市川喜一著作集 > 第14巻 パウロ以後のキリストの福音 > 第32講

第二節 ペトロ第二書簡

       (本節で書名のない引用箇所はすべてペトロ第二書簡の章節をさします。)

ペトロ第二書簡の成立

遺訓文学文書としてのペトロ第二書簡

 本書は手紙の形式で書かれています。最初に差出人、宛先、挨拶が明記されています。本書が新約聖書に多く見られる書簡形式の文書であることは明らかです。しかし、本書には(おそらくテモテUを例外として)他の書簡にない性格が見られます。それは、本書が使徒ペトロの遺訓としての形で書かれているという事実です。本書でペトロは死を間近にしている者とされています(一・一二〜一五)。著者は本書を使徒ペトロの遺訓として書き、読者にこの「使徒ペトロ」の勧告に従うように強くアピールしています。
 「遺訓文学」という類型は、聖書に登場する著名な人物が死に臨んで子孫や弟子たちに最後の教えを与えるという形式で書かれた文学類型です。創世記四九章のヤコブの祝福、申命記三三章のモーセのイスラエルの民への遺訓、ヨハネ福音書一三〜一七章のイエスの訣別遺訓などがその典型です。遺訓文学に属する文書には、残される者たちへの祝福、これまでの教えのまとめ、将来起こることの予告、将来の危険への警告、その時のための勧告や励ましなどが含まれます。このような性格と内容の遺訓文学の著作は、とくにヘレニズム期後期(新約時代前後)のユダヤ教において多く生み出されました。この時期のユダヤ教には、「アブラハムの遺訓」、「モーセの遺訓」、「十二族長の遺訓」、「レビの遺訓」(死海文書)など多くの遺訓文学作品があります。
 本書も典型的にユダヤ教遺訓文学の特色を示しています。本書で使徒ペトロは、世を去る時が近いことを予感して、それまでの教えをまとめ、後に残る者たちに将来に起こる危険を予告・警告し、それに対処する心構えを諭しています。本書がユダヤ教遺訓文学の形で書かれているという事実がすでに、この書がユダヤ教内の福音運動の中で成立した文書であることを強く示唆しています。

著者と宛先

 本書は使徒ペトロからの書簡とされていますが(一・一)、ペトロ自身が書いたものではなく、ペトロの死後に別の人物がペトロの名によって書いた文書であることは明らかです。遺訓文学の形式そのものが、著者が別人であることを指し示しています。著者は、誤った教えをもたらす偽教師たちが現れることをペトロの予告として未来形で書いていますが(二・一〜三、三・一〜四)、それに対処するための勧告は自分の時代のこととして現在形で書いています(二・一〇〜二二、三・五、九、一六)。本書のギリシア語はアラム語を母語とするペトロのものとは考えられず、用語や概念もヘレニズム世界の色彩の強いものを多用した複雑な文章であり、著者はギリシア的教養の深いユダヤ人と見られます。
 宛先は、「わたしたちと同じ尊い救いを受けた人たちへ」とあるだけで、特定の集会とか、特定の地域は指定されていません。ペトロ第一書簡(一・一)では小アジア全域の「離散の人たち」が宛先とされていましたが、このペトロ第二書簡ではそのような指定はありません。本書が「公同書簡」と見られる理由です。ユダヤ教遺訓文学の形式で書かれていますが、対象はユダヤ人だけに限らず、異邦人信徒も含むすべてのキリストの民です。むしろ「情欲に染まったこの世の退廃から」逃れてきたという描写は異邦人の回心者を指していると見られます(一・四、二・二〇)。ヘレニズム世界のどの大都市も対象地となりえますが、ペトロ第一書簡を知っていて、パウロ書簡もよく知られている地域としては、やはりエフェソを中心とする小アジア地域がまず考えられます。

成立地と成立年代

 本書は「二度目の手紙」であると言っています(三・一)。これは同じくペトロの名で書かれたペトロ第一書簡を前提にして言っていることになりますが、同じ著者であるかどうかは確認できません。しかし、ペトロ第一書簡がローマのペトログループから出た書簡であるように、本書も同じローマのペトログループから出た可能性は高いと考えられます。それは、一節の「義によって」というパウロ的表現やパウロ書簡への言及(三・一五〜一六)から、パウロの影響の強い土地での成立が推定され、またローマ成立であることが知られているクレメンスの手紙や「ヘルマスの牧者」などと通じる用語や思想が見られることが示唆しています。当時のローマ集会は、コリント集会に対するクレメンスの手紙などに見られるように、地方の諸集会に対して牧会の責任を感じていたようです。ペトロ書簡もそのような活動の一端であったことも考えられます。
 成立年代はかなり遅いと推察されます。80年代の成立と推定されるペトロ第一書簡よりも後であり、また、後で見るように、本書がユダ書に依存していることから、ユダ書よりも後であることは確実です。下限は本書を利用している「ペトロの黙示録」成立の時期とされる一三五年頃となります。本書の内容が示唆する状況はこの期間の情勢と適合します。本書の成立を二世紀初頭と見る研究者が多くいます。そうすると、本書は新約聖書の全文書の中でもっともおそい時期の文書の一つということになります。

ペトロ第二書簡の目的

 70年にエルサレム神殿が崩壊しても「キリストの来臨」はありませんでした。その後数十年が経っても「来臨」は起こりませんでした。その間に福音はヘレニズム世界に進出して、キリストの民も圧倒的に異邦人が多くなり、そのキリスト信仰もヘレニズム思想の影響がますます強くなってきました。もともと使徒たちはみなユダヤ人でしたから、その福音にはユダヤ教の救済史的な枠組みがしっかりと残っていました。しかも、時代の強い黙示思想的な傾向から、またイエスご自身の終末的な「神の国」宣教の一面から、「キリストの来臨」が熱く待望されてきました。とくに、エルサレム共同体を中心とするユダヤ教内のキリスト信仰においては、来臨待望が信仰の中核的な位置を占めていました。ところが、70年以降は「来臨の遅延」が問題になるようになり、「主が来られるという約束は、いったいどうなったのだ」(三・四)と言って、来臨待望をあざける者たちが出てきます。こうして、信仰理解がますますギリシア化する傾向の中で、来臨待望をどのように位置づけるかが問題となってきていました。そのようなギリシア化の流れの中で、使徒ペトロの継承者として著者は、使徒が伝えた信仰の重要な一面である来臨待望を維持し、この信仰を励ますために本書を書き送ります。
 同時に、来臨待望の弛緩と関連して、著者は倫理的な危機を感じていたようです。ヘレニズム世界の人たちはユダヤ教の倫理的厳格主義には相容れないものを感じていたようです。霊魂と身体の二元論的なヘレニズム世界の宗教思想から、キリスト信仰を霊的な次元に限り、身体の行動は霊の次元に影響しないとして、霊的な信仰と(ユダヤ教の律法から見れば)放縦な生活が両立するように考え、そのように説く教師たちが現れてきていました。著者は、このような倫理上・生活上の放縦は終末待望の弛緩と一体であると見て、このように説く教師たちを異端を持ち込む偽りの教師、偽預言者として厳しく批判します。そうすることで、キリストの民が「不法」(アノミズム、放縦主義)に陥ることを防ごうとします。これが、本書の目的の一つの面となっています。
 この二つの面をもつ目的を果たすために、著者は本書を使徒ペトロの名で書きます。しかし、著者はただ使徒ペトロの使信をそのまま繰り返すのではなく、すっかりヘレニズム世界に取り囲まれた環境で歩んでいる読者に語りかけるために、ギリシア宗教思想の用語と概念を多く用いて語りかけます。著者は、使徒の使信を新しい環境に適応させるために苦闘しています。こうして本書は、福音がユダヤ教環境からヘレニズム世界へ、使徒時代から使徒後時代(=使徒名書簡の時代)を経て次の時代に移行するための苦闘を証言する文書となっています。

ペトロ第二書簡略解

挨拶(一・一〜二)

 著者は「シメオン」というセム語形の呼び名を用いることで、もともとパレスチナユダヤ人としてペトロとは身近な関係であることを示唆しているようです。また、「救い主」《ソーテール》とか「知識、霊知」《エピグノーシス》というような、パウロ名書簡(前者は牧会書簡、後者はコロサイ・エフェソ書)に特徴的な用語が用いられていることが注目されます。

使徒ペトロの使信の要約(一・三〜一一)

 この一段は使徒ペトロの説教を要約しているような三段階の構造を見せています。1 まず、主イエスがわたしたちのために成し遂げてくださったことが語られます(三〜四節)。2 次に、それゆえにわたしたちが努め行うべき実践的な勧告が続きます(五〜九節)。3 そして最後に、それを行うならば終わりの日に与えられる栄光の約束が語られます(一〇〜一一節)。
 1 使徒はまず、主イエスがすでに「御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださった」事実を思い起こさせます。すべては神がキリストにおいて為してくださったことから始まります。しかも、わたしたちに「命と信心とにかかわるすべてのもの」が与えられたのは、「わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方」の《エピグノーシス》(認識)を通してであることが付け加えられます(三節)。この《エピグノーシス》は、コロサイ書やエフェソ書に見られるように、使徒名書簡時代のキーワードでした。本書が偽教師として弾劾する人たちも、この語を掲げて自分たちの悟りを誇った人たちでした。
「御自身の栄光と力ある業」というのは、神が主イエス・キリストを通して為してくださった癒しなどの奇蹟の働きと十字架・復活という栄光の出来事全体を指していると考えられますが、その全体は「情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるため」という目的をもつ「尊くすばらしい約束」となっています(四節)。ここで救済が「神の本性にあずかる」という、ヘレニズム宗教の理想を語る言葉で表現されていることが注目されます。著者は、キリストによる救済をヘレニズム世界の人々に納得させようと努めています。
 2 神が主イエスによってすでにこのような尊い救いを与えてくださっているのであるから、それを受けたわたしたちは、その救いを確実なものとし、終わりの日に現れる栄光にあずかるために、力を尽くして励み努めなければならないとして、そのための実践的な勧告がなされます。まず、「信仰《ピスティス》には徳《アレテー》を、徳には知識《グノーシス》を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心《エウセベイア》を、信心には兄弟愛《フィラデルフィア》を、兄弟愛には愛《アガペー》を加えなさい」と勧められます(五〜七節)。ここにあげられている徳目は、パウロが「御霊の実」としてあげる徳目と似ていますし、とくに《アガペー》がその究極の価値とされるところも同じです。しかし、それが内から溢れる御霊の実としてではなく、行うべき実践目標とされている点が、やはりパウロとの違いを感じさせます。また、その徳目がヘレニズム世界の宗教とか倫理で尊ばれている用語で語られていることも目立ちます。そして、このような実践が「主イエス・キリストの《エピグノーシス》」に至ることを目標としていることが語られます(八節)。信仰生活においてこのような徳目を備えていない者は、「目が見えない」者であって、この世の快楽や誉れというような「近くのものしか見えず」、キリストの出来事において「以前の罪が清められたこと」や、将来の栄光に召されていることを忘れてしまっているのだと戒められます(九節)。
 3 以上に勧められたことを実践すれば、それは「召されていること、選ばれていることを確かなものとする」ことであり、やがて現れる「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国」に入ることが確かになると、キリスト来臨の希望で締めくくられます(一〇〜一一節)。

使徒ペトロの遺訓としての書簡(一・一二〜一五)

 著者はこの書簡を、「自分がこの仮の宿(身体)を間もなく離れなければならないことをよく承知している」ペトロの言葉として、すなわち使徒ペトロの遺訓として書いています。使徒が「この体を仮の宿としている間」に説いたことを、使徒が「世を去った後も」キリストの民が思い起こすために、この書簡を書いています。この一段は、本書が典型的な「遺訓文学」の類型の文書であることを示しています。

キリスト来臨の預言とその確かな根拠(一・一六〜二一)

 著者は、使徒の「キリスト来臨」の告知がけっして「巧みな作り話」《ミュトス》によるものではないことを、力を込めて強調します。使徒の「キリスト来臨」の告知は、「キリストの威光を目撃した」者の証言であるとして、ペトロが繰り返し語ったと考えられる「山上の変容」の出来事を引用します(一六〜一八節)。この引用は、「山上の変容」の出来事(マルコ九・二〜八)が、最初期の福音宣教において、キリスト来臨の根拠として、またその前兆として用いられていたことを示しています。偽教師たちは、使徒たちの「キリスト来臨」の告知は、神の啓示によるものではなく、人間の思想や願望が作り出した《ミュトス》(神話)であるとして批判していたのでしょう。その批判を封じるために、著者は「キリスト来臨」の告知の根拠として、まず使徒が「山上の変容」の目撃者である事実をあげた後、次に預言の言葉を指し示します(一九〜二一節)。
 一九節の「預言の言葉」は単数形です。しかし、この単数形は特定の預言の言葉を指しているのではなく、キリストが世界に来られることを預言した(旧約以来の)預言の総体を指す単数形でしょう。イエスがイスラエルに現れ、山上でその本来の栄光の姿が使徒たちに示され、死者の中から復活されることによって、終わりの日に栄光のキリストが来臨されるという、旧約以来の「預言の言葉はいっそう確かなものとなっています」。このキリスト来臨を預言する言葉を、夜明け前の空に昇る明けの明星のように、暗闇の中で行くべき方向を指し示す灯火として心の中に保持するように、著者は説き勧めます(一九節)。
 聖書の預言を扱う際、預言は「決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったもの」であるから、聖霊によってのみ解釈すべきであって、偽りの教師たちがしているように、人間が「自分勝手に解釈すべきではない」と戒めます(二〇〜二一節)。これは、使徒たちのキリスト来臨の告知を《ミュトス》としてあざける偽教師たちの預言解釈を、聖霊によらない人間的な解釈として非難し、彼らを偽預言者とする次章の導入としています。

偽教師出現の予告と警告(二・一〜二二)

 遺訓文学の通例と同じく、本書においては、世を去ろうとしている使徒が将来起ころうとしている危険について予告し、警告しています。しかし、この危険な状況は著者の時代の状況に他なりません。この警告の箇所(二章)では、著者は前節で見たユダ書に依存し、その多くを引用し、自分たちの状況に適応させて敷衍しています。この事実は、本書がユダ書と同じくパレスチナのユダヤ教黙示思想の系列に連なる文書であることを強く示唆しています。
 この段落(二章全体)の基本的な主旨はユダ書と同じです。ユダ書の内容については前節で見ていますので、ここでは本書がユダ書に加えている敷衍と変更から、本書独自の状況と傾向を指摘するにとどめます。
 著者は偽教師の教えを「滅びの異端」という用語を使って非難しています。この「異端」《ハイレシス》という用語は、パウロでは集会の「分裂」という意味で二回出てきますが、偽りの教えという意味で用いられるのは、使徒名書簡でもここだけです(使徒言行録には数回、形容詞形がテトス三・一〇に出てきます)。これは、本書がかなり遅い時期の成立であることを示唆しています。著者は「異端」の本質を「自分たちを贖ってくださった主を拒否する」ことだとしています(一節)。そして、「異端」のしるしとして、「みだらな楽しみ」というような倫理的放縦があげられます(二節)。また、彼らは金銭欲から働いているのだと、その動機が不純であることを暴露します(三節前半)。
 このような「異端」の教師たちが滅ぶことは、昔から定められたことであるとして(三節後半)、著者は旧約聖書と旧約外典の諸文書を用いているユダ書に依存しつつ、彼らの滅びの姿を描きます(四節以下)。「罪を犯した天使たち」のこと(四節)はユダ書六節の引用です。その後、(荒野での滅びは略して代わりに)ユダ書にはなかったノアの洪水に触れた後(五節)、ユダ書七節と同じように、ソドムとゴモラの「みだらな行い」とその滅びを偽教師たちの放縦な生活と彼らの滅びの予型として取り上げます(六〜一四節)。その中に、「栄光ある者をそしる」偽りの教師たちの傲慢な態度について、ユダ書九節が大天使ミカエルのことを外典から引用して批判していることを下敷きにして批判していると思われる箇所(一一節)もありますが、この部分は全体として異端の教師たちのみだらで放縦な生活を具体的に描いて非難することに終始しています。また、ユダ書一〇節が「知らないことをののしる」偽教師たちを「分別のない動物」にたとえていることを、「屠殺されるために生まれてきた動物」と拡大して、彼らの滅びを決めつけています(一二節)。
 ユダ書一二節が用いていた「暗礁、しみ」という語を、本書の著者は「しみ」と理解したのでしょう、「彼らは汚れやきずのようなもの」だとして、集会の共同の食事に参加する彼らの「欺き」を非難します(一三節)。ユダ書は共同の食事を「愛餐」《アガペー》と呼んでいましたが、本書はその語を用いないで、彼らはあなたたちと食卓を共にするとき「彼らの欺き《アパテー》にふける」と表現しています。
 さらに、ユダ書一一節にある「金儲けのためにバラムの道に陥り」としているところを詳しくして、異端の教師たちの金銭欲を暴露します(一五〜一六節)。その上で、「干上がった泉、嵐に吹き払われる霧」という比喩で、彼らの空しさと滅びを語ります(一七節)。この比喩は、聖書や外典からの引用で比喩を構成しているユダ書(一二節後半〜一三節)と比べると、そういう背景を知らない一般の人々にも理解できる比喩となっています。総じて本書の著者は、ユダ書の著者ほど外典文書などのユダヤ教文書に通じていないという印象を受けます。
 最後に著者は、自分たちは自由を得ていると「大言壮語」して、異教の「迷いの生活からやっと抜け出て来た」初心の信徒たちに、「自由を与える」と約束しながら、自分たちのしている「肉の欲やみだらな楽しみ」へと誘惑する異端の教師たちを、「自分自身は滅亡の奴隷です」と断定します(一八〜一九節)。彼らは「わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされ」、滅びの力の奴隷となっているのだとします。「義の道」(福音、キリストの道)を知らない時に陥っていた世の汚れは、知らないで犯した罪ですが、この「義の道」を知ってから汚れに陥るならば、それは神への背反であることを知りながら犯す意識的な罪となり、「後の状態は、前よりずっと悪くなります」。これは、主イエスが汚れた霊が戻ってきた人について語られたと伝えられているお言葉(マタイ一二・四三〜四五)と同じことを言っています (二〇〜二一節)。そして、彼らの身に起こっていることは、「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」とか「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」というような諺の通りであると、当時の世間で広く用いられていた諺を引用して彼らの堕落を印象づけます(二二節)。
 本書は、「牧会書簡」と共に、新約聖書の中ではもっとも後期に成立した文書であると見られます。これらの最後期の文書は、使徒たちから伝えられた教えをある程度定式化して、それに反する教えやずれのある思想(福音理解)を「異端」として排撃する傾向が強くなります。それをするさい、その教えや思想の内容を議論することなく、使徒的伝承に反しているという事実だけで「異端」と断定し、それを説く者たちの倫理的堕落を強調して、彼らの誤りのしるしとして論じる傾向があります。このような傾向は、それ以後の時代の教父たちに受け継がれ、使徒的伝承を維持するとする「正統派」が、それからずれる「異端」を排撃する「異端論争」の時代のモデルとなります。

来臨遅延の問題(三・一〜一三) 

 「異端」の教えに対する警戒を使徒の遺訓として述べた後、著者はこの書簡の本来の主題に戻ります。それは「キリスト来臨」《パルーシア》の確認です。著者にとって、異端の教師たちの堕落の原因は、彼らが「キリスト来臨」の信仰と待望を捨てたところにあります。著者は、来臨待望の弛緩と倫理的放縦は表裏一体と見ています。
 著者はペトロ第一書簡を知っていて、またその書簡が当時かなり流布していて読者もよく知っていることを前提にして、この手紙を使徒ペトロの第二の手紙として書いています(一節)。そしてこの手紙の目的を、読者の「記憶を呼び起こし、純真な心を奮い立たせて」、「(旧約の)聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうため」であると明記します(一〜二節)。ここで「掟」という言葉が用いられていますが、これは使徒たちが伝えた主イエスの言葉の全体、ここではとくに「主であり救い主である方の預言」を指していると見られます(「主《キュリオス》であり救い主《ソーテール》である方」という表現は、牧会書簡も含め、新約聖書では後期の用語の特色です)。この両方の預言が、終わりの日における主の来臨《パルーシア》を預言していることを思い起こさせ、その信仰を励まそうとします。
 そのために著者はまず、来臨遅延の事実をあげつらって、「主が来るという約束はいったいどうなったのだ」と来臨信仰をあざける者たちが現れること自体、預言の内容であることを知っておくべきだとします(三〜四節)。彼らが言う「父たちが死んでこのかた」というのは、使徒時代の信者たちが熱心に《パルーシア》を待ち望んでいたが、みな主イエスの来臨を見ることなく死んだ事実を指しているのでしょう。とくにエルサレム神殿が崩壊するというユダヤ人には天地が崩れるような大変動が起こっても、「世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらない」様子で、同じように進んでいくことを指して、彼らは来臨待望を嘲笑したのでしょう。それに対して著者は以下に数箇条の論点をあげて、彼らの誤りを指摘し、来臨の約束が確かであることを論じます(五〜九節)。
 まず第一に、すでに過去において神の約束(予告)の言葉通りに、世界が裁きによって滅んだ事実をあげます(五〜六節)。著者はノアの洪水による世界の裁きのことを言っています。原始の水から生じたとされていた大地(創世記一・二)が、そのように水から大地を生じさせた神の言葉によって裁かれ、水によって滅ぼされたのです。それと同じように、現在の世界は「火で滅ぼされるために」、同じ神の御言葉によって、定められた時まで「取っておかれる」のです(七節)。終わりの日が「火の中に現れる」という思想は、旧約聖書には馴染みがありませんが、ヘレニズム期に成立した黙示思想の文書にはよく見られるようになります。パウロも一カ所だけですが、「かの日が火と共に現れ」と言っているところがあります(コリントT三・一三)。著者は、当時ユダヤ教黙示思想の中で流布していた「火による裁き」の思想を受け継いでいると見られます。神の言葉通りに、「かの日が火と共に現れ」、「不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで」、現在の世界はそのままにしておかれます。

 「火による裁き」の思想については、拙著『パウロによるキリストの福音U』100頁の注記を参照してください。

 そして最後に、人間は神の約束の実現が「遅い」と感じているが、「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう」という表現で、人間と神とでは時間の単位が違うのだということを思い起こさせた上で(八節)、なぜ現在の世界がそのままにしておかれるか、その理由ないし神の意図が示されます(九節)。それは「主は約束の実現を遅らせておられるのではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるように」、神に敵対する人間の歴史を「忍耐して」、背いている人間が悔い改めて神に帰ってくるための時間を与えておられるのだとします。このように著者は、来臨の遅延というこの時代の難しい信仰問題に真剣に取り組んでいます。

義の宿る新しい天と新しい地(三・一〇〜一三)

 著者は、主の来臨の約束はどうなったのかと嘲る人たちに対して、主イエスが比喩として語られ(マタイ二四・四三)、使徒パウロも用いた「主の日は盗人のようにやって来ます」(テサロニケT五・二)という警告の言葉を繰り返します(一〇節)。著者が描く「その日」の情景は、一〇節後半と一二節後半で繰り返され、全宇宙が揺るがされ天体が震い落ち、自然界の諸要素は燃え尽き熔け去るとありますが、それは共観福音書の黙示録的な終末預言(マルコ一三・二四〜二五)に出てくる言葉と同じです。これは、当時の黙示文学の思想そのものです。

 一〇節最後の「地とそこで造り出されたものは見出されるであろう」(直訳)という文の解釈については争われています。このままでは意味が通らないので、様々な単語に置き換えた写本が伝えられています。一部の写本や古代語訳が伝えているように、もともとは「もはや見出されないであろう」と否定辞があったと見るのが一番簡単でしょう(ヨハネ黙示録二一・一参照)。

 このように地上のもの、この世のものはすべて滅び去るのであるから、主の来臨を待ち望む者は神の約束だけに身を委ねて「聖なる信心深い生活を送る」ようにし、そうすることで「それが来るのを早めるようにすべきである」とされます(一一〜一二節)。この考え方は、イスラエルの民が完全に律法を守れば、神がメシアを送ってくださる日が早められるとしたユダヤ教の考え方の影響があるようです。いずれにせよ、「その日」は天地が崩れ去り、溶け去る恐ろしい日ですが、主の来臨を待ち望んでいるキリストの民にとっては、「義の宿る新しい天と新しい地」が現れ出る栄光の日です。
 本書はヘレニズム世界に生きる読者に語りかけるために、その用語や概念はきわめて広範囲にギリシア化されたものを用いていますが、個人の霊魂の救いというようなギリシア宗教思想に埋没することなく、その基本的な思想はやはりユダヤ教の終末的な思想であり、それがギリシアの宇宙論的な視野をもって展開され、宇宙的終末論(コスミック・エスカトロジー)となっています。そのことは「義の宿る新しい天と新しい地」という表現によく示されています。そのような新しい天と地が到来することは、偽ることができない神の約束です。天地が過ぎ去っても過ぎ行くことのない確かな約束です。ここまで来て、著者の来臨待望確立のための書簡は頂点に達します。最後に結びの勧告(一四〜一八節)を記して書簡を閉じます。

結びの勧告と頌栄(一四〜一八節)

 キリスト来臨の約束を確認した著者は、最後に来臨を待望する者の生き方として、「きずや汚れが何一つなく、平和に過ごす」ように励まします。それが、裁きの日に「神に認めていただける」者の姿だからです(一四節)。来臨が遅れているのは、先に述べたように、神が忍耐をもって待っておられることを示しています。その神の忍耐が世界の救いであるとわたしたちは考えるべきであって、来臨の約束を疑うようなことがあってはなりません(一五節前半)。
 ここで著者は、パウロも同じことを教えていると、パウロを引き合いに出します(一五節後半)。著者はパウロを「わたしたちの愛する兄弟」と呼び、パウロが書き送った手紙は「神から授かった知恵に基づいて」書いたものであることを認めています。本書の宛先の諸集会では、パウロ書簡集が聖書と並んで信仰の拠り所として読まれていたことをうかがわせます。このことは、本書がかなり遅い時期の成立であることを示唆しています。
 パウロも本書と「同じように」書き送っている、と著者は言っています。パウロ書簡がキリスト来臨の待望に貫かれていることは事実です。そして、来臨に備えて清い生活を勧めているのも事実です。著者は自分の書簡がパウロと同じ路線にあることを認めています。しかし同時に、当時すでにパウロ書簡が「曲解」されていることも認めて警告しています。その「曲解」というのは、おそらくパウロが唱えた「キリストにある者の自由」が、一部の者たちの間で倫理的な歩みを無視ないし軽視する放縦主義(アノミズム)になっていることを指していると見られます。著者はそれを、「無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いている」と表現しています(一六節)。著者が本書で非難している「異端」の教師たちは、曲解したパウロ思想で聖書(旧約聖書)を解釈して、来臨待望の否定や放縦主義に陥ったと見ているのでしょう。
 最後にもう一度「不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように」警告し(一七節)、反対者の誘惑に対抗できるように「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」と励まします(一八節前半)。ここで著者が「キリストの恵みと知識において」と言っているのは示唆的です。パウロの福音の核心である「恩恵《カリス》の支配」の体験を確かにし、同時に異端者たちが誇る「知識」《グノーシス》においても劣ることのないように、「キリストを知る知識」(フィリピ三・八)を深めるように励ましていますが、これは、(著者がパウロ書簡をよく知っていると考えられることと共に)著者にパウロの継承者としての一面があることを示唆しています。
 著者は本書簡をすべて書き終えて、最後に主イエス・キリストへの頌栄をもって手紙を結びます(一八節後半)。