市川喜一著作集 > 第12巻 パウロによる福音書 ― ローマ書講解T > 第1講

        手紙の前置き


第一章 福音書としてのローマ書

はじめに

 本章は序論として、手紙の挨拶の部分の講解という形で、ローマ書の成立事情について簡単に触れ、その上でローマ書の性格と構成について述べることにします。
 この書簡は、新共同訳では「ローマの信徒への手紙」という標題がつけられています。正式には「ローマの人々への使徒パウロの書簡」と称すべきですが、本講解では略して「ローマ書」と呼んでいきます。

この講解では、書簡の本文には私訳を用います。この私訳は Nestle-Aland, Novum Testamentum Graece, 27th Edition (1993) を底本として用い、この底本の本文と異なる写本の読みを採用する場合には、それぞれの箇所でその旨を断って訳します。翻訳と本文の語句および訳語に関する注は別にまとめていますが、その注を全部この講解に添えることはできませんので、講解に必要なものだけを、一段下げた細字の注記で入れておきます。これまでの著作の講解と同様、立ち入った議論も注記の形で入れていますので、ローマ書の講解だけを追いたい方は、細字の注記の部分は飛ばして読んでいただいても結構です。

 普通、聖書文書の注解や講解には、まず序論としてその文書の成立事情や構成、また文書の性格などが解説されます。しかし、「まえがき」に書いたように、ローマ書の執筆事情については、前著『パウロによるキリストの福音 V』の第七章「使徒パウロ最後の日々」第一節「最後のコリント滞在」にやや詳しく書きましたので、ここでは手紙の挨拶部分の講解という形で簡単に触れるにとどめ、本章では文書の性格と構成について必要最小限のことを述べることにします。

1 挨拶 (1章 1〜7節)

 1 キリスト・イエスの僕、使徒として召され、神の福音のために聖別されたパウロから ―― 2この福音は、神がご自身の預言者たちを通して聖なる諸書の中で前もって約束されていたものであり、3 ご自身の御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4 聖なる御霊によれば死者たちの復活によって大能の座にある神の子と公示された方、すなわち、わたしたちの主(キュリオス)であるイエス・キリストです。5 わたしたちはこの方を通して、その御名のゆえにすべての異邦諸民族を信仰の聴従へと至らせるために、恵みと使徒職を受けたのです。6 その異邦諸民族の中にあって、あなたがたもイエス・キリストのものとなるように召されたのです。―― 7 ローマ在住の神の愛される方々、召された聖徒たち一同に。わたしたちの父である神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。

使徒パウロから

 パウロはいまコリントにいます。二年余りにおよぶエフェソを拠点とするアジア州での活動を終え、エフェソを出て陸路マケドニア州経由でこのアカイア州の州都コリントに到着し、冬の三ヶ月(55年から56年にかけての冬)を過ごしています。パウロは、マケドニア州とアカイア州の諸集会(フィリピ、テサロニケ、コリントなど)のエルサレムの聖徒たちへの献金を携えて、この諸集会の代表者たちと一緒にエルサレムへ向かうために、春の海路の再開を待っているのです。

コリント滞在中のパウロの状況と、「異邦人の使徒」としての使命と募金活動の関係については、前著『パウロによるキリストの福音V』350頁の「第一節 最後のコリント滞在」を参照してください。

 パウロにとってこの募金活動がいかに困難な事業であったかは、コリント書簡(とくに第二書簡)で見てきました。しかし、この募金はパウロにとって「異邦人の使徒」としての使命を果たすために、どうしても成し遂げなければならない事業でした。春になって東へ向かう船便が再開したら、まずエルサレムに行って、この使命を果たさなければなりません。しかし、パウロの心は西に向いています。パウロはこの手紙の結びの部分で、これからの計画をこう述べています。
 「わたしはエルサレムから始まり、孤を描いてイリリコン州に至るまで、キリストの福音を満たしてきました。・・・・・今や、この地域(ローマ帝国東部)にはもはや余地がないので、また、わたしは永年あなたがたのところ(ローマ)へ行くことを切望してきたので、 イスパニア(スペイン)に行くようになる場合には、途中であなたがたに会い、まず幾分でもあなたがたとの交わりが満たされたならば、あなたがたによってイスパニアに送り出してもらうことを願っています」(一五・一九〜二四)。
 コリントから西に向かう船に乗れば、イタリア本土と帝国の首都ローマはすぐですが、いまは東に向かわなければなりません。しかしパウロは、「このことを成し遂げ、この実(献金)を確実に手渡した後、わたしはあなたがたのところ(ローマ)を経由してイスパニアへ行きます」と計画しています(一五・二五〜二八参照)。キリストの来臨《パルーシア》までに、福音を全世界に宣べ伝えておかなければなりません。帝国の東半分に福音を満たしたいま、帝国(当時の人にとってそれは世界でした)の西の果てイスパニアまで福音を伝えることは、パウロの使命であり悲願です。そのさい、帝国の首都ローマに自分に委ねられた福音を確立したいという長年の志も果たし、そのローマの同志たちに送り出されて(サポートされて)、イスパニア宣教を進めたいのです。
 ローマはパウロが伝道した土地ではありません。パウロはローマの信徒たちにはまだ会ったことがありません。それで、パウロはローマ訪問に先立って、自分が宣べ伝えている福音の質を理解してもらうために、コリントから手紙を書き送るのです。それがこの「ローマ書」です。

 パウロは、「使徒として召され、神の福音のために聖別された者」としてこの手紙を書いています(一・一)。これは、この書簡がけっして自分の思想や主義を論述する論文ではなく、自分を使者として遣わされた方の委任に基づき、委ねられた使信(メッセージ)を伝えるために書かれたものであることを主張しています。その使信が「福音」です。
 パウロはイエスの弟子ではありませんでした。むしろ、イエスを信じる者たちを迫害した者です。イエスに敵意をもち、イエスを信じる者を追及してダマスコに向かっていたパウロが、復活されたイエスに遭遇し、その栄光の前にひれ伏し(降参し)、生涯イエスに仕える「奴隷」となったのです。一節の「キリスト・イエスの僕」の「僕(しもべ)」の原語は「奴隷」です。パウロは自分を、キリスト・イエス、すなわち復活してキリストとされたイエスの奴隷と自覚しています。そういう者として、「神の福音のために聖別された使徒」なのです。

回心以前のパウロとパウロの回心について詳しくは、拙著『パウロによるキリストの福音T』41頁の「第一章 ユダヤ教徒パウロ」を見てください。

 「福音」という語には二つの意味があります。すなわち、使信の内容という意味と、使信を伝える活動という意味です。ここの「神の福音」は、その使信の内容が神からのものであるという意味を含んでいますが、世界に使信を伝える神の働きという意味で用いられていると見られます。神が終わりの時に臨んで、世界に救いの使信を宣べ伝える働きを進めておられる。その働きを担うために、パウロは「聖別され、召されて使徒(使者)とされた」のです。
 「使徒」というのは、まず何よりもイエス復活の証人です。復活されたイエス・キリストを世界に向かって証言し、そのキリストの出来事において差し出されている神の救いを宣べ伝える者です。パウロはダマスコ途上で復活されたイエスに遭遇した体験を、「御子を啓示された」出来事とし、その「御子を福音するため」に召されたと自覚しています(ガラテヤ一・一六)。パウロに対しては、彼が使徒であることを否定する批判が繰り返し投げかけられましたが、それに対してパウロは、「わたしは使徒ではないか。わたしは主イエスを見たではないか」と反論しています(コリントI九・一)。イエスの直弟子でないとしても、パウロにとっては、復活されたイエスの現れに接し、その証人とされた者が使徒なのです。パウロは、復活者キリストが「最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」と言って、自分をペトロたちと同列の使徒であることを主張しています(コリントI一五・八)。

使徒としてのパウロについては、拙著『パウロによるキリストの福音T』序章の「使徒パウロ」を参照してください。

ローマの信徒たちへ

 古代ギリシア・ローマ世界の書簡の形式に従い、冒頭(一節)で発信人の名と資格(どういう立場でこの手紙を書いているのかを示す肩書き)を書いた後、宛先を書きます。ところが、その宛先は七節になってやっと現れ、「ローマ在住の神の愛される方々、召された聖徒たち一同に」と書かれます。その間に(二〜六節)、まだ直接会ったことのない発信者パウロと宛先のローマの人々を結びつける架け橋が架けられます。すなわち、パウロがそれに仕え、ローマの人々が受けたキリストの福音です。両者の共通の生きる場であり、書簡の主題となる、この「キリストの福音」については後で触れることにして、先に宛先のローマの人たちの状況について見ておきます。
 ローマの信徒たちの状況を推定するさい、ローマ書一六章(とくに一〜一六節の個人的な挨拶の部分)をローマに宛てられた手紙本体の一部と見て(ローマ説)参考にします。この箇所については、まだ会っていないローマの信徒たちにこれほど多くの知人がいるとは考えにくいから、手紙の写しをエフェソに送るさいにつけられた、エフェソの友人たちに対する挨拶であるとする見方(エフェソ説)があります。しかし、子細に検討すると、ローマ説も十分成り立つと見られます。最近はローマ説が有力になっています(両説の検討は一六章を扱うときに行います)。
 誰がどのようにしてローマに福音を伝えたのかは分かりません。ローマやアレキサンドリアというような当時の地中海世界の大都市には、かなり大きな規模のディアスポラ・ユダヤ人の共同体があり、それぞれの共同体はエルサレムと密接に結びつき、また相互の間にも活発な交流がありました。そのような歴史的状況からすると、30年代初頭にエルサレムで始まったイエスをキリストと信じる新しい信仰が(無名のユダヤ人信徒によって)ローマにも伝えられて、40年代にはユダヤ人だけでなく、ユダヤ教会堂に集う「神を敬う」異邦人たちを含む信徒の群れが形成されていたことは自然に理解できます。
 使徒言行録六章九節(協会訳)に「リベルテンの会堂に属する人々・・・・が立ち上がり、ステファノと議論した」とあります。「リベルテン」とは「解放奴隷」の意味で、ポンペイウスによって囚人としてローマに連行されて奴隷となり、解放された後ティベル川左岸に定住したユダヤ人の子孫を指します。彼らの中のある者たちはエルサレムに移住して自分たちの会堂を持っていましたが、ステファノの影響である者は信仰に入り、ステファノ殉教後はエルサレムから逃れてローマに帰って行き、ローマのユダヤ人に信仰を伝えたことが考えられます。このような人たちや、後に述べるアキラとプリスキラ夫妻、使徒として活躍した「アンドロニコとユニア(おそらく夫妻)」(一六・七)たちの働きもあってローマに信徒の群れが形成されたと見られます。
 当時ユダヤ教はローマの公認宗教であり、割礼や安息日などの特異な儀礼を伴う信仰生活も平穏に行われていました。当初(30年代から40年代)キリストを信じる者たちは、ユダヤ教会堂でユダヤ教徒の一部として、公認宗教の保護の下で活動していたようです。ところが、ユダヤ人の間に騒乱が起こったので、クラウディウス帝は49年にユダヤ人をローマから追放します。この「ユダヤ人の間の騒乱」というのは、律法順守をめぐるユダヤ人指導者とイエスを信じるユダヤ人との間の激しい対立から出たものと考えられます。おそらくアキラとプリスキラ夫妻が、キリスト信徒側の中心的人物として活躍したと見られます。この夫妻はこの追放令によってローマを去ってコリントに行き、そこでパウロと出会い、以後テント造りの手仕事と福音宣教の働きを共にするようになります。パウロはこのアキラとプリスキラ夫妻からローマの状況を詳しく聴くことができたはずです。
 ユダヤ人信徒がローマから追放された後、異邦人信徒はユダヤ教という公認宗教の保護を失い、いわば非合法集会として信徒個人の家で小さい集会を続けることになります。ところが、クラウディウス帝の死とともにユダヤ人追放令は解除され(54年)、ユダヤ人は続々とローマに帰ってくるようになります。アキラとプリスキラ夫妻もコリントとエフェソでの活動を終えてローマに帰ってきます(一六・三)。しかし、パウロがこの手紙を書いた56年の時点では、信徒たちはまだ個人の家に集まって別々の「家の集会」を形成しており、ローマ全体の集会はなかったようです。パウロはローマに宛てたこの手紙では、テサロニケやコリント書簡のように、「ローマにあるエクレシアへ」とは書いていません。挨拶は個人や個々の「家の集会」やグループに宛てられています(一六・三〜一六)。
 ユダヤ人信徒が追放されている五年間に状況は大きく変わりました。残された異邦人信徒は力強く伝道して、多くの異邦人信徒を獲得し、帝国の首都のキリスト信仰が「全世界に言い伝えられる」ようになりました(一・八)。そこへユダヤ人信徒が戻ってきて問題が生じました。パウロは異邦人信徒とユダヤ人信徒の融和に心を砕かなければならなくなりました(一四章)。また、コリントやエフェソなどから戻ってきたユダヤ人信徒は、東方ではパウロに対する批判があることも知るようになっていたと思われます。パウロは、ガラテヤ、フィリピ、エフェソ、コリントに及んだユダヤ人の働き人たち(反パウロのユダヤ主義者)の影響がローマに波及することを真剣に心配しなければなりませんでした。ローマ書によく現れる議論の形式、すなわち批判者たちの主張を引用してそれに反論するという形式は、このような反パウロのユダヤ主義者の批判を封じるための予防線と見られます。
 彼らは主の兄弟ヤコブに指導されるエルサレム教団の権威を拠り所にしていました。今パウロはそのエルサレムを訪れようとしています。異邦人の諸集会から集めた献金を手渡して、「異邦人が聖霊によって聖なる者とされ、神に喜ばれる献げ物となるために」これまで苦労して果たしてきた祭司の務めを果たそうとしています(一五・一六)。「異邦人のための祭司の務め」を全うして、ユダヤ人信徒と異邦人信徒から成るキリストの民の出現を、エルサレムのユダヤ人指導者に認めてもらいたいのです。しかし、パウロはそれが実現するかどうか不安に感じています(一五・三一)。いまパウロは、何としてもユダヤ人たちにパウロが宣べ伝えてきた「割礼なしの福音」、「律法の外の義」を理解し受け入れてもらわなければなりません。ローマの信徒たちが反パウロのユダヤ主義者の策謀から護られて純粋な福音に立ち続けるために、また、パウロの福音理解に共鳴して、同志としてイスパニアに向かうパウロの宣教活動に協力してもらうために、さらに、これから向かうエルサレムのユダヤ人信徒たちにパウロの真意を理解してもらうために、パウロはこれまで宣べ伝えてきた福音をこの一書「ローマ書」に凝縮して提示するのです。
 たしかにパウロはこの手紙を「異邦諸民族の中にあって、キリストのものとなるように召された」人たちに向かって書いています(一・六)。しかし、このような執筆の状況から、内容はとくにユダヤ人読者を意識したものになっています。パウロは誰よりもユダヤ人信徒に自分の福音を理解してもらいたいのです。中でも、ユダヤ人信徒を代表するエルサレム教団の指導層に承認してもらいたいのです。そのような性格から、エルサレム教団をこの書簡の「隠れた宛先」と見る研究者もいます。実際にこの手紙の写しが、パウロの訪問に先立ってエルサレムに送られたかどうかは確認できませんが、そう見て読むといっそう議論が生き生きと切迫して感じられます。パウロはこの手紙を書くに際して、ユダヤ人読者を強く意識していることは、この手紙に繰り返して現れる「まず最初ユダヤ人に、そしてまた、ギリシャ人にも」という表現にうかがえます。この表現に、異邦人への使徒としての自分の福音理解をユダヤ人に受け入れてもらいたいと願っているパウロの気持ちが滲み出ています。
 パウロが読者としておもにユダヤ人を念頭に置いていることは、他の手紙と比べると、論拠として当然のように旧約聖書を引用することが多いこと、信仰告白の定式を引用するさいにユダヤ人キリスト教系のものを用いていること、何よりもモーセ律法について肯定的な側面を強調していることなどからもうかがわれます。

キリストの福音

 パウロは、発信者(一節)と宛先(七節)の間に、通例の手紙には見られない例外的に長い挿入文(二〜六節)を入れています。それは、まだ会ったことのない宛先の人々と自分を結ぶ架け橋であり、自分が相手に対してどのような関わり方をする者であるかを確認するものです。
 両者を結ぶものは福音です。パウロはこの福音のために召されて、この福音を告知する使徒とされました。そして、宛先のローマの人たちはこの福音が告知するイエス・キリストを受け入れてキリストの民となっています。この福音の場において、パウロはそれを告知する使徒であり、宛先のローマの人たちはそれを受けて生きているのです。両者は共にこの福音の場に生きているのです。
 パウロはここでローマの信徒たちがすでに受けた福音を引用しています。ローマの人たちは、先に見たように、おもにエルサレム(や他の諸都市)から来たヘレニスト・ユダヤ人(ギリシャ語を話すユダヤ人)の信徒から、復活されたナザレのイエスこそ神からこの世に遣わされた「神の子」であり、世界の救い主であるという福音を伝えられていました。彼らはそれを信じて「キリストのもの」となったのでした。
 パウロは、この福音は「神がご自身の預言者たちを通して聖なる諸書の中で前もって約束されていたもの」(二節)であると言って、福音がイスラエルの歴史の中で準備され、そこから生まれたものであることを確認した上で、この福音が告知する「御子」に関する告白文を引用します。
 この告白文(三〜四節)は、御子であるイエス・キリストの相を二つの段階で描いています。すなわち、「肉によればダビデの子孫から生まれ」という地上の人間として相と、「聖なる御霊によれば死者たちの復活によって大能の座にある神の子と公示された方」という復活者としての相です。福音は本来イエスが復活して神の子とされたことを告知するものでした。そのイエスがイスラエルの歴史の中で約束されていたメシアであることをユダヤ人に示すために、イエスがダビデの家系から生まれた方であることが付け加えられました。すなわち、復活が先で家系は後です(この順序はテモテU二・八のギリシャ語原文に痕跡をとどめています)。ところが、この福音の告知が形を整えていく過程で、出来事の順序として、先にイエスの人間としての出生が語られ、次に復活の出来事が続くようになったのです。パウロがここに引用している定型的な告白文は、この段階の形を示しています。

二〜四節の文は、パウロ自身がまとめたものではなく、当時広く流布していた定型的な告白文を引用していることは、内容と用語から明らかです。福音が聖書の預言の成就であることは、初期の福音の担い手であるユダヤ人信徒が強調したことでした(コリントI一五・三〜五)。また、ダビデの子孫であることもユダヤ人には重要なことでした。しかし、パウロ自身はイエスがダビデの子孫であることには全然触れていません。パウロは、キリストをもっぱら復活者であり霊なるキリストとして語り、地上の生涯と復活者としての働きという二段階で語ることはありません。用語の点でも、「聖潔の霊」という表現はユダヤ教のもので、パウロは「聖霊」または「御霊」を用い、この表現を使うことはありません。この定型的告白文は、ステファノのグループに代表されるヘレニスト・ユダヤ人の宣教の流れに属するものと見られます。

 地上の人間としての相と復活者としての相で語られた後、その方こそ「すなわち、わたしたちの主《キュリオス》であるイエス・キリストです」(四節後半)とまとめられます(この部分はパウロが書き加えた可能性があります)。イエスを《キュリオス》と告白することは、異邦人キリスト教の中心的告白です(一〇・九、コリントI一二・三、フィリピ二・六〜一一)。ユダヤ教の外の世界では、「キリスト」が称号としての意味を失い、「イエス・キリスト」が一人の人物の固有名詞と理解される傾向がかなり早く進んだようで、この方が復活して神の右にあげられ、世界を支配する者《コスモクラトール》とされた方であることを示すのに、「主《キュリオス》」という称号が用いられるようになっていました。パウロはここ(二〜四節)で、ローマの人たちが親しんでいた「御子」と「主《キュリオス》」という称号を用いて、イエス・キリストがどのような方であるかを指し示しているのです。
 パウロとローマの人たちはこの福音によって結ばれています。パウロはこの福音を異邦諸民族に伝える使徒として神から立てられ、ローマの人たちは異邦諸民族の中にあって、この福音によってキリストに所属する民となるように召されたのです(五〜六節)。従って、パウロはローマの人たちに自分に委ねられた福音を提示する責任があり、ローマの人たちはパウロが語る福音に耳を傾ける立場にあるのです。
 ここ(五節)でパウロは、自分が使徒であることを自分の能力とか資格によるものではなく、無資格の者に注がれる神の恩恵によるものであることを明言しています(コリントI一五・九〜一〇を参照)。そして、使徒としての使命を「すべての異邦諸民族を信仰の聴従へと至らせるため」と自覚しています。「聴従」と訳した語は「下で聴く」すなわち「ひれ伏して聴く」という意味の語です。「信仰の聴従」とは規則や戒めに服従するという意味ではなく、イエス・キリストを通して語られた神の言葉を、ひれ伏して受け入れることを指しています。それが神の霊を受けて命に歩む道だからです(ガラテヤ三・二参照)。
 こうして、福音によって自分とまだ見ぬローマの人たちを結びつけた後はじめて、パウロは宛先を名指し、恵みと平安を祈る祝福の挨拶を書き記します(七節)。

2 ローマ訪問の願い (1章 8〜15節)

 8 まず初めに、あなたがた一同について、わたしはイエス・キリストによってわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い広められているからです。9 実際、わたしがその方の御子の福音のために働くことによって、わたしの霊において仕えている神が証人となってくださることですが、わたしは絶えずあなたがたのことを覚えており、10 祈るときにはいつも、神の御心にかなって、何とかして、ついにはあなたがたのところに行くことに道が開けるように願い求めています。
 11 わたしがあなたがたに会うことを熱望しているのは、あなたがたに御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強めたいからです。12 いやむしろ、あなたがたの中で、お互いの信仰、すなわち、あなたがたの信仰とわたしの信仰によって、共に励まされたいからです。 13 兄弟たちよ、わたしはあなたがたが知らないままでいてもらいたくないのです。わたしは、他の異邦諸民族で得たと同じように、あなたがたの間でもいくばくかの実を得ようとして、あなたがたのところに行くことを何回も企てたのですが、今日まで妨げられてきたのです。14 わたしは、ギリシャ人にも未開の人たちにも、知恵ある人にも無知の人にも、責任を負っている者です。15 このように、わたしとしての熱望は、ローマにいるあなたがたにも福音を告げ知らせることなのです。

世界宣教の使命

 当時の手紙の形式に従い、発信人と宛先と挨拶を記した後、相手に対する感謝とか祈願の文が来ます。パウロはそれぞれ手紙において、相手方の実情に応じた感謝や賞賛、また祈願の言葉を書いています(例外的にガラテヤ書にはそれがありません)。このローマ書においてもまず、「あなたがたの信仰が全世界に言い広められている」ことを神に感謝しています(八節)。それに続いて、これまでずっとローマの人たちの信仰のために祈ってきたこと、また何とかしてローマを訪れたいと熱望してきたことを、神を証人として確言します(九〜一〇節)。
 パウロがローマを訪れ、ローマの信徒たちに会い、そこで福音のために働くことを熱望してきたことは、「異邦諸民族への使徒」としては当然です。ローマは異邦世界の首都であり、一切がそこへ集まり、そこから出て行く場所です。パウロはそこに自分に委ねられた福音を確立し、そこを拠点として全世界に福音を満たす働きを進めたいのです。パウロは現にそこを拠点として帝国の西の果てであるイスパニアまで働きを進めたいという具体的な計画を立てています。ローマを訪れたいという熱望は、全世界に福音を満たさなければならないという異邦人への使徒パウロの強い使命感の一つの現れです。
 パウロがローマを訪れ、ローマの信徒たちに会いたいと熱望しているのは、たんに会って挨拶し交流を深めたいというのではなく、ローマの地で一緒に福音のために働きたいという願いであると理解すべきです。ただローマの信徒はパウロ自身が信仰に導いた人たちではないので、パウロは細やかな配慮に満ちた表現でその願いを語っています。彼らを指導するのではなく(パウロは使徒として指導する立場にありますが)、「あなたがたに御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強めたいから」だと言います(一一節)。そしてさらに、「いやむしろ、あなたがたの中で、お互いの信仰、すなわち、あなたがたの信仰とわたしの信仰によって、共に励まされたいからです」(一二節)と言い直して、自分と彼らを対等の立場に置きます。それは、お互いの協力によって、「他の異邦諸民族で得たと同じように、あなたがたの間でも(ローマでも)いくばくかの実を得よう」(一三節) という願いを実現し、世界の首都ローマに福音の拠点を確立したいのです。
 パウロは「他人の土台の上に建てるようなことはしない」(一五・二〇)という原則で伝道活動をしてきました。しかし、世界宣教の視点から、パウロはローマではすでに主にある同志たちと協力して、より強力な福音の拠点を形成したいのです。それに、パウロはローマにおいてまったくの新参者ではありません。ローマにはアキラとプリスキラ夫妻を始め、多くの同志がいるのです。パウロは期待を込めてこの人たちに挨拶を送ります(一六・三〜一六の人名表を参照)。
 このような世界宣教の情熱から、パウロはこれまでローマに行くことを「何回も企てたのですが、今日まで妨げられてきたのです」(一三節)。ここでパウロは改めて「異邦諸民族への使徒」としての使命感を語ります(一四節)。救済史的な観点からは、世界はユダヤ人と異邦人に分けられますが、ここではすでに視野は異邦人への宣教に限られていますので、異邦世界は「ギリシャ人にも未開の人たちにも、知恵ある人にも無知の人にも」という形で分けられています。当時ギリシア人は、ギリシア語とギリシア文化をもつ自分たちこそ世界の文明の担い手であると自負し、それを持たない人たちを「未開の人たち」《バルバロイ》と呼んで見下げていました。パウロ自身はギリシア語をよくし、ギリシア思想にも通じていましたが、そのギリシア文明の世界に福音を確立することも、「未開の人たち」の間に福音を確立することも、同じく自分の責任であると感じています。すなわち、文明の種類を問わず、文化や教養の程度を問わず(知恵ある人にも無知の人にも)、人間がいるところではこの福音が伝えられなければならないのです。
 こうして、「ギリシャ人も未開の人たちも、知恵ある人も無知の人も」包摂するローマ帝国の全体に福音を満たす責任があると感じているパウロは、その帝国の中心であるローマに福音を確立することを熱望せざるをえないのです(一五節)。

3 神の力としての福音 (1章 16〜17節)

 16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、すべて信じる者には、救いに至らせる神の力だからです。 17 福音には神の義が現れており、信仰から始まり信仰へと至らせるのです。「義人は信仰によって生きる」と書かれているとおりです。

福音の本質

 ギリシア・ローマ文明の集約点である首都ローマに福音を宣べ伝えようとして、パウロは「わたしは福音を恥としない」と宣言します。福音は一人のユダヤ人イエスが主《キュリオス》であり、世界の救済者であると宣べ伝えるのですが、そのイエスはローマ総督によって十字架刑で処刑された一属州民にすぎません。そのような者を主であるとか世界の救済者であるとすることは、偉大なギリシア・ローマ文明の栄光と知恵からすれば、卑賎と愚かさの極みです。その福音を恥とせず、あえて言い表し、命がけで宣べ伝える理由ないし根拠を、パウロはこう続けます。

 「福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、すべて信じる者には、救いに至らせる神の力だからです」。(一六節)

 この理由は、今わたしたちが科学文明の成果を誇り、富と栄光に酔う世界において、この十字架につけられた方を信じることを恥としない理由です。わたしたちはなぜ福音を恥じることなく、世界に向かって福音によって生きていることを告白するのか。それは、「福音は救いに至らせる神の力である」からです。ここに福音の本質があります。
 福音は言葉です。御子であり主《キュリオス》であるイエス・キリストの出来事を告げ知らせる報知の言葉です。しかし、それはたんにある事柄についての情報を伝える言葉ではありません。それを信じて聴く者に変化をもたらす現実の力です。それは神からの言葉ですから、それを受け入れる者の中に働く神の力なのです。この神の力としての言葉、これが福音の本質です。
 この「神の力」に二つの説明がついています。一つは「救いへ」という力の方向を示す句で、もう一つは「すべて信じる者に」という、この力が働く場を示す句です。まず方向について言えば、力には大きさと方向(向き)があります。大きさについては、すでに「神の力」という表現自体が指し示しています。この力は「神の」力であるので、人の思いを超え、人にはできないことを成し遂げることができる力です。そして、その力が働く方向は、人を「救いに至らせる」という方向です。その力はどこか外から働きかけるものではなく、信じる者の中に働くのです(フィリピ二・一二〜一三)。外から救いをもたらすのではなく、信じる者の内に働いて、人を造り変え、新しい別の姿へと変容させ、救いに至らせるのです。それは神の霊の働きです(コリントU三・一八)。福音の言葉がこのように信じる者の内に働いて変容させる神の力となるのは、福音が信じる者に聖霊をもたらすからです(ガラテヤ三・二)。「神の力」とは神の霊、聖霊の働きです。
 では、「救い」とは何でしょうか。それはこのローマ書全体でパウロが描くのですが、先取りして要約すれば、罪と死の支配から解放されて、神の命と栄光にあずかるようになることだと言えるでしょう。そして、その救いは未来の出来事ではなく、現在すでに始まっているのです。たしかに、救いの完成は将来に待ち望まねばなりません。しかし、現在すでに「救いに至らせる」神の力、救いに向かう聖霊の働きがわたしたちの中に始まっており、わたしたちは現実に救いへの過程にあるのです。現在すでに救いの力が働いているからこそ、未来が確実な将来(まさに来るべき事態)として待ち望まれるのです。この「現在すでに」と「将来を待ち望む」という両面の緊張が、パウロの神学の特徴となります。

神の義

 ところで、「神の力」につく第二(原文の順序で)の説明句、「ユダヤ人を始めギリシア人にも、すべて信じる者に」も、パウロの福音の核心をなす重要な句です。これは「救いに至らせる神の力」が働く場、すなわち、どのような人にこの「救いに至らせる神の力」が働くのかを指し示しているからです。
 「信じる」とは、ひれ伏して聴き、その言葉に全存在を委ねることです。自分を無にして、その言葉を真実とし、自分を投げ入れることです。福音は主イエス・キリストを告知する言葉ですから、福音を信じるとは、主イエス・キリストに自分を明け渡し、全存在、全生涯を委ね、この方との交わりに生きることです。このように主イエス・キリストを信じることが「信仰」と呼ばれ、ローマ書の鍵をなす用語となります。
 このように「信じる」者は、誰であっても「救いに至らせる神の力」を受けるのです。「すべて」というのは、全員という数の問題ではなく、どのような立場の人でも関係なくという質の問題です。すなわち、どのような民族とか宗教に属しているか、男か女か、奴隷か自由人か、どのような身分であるか、どの程度の知識があるかなどと一切無関係であるということです。そして、この「誰であっても」ということのもっとも典型的で当面の切実な実例として、「ユダヤ人を始めギリシア人にも」という句が続くのです。
 「まずユダヤ人に、そしてギリシア人にも」(直訳)という句には、パウロの命をかけた戦いが表現されています。パウロはこれまで、異邦人は割礼を受けてモーセ律法を順守するユダヤ人(ユダヤ教徒)にならなくても、異邦人のままでキリスト信じることによって救われ神の民となると宣べ伝えてきました。それに対して、イエスを信じないユダヤ人からは聖なる律法を否定する背教者として命を狙われ、イエスを信じる一部のユダヤ人からも律法の永遠の効力を否定する偽使徒と非難されてきました。それに対してパウロは、人は割礼を受けていてもいなくても、すなわちユダヤ人であっても異邦人であっても関係なく、キリストを信じることによって救われるのだと主張し、命がけで戦ってきました。その主張をこの一句にこめて掲げるのです。ここで「ギリシャ人」は、ユダヤ人以外の異教諸民族全体を代表しています。
 そして、ユダヤ人であるか異邦人であるかに関係なく、信じる者には福音が「救いに至らせる神の力」である理由が続きます。それは、「福音には神の義が現れている」からです(一七節は理由を示す小辞で始まっています)。ここで「神の義」とは、人を義とする神の働きです。「福音の中に」、すなわち福音が告知する十字架につけられた復活者キリストの出来事の中に、神が人の罪を贖い、ご自分との交わりに生きることができる者としてくださる働きが実現しているのです。終わりの日に現されると待ち望まれていた「神の義」が、いま福音の中に現され、信じる者に働くのです。その働きが、受ける側のいっさいの資格を問題にしないで、徹頭徹尾「信じる者に」なされることが、「信仰から始まり信仰に至らせる」という句で表現されます。「福音の中に、神の義が信仰から信仰へと現される」(一七節前半直訳)というのは、人を義とする神の働きが、初めから終わりまで徹頭徹尾、信仰だけに現されるという意味に理解することができます。そして、義が信じる者に与えられることを、「義人は信仰によって生きる」という聖書(ハバクク二・四)の引用で根拠づけます。

「福音には」と訳した箇所は、原文で用いられている代名詞が、この場合(三格で)男性名詞と中性名詞が同形になるので、「彼において」と「それにおいて」と両方の解釈が可能です。普通「福音」を受ける中性名詞と解釈されますが、「すべて信じる者」を指す男性名詞と理解し、「神の義は信じる者の中に現れて、信仰から信仰へ至らせる」と訳すことも可能です。両方の解釈とも十分に論理的であり、どちらをとるかで主張の重点が変わりますが、二者択一の関係ではありません。ここでは、用いられている動詞が一八節に用いられている動詞と同じ「啓示されている」であることから、「福音」を指すと理解して訳していますが、両者ともパウロの神学全体を視野に入れて考察検討されなければなりません。
 「義人は信仰によって生きる」と訳したところは「信仰による義人は生きる」と訳すことも可能です。これはハバクク書二章四節の引用ですが、この箇所のヘブライ語原典は「彼の信仰によって」、七十人訳ギリシャ語訳は「わたしの真実によって」となっています。パウロは「彼の」も「わたしの」もつけないで引用し、自分の福音の聖書証明としています。
 なお、「神の義」について詳しくは、「用語解説」の「義/義とする」の項の中の「神の義」を参照してください。

 『パウロによるキリストの福音T』の序章「神の力としての福音」で述べましたように、ローマ書一章一六〜一七節はローマ書の主題であるだけでなく、パウロによる福音の核心を表現しています。福音が告知する内容については、初めの挨拶の中でローマの人たちがすでに受けている共通の信仰告白文を引用して確認していました(一・二〜四)。しかし、パウロの福音理解の独自性は、告知の内容ではなく、福音がどのような質の告知の言葉であるかを提示するこの箇所(一・一六〜一七)にあります。パウロは、福音を「救いに至らせる神の力」であると身をもって体験し、宣べ伝えるのです。これがパウロが示す福音の本質です。そして、その力が働くのは「すべて信じる者に」であり、ユダヤ人と異邦人の差別はない、すなわち割礼を受けているユダヤ教徒であろうが、割礼のない異邦人であろうが無関係であると主張するのです(一六節)。そして、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと差別がないことの根拠として、神の義が信仰に対してのみ現されていることをあげるのです(一七節)。一六節がローマ書の(そしてパウロの全神学の)テーゼ(主題)であり、一七節はその中の一部の命題を根拠づける文であると理解すべきです。

福音書としてのローマ書

 ローマ書はたしかに手紙の形式をとっています。冒頭に差出人の名前と宛先の表示があり、手紙に通例の挨拶が続いています。また結びも手紙としての形式がとられています。しかし、内容からすると、本書は単なる手紙ではありません。それは「福音書」と呼んでもよい一つの著作です。
 冒頭部(一・一〜一七)でパウロは本書の主題として「福音」という語を繰り返し用いています。そして、主題を提示する箇所(一・一六〜一七)で福音の本質が提示されています。また、ここで見たように、本書の執筆事情からしても、ローマ書はまさに「福音」を提示することを意図して書かれた文書、すなわち「福音書」であると言えます。最初に書かれた福音書として、また、その後の福音の展開のために基礎を据えたという意味で、「第一福音書」、「基礎福音書」と呼ばれるにふさわしい文書です。事実、宗教改革に見られるように、このローマ書によって福音が繰り返し再発見され、キリスト教の歴史を形成してきたのです。
 「マルコ福音書」以後、「福音書」という用語は、地上のイエスを物語るという形でキリストの福音を告知する文学形態に狭く限定されるようになりましたが、「福音を提示する文書」という本来の広い意味では、ローマ書こそ「福音書」です。外典には広い意味の「福音書」が多くあります。ローマ書の実質は、まさに「パウロによる福音書」です。
 パウロはこのローマ書を書いた後、コリントからエルサレムに向かいます。エルサレムでパウロを狙うユダヤ人の騒乱に巻き込まれ、逮捕されてカイサリアで二年監禁され、囚人としてローマに送られます。おそらくローマで殉教したと考えられますので、このローマ書はパウロの最後の手紙となり、「パウロの遺言書」(ボルンカム)となります。パウロは世界にこの「福音書」を遺して、主のみもとに凱旋するのです。ローマ書は使徒パウロが世界に遺した最大の遺産です。

ローマ書の構成

 パウロはこの手紙を口述筆記させて書いています(一六・二二)。一回に口述筆記して書くことができる分量には限度があり、それはほぼ同量であると考えられるので、この長大な手紙は次の四回に分けて口述されたと見られます。

第1回  1章〜5章11節(計97節)
第2回  5章12節〜8章(計97節)
第3回  9章〜11章(計90節)
第4回  12章〜15章(計90節)

有力な写本には15章で終わっているものもあり、16章はこの手紙の写しをエフェソの集会に送るにあたって、別の機会に書かれて添えられたパウロの挨拶であるとの説もあって、議論は決着していないので、15章までを本体と見て計算しています。

 9章から11章までが一まとまりをなし、12章以下が一まとまりをなしていることには、研究者の間に異論はありません。そして、1章から8章を、この二つの区分と並ぶ第一区分とする場合が多いようです。しかし、口述筆記の長さからして、また内容からしても、これを二つに分けて、全体を四つの区分にするべきであるとわたしは考えます。ただその場合、第1部を4章末までと見るか、5章11節までと見るか、または5章末とするか、三つの可能性が考えられます。わたしは、内容と文章の形式の両面から、5章11節までを第1部とする見方をとります(詳しい説明は当該箇所で)。そうすると、最後の区分を除く三つの主要区分(第1回は前置きを除いて一・一八から)は、沈痛な気分で始まり、勝利の凱歌で終わるという共通の型を示すことになり、説教者パウロの福音提示の形式にふさわしい自然な形になります。

 このような理由から、「ローマの信徒への手紙」は次のような構成をとると考えられます。
 
 前置き  挨拶と主題提示 一・一〜一七 

 第一部  信仰による義 一・一八〜五・一一

 第二部  キリストにおける生 五・一二〜八・三九 

 第三部  イスラエルの救い 九・一〜一一・三六 

 第四部  実践的勧告 一二・一〜一五・一三

 結 び  計画の表明と個人的挨拶 一五・一四〜一六・二七

ローマ書を四部構成で理解することの意義については、186 頁の「第二部への序言 ― 三楽章か四楽章か ―」を参照してください。