギホンの泉の水を地下の水道を通して導き、この池に貯めてエルサレムへの給水源としていました。
 著者はこの「シロアム」という名に「遣わされたという意味」と解説をつけています。「シロアム」は「遣わす」という意味のヘブライ語から派生した「導入」という意味の語で、「ハ・シロア」は「水道」を指しています。このような解説をつけたのは、父から「遣わされた」者であるイエスのもとに来て光を見るようになりなさい、という呼びかけの気持ちを重ねたものと考えられます。
 その人は行って洗い、見えるようになって帰ってきます。この生まれながらの目の見えない人の癒しにおいては、目の見えない人の信仰は問題になっていません。しかし、目の見えない人がイエスの言葉に従って行動したことに、彼のイエスへの信仰が示されています。目に塗られた泥が癒したのではなく、イエスの言葉とそれに従って行動した信仰が、神の力をもたらしたのです。