市川喜一著作集 > 第14巻 パウロ以後のキリストの福音 > 第31講

第二章 パレスチナ黙示思想の流れとその変遷

       ―― ユダ書とペトロ第二書簡 ――




第一節 ユダ書

       (本節で書名のない引用箇所の数字は、すべてユダ書の節をさします。)

ユダ書の成立

著者

 本書の著者は自らを「イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟であるユダ」と名乗っています(一節)。新約聖書で何も肩書きや説明のない形の「ヤコブ」は、主の兄弟ヤコブ以外には考えられませんので、著者は自分を「主の兄弟ヤコブ」の兄弟、したがって「イエスの兄弟」であるユダ(マルコ六・三)としていることになります。
 ここでも、その洗練されたギリシア語から(ユダ書のギリシア語は複雑な用語を多用した立派なものです)、アラム語を母語とするガリラヤのユダヤ人ユダが著者であることが問題になります。しかし、もしユダが(コリントT九・五が示唆するように)各地を巡回して福音を説いていたのであれば、長い間ギリシア語圏のユダヤ人の間で働いている間に、このようなレベルのギリシア語を使えるようになっていたことも不自然ではありません。本書は、七十人訳ギリシア語聖書ではなくヘブライ語聖書を用いていること、その解釈方法、外典の黙示文書の使用や強い黙示思想的色彩など、パレスチナのユダヤ教徒のキリスト信仰を指し示す指標が多くあります。従って本書は、イエスの兄弟であるユダ自身か、あるいはユダにきわめて近いパレスチナのユダヤ人でギリシア語をよくする人物が書いた可能性が高いといえます。後者の場合を含めて、わたしたちは本書をイエスの兄弟のユダから出ているものと見てよいでしょう。

成立年代

 著者がイエスの兄弟であるユダ自身か、ユダと共にいる身近なユダヤ人だとすると、本書の成立はユダヤ戦争以前の使徒時代となり、新約聖書の中では(パウロ書簡と並んで)もっとも初期の文書の一つとなります。エーゲ海地域でパウロ書簡が書かれていた時期に、パレスチナのどこかで本書が成立していたと見られます。本書は、パレスチナにおける、イエスの肉親を指導者とするユダヤ教徒のキリスト信仰を垣間見させる貴重な文書となります。この点で、本書は著者の兄弟であるヤコブの書とされる「ヤコブ書」と同系の文書となります。

宛先

 本書は手紙の形式で書かれています。最初の「挨拶」の部分(一〜二節)で、発信人、宛先人、祝福の祈りが明示され、当時の手紙の形式を取って書かれています。しかし、その宛先は特定の個人や集会ではなく、「父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たち」一般となっています。この文書がギリシア語で書かれている事実から、宛先の人たちをパレスチナのユダヤ教徒(彼らは大部分アラム語系です)に限定できず、ギリシア語を話す世界でイエス・キリストを信じる人たちを広く指しています。本書が「公同書簡」の一つとされる所以です。しかし、本書が当時の黙示文学の思想や聖書解釈を当然のように前提していることから、やはり宛先の人たちはユダヤ教徒か、異邦人であってもかなり深くユダヤ教に通じている人たちであると見るのが順当でしょう。異教的環境で、反律法主義(アンティノミニズム)的な傾向の教師たちの影響を受けて、信仰的に危険な状況にあるユダヤ人共同体(異邦人を含むこともありえます)に宛てて、本書が書き送られたと見られます。

ユダ書の目的と内容

ユダ書の執筆目的(三節)

 著者はこの手紙の執筆目的を次のように語っています。

愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです。(三節)

 著者は「聖なる者たちに一度伝えられた信仰」が危険にさらされていることを強く感じています。それで、「わたしたちが共にあずかる救い」について書き送って、信仰を励まし、その信仰の確立のために戦うことを勧めようとします。「わたしたちが共にあずかる救い」とは、後に続く本文からすぐ分かるように、主イエス・キリストが栄光の中に来られる「来臨《パルーシア》」の時に与えられる救いです。その時に与えられる救いが「永遠の命」であり、今はその終わりの時を「待ち望む」べき時です(二一節)。このような表現にパレスチナ・ユダヤ人共同体の強い黙示思想的待望がうかがわれます。
 この終わりの時が差し迫ったとき、メシア・キリストであるイエスが現れて、終わりの日の救いにあずかる神の民を集められました。このイエスをメシア・キリストと信じる信仰によって集められた者が「聖なる者たち、聖徒」と呼ばれ、その信仰が「聖なる者たちにひとたび(=他にはない、決定的な仕方で)伝えられた信仰」と呼ばれます。この尊い信仰、「最も聖なる信仰」(二〇節)を危うくし、終わりの日にあずかる救いを台無しにしようとする危険な試みに対抗して、この信仰の確立のために戦うことを勧め励ますために、この手紙が書かれます。
 この励ましは、手紙の最後に具体的な形で出てきます(二〇〜二三節)。しかし、その前に著者は、このような励ましが必要になった危険な状況を明らかにします。

偽りの教師の侵入(四節)

 その危険な状況とは、「わたしたちの神の恵みをみだらな楽しみに変え、また、唯一の支配者であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定する」「不信心な者たち」が、聖徒たちの中にひそかに紛れ込んで来て、聖徒たちの信仰を覆そうとしているからです。この表現から、著者のいう「不信心な者たち」、偽りを説く教師たちとは、霊的なカリスマ豊かな巡回伝道者の中で、神の恵みが力強く働いているのだから、自分たちはもはや律法に拘束されてはいない、自由なのだとして、自分の考えだけに従って律法に違反する生活をする、あるいはそのような傾向を見せる人たちではないかと考えられます。このような傾向の動きがパレスチナの信仰運動にあったことは、マタイも取り上げています(マタイ七・二一〜二三)。彼らは、神の定めを無視する者、「不法をなす者」として、唯一の支配者である主イエス・キリストの支配権を否定する者とされます。マタイと共に、律法の支配を絶対とする姿勢に、本書のユダヤ教体質が出ています。
 著者は続いて、そのような神の裁きに定められ、滅びに定められた「不信心な者たち」が、終わりの日に現れることは、昔から聖書に預言されていたことだとして、聖書や外典を引用し、独自の解釈で彼らの裁きを語ります(五〜一六節)。

聖書の中の三つの予型 (五〜七節)

 著者は、読者が聖書(その外典での解釈まで含めて)によく通じていることを前提にして(五節前半)、聖書から三つの事例をあげて、自分の勧告を根拠づけます。まず第一に、イスラエルの民がエジプトから救い出された後、荒野で主に背いたために滅ぼされたという歴史的事実(民数記一四章)を思い起こさせます(五節後半)。
 次に、自分の本来の住まい(領域)を捨てて、地上の女と交わることを求めたので、神が「永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込めた」天使たちのことが語られます(六節)。これは創世記六章(一〜四節)にある神の子たちが人間の娘と交わったという記事について、黙示文書(エチオピア語エノク書六〜一九章)に見られる解釈です。
 第三に、悪名高いソドムとゴモラの性的退廃が実例としてあげられます(七節)。ソドムとゴモラの民が犯した罪は、創世記六章の天使たちの場合と同じく、性の交わりに関する創造者の秩序を破り、「不自然な肉の欲の満足を追い求めた」ことにあるとされます。

偽預言者の危険(八〜一三節)

 ここで著者は、聖徒たちの中に紛れ込んできた偽教師・偽預言者たちを、「夢の中で幻を見る者たち」と呼び、彼らの特色を「身を汚し、権威を認めようとはせず、栄光ある者たちをあざける」者たちだと描きます(八節)。主の言葉を受けて語る真の預言者に対して、自分の心の思いから出たものを主の言葉として語る偽預言者を「夢を見た者」と呼ぶのは、エレミヤ(二三・二五〜三二)以来の伝統です。彼らは、先にあげた創世記の天使たちやソドム・ゴモラの住民たちと「同じように」性的退廃に陥り、それによって律法を定められた主の権威を汚し、「諸々の栄光」を嘲ったのです。この「諸々の栄光を嘲った」という表現は、おそらく宇宙的秩序・道徳的秩序の維持者としての地位(栄光)をもつ天使たちを嘲ったことを指していると考えられます。彼らは、自分たちの霊的体験(幻)を誇り、自分たちこそいっそうまさる悟り(グノーシス)をもつ者として、律法や秩序を嘲り、身体の行為は霊的救済に関係ないとして、性的な無秩序に走ったと考えられます。
 ここで著者は、天使たちを嘲る偽教師の傲慢を批判するために、「大天使ミカエル」の事例を引き合いに出します(九節)。この時代のユダヤ教、とくに黙示文学では、ミカエルが天使たちの長として「大天使ミカエル」の称号で呼ばれていました(ダニエル一二・一など多数)。黙示文書の一つである「モーセの昇天」はギリシア語の引用断片が僅かに残るだけですが、それによると大天使ミカエルは、モーセの遺体の埋葬にあたって悪魔と論争します。悪魔は、モーセはエジプト人を殺したのだからその遺体は自分のものだと主張します。それに対してミカエルは、「主がお前を懲らしめてくださるように」とだけ言って、裁きを主に委ねたとされています。この大天使ミカエルと比べて、天使たちを嘲る偽預言者たちの傲慢が対比されます。
 この「モーセの昇天」は、ラテン語訳だけが伝えられている「モーセの遺訓」の一部と見られ、その全体はヘブライ語またはアラム語で書かれていたと推察されています。著者はこの黙示文書をよく読んでおり、読者もその内容は聞き及んでいることを予想してこの書を書いています。この事実は、このユダ書がユダヤ教の領域内での文書であることを、強く示唆しています。
 続いて、この「夢想家たち」に対する非難が、「知らないこと」と「本能的に知っている事柄」に対する彼らの態度を対照して語られます(一〇節)。彼らは自分の知識(グノーシス)こそ最高だと誇り、栄光ある天使たちをののしっていますが、それは彼らが霊界の実相を知らないからだとします。彼らは「知らない」聖なるものを「冒?している」(直訳)のです。彼らが誇る知識(グノーシス)は「本性によって」知っているだけのものであり、理性のない動物が本能的に知っているのと変わらないとします。そのような人間の本性から出る知識で本能的に行動するので、彼らは性的な退廃に陥り、神の秩序から「堕落する」(直訳)のです。
 このように著者は偽預言者を非難し、「不幸な者たちよ」と禍いの詞を投げつけます(一一節前半)。この「禍いだ」(直訳)という表現は、「幸いだ」の反対表現として、マタイが二三章で繰り返しユダヤ教会堂に投げつけた「禍いだ」と同じです。さらに読者に馴染み深い聖書の実例を三例あげて、彼らの姿を描きます(一一節後半)。カインは高ぶりから自分の兄弟を滅ぼした最初の人間です。バラムは金銭欲のためにイスラエルの民を背教へ誘った偽預言者の代表です。コラはモーセの権威に反抗して滅んだ者であり、分裂をもたらす者の典型です。
 続いて著者は、このような偽預言者の行動を具体的に描きます(一二節前半)。著者はまず彼らを近寄ると危険な「暗礁」だと言います(多くの訳は「しみ、汚点」と訳していますが、本来は「(隠れた)岩礁」の意味の語です)。彼らは「あなたたちの愛餐《アガペー》で臆面もなく(恐れなく)共に供応に列する暗礁」だとし、そうして「自分自身を養う牧者たち」だとします。「しみ」でも意味は通りますが、表面的には分からない隠れた誤りであるが、接触すると人を破船させる危険な存在として、「暗礁」の方が適切ではないかと思います。ここで、最初期の信徒たちの集会の中心であった共同の食事が「愛餐《アガペー》」と呼ばれていることが注目されます。その食事において、主イエスの最後の晩餐の言葉と意義が繰り返し確認されていたと推察されます。彼らは、臆面もなく聖徒たちの集会に連なり、指導者顔をして自分の利益を計っている者、昔エゼキエル(三四章)が非難した「自分自身を養う牧者」であるとします。
 その上で、「風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に暗闇が待ちもうける迷い星」と、多くの比喩を重ねて彼らの空しさを印象づけます(一二節後半〜一三節)。雲の比喩は箴言二五・一四にあります。木の比喩では「二度死んで根を引き抜かれた木」という表現が用いられています。この表現は、信仰に入る前の死と、入ってからの主への反抗による死を指すと象徴的に解釈されることもあります。荒波の比喩はイザヤ書五七・二〇からでしょう。迷い星はエノク書(一八・一五〜一六)の比喩をそのまま用いています。彼らは、思い上がって定められた軌道から離れ、深い永遠の暗闇に投げ込まれる星にたとえられます。マタイ(七・一五〜二〇)も偽預言者について、「羊の皮をまとった狼」と「木と実」の比喩を用いて警告をしています。

エノクの予言(一四〜一六節)

 彼ら偽教師・偽預言者については、大昔から「アダムから数えて七代目に当たるエノク」も予言していることだと、著者は当時の黙示文書の一つであるエノク書の一節(エチオピア語エノク書一・九)を引用します。著者はエノクの預言に「主《キュリオス》」を挿入して、主イエスの来臨《パルーシア》を語る預言とし、彼らが来臨される主イエスによって断罪されることを語る預言の言葉とします(一四〜一五節)。
 その上でもう一度彼ら「夢想家」の本質を、自分の運命に不平を鳴らす不満家、自分の欲望のまま振舞う者、枠を超えて壮語する者、利益のためにへつらう者と描いて、彼らを厳しく非難します(一六節)。

使徒たちの予告(一七〜一九節)

 著者は改めて読者に「愛する人たちよ」と呼びかけて、「わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉」を思い起こさせます(一七節)。ここに引用されている「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう」という言葉は、特定の使徒の言葉ではなく、使徒たちの説教や終末預言を要約しているものでしょう(一八節)。その上で著者は、彼らの本質を(先に一六節でしていましたがもう一度)自分の言葉で判定します(一九節)。著者は彼らを「分裂を引き起こす者、霊を持たない《プシュキコイ》」だとします。
 ここで著者が「霊を持たない《プシュキコイ》」という表現を用いていることが注目されます。これはおそらく、著者が非難する偽教師たちが、「われわれは霊を持ち、究極の知識に基づいて歩んでいるので、伝統的な教義や倫理規範には拘束されず、自由である。それに対して一般の信徒は、伝えられた教えに外面的に従っているだけで、霊的悟りの段階に達していない」とし、自分たちを《プニューマトイ》(霊の人)、一般の信徒を《プシュキコイ》(魂の人)と呼んだのを逆手にとって、彼らこそ「御霊を持たない《プシュキコイ》」だと反論していると考えられます。新共同訳は《プシューケー》を「自然の命」と訳していますので(コリントT一五・四四以下)、ここでも《プシュキコイ》を「この世の命のままに生きる者」と説明的に訳しています。そうするとこの《プシュキコイ》は、パウロの表現に従えば、「肉によって」歩んでいる人たちということになります。

聖なる信仰を守りなさい(二〇〜二三節)

 著者は最初にこの手紙を書く目的を、「聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを勧めなければならない」と思ったからだと明言していました(三節)。しかし、なぜその必要があるのか、宛先の人々が直面している危険な状況を明らかにするため、偽教師・偽預言者に対する警告を語らなければなりませんでした。それを語り終えて、ここでやっと著者は意図する勧告を書き記します。
 この箇所は、これまでの偽りを説く一派の人たちを指す「彼ら」との対照を強調する「しかしあなたがたは」という表現で始まっています。あなたたちは「彼ら」に惑わされることなく、「あなたがたの最も聖なる信仰」によって「自らを築き上げなさい」と勧告します。「あなたがたの信仰」という句は、「聖なる者たち(としてのあなたがた)に一度伝えられた信仰」を指しています。それが「最も聖なる信仰」なのです。なお、新共同訳はここの動詞を「生活しなさい」と訳していますが、原文は「築き上げる」という動詞です。
 「信仰によって自らを築き上げる」のに最も大切なことは、「聖霊によって祈る」ことです。信仰生活において祈りは最も基本的な営みですが、たんに祈りの言葉(たとえば「主の祈り」)を唱えておればよいのではなく、内から溢れ出てくる思いで賛美し、願い、執り成すという性質の祈りが必要です。最初期のキリスト者には当然のこととして、著者はとくに説明を加えていません。キリスト者は祈りの中で教えられ、鍛えられ、建て上げられていきます。聖霊による祈り(父への語りかけ)こそ、神の子とされた者の実質です(二〇節)。
 父として子であるわたしたちを愛してくださる神の愛にとどまることによって、この世の欲や偽教師たちの高ぶりと堕落に陥らないように自分を守り、来るべき主の来臨に備えるように説きます。そして、その来臨への待望が、「永遠の命へ至らせる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい」と表現されます。最初期のユダヤ教内のキリスト信仰においては、当時のファリサイ派ユダヤ教がそうであったように、「永遠の命」は終わりの日に実現する「来るべき世」での命のことでした。キリストに属する者は、主の恩恵によって、その終わりの日に裁かれることなく、永遠の命に導き入れられるという希望が、その信仰の内容でした。この表現は、最初期のユダヤ教内のキリスト信仰のエッセンスをよく伝えています(二一節)。この短い箇所(二〇〜二一節)に、信仰と愛と希望という、キリスト信仰の三つの本質的な相が凝縮して表現されています。
 最後に、この希望に「疑いを抱いている人たちを憐れみ」、偽教師によって惑わされている「ほかの人たちを(審判の)火の中から引き出して助け」るように勧告します。そのさい、自分が偽りの教えに惑わされないように用心し、彼らの性的放縦に巻き込まれないように、「肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌う」ように勧めます(二二〜二三節)。

賛美の祈り(二四〜二五節)

 著者は勧告を語り終えて、自分が切に祈り求めていること、すなわち、宛先の人たちが「罪に陥ることなく、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立つようになる」ことを実現してくださる神を、主イエス・キリストを通して賛美して、この勧告の書を結びます(二四〜二五節)。