市川喜一著作集 > 第11巻 パウロによるキリストの福音V > 第8講

第三節 弱いときに強い

特別の啓示

第三の天に引き上げられた体験

 1 わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。2 わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。3 わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。4 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。(一二・一〜四)

 パウロは「愚か者になって誇る」中で、先には自分の苦難の多さを誇りましたが、続いてここでは「第三の天にまで引き上げられた」ときに受けた啓示について誇ります(一二・一〜四)。パウロは明らかに自分が受けた「主の幻と啓示」について語っているのですが(一節)、それを「その人は第三の天にまで引き上げられた」とか「彼は楽園にまで引き上げられた」と三人称で語り、「わたしは(そのような体験をした)キリストにある一人の人を知っています」と他人の体験のように語っています(二〜四節)。それは、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(一一・三〇)と言った直後に、「誇らないではいられない」と言ってこの体験を語るので、これを他の人の体験として、「このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(五節)と辻褄を合わせるのです。しかし、やはりこれを自分の体験として誇っても、真実を語るのだから愚かなことではないはずだと弁明し、またすぐ「いや、誇るまい」と思い直します(六節)。この手紙はパウロの感情の高ぶりの激しさを示しています。
 パウロはこの体験を「十四年前」としています。この手紙を書いたのは五四年頃と見られるので、「十四年前」は四〇年頃となります。この時期はパウロがバルナバと共にアンティオキア集会で教師として働いていた時代で、パウロの「知られざる時代」ですが、パウロの神学と思想が形成される重要な時期です。パウロがその体験の年をあげるのは、その体験がパウロにとって(ダマスコ体験と並んで)かなり決定的な意味をもっているため、それを自分の生涯を画する年として忘れられないからであると考えられます。
 パウロは祈りの中で「第三の天にまで引き上げられた」、あるいは「楽園にまで引き上げられた」のです。その体験についてパウロは「体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです」と二度も繰り返しています。それは、この体験が「エクスタシー」体験であったことを示しています。「エクスタシー」は本来「(自分の)外に立つ」という意味の語で、忘我の霊的体験を指しますが、この時のパウロの体験は「エクスタシー」の状態で「主の幻と啓示」(幻も啓示も複数形)を受けたのです。
 パウロはここで自分が引き上げられた所を「第三の天」と《パラディソス》(楽園、パラダイス)という二つの表現で指しています。「天」は旧約聖書では神の住まいとされていますが、捕囚後の(とくにヘレニズム期の)ユダヤ教では、(多層の天から成るヘレニズム世界の宇宙論に影響されて)至高の神と地上の人間界の間の天界(霊界)は多くの層から成ると考えられるようになっていました。ラビたちの間では普通七層の天が考えられていたようです。その中の「第三の天」は、義人の霊が死後に赴く休息の場所とされていたようです。義人の霊が死後に安らう場所は《パラディソス》(楽園)とも呼ばれていたので、パウロはここでこの二つの表現を同じ場所を指すのに用いたと考えられます。

《パラディソス》については、拙著『キリスト信仰の諸相』第四部第二講「希望としての神の国」の「パラダイス」の項(230頁)、およびその前後を参照してください。

パウロが受けた啓示

 ヘレニズム期のユダヤ教において、多くの「黙示文書」が生み出されました。「黙示文書」というのは、本来天界に導き入れられ、天界を経巡って啓示を受けた人物(多くはエノク、エリヤ、エズラ、ダニエルなど聖書の有名人物)がその啓示を語るという形で書かれた文書のことで、通常では知りえない天界の「秘密」《ミュステーリオン》が解き明かされているのだとされています。近い将来、宇宙的な破局を経て新しい《アイオーン》が到来するという、いわゆる「黙示録」はその一例です。パウロもここで自分がそのような「啓示」にあずかっていると言っているのです。

この言明に刺激されて、後(おそらく二〜三世紀)に、この時のパウロの体験を語るとする「パウロの黙示録」という文書が書かれますが、これはグノーシス主義的な傾向の後代の著者が、自分の思想を語るためにこの箇所を利用したに過ぎず、パウロの啓示体験の内容を知るための資料にはなりません。この「パウロの黙示録」については「ナグ・ハマディ文書W 黙示録」(荒井献他編、岩波書店)の中の筒井賢治訳「パウロの黙示録」とその解説を参照してください。

 パウロはこの体験で「幻」(複数形)を見たことを語っていますが、その体験は同時にある種の言葉を聴く体験でもありました。パウロはこう言っています、「彼はパラダイスにまで引き上げられ、人間には語ることが許されていない、言葉にならない言葉(複数形)を聴いたのです」(四節私訳)。パウロはこのとき確かに言葉を聴いたのです。それは、ある内容とか意味を伝える言葉なのです。しかし、その言葉は、わたしたちが日常使う言葉とは次元が違う言葉、「言葉にならない言葉」なのです。耳で聴く言葉ではなく、直接霊に伝えられる言葉なのです。そのような次元の言葉は、人が口で語り、耳で聴いて伝えることはできません。それは「人間には語ることが許されていない言葉」なのです。
 パウロは神の霊の圧倒的な働きの中で、目が見るのではない「かたち・姿」を見、耳が聴くのではない「言葉」を聴いたのです。この形姿(幻)と言葉は区別できない一体であり、御霊によって受ける直接的な「啓示・黙示」《アポカリュプシス》の体験です。パウロは「啓示された事があまりにもすばらしい」(七節)と言うだけで、「啓示」の内容については何も語っていません。その内容を語らないこと、また、そのような体験をしたことに言及すること自体に消極的であることは、そのような啓示にあずかっていることを誇る論敵たちの態度を批判している面があります。
 しかし、先にも述べたように、パウロはこの体験で与えられた「あまりにもすばらしい啓示」によって、そのキリスト理解に決定的な一歩を画したのではないかと考えます。パウロはすでにダマスコ体験により復活者キリストと遭遇し、イエスをメシア・キリストと宣べ伝えていました。また、エルサレムとアンティオキアで弟子集団からイエス伝承を十分伝えられていました。しかし、その体験や伝承を聖書学者としての素養で「解釈する」というだけでは、わたしたちが知っているパウロは生まれなかったと思います。これはわたしの推察ですが、モーセ律法に対するパウロのあのような徹底的な理解と態度は、この種の啓示体験から発しているのではないかと思います。パウロが「あの大使徒たちと比べて知識では引けを取らない」と誇り、エルサレムの使徒会議でもアンティオキアの食卓をめぐる衝突事件でも一歩も引かなかったあの確信は、このような「啓示・黙示」から出ているのではないかと推察するのです。
 このようにパウロには、天界の啓示にあずかってそこから語る「黙示思想家」としての一面があることを見落としてはなりませんが、同時にその「黙示思想」が十字架・復活のキリストという一点に集中していることを理解することは、さらに重要です。そのことは、この講解シリーズの目標であり、繰り返し扱っていることですので、ここで改めて触れることはしません。

弱さを誇る

 5 このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。6 仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話しを聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、7 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。8 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(一二・五〜一〇)

 パウロは、主から受けた特別の啓示体験について語った後、高ぶらないために自分の肉体に与えられた「とげ」のことを語ります(五〜七節)。この「肉体に与えられたとげ」とは、おそらく何らかの体質的な病気か、投獄や鞭打ちなどで痛めつけられた身体が担う苦痛のことでしょう。パウロはその「とげ」を「思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使い」としています(七節後半)。そして、この「とげ」に痛めつけられた中から、そのとげを離れ去らせてくださいと三度まで祈りますが、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という主のお言葉を聴きます(八〜九節)。そして、こう続けます。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしはキリストのための弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(九節後半〜一〇節)。
 「わたしは弱いときにこそ強い」。これは逆説です。しかし、パウロの場合、この逆説はパウロ自身によって説明されています。すなわち、パウロは「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言っています。「わたしは弱いときにこそ強い」というときの「強い」は、キリストの力が強く働くという意味です。自分が弱さに徹して何もできなくなった時にこそ、その無力な自分の内にキリストの力が強く現れるのです。パウロの生涯は、この逆説に貫かれた生涯でした。
 この逆説的な体験はパウロだけではありません。この逆説は、すべてキリストにある者の力の原理です。自分の強さを誇り、自分の能力に頼っている限り、発揮できる力は自分の力でしかありません。自分の内にいますキリストの力が現れるためには、弱さに徹し、自分が消えて無くならなければならないのです。わたしたちは自分に死にきれないために、自分の中にキリストの無限の力を閉じ込めてしまっているのです。キリスト教の歴史を見ましても、人の力と思いを超える巨大な偉業を成し遂げた人たちは、パウロ自身を初め、アッシジのフランチェスコ、ルターらの改革者、マザー・テレサなど、みな自分の弱さに徹して、死んだ自分の中にキリストの力を現した人たちでした。
 パウロはすでに先の手紙でこの信仰の消息を、「イエスのいのちがこの体に現れるために、いつもイエスの死を体にまとっています」と語っていました(四・七〜一五)。この手紙では、この逆説をキリストご自身の出来事によって根拠づけています。「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです」から、「わたしたちもキリストに結ばれた者として」このキリストの「十字架の逆説」にあずかるのです。「わたしたちは弱い者ですが、しかし、・・・・神の力によってキリストと共に生きている」のです(一三・四)。

警 告

親が子を愛するように

 11 わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。12 わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。13 あなたがたが他の諸教会よりも劣っている点は何でしょう。わたしが負担をかけなかったことだけではないですか。この不当な点をどうか許してほしい。14 わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。15 わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。16 わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。17 そちらに派遣した人々の中のだれによって、あなたがたをだましたでしょうか。18 テトスにそちらに行くように願い、あの兄弟を同伴させましたが、そのテトスがあなたがたをだましたでしょうか。わたしたちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか。(一二・一一〜一八)

 ここでパウロは「愚かさ」の仮面を外します。今まで愚か者になって語ってきたことを、「あなたがたが無理にそうさせたのです」と言って、不本意なことであったとします。コリントの人たちが肉に誇る「あの大使徒たち」を受け入れ、パウロの使徒としての権威を疑い、パウロをないがしろにしたので、主の御心に従うことではないと知りながら、あえて自分から使徒であることを主張するという愚かなことをしなければならなくなったのだと言います。本来ならば、コリントの人たちが自分をキリストにあって生んでくれたパウロを、「あの大使徒たち」に対して推薦するべき立場であったのに、それをせず逆のことをしたので、パウロは愚か者になって誇らざるをえなかったのです(一一節前半)。
 パウロは自分が「たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかった」ことを、ここでは「使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証して」きた事実をあげて弁証しています(一一節後半〜一二節)。パウロがここで「しるしや、不思議な業や、奇跡によって」と言っているのは、すぐ後に書いたローマ書(一五・一九)で、使徒としての働きを要約するさいに用いている表現とほぼ同じです。ルカは使徒言行録でパウロの働きを報告するさい、エフェソでは多くの奇跡を行ったことを報告していますが(一九章)、コリントでは奇跡の働きについては何も語っていません(一八章)。しかし、ここのパウロ自身の証言から、パウロはコリントでも多くの奇跡の働きをしたことが確認できます。
 このように、コリントの集会も、エフェソや他の都市の集会と同じように、使徒パウロの力強い宣教活動によって成立した集会ですから、その福音理解(知識)や御霊の賜物について、他の諸集会より劣っている点はありません。強いて違いをあげるならば、「わたしが負担をかけなかったこと」、すなわち、コリント集会の立場から言えば、パウロの働きの費用を負担しなかったことだけだと、パウロは言います。おそらく、商業都市コリントの人たちの中には金銭問題にうるさい人がいて、パウロはこの問題についてコリントではとくに神経を使ったのではないかと想像されます。そして、コリントの集会に負担をかけなかったことを、使徒として当然受けるべきものを受けないでコリント集会を他の集会と較べて劣るものとした「不当な点」として、許してほしいと言います(一三節)。
 続いてパウロは、コリントの集会に金銭的な負担をかけようとしなかった動機について、親子の情愛に訴えて説明します(一四〜一五節)。パウロは、「わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だ」と言います。パウロが苦労して福音を宣べ伝えたのは、それによって人をキリストの民として獲得するためでした。決して人の持ち物を集めるためではありません。パウロは自分の働きによって信仰に入った人たちを、キリストにあって自分が生んだ子であると見ています(コリントT四・一五)。「子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならない」のですから、パウロは生みの親として、「あなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう」という気持ちでいます。そのような親としての愛で、子に負担をかけないように対したので、かえって子から軽んじられて愛されなくなる親の悲痛な思いをのぞかせます。
 さらに、パウロがコリントを去った後に(第三次伝道旅行で)始めたエルサレムの「聖徒たちへの募金」活動について、それはパウロが「悪賢くて」、自分の私腹を肥やすために集会から「だまし取っている」のだという非難までされるようになっていました。パウロは募金のためにテトスを派遣するときも、コリント集会になじみ深い「あの兄弟」も同行させるという配慮をしたのですが、それでもこの非難は止みませんでした。募金活動の公明性について、パウロは改めて弁明せざるをえませんでした(一六〜一八節)。

期待が外れる不安

 19 あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。20 わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。21 再びそちらに行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。(一二・一九〜二一)

 パウロはこれまでに何回も手紙を書き、弟子のテモテやテトスらを遣わしてコリントの集会に働きかけ、事態を改善するように促してきました。その働きかけをコリントの人たちはパウロの自己弁護と受け取っていたようです。それに対してパウロは、これまで語ってきたことは、自己弁護ではなく、コリントの人たちを立派なキリストの民に「造り上げる」(第一書簡でよく用いた「建て上げる」と同じ動詞)ために、「キリストにあって」(直訳)神から遣わされた使者として語ってきたのだと言って、コリントの人たちに使徒としてのパウロの権威を思い起こさせます(一九節)。
 その上で、三回目に訪れてコリント集会の実情を見ることになるとき、これまで語ってきたことが効果なく、コリントの集会が依然として「争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動など」に明け暮れており、パウロが期待したような状態ではないことに失望しなければならないのではないかと心配しています。それは、その結果パウロは厳しい対応をしなければならなくなり、パウロもコリントの人たちが期待していたような人物として彼らの前に現れることができなくなる心配でもあります(二〇節)。
 また、第一書簡(五・一〜八)で厳しく警告していた「不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行い」が悔い改められないまま続いているのを見て嘆き悲しむ結果になるのではないかと心配しています(二一節)。

厳しい処分も辞さない

 1 わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。2 以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません。3 なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。4 キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。5 信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。6 わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。8 わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。9 わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。10 遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。(一三・一〜一〇)

 コリントの人たちは外からきた「偽使徒たち」にそそのかされて、パウロの中にキリストが語っておられることを疑い、その証拠を求めました(三節)。それに対してパウロは、カリスマ的な能力を証拠としてあげるのではなく、「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです」とキリストの十字架の逆説を示し、今まで弱さを誇ってきた自分について「わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています」と、十字架の逆説にあずかる者として、キリストと共にコリントの集会に対するのであると宣言します(四節)。こうして自分の中にあって語る「キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です」と、キリストの使徒としての権威を思い起こさせます。
 その権威をもって、「今度そちらに行ったら、容赦しません」(二節)と厳しい態度で警告します。パウロが「容赦しない」と警告する厳しい処置は、使徒としての権威をもって集会の交わりから追放することを含むのでしょう。そのような処置の対象としては「以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいる」(一二・二一)という場合も含まれるのでしょうが、使徒としてパウロに反抗して集会の存立を危うくしたような人物も念頭に置いていると考えてよいでしょう。どの場合も「二人ないし三人の証人の口によって確定され」て、厳しい処置がなされると警告します(一節)。
 エクレシアを建て上げるために厳しい態度もとらなければならない使徒は、その資格が自分だけにあって相手にはないと言っているのではありません。パウロはあくまで自分もコリント集会の人たちも同じように、イエス・キリストが内にいてくださるという事実だけが、キリストの交わり(エクレシア)にあずかることができる資格であるとします(五〜六節)。その上で、このような厳しい警告を書き送るのは、「あなたがたが悪を行わず、善を行うようになるため」、「あなたがたが強くなるため」、「あなたがたが完全な者になるため」であるとし、「わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです」と締め括ります(七〜一〇節)。

この「涙の手紙」がどのような結果をもたらしたかについては、本書第六章を見てください。