市川喜一著作集 > 第11巻 パウロによるキリストの福音V > 第16講

第二節 和解と赦し

訪問の遅れは思いやりから

 23 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。 2・1 そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。2 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。3 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。4 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。(一・二三〜二・四)

 パウロが予告通りにコリントに来なかったことで、論敵たちはコリント集会の人たちにパウロへの不信感を煽りたてたのではないかと思われます。それに対する弁証として、パウロは神の信実とその神から受けた純真と誠実に訴えて、「あなたがたに向けたわたしたちの言葉は『然り』と同時に『否』となるものではなく」、今は遅れていても必ず実行されるのだと言明しました(一・一二〜二二)。さらに続いて、訪問が遅れているのは、「あなたがたへの思いやりから」だという真意の説明を続けます(一・二三〜二・四)。「二度目の滞在」のとき、パウロとコリント集会の対立は解けず、パウロもコリントの人たちも悲しい思いをしました。そこで、「そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまいと決心した」パウロは、「涙ながらに手紙を書き」、テトスを派遣するなどして、時間をかけて事態の回復を待ったのです。パウロのコリント訪問がお互いの喜びとなる時期を待ったのであって、他には何の動機もないと、「神を証人に立てて、命にかけて誓います」。

コリント集会の悔い改めと赦し

 5 悲しみの原因となった人がいれば、その人はわたしを悲しませたのではなく、大げさな表現は控えますが、あなたがたすべてをある程度悲しませたのです。6 その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。7 むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。8 そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。9 わたしが前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。10 あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。11 わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。(二・五〜一一)

 計画を遅らせて「まだコリントに行かずにいる」のは、あの「二度目の滞在」で双方が悲しい思いをしたことを繰り返したくないという「思いやり」からだと強調した後(一・二三〜二・四)、パウロは「悲しみの原因となった人」を赦すようにコリントの人たちに求めます。
 コリント集会の中にパウロの指導に疑いや反感を持つ人たちがいたことは、すでに第一書簡にも現れていました。「わたしはアポロに」とか「わたしはケファに」と言う人たちはパウロの指導に服したくない人たちだったのでしょう。また、自分が「霊の人」であると自負した人たちも、自分たちの霊的知識に誇ってパウロの権威に反発していたのでしょう。パウロはそのような分派心や霊知の誇りに対して、第一書簡で多くの言葉を用いて論争し、説き勧めなければなりませんでした。第一書簡の四章と九章には、使徒としてのパウロの振舞いを批判する者たちに対するパウロの反論が詳しく展開されています。
 ところがその後、外から入り込んできた「働き人たち」によって事態は急速に悪化し、パウロが使徒であること自体が問題となってきました。それに対して、パウロは(これまでに見てきたように)自分こそキリストから遣わされた使徒であることを必死に弁証します。パウロを批判する外からの「働き人たち」と対決するために急遽コリントを訪れた「二度目の滞在」のとき、コリント集会は彼らとパウロの間に板挟みになって動揺したのでしょうが、結局パウロはコリント集会の信頼を回復できず、悲痛な思いを抱いてエフェソに戻らなくてはなりませんでした。このとき、コリント集会の有力メンバーの一人が外からの「働き人たち」の側に立って、コリント集会がパウロから離れるように動いたようです。
 この事態に対処するために、パウロは「涙ながらに手紙を書き」、テトスを派遣して説得に当たらせます。その手紙とテトスの活動は功を奏し、コリント集会は「悔い改めて」パウロに帰り(七・八〜一二)、パウロから離れるように集会を扇動した人物を「多数者によって」処罰します(二・六)。この処罰がどのような性質のものであったかは確定できませんが、後でその人を「力づける」ことを勧めていることからすると、集会からの追放(後に「破門」と呼ばれるようになる処罰)ではなく、何らかの悔い改めの行為を求める処置だったのでしょう。処罰された人は「悲しみの原因となった人」(二・五)とか「不義を行った者」(七・一二)と単数形で指されており、一人であったことが分かります。集会が処罰できるのは集会に所属する構成員だけですから、外から来た「働き人たち」(いつも複数形)はコリント集会から拒否されて退去したのでしょう。この「和解の手紙」には彼らのことはもはや触れられていません。

「多数者による処罰」(二・六)とは公式の全員集会での決定による処罰を意味します。初期の集会がエッセネ派集会をモデルにして、会衆の全員集会で処罰も決定していたことについては、拙著『パウロによるキリストの福音U』の117頁「世を裁く聖徒」の項を参照してください。「多数者」が会衆を指すことについては、ヴァンダーカム『死海文書のすべて』青土社・二九〇頁、チャールズワース編『イエスと死海文書』三交社・三七二頁を参照してください。

 なお、ここでパウロが「涙の手紙」について語っているところから見ると、コリント第二書簡の一〇〜一三章が「涙の手紙」であるとしても、その全部ではなく、最後の「警告」(一二・一九〜一三・一〇)の後に、具体的な処置を求める部分があったと考えられます。「涙の手紙」を第二書簡に組み入れた編集者は、その部分は集会での朗読にふさわしくないとして入れなかったと見られます。
 パウロは処罰を受けた「その人」を赦し、再び交わりに受け入れて「力づける」(一章でよく用いられた「慰める」と同じ語)ように求めます(二・六〜八)。自分に敵対して苦しめた者のために配慮する使徒の心に、「敵を愛しなさい」と言われたイエスの精神が生きています。それだけでなく、「その人」を赦すのは「サタンにつけ込まれないため」でもあると言っているところに、「サタンのやり口は心得ている」使徒の霊的な知恵が見られます(二・一一)。赦さないならば、「その人」だけでなく、集会にも霊的な損失をもたらす結果になることをパウロは見抜いているのです。

事件の回顧

 12 わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、13 兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。 (二・一二〜一三)
 7・5 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には、全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。6 しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。7 テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。(七・五〜七)

 続いてパウロは「例の事件」を回顧して、あの悲しい出来事が神の憐れみによって解決し、かえってよい結果をもたらしたことを感謝します。まず、テトスからの報告を受けるまでどれほど不安であり苦悩したかを語り(二・一二〜一三)、それだけにマケドニアでテトスに再会してコリント集会の「悔い改め」を知ったときの喜びが大きかったことを率直に伝えます(七・五〜七)。そして、パウロが多くの涙をもって書き送った「あの手紙」が引き起こしたコリント集会の変化を感謝をもって振り返ります(七・八〜一二)。

「序章」でコリント第二書簡の構成について述べたところで触れたように、二章一三節はごく自然に七章五節に続きます。その自然な繋がりを裂くように、長い「最初の弁明の手紙」が挿入されている理由は説明困難な問題です。ここで「錯簡」(コーデックスを綴じるときの頁を綴じ間違え)を考えなければならないのかもしれません。

 8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、9 今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。10 神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。11 神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。12 ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。(七・八〜一二)

 パウロが先に涙をもって書き送った「あの手紙」は、差し迫った状況を反映して激しくて厳しい面があったようです。その中で具体的な処置を求めるとくに厳しい部分は、第二書簡に組み入れられるさいに除かれたと見られますが、その厳しさがコリントの人たちに衝撃を与え「悲しませた」のです。パウロは「あの手紙」が彼らを悲しませたことを知っています。しかし、その悲しみは「神の御心に適った悲しみ」であったので、コリントの集会に「熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらした」のです。ここに用いられている一連の名詞は、「あの手紙」が与えた衝撃によってコリントの集会が熱心に事態を討議し決定にいたった様子を、テトスから伝え聞いたパウロの印象を要約しているのでしょう。おそらく「多数者」の集会で熱い議論が続き、そこに御霊の働きが顕著に見られ、ついに「多数者」の決議によってあの「偽使徒たち」は退けられて退散し、集会の一員でパウロを非難した「あの人物」は処罰されたのでしょう。

 13 こういうわけでわたしたちは慰められたのです。この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。14 わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、わたしたちはあなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。15 テトスは、あなたがた一同が従順で、どんなに恐れおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。16 わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。 (七・一三〜一六)

 こうして「がん」を取り除く手術は成功したのです。この成功によってパウロは深く慰められたのですが、さらに、この事件でコリント集会と折衝したテトスが、その誠意が受け入れられ、コリントの人たちから信頼されるようになったことを喜んでいるさまを見て、パウロもいっそう喜びを深くしたことが述べられます(七・一三〜一六)。この部分は、募金について語る八章と九章の前置きにもなっています。その募金活動でテトスは中心的な役割を果たすことになるからです。