市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第28講

第二節 終末を目指して

待望の宗教

 テサロニケの信徒たちに起こった際だった変化の中のもう一つは、復活されたイエスが神の御子として天から来られて、神の最終的な審判の時に救い出してくださることを待ち望んで生きるようになったことです。このように、終末の完成を待ち望み、その希望に集中して生きる生き方は、他の宗教には見られないユダヤ教独特の体質を形成しています。他の宗教では、時は循環しています。昼と夜は限りなく交代し、四季は巡って限りなく繰り返します。その中で、生きとし生けるものは、死と生を繰り返します。そのような宇宙の現実に生きる人間から生まれた宗教は、生命を生みだし支配する力を神として拝みましたが、その神々は宇宙に内在する神であり、円環を描いて繰り返す時間の中で支配する神にならざるをえませんでした。
 それに対してユダヤ教では、時間は直線的に終末に向かって進んでいきます。宇宙には初めと終わりがあります。天地万物は神によって創造されて始まり、終わりに神の審判によって滅ぶべきものは滅び、神によって完成されます。神は宇宙を超えた存在で、天地を創造し、歴史を支配し、世界を完成する方です。
 このような終末を目指して進む時間の中で、自分と世界の救済を待ち望む生き方は、やはり預言者たちの活動から生まれました。バビロン捕囚の前後に輩出したイスラエルの預言者たちは、契約に背くイスラエルの背信のゆえに、神の裁きによるイスラエルの滅びという厳しい将来を語らざるをえませんでしたが、一方、神の信実と慈愛のゆえに、イスラエルには栄光の未来があることも約束として語りました。
 このようなイスラエルの希望を語った預言者の頂点は、やはり捕囚期に現れたあの無名の預言者「第二イザヤ」でしょう。彼は捕らわれたイスラエルに解放の時を告げ知らせただけでなく、終わりの日における宇宙の完成まで見ていました。天地を創造された神は、天地万物を完成させる神でもあります。神はこの預言者を通してこう宣言されます。「わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない」(イザヤ四四・六)。ここに、唯一の神は天地の創造者であり完成者としてご自身を告知されるのです。
 こうして、背信の罪のゆえに滅びるという現実の中で、神の慈愛と信実によって希望をもって生きることを学んだイスラエルは、捕囚後の歴史において独特の宗教を展開していきます。それがユダヤ教です。それはイスラエル預言者たちの信仰を継承するものですが、その後の歴史的状況によって独特の展開をします。その特色は二つの面に絞ることができるでしょう。それは律法主義と黙示思想です。律法主義については、ガラテヤ書を扱ったときに詳しく触れましたので、ここでは黙示思想の方を取り上げて、パウロが宣べ伝えた「キリストの福音」との関連を見ておきましょう。

約束と成就の構造

 イスラエルの信仰は本来預言者的な性格のものでした。「預言者的」というのは、神からの語りかけの言葉に対して人間が応答するという性格の宗教であるということです。神から語りかけられ、その結果その存在を通して神の言葉を伝える人物、それが「預言者」です。アブラハムやモーセ以来、イスラエルの歴史を形成した人物はみな、広い意味で「預言者」です。そして、人間に語りかけられる神の言葉の基本的な性格は「約束」です。神は語りかける言葉によって、これから為そうされているご自身の行為を予告されるのです。その上で、約束を受ける人間の側に、当然信じることを含めて、約束を受けるにふさわしい在り方を求められるのです。それが戒めです。ですから、約束がなければ戒めもありません。約束が神の言葉の基本です。この約束と戒めの言葉によって成り立つ神と人間の関係が「契約」です。
 イスラエルの歴史は約束と成就の歴史です。イスラエルにとっては、出エジプトも、カナン定住も、王国もすべて神の約束の成就です。王国時代までは、この約束と成就の出来事は地上の歴史の枠内で見られていました。ところが、イスラエルの背信によって契約関係が破れ、神の裁きが避けられなくなったバビロン捕囚前後には、約束と成就の構造は地上の歴史を超えたものにならざるをえませんでした。この時期の預言者たちは「終わりの日」の救済を語るようになります。神の約束は終末的な色彩を強くしていきます。
 捕囚後のイスラエルは、以前の背信を悔い改め、戒めをできるだけ忠実に守ろうとします。しかし、この「律法への熱心」は異教の権力の支配下で抑圧され、「敬虔な者たち」は地上の現実に絶望して、この世を超えた「来るべき世」に希望を託すようになります。神は終わりの日に、神の民を苦しめる地上の権力を滅ぼし、神の民が栄光と支配権を受ける新しい世を到来させてくださるという、終末的な傾向が強くなります。そのような終末的な希望を決定的に表現したのが「ダニエル書」です。

黙示思想の成立

 紀元前二世紀の半ば、イスラエルを支配していたギリシア人のセレウコス王朝がエルサレムにギリシア風の宗教と習慣を強制したとき、「敬虔な者たち」は命がけの抵抗運動を展開して、律法に従う生活を貫こうとしました。その運動は一方ではマカベヤ家の武力抵抗となりますが、その「敬虔な者たち」《ハシディーム》の抵抗運動中から「ダニエル書」という、きわめて特異な信仰の書を生み出すことになります。この書は、異教の権力者の迫害の下に苦しんでいる敬虔な者たちを励ますために、やがてすぐに神が絶大な力をもって介入し、不義なる権力を滅ぼし、律法を守る敬虔な民に支配権を与えてくださることを、象徴的な表現を用いて描いています。
 ダニエル書から新約聖書時代にいたるまで、同じように終末的な希望を語る文書が多く生み出されています。これらの文書では、神に属する敬虔な民とこの世を支配する不義なる民の対立、神に敵対する力が支配するこの世(アイオーン)と、神の民が栄光と支配を受ける来るべき世(アイオーン)との厳しい対立が前提され(二元論)、現在苦しみを受けている神の民は、終わりの時に介入される神の働きによって、または神が遣わされる神的人物(その人物はメシアとか人の子とか様々な名で呼ばれます)によって、破局的な混乱と苦難を経て、救われて栄光の地位に引き上げられることが、象徴的な表現で語られています。細かい点では相違がありますが、基本的にはこのような図式で終末の救済を語る文書を「黙示文書」と呼び、そこで語られている信仰ないし思想を「黙示思想」と言います。

ユダヤ教黙示文書には、ダニエル書の他に次のような諸書があります。すでにダニエル書以前に、旧約聖書の中の一部に黙示思想的な文書が組み込まれています。たとえば、イザヤ書二四〜二七章、三四〜三五章、ゼカリヤ書一二〜一四章、ヨエル書などです。ダニエル書以後新約聖書の前後に至るまで、ユダヤ教内に多くの黙示文書が生み出されています。新共同訳の旧約続編に収められているラテン語エズラ記はその代表的な作品です。その他、エチオピア語エノク書、シリア語バルク黙示録など、多くの黙示文書が現在では邦訳されて、『聖書外典偽典』全九巻(教文館)に収められ、日本語で読むことができるようになっています。

 黙示思想はイスラエルの預言者たちの終末的希望を土台として継承していますが、律法に対する熱意が厳しく抑圧されるという状況と、ヘレニズム思想との出会いから発達した知恵思想とによって、特異な形態に発展したものと見ることができます。 イエスと新約聖書の時代のユダヤ教では、このような黙示思想が強くなっていました。当時のユダヤ教には、サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派などのグループや、ゼーロータイ(熱心党)のような運動などさまざま立場がありましたが、黙示思想に反対したサドカイ派から熱烈な黙示思想グループであるエッセネ派まで、幅はありますが、どのグループも大なり小なり黙示思想との関わりと影響を示しています。ファリサイ派も黙示文書を生み出しています(ソロモンの詩篇、第四エズラ書、シリア語バルク黙示録などはファリサイ派の作だと見られています)。少なくとも、黙示思想の根底にある終末的な希望は、当時のユダヤ教の共通の財産であったと言うことができます。イエスの働きと使徒たちの宣教も、この黙示思想ないし終末信仰を背景として見なければ、正確に理解することはできません。

黙示思想がヘレニズム期のユダヤ教知恵思想の一つの形態であるという主張については、フォン・ラート『旧約聖書神学U』第U部第九章一節の「黙示文学と知恵」(邦訳410頁)を参照してください。しかし、黙示思想は強烈な終末待望を中心にしており、(知恵思想を土壌としていることは事実でしょうが)本来非終末論的な知恵の一形態だけとして見ることは無理があるように思います。
 イエスと黙示思想の関係については、A・シュヴァイツァーの「徹底的終末論」など、多くの議論がありますが、最近のもので興味深い示唆の著作が出ましたので紹介しておきます。D・フルッサー『ユダヤ人イエス』(池田・毛利訳・教文館)です。フルッサーは、イエスを一世紀という時代の一人のユダヤ人として見る視点でイエスの宣教を描いています。その最終章「洗礼者ヨハネとイエスによる救済史の諸段階」で、イエスは二つのアイオーンという当時の黙示思想的終末の図式を前提として、終末審判を通して到来する「来るべきアイオーン」の直前に、自分の宣教において天の支配が実現しているもう一つの時代(メシアの時代)を入れることで、三つの時代の図式に変更したとしています。
 ファリサイ派は後のラビ・ユダヤ教の担い手として反黙示思想的と見られがちですが、70年のエルサレム神殿崩壊前の時期においては、《ハシディーム》の後裔としてファリサイ派も黙示思想的傾向が強かったようです(ヘンゲル)。黙示思想的傾向が見られる「ソロモンの詩篇」もファリサイ派から出ていると見られます。パウロも、エッセネ派からの影響も加わっているでしょうが(53頁参照)、熱心なファリサイ派学者としてもともとから黙示思想的傾向は強くあったと見られます。70年のエルサレム神殿崩壊後は、ファリサイ派だけが生き残りその後のユダヤ教を担うことになりますが、ユダヤ戦争が黙示思想的熱心から出ていることを反省し、黙示思想を厳しく排除するようになります。その結果、ユダヤ教黙示文書はキリスト教会側だけに保存され伝えられることになります。その後のファリサイ派によって形成されたラビ・ユダヤ教は非黙示思想的な、厳格な律法主義の宗教になっていきます。そして、このファリサイ派の姿が70年以前も含むファリサイ派全体のイメージになっているようです。

 パウロが宣べ伝えた福音は、決定的な点でユダヤ教黙示思想と違ってきていますが、用語や思想構造において黙示思想的な色彩を強く残しています。黙示思想は、パウロがユダヤ教から受け取っている重要な遺産の一つです。パウロだけでなく新約聖書の著者たちはほとんどがユダヤ教徒キリスト者ですから、新約聖書全体がユダヤ教黙示思想の影響を色濃く示しています。彼らが黙示思想の枠組みで思考していることから、黙示思想こそ新約聖書における神学の母であるとする見方(ケーゼマン)も出てきます。しかし、黙示思想は一つの時代の産物、特異な状況の産物であり、その思想を絶対化することは危険です。パウロが生きたキリストの福音は、黙示思想を乗り越えています。黙示思想の枠組みの中で語られている新約聖書の諸文書から、キリストの福音の核心を受け止める作業が重要です。パウロ書簡の研究はその視点からもなされる必要があります。

現代の神学においても黙示思想は多く議論されていますが、その議論の要約として、K・コッホ『黙示文学の探求』(北博訳・日本基督教団出版局)を一例としてあげておきます。