市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第29講

第三節 福音におけるユダヤ教遺産の継承

唯一の神の告知と黙示思想

 このように、唯一神の告白と、黙示思想的な終末待望は、ユダヤ教が預言者たちから受け継いだ遺産であり、他の諸宗教とは決定的に異なる質のものです。使徒たちがキリストの出来事を救いとして宣べ伝えるさいも、この二つを基本的な前提ないし枠組みとしているわけです。ユダヤ人に福音を宣べ伝えるときは、聴衆はすでにこの枠組みの中にいるのですから、わざわざ言及する必要はありません。ところが、異邦人に福音を宣べ伝えるときには、この二つの前提をまず明らかにして、その中でキリストの出来事の意義を語らなければなりません。
 パウロの手紙は、キリストの福音を受け入れることによって、すでに偶像から離れて生けるまことの神に立ち帰った人々に宛てて書かれていますので、神が唯一であることを改めて説くことはしていません。また、信徒はすでにキリストの来臨を待ち望んで生きているのですから、パウロは手紙で改めてその信仰を説くことはなく、むしろその信仰を前提として、来臨を前にした生き方を説き、その信仰内容の正しい理解を教えようとしています。しかし、パウロが異邦人に初めて福音を語ったときには、キリストの福音が成り立つ場として、天地の創造者にして終末の審判者・完成者である唯一の神を説いたはずです。
 このことは、パウロの宣教活動を伝えるルカの記録から知ることができます。使徒言行録の十四章(八〜二〇節)で、ルカは小アジアのリストラでのパウロの宣教活動を伝えています。それによると、パウロが生まれつき足が悪くて歩けない人を癒したとき、群衆がパウロとバルナバに犠牲を捧げて拝もうとしたので、パウロが必死にそれを止めさせて、こう言ったとされています。

 「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です」。
(使徒一四・一五)

 リストラでの宣教はここで中断してしまい、キリストの十字架や復活は出てきません。パウロは異邦人に、「偶像を離れて、生ける神に立ち帰る」ことだけを説いているような印象を与えます。
 さらに、使徒言行録十七章(一六〜二四節)でルカは、ギリシア思想の中心地アテネでのパウロの福音宣教を伝えています。その記事によると、パウロはここでも天地の創造者なる神から説き起こして、手で造った神殿で人間の手で仕えられる偶像の神々の不条理を説き、神による終末の裁きに説き及びます。そして、死者の中から復活させた方によって裁きを行われるという形で、キリストを語ります。ここでも、創造者にして終末の審判者なる唯一の神がまず告げ知らされて、その神の救いの働きとしてキリストの出来事が語られています。
 最近、学界では使徒言行録の歴史書としての価値に疑念を提出する傾向があります。たしかにその記事にはルカの著作の動機からくる偏りは見られますが、出来事とかその内容は、確かな伝承や資料に基づいていると見ることができます。ルカが異邦人に対するパウロの福音宣教の典型として挙げているこの二つの記事も、語句の細かい点や構成の仕方は別として、パウロの宣教内容の記録として信頼することができます。
 そのことはパウロ自身の書簡によっても裏書きされています。テサロニケ書簡で、パウロはテサロニケの信徒たちが福音を受け入れたことで生じた変化を、二つの点にまとめていましたが、この二つの事実は、パウロのテサロニケでの福音宣教がまずこの二点を強調していたことを裏書きしていることになります。この二点は、どこでも福音が異邦人に告げ知らされるときには、まず強調されなければならない点であり、福音が異邦人にもたらす最も顕著な変化なのです。
 パウロはテサロニケでもキリストの十字架と復活を告げ知らせたことは十分推測できます(300頁の「テサロニケにおける十字架の言葉」の項を参照)。そのことは、テサロニケの人々が聖霊を受けたという事実と、彼らの希望が死者の復活に集中しているという事実によって確認することができます。しかし、十字架と復活の福音によって始まった聖霊の内なる働きは、周囲の人々の目には見えないので評判になることが少なく、偶像礼拝から離れることと復活者の来臨を待ち望むという、異邦人社会で際だって目立つ変化だけが評判になったと考えられます。

福音成立の場としての救済史

 パウロがテサロニケで福音を宣べ伝えたとき、偶像を捨てて唯一の神に立ち帰るように説いたわけですが、その神は初めに天地を創造した方であると同時に、終わりの日に世界を裁く方であり、背き続ける世界を怒りをもって滅ぼすことができる神です。その終末の裁きを前にして、神が遣わされた救済者イエス・キリストを信じて救われるように説いたのです(一・一〇)。その際、終わりの日の出来事について、黙示思想の用語が用いられましたが(四・一五〜一七)、先に見たように、黙示思想はキリストの福音を入れて運ぶ容器に過ぎず、福音そのものではありません。わたしたちは、中身である福音と容器である黙示思想を区別して、中身をしっかり受け取らなければなりません。
 そのさい注意すべきことは、黙示思想を克服しようとして、黙示思想を生み出した土台である旧約聖書の救済史信仰そのものを捨て去ってはならないということです。旧約聖書はもともと救済史の書です。すなわち、神がイスラエルの歴史の中で進めてこられた救済の働きの記録です。イスラエルの歴史は、厳しい審判を含めて、世界を救済完成しようとされる神が、選ばれた民イスラエルの中にモーセを初めとする(広い意味での)預言者たちを通して働かれた結果です。イスラエルの宗教はこのような救済史に基づく宗教です。
 このイスラエルの救済史信仰はバビロン捕囚を境として大きく変容します。それまでは救済はイスラエルの民という一民族の地上の歴史の枠内で見られていました。ところが、バビロン捕囚によりイスラエルに対する地上での神の祝福の信仰が破綻し、世界の歴史の渦の中で絶望的な境遇に歩まなければならなくなったとき、救済史は歴史を超えて終末的な様相を示すようになり、預言者たちが描いた将来に対する救済の希望は、神の審判による宇宙的な破局を経て神の民が救済完成されるという黙示思想的な形をとることになります。そのさい、捕囚後に進んだユダヤ教の律法主義(モーセ律法の順守だけが神との関わりを形成するという立場)のために、世界は律法を順守する義人たちの群れとその義人たちを抑圧する罪人たちに二分され、ユダヤ教黙示思想は不義の支配者たちに対する義人たちの戦いという戦闘的な一面を持つようになります。黙示思想の原理主義的で戦闘的な一面は、熱心党(ゼーロータイ)の運動やクムランのエッセネ派共同体の死海文書に見ることができます。
 たしかに黙示思想はイスラエルの救済史信仰の末裔です。しかし、それはある時期の特異な状況から生み出された救済史信仰の特異な形態です。イエスご自身も使徒たちも、そのような黙示思想が深く浸透していたユダヤ教の世界に呼吸していた人たちですから、その発言に黙示思想の用語が用いられ、その思想の枠組みが黙示思想的になるのは不可避のことです。しかし、ここに見たように、黙示思想はイスラエルの本来の救済史信仰の特異な形なのですから、その特異性を絶対化することは誤りです。福音の表現における黙示思想的な面は相対化して(時代の歴史的産物と位置づけて)、そのような特異な容器に盛られた福音の絶対的な中身(パウロはそれを聖霊による罪と死の支配からの解放としています)を受け取らなければなりません。新約聖書の理解には脱黙示思想化の視点が必要なわけです。

新約聖書においてこの「脱黙示思想化」を徹底しているのはヨハネ福音書であると言えます。ヨハネ福音書には黙示思想的な用語で語られる「キリストの来臨」の教説はなく、救済はあくまで現在御霊によって生きているいのち(永遠のいのち)の現実に集中しています。しかし、このヨハネ福音書の「脱黙示思想化」も突然起こったのではなく、なお黙示思想の用語と枠組みを用いながらも、聖霊の現実を救済の核心に据えて福音を語ったパウロの路線を、一世代後のヨハネ福音書が徹底させたものと見ることができます。そして、「脱黙示思想化」を徹底したヨハネ福音書も、けっして救済史そのものは否定していないことに留意すべきです。イエス・キリストの出来事はあくまでも旧約聖書の成就として語られていますし、救済史の最終局面としての「死者の復活」も取り入れられています(六章)。
 なお、現代においてブルトマンが新約聖書の「非神話化」を唱えました。「新約聖書の世界像は神話的である」から、その神話的な表象を用いて語られている中に決断への呼びかけを聴き取る「実存論的解釈」によって、新約聖書を「非神話化」しなければならないという主張です。その新約聖書の神話的世界像の一つが黙示思想の神話です(他の一つはグノーシスの救済神話)。したがってブルトマンの「非神話化」には「脱黙示思想化」の側面が強くあります。そして、新約聖書自身の中でこの非神話化を成し遂げている文書として、ブルトマンはヨハネ福音書を高く評価します。ただ、ブルトマンの場合、この非神話化の原理が現代の実存主義哲学であることが問題です。パウロからヨハネ福音書へ向かう中で、聖霊の現実に生きることによって時代の黙示思想的枠組みを乗り越えるダイナミズムを理解し、現代においてもその聖霊の働きを脱黙示思想化の原理とする必要があると考えます。

 脱黙示思想化は救済史の否定になってはなりません。黙示思想という変形した枝を切ろうとして救済史という幹まで切り倒してはなりません(後の時代のグノーシス主義はこれをやりました)。キリストの出来事は、イスラエルの歴史の中で進められてきた神の救済史を完成する出来事として起こったのです。福音はあくまでキリストの出来事を救済史の中の出来事として宣べ伝えています。福音の告知の中で、いつもキリストの出来事が「聖書に書かれている通りに」起こった(コリントI一五・三〜四)とか、福音は「神が既に聖書の中で預言者を通して約束されていたもの」(ローマ一・二)であるとか、神の義が「律法と預言者によって立証されて」現された(ローマ三・二一)と言われているのは、キリストの出来事がイスラエルの救済史の中の出来事として、旧約聖書の救済史を成就する終末的な出来事として起こったことを指しています。キリストの福音は旧約聖書の救済史という幹につながっていてはじめて、その本来の実を結び、世界の救済という意義を持ち得ます。
 先に見ましたように、イスラエルの宗教は、はじめは他の多くの神々の中で、自分たちをエジプトの奴隷の家から救い出して約束の地カナンを与えてくださった民族の救済神ヤハウェだけを拝む、いわゆる拝一神教として出発しましたが、その後のバビロン捕囚にいたる歴史の中で、他の神々は神ではなく、ヤハウェだけが世界を創造し、世界の歴史を支配し、終わりの日に世界を裁き完成される唯一の神であるという信仰に到達しました。この信仰は捕囚期の無名の預言者「第二イザヤ」にもっとも感銘深く表現されています。
 このように、イスラエルの唯一神信仰は、存在論的な唯一神信仰ではなく救済史的な唯一神信仰です。すなわち、宇宙万物の存在の根源とか、生命や活動の最終的な唯一の源泉であるというような意味の神(そのような神はなお世界の中にいる神です)ではなく、世界を創造し、その歴史を支配し、最後に審判を通して世界を完成する神、世界を超越しつつ世界の中に働く唯一神なのです。神をこのような救済史的な唯一神とするとき、テサロニケの人たちがパウロの福音宣教によって体験した変化の二つの面、すなわち偶像を捨てて生けるまことの神に仕えるようになったことと、復活者イエスが天から下ってきて来るべき神の怒りから救い出してくださることを待望するようになったことは、実は二つの別のことではなく一つのことであることが理解できます。キリストの来臨は、救済史的唯一神の働きの最終的な局面を告知するものだからです。異教徒である彼らは、イエス・キリストを信じることによってイスラエルの救済史的唯一神へと回心したのです。

福音によるユダヤ教遺産の確立

 このように、「わたしははじめであり、終わりである。わたしの他に神はない」と言われる神、初めの創造者にして終末の審判者・完成者である唯一の神を前提にしなければ、キリストの福音は成り立ちません。その神の救いの働きとして、キリストの出来事ははじめて意味をもちうるのです。パウロは「ヘブライ人の中のヘブライ人」として、この唯一神というユダヤ教の遺産を受け継ぎ、それをキリストの福音を宣べ伝えることによって、異邦の諸国民に引き渡していったのです。
 たしかにパウロは、キリストを知ることのすばらしさのゆえに、ファリサイ派ユダヤ教徒としての誇りを「塵あくたのように捨てた」と言っています(フィリピ三・八)。しかしこれは、ユダヤ教律法を厳格に実行する「義人」としての誇りを捨てたという意味であって、ユダヤ教そのものから離れて唯一神の告白を捨てたということではありません。正確にはこう言うべきかもしれません。パウロはイスラエル預言者たちの遺産である唯一の神の信仰を受け継いで、それをキリストによって完成されたものとして異邦人に伝えたのです。キリストが現れるまでは、唯一神信仰という遺産は、ユダヤ教という強固な入れ物に保存されて伝えられてきましたが、キリストが現れた今はこの容器はもはや必要ではなくなりました。キリストに結ばれて生きるならば、この唯一の神への信仰は、聖霊によって内的必然となって保存されるのです。もはや、律法の業を行うことによってこの信仰を保持しようする外面的容器(ユダヤ教)は必要でなくなったのです。
 キリストの福音はイスラエル預言者たちの遺産を成就完成するものとして宣べ伝えられています(ローマ一・二)。ユダヤ教も預言者たちの遺産を継承するものです。ところが、その遺産の継承の仕方が違うのです。ユダヤ教ではあくまで律法を行うことによって約束の受領者であろうとするのです。それに対して、福音は律法の行為とは関係なく、キリストに結ばれること(福音はこれを信仰と呼んでいます)によって救われる、すなわち約束の受領者となることを宣べ伝えます。律法順守を生命線とするユダヤ教からすれば、このような律法無視は許されることではありません。イエスもパウロもユダヤ教側からは命を狙われることになるのです。ユダヤ教は律法主義に立つ限り、約束の成就者であるキリストが現れたとき、遺産の正統な相続人を迫害する立場に陥ってしまうのです。
 福音がユダヤ人の枠を超えて異邦人に宣べ伝えられ、キリストが諸国民の救い主として告げ知らされるようになったとき、このユダヤ教律法の問題が最大の論争点となりました(この論争についてはガラテヤ書を扱ったときに詳しく触れました)。イエス・キリストを信じないユダヤ人はもちろん、信じたユダヤ人の中にも、律法とは無関係に神の約束にあずかることを主張するパウロは、ユダヤ教が命がけで継承保持してきた唯一の神への告白を破壊する者、神に背く者だと考える人々が多くいました。しかし、パウロは芯からのユダヤ人として、ユダヤ教が保持してきた唯一の神への忠誠を一瞬も放棄したことはありませんでした。パウロは福音を異邦人に宣べ伝え、「ただ信仰によって」を説くことによって、ユダヤ教の最大遺産である唯一の神への信仰を世界に広めたのです。パウロは福音によってユダヤ教の遺産を確立したのです。この意味で、「わたしたちは信仰(福音)によって、律法(ユダヤ教)を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法(ユダヤ教)を確立するのです」(ローマ三・三一)と言うことができるのです。

むすび ―― 福音におけるユダヤ教の継承と克服

 本書の前半(第一章〜第五章)では、ガラテヤ書によって、パウロがキリストの福音によってユダヤ教と対決し、ユダヤ教の律法主義を克服するための戦いを見ました。そして後半(第六章〜第八章)において、テサロニケ書によって、パウロがユダヤ教の遺産を継承し、キリストの福音を宣べ伝えることによってそれを異邦人世界に引き渡していった事実を見ました。パウロとユダヤ教の関係を考えるとき、この両面を見過ごすことはできません。
 パウロが、ユダヤ教の遺産である救済史的唯一神信仰を異邦諸民族に引き渡すことができたのは、キリスト信仰によってユダヤ教の律法主義を克服していたからです。もしパウロがユダヤ教の律法主義を克服せず、「割礼を宣べ伝え」ていたならば(ユダヤ教への改宗運動に終始していたならば)、ユダヤ人から迫害されることはなかったでしょうが、キリストの出来事を頂点とする救済史的唯一神信仰を広く世界の異邦諸民族に引き継がせることはできなかったでしょう。もしパウロがキリストを信じた異邦人に割礼を受けること(すなわちユダヤ教への改宗)を要求していたら、パウロの福音はユダヤ教徒の中の新しい一派の誕生になったかもしれませんが、ユダヤ教の外に広くキリストの民を生み出すことはできなかったでしょう。ユダヤ教から異端者として石を投げられて追い出されたパウロが、ユダヤ教のもっとも貴重な遺産である救済史的唯一神信仰を世界に広めたのです。
 現在、世界の多くの民族がイエス・キリストを受け入れ、キリスト教の民となっています。そうなったことについての最大の功労者はパウロです。パウロ以外にもキリストの福音を諸民族に宣べ伝えた使徒たちは多くいました。しかし、このようにユダヤ教の律法主義を克服することによって、異邦人がユダヤ教の救済史的唯一神信仰を自分のものにする原理を確立したのはパウロです。その意味で、パウロこそ「異邦人への使徒」(英語では定冠詞つきの大文字で書かれる使徒)です。