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第三節 ヘブライ書のキリスト信仰

ヘブライ書における十字架されたキリストの告知

 以上見てきたように、本書はもともと「勧めの言葉」ですが、最後に、このような勧めが出てくる源となっている著者のキリスト信仰の内容と特色をまとめておきましょう。
 著者は、基本的にはパウロが宣べ伝え、パウロ系の異邦人諸集会に確立しているキリスト信仰を継承しています。そのことは書き出しの部分(一・一〜三)によく表れています。それはこの部分が、パウロの名による書簡の一つであるコロサイ書(一・一五〜二〇)の「キリスト賛歌」とほぼ同じ内容であることからも分かります。しかし、著者のキリスト信仰にはパウロと違った特色もあり、著者のキリスト信仰の表現形式は独自の内容をもっています。その結果、本書の神学は、パウロのローマ書とヨハネ福音書とに並ぶ、新約聖書の中の三つの大きな神学構想の一つとされることになります。
 著者のキリスト信仰の特質を一言で言えば、ここまでに見てきたように、著者はキリストをわたしたちのための大祭司として、その視点からキリストの地位と働きを言い表していることです。十字架につけられたイエスが復活してキリストとされたことが最初期の宣教の基本内容ですが、著者はそれを大祭司の表象で言い表します。
 イエスは復活して高く上げられ、神の右に座す方とされました。そのことを著者は、大祭司が隔ての幕を通って至聖所に入る姿で描きます。大祭司は年に一度隔ての幕を通って至聖所に入り、神の前に出ます。そのように、イエスは終わりの時にただ一度現れ、「御自分の肉」という垂れ幕を通って、最終的に神の聖前に出られたのです。著者は「復活」という用語を使わないで、祭儀的な表象を用いて神の右にあげられた復活者キリストの栄光の地位を描いています。
 そのイエスが十字架につけられた出来事は、大祭司が犠牲を捧げる働きとして描かれます。地上の大祭司は、動物の血を携えて至聖所に入り、自分と民のための贖い(罪の清め)を行います。それに対して、天の至聖所に入られた大祭司キリストは、御自分の血を携えて至聖所に入り、永遠の贖いを完成してくださったとされます。イエスの十字架の死は、永遠の大祭司キリストが御自分を罪の贖いのための犠牲とされた出来事と意義づけられます。

血による贖い

 このように、著者は大祭司の表象を用いて、パウロが告知した「十字架された復活者キリスト」の福音を言い表しているのですが、それが祭儀を司る大祭司の働きとして述べられる結果、キリストの救済の働きは「血による贖い」という祭儀的象徴が中心を占めることになります。この点は、パウロの救済理解との違い、あるいは距離を感じさせます。
 パウロもキリストによる救済を語るときに「血による贖い」という表現を用いている箇所があります。義(=救い)は律法の諸行為によるのではなく信仰によるのだという、キリストによる救済を語る核心的な箇所(ローマ三・二一〜二六)の中で、パウロは「神はこのキリストを、信実によって、その血による贖いの場としてお立てになったのです」(二五節私訳)と言っています。しかし、パウロが「血による贖い」に触れるのはここだけで、他にはいっさい出てきません。ここでも信仰による義を主張するパウロ固有の文の中に、この「血による贖い」というユダヤ人キリスト教の伝承がかなり無理な形で組み込まれています。
 この「血による贖い」という表象は、もともとユダヤ人信徒集団が形成した信仰告白の形式でした。使徒たちはみなユダヤ人でしたから、復活者キリストが十字架上に死なれたことの意義を理解するのに、それを聖書(旧約聖書)の成就として理解したのは当然です。ユダヤ教団が数百年にわたって守ってきた祭儀伝統の中で、キリストの十字架の出来事をその祭儀の成就と理解し、「キリストはわたしたちの諸々の罪過のために死に」と告白し、「血による贖い」という祭儀的な用語で言い表したのでした。
 ところが、キリストの福音が異邦諸民族に宣べ伝えられるようになって、ユダヤ教に固有の祭儀的な表現は避けられるようになります。その代表者はパウロです。異邦人への使徒パウロは、自分が受け継いだ伝承を引用するとき以外は、「血による贖い」という表現はもとより、「贖い」という用語自体を用いなくなります。パウロは「罪に定める」とか「義とする」、また「和解」というような法的な関係を示す用語で、神と人との関わりを描きます。パウロは、必要な場合は異邦人にも理解しやすい法廷の比喩を用いますが、「贖い」というような祭儀的な用語はほとんど用いません。パウロにも、キリストが神の右に座ってわたしたちのために執り成してくださるという、キリストの祭司的な働きを語る箇所がありますが(ローマ八・三一〜三四)、そこでも血による罪の清めという祭儀的な意味はなく、訴える者に対して弁護し、神の無罪判決を得てくださる方という法廷的な用語で語られています。

 パウロの「贖い」の用例、とくに「血による贖い」の用例については、拙著『パウロによる福音書―ローマ書講解T』101頁以下の「キリスト・イエスにある贖いによって」の項、および拙著『パウロによる福音書―ローマ書講解U』巻末の「用語解説」の中の「贖い」の項を参照してください。

律法(ユダヤ教)との関係

 キリストにあって神の民として生きるのに、もはや律法(モーセ律法)の順守は必要ではないという基本的な姿勢において、本書の著者はパウロとまったく同じです。本書は、割礼とか食事規定とか安息日とか、ユダヤ教の諸規定について語ることはありません。著者にとっても、救いは律法(ユダヤ教)の外で、律法と無関係に与えられているものです。著者は、異邦人信徒に律法の順守を求めることはありません。この問題でパウロと違うのは、パウロがこの「律法の外での義(救い)」を確立するために、律法を絶対化する(救いの条件とする)ユダヤ教徒やユダヤ主義の信徒と命がけで戦ったのに対して、著者の時代ではその問題はすでに決着しており、著者は「律法の外での救い」を当然のことと前提することができたという点です。
 しかし少し掘り下げますと、律法とのかかわり方でパウロと著者の間に違いがあることも見えてきます。パウロにとって律法は神から与えられた啓示であり、正しく聖なるものですが、その律法が肉に売り渡された人間にとっては「罪と死の律法」となり、断罪し死に至らしめる「罪の力」となることを、パウロは身をもって体験し、その力と格闘し、キリストにある「命の御霊の律法」によって解放されることを体験したのでした(ローマ書七章)。パウロにとって律法は、「約束を与えられたあの子孫が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたもの」(ガラテヤ三・一九)、すなわち違犯を明らかにするためという特定の役割のために与えられた期限付きのものに過ぎず、「キリストは律法の終わりとなられた」と言えることになります。
 それに対して著者の場合、「罪の力」としての律法との内面的な格闘は見られず、律法はむしろ罪を清める祭儀体系としての面から見られています。ただ、それは真に罪を清める能力はなく、大祭司なるキリストがなしとげてくださる永遠の贖いを象徴するものに過ぎないとされます。大祭司キリストが成就してくださったので、律法(ユダヤ教)の祭儀体系は不要のものとして過ぎ去ったことになります。
 キリストは律法を成就するために来られたという主張では、本書はマタイ福音書と並んで新約聖書の中では双璧をなしています。マタイが律法をその倫理的側面、すなわち神が人間に求められる行動の基準としての面から見て、キリストは律法を廃するためではなく成就するために来られたことを強調するのに対して、本書は律法を祭儀的な面から見て、キリストは律法(ユダヤ教)が規定する祭儀を成就することで、それを不要なものとされたと主張します。マタイが成就することで完成されたという面を強調するのに対して、本書は成就することで不要にされたという面を強調する点が対照的です。
 マタイがユダヤ人に向かって、キリストは律法を成就完成する方であると強調するのに対して、本書は異邦人に向かって、キリストは律法の祭儀体系を成就する方であることを説きます。これは、著者の時代には異邦人信徒も聖書(七十人訳ギリシア語聖書)に十分精通しており、キリストの地位と働きを説明するのに、著者は律法の祭儀規定を予型として活用することができたからでしょう。

クムランの死海文書との関係

 なお、律法(ユダヤ教)の祭儀体系を成就する方としての大祭司キリストを説く本書のキリスト信仰の質は、エッセネ派の書とされるクムランの死海文書との関連を考えさせます。ファリサイ派やサドカイ派、さらに熱心党など、当時のユダヤ教諸派について批判的に触れている新約聖書の中で、エッセネ派だけは全然触れられていないことは、新約聖書の謎の一つですが、これは新約聖書の諸文書が書かれる時期(一世紀後半)には、多くのエッセネ派の人たちがキリストの民の中に入ってきていたからではないかと推察されます。

 先にエフェソ書の講解の中で触れましたが、エルサレム神殿崩壊の前後にエッセネ派の大多数がキリスト教徒となったと見る研究者もあり(たとえばオニール)、エッセネ派の影響はイエスの弟子たちの第二、第三世代において大きくなったと見られます。マーフィー=オコゥナーとチャールズワースは、パウロの真正の書簡よりも、パウロ以後の書簡(とくにエフェソ書)に、エッセネ派の影響のはっきりとした形跡があると認めています。ヘブライ書もこの世代の成立として、少なくとも間接的には影響を受けていると考えられます。

 エッセネ派はもともと、エルサレム神殿の大祭司を非正統の大祭司であるとして、「義の教師」と呼ばれる別の祭司的指導者に率いられて、荒野にこもって祭儀的聖潔を徹底的に追い求めた、律法順守に熱心なユダヤ教徒の集団でした。エッセネ派は黙示思想的傾向が強く、メシアの到来による神の支配の実現を待ち望んでいましたが、そのメシアは祭司的メシアと王的メシアの二人のメシアの形をとっていました(祭司的メシアが上位に立ちます)。
 ヘブライ書のメシア・キリストを大祭司と見るキリスト観は、一見エッセネ派が待望していた祭司的メシアと似ていますが、次元が違います。すなわち、エッセネ派の祭司的メシアは依然として律法の枠の中での大祭司です。エルサレムの大祭司と対抗していますが、同じく律法によって立てられ、律法に従ってその祭司職を果たす大祭司です。それに対して、ヘブライ書は、律法に規定された祭儀や大祭司は象徴に過ぎず、本体の大祭司キリストが現れた以上、その意義が成就されて過ぎ去ったものとします。エルサレムの大祭司もエッセネ派の祭司的メシアも、もはや必要ではありません。永遠の大祭司キリストがすでに現れ、律法はその役割を終えて過ぎ去ったのです。

パウロの「神秘主義」とヘブライ書の終末待望

 著者はキリストの来臨を待ち望む熱い終末待望の中で「信仰」を理解しています。そのことはヘブライ書一一章に典型的に表現されています。一一章一節は「信仰」の全面的定義ではありませんが、著者にとって信仰のもっとも重要な一面であることは確かでしょう。著者にとって「信仰」とは、まだ見ていない約束された終末の栄光を現実として、現在をその「告白」に忠実に生きることに他なりません。その箇所の講解でも述べましたように、これはパウロのいう「希望」と同じです。
 たしかにパウロもこのような終末待望に生きています。しかしパウロが「信仰」という時には、このような終末待望に忠実な生き方という面よりは、聖霊によるキリストとの合一、すなわち十字架されたままの復活者キリストに合わせられて、自分が死に、新しい復活の命に生きるという、現在の命の現実が中心に位置しています。このような「キリストにあって」現実に体験している聖霊の現実は、よく「パウロの神秘主義」(A・シュヴァイツァー)と呼ばれますが、その呼び方の当否はさておき、ヘブライ書にはこのような「神秘主義」の一面は希薄です。
 ヘブライ書も、キリスト信仰の始まりを「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験し」と描いています(六・四〜五)。しかし、聖霊による信仰体験について触れるのはここだけで、パウロのように繰り返し「キリストにあって」聖霊により体験する現在の「変容」について語ることはありません。また、コロサイ書やエフェソ書のように霊的な「キリストの充満」を語ることもありません。ヨハネ福音書のように「永遠の命を持っている」という現在の霊的事実に集中することもありません。総じてヘブライ書の「信仰」は、終末の栄光を目指して現実の世界から出て行き、旅人として生きる実践的な側面が強く出ています。この点は、クムランの死海文書の影響を思わせるものがあります。このように、ヘブライ書の「信仰」は神秘的な面が希薄で、実践的な面が強いという特徴が、後に本書をとくに西方キリスト教世界で歓迎される書にしたものと思われます。
 実践的といえば、著者は地上のイエスの姿を模範として指し示しています。復活して高く上げられ、天の至聖所に入られた大祭司キリストは、地上ではわたしたちと同じ弱さと苦難を担う一人の人間として歩まれたことを、著者は強調します。それだからこそイエス・キリストはわたしたちの弱さを思いやり、執り成してくださることができる大祭司なのです。同時に、そうであるからこそ、わたしたちは地上で「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげて」歩み抜き、栄光に達しられたイエスを模範として、苦難に耐え、言い表している信仰を貫くように読者を励まします。
 なお、新約聖書の諸文書の中で、その思想内容がヘブライ書にもっとも近いものは「ペトロの第一の手紙」です。ペトロ第一書簡は、ヘブライ書と同じく「勧告」の手紙であり(五・一二)、キリストの血によって贖われた民(一・一八〜一九)に、地上では旅人であるが(一・一)、約束された栄光を目指して(一・四〜五)、大牧者イエス・キリスト(五・四)を模範として忠実に歩むように励まします。パウロとヘブライ書とペトロ第一書簡とを「神学的トリオ」と呼ぶ人もいます。この三者の関係についてはペトロ第一書簡を扱うときに触れることにします。