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第六章 いのちのパン

       ―― ヨハネ福音書 六章 ――




第一節 いのちのパンについての対話

15 五千人に食べ物を与える(6章 1〜15節)

 1 このようなことの後、イエスはガリラヤの海、すなわちティベリアの海の向こう側へ立ち去って行かれた。 2 大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。 3 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。 4 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
 5 イエスは目を上げ、大勢の群衆が自分のもとにやって来るのを見て、フィリポに言われる、「この人たちに食べさせるために、どこからパンを買ってくればよいだろうか」。 6 これはフィリポを試みるために言われたのであって、ご自分は何をしようとしているか知っておられたのである。 7 フィリポは答えた、「めいめいが少しずつ受け取るためにも、二百デナリオンのパンでも足りないでしょう」。 8 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレがイエスに言う、 9 「ここに、大麦のパン五つと魚二匹を持っている若者がいます。けれども、これほどの人たちにとっては、これは何になるでしょうか」。
 10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。その場所には草がたくさんあった。男たちは座ったが、その数はおよそ五千人であった。 11 すると、イエスはそのパンを取り、感謝を捧げ、魚も同じようにして、横になっている者たちに欲しいだけ分け与えられた。 12 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに言われる、「何も無駄にならないように、残ったパン屑を集めなさい」。 13 そこで彼らは、人々が五つの大麦のパンを食べて残したパン屑を集めて、十二の籠をいっぱいにした。
 14 すると、人々はイエスがされたしるしを見て、「この方こそほんとうに世に来るはずのあの預言者である」と言った。 15 そこでイエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしていることを知り、ひとりで再び山に退かれた。

ガリラヤの山で

 このようなことの後、イエスはガリラヤの海、すなわちティベリアの海の向こう側へ立ち去って行かれた。(一節)

 「このようなことの後」とありますが、五章の終わりでは、イエスはエルサレムにおられます。その後、イエスがガリラヤへ行かれたことを語らないで、突然「イエスはガリラヤの海、すなわちティベリアの海の向こう側へ立ち去って行かれた」と書くのは、たしかに不自然です。四章の終わりでは、イエスはガリラヤのカナにおられるのですから、そこから「海の向こう側へ立ち去って行かれた」と続く方が自然です。それで六章一節は、五章よりも四章の終わりに続くと見る方が自然に読めます。このため、五章と六章が入れ替わっているのではないかという「錯簡」の問題が起こってくることになります。「錯簡」を認めて、五章よりも先に六章を読んだとしても、その内容の理解に差し支えがあるとは考えられません。

「錯簡」の問題については、175頁の「錯簡」についての注記を参照してください。

 当時、ガリラヤ湖は「海」と呼ばれていました(海と湖は同じギリシア語です)。「海」を説明する「ガリラヤの」という語の後ろに、さらに「ティベリアの」という語が続いています。通常説明的な付加は後ろに付けられるので、後の編集者が自分の時代の読者のために、原著の「ガリラヤの海」の後ろに「ティベリアの海」というローマ風の呼び名を加えたと見てよいでしょう。

「ティベリアス」は、後20年にガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスがティベリウス帝を記念してガリラヤ湖西岸に建設したローマ風の都市です。したがって、「ティベリア湖」という呼び名はそれ以後になります。この呼び方は、新約聖書ではヨハネ福音書だけに出てきます(ここと二一・一)。このような呼び方にも、この福音書が最終的にはパレスチナ以外の異邦人環境で成立したことが示唆されています。

 ヨハネ福音書では、カナやカファルナウムがある西岸から向こう側の東岸に渡り、そこでパンの奇跡が行われ(一〜一五節)、その後再び西岸のカファルナウムに渡るときに水の上を歩くイエスの顕現があり(一六〜二一節)、到着したカファルナウムで命のパンについての対話がなされたことになります(二二〜二五節)。
 ところがマルコ福音書では、イエスは「舟に乗って人里離れた所へ」行き(しかしまだ西岸におられます)、そこでパンの奇跡が行われた後(マルコ六・三二〜四四)、そこから「向こう岸の(東北岸にある)ベトサイダへ」渡るときに湖上の顕現があったことになります(六・四五〜五二)。マタイはほぼマルコに従っていますが、ベトサイダという地名は略しています。ルカは、ベトサイダでパンの奇跡が行われたと伝えるだけで(ルカ九・一〇〜一七)、湖上の往復の記事はありません(したがって湖上の顕現記事もありません)。このように、パンの奇跡が行われた場所については、福音書の記事は混乱していますが、イエスが群衆から離れ、寂しいところへ「立ち去って行かれた」ことは共通しています。

 大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。(二節)

 立ち去って行かれたイエスの後を大勢の群衆が追います。エルサレムの住民がガリラヤ湖の向こう側へ立ち去られたイエスの後を追うのは不自然で、当然この群衆はガリラヤの人たちのはずですから、この記事も四章からの続きと読まなければなりません。
 大勢の群衆が後を追ったのは、「イエスが病人たちになさったしるしを見たから」、さらに自分たちの必要を満たしてもらうためでしょう。ガリラヤでイエスが病人をいやされた出来事は、カファルナウムの役人の息子をいやされた記事(四・四六〜五四)があるだけです。しかし、ガリラヤの人たちも祭りに行って、エルサレムでイエスが行われたしるしを見ていたので、ガリラヤでもイエスに対する期待は大きかったようです(四・四五)。また、ガリラヤの人たちが「イエスが病人たちになさったしるし(複数形)を見たから」とあるのは、イエスが実際にガリラヤでも多くのいやしを行われたことを前提にしている可能性もあります。この福音書は、イエスがなされた「しるし」を見て信じるように、呼びかける一面があります。

 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。(三節)

 ユダヤ教においては、山はいつも啓示の場所です。モーセはシナイ山で神から律法を授けられました。イエスも山に登って「御国の福音」を説き(マタイ五・一〜二)、山で復活者の栄光を示されました(マタイ一七・一以下、二八・一六以下)。著者(または編集者)は、パンの奇跡を啓示の出来事として意味づけるためにこの節を入れたと見られます(共観福音書にはこのような記事はありません)。しかし、「大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て」(五節)とか、男五千人が回りに座った(一〇節)のは、山の中よりも平地での出来事と見る方が自然です。一五節の「再び山に退かれた」の「再び」を重視すれば、イエスは弟子たちと一緒に山に登り、祈り教えられた後、いったん平地(あるいは山の中のやや平らな場所)に下りて来て群衆にパンを与え、再び山に退かれたことになります。
 イエスは「弟子たちと一緒にそこにお座りになった」とあります。ユダヤ教では、ラビは座って弟子たちを教え、弟子たちも師の前に座って教えを聴きました。この一文は、マタイの「山上の説教」がそうであったように(マタイ五・一〜二)、イエスは山では弟子たちに教えを説かれたことを示唆しています。

 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。(四節)

 ヨハネ福音書では、イエスはほぼ祭りの度ごとにエルサレムに上り、都で活躍されています。しかし、この年の過越祭にはエルサレムに上らず、ガリラヤにおられたことになります(共観福音書と同じ)。前の年の過越祭にはエルサレムに上り(二・一三)、翌年の過越祭(一一・五五、一二・一)が最後の過越祭になるので、イエスの公の活動期間は三回の過越祭を含み、少なくとも二年を超え、三年近くになる可能性もあることになります。
 著者ヨハネは「ユダヤ人の祭り」(年三回の巡礼大祭)を、福音書の構成原理として用い、かつイエスはユダヤ教神殿祭儀の意義を成就する方であるとしている(四・二一参照)ので、ここでも過越祭の意義がパンの奇跡で成就されているという主張がこめられています。その意義は、二二節から始まる長大な対話で展開されることになります。
 なお、著者はユダヤ教の巡礼大祭を「ユダヤ人の祭り」と、何か他人事のように呼んでいます。著者自身はユダヤ人であると考えられますが、ユダヤ教からは遠く離れたところで生きている異邦人に向かって語りかけているという環境と、ユダヤ教会堂と厳しく対立しているという状況から、このような呼び方をすると見られます。

弟子たちとの対話

 イエスは目を上げ、大勢の群衆が自分のもとにやって来るのを見て、フィリポに言われる、「この人たちに食べさせるために、どこからパンを買ってくればよいだろうか」。(五節)

 群衆にパンを与えることについてのイエスと弟子の対話では、共観福音書には特定の弟子は名指しされていませんが、ヨハネ福音書ではフィリポとアンデレが名指しされています。フィリポは、共観福音書では十二使徒の人名表に出てくるだけですが、ヨハネ福音書では重要な役割を果たしています(ここ以外では一・四三〜四八、一二・二一〜二二、一四・八〜九)。パンの奇跡が行われた場所が、ルカ(九・一〇)が伝えるようにベトサイダであれば、ベトサイダ出身のフィリポ(一・四四)に「どこから買ってくればよいのか」の問いが向けられたことは自然なことになります。

「フィリポに言われる」という原文の動詞は現在形です。この段落の動詞は現在形と過去形が混じっていますが、この混在については、62頁の注記を見てください。

 これはフィリポを試みるために言われたのであって、ご自分は何をしようとしているか知っておられたのである。(六節)

 六節は、「しるし資料」のパンの奇跡物語の意義を説明するために著者(または編集者)がつけた説明であると見られます。イエスが、ご自分がこれからなそうとしておられることを知っておられるのに、弟子に質問されたのは、弟子の信仰を試すためであると、著者は説明します。

 フィリポは答えた、「めいめいが少しずつ受け取るためにも、二百デナリオンのパンでも足りないでしょう」。(七節)

 「デナリオン」は労働者一日分の賃金に相当します。したがって二百デナリオンは、現在の貨幣価値では数百万円の金額になります。「二百デナリオンでは」(新共同訳)という訳では、弟子たちが二百デナリオン持っていることになるので、「たとえ二百デナリオンがあっても」の意味に理解します。フィリポの答えは(次のアンデレも)、彼の思いが人間の常識の範囲内にとどまり、神の力と働きを想像することができないことを示しています。イエスがされようとしていることと、それについての対話者の理解との間にあるギャップは、この福音書の対話の構成原理の一つです。

 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレがイエスに言う、「ここに、大麦のパン五つと魚二匹を持っている若者がいます。けれども、これほどの人たちにとっては、これは何になるでしょうか」。(八〜九節)

 「シモン・ペトロの兄弟アンデレ」は、共観福音書ではシモンと一緒に召されたことと十二使徒の人名表に出てくるだけですが、ヨハネ福音書ではシモンをイエスのもとに連れてきた人物として(一・四〇〜四二)、また、ここと一二・二二で、フィリポと一対で重要な役割を果たしています。アンデレもフィリポと同じくベトサイダの出身です(一・四四)。共観福音書がシモン・ペトロを重視するのに対して、ヨハネ福音書はこの二人の役割を重視しています。
 「魚二匹」の原語は「二つの《オプサリオン》」です。この《オプサリオン》という語は、本来パンに添えて食べられた「調理された食物」を意味します。干したり味つけされた魚がよく用いられました。この語が用いられるのはヨハネ福音書だけで、共観福音書はみな「魚」という語を用いています。携帯食に生魚をもってくることはまずないので、ヨハネ福音書の記述が正確であると考えられます。しかし、ギリシア語で「イエス・キリスト・神の・子・救い主」の最初の文字を並べると「魚」という単語になるので、「魚」は救いとか復活の象徴とされ、初期のキリスト教徒は魚のシンボルを好んで用いました。共観福音書にはこの傾向が反映しているのかもしれません。
 「若者」と訳した語は、小さい子供を意味する語ですが、若者とか若い奴隷という意味でも用いられます。ここでは、荒野に「男五千人」が集まったのはメシア運動としての出来事であったと見るので(次の一〇節の講解を参照)、子供とか少年ではなく「若者」と理解します。

五つのパンを五千人に

 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。その場所には草がたくさんあった。男たちは座ったが、その数はおよそ五千人であった。(一〇節)

 過越祭は春にあります。マルコ(六・三九)は「青草」としていますが、他の福音書はみな「草」だけです。草の上に座ったのは「男たち」で、「その数はおよそ五千人であった」と伝えられています。マルコ(六・四四)もこの場に集まった人々を「男が五千人」と伝えています(ルカ九・一四も同じです)。また、「百人、五十人ずつ組になって」座ったこと(マルコ六・四〇、ルカ九・一四)も考慮に入れると、これは軍隊組織の形ですから、この時の群衆は、イエスをメシアとして戴いて蜂起しようとして荒野に集まった男たちであったと見られます。そのことは、人々はイエスを「王にしようと」したというすぐ後の記述(一四〜一五節)に明言されています。ヨハネ福音書はこの出来事の性質をもっとも忠実に伝えていると見られます。マタイ(一四・二一)だけが「女と子供を別にして、男が五千人ほど」とし、その場に女や子供もいたことにしていますが、これはこの時の集まりからメシア運動としての性格を取り除いて、イエスの民衆に対する憐れみの場として描こうとしたからでしょう。

この出来事を共観福音書が伝えるさいの伝え方については、拙著『マルコ福音書講解T』264頁「34 五千人に食べ物を与える」を参照してください。

 すると、イエスはそのパンを取り、感謝を捧げ、魚も同じようにして、横になっている者たちに欲しいだけ分け与えられた。(一一節)

 共観福音書では、イエスは裂いたパンを弟子たちに渡し、弟子たちが人々に配ったことになっていますが、ヨハネ福音書ではイエスが直接手渡されます。「パンを取り、感謝を捧げて」とあるのは、最後の晩餐のときのイエスの振る舞いを伝える表現(マルコ一四・二二)と同じです。さらに、「横になっている者たちに」とあるのは、一〇節の「座った」とは違う動詞で、この動詞は最後の晩餐のときに用いられており、「席についた」と訳されることが多い動詞です。この動詞は、卓に向かって横たわるという意味で、食事の時の姿勢を示しています。このような語法から見ても、一一節が最後の晩餐の伝承を用いていることをうかがわせます。
 実際、ガリラヤ湖畔の寂しい荒野で大勢の男たちが集まり、イエスを指導者として立てて、イスラエルに新しい時代をもたらそうとする動きがあったのでしょう。ところが、イエスは彼らのメシア待望とは違う内容の「神の国」を説かれたので、多くの弟子たちが失望して、イエスから去ります(六・六六)。その時にイエスが弟子たちの持っている僅かの食べ物で彼らを満腹させたという伝承が、聖餐の場で信仰を保つ民の中で語り伝えられる過程で、このような物語を形成したと考えられます。

ガリラヤ湖畔での出来事と最後の晩餐の重なりについては、拙著『マルコ福音書講解U』の終章「91復活者の顕現」の中の「食卓での顕現」を見てください(348頁)。

 僅かの食物で多くの人が食べて残したという物語は旧約聖書にもあり(列王記下四・四二〜四四)、この段落はイエスが預言者エリシャ以上の方であることを物語っています。しかし、それよりもモーセがイスラエルの民にマナを与えた物語(とくに民数記一一章)が比較の対象になっていることは、以下のパンについての対話(六・二二〜五九)からも明らかです。
 この出来事が何を意味するのかについて、この出来事を語り伝える伝承が形成される過程で、その意義が加えられて、それぞれの福音書の物語が出来上がりました(共観福音書における意義づけについては、拙著『マルコ福音書講解T』264頁「34五千人に食べ物を与える」を参照してください)。その中でヨハネ福音書は、このパンの出来事をめぐるイエスと群衆との対話という形で、この出来事の意義を語る長大な説教(六・二二〜五九)をつけています。したがって、この出来事の意義については、そこで詳しく扱うことになりますので、ここではその出来事を語る語り方に注意を向けるに止めます。

 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに言われる、「何も無駄にならないように、残ったパン屑を集めなさい」。そこで彼らは、人々が五つの大麦のパンを食べて残したパン屑を集めて、十二の籠をいっぱいにした。(一二〜一三節)

 このパンの奇跡の物語を語り伝えたとき、当時の信仰者はこの言葉に自分たちの状況に対する主イエスの語りかけを聴いていたはずです。イエスが「何も無駄にならないように」残ったパン屑を集めなさいと言われた言葉に、彼ら(そしてわたしたちも)は、神がどのような小さい者も失われないように願っておられることを感じていたことでしょう。
 さらに、それが「残った」パン屑であることは、選びに取り残された異邦諸民族を神のもとに集めることを指していると見られます。異邦の女が「小犬も食卓から落ちたパン屑をいただきます」と言っていることが連想されます(マルコ七・二八)。そのパン屑を集めて、「十二の籠をいっぱいにした」というのは、異邦諸民族への宣教によって、十二という数で象徴される神の民の数が満ちることを意味することになります。
 イエスを命のパンとして宣べ伝える福音の宣教が、広く世界に行き渡り、異邦諸民族が主イエス・キリストを信じるようになって、神の民の数が満ち、神の御計画が成就する時を、この物語を語り伝える人々は望み見ていたのでしょう。

 すると、人々はイエスがされたしるしを見て、「この方こそほんとうに世に来るはずのあの預言者である」と言った。(一四節)

 「世に来るはずのあの預言者」とは、申命記一八・一五でモーセが、将来「主は、わたしのような預言者を立てられる」と預言した預言者を指します。当時ローマの支配下で、ヤハウェの直接支配(神の支配)の実現を目指す運動(とくに熱心党の運動)が起こり、それを実現するメシアとして、モーセが預言した「あの預言者」の到来が熱く待望されていました。事実、イエスが活動された時代には、霊的カリスマの豊かな人物がメシアと仰がれ(たとえば洗礼者ヨハネ)、またメシアと自称して(たとえばガリラヤのユダなど)、異教徒の支配下にあるイスラエルの民を解放する運動が盛んになっていました。

イエスの時代のメシア運動については、拙著『マルコ福音書講解U』119頁「時代の状況」を参照してください。

 「イエスがされたしるし(単数形)を見て」、イスラエルの民衆は、イエスこそ神の支配を実現する「あの預言者」、メシアであると期待します。このように五つのパンで五千人を満腹させるという驚くべき「しるし」を行われるイエスは、その内に働く絶大な神の力によって、神に敵対する勢力を打ち破り、神の民イスラエルに勝利をもたらしてくださるに違いないと、期待が高揚します。

 そこでイエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしていることを知り、ひとりで再び山に退かれた。(一五節)

 人々はイエスを力ずくで連れて行き、政治的な指導者「王」として立て、神の直接支配を実現するために異教の支配者ローマと戦おうとします。この荒野の集合はもともと、民衆がイエスを当時のメシア運動に巻き込もうとした出来事であったことを、共観福音書は触れていませんが、ヨハネ福音書が忠実に伝えていると見られます。
 イエスはこのような民衆の動きを察知して、「ひとりで再び山に退かれ」ます。イエスがイスラエルの民に与えようとしておられるもの、ひいてはこの世界に与えようとしておられるものは、彼らが求めているものとは違うのです。このことは、続いて行われる彼らとのパンをめぐる対話の中で明らかになります。
 「再び」とあるのは、一度「山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りに」なり(三節)、弟子たちを教えた後、やや平らな所に降りてきて、五千人に食べ物をお与えになったので、この度の「山に退く」ことは「再び」と言われることになります。

16 湖上を歩くイエス(6章 16〜21節)

 16 夕方になったので、弟子たちは海辺に下りて行き、 17 舟に乗って、海の向こう側のカファルナウムに行こうとした。すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところに来ておられず、 18 その上大風が吹き、海は荒れてきた。 19 二十五から三十スタディオン漕いでいったとき、イエスが海の上を歩き、舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。 20 イエスは彼らに言われる、「『わたしはある』。恐れるな」。 21 そこで、弟子たちはイエスを舟に迎え入れようとした。すると、舟は直ちに行こうとしていた地に着いた。

湖上での顕現

 夕方になったので、弟子たちは海辺に下りて行き、舟に乗って、海の向こう側のカファルナウムに行こうとした。(一六〜一七節前半)

 イエスは「ひとりで」山に退かれたので(一五節)、異郷の地に残された弟子たちは、夕方になった頃、舟に乗って海の向こう側のカファルナウムに行こうとします。夜になる前に自分たちの住まいがあるカファルナウムに戻ろうとしたと見られます。マルコの並行記事(六・四五)では、イエスが弟子たちを「強いて舟に乗せ、先に行かせた」とあります(マタイも同じです)。マルコ福音書ではイエスの視点から、ヨハネ福音書では弟子の視点から、出来事が語られていることになります。総じて、湖上での顕現の記事は、ヨハネの語り方がもっとも簡潔で、元の伝承に近く、それがマルコ、マタイと順次に拡大していったと見られます。

ヨハネ福音書では、イエスと弟子の一行はカファルナウムがあるガリラヤ湖西岸から東岸に渡り、そこで群衆にパンを与える出来事が起こったことになります。そして、イエスがひとりで山に退かれたため、弟子たちだけで自分たちの住まいがあるカファルナウムに戻ろうとしたと見られます。それに対して、マルコ福音書は西岸のどこかでパンの出来事があり、その後弟子たちだけが「向こう岸のベトサイダへ」向かったことになります(マルコ六・四五)。ベトサイダはガリラヤ湖東北岸の町です。ところが、湖上の顕現の出来事の後、「一行は湖を渡り、ゲネサレトの土地に着いた」とあります(マルコ六・五三)。ゲネサレトまたはゲネサレはガリラヤ湖西岸に広がる平野ですから、マルコの記事には不自然さが残ります。マタイ(一四・二二)は、この不自然さを解消するためか、ベトサイダという地名を省いています。ここはマルコがパレスチナの地理に通じていないと言われる一つの事例です。しかし、もともとこの記事は、イエスの復活後の顕現の出来事を地上の生涯の時期に入れたものですから、地理的な不自然さが残るのは当然かもしれません。ルカは、パンの出来事があったのはベトサイダであるとしていますが(ルカ九・一〇)、その後弟子たちだけが舟で向こう岸へ渡る記事はなく、したがって湖上の顕現の記事もなく、すぐにペトロの告白に続いています。

 すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところに来ておられず、その上大風が吹き、海は荒れてきた。(一七節後半〜一八節)

 弟子たちがイエスから離れて、暗闇の湖上に取り残され、しかも大風が吹いて、舟が木の葉のように大波に翻弄される状況が説明されます。ガリラヤ湖には慣れているベテランの漁師である弟子たちも、このような嵐の暗闇の中で怖じ恐れます。

 二十五から三十スタディオン漕いでいったとき、イエスが海の上を歩き、舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。(一九節)
 「二十五から三十スタディオン」は約四・五キロから五キロくらいの距離です。共観福音書には、このような距離の描写はなく、「夜が明けるころ」、すなわち夜の闇が一番深くなるころという時の指示がなされています(マルコ六・四八)。
 弟子たちは、「イエスが海の上を歩き、舟に近づいて来られるのを見て」恐れます。マルコ(六・四九)は、「幽霊だと思い、大声で叫んだ」と書いています。暗闇の中で霊的な存在に接するとき、人間の心は本能的に恐怖を感じます。弟子たちが「恐れた」のも当然です。

 イエスは彼らに言われる、「『わたしはある』。恐れるな」。(二〇節)

 怖じ恐れる弟子たちに、暗闇の中から声が聞こえます。この声は、たんにイエスが弟子たちに「わたしだ」と呼びかけておられる言葉ではありません。これは、イスラエルの祭儀において、主が御自身を現されるときに名乗られる、神の自己宣言の定式語です。それがギリシア語聖書で《エゴー・エイミ》と表現されて、ここに用いられているのです。すなわち、ここで「海の上を歩き、舟に近づいて来られる」イエスは、もはや地上のイエスではなく、復活者イエスです。肉体をもった人間は水の上を歩くことはできません。ここで、復活者イエスが弟子たちに現れて、神的存在として『わたしはある』《エゴー・エイミ》と名乗っておられるのです。

この湖上での顕現の記事は、イエスの十字架の後、ガリラヤに逃げ帰り、漁師の仕事に戻っていた弟子たちが復活者イエスの顕現に接した体験を伝える伝承が、イエスの地上の生涯の物語の中に組み込まれたものと考えられます。このことついて、また《エゴー・エイミ》の意義については、拙著『マルコ福音書講解T』272頁「湖上を歩くイエス」で詳しく論じていますので、そこを参照してください。

 そこで、弟子たちはイエスを舟に迎え入れようとした。すると、舟は直ちに行こうとしていた地に着いた。(二一節)

 この伝承は、イエスを舟に迎え入れようとしたところ、直ちに目的地に着いたという不思議な体験を語ることになります。マルコ(およびマタイ)では、イエスが舟に乗り込まれると風が静まったと伝えられています。

17 パンを求める群衆とイエス(6章 22〜40節)

 22 その翌日、海の向こう側に留まっていた群衆は、そこには小舟が一艘しかなく、イエスは弟子たちと一緒にその小舟には乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことを見ていた。 23 ところが、数艘の小舟がティベリアスから来て、主が感謝を捧げたあとに人々がパンを食べた場所に近づいた。 24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと気づくと、自分たちもそれらの小舟に乗り込み、イエスを捜してカファルナウムに来た。25 そして、海の向こう側でイエスを見つけると、「ラビ、いつここにお着きになったのですか」と言った。
 26 イエスは答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。 27 朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで永遠の命に至らせる食べ物のために励みなさい。それは人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が人の子を認められたからである。 28 そこで、彼らはイエスに言った、「神の業に励むためには、わたしたちは何をすればよいのでしょうか」。 29 イエスは答えて彼らに言われた、「神が遣わされた者を信じること、これが神の業である」。
 30 そこで彼らはイエスに言った、「では、わたしたちが見てあなたを信じるようになるために、どんなしるしを行ってくれるのですか。どんなわざをしてくれるのですか。 31 わたしたちの先祖は荒れ野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてある通りです」。 32 すると、イエスは彼らに言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。モーセがあなたたちに天からのパンを与えたのではない。わたしの父が天から本物のパンをあなたたちに与えてくださるのである。 33 天から降ってきて、世に命を与える者こそが神のパンだからである」。
 34 そこで彼らはイエスに向かって言った、「主よ、わたしたちにいつもそのパンを与えてください」。 35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。 36 しかし、わたしがあなたたちに言ったように、あなたたちは見たのに信じようとしない。 37 父がわたしに与えてくださる人は皆、わたしのもとに来るであろう。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出さない。 38 わたしが天から降ってきたのは、自分の意志を行うためではなく、わたしを遣わされた方の意志を行うためだからである。 39 わたしを遣わされた方の意志は、彼がわたしに与えてくださったものすべてを、わたしが彼から去らせることなく、終わりの日に復活させることである。 40 わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」。

対話の舞台

 イエスが五つのパンと二匹の魚で五千人の群衆に食べ物を与えられた出来事と、水の上を歩いて弟子たちの舟にまで来られた出来事を語る二つの段落(六・一〜一五と六・一六〜二一)では、著者は共観福音書にも共通する伝承をほぼそのまま用いていました。ただ、場所や一行の移動については、この福音書独自の描き方が見られました。
 イエスのなされた力ある業を「しるし」として、その意義、すなわちその「しるし」が指し示すイエスにかかわる霊的真理を、イエスとの対話という形で詳しく展開するのがこの福音書の特色ですが、それがここでもパンの出来事をめぐって行われます(二二〜五九節)。この対話の部分は、伝承素材を用いて著者が(ひいていはヨハネ共同体が)世に語りかける福音告知の説教です。その前にその対話が行われる状況が説明されます(二二〜二五節)。

 その翌日、海の向こう側に留まっていた群衆は、そこには小舟が一艘しかなく、イエスは弟子たちと一緒にその小舟には乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことを見ていた。(二二節)

 パンの出来事があった日の夕方には、弟子たちは舟に乗って出発しているのですから(一六〜一七節)、「その翌日」というのは、直後の「海の向こう側に留まっていた群衆は見ていた」という文を説明するのではなく、この部分は挿入的説明として括弧に入れ、「数艘の小舟がティベリアスから来た」(二三節冒頭)ことを説明していると理解すべきです。すなわち、この部分で著者が言いたいことは、「その翌日――海の向こう側に留まっていた群衆は・・・を見ていたのであるが――数艘の小舟がティベリアスから来て・・・・」ということだと考えられます。

底本は二二節の最後に、カンマと終止符の中間的な強さの区切り記号を置き、二三節の最後にドット(終止符)を置いています。この区切り方は、二三節冒頭の《アッラ》(けれども)と共に、このような理解を可能にします。塚本訳もこのような意味に理解しています。

 弟子たちだけが、そこに一艘しかなかった小舟に乗り込んで出発したこと、またその小舟にはイエスは乗り込んでおられなかったことを、「海の向こう側に留まっていた群衆は見ていた」のです。彼らが「見ていた」ことが詳しく描かれているのは、そこにおられるはずがないと思っていたイエスがカファルナウムにおられるのを見て群衆が驚いた(二五節)理由を説明するためです。

 ところが、数艘の小舟がティベリアスから来て、主が感謝を捧げたあとに人々がパンを食べた場所に近づいた。(二三節)

 「数艘の小舟がティベリアスから来た」のは、偶然来たのか、イエスを捜すために来たのか説明はありませんが、次の二四節の内容からすると、イエスを捜すために来たと見るべきでしょう。
 小舟が近づいた場所が「主が感謝を捧げたあとに人々がパンを食べた場所」とされているのが注目されます。一一節では「イエスは感謝を捧げ」とあるのに、ここでは「主が感謝を捧げ」という表現が用いられています。これは、著者がパンの出来事を聖餐と関連させて見ていることを示しています。聖餐伝承では、「主イエス」が感謝を捧げてパンを与えられます(コリントT一一・二三〜二四)。

ティベリアスは、後20年にガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスがティベリウス帝を記念してガリラヤ湖西岸に建設したローマ風の都市です。ガリラヤ湖西岸の中央よりやや南寄りにあり、北端に近いカファルナウムからは10数キロ南に位置します。イエスの時代以降ではガリラヤの中心都市でありながら、福音書にはここだけにしか出てきません。なお、ナザレから北に僅か6キロにあるセッフォリス(ティベリアスに移るまではガリラヤの首府)も福音書には出てきません。これらのローマ風の都市はギリシア語系ユダヤ人が多く、イエスの活動の舞台にはならなかったからだと考えられます。なお、ティベリアスとかティベリアス湖というような地名が用いられるのは、それがパレスチナから遠い地域の異邦人にもよく知られている地名であるからだと考えられ、この福音書が(エフェソなどの)パレスチナ以外のヘレニズム都市で成立したことを示す指標の一つと見られます。

 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと気づくと、自分たちもそれらの小舟に乗り込み、イエスを捜してカファルナウムに来た。(二四節)

 イエスを捜しに来た人々は、「イエスも弟子たちもそこにいないと気づくと」、昨夜からそこにいる人たちと一緒に小舟に乗り込み、カファルナウムに行きます。カファルナウムにはイエスの住まいがあり、ガリラヤにおけるイエスの活動拠点となっていましたから、彼らがイエスを捜すためにカファルナウムに行ったのは自然なことです。著者はおそらくエルサレム生まれの人物であると見られますが(ヨハネ福音書の成立を論じた「もう一人の弟子の物語」を参照)、ガリラヤでのイエスの住まいと活動拠点がカファルナウムであったことはよく知っていたのでしょう。
 ところで、前日にイエスのもとに集いパンを与えられた群衆は、「男五千人」とありました(六・一〇)。五千人が舟で対岸に渡るには大船団が必要です。「数艘の小舟」ではせいぜい数十人程度でしょう。パンの奇跡を体験した大部分の群衆はそこで散り散りになり、ごく僅かの者がイエスを捜しにカファルナウムに来たことになります。もっとも、著者はこれから展開しようとする霊的対話の舞台を設定しようとしているだけで、歴史的事実を報告しようとしているのではありませんから、以下の対話はパンの奇跡を体験したユダヤ人とイエスの対話であるとして読めばよいわけです。

 そして、海の向こう側でイエスを見つけると、「ラビ、いつここにお着きになったのですか」と言った。(二五節)

 群衆はイエスが舟に乗り込まれなかったことを見ていたので(二二節)、「海の向こう側で」(対岸で)イエスを見つけたことに驚きます。その驚きが、「ラビ、いつここにお着きになったのですか」という質問になります。

「ラビ」という呼びかけについては、一章三八節の講解を参照してください。

人の子が与える食べ物

 イエスは答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。(二六節)

 イエスが「答えて言われた」のは、群衆の「ラビ、いつここにお着きになったのですか」という質問に対する答えではなく、彼らがイエスを捜してここまで来た行動に対する応答の言葉です。彼らが求めているものを見通して、彼らの願いに対してイエスが「答えて言われた」お言葉から、命のパンに関する重要な対話が始まります。
 この福音書は、イエスがされる奇跡の業を、イエスが誰であるかを指し示す「しるし」として重視しています。ここの群衆は、イエスがされた力ある不思議な業を見て、その「しるし」としての奇跡によってイエスが誰であるかを悟り、そのような方としての教えを聴くために捜しに来たのではなく、ただパンを食べて満腹し、そのように必要なパンをいつも与えてくださる方のそばにいたいからだと、その願いが物質的なものにすぎないことを指摘します。

この福音書における「しるし」の意義については、本書86頁の「最初のしるし」を参照してください。

 なお、イエスが「答えて言われた」お言葉は、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う」という荘重なアーメン句で始まっていますが、このアーメン句は、内容から見て、直後の「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」という言葉を宣言するためではなく、それを前置きとして、次節(二七節)の言葉を荘重に宣言するためであると見られます。

アーメン句については、本書75頁の注を参照してください。

 朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで永遠の命に至らせる食べ物のために励みなさい。それは人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が人の子を認められたからである。(二七節)

 この福音書のイエスは、物質的なパンを求めてやって来たユダヤ人群衆に対して、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う」と荘重に前置きして、「朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで永遠の命に至らせる食べ物のために励みなさい」と求めます。その上で、「それは人の子があなたがたに与える食べ物である」と宣言します。この「人の子こそ、永遠の命に至らせる食べ物を与える者である」という宣言が、このアーメン句(二六〜二七節)の主題です。
 「朽ちる食べ物」の原語は「滅びる食べ物」です。これと対照されている「いつまでもなくならない食べ物」との対比からすると、それ自体やがて朽ちてなくなってしまう食べ物という意味です。しかし、「永遠の命に至らせる食べ物」との対比からすると、滅びに至る命、すなわち、いずれは死によって滅んでいく肉体の命を養うだけの食べ物という意味も含んでいることになります。結局、肉体を養うための物質的な食べ物を指していることになります。ここで直接的には、群衆が食べて満腹したパンを指しています。
 「朽ちる食べ物」に対照される食べ物が、「いつまでもなくならない食べ物」です。「いつまでもなくならない」と訳した原語は、著者特愛の「とどまる」という動詞の現在分詞形です。命のパンとしての復活者イエスは、いつまでもその姿にとどまっておられることを指しています。その「いつまでもとどまる」復活者イエスこそ、永遠の命に至らせる「命のパン」そのものであり、そのパンを与える方です。これは、これから始まる対話全体の主題ですが、その主題が先取りされてここに宣言されます。四章では、イエスこそ「永遠の命に至らせる水」を与える者であると表現されていました(四・一四)。同じことが、象徴を変えて表現されています。

「人の子があなたがたに与える食べ物」の「与える」は未来形です。この未来形は、主語が「人の子」という終末的な形姿ですが、終末の時に起こることを指す未来形ではなく、現在に始まり未来に続く状況を示しています。すなわち、「これからずっと与え続けることになる」という意味です。

 食べて満腹できるパンを求めてイエスのもとに来た群衆に向かって、イエスは「朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで永遠の命に至らせる食べ物のために励みなさい」と言われます。これは、ヨハネ福音書が世界の人々に向かって、追求の目標を変えなさい、人生の方向を変えなさいと呼びかけている言葉です。

「励みなさい」と訳した原語は、「働く」という意味の動詞です。ここでは「食べ物」を目的語とする他動詞として用いられています。この形は、食べ物を獲得するために働くという意味にも用いられますが、この意味はこの福音書の文脈に整合しません。この福音書ではよいものはすべて賜物として与えられるものであって、人が働いて獲得するものではないからです(四・一四参照)。「食べ物を準備する」、「消化する」という意味もありますが、ここでは満腹させてくれるパンを求めてきた群衆の熱意に対する言葉であるので、(次節との整合性も考慮して)あえて「励む」と意訳します。

 ここで「永遠の命に至らせる食べ物」を与える復活者イエスが、「人の子」と呼ばれていることが注目されます。本来ユダヤ教黙示思想において、終わりの日に天から現れて世界を裁き、神の民を救う天的救済者を指す称号である「人の子」が、この福音書では、すでに地上に現れて働き、(十字架と復活によって)上げられて天に帰ったイエス・キリストを指す称号として用いられます。その「人の子」である復活者イエスこそ、「永遠の命に至らせる食べ物」であり、彼のもとに来るすべての人にその食べ物を与える方なのです。

この福音書は、すでにここまでで三回、重要なキリスト論的宣言において「人の子」という称号を用いています。それぞれ次の箇所で詳しく取り扱っていますので、ここでは繰り返しを避け、参照箇所をあげるにとどめます。一・五一については75頁「現臨する人の子」、三・一三〜一五についはて118頁「天から降った人の子」と 120頁「上げられる人の子」、五・二七については193頁「人の子による裁き」を参照してください。

 もともと「人の子」という称号は、イエスの自称でした。すなわち、イエスが御自分を指すときに「人の子」という称号を用いられたので、イエスの言動を語り伝えるイエス伝承に深く組み込まれて、ユダヤ教黙示思想に疎遠な異邦人世界にも伝えられたのでした。そのイエスが、十字架上に処刑された後復活されたのは、イエスを世に送られた父である神が、イエスを終末的な審判者であり救済者である「人の子」と認められた出来事です。神によってそのような「人の子」と認証されたのだから、イエスこそ永遠の命に至らせる食べ物を与える方であると宣言されるのです。
 この「父である神が人の子を認められた」という表現は、パウロが引用している初期のキリスト告知の伝承形式である、「死者の中からの復活によって神の子と立てられた」(ローマ一・四)ことの別表現と言えます。

 そこで、彼らはイエスに言った、「神の業に励むためには、わたしたちは何をすればよいのでしょうか」。(二八節)

 「朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで永遠の命に至らせる食べ物のために励みなさい」というイエスの語りかけに対して、群衆はこのように応答します。ここに用いられている「神のわざに励む」という時の動詞は前節と同じ「働く、わざをする」という意味の動詞です。ここでは「神のわざ」を目的語としているので、「神のわざをする」の意味になります。「神のわざ(複数形)をする」というのは、神が人間にするように求めておられる諸々のわざをすることを意味しています。著者がその意味で用いていることは、次節(二九節)の「神のわざ」の定義からも分かります。そのような諸々の「神のわざをする」ことを追い求める、または努力するという意味で、「神のわざに励む」と意訳しています。

 イエスは答えて彼らに言われた、「神が遣わされた者を信じること、これが神の業である」。(二九節)

 前節の複数形と違い、この節の「神のわざ」は単数形であることが重要です。「神のわざ(神が人に求めておられるわざ)」とは何かという問いに対して、この福音書はこの一事、イエスを神から遣わされた方と信じることだけであると答えるのです。
 「神が遣わされた者を信じる」という時の「〜を信じる」は、英語で表現すれば believe into him というような表現です。この into に相当する前置詞《エイス》を伴う「信じる」の用例は、ヨハネ福音書にきわめて多く、この福音書の特色の一つをなしています。この表現は、イエスを神の子キリストと信じて、この方に自分の存在を投げ込み委ねるというような意味合いを示しています。パウロが《エン・クリストー》(キリストにあって)と表現している現実(信じてキリストと結ばれて生きている現実)をヨハネはこのように表現するのです。信じる対象が「神が遣わされた者」とされるのも、この福音書の特色です。

天から降る本物のパン

 そこで彼らはイエスに言った、「では、わたしたちが見てあなたを信じるようになるために、どんなしるしを行ってくれるのですか。どんなわざをしてくれるのですか。わたしたちの先祖は荒れ野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてある通りです」。(三〇〜三一節)

 ここの「信じる」は二九節の「信じる」とは語法が異なり、前置詞《エイス》は用いられていません。「あなたの言うことを信じる」というほどの意味です。しるしを見て信じるのは、イエスの中に自分の全存在を投じて委ねきる信仰とは別です。
 終わりの日に現れるメシアはモーセにまさるしるしを行うと信じられていました。したがって、群衆はイエスに、マナ以上の食物を与えるというしるしを期待して、「どんなしるしを行ってくれるのですか。どんなわざをしてくれるのですか」と言うことになります。
 イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトから脱出し、荒野を旅したとき、朝ごとにマナと呼ばれる不思議な食べ物を与えられて食べたことは、出エジプト記の一六章に詳しく物語られています。イスラエルの民はその体験を語り継ぎ、書き記してきました。その中の一つに、「彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた」という句が、詩篇七八編二四節の一部にあります(引用文は七十人訳ギリシア語聖書から)。群衆はこの聖句を引用して、先祖が荒野でマナを与えられたことを指し、それ以上のしるしを要求するのです。

 すると、イエスは彼らに言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う。モーセがあなたたちに天からのパンを与えたのではない。わたしの父が天から本物のパンをあなたたちに与えてくださるのである。天から降ってきて、世に命を与える者こそが神のパンだからである」。(三二〜三三節)

 先の引用文の主語の「彼」は、詩篇の前後の文脈からすれば、神を指します。しかし著者は、群衆がその「彼」をモーセを指すと解釈して引用していると前提して、議論を進めます。あなたたちは聖書を引用して、モーセが天からのパンを与えたと言うが、そうではない。あなたたちに天からの「本物のパン」を与えてくださるのは、イエスを遣わされた父であると宣言します。この宣言が、アーメン句をもって荘重に行われるのです(三二節)。
 マナは「天から」の食物と言われますが、それは地表に対する上空を指すにすぎず、なお終わりの日に与えられる本物の糧の予表にすぎないのです。予型とかしるしに対して霊の「本体」(リアリティー)を指すのに、ヨハネ福音書は「真理」《アレーセイア》という語を用いますが、ここはその形容詞形が用いられており、人間に真実の命(永遠の命)を与えるパンを意味しています。イエスの父こそ、上空の天ではなく、神がいます次元である天から「本物のパン」を与える方です。このパンは、次節(三三節)では「神のパン」と呼ばれています。
 三三節は理由を示す小辞《ガル》で始まっています。三三節は、まことのパンを与えるのはモーセではなく「わたしの父」であるという前節の主張を理由づける文になっています。天から降ってきて世に命を与えるイエスこそが「神のパン」(神が与えてくださる本物のパン)であるからです。そのような「神のパン」を与えることができるのはモーセではなく、イエスを世に遣わされた父だけです。

「天から降ってきて、世に命を与える者」は、男性単数形の分詞に定冠詞がついた形です。パンも男性名詞ですから、文法的にはパンを指すと理解することも可能ですが、内容からイエスを指すと理解して「者」と訳しています。用例から見ても、「降ってくる」《カタベーナイ》は、この福音書では物について用いられることはなく、いつも人について用いられています(六・四一、六・五一参照)。「与える」も、物よりも人を主語にする方が適切です。
 新共同訳をはじめほとんどの翻訳は、「神のパン」を主語とし、この句を補語と理解して訳しています。しかし、まことのパンを与えるのはモーセではなく「わたしの父」であるという前節の主張を理由づける文としては、この句を主語にする方が文意が明確になると考えます。もっとも、「神のパン」を主語にして、「神のパンとは、天から降ってきて、世に命を与える者だからである」と訳しても、意味は同じです。

 そこで彼らはイエスに向かって言った、「主よ、わたしたちにいつもそのパンを与えてください」。(三四節)

 イエスが霊の次元のことを語っておられるのに、それを聴いた者が自分の日常経験の範囲内でしか理解できず、イエスが用いられた象徴を物質的に理解して対話がすれ違いになることは、この福音書の対話の進め方の特色ですが、それがここにも出てきます。四章では、イエスが「わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」と言われたのに対して、サマリアの女は「主よ、わたしが渇くことのないように、また、わたしが水を汲みにここに来なくてもよいように、その水をわたしに与えてください」と言っています(四・一四〜一五)。同じことがここではパンについて起こっています。群衆は「(それを食べると)もはや飢えることがない」パンを与えていただくことを願っているのです。
 群衆はイエスに向かって「主よ」と呼びかけます。サマリアの女も同じように呼びかけていました。ここでの「主」《キュリオス》は復活者キリストを指す称号ではありません。彼らはついにイエスをそのような方と信じることはありませんでした(三六節)。ここでは偉大な宗教的指導者に対する尊称です。群衆はすでにイエスを「預言者」と考え(一四節)、「ラビ」と呼んでいます(二五節)。そのようなパンを求める群衆に、イエスは宣言されます。

 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(三五節)

 イエスは「わたしが命のパンである」と宣言されます。原文は《エゴー・エイミ》の後に補語として「命のパン」という句が置かれています。《エゴー・エイミ》は本来神の自己啓示の呼称であり、復活者イエスがその神的臨在を現されるときの定式ですが、ヨハネ福音書では地上のイエスがしばしばこの言葉を口にしておられます(四・二六の「わたしはある」についての講解を参照)。これも、地上のイエスを語る形で復活者イエス・キリストを告知するという福音書の二重性の結果です。
 著者ヨハネは、この《エゴー・エイミ》という句の後に補語として象徴語句(羊飼いとかぶどうの木など)を置いて、「わたしは〜である」というキリスト論的宣言文を多く用いています。ここの文の意味は私訳の通りですが、《エゴー・エイミ》の重要性を訳出するためには、「わたしはある、命のパンとして」と訳す方が正確かもしれません。ここで、《エゴー・エイミ》は命のパンとして現れるのです。復活者として臨在される霊のイエスこそが、「命のパン」、すなわち人に永遠の命を与える方であるという主張が、六章全体の主題です。
 パンは前に置いて見ているだけでは、命を養う糧にはなりません。取って食べなければなりません。そのように、復活者イエスを遠くから見ているだけでは、命にあずかることはできません。命のパンである復活者イエスのもとに来て、この方と結ばれ、一つになって生きるのでなければ、この方が与える命にあずかることはできません。この事態が、「わたしのもとに来る者」と「わたしを信じる者」という並行表現で語られます。
 「わたしのもとに来る」は、すでに五・四〇で用いられていました。「わたしを信じる」は、前置詞《エイス》を伴う表現で、自分を投げ込む行為です(二九節の講解を参照)。両方とも、自分を復活者イエスの中に投げ入れて委ね、この方と共に生きるという全存在的な生き方を指しています。これは、パウロの言う「エン・クリストー」に相当します。このように、復活者イエス・キリストに合わせられて生きる姿を、わたしは「キリスト信仰」と呼んでいます。
 このように、イエスを信じる者は「飢えることがなく、渇くことがない」と保証されます。パンについては「飢えることがない」だけが適切で、「渇くことがない」は余分になりますが、「わたしのもとに来る者、わたしを信じる者」の並行表現に対応するため、四章のサマリア人の女との対話との連想で「渇くことがない」が加えられたのでしょう。詩編以来、聖書では「飢える」と「渇く」が一対の表現として組み合わせて用いられていますので、この並行表現は聖書に親しんでいるユダヤ人にはごく自然なことです。

終わりの日の復活

 しかし、わたしがあなたたちに言ったように、あなたたちは見たのに信じようとしない。(三六節)

 この命のパンに関する対話が始まるところで、イエスは群衆に「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と言っておられます(二六節)。このように、彼らはパンの出来事を「しるし」と受けとめてイエスを信じたのではないことを、イエスはすでに指摘しておられます。そのようなしるしを見ているのに、まだ「わたしたちが見てあなたを信じるようになるために、どんなしるしを行ってくれるのですか」(三〇節)と言うのは、イエスを信じていないからです。イエスを信じることこそ命のパンを得ることであるのに、イエスの数々の力ある業を見たユダヤ人民衆が信じようとしないことを、著者は嘆いています。

「見たのに信じようとしない」という文で、「見た」の後に「わたしを」という目的語を入れた写本とそれがない写本があります。底本は「わたしを」を角括弧に入れています。六・二六でイエスは、しるしを見てイエスを信じたからではなく、食べて満腹したからイエスを捜しているのだと、彼らの不信仰を指摘しておられます。また、直前で群衆が「わたしたちが見てあなたを信じるようになるために、どんなしるしを行ってくれるのですか」と言っていることも考慮すると、著者はここで「しるしを見た」ことを念頭において「見たのに信じない」という表現を用いたと考えられます。したがって、「わたしを」という目的語は原本にはなくて、(四〇節の「子を見て信じる」に影響されてか)写本の過程で挿入されたものと考えられます。なお、四〇節の「見る」とここの「見る」は違う動詞であり、「子を見る」はイエスを復活者である神の子であると悟ることを指し、「信じる」と一体です。その意味では「イエスを(子として)見たのに信じない」は成り立ちません。

 父がわたしに与えてくださる人は皆、わたしのもとに来るであろう。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出さない。(三七節)

 イエスのもとに来ること、すなわちイエスを信じることは、人の側のはからいではなく、神が与えてくださる恵みの結果であるという信仰が、ここに表明されています。そのことは、多くの人(とくにユダヤ人)がイエスを信じないのは、神がその人たちをイエスに与えないからであって、人の計画や努力の彼方のことであることを意味しています。パウロがローマ書九〜一一章で展開した「恩恵の選び」による、絶対的な神の主権的支配の思想を、ヨハネはこのように表現しているのです。
 人がイエスのもとに来るのは父の恩恵の選びの結果ですが、イエスのもとに来た者を、その人の人間的価値を問題にして受け入れたり拒んだりすることは決してない、とイエスは断言されます。イエスは自分のもとに来る者を、誰をも裁かず受け入れてくださいます。取税人や遊女などを受け入れて食卓を共にされたという共観福音書が語るイエスの姿は、神の絶対恩恵の支配を具体的に示していますが、それをヨハネはこのように表現するのです。

 わたしが天から降ってきたのは、自分の意志を行うためではなく、わたしを遣わされた方の意志を行うためだからである。(三八節)

 この文は、前節の「わたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出さない」と言われたことの理由を示しています。イエスのもとに来る者をイエスが決して拒まれないのは、その人をイエスのもとに来させたのは父であるからです。イエスは自分の意志で、その人を受け入れるか拒むかを決めようとはされません。父の意志によって自分のもとに来た者を、その人の資格を問題にしないで無条件に受け入れられます。

三八節は理由を示す接続詞で始まり、三七節に従属する副文です。それを、新共同訳のように、三七節と切り離して独立の文として訳すと、この繋がりが切れて、文意が拡散してしまいます。

 この福音書では、イエスはいつも「天から降ってきた」方として描かれています。すなわち、地上の人間世界(この世)と対立し、断絶した別次元の領域(天)から降ってきた者として描かれています。これは「遣わされた者」と同じことを指しています。そして、「天から降ってきた」目的が、「自分の意志を行うためではなく、わたしを遣わされた方の意志を行うため」と厳密に規定されます。
 イエスが自分の意志ではなく父の意志に従われたことは、共観福音書も伝えていますが(マルコ一四・三六、マタイ六・一〇)、ヨハネ福音書はそれをイエスの言葉として直接的に表現します。共観福音書ではイエスは父の意志に御自分を引き渡すという受動的な面が強く出ていますが、ヨハネ福音書ではイエスがそれを行うという能動的な面が出てきます。
 その上で、イエスが行われる「遣わされた方の意志」の内容が、続く三九節と四〇節で詳しく展開されます。もともと三八節は、イエスが自分のもとに来る者を拒まれない理由を示していますが、父の意志に従って受け入れた者をどうされるのか、彼らに対してイエスが将来行われることになる父の意志が詳しく語られることになります。

 わたしを遣わされた方の意志は、彼がわたしに与えてくださったものすべてを、わたしが彼から去らせることなく、終わりの日に復活させることである。 (三九節)

 ここで、イエスが行おうとされる「遣わされた方の意志」は、「彼がわたしに与えてくださったものすべてを、・・・・終わりの日に復活させることである」という重大な宣言がなされます。

遣わされた方の意志の内容を示す文を直訳すると、「彼がわたしに与えてくださったものすべて(中性単数形)を、わたしが彼(または「それ」)から去らせることなく、わたしがそれを終わりの日に復活させることである」となります。二つの動詞「去らせる」と「復活させる」の主語は「わたし」、すなわちイエスです。問題は目的語が中性単数形の代名詞で出てくることです。先の三七節との並行関係および次の四〇節との並行関係からすると、目的語は父がイエスに与えられた人々を指すと見なければならないので、この中性単数形はそのような人々を集合態で指していると理解せざるをえません。なお、「与えた」という動詞は現在完了形です。三七節では原理の問題として現在形で用いられていましたが、ここでは現にキリストに属する者について語るので現在完了形になっています。
 「わたしが彼から去らせることなく」の文で、「〜から」という前置詞の後の所有格代名詞を男性形と見て「彼から」、すなわち「父から」と理解するか、あるいは、中性形と見て「それから」と理解するか、文法的には両方とも可能です。動詞が「去らせる」という意味である(「失う」ではない)ので、ここでは「彼から」と理解します。「彼から去らせる」というのは、父から離れ去ることを意味します。

 「終わりの日に復活させる」と言う表現は六章に集中して四回出てきます(三九、四〇、四四、五四節)。神は終わりの日にご自身に属する民を死人の中から復活させて救いを完成されるという信仰は、イエス・キリストの復活の宣教に含まれるものとして、初期の福音宣教に共通の内容でしたが(コリントI一五章、とくに一一節参照)、ヨハネ福音書ではこの四箇所以外には出てきません。むしろ、ヨハネ福音書は、ユダヤ教黙示思想で終末時における命という意味で用いられている「永遠の命」が現在すでに与えられていることを強調しています。さらに、一一章(とくに二五節)では、現在信じる者と共にいてくださる霊なるイエスが復活に他ならないと、復活も現在化されています。
 このようなヨハネ福音書の特質から、終末時の死者の復活を説くこれらの四箇所は、原著にはなく、後の編集者による挿入であると見る研究者がかなりあります。しかし、この句を欠く古写本はなく、現在の形で正典に取り入れられていることが重要です。これを後の編集として、本文から取り除くことは許されません。

 わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである。(四〇節)

 「子を見て信じる者」とありますが、「子を見る」はイエスを復活者である神の子であると悟ることを指し、「信じる」と一体です。ここの「信じる」は「〜の中へ」《エイス》を伴う動詞です(二九節の講解を参照)。
 「子を見て信じる者」、すなわちイエスを復活者である神の子であるとして、その方に自分の全存在を投げ入れ、その方と合わせられている者は、現在すでに永遠の命を持っているのです。「持っている」という動詞は現在形です。この福音書は、イエスを信じる者はすでに永遠の命に生きているのだという事実を強調してやみません。これは、この福音書の中心的な使信です。
 ところが、ここでは同時に「わたしがその人を終わりの日に復活させる」と、将来の死者の復活が語られます。信じる者はすでに永遠の命を持っていますが、それは終わりの日の復活によって完成するという希望と対立したり、矛盾したりするものではありません。ヨハネ福音書は、現在に重点を置きながら、福音宣教の主流が告知している終末時の死者の復活の信仰を受け入れています。ただ、そのさい「復活させる」の主語がいつも「わたし」、すなわちイエスであることが、この福音書の特色です。他ではいつも「神が死者を起こす(復活させる)」です。ヨハネ福音書は、復活者イエスこそ死者を復活させる方であると告知するのです(この問題は一一章で詳しく取り扱われることになります)。

ヨハネ福音書の中心使信である現在の永遠の命と、初期の福音宣教共通の信仰である終末時の死者の復活とがどのように関わるのかは、この福音書の理解にとって、また、福音そのものの理解にとって重要な問題を提起していますが、この「終わりの日の復活」の宣言は、次の段落(四一〜五九節)にも出てきますので、次節で取り上げることにします。