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第八節 補論 ― 霊魂不滅と死者の復活

        ―― ヘレニズム世界における復活の福音 ――

復活信仰への反発

 使徒パウロがヘレニズム世界にキリストの福音を宣べ伝えたとき、死者の復活の使信は大きな衝撃を与えました。ユダヤ人にとっては「十字架につけられたキリスト」の告知が決定的なつまずきになりましたが、ギリシア宗教とその文化世界に生きていた異教の人々にとっては、死者が復活するという福音の告知は今までまったく知らなかった驚くべき告知で、容易に受け入れることができませんでした。
 死者の復活の使信に接した異教世界の驚きと戸惑い、あるいは反発は、すでにパウロの宣教活動の直後に現れてきています。パウロはコリントでキリストの福音を宣べ伝え、その地におもに異邦人から成る活力に溢れた教会を形成しますが、パウロがコリントを離れて数年もしないうちに、その教会に「死者の復活などない」と主張する人々が現れたのです。彼らはけっして不真面目な人たちではなく、人一倍熱心に霊的な信仰を追求した人たちであると思われます。けれども、彼ら自身が自覚する以上に深く染み込んでいるギリシアの宗教思想が、「死者の復活」という信仰に反発させたのでしょう。ギリシアの宗教思想では、霊こそ永遠で価値あるものであって、体は霊魂を卑しい世界につなぎ止める牢獄にすぎず、人間の救済とか完成は霊が体から解放されることにあるとされていたのです。
 このような人々にとっては、信仰によって体験した霊的な革新こそ死から復活することであって、「復活はすでに起こった」のです。真の生命に目覚め、肉体から解放された霊が、死後再び肉体に戻るような「死者の復活」は厭うべきことになります。彼らが死者の復活を否定したのは、コリントで復活の信仰が、ユダヤ教からの影響で「肉体の復活」と誤解されるようになっていたからである可能性もあります。パウロは彼らを反駁するさい、復活するのは「自然の命の体」ではなく「霊の体」であること、すなわち地上の肉体とは全然別の体であることを強調しなければなりませんでした。
 パウロはこの手紙を書いてからさらに数年後のコリント滞在中に、初めて訪問しようとしているローマの信徒にあてて長い手紙を書いています。この「ローマの信徒への手紙」は、パウロが宣べ伝えたキリストの福音の総まとめのような性格の文書になっています。その中でパウロは福音を提示するにあたって、「死者の復活」という表現は用いなくなっています。もちろん、復活にあずかることはキリストに結ばれて生きる者の確かな希望として保持されています(ローマ六・五、八・一一、八・一八〜二五)。しかし、「死者の復活」が福音の中心的な主題として前面に出ることは、もはやありません。おそらくパウロは、コリントでの出来事から、この信仰がヘレニズム世界では肉体の復活と誤解されて反発と混乱を招くものであることを見て、この主題の扱いに慎重になったのではないかと思われます。復活にあずかる希望は福音の告知として前面に出ることなく、むしろ信仰者各人における聖霊の証に委ねられるようになったようです(ローマ八・二三)。
 ヘレニズム世界の人々が死者の復活の信仰に反発したことは、すでにパウロのコリント書簡にも見られるわけですが、新約聖書の中の実例としてもう一箇所をあげておきます。使徒言行録の一七章にパウロがギリシア思想の中心地であるアテネで福音を宣べ伝えたことが語られています。パウロが広場でエピクロス派やストア派の哲学者を相手に論じ合い、イエスと復活《アナスタシス》について福音を告げ知らせたところ、彼らはパウロがイエスという外国の神とアナスタシスという新しい女神を宣べ伝えているのだと考えたようです(一八節)。パウロがアレオパゴスでアテネの市民に福音を告げ知らせ、諸民族の創造者である神から始めて死者の復活に説き及んだとき、アテネの聴衆はパウロが死者の復活を語るのを聞いて嘲笑したということです(三二節)。
 この記事は、キリストの福音がヘレニズム世界に入っていった時、何が一番の対立点になるのかをよく示しています。ギリシア人またはギリシア宗教思想の中で育ったヘレニズム世界の人々にとって、体は霊魂がそこから解放されなければならない牢獄であって、救済された霊が再び体を纏うことを主張する死者の復活の告知はまことに厭うべき、嘲笑すべき宗教であったわけです。使徒言行録はパウロの宣教活動から数十年後に書かれたものですが、著者は、キリストの福音とギリシアの宗教思想が遭遇するとき、何がもっとも決定的な問題になるのかを的確に把握し描いていると言えます。

霊魂の不滅と輪廻転生

 では、当時のギリシア人たちはどのような宗教思想に生きていたのでしょうか。神話と祭儀に見られるギリシア人の宗教はまことに多彩で、その全容を描くことはとうていできませんが、その基調は霊魂の輪廻転生であると言えるでしょう。そのことを示す一つの実例としてプラトンの『パイドン』を取り上げてみましょう。プラトンの著作は哲学であって宗教ではありませんが、当時の哲学は宗教思想の理論的な表現という色彩が強く、ギリシア人の宗教思想を理解する上で有力な手がかりとなります。
 プラトンの『パイドン』は、ソクラテスが毒杯を仰ぐ当日、友人たちと霊魂の行方について語った対話編です。その中でソクラテスは、「ひとの死後、その者たちの魂は、ハデス(冥界)に存在するのか、しないのか」という問題について、おそらくピュタゴラス派由来の「魂は、ここよりかしこに到りて、かしこに存在し、さらに再び、ここに到りて、死せる者から生まれいづ」という古説を取り上げ、彼独特の対話法でその真理性を証明し、霊魂の不滅と輪廻転生を語っています。見えざるものである魂は、見えるものである肉体が死んで解体しても、分散解消することなく、つねに同一性を保ち、再びこの世界に生まれてくるというのです。そのさい、肉体にあったとき暴飲暴食など快楽をむさぼった魂はろばのような種族に、専制とか略奪をつねとした魂は狼のような種族に、公共の正義節制をこととした魂は蜜蜂のような種族に生まれてくるとされています。肉体は、その欲望によって魂を見える卑しい世界につなぎ止めておく牢獄であると考えられています。肉体の感覚と欲望に拘束されず、魂の本来の営みである知を愛する道に徹する者(愛知者)だけが神々の一族に到るのです。
 このようなプラトンの霊魂不滅と輪廻転生の説は、プラトン哲学を継承した人々の間で解釈が分かれてきます。転生にさいして霊魂の理性的部分も動物に引き継がれるのかという困難があり、動物への転生は字義通りにとる人もあれば、比喩的に解釈して人間への転生に限定するべきだとする人も出てきます。解釈に幅はありますが、基本的には霊魂の不滅と輪廻転生はギリシア宗教思想の基調として受け継がれていきます。この思想においては、肉体は魂がそこから解放されなければならない牢獄なのですから、身体の復活を主張していると理解されたキリスト教は受け入れがたい宗教であったわけです。事実、ケルソスを始めキリスト教に反対した哲学者たちは、この点を厳しく批判しています。
 キリスト教が進出した時代のヘレニズム世界で、「グノーシス主義」が本来のギリシア思想の流れに対抗して、もう一つ別の独自の宗教思想の世界を形成していました。正統的なギリシア宗教思想が《コスモス》(宇宙)の秩序を神的なものとして価値の源泉としたのに対して、グノーシス主義は《コスモス》を、最高神に反抗する諸力が人間を己の支配領域である物質界に閉じ込めるために造り出した装置であるとして敵視したのです。グノーシス主義においては、人間が自己の本来の霊的本質に目覚めて、《コスモス》から脱出し霊なる最高神に帰還することが救いであるわけです。目覚めるまでの人間は、《コスモス》の最下層である物質界に閉じ込められ、麻痺、酩酊、堕眠の中にあり、自己の本質を見失っているのです。それでグノーシス主義には、物質界に属する身体に対して極端な蔑視がともないます。このようなグノーシス主義が身体の復活の信仰に対して反対するのは当然のこととなります。コリントの教会で「死者の復活などはない」と主張した人々は、グノーシス主義の影響を受けていた人々であるという説もあります。

使徒信条の問題点

 このように、本来のギリシア思想のものであれ、それに対抗するグノーシス主義のものであれ、ヘレニズム世界の宗教思想は基本的に霊界と物質界の二元論に立ち、霊が物質界の体から解放されることを救いとしていたと言えます。ですから、死者の復活を掲げて進出してきたキリスト教に対しては、その復活信仰を厳しく批判して対立するか、その内部に入ってキリスト教を復活抜きのものに変質させるか、いずれにしても福音の進展に対して大きな影響を及ぼしたのです。
 初期のキリスト教の指導者(教父)たちは、このような外からの批判と内部における変質に対して戦わなければなりませんでした。とくに内部における変質は、グノーシス主義の影響が深刻でした。それは、グノーシス主義が霊的革新による救済という点でキリスト教と相い通じるものがあり、その主張をキリスト教の用語で表現するもの(キリスト教グノーシス主義)も現れて、キリスト教と区別ができないほどになっていたためです。
 教父たちは、外からの批判に対して福音の信仰を弁証する護教活動を行うとともに、このような内部の変質に対して、福音の正しい把握のために多くの教義的な議論をしなければなりませんでした。教父たちの議論に立ち入ることは、この小論の範囲を超えるので省略しますが、ここではそのような努力の成果の一つとして形成された「使徒信条」を取り上げます。
 「使徒信条」は賛美歌の後ろにも印刷されているように、カトリックでもプロテスタントでもキリスト教共通の信条として、現代でも広く受け入れられています。この信条は二世紀後半にローマで用いられた洗礼告白文(ローマ信条)が元になって形成され、四世紀ころ西方諸教会に普及し、使徒たちによって教えられ定められたと信じられて、「使徒たちの信条」と呼ばれるようになったものです。この信条はラテン語の「クレードー(われは信ず)」という語で始まっているので、「クレド」とも呼ばれています。
 後代のキリスト教の歴史に決定的な影響を及ぼしたこの使徒信条において、復活については最後の所で「われは肉体の復活、永遠の生命を信ず」と告白されています。これは、復活を否定する内と外の批判者たちに対して教会が戦った信仰告白の戦いの成果であったわけです。ところが、新約聖書の「死者の復活」という希望の内容が、ラテン語で表現されたとき(使徒信条はラテン語です)、「肉体の復活」とされたのが問題です。ここに用いられているラテン語は、まさに「肉体」という意味の語であって、この信仰告白を聞いた人々が、地上のこの肉体が復活するのだと理解しても仕方がないような表現になっています。
 ここで用いられている「肉体」《カルニス》というラテン語は、新約聖書のラテン語訳であるウルガタでは《サルクス》の訳語として用いられています。《サルクス》は肉体を意味するギリシア語ですが、パウロはこの語を神に敵対する生まれながらの人間本性という意味で用いています。パウロの手紙では、《サルクス》は《プニューマ》(霊)に対立するもので、日本語聖書では「肉」と訳されています。ですから、パウロの手紙では《サルクス》が復活するというようなことは一度も言われていません。むしろ、「肉《サルクス》と血は神の国を継ぐことはない」(コリントT一五・五〇)として、復活とは関わりのないことが強調されています。
 たしかにパウロが復活を語るとき、それは体または身体《ソーマ》を備えた復活です。体をもたない不滅の霊魂は「裸のまま」で、それは厭うべき状態です(コリントU五・三)。永遠の生命は体を備えた姿で現れなければならないのです。体《ソーマ》を備えた姿で永遠の生命が現れること、それが復活です。では、どのような体をもって復活するのかという問いに対して、パウロは「自然の命の体で蒔かれて、霊の体に復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです」と答えています(コリントT一五・四四)。こう答えることで、パウロは《サルクス》に属する地上の肉体とは別の体に復活することを強調しているのです。死者の復活とは「霊に属する体《ソーマ》」をもって生きるようになることなのです。
 ラテン語訳聖書では、この《ソーマ》(体)は「身体」を意味する語(コルプス、英語のボディー)で訳され、先の「肉体」とは区別されています。すなわち、パウロの手紙における《サルクス》(肉)と《ソーマ》(体)の区別は正確に受け継がれているわけです。ところが、使徒信条が形成されていく時期(それはウルガタ成立よりも以前になります)では、二つの用語が厳密に区別されないままで、体《ソーマ》を備えた復活のことが、「肉体の復活」と誤解されかねない「カルニスの復活」という句で表現されることになったのではないかと考えられます。
 この混乱は用語の混同から生じただけではなく、その背景には実際の信仰内容の混乱もあったようです。初期のキリスト教会では、「死者の復活」とは「肉体の復活」であると理解する傾向があったことをうかがわせる節があります。パウロがその手紙であれほど明確に復活とは肉体の復活ではないと教えているにもかかわらず、パウロの手紙はヘレニズム世界の教団のその後の進展において、あまり普及せず、それほど理解されず、大きな影響も与えなかったようです。その事情は、パウロの活動の数十年後に彼の活動圏内で書かれた使徒言行録が、パウロの手紙の影響を全然示していないという事実にもうかがわれます。
 初期の教団に死者の復活を「肉体の復活」と理解する傾向があったことは、最初期の教団の指導者たちが大部分ユダヤ人であったことと関係があるのではないかと思います。当時ユダヤ教の主流となっていたファリサイ派では、終わりの日に神がイスラエルの民を死者の中から復活させてくださると信じられていました。そして、その終わりの日の復活は地上の身体と同じ身体への復活と理解される傾向がありました。これは、イスラエルの宗教が、ギリシア宗教の霊界と物質界の二元論とは異なり、本来地上の歴史の中での出来事を主題とし、具体性を重視する宗教であったことから来るのでしょう。このような復活信仰をもつユダヤ人が初期の教会の指導的な立場にあったことが、キリスト教会が復活を「肉体の復活」と理解するようになった原因の一つではないかと考えられるのです。
 パウロもファリサイ派ユダヤ人の一人でした。パウロは終わりの日の体を備えた復活の信仰を堅持しました。しかし、彼の深い霊的なキリスト体験と霊的な聖書理解から、ファリサイ派的な復活信仰を超えて、「霊の体」への復活を待ち望みつつ、現在聖霊によって復活の質の生命に生きるという境地に達していました。パウロはユダヤ人キリスト教指導者の中で例外的に霊的な復活信仰に達していたと言えます。しかし、パウロの説くところも、初期のキリスト教会全体に決定的な影響を及ぼすまでにはいたらなかったようです。
 さらに、使徒以後のユダヤ人でない教父たちも、グノーシス主義に対抗する必要から、旧約聖書への結びつきと、復活の身体性を強調しなければなりませんでした。このような事情から、キリスト教とギリシア宗教思想の最大の争点である「復活」について、批判する側も弁証する側も、復活の身体性について争い、「肉体の復活」について議論するという傾向になっていくのです。教父たちの復活論を概観することは、この小論ではとうていできませんので、古代教会の神学の頂点をなすとされるアウグスティヌスの復活論を取り上げて、ヘレニズム世界での復活論争がどのようなものであったのかを瞥見してみましょう。

アウグスティヌスの復活論

 アウグスティヌスは最晩年の大著「神の国」において、彼の神学の総決算を提示しています。前半(一〜一〇巻)でキリスト教会に対する異教徒たちの非難に答えた後、後半(一一〜二二巻)で、「神の国」と「地の国」という二つの国の起源、経過発展、結末をそれぞれに四巻づつをあてて論じています。そして、その二つの国の結末を論じる部分の最後にくる第二二巻で、「神の国」の最終形態である復活を論じています。この構成から見ても、アウグスティヌスの救済史的な神学において「復活」が最終到達点であることが分かります。
 この最終巻においてアウグスティヌスは、キリストが肉において復活し、肉とともに天に昇ったという信じがたいことが、いまや多くの人に信じられているという信じがたい事実を説得するために、身近に起こった奇跡的な出来事を長々と語った後、身体の復活に対して、その信仰の矛盾を指摘して批判する者たちに、丁寧に反論していきます。
 まず、当時の宇宙観によれば、宇宙は下から上に向かって、土、水、空気、天の空気(後の章では火)という四つの元素によって構成され、それぞれの元素は自分の重さにふさわしい場所を占めるのであるから、地上の身体が天に存在することはありえないという原理的な批判に対して、アウグスティヌスは、地上の身体をもつ鳥たちに軽い羽根と翼を与えて空気中を飛ぶのを許した神は、不死のものとした人間の身体に天の高き所に住む力を与えないことがあろうかと反論し、さらに四つの元素を超える精妙な存在である魂について、「現在地上の身体の本性が魂をこの地上にとどめ置くことができるのだとすれば、魂はいつかは地上の身体を上にあげることができるのではないだろうか」と言っています。
 さらにアウグスティヌスは、批判者たちが提出する「肉体の復活」に対する様々な具体的な難問に答えていきます。たとえば、流産した胎児は復活するのか、幼児が復活するときはどの大きさの身体で復活するのか、女性は復活後も女性であるのか(これはすべての人間は男として復活するという一部のキリスト教側の説に対して)、切りとられた爪や髪の毛は復活の時どうなるのか、障害のある身体は障害があるままか(キリストの復活体には傷が残っていたではないか)、人肉を食べた人の場合、食べられた人肉は食べた人のものとなるのか食べられた人にもどるのか、という類の難問に聖書を引用しながら丁寧に答えていきます。
 このような種類の批判と回答を読んでいくと、当時の教会が「身体の復活、肉体の復活」という信仰に、いかに強く固執していたかが印象づけられます。教会が「肉体の復活」を基本的な信条として前面に押しだしたため、批判する者たちは「肉体」の復活の不条理を嘲笑し、擁護する側は聖書の言葉を無理矢理に肉体の復活を語る言葉にして引用するという結果になります。たとえば、切りとられた爪や髪の毛の問題に対して、「あなたたちの髪の毛一本も失われないであろう」という御言葉を根拠として答えたり、幼児の復活について、すべての人はイエスと同じくほぼ三十才の壮年期の身体に復活すると答えるさいに、「わたしたちはみなキリストの満ちみちた年の大きさまで達するであろう」という聖句が根拠として引用されています。

現代の福音宣教における「死者の復活」

 教父たちの復活についてのこのような長々とした論争を読んでいると、次の二点が強く感じられます。一つは、初期の教会がいかに強く復活の希望を、それも文字通りの「身体の復活」の信仰を主張したかということです。もう一つの点は、使徒パウロが「死者の復活」について教えたことがいかに僅かしか理解されていなかったかということです。
 ヘレニズム文化爛熟期の地中海世界に進出したキリスト教が、当時の宗教思想と対決しなければならなかった最も根本的な問題は、先に見たように復活の問題でした。霊魂の不滅と輪廻転生の宗教的雰囲気にいた人々にとって、キリストの福音が告知したキリストの復活と、信じる者が終わりの日の復活にあずかるとの希望は、新鮮で衝撃的な救済の告知でした。それだけに、キリスト教に対する批判も復活の信仰に集中したわけです。ローマ帝国の度重なる過酷な迫害に信徒たちが勇敢に耐えることができたのも、復活にあずかる希望があったからでした。キリスト教はこの復活の信仰によって他の諸々の宗教とローマ帝国に勝利した、と言っても言い過ぎではないと思います。
 ところで、当時のキリスト教会は復活の信仰を宣べ伝えるさいに、身体が復活するのだという点に強調を置きました。ある意味では、身体性の強調は当然のことです。復活とはまさに身体をもった生命の顕現だからです。問題は、復活にさいしてとる身体があまりにも地上の肉体と強く結びつけられた点にあります。使徒信条の説明のところで見たように、教会は復活を「肉体の復活」と理解し、そう表現しました。そして、「肉体の復活」に対する外からの嘲笑と、内なるグノーシス主義からくる変質の危機に対して、信仰の根本箇条として力を尽くして論争し、擁護してきました。はたしてこれは、キリストの福音の正しい受けとめ方でしょうか。
 使徒パウロは「肉体の復活」というようなことは言っていません。むしろ、「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」(コリントT一五・五〇)と断言しています。ここでパウロが「肉と血」とか「朽ちるもの」という語で指しているのは、この地上の肉体にほかなりません。パウロはこの肉体は復活と何のかかわりもないのだということを強調しているのです。では、「死者はどんなふうに復活するのか、どんな身体で来るのか」という問いに対して、「自然の命の体で蒔かれて、霊の体に復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです」(コリントT一五・四四)と答えています。これは、復活の体が地上の体とは全然別種の体であることを強調しているのです。パウロは続く箇所で、この「霊の体」がどのようなものであるのかは描写していませんが、それが与えられることの確かさを全聖書の救済史の構造から論証しています(四五〜四九節)。
 「霊の体」がどのようなものであるのかは記述できません。それは世界がまだ経験していない「新しい創造」に属する事柄だからです。この地上の体が神の創造の業であるように、霊の体も神が創造されるものです。それは無から新しく造り出されるのですから、それを今記述することはできないわけです。たしかに、復活されたキリストがどのように弟子たちに現れたかが新約聖書に語られています。そして、この復活のキリストを初穂として、キリストに属する者が「同じように」復活することが待ち望まれています。しかし、復活されたキリストに出会った体験も、それを語り伝える言葉もすべて、この地上の時間と空間の枠の中でのことです。そのような体験と言葉で永遠の実体である「霊の体」を記述することはできないのです。
 現在わたしたちが生きており経験しているこの世界がどのようなものであるかは記述することができます。すこしでも正確にそれを記述すること、それが科学の仕事です。しかし、この世界を存在させている方、すなわち創造者がいますこと、その方の意志や目的を科学は記述することはできません。創造の信仰は科学の限界の彼方にあります。霊の体は新しい創造の業ですから、それを今記述できないからといって、その存在を否定するのは科学の限界を超えた判断ということになります。霊の体をもって復活するとの信仰は、創造者なる神への信仰の一つの表現なのです。むしろ、創造信仰の到達点と言うべきでしょう。旧約聖書の全歴史を通して形成された創造の信仰は、新約の復活信仰を準備するためであったと見ることができます。「復活は創造の冠である」と表現してもよいと思います。
 現代は科学の時代だと言われています。科学は世界を記述するという仕事において驚嘆すべき成果をあげました。その成果は尊重されるべきです。現代は科学が承認することしか受け入れない時代です。しかし、人間には霊的次元があります。人間は霊的存在として神を信じたり人を愛したりするのです。神を信じ人を愛する霊の次元については、科学は発言することはできません。その霊的次元において、福音は創造者なる神を告知し、創造の完成として死者の復活を宣べ伝えるのです。この科学の時代において、福音は改めて復活の信仰の質を正確に把握し、科学の時代に的確に対応する形で、この福音の本質をなす復活の信仰を語らなければならないと思います。
 今回はおもに古代教会の復活信仰との取り組みを見てきました。古代教会は復活信仰がキリスト教の核心であることをよく理解していました。外からの批判嘲笑と内からの変質の危機に対して、その擁護のために必死に戦ってきました。その情熱には打たれます。その情熱がキリスト教を勝利させたと言えます。しかし、当時の歴史的状況と限界から、古代教会の復活理解には、科学の時代である現代には受け入れがたい面があることも事実です。古代教会が形成した復活理解を教義として固定することなく、パウロの霊的な復活信仰を回復し、現代にふさわしい語り方で「死者の復活」の信仰を告知することが、われわれの急務であると思います。パウロが言うように、「死者の復活」の信仰は、それがなければ福音が福音でなくなるという、福音の本質をなす信仰なのですから。
 最後に一言つけ加えなければならない点があります。それは、この復活信仰はそれだけが孤立して語られてはならないということです。復活信仰は、キリストの十字架によるあがないという土台の上で、聖霊の具体的な働きの現実の中で語られなければ、観念的な来世信仰に陥る危険があります。この点においても、十字架の信仰、聖霊の愛、復活の希望が混然一体で語られているパウロの福音宣教を範としなければなりません。