市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第27講

第八章 福音におけるユダヤ教遺産の継承

        ― テサロニケの信徒への手紙 T(3) ―


        (本章で書名のない引用箇所はすべてテサロニケ書Tの章節を指しています)




第一節 唯一の神

偶像礼拝との戦い

 第六章の「諸国民への福音」の中の「福音の二つの焦点」という項目で、パウロが宣べ伝えた福音を聴いて信仰に入ったテサロニケの信徒たちの新しい生き方について、二つの点が地域の人々の注目を集めるようになったことに触れました。一つは、彼らがそれまで当然のように拝んでいた「偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕える(礼拝する)ようになった」ことです。もう一つは、復活したイエスこそ神の御子であって、その御子が天から来て、来るべき神の審判から救い出してくださるのを待ち望んで日々を生きるようになったことです(一章九〜一〇節)。この二点は、異邦人が福音によって導き入れられた新しい信仰の最も際だった特色です。本章では、この二点がパウロが異邦人に宣べ伝えた福音においてどのような意義を担っているのかを、ユダヤ教との関連で取り上げます。まず、「偶像から離れて、生けるまことの神に立ち帰った」ということが、何を意味するのかを見ましょう。
 福音は十字架につけられて死に、三日目に復活した主イエス・キリストを告げ知らせ、その方を信じることが救いであると宣べ伝えます。この告知には一見「神」は出てきませんが、実はこの出来事の主語は「神」なのです。神がイエスを三日目に死者の中から復活させたのであり、神がイエスの十字架の死を罪の贖いとして立てられたのです。「救い」も神が最終的に裁かれる審判からの救いです。キリストの出来事は神の救いの働きとして宣べ伝えられているのです。ですから、パウロもこのテサロニケの信徒への手紙の中で繰り返し「神の福音」と言っています(二章二、八、九節)。そして、この神はユダヤ人の神、すなわち、イスラエルの歴史の中に働き、その中にご自身を啓示してこられた神に他ならないのです。
 ユダヤ人の歴史は唯一の神への信仰を確立するための歴史である、と言っても言い過ぎではないでしょう。モーセに率いられてエジプトを脱出した十二部族は、モーセに現れた神ヤハウェとシナイで契約を結び、「イスラエル」と呼ばれる宗教的な共同体を形成します。「わたしは主(ヤハウェ)、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と名乗られた神は、十の言葉(戒め)によってイスラエルと契約を結ばれるのですが(出エジプト記二十章一節以下)、その第一にして最も根本的な戒めは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。そして、第二の「あなたはいかなる像も造ってはならない」という戒めも、第一の戒めを具体化する内容のもので、第一の戒めと一体です。それは、当時の周辺の諸民族で多くの神々が拝まれていましたが、そういう神々はいつも偶像を拝むという形で拝まれていたからです。偶像を拝むことは、ただちにヤハウェ以外の神を拝むことになり、イスラエルにとって最も根本的な第一の戒めを犯す行為になり、ヤハウェとの契約を破ることになるのです。たとえヤハウェを拝むためのものでも、偶像を作ってそれを拝む行為は、他の神を拝む行為として、ヤハウェが憎まれることだというのです。
 ところが、約束の地カナンに入ってからのイスラエルの歴史は、周辺諸民族の偶像礼拝から来る誘惑との戦いの歴史でした。イスラエルの民が定住するようになったカナンの地には、先住諸民族が拝んでいた神々の偶像礼拝が染み着いていました。彼らの間に混じって住むようになったイスラエルの民は、砂漠で契約を結んだ目に見えない厳しい倫理的な神よりも、沃野の豊饒を保証してくれる優しい女神たちを拝む誘惑に打ち勝つことはできませんでした。彼らは「高き所」を築いて、女神のアシェラやイシュタル、土地の神バールなどの像を拝んだのでした。このような偶像を用いた神々の礼拝に陥って、ヤハウェとの契約を破る傾向は、士師の時代からバビロン捕囚までずっと続きました。王国時代には王の家自身が外国の偶像礼拝を持ち込む始末でした。それに対して、偶像礼拝をヤハウェに対する背信として糾弾し、砂漠での契約に忠実な在り方に帰るように叫んだのが、エリヤをはじめとする預言者たちでした。この偶像礼拝に対する糾弾は、捕囚期の預言者エレミヤに至るまで続いています。

唯一の主

 このような預言者たちの精神を受け継いで、王国時代の末期に「申命記法典」が形成されます。この法典の根本精神が、きわめて簡潔に申命記六章の四節と五節にまとめられています。

 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。

 この文は、最初の「聞け(シェマー)」という語から、「シェマ」と呼ばれ、最も基本的な信仰告白として、イスラエルの民が毎日唱える言葉になっています。イエスも最も重要な戒めとして、この「シェマ」を引用しておられます(マルコ一二・二九〜三〇)。「シェマ」の中心はヘブル語原文の最初の六語、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である」の部分です。ところが、この六語の後半四語の読み方には数種類があります。たとえば、NRSV(新改訂標準訳)は本文に、「ヤハウェはわたしたちの神、ただヤハウェだけが」という読み方を採用し、欄外に三つの他の読み方を挙げています。その欄外の第二の読み方は、「わたしたちの神ヤハウェ、ヤハウェは唯一である」となっています。第三の読み方もほぼ同じで、「ヤハウェはわたしたちの神、ヤハウェは唯一である」となっています(NRSVで用いられている「主」という表現は、意味を明確にするためにヘブル語原典の「ヤハウェ」に戻して紹介しています)。この第三の読み方は現代の「ユダヤ教エンサイクロペディア」に採用されており、ユダヤ教の公式の読み方と見ることができます。
 この二つの読み方、「ヤハウェはわたしたちの神、ただヤハウェだけが」という本文の読み方と、「ヤハウェはわたしたちの神、ヤハウェは唯一である」という欄外の読み方を比べてみますと、基本的な内容は同じですが、強調点の置き方に微妙な違いがあることが分かります。本文の読み方は、「世界には多くの神々があるが、わたしたちはヤハウェだけを神として拝む」という、いわゆる「拝一神教」であるという解釈を許します。それに対して欄外の読み方は、「わたしたちの神ヤハウェは唯一の神であって、他の神はない」という、唯一神教の主張が前面に出てきます。文章の読み方はともかくとして、イスラエルの歴史は「拝一神教」から「唯一神教」へと進んでいく歴史であったと言えます。
 イスラエルもカナン定住の初期においては、周辺の諸民族の神々の中で、ヤハウェだけを神として拝むように求められたのですが、偶像との戦いの中で、預言者たちは偶像が「偽り」であって、本当の神でないことを暴露していきます。その預言者の宣言は、捕囚期末に現れた「第二イザヤ」と呼ばれる預言者において頂点に達します。彼は人間の手が作った偶像がいかに無力であり空虚であるかを激しい言葉で語り(イザヤ四四・九以下など)、「わたしをおいて神はない」と宣言します(イザヤ四四・六など)。イスラエルに語りかけるヤハウェだけが神であって、世界には他の神は存在しないという主張が明確に語られるようになります。この時期にイスラエルにおいて唯一神信仰が確立したと見てよいでしょう。

天地の創造者

 「第二イザヤ」の預言でもう一つ注目すべき点は、イスラエルの神ヤハウェが唯一の神であるとされるようになったことと対応して、ヤハウェが「地の果ての創造者」、「天と地の創造者」(イザヤ四〇・一二以下)として語られるようになったことです。イスラエルにも素朴な創造神話はありましたが、捕囚によって宇宙的なバビロン神話に遭遇し、自分たちの救済の物語の視野を宇宙的な規模に広げます。イスラエルの救済神ヤハウェはもはや一民族の救済者ではなく、全宇宙存在の創造者であり、諸民族の審判者であり、世界の主宰者として語られるようになります。
 こうして捕囚以後のユダヤ人は、天地の創造者にして世界の支配者である唯一の神を告白することと、モーセ律法に啓示されたその神の意志を行うことを基本信条とする「ユダヤ教」を形成していきます。そして、自分たちこそ、この唯一の神によって選ばれ、律法を与えられて神の意志の啓示にあずかり、神の民とされていること、そのしるしとして割礼を受けていることを誇りました。割礼を受けたユダヤ人以外の諸民族、すなわちユダヤ教徒以外の人間は、この唯一の神を知らない異教徒として軽蔑し、偽りでしかない偶像を拝む彼らに唯一のまことの神を教えることこそ、ユダヤ人の使命であると考えていました。たしかにその当時、ユダヤ人以外の諸民族で、このような唯一神の信仰に到達した民族はありませんでした。他の民族の中にも神話的・祭儀的宗教を理性的なものに変革しようとする動きはありましたが、民族全体がこれほど徹底した唯一神信仰に到達した例はありません。
 このような高い宗教性と使命感を持ったユダヤ人も、現実には捕囚以後は異教徒の権力に支配され、苦しい道を歩まなければなりませんでした。捕囚以後、各地に散らされたユダヤ人は、それぞれ異郷の地で「シナゴーグ」を核とするユダヤ人の共同体を形成するようになり、唯一神の礼拝を維持していきました。その周辺には、偶像礼拝や祭儀宗教に飽き足りない異教の人々が、割礼を受けてユダヤ教に改宗するまでには至らないが、「神を敬う者」として同調者の層を形成していました。しかし全体として見ると、異教の支配の下でユダヤ人は孤立し、守勢に立たざるをえませんでした。ユダヤ人が期待するように、異教徒(異邦人)がどんどんと「偶像から離れて、唯一のまことの神に立ち帰る」ということは起こりませんでした。
 ところが、パウロがキリストの福音を宣べ伝えるにおよんで、このことが起こったのです。パウロは、異邦人をユダヤ教に改宗させるために、唯一の神への立ち帰りを説いたのではありません。むしろ、割礼は受けなくてもよい、すなわちユダヤ教に改宗しなくてもよい、ただキリストを信じることによって救われるのだと、福音を宣べ伝えたのです。その場に聖霊が働き、多くの異邦人が聖霊の喜びに溢れて、救い主また「キュリオス」としてイエス・キリストを受け入れたのです。その結果、彼らはイエスを死者の中から復活させた神、すなわち聖書が語る天地の創造者なる唯一の神を拝むようになったのです。
 ユダヤ教がなそうとしてなしえなかったことを、ユダヤ教から異端者として追い出されたパウロが成し遂げたのです。ユダヤ教の外で、唯一の神への立ち帰りが実現したのです。パウロの働きは端緒にすぎません。その後の歴史が示すように、キリストの福音が世界の諸民族を天地の創造者である唯一の神へ立ち帰らせたのです。

なお、唯一の神への信仰については、拝一神教と唯一神教の区別、唯一神の無名性、神の超越性と内在の問題、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教という一神教宗教の歴史に見られる功罪、日本人の一神教宗教への関わり方など、触れたい点が多くありますが、この講解の枠を超えますので、別の機会に扱うことにして、今回はキリストの福音が唯一の神への信仰と一体であることを指摘するにとどめます。キリストの十字架によるあがないも、死者の復活の希望も、このような創造者にして終末の完成者である唯一の生ける神との関わりにおいてはじめて意味をもち、現実でありうるのです。