市川喜一著作集 > 第10巻 パウロによるキリストの福音U > 第13講

第六章 死者の復活

        ― コリントの信徒への手紙 T (6)―

はじめに ― 何が問題になっているのか

 パウロは、コリントから来た使者から聞いたり、他から伝え聞いた集会の状況に心を痛め、集会を正しい信仰の歩みに導くために、父親が切々と子を諭すようにこの手紙を書いてきました。そして、最後にもっとも重大な問題、福音の存立そのものに関わる問題を取り上げます。それが一五章で論じている「死者の復活」の問題です。

この問題は、当時のコリント集会の人々だけでなく、現代のわたしたちにとっても重要な問題であるので、すでに『天旅』九三年一号から九四年二号までの八号にわたって詳しく講解し、それを『死者の復活』(一九九六年)という一書にまとめました。しかし、コリント書簡の講解としては、この書簡の頂点をなす一五章(K・バルト)を省略できませんので、先の著作を一部要約して再録し、改めてわたしたちの復活信仰の内容と現代における意義とを再確認しておきたいと思います。

 パウロが本章(一五章)を書いたのは、コリント集会の一部の者が「死者の復活などない」と言っていることを伝え聞いたからです(一二節)。彼らは、「死者の復活」を否定することはキリストの福音を否定することになることを理解していないのです。彼らは、「死者の復活」を否定しても、自分たちは立派にキリストに属する民として生きていけると考えているのです。そこでパウロは本章で力を尽くして、「死者の復活」の信仰がキリスト信仰の本質的な内容であること、すなわち、それを否定すれば福音が福音でなくなり、キリスト信仰がキリスト信仰でなくなるような内容であることを説き示すのです。
 ここでまず注意すべきことは、彼らが「死者の復活」を否定したことは、必ずしもイエスが復活された事実を否定したことを意味していないことです。「死者の復活」の「死者」は複数形です。彼らが否定したのは、キリストを信じて眠りについた「死者たち」が終わりの日に復活するという信仰を否定したのです。彼らがどういう理由または動機で「死者の復活」を否定したのかは特定できません。おそらく何らかの形で、霊魂と身体を対立して考えるギリシア人の二元論的な思想の影響を受けていたのでしょう。ギリシアの宗教思想では、身体は霊魂の牢獄であって、救済とは霊魂が肉体という暗黒の牢獄から解放されて、光明の世界に昇ることだと理解されていました。したがって、救済された霊魂が再び身体を持つというようなことは考えられなかったのでしょう。ずっと後のことになりますが、「復活はすでに起こった」と主張した人たちがいたことが報告されています(テモテU二・一八)。おそらく彼らは、信仰によって自分の内面に体験した霊的変革を「死者の復活」と解釈したのでしょう。
 ひるがえって現代のキリスト教会はどうでしょうか。教会は礼拝ごとに「使徒信条」を唱え、「我は身体のよみがえりを信ず」と告白しています。しかし、現代のキリスト者は自分が復活することを真剣に人生の土台とし目標として生きているでしょうか。実際の生活では「死者の復活」などは夢物語としているのではないでしょうか。そのような人たちに「死者の復活」はキリスト信仰の本質的な内容であることを示すために、パウロはまず福音がキリストの復活を告知するものであり、キリストの復活はキリスト信仰の土台であることを確認した上で(一〜一一節)、キリストの復活と死者の復活が不可分であることを説き示すのです(一二節以下)。本章の理解は、現代のキリスト教会にとって緊急の最重要課題です。



第一節 キリストの復活

 1 兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。 2 どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。 3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。 6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。 7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、 8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。 10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 11 とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。 (一五・一〜一一)

パウロが伝えた福音

福音の確認

 「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」。(一節前半)。

 使徒パウロはさきに自分が福音を宣べ伝えた信徒の群れに、もう一度福音を告げ知らせるのです。ここで呼びかけられているのは、外の人ではなく、「兄弟たち」なのです。福音を受け入れ、キリストに結ばれて歩んでいる人たちなのです。
 コリントの信徒の群れは霊に燃えた熱心な信仰の人々でした。ところが、その集会にさまざまな問題が生じました。信徒の間の分裂、家庭内の不道徳、信徒同士の訴訟、偶像への供え物を食べる自由についての論争、主の晩餐にさいしての無秩序、霊の賜物についての混乱など、どれ一つとっても信仰の健全な成長にとって致命傷になりかねない重大な問題です。そこでパウロは心を痛め、彼らを正しい信仰の歩みに導くために、父親が切々と子を諭すように、この手紙を書いているのです。そして、最後にもっとも重大な問題、福音の存立そのものに関わる問題を取り上げるのです。
 「福音をここでもう一度知らせます」という改まった言い方に、それを失えば福音が福音でなくなるという重大問題を扱っているのだという真剣さが響いています。それがどういう問題であるのか、使徒はすぐには口にしません。その問題の解決の土台となる福音、パウロが宣べ伝え、彼らが受け入れた福音をまず確認します(一〜一一節)。その後初めて正面から問題を取り上げます。「あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」(一二節)。コリントの信徒の中に「死者の復活」を否定する者たちが出てきたのです。
 「死者の復活」というのは、一度死んだイエスが復活したという特別の事実を指しているのではありません。この「死者」は複数形です。死んだ人間が復活するという信仰です。詳しく言うと、神が終りの時に死んでいる者たちを復活させるという信仰です。「死者の復活などない」と主張した人々は、イエスの復活そのものを否定したのではなく、終りの時に死者たちが復活するという信仰を否定したのです。彼らがどのような信仰ないし思想から「死者の復活」を否定したのかは明らかでありません。おそらく、彼らは信仰によって自分の内面に体験した霊的変革を復活と解釈し、「復活はすでに起こった」と主張したのでしょう(時期はずっと後になりますが、そういう主張をした人々がいたことがテモテU二・一八に語られています)。あるいは、ギリシャ的な霊と肉体の二元論の立場から、救いとか永遠の命を霊魂不滅のことと理解して、体をそなえた復活という信仰を否定したのかもしれません。いずれにせよ、「死者の復活」を否定することは福音そのものを否定することだとして、使徒はここに改めて福音を提示するのです。
 現代の教会はどうでしょうか。わたしたち自身はどうでしょうか。教会は礼拝ごとに「使徒信条」を唱え、「我は身体のよみがえりを信ず」と告白しています。しかし、現代のキリスト者は本当に死者の復活を信じているのでしょうか。わたしたちは自分が復活することを真剣に人生の土台また目標として生きているでしょうか。口では信じると言いながら、実際は「死者の復活」を否定して、この世での生涯だけを考えて生きているのではないでしょうか。現代の教会も、「わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」という使徒の言葉を、あらためて聴かなければならないのです。

 「これは、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきた福音にほかなりません」。
(一節後半 私訳)

 いま使徒があらためて語ろうとしている福音は、なにも新しいものではないのです。わたしたちが一度受け入れ、今日までそれによって生きてきた福音なのです。その福音をあらためて告げ知らせなければならないところに問題があるのです。わたしたちがそれによって立っていると思っている福音が、いつの間にか変質しているのです。「福音をここでもう一度知らせます」と言うとき、パウロがガラテヤの信徒について「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」(ガラテヤ一・六)と嘆いたのと同じ嘆きが聞こえてくるようです。「ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく」、死者の復活を否定した福音はもはや福音ではないのです。

 「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、その言葉をしっかり保持していれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」。(二節 私訳)

 福音を告げ知らせるさいに、パウロは聖霊の知恵と力をもって福音の内容を語りました。パウロが受けて伝えた福音は、すぐ後に引用されているように、キリストの十字架の死と復活を告げる簡潔な「宣教の言葉」です(学者はこれを「ケリュグマ」と呼んでいます)。この「ケリュグマ」(現代風に言えば「信条」)の言葉をしっかり覚えて間違いなく唱えておれば、それで救われると言っているのではありません。パウロがここで「その言葉をしっかり保持していれば」と言うのは、そのケリュグマを伝えるさいにパウロが聖霊の知恵と力をもって語った内容を、身をもって生きることです。たとえば、この一五章でパウロが死者の復活について語っている言葉が、まさに「その言葉」なのです。パウロは最初に福音を伝えたとき、その福音の内容としてこの一五章で語られているのと同じことを語ったはずです。その時に語られた「死者の復活」を、自分の生涯のもっとも確かな現実として生きることが、「その言葉をしっかり保持している」ことなのです。
 パウロは「その言葉によって救われる」とは言っていません。「この福音によって救われる」のです。パウロが語った言葉によって救われるのではなく、福音によって救われるのです。それは、福音(ケリュグマ)はキリストを指す言葉であるからです。新約聖書の各文書に表明されている「福音(ケリュグマ)」は少しづつ違っています。しかし、同じキリストが名指されているのです。「福音によって救われる」というのは、福音が名指すキリスト、現に生きておられるキリストがその名を呼び求める者を救ってくださるということです。
 「さもないと」、すなわち、パウロが福音を伝えるさいに語った言葉をしっかり保持していないと、たとえば「死者の復活」を口では唱えていても実際には否定するような生き方をしていると、「信じたこと自体が、無駄になってしまう」のです。いくら福音を受け入れて信徒になったといっても、無内容で無益なことになってしまうのです。そこでパウロは福音をもう一度提示して、その福音の内容をあらためて語るのです。

受けて伝える福音

 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」。(三節前半)

パウロが宣べ伝えた福音はけっしてパウロが自分で考えだしたものではありません。パウロも「受けた」ものなのです。この「受けた」というのはどういうことなのでしょうか。自分も「受けた」ものだということを強調することで、パウロはいったい何を言おうとしているのでしょうか。
 パウロはガラテヤの信徒にあてた手紙では、自分が宣べ伝えた福音は人から受けたのではないことを強調しています。「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」(ガラテヤ一・一一〜一二)。「徹底的に神の教会を迫害し滅ぼそうとしていた」パウロ、また「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心でユダヤ教に徹しようとしていた」パウロが、突然イエスをキリストとして宣べ伝え始めたのです。これは、人から新しい信仰を伝えられたとか新しい思想を教えられたというようなことからは起こりえない出来事です。使徒言行録の九章が伝えているダマスコ途上の出来事がどれほど歴史的に正確かは別にしても、パウロ自身がここで言っているように、たしかに神が直接パウロに御子を啓示してくださる出来事があったのです(ガラテヤ一・一三〜一七)。パウロは復活されたイエスに出会ったのです。キリストであるイエスを啓示されたのです。パウロが宣べ伝えた福音はこの体験から出ています。
 ところで、パウロは「それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しました」(ガラテヤ一・一八)と言っています。十五日間もペトロと一緒にいて、世間話だけをしていたのではないはずです。直接イエスに従っていた弟子たちの筆頭、また当時エルサレムの教団の代表挌であったペトロから、イエスの生涯や教えに関する伝承、さらにエルサレム教団が告白する信仰内容について聴くことができたはずです。パウロがペトロからこのようなことを聴くためにエルサレムに上ったのは、自分が啓示によって知らされ宣べ伝えている福音が自分ひとりのものではなく、キリストの民の根ともいうべきエルサレム教団の告白と同じであることを確認するためであると考えられます。パウロはそのとき「受けた」エルサレム教団の「ケリュグマ(福音)」をここに引用していると見てよいでしょう。
このパウロの実例に見られるように、福音を宣べ伝えるというのは、「受けて伝える」という構造をもっています。受けないで伝えるだけであれば、その内容は自分だけから出て来るのですから、偏ったりひとりよがりになったり、まったく違ったものになったりする危険があります。わたしたちが新約聖書を懸命に学ぶのは、福音の源泉から福音を正しく受けるためです。また、受けるだけで伝えることがなければ、流れない水が腐るように、受けた福音は受けた人の中で死んでしまいます。わたしたちが懸命に福音を世に伝えようとするのは、世の救いのためだけではなく、わたしたち自身が福音によって生かされるためでもあります。
福音は生きものですから、「受けて伝える」という動きの中で生きるのです。福音を生かす生命は御霊です。聖霊によって生きているのでなければ、真に「受ける」ことも「伝える」こともできません。新約聖書から福音を受けるといっても、新約聖書を生み出した御霊と同じ御霊によって自分も生きるのでなければ、聖書の内容を身につけて生きるという受け方はできません。また、福音を伝えるといっても、聖霊の力によってキリストを語るのでなければ、人を生かす福音の言葉を語ることはできないでしょう。新約聖書の内容を整理して話したり、印刷して配布すれば、それで福音が伝えられるわけではありません。こうして、聖霊によって福音が受けて伝えられるところに、生けるキリストが働かれるのです。

十字架と復活の福音

パウロが伝えた福音の内容

 さて、パウロは自分が受けた福音を次のように伝えています。

 「すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。(三節後半〜五節)

この部分は、用語から見て、パウロがすでに出来上がっている「宣教の言葉(ケリュグマ)」を引用していることは明かです。また、用語や内容の特徴から、これはユダヤ人信徒の群れで成立したものであることがうかがわれます。もしこれが、パウロが回心後三年目にエルサレムを訪れたときに受けたものであるならば、この告白定式はイエスの復活後かなり早い時期にエルサレム教団で成立していたことになります。
それがいつどこで成立したものであれ、パウロはこの内容を福音の「最も大切なこととして」みずから宣べ伝えたのです。これがパウロの福音だと言ってよいものです。その内容は、キリストを主語にして、キリストの出来事が四つの動詞で語られています。すなわち、キリストが「死んだこと」、「葬られたこと」、「復活したこと」、「現れたこと」です。この表現はすでに出来事の順序を追った物語の相を見せています。しかし、「葬られたこと」は「死んだこと」の確認ですし、「現れたこと」は「復活したこと」の確証です。したがって、キリストの出来事は「死んだこと」と「復活したこと」の二つにまとめられます。そして、この二つの出来事についてそれぞれ、「聖書に書いてあるとおり」という荘重な句がつけられています。
 「聖書に書いてあるとおり」というのは、このキリストの死と復活の出来事が聖書(旧約聖書)の成就であるという意味です。旧約聖書はイスラエルの歴史の中で神が救いのためになしてこられた働きの証言でありその記録です。その聖書に書いてあることが、キリストの十字架の死と復活の出来事によって、ついにその中身が実現した、あるいはその本体が到来した、というのです。したがって、このキリストの十字架の死と復活の出来事こそ、聖書の神の最終的で決定的な業であるという宣言です。「時は満ちた、神の救いの業は成就した」という宣言です。
 キリストがただ死なれた事実が聖書の成就であるというのではありません。キリストが「わたしたちの罪のために死んだこと」が、聖書に書いてあることの成就、すなわち神の最終的な救済の業なのです。キリストの十字架の死は「わたしたちの罪のため」なのです。これが福音の第一の焦点です。この事実はわたしたちの救いの土台です。わたしたちの信仰も義も生命もいっさいこのキリストの十字架という土台の上に立っています。これはわたしたちの信仰の原点です。これはいくら強調してもしすぎることはありません。しかし、パウロはここで復活のことを論じようとしていますので、十字架の意義についてはそれ以上いっさい触れないままで進んでゆきます。
 福音の第二の焦点は、キリストが復活されたという事実です。「事実」という言い方には問題があるかもしれません。キリストの復活という出来事は、証拠をもって誰もが確認できるような客観的歴史的な事実であるとは言えません。復活されたキリストが「現れたこと」によって、その現れを受けた人間にとって否定できない現実となるのです。ですから、キリストが「復活したこと」と「現れたこと」とは一体として、一つの出来事を構成するのです。
 表現の順序として、復活は十字架の死の後にきていますが、福音の成立から見ますと、復活が先で十字架が後です。福音はまず何よりもイエスが復活されたという「事実」から始まります。復活したイエスの現れに接した者たちが命をかけてなした証言、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は復活させた」ことが一切の始まりです。復活によってイエスはキリストとして立てられたのです(ローマ一・三〜四)。その証言を信じて告白することが救いの出発点です(ローマ一〇・九)。ですから本来、キリストという名には復活した者という内容が含まれているのです。「キリストがわたしたちの罪のために死んだ」というのは、復活して永遠の神の子として生きておられるかたが、わたしたちの罪のための死を負っておられるという霊的現実なのです。このように、十字架と復活という第一と第二の焦点は重なって一つになるのです。
 ところで、キリストの十字架の死については、「わたしたちの罪のために死んだ」という表現で、わたしたちとの関わりが明言されています。それに対して、キリストの復活については、わたしたちとの関わりは何も語られていません。ただ「三日目に」復活されたこと、ペトロと十二人に「現れた」ことが語られているだけです。それで、復活はキリストだけに起こったことであり、わたしたちとは無関係だという理解がされる余地ができます。「死者の復活などない」という主張もそこから出てきます。そうではないのです。キリストの復活は死者の復活、すなわちわたしたちの復活と一体なのです。二つの復活は切り離すことができません。キリストの復活を信じて死者の復活を否定することはできません。死者の復活を否定することはキリストの復活を否定することなのです。このことを示すためにパウロは第十五章全体を書いているのです。
 復活したキリストは「ケファに現れ、その後十二人に現れた」のです。復活者が「現れる」というのはどういう性質の出来事であるのか、「ケファ」とか「十二人」という呼び方の意味とかは、ここでの主題と直接関わりのある問題ではありませんので触れないでおきます。エルサレム教団のケリュグマ定式はおそらくここまででしょう。しかし、福音が告げ知らせるキリストの復活が確かなことであることを強調するために、パウロはさらに証人をあげていきます。

復活の証人

 「次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています」。(六節)

 「五百人以上もの兄弟たちに同時に現れ」という出来事がどの場合のことを指しているのかは明らかではありません。使徒言行録二章が伝えるペンテコステの日の出来事のように、多くの人が集まっている所に聖霊が注がれて、多くの人が同時に復活者の顕現を体験するという出来事が語り伝えられていたのでしょう。その出来事を体験した人々の「大部分は今なお生き残って」いるので、直接その人々に顕現の出来事を確かめることができるわけです。

 「次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れました」。(七節)

 この「ヤコブ」は、ヨハネの兄弟で「十二人」の一人であるヤコブではなく、主の兄弟のヤコブを指しています。ごく初期のエルサレム教団はペトロが指導的な立場にありました。その立場は復活されたイエスが最初に現れた人物であることに基づいていました。ところが、主の兄弟で「義人」と呼ばれるヤコブがだんだんと主導権をにぎるようになり、ペトロがエルサレムを去ってからはヤコブが教団を代表するようになっていました。このヤコブの立場を根拠づけるために、ペトロを筆頭とする伝承(五節)に対抗して、ヤコブを筆頭とする顕現伝承が形成されたようです(このことは「ヘブル人福音書」のような外典福音書に見られます)。その場合、「すべての使徒」というのはヤコブと共にエルサレム教団の指導的立場に立った人たちを指すことになります。
 パウロが「次いで」を繰り返しているのは、復活者顕現の出来事の順序を正確に伝えるためではなく、知っている顕現伝承をここに集め、自分への現れをその中に位置づけるために用いたのでしょう。

 「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」。(八節)

 この言葉によって、パウロは自分が受けた復活者の顕現を、ペトロや「十二人」、ヤコブや「すべての使徒」が受けたのと同じ系列に置き、自分が使徒の一人であることを根拠づけます。この場合「使徒」というのは復活者キリストが直接現れて、その証言を将来の教会の信仰の土台とするために選ばれた人物を指します。パウロは自分への顕現がこのような顕現の最後の出来事であるとして、自分を「使徒」に位置づけます。
 しかし、パウロが使徒であることを否定する反対者もいることは、パウロ自身がよく知っています。彼らは、パウロがイエスを見たこともなく、またイエスの弟子として直接教えを受けたのでもないことをあげて、パウロが使徒であることを否定したのです。パウロは彼らの批判を逆手にとって、たしかに自分はイエスから直接教えを受けた弟子ではないのに仲間入りした、いわば「月たらずに生まれたような」者であるけれども、その自分に復活されたイエスが現れてくださった以上、使徒の一人であるというのです。

 「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」。(九節)

 さらに、パウロは反対者の批判を取り上げます。彼らはパウロが教会を迫害した人物であるから、とうてい使徒と認めることはできないと言っていました。パウロは彼らの言うとおり教会を迫害した者であることを認め、自分を「使徒たちの中でもいちばん小さな者」と呼び、「使徒と呼ばれる値打ちのない者」であることを認めています。それにもかかわらず、復活者キリストが現れて自分を使徒とされた事実は否定しようがありません。まったく資格のない者を選び、使徒として立てたのは神の無条件の恵みなのです。

神の恩恵によって

 「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。(一〇節)

 昨日の迫害者が今日の使徒であるという事実、これはもはや人間の側の理由をあげて説明できることではありません。それは、まったく資格のない者、いや敵対者をも造りかえて自分の器にしてしまう神の恵み、あの無条件絶対の恩恵の働きによるのです。神の恩恵というのは、それほど力強い現実の働きなのです。迫害者パウロを圧倒して使徒としたこの神の恩恵が、その後のパウロの生涯において空しくならないで働きつづけ、パウロの宣教活動によって多くの人たちが信仰に入るようになります。パウロは「他のすべての使徒よりずっと多く働き」、その結果与えられた豊かな実(多くの信徒の群れ)という実績をさして、自分が使徒であることを否定する批判者たちの批判を封じます。
 ところで、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と訳されている原文は、直訳すると「神の恩恵によって、わたしは、(今)わたしであるところの者です」となります。「今」という語は原文にはありませんが、動詞が現在形であるので補っています。英語では、" By the grace of God I am what I am. " となります。この文は、前後の文脈からすると、使徒としての資格のない自分が今使徒とされているのは、神の恩恵によるのであることを語っているのですが、この一文は、パウロという特定の人に使徒という特別の職務が与えられたことが神の恩恵によることを語るだけでなく、人間の在り方一般について基本的な事実を宣言する文になっています。すなわち、「わたしがわたしであるのは、神の恩恵による」という宣言です。逆に言えば、「神の恩恵がなければ、わたしはわたしでありえない」のです。これは、キリストにあって生きるようになった人間の基本的な自己告白です。《エン・クリストー》(キリストにある)という場に力強く働く神の恩恵によって、今のわたしという在り方、信仰と愛と希望に生きる「わたし」が生起しているのです。恩恵の客体となってはじめて主体としての「わたし」があるのです。恩恵は静止的な態度ではなく働きです。神の恩恵はわたしに「向かって」働き、空しく生起することなく、わたしと「共に」働くのです。この一〇節は、恩恵の構造と、恩恵の場に生きる「わたし」の構造を見事に語り尽くしています。
 
「とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした」。(一一節)

 このように、パウロはペトロから自分にいたるまでの一連の復活者顕現の出来事をあげて、自分が告げ知らせた福音が自分一人のものではなく、すべての使徒たちと同じものであることを強調します。コリントの信徒たちが聴いて受け入れた福音もまさにこの福音であったはずです。こうして、キリストの復活を共通の基盤として確立した後、パウロは本題に入っていきます。