市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第23講

第七章 キリストの来臨

        ― テサロニケの信徒への手紙 T(2) ―


        (本章で書名のない引用箇所はすべてテサロニケ書Tの章節を指しています)

はじめに

 前章でテサロニケ書の前半(一〜三章)を取り上げ、パウロがテサロニケでの宣教活動と集会の成立を思い起こして、神に感謝を捧げているところを読みました。本章「キリストの来臨」では、手紙の後半(四〜五章)で使徒がキリストの来臨を前にして、信徒たちに勧告を与えているところをご一緒に読んでいきたいと思います。
 すでに手紙の前半において、キリストの来臨が宣教の中心にあり、パウロの心を占めていたことが示唆されていました。先に見たように、テサロニケの信徒たちは、偶像から離れて唯一の神に仕えるようになったことと並んで、復活されたイエスが御子として天から来られるのを待ち望む日々を過ごすようになったことが、彼らの新しい信仰のもっとも目立った姿でした(一・九〜一〇)。さらにパウロ自身も、自分の伝道の働きがキリストの来臨の日を目標としていることを、率直に表明してこう言っています。

 「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか」。(二・一九)

 パウロが信徒のために祈るのも、キリストの来臨のときに彼らが完全な者とされることに集中しています。

 「わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように」。(三・一三、なお五・二三参照)

 そして、手紙の後半(四〜五章)で信徒に主にある歩み方を勧めるとき、主の来臨の希望が圧倒的な位置を占めていることは、一読してすぐ分かります。この手紙を見ますと、キリスト来臨の希望は福音の本質的な部分、すなわち、それがなければ福音が福音でなくなるような質のものであることが、よく分かります。そこでこの機会に、「キリストの来臨」の希望の内容と、それがパウロによるキリストの福音において占める位置について、もう少し詳しく見ておきたいと思います。



第一節 パルーシア信仰の内容と位置

主イエスの《パルーシア》

 ここでキリストの「来臨」と呼んでいるのは、パウロが《パルーシア》という語で指している出来事のことです。《パルーシア》というギリシア語は、もともと「(ある場所に)居ること、臨席すること」ですが、そこから「到着すること、到来すること」という意味で用いられる語です。ヘレニズム世界では、世俗的にも祭儀的にも、王や救済者の到来を指す語として広く用いられていました。ヘレニズム世界に成立した初期の教団は、復活されたイエスがキュリオスとしての栄光をもって世界に臨み、その支配を確立される時を待ち望み、その出来事を主イエス《キュリオス・イエスース》の《パルーシア》と呼んだのです。
 パウロはこの手紙の中で四回この語を用いて、「主イエスの《パルーシア》にさいして」と言っています(二・一九、三・一三、四・一五、五・二三)。新共同訳はいつも「主イエスが来られるとき」と訳しています。それがどのような出来事として宣べ伝えられたのかについては、体系的な叙述はありません。新約聖書の中では最初の文書であるこの手紙と、すぐ後に書かれたパウロの他の手紙を手がかりにして、その内容を知るほかありません。「主の《パルーシア》にさいして」起こることとして、パウロはこう言っています。

 「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます」。(四・一六前半)

 パウロがこのように宣べ伝えたことは、この告知を聴いて信じたテサロニケの信徒たちが、復活されたイエスが御子として「天から来られるのを待ち望むようになった」と言われていることからも裏付けられます(一・一〇)。

主の日

 主の《パルーシア》の時、すなわち主が来られる時は、「主の日」と呼ばれています(五・一)。その日が迫っていて、突然世界に臨むことを、「盗人が夜やって来るように、主の日は来る」と、パウロはテサロニケの人々に宣べ伝えました(五・二)。また、その日が来ることは避けられない必然であることを、「ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません」と語っています(五・三)。世界は最終的な決着に向かって、自分の中にその必然を蓄積しているのです。
 では、主が来られるとき何が起こるのでしょうか。それは、神に敵対する世界にとっては「破滅」です。自分の手の業に誇り、「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです(五・三)。自らを神とする傲慢に対して、「神の怒り」が臨むのです。この「破滅」は「来るべき怒り」、すなわち、そこから逃れることのできない必然と見られています(一・一〇)。
 それに対して、主イエス・キリストを信じる民にとっては、その日は「来るべき怒りから救い出され」(一・一〇)、復活して、いつまでも主と一緒にいることができるようになる日です(四・一五〜一七)。しかし、その日にいたるまでは、主に属する民は神に敵対するこの世で苦難に遭わなければならないのです。

 「わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しましたが、あなたがたも知っているように、事実そのとおりになりました」。(三・三〜四)

 パウロが苦難を「定め」と理解し、それを「予告した」ことは、信徒が信仰の故に受ける迫害と苦難を、パウロが神の終末的な救済計画の一部と見ていたことを示唆しています。黙示思想においては、最終的な救済の前に神に属する民が苦難の中で浄化されなければならないのです。

パウロにおける福音と黙示思想

 ここに見たパウロの終わりの日についての告知は、実はユダヤ教黙示思想の枠組みの中にあります。ユダヤ教黙示思想とはどういうものかは次章で取り上げますが、パウロは黙示思想というユダヤ教の遺産を忠実に継承していると言えます。
 パウロは「ヘブライ人の中のヘブライ人」として、若い時から「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」(ガラテヤ一・一四)。パウロが若い時からエルサレムで、当時では最も高い水準の律法の教育を受けたことは確実です。パウロが人一倍熱心に学び実践しようとしたファリサイ派のパレスチナ「ユダヤ教」は、当時(七〇年の神殿崩壊以前)では、終末論的色彩が強く、黙示思想的な傾向を深めていたことが、背景として重要です。パウロは当時のユダヤ教の黙示思想をも「熱心に」学び身につけたと考えられます。
 では、パウロは一人の黙示思想家として、キリストの来臨と終末の救いを宣べ伝えたのでしょうか。一見するところ、このテサロニケ書簡はそのような印象を与えます。しかし、注意深く読むと、やはりパウロの福音は十字架・復活のキリストを宣べ伝え、このキリストに結ばれて生きることが現実の救いであることを教えていることが分かります。
 パウロがテサロニケで福音を告げ知らせたとき、イエスを神が死者の中から復活させた方として宣べ伝えたことは、一章一〇節から明らかです。また、五章一〇節で、「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」と言っているところから、パウロがキリストの十字架の死を「わたしたちのため」の死として宣べ伝えたことも明らかです。
 パウロはこの手紙のすこし後に書いたコリントの信徒への手紙で、自分が宣べ伝えた福音を要約して、こう言っています。

 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。
(コリントT一五・三〜五)

 これがパウロの福音の核心であったことは、この時期のパウロの宣教活動を通して変わらなかったはずです(この点については300頁の「テサロニケにおける十字架の言葉」の項を参照)。わずか数ヶ月の隔たりしかないのですから、コリントでもテサロニケでも同じであったはずです。ただ、この福音が異邦人に語られるためには、この福音が成立する場として、創造者にして終末の完成者である唯一の神が宣べ伝えられなければなりませんでした。キリストの十字架と復活という出来事は、この神の救済の御計画の成就として、終末的な救済の御業としてはじめて意味をもつのです。「聖書に書いてあるとおり」というのはこのことを指しています。ですから、パウロは異邦人に福音を宣べ伝えるとき、まずこの唯一の神を宣べ伝え、この神の終わりの日における救済の計画を説き明かさなければなりませんでした。それをするにさいして、パウロが若い時から熱心に学び深く身につけていたユダヤ教の遺産としての黙示思想が、用語においても構成においても出てくるのは、自然なことと言わなければなりません。しかし、この黙示思想は福音そのものではなく、パウロの福音が成立する場であり枠組みであると言えます。本著作集の「パウロによるキリストの福音」の各巻で順次見ていくことになりますが、キリストが神の終末的な救いの業を実現されたとする福音によって、パウロは実質的にはユダヤ教黙示思想を克服し、若いときから身につけていたこの衣を脱ぎ捨てていると言ってよいと思います。
 テサロニケの信徒の場合、キリストを信じることによって生じた変化の中で、偶像から離れて唯一の見えない神を拝むようになったことと、さし迫った終わりの日の救いを待ち望んで生きるようになったという二点が、異教的環境の中で目立ったわけです。この新しい信仰に生きるさいに、テサロニケでは様々な問題が起りました。様々な問題というのは、外からは新しい信仰に対する同国人からの迫害であり、内部ではさし迫った終末待望の生活から生じる混乱や困惑(その内容については後述)があります。そこでパウロは、迫害の中で苦難の終末的意義を理解し、福音を正しく受け止めるように、とくにキリストの《パルーシア》について多く書かなければならなかったのです。これが、テサロニケの信徒への手紙に一見黙示思想的な色彩が強く出てくる理由です。