市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第17講

第七章 生きた水の流れ

       ―― ヨハネ福音書 七章 ――




第一節 仮庵祭に上るイエス

20 ガリラヤに留まるイエス(7章 1〜9節)

 1 そしてこの後、イエスはガリラヤを巡り歩かれた。ユダヤ人がイエスを殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡り歩こうとはされなかった。 2 さて、ユダヤ人の祭りである仮庵祭が近づいていた。 3 そこでイエスの兄弟たちが言った、「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。 4 公の者であることを求めながら、ひそかに事を行う者はいない。これらの事をするのであれば、世に自分を現しなさい」。 5 兄弟たちはイエスを信じていなかったのである。 6 そこで、イエスは兄弟たちに言われた、「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたたちの時はいつでも備えられている。 7 世はあなたたちを憎むことはできないが、わたしを憎んでいる。それは、わたしが世について、その業が邪悪であると証ししているからである。 8 あなたたちはこの祭りに上って行くがよい。わたしは上って行かない。わたしの時がまだ満ちていないからである」。 9 こう言って、自分はガリラヤに留まっておられた。

兄弟たちの忠告

 そしてこの後、イエスはガリラヤを巡り歩かれた。ユダヤ人がイエスを殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡り歩こうとはされなかった。(一節)
 現行の構成では、イエスはパンの出来事の後、そのままガリラヤに留まられたことになります。五章と六章が入れ替わっているという「錯簡」を認めると、七章は五章に続くことになり、ベトザタ池の出来事でユダヤ人の殺意が明らかになったので、ユダヤからガリラヤへ移られたことになります。

「錯簡」については、本書175頁の注を参照してください。なお、「錯簡」でもっとも基本的な問題は五章と六章の入れ替わりですが、その他にも錯簡や編集による入れ替えもあると見られ、研究者たちの「原ヨハネ福音書」の復元作業が続けられています。それらの研究をまとめて構成された私市元宏氏の「原ヨハネ福音書」のテキストによると、四章の後に六章、その後に五章が来ますが、五章四七節の後に七章一五〜二四節が入り、その後に七章一〜九節と七章二五節以下が続くことになっています。

 イエスがベトザタの池で安息日に病人を癒して安息日律法を故意に破っただけでなく、神を父と呼んで自分を神と等しい者としたとして、ユダヤ人はイエスを殺そうと狙うようになりましたが(五・一八)、その「ユダヤ人」とはエルサレムを拠点とするユダヤ教指導層のことです。それで、イエスは彼らの支配下にあるユダヤの地には入ろうとされず、彼らの直接の監視が及ばないガリラヤを巡り歩かれることになります。ガリラヤの住人もユダヤ人(ユダヤ教徒)ですが、彼らはイエスを殺そうと狙ってはいませんでした。したがって、ヨハネがここで(そして他の多くの箇所で)「ユダヤ人」というときは、ユダヤ人一般ではなく、ユダヤ教指導層という限定された人たちを指していることに留意しなければなりません。

ガリラヤではイエスに対する殺意はないのですから、イエスへの殺意を理由にあげてガリラヤへ行かれたことを語る本節は、ガリラヤを舞台とする六章よりも、エルサレムを舞台とする五章に自然に続きます。この考察も「錯簡」説を支持します。

 さて、ユダヤ人の祭りである仮庵祭が近づいていた。(二節)

 ここの「ユダヤ人」は、他の民族や宗徒と区別された「ユダヤ教徒」を指しています。仮庵祭は、過越祭、七週祭と並んでユダヤ教の三大巡礼祭の一つで、秋の収穫感謝の祭りです(申命記一六・一三〜一五)。ユダヤ教徒は、この祭りの時にはエルサレムに上って祭りに参加することが求められます。

 そこでイエスの兄弟たちが言った、「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公の者であることを求めながら、ひそかに事を行う者はいない。これらの事をするのであれば、世に自分を現しなさい」。(三〜四節)

 祭りが近づいていたので、イエスの兄弟たちはエルサレムに上ろうとして、イエスにこのように言います。これは、兄弟たちもイエスがガリラヤでなさった業を見ており、多くの群衆がイエスを歓呼しているのを見ているので、ガリラヤのような辺境の地ではなく、ユダヤ教の中心地であるユダヤへ行き、このような働きを聖都エルサレムでして、弟子を集めたらどうか、という示唆です。広く民衆の指導者として立とうとする者は、ひそかに事を行うべきではない、ユダヤ教の中心で自分の存在を誇示しなさい、という忠告です。

 兄弟たちはイエスを信じていなかったのである。(五節)

 この兄弟たちの忠告について、著者は「彼らはイエスを信じていなかったのである」というコメントをつけます。もし兄弟たちが(現在のヨハネ共同体のように)イエスを信じて、イエスが誰であるかを真に理解していたならば、このようなユダヤ教に伝統的な政治的なメシアの道を歩むように忠告することはなかったであろう、という説明です。この兄弟たちの忠告は、イエスが受難の道を歩むことを予告されたとき、伝統的な政治的メシア理解しかないペトロが、「そんなことはあってはなりません」といさめた(忠告した)共観福音書の物語(マタイ一六・二二)と同一線上にあります。
 なお、このイエスの兄弟たちの記事は、著者ヨハネがイエスの家族がガリラヤの住人であること、従ってイエスはガリラヤの人であることをよく知っていることを示しています。

わたしの時はまだ来ていない

 そこで、イエスは兄弟たちに言われた、「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたたちの時はいつでも備えられている」。(六節)

 この兄弟たちの忠告を、イエスは「わたしの時(カイロス)はまだ来ていない」と言って断られます。自分が世に遣わされた使命を果たす出来事が起こる決定的な時(カイロス)はまだ来ていないのだからという理由で断られるのです。
 新約聖書で「時」《カイロス》という用語は、この場合のように、ある特別の意味をもった出来事が起こる時点とか時機を指すことがあります。ヨハネ福音書では、「わたしの時」という表現が重要な役割を果たしています。それは、イエスが十字架にかけられて地から上げられることと、復活して天に上げられることが重なって、イエスが「人の子」としての使命を完成される時を指しています(三・一四、一二・二七〜三四参照)。それはエルサレムで起こることとして、イエスはこの時エルサレムに上ることを断る理由とされます。
 「わたしの時はまだ来ていない」のに対して、「あなたたちの時はいつでも備えられている」と言われます。「あなたたち」は、直接には対話の相手であるイエスの兄弟を指しますが、間接的に彼らが代表する、この世に属する者たち一般を指しています。「あなたたちの時はいつでも備えられている」とは、この世に属する者たちがこの世の事柄を行う時機はいつでもあるという意味になります。
 このイエスと兄弟たちの対比が、続いて世から受ける憎しみの違いとして語られます。

 「世はあなたたちを憎むことはできないが、わたしを憎んでいる。それは、わたしが世について、その業が邪悪であると証ししているからである」。(七節)

 世は、世に属する者たちを憎むことはできません。彼らは自分に属する者たちだからです。ところが、世はイエスを憎みます。イエスはこの世に属する者ではなく、この世に対立し、世がなす業が邪悪であることを暴露する方であるからです。イエスの姿は、世界の在り方が間違っていることを示しています。
 ところで、この福音書が「世」《コスモス》というとき、ギリシア人が存在界全体を《コスモス》と呼ぶような意味で用いている場合や、世間の人々一般を指す常識的な用法もありますが、しばしば自分たち(ヨハネ共同体)に厳しく対立しているユダヤ教世界(具体的にはユダヤ教会堂勢力)を指していることがあります。ここも、イエス(およびイエスを信じて生きているヨハネ共同体)とユダヤ教会堂勢力との対立として読むといっそう輪郭がはっきりしてきます。イエスの生涯とヨハネ共同体の存在は、ユダヤ教の在り方が間違っていることを顕わにするのです。この福音書は、イエスを殺し、イエスを告白する者(ヨハネ共同体)を憎み迫害するユダヤ教会堂勢力の「業が邪悪である」と告発します。この主題は福音書全体に繰り返し現れます。

 「あなたたちはこの祭りに上って行くがよい。わたしは上って行かない。わたしの時がまだ満ちていないからである」。こう言って、自分はガリラヤに留まっておられた。(八〜九節)

 あなたたち、すなわちユダヤ教に所属している人たちが、その祭儀にあずかるためにエルサレムに上って行くのは当然です。しかし、イエスは「わたしは上って行かない」と言われます。そして、エルサレムで使命を果たすべき「わたしの時(カイロス)」がまだ満ちていないからだと理由を加えられます。
 ここで「時(カイロス)が満ちる」という表現が用いられています。この表現は、マルコ福音書がイエスの神の国宣教の主題として掲げたイエスの第一声にも用いられています(マルコ一・一五)。これは、イエスの十字架と復活の出来事こそ、イスラエルの歴史が準備し、預言者が預言したことの実現であるとする福音の告知の第一項に他なりません(ローマ一・二、コリントT一五・三〜五)。この「時は満ちた」という告知は、初期の福音宣教において共通の標語であったと見られます。ヨハネ福音書はそれを、「わたしの時」という言葉で、イエス御自身が語られたとするのです。
 「わたしの時がまだ満ちていない」と言って、イエスはガリラヤに留まっておられます。ユダヤ教徒である兄弟が神殿のあるエルサレムにいるとき、イエスは神殿のない辺境の地ガリラヤにおられることは象徴的です。イエスに属する民は神殿のないところで、イエスと共に神を拝むことになります。

21 仮庵祭に上るイエス(7章 10〜24節)

 10 だが、兄弟たちが祭りに上って行った時、イエスもまた人目を避け、ひそかに上って行かれた。 11 ところで、ユダヤ人たちは祭りの間イエスを捜し、「あの男はどこにいるのだろう」と言っていた。 12 群衆の間では、イエスについていろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。 13 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者は誰もいなかった。
 14 祭りもすでに半ばになったころ、イエスは神殿に上って行って、教え始められた。 15 すると、ユダヤ人たちは驚いて言った、「この男は学んだこともないのに、どうして聖書が分かるのか」。 16 そこで、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしを遣わされた方の教えである。 17 誰でも、この方の御心を行おうとするならば、この教えが神からのものであるか、わたしが自分自身から語っているものであるかが分かるであろう。 18 自分から語る者は自分自身の栄光を求めるが、自分を遣わされた方の栄光を求める者は真実であって、その中に不義はない。 19 モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。それだのに、あなたたちの中で律法を行う者は誰もない。なぜ、あなたたちはわたしを殺そうとするか」。 20 群衆は答えた、「お前は悪霊につかれている。誰がお前を殺そうとしているものか」。 21 イエスは答えて彼らに言われた、「わたしが一つの業をしたので、このことであなたたち皆が驚いている。 22 モーセがあなたたちに割礼を与えたので、――実はモーセからではなく、父祖たちからであるが――あなたたちは安息日でも人に割礼を施している。 23 モーセの律法が無効にならないように、人は安息日でも割礼を受けるのに、わたしが安息日に人を全身すこやかにしたことで、わたしに腹を立てるのか。 24 外見で裁かず、正しい裁きをしなさい」。

ひそかにエルサレムへ

 だが、兄弟たちが祭りに上って行った時、イエスもまた人目を避け、ひそかに上って行かれた。(一〇節)

 兄弟たちはイエスに、「公の者であることを求めながら、ひそかに事を行う者はいない。これらの事をするのであれば、世に自分を現しなさい」と言って、イエスにエルサレム行きを促しました(四節)。しかし、イエスは「公の者であることを求める」ことはなく、「人目を避け、ひそかに」エルサレムに上られます。
 この時、エルサレムに上られたイエスは、再びガリラヤに戻られることはありません。秋の仮庵祭から、冬の神殿奉献記念祭(一〇・二三)を経て、翌年春の過越祭に受難されるまで、エルサレムとその周辺で活動されることになります。この点で、過越祭のときにエルサレムに上り受難されたとする共観福音書の記述とは異なります。

 ところで、ユダヤ人たちは祭りの間イエスを捜し、「あの男はどこにいるのだろう」と言っていた。(一一節)

 ここの「ユダヤ人」は、祭りに来ている一般のユダヤ人群衆ではなく、ユダヤ教指導層を指します。彼らは、イエスを殺そうとして、イエスを捜しているのです(五・一八)。

この節も、七章が六章ではなく五章に続いているとする「錯簡」説を補強します。

 群衆の間では、イエスについていろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。(一二節)

 ユダヤ教指導層はイエスに対する殺意を固めていましたが、群衆の意見は分かれていました。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいました。ユダヤ教において「惑わす」とは、正しくない律法の解釈を教え、律法に反する行為に導くことです。このような行為をなす者には死刑を含む厳しい処罰が定められていました。

 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者は誰もいなかった。(一三節)

 群衆もユダヤ人ですから、この「ユダヤ人たち」は、ユダヤ人群衆とは区別されるユダヤ教指導層を指すことは明らかです。ここは、ヨハネが用いる「ユダヤ人」の意味がはっきり出ている実例です。
 ユダヤ人群衆は、会堂などでのユダヤ教指導層からの処罰を恐れて、公然とイエスについて語る者は誰もなく、お互いの間でイエスのことをいろいろと「ささやいていた」のです。

仮庵祭での論争

 祭りもすでに半ばになったころ、イエスは神殿に上って行って、教え始められた。(一四節)

 仮庵祭は七日間にわたって行われました(申命記一六・一五)。「祭りもすでに半ばになったころ」、すなわち祭りの三日目か四日目に、イエスは神殿で公然と教え始められます。

以下に続く部分(一五〜二四節)は、本来五章四七節に続く部分であったのが、「錯簡」または編集によってここに置かれたと見る研究者もあります(先にあげた私市元宏「原ヨハネ福音書のテキスト」参照)。その理由は、この部分の各節の内容にあるので、以下の講解の中で触れることになります。たしかに、この部分を五章四七節に続け、この一四節を二五節に続けて読むと、物語はいっそう理解しやすくなります。もし編集による変更であるならば、この部分の鍵になる語が「わたしの教え」であることから、編集者がこれを仮庵祭での教えの内容として、一四節に続けたことが考えられます。

 すると、ユダヤ人たちは驚いて言った、「この男は学んだこともないのに、どうして聖書が分かるのか」。 (一五節)

 彼らの言葉から、ここでイエスは聖書を引いて教えられたことが分かります。「ユダヤ人たち」、すなわち聖書の専門家であることを自任するユダヤ教指導層は、自分たちと違う聖書理解をもって民衆を教えるイエスの教えに「驚き」ます。この驚きは、イエスの知恵に驚嘆したというのではなく、自分たち権威ある者の教えと違うことを神殿で大胆に教えるイエスの態度に驚愕したという意味です。
 「学んだこともない」というのは、ラビに弟子入りして、正式に律法の教育と伝授を受けたこともないという意味です。律法を教える者は、その教えがどのラビの権威によるのかが問われました。イエスは、そういう意味では誰かのラビの弟子として正式の印可を受けたラビではありません。いわば無免許で教えるイエスの大胆不敵さに、彼らユダヤ人たちは驚くのです。

「学んだこともない」というのは、公認の律法学者ではなかったというだけで、イエスが「無学のただ人」とか「ガリラヤの貧しい一小作農民」であったという意味ではありません。イエスが高度の律法知識と理解力を持っていたことは、十二歳にしてエルサレムの律法学者たちと専門的な議論をしていたことにも現れています(ルカ二・四一〜五一)。また、民衆から「ラビ」と呼ばれていたのも、律法についてのイエスの学識の深さを示唆しています。フルッサーはその著『ユダヤ人イエス』で、「イエスのユダヤ教の教養は聖パウロが受けた教育よりも比較できないほどすぐれていた」と言っています(引用は池田・毛利訳から)。

 「どうして聖書が分かるのか」というのは、イエスの聖書理解の深さに驚いているのではなく、正式に律法学者について学んだこともない者にどうして聖書がわかるものか、という批判または非難です。以下のイエスの答えは、イエスの教えに従うヨハネ共同体に対するユダヤ教からの批判に対して、ヨハネ共同体がイエスの教えこそ神からのものであるとする弁証と重なっています。

「聖書が分かる」と訳したところは、原文では「《グラマタ》を知っている」となっています。《グラマ》は本来「文字」を意味しますが、その複数形《グラマタ》は「書かれたもの」一般を指し、ユダヤ教社会では「聖書」を指しています。岩波版は「文字を知っている」と訳していますが、ユダヤ人の子供はみな会堂で聖書を教えられているので、「文字」を知っていることは普通です。それで、ここはやはり「聖書が分かる」と理解すべきでしょう。協会訳は「律法の知識をもっている」、新共同訳は「聖書よく知っている」と訳しています。なお、ここを五章四七節の続きとして読むならば、そこの「モーセの書いたこと」(《グラマ》の複数形)を受ける表現として、よく続きます。

神からの教え

 そこで、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしを遣わされた方の教えである」。(一六節)

 イエスは彼らユダヤ人たちに、自分の教えが自分の着想から出た新奇なものではなく、イエスを遣わされた方、すなわちイエスの父でありイスラエルの神である方の教えに他ならないと宣言し、その根拠を続けて語られます。

 「誰でも、この方の御心を行おうとするならば、この教えが神からのものであるか、わたしが自分自身から語っているものであるかが分かるであろう」。(一七節)

 「この方」は、前節の「わたしを遣わされた方」を指しています(原文は「彼」)。イエスを遣わされた方、すなわち父の御心を行おうとするならば、という言い方は、その方の御心が分かっていることが前提されています。それは、イエスを遣わされた方はイスラエルの神であり、その神の御心は律法によって示されているという理解が前提されています。もし律法を真剣に行おうとすれば、イエスが教えておられることが神から出たものであるのか、それともイエスが自分の思いから勝手に語っておられるものであるかが分かるはずだというのです。この節は、イエスの教えは聖書の律法とは別物であるのではなく、律法を成就するものであるというユダヤ人キリスト教徒の確信(マタイ五・一七参照)を、ヨハネも共有していることを示しています。

 「自分から語る者は自分自身の栄光を求めるが、自分を遣わされた方の栄光を求める者は真実であって、その中に不義はない」。(一八節)

 さらに、教えの真偽を判断する基準として、語る者が誰の栄光を求めているかという基準が加えられます。「自分から語る者は自分自身の栄光を求める」ものです。ところが、イエスは自分の栄光を求めることはなく、いつも「自分を遣わされた方」、すなわち父の栄光を求めておられます。この事実が、イエスの教えがイエスという人間から出たものではなく、父から出たものであり、それを語るイエスは真実を語る方、その中に嘘とか偽りのない方であるとを示している、とヨハネ共同体は「ユダヤ人たち」に弁証します。ここでの「不義」は、「真実」の反対語として、ほとんど「嘘、偽り」と同じです。

理不尽な殺意

 「モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。それだのに、あなたたちの中で律法を行う者は誰もない。なぜ、あなたたちはわたしを殺そうとするか」。(一九節)

 ここの「あなたたち」は、「ユダヤ人たち」、すなわちイエスと対立し、イエスを律法の冒?者として殺そうとするユダヤ教指導層を指しています。あなたたちはモーセ律法は神からのものであるとしているが、あなたたちの中で律法を行う者は誰もないではないか、とヨハネ共同体はユダヤ教会堂に対する反駁をイエスの言葉として突きつけます。
 その上で著者ヨハネは、「なぜ、あなたたちはわたしを殺そうとするか」と、イエスを殺したユダヤ教指導層に対する詰問を、地上のイエスに語らせます。この詰問は、ベトザタの池での出来事と、その時のイエスの言葉から、「ユダヤ人たちはますますイエスを殺そうと狙うようになった」(五・一八)ことを受けています。

この殺意への詰問とモーセ律法への言及は、この一段を五章に続けて読む方が自然であることを示唆しています。すなわち、「錯簡」または編集を認める方が、物語は自然に続きます。

 群衆は答えた、「お前は悪霊につかれている。誰がお前を殺そうとしているものか」。(二〇節)

 ここまでイエスは「ユダヤ人たち」に「答えて言われた」となっているのに(一五節と一六節)、ここで突然、イエスの詰問に対して「群衆は答えた」となります。「ユダヤ人たち」は確かにイエスに対して殺意を抱いています(五・一八)。しかし、群衆の態度は割れています(一二節)。イエスを信じない者も、イエスに殺意まではもっていません。ただ、イエスの言葉があまりにもユダヤ教の常識とかけ離れているので、「お前は悪霊につかれている」という判断しかできないのです。これは、律法が支配する社会の常識からいちじるしく外れた人物に投げかけられた罵声です。
 「彼は悪霊に憑かれている」というレッテルは、共観福音書にも出てきます。洗礼者ヨハネもこう呼ばれています(マタイ一一・一八)。律法学者たちはイエスについて「彼はベルゼブルに取りつかれている」とか「彼は悪霊どもの頭によって悪霊を追い出している」と判断し、世間の人々も「イエスは気が狂っている」と言っていました(マルコ三・二一〜二二)。
 イエスと「ユダヤ人たち」の間で動揺し、「悪霊につかれている」としか見ることができない群衆に向かって、イエスは(ひいてはヨハネ共同体は)「外見で裁かず、正しい裁きをしなさい」と、正しい判断をするように呼びかけます。そして、その判断の材料として、割礼の問題を取り上げます。

 イエスは答えて彼らに言われた、「わたしが一つの業をしたので、このことであなたたち皆が驚いている」。(二一節)

 「一つの業をした」というのは、イエスの奇跡的な業一般ではなく、「一つの」業、すなわち、ベトザタの池で足の麻痺した人を癒された業を指しています。ここの論争(七・一五〜二四)は、ベトザタの池での出来事をめぐる論争(五章)の続きとして読むと理解しやすくなります。

原文の二二節の最初に「このことのゆえに」という句があります。この句は二二節の内容に続かないので、新共同訳はこの句を無視しています。写本には(節分けはもちろん)句読点がないことを考慮すると、この句は直前の「皆が驚いている」を修飾すると見るほうが自然です。したがって、訳文では二一節に含まれることになります。

 「驚いている」のは、奇跡的な出来事に驚いているだけでなく、イエスが安息日をあえて破るような振る舞いをされたことに驚いたのです。とくに「ユダヤ人たち」(律法学者などユダヤ教指導層)のこの驚きが、イエスを異端者として訴えて処刑しようとする殺意へと変わっていきました。安息日を破るように教唆する行為は、ユダヤ教では死罪に相当します。

 「モーセがあなたたちに割礼を与えたので、――実はモーセからではなく、父祖たちからであるが――あなたたちは安息日でも人に割礼を施している」。(二二節)

 創世記はモーセの書の一部です。したがってユダヤ教では、創世記一七章で命じられている割礼の規定は、モーセによって与えられた規定となります。著者は、このユダヤ教の常識に従って「ユダヤ人たち」と論争しています。
 その後に、「実はモーセからではなく、父祖たちからであるが」という文が挿入されています。この部分は、後の編集者による挿入と見られます。割礼はモーセではなくアブラハムの時代から始まっているので、後の編集者がよりいっそう正確な表現を加えて、批判をかわそうとしたのでしょう。
 ユダヤ教では安息日でも割礼は施していました。ここでは、ユダヤ教で普通に行われている慣習を取り上げて、イエスが安息日に病人を癒されたことを律法違反として非難する「ユダヤ人」を反駁する論拠にしています。同じような安息日の癒しを批判する者に対して、マルコ福音書(三・四)では、イエスは「安息日に許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」と反論しておられます。すなわち、ユダヤ教とは関係なく、人間としての倫理観が論拠にされていますが、ヨハネ福音書はモーセ律法の規定を論拠にすることで、ユダヤ人同士の論争という性格が強く出ています。

 「モーセの律法が無効にならないように、人は安息日でも割礼を受けるのに、わたしが安息日に人を全身すこやかにしたことで、わたしに腹を立てるのか」。(二三節)

 割礼は身体の一部に手を加えるのに対して、イエスの癒しは全身をすこやかにする行為です。身体の一部と全身が対照されて、小さいことが許されるのであれば、大きいことはなお許されるというユダヤ教の論理がここに用いられています。

 「外見で裁かず、正しい裁きをしなさい」。(二四節)

 外から見える行為を律法の規定に照らして判断するのではなく、その行為が出てくる源である霊の質をしっかり見極めるように求め、それを「正しい裁きをする」と表現しています。ここでも、イエスの言葉に、対立するユダヤ教会堂勢力に対して向けられたヨハネ共同体の訴えが重なっています。

以上の論争(七・一五〜二四)は、五章のベトザタの池での癒しに続く論争として、とくに五章四七節に続く部分として読むと、いっそう理解しやすくなります。仮庵祭でのイエスの教えの中身とするために、編集者がここに移した可能性が考えられます。七章一四節は、この箇所を飛ばしても、二五節に十分自然に続きます。