市川喜一著作集 > 第13巻 パウロによる福音書 ― ローマ書講解U > 第15講

        手紙の結び


第十章 地の果てまでも

はじめに―手紙の結び

 ここまで第一部から第四部に至るまでの本体部分(一・一八〜一五・一三)で、使徒パウロは自分が宣べ伝えている福音のすべてを、自分の全存在をかけて提示し、議論し、展開してきました。この本体部分を書き終えて、今や使徒はこの長大な手紙の結びに入ります。一五章一四節から始まる「手紙の結び」は、手紙の「前置き」(一・一〜一七)で語った内容を最後にもう一度取り上げる形で、諸国民への使徒としてのパウロの思いを熱く語ります。
 まず前置きで語った異邦人への使徒としての使命(一・一〜六)が、祭司の務めという視点から詳しく語り直されます(一五・一四〜二一)。続いて、前置きで語られていたローマ訪問の願い(一・八〜一五)が、帝国西部への伝道活動計画の一環として具体的な計画という形で表明されます。そのさい、その前に果たさなければならない使命として、集めた献金を届けるためのエルサレム訪問が言及され、それが無事に成功するように執り成しの祈りが求められます(一五・二二〜三三)。
 最後に、手紙の通例に従い、個人的な挨拶(一六・一〜一六)と同行者からの挨拶(一六・二一〜二三)がつけられます。その間に、手紙としてはやや異例ですが、偽りの教えに対する警告が挿入され(一六・一七〜二〇)、神への賛美で締め括られます(一六・二五〜二七)。



第一節 祭司の務め

42 宣教者パウロの使命(15章14〜21節)

 14 わたしの兄弟がたよ、あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うこともできると、わたしの方もまた、あなたがたについては確信しています。 15 しかし、わたしはところどころ、あなたがたに記憶を新たにしてもらおうと、かなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みを賜って 16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の務めを果たしているからです。祭司の務めというのは、異邦人が聖霊によって聖なるものとされ、神に喜ばれる献げ物となるための務めにほかなりません。 17 だから、わたしは神に仕えることについては、キリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。 18 異邦人を従順に導くために、キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、わたしはあえて語ろうとは思いません。キリストが言葉とわざにおいて、 19 しるしと不思議を現す力により、御霊の力によって働かれたのです。こうして、わたしはエルサレムから始まり、孤を描いてイリリコン州に至るまで、キリストの福音を満たしてきました。 20 このように、キリストの名がまだ知られていない所で福音を宣べ伝えることを熱心に追求してきました。それは、他人の土台の上に建てるようなことはしないためです。 21 「彼について告げられていなかった人々が見、聞かなかった人々が悟るであろう」と書かれているとおりです。

異邦人のための祭司の務め

 「わたしの兄弟がたよ、あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うこともできると、わたしの方もまた、あなたがたについては確信しています」。(一四節)
 ここから手紙の結びに入ります。まだ会ったことのないローマの信徒たちに、同じ主に属し、同じ志をもつ兄弟として、使徒は信頼をこめて「わたしの兄弟がたよ」と呼びかけます。しかし、最初にパウロは、自分が建てて指導したのではない集会に対する配慮をもって、「かなり思い切って書いた」理由を説明します(一四〜一六節)。
 わたしが教えたり指導したりするまでもなく、あなたたちだけですでに「善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うこともできる」と確信しているというのは、自分が建てたのではない集会に対する配慮を表現しています。

 「しかし、わたしはところどころ、あなたがたに記憶を新たにしてもらおうと、かなり思い切って書きました」。(一五節前半)

 手紙の「前置き」(一・一〜一七)の講解で述べたように、パウロは本書をとくにユダヤ人信徒を念頭において書いているので、ユダヤ教に関する発言では、「ところどころ」ユダヤ人読者に衝撃となるようなことを「かなり思い切って」書いたことを意識しているのでしょう。
 キリストの福音に生きるユダヤ人は、パウロが本書で書いたことはすでに理解しているはずですが、ここでもう一度確認してもらいたいということを、相手を傷つけないように、「記憶を新たにしてもらおうと」と、婉曲に表現しています。
 パウロはこのローマ書で、信仰による救いの原理を確立するために、律法の原理に立つユダヤ教はもはや救いの道ではありえないことを、ユダヤ人にとってはかなり衝撃的な表現で「思い切って」語っています。しかし、本書のユダヤ教(律法)に関する表現は、ガラテヤ書のそれに比べると、律法の積極的な意義を語ることが多くなるなど、かなり和らげられています。それは両書が書かれた動機の違いから来ます。
 ガラテヤ書は、異邦人に割礼を受けさせて「キリストの福音を覆そうとしている」者たちの働きを論破するために書かれたものですから、律法主義に対する反対は激烈にならざるをえません。それに対して、ローマ書では信仰による義という福音の原理を確立した上で、(一四章の講解で見たように)律法を順守するユダヤ人信徒の在り方を認め、律法から自由な人たち(強いユダヤ人ともともと律法の外にいる異邦人)との融和を図っています。その上で、なおユダヤ人信徒を中核とするローマ集会の援助を期待しなければならない事情もありますから(一五・二四)、律法に対する表現も(ガラテヤ書と較べると)慎重で穏やかなものになっているようです。

 「それは、わたしが神から恵みを賜って、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の務めを果たしているからです。祭司の務めというのは、異邦人が聖霊によって聖なるものとされ、神に喜ばれる献げ物となるための務めにほかなりません」。(一五節後半〜一六節)

 パウロは続いて、ユダヤ教について「かなり思い切って」書いた理由を説明します。それは、「わたしが神から恵みを賜って、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の務めを果たしているから」だと言います。これは、パウロが異邦人のために祭司の務めを果たすべく召された使徒であることを知るならば、パウロがユダヤ教についてこのように「思い切って」書いた理由が理解できるはずだという思いから出ています。
 パウロはいつも自分の使徒としての使命を、資格のない者に与えられた恩恵の賜物であると自覚しています(ローマ一・五、コリントT一五・九〜一〇)。ここでも改めて自分の使徒職が恩恵によるものであることを述べていますが、ここで注目されるのは、パウロが自分の異邦人への使徒としての使命を「祭司の務め」という用語で語っていることです。
 「祭司の務めを果たしている」という動詞と、すぐ後に出てくる「献げ物」という用語は、パウロ書簡ではここだけです。パウロは珍しくここでは、自分の異邦人への使徒としての使命を祭儀的な用語を用いて語っています。「祭司の務め」の内容は、すぐ後に続く「異邦人が聖霊によって聖なるものとされ、神に喜ばれる献げ物となるため」という目的節で説明されます。すなわち、祭司が神殿で神に献げ物を献げるように、異邦人を聖霊によって聖なるものとされた「献げ物」として神に献げることであるというのです。
 当時のユダヤ人の間では、終わりの日に成就するメシアの時代には、イスラエルが栄光の地位に上げられるだけでなく、異邦諸国民がイスラエルの神を礼拝するようになると信じられていました。パウロはこの待望を共有し、自分の使命をこのメシア時代の後半部、すなわち異邦諸国民をイスラエルの神の礼拝へと導くことであると自覚しているのです。直前の段落(一五・七〜一三)で、異邦人がイスラエルの神を拝むようになることを預言した聖書を多数引用したのは、この使命を聖書によって根拠づけるためでした。
 パウロは回心の当初から自分が異邦人に福音を伝える使命を与えられていると自覚していたようです。ダマスコでの回心後すぐにナバテア王国のアラブ系異邦人にキリストを宣べ伝えています。その後もアンティオキアを中心に、割礼のない福音を宣べ伝え、異邦人がそのまま神の民となる原理を確立するための戦いを進めています。そして(回心後一七年ほど後の)エルサレム会議において、パウロがメシア時代に異邦諸国民をイスラエルの神に導くための使徒であることが公式に確認されます。すなわち、ペトロたちはユダヤ人をメシア・イエスに導く役割を、パウロは異邦人をメシア・イエスに導く役割を与えられていることを互いに認めます(ガラテヤ二・七〜九)。こうして、異邦人をメシア・イエスに導き、それによって異邦諸国民をイスラエルの神を礼拝するように獲得したパウロは、今エルサレムを訪れるにあたって、「異邦人の献げ物」を神に献げる祭司の務めを果たそうとします。
 パウロは自分が果たすべき「祭司の務め」を「異邦人の献げ物が、聖霊によって聖なるものとなり、神に喜ばれるものとなるため」(原文)と言っています。「異邦人の献げ物」とは、異邦人が神に献げる献げ物(献金なども含む)ではなく、異邦人を神に献げること、異邦人自身が神への献げ物とされることを意味しています。その際、神に献げられる献げ物は「聖なるもの」、「神に喜ばれる献げ物」でなければなりません。献げ物を清めて「聖なるもの」にするのも祭司の務めです。
 「聖なるもの」とは神に所属するものという意味です。指導層が大部分ユダヤ人である初期の教団では、異邦人が「聖なるもの」、すなわち神に所属する民となるためには、ユダヤ人と同じように割礼を受けてモーセ律法を順守する必要があるという主張が強力でした。それに対してパウロは、異邦人を「聖なるもの」にするのは、割礼や律法順守ではなく、信仰によって受ける聖霊の働きだけによるのであることを命がけで主張したのです。「聖霊によって聖なるものとなり」という一句にパウロの生涯の主張がこめられています。
 この点について見解の相違が残っていることを知っているパウロは、この献げ物がエルサレムの指導者たちに受け入れられるかどうか不安を感じています(一五・三一)。事実、パウロが無割礼のままで「聖霊によって聖なるものとされた」異邦人信徒を連れてエルサレムに上り滞在していたとき、別の件でパウロが神殿に入ったのを見たユダヤ人が、パウロが無割礼の異邦人を神殿に連れ込んだとして騒ぎを起こします(使徒二一・二七〜三六)。パウロが心配していたように、「ユダヤの不信の者たちから」(一五・三一)引き起こされた騒乱によって逮捕される結果になります(使徒二一・二七以下)。

異邦人を招くキリストの働き

 「だから、わたしは神に仕えることについては、キリスト・イエスにあって誇りを持っているのです」。(一七節)

このように「神から恵みを賜って、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の務めを果たしている」のは、終わりの時、メシアの時代に不可欠の大切な仕事をしているのですから、ユダヤ人がどのように批判し反対しようと、イスラエルの神に仕える者として、自分の使命を同胞ユダヤ人に誇ります。そして、その誇りをキリストの働きとして誇ります(次節)。

 「異邦人を従順に導くために、キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、わたしはあえて語ろうとは思いません」。(一八節)

 パウロが誇るのは、自分の働きを誇るのではなく、自分を通してキリストが働かれた事実を誇るのです。その事実以外は弁明したり議論したりせず、ただ自分の宣教を通してキリストが働いてくださり、多くの異邦人をイスラエルの神への従順へと導いてくださった事実を指し示します。
 パウロはここで、キリストは「異邦人の従順へと」(直訳)働いてくださった、と言っています。「異邦人の従順」とは、異邦人がイスラエルの神に聴き従うようになることです。パウロは自分の使徒としての使命を「異邦人を信仰の従順へと導くため」と表現していました(一・五)。そこでの講解で述べたように、パウロにおいては、この組み合わせにおける信仰と従順はほとんど同意語です。神が語られる言葉(この場合は福音)に聴き従うことが信仰です。「従順」と訳されている語は、もともとは「下で聴く」という意味の語です。ひれ伏して(自分を無にして)神の言葉を聴くことが信仰です。イスラエルの中で語り続け、終わりの時にキリスト・イエスによって語られた神に、世界の諸国民が聴き従うようになるために、キリストは選ばれた器であるパウロを通して働かれたのです。

 「キリストが言葉とわざにおいて、しるしと不思議を現す力により、御霊の力によって働かれたのです」。(一八節の末尾〜一九節前半)

 パウロはここで自分を通して働かれたキリストの働きを要約します。キリストは、パウロを通して働かれました。キリストは「言葉とわざにおいて」働かれたとありますが、この一対の句に「わたしの」(新共同訳)という説明はついていません。この句はキリストが働かれた領域を指しています。キリストは言葉の領域においても、業の領域においても、「しるしと不思議を現す力により、御霊の力によって働かれた」のです。

 原文は前置詞なしで「言葉とわざ」が三格で並んでいます。この三格は「手段の三格」ではなく(手段はすぐ後に「力により」とか「御霊の力によって」と明示されます)、「観点(または関連)の三格」と見るべきでしょう。

 言葉の領域においては、パウロが福音を宣べ伝えるとき、また、兄弟たちを言葉で励まし勧告するとき、その言葉には「御霊と力の証明」が伴い(コリントT二・四)、人間的な知恵や論理を超えて、聴く者の心に直接神の言葉を刻み込みました(テサロニケT一・五、二・一三)。それは、キリストが「御霊の力によって」働かれた結果です。
 わざの領域においては、パウロがあらゆる圧迫と迫害を耐え抜いて諸都市に福音を伝えた働きの中に、まず何よりも御霊の力が現れています。パウロの生涯に見られるような超人的な伝道の働きは「御霊の力によって」なされたとしか理解できません。
 そして、その宣教の働きの中で、パウロが「しるしと不思議を現す力により」多くの「力あるわざ」(病人の癒しや悪霊の追放などの奇跡)を行ったことが、使徒言行録に伝えられています。パウロは自分がこのような奇跡を行ったことについては、書簡の中でほとんど触れていませんが、ここで自らの筆でまとめて確認しています。また、パウロはコリント第一書簡(一二章)で御霊の賜物を列挙していますが、その中で上げられている「病気をいやす力」とか「奇跡を行う力」は、使徒としてパウロ自身も豊かに与えられ、宣教活動の中で現されていた賜物です。
 パウロは自分が行った奇跡を、キリストが「しるしと不思議を現す力によって」行われたこととします。そのような力はパウロのものではなく、キリストのものです。そして、すぐにそれを「御霊の力によって」行われたことと言い直します(この二つの句は同格で並んでいます)。パウロを通して、キリストが「御霊の力によって」働いておられるのです。
 このように、パウロを器として行われたキリストの「御霊の力による」働きは、すべて「異邦人を信仰の従順に至らせるため」であり、パウロは「神から恵みを賜って、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者」となっているのです。そして、パウロは自分の務めを「異邦人が聖霊によって聖なるものとされ、神に喜ばれる献げ物となるため」の「祭司の務め」を果たしていると語るのです。わたしたちは、地中海世界に広く進展したパウロの宣教活動の中に、世界の諸国民を神の国に招いておられる復活者キリストの働きを見ているのです。

パウロの活動の舞台

 「こうして、わたしはエルサレムから始まり、孤を描いてイリリコン州に至るまで、キリストの福音を満たしてきました」。(一九節後半)

 パウロは自分の福音宣教の働きを語るのに、「エルサレムから始まり」と言っています。パウロがエルサレムで福音を宣べ伝えたのは、回心後三年目の最初のエルサレム滞在のときだけですが、迫害されて、ごく短期間で終わったようです(使徒九・二六〜三〇)。しかし、ユダヤ人パウロにとってエルサレムは、終わりの日に神の言葉がそこから世界に出ていく聖なる神の都です(イザヤ二・三)。パウロの意識では、全世界に神の言葉である福音を宣べ伝える働きはエルサレムから始まらなければならないのです。それがごく短期間であったにせよ、パウロは自分の福音宣教は「エルサレムから始まり」と意識しています。
 エルサレムから始まり、シリア、小アジア、ギリシャへと至るパウロの宣教の足跡は、地中海沿いに孤を描くように北西へ延びています。さらに、パウロの視線はローマを経て南西のスペインに向かう弧を描いています。現代のような地図のなかった時代ですが、旅の方向からパウロは自分の行程を「弧を描くように」と意識することができたのでしょう。もっとも、「弧を描いて」というのは語義にこだわった訳で、たんに「そのあたり」とか「回り歩いて」という程度の軽い意味に理解することも可能です。
 パウロは「イリリコン州に至るまで」と言っていますが パウロがイリリコン州で宣教の働きをしたという報告は、書簡にも使徒言行録にもありません。エフェソを発ってマケドニア経由でコリントに向かう旅(55年)の途中、55年の夏にこの地域で活動した可能性はあります(パウロはこの旅の目的地コリントで55年から56年にかけての冬に、このローマ書を書いています)。
 イリリコン州はバルカン半島西岸の州で、アドリア海を隔ててイタリア本土に対しています。パウロはこの地域をローマ帝国東半分の西端と見て、「今やこの地域(帝国の東半分)で働く余地がなくなった」(一五・二三)と言うことになります。
 パウロはこの地域全体を隈なく訪れたのではありませんが、主要な拠点都市で福音を宣べ伝え、そこに周辺地域に福音を宣べ伝える活動を続ける信徒の群を確立したことで、パウロはこの地域に「福音を満たした」と言うことができました。

 「このように、キリストの名がまだ知られていない所で福音を宣べ伝えることを熱心に追求してきました。それは、他人の土台の上に建てるようなことはしないためです」。(二〇節)

 このような広範囲に宣教活動を進めてゆくさいの原則を、パウロはここで明らかにします。それは、「キリストの名がまだ知られていない所で福音を宣べ伝える」という原則です。パウロが初期にダマスコから宣教活動を始めたときに、すでに他の使徒たちが活動していた地中海沿岸の諸都市に向かわないで、東のアラビヤに向かったのも、この原則からだと考えられます。それ以後も「他人の土台の上に建てるようなことはしない」という気概をもって、パウロは活動を続けます。パウロの伝道は、生涯にわたって開拓伝道であったのです。そして、パウロはこの原則を聖書の引用で根拠づけます。

 「『彼について告げられていなかった人々が見、聞かなかった人々が悟るであろう』と書かれているとおりです」。(二一節)

 引用は、イザヤ書五二章一五節(七十人訳ギリシャ語聖書)からです。この節は「主のしもべの歌」(イザヤ書五三章)の導入部の一句です。イザヤ書の「主のしもべの歌」は、初期の教団でメシアにかかわる預言として重視されていました。パウロもこの「主のしもべの歌」を深く受けとめ、自分もこの「しもべ」の姿に重ねていたのではないかと思われます。

 七十人訳ギリシャ語聖書では、ヘブライ語本文にない「彼について」という句が入れられています。そのため、この訳はここでのパウロの引用目的に適合したものになっています。