市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第2講

第一節 使徒パウロ

使徒への召命

 最初に、これから聴こうとしている言葉が、どういう人物の言葉であり、どういう性質の言葉であるのかをはっきりとさせておきましょう。
 ここで扱う書簡の著者であるパウロは、これらの書簡を「使徒」としての立場で書いていることを強調しています。彼が使徒であることが問題にならないような親しい関係の集会や個人あての手紙(テサロニケT、フィリピ、フィレモン)では、とくに「使徒」であることに触れていませんが、その他の手紙では最初の挨拶のところで、「使徒」であるパウロからこの手紙を書き送るのだということを強調しています。代表的な箇所としてローマ書の冒頭の書き出しを見ましょう。

 「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」。
(ローマ一・一)

 「使徒」と訳されているギリシア語《アポストロス》というのは、ある事柄を伝えるために遣わされた使者のことです。何を伝えるための使者であるかというと、それは「神の福音」です。神がこの世に語りかけようとしておられる使信です。パウロは自分を、この「神の福音」を宣べ伝えるために、神によって選び出され、使者となるべく召された者であると宣言しているのです。誰に遣わされた使者かについては、パウロ自身は「福音を異邦人に告げ知らせるために」選ばれた使徒であるとしています(ガラテヤ一・一六、ローマ一・五)。この点については別の機会に詳しく扱うことになります。使信の内容は本書全体で扱うことになります。ここではパウロが使徒として召されたという事実だけに集中して、その意味を見たいと思います。
 パウロはいつ、どのようにして「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」のでしょうか。このことについてパウロ自身の証言を聴いてみましょう。パウロはこう言っています。

 「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」。
(ガラテヤ一・一三〜一七)

 パウロがユダヤ教徒として律法を順守することに人一倍熱心で、その熱心さから律法を否定するような言動が見られるキリスト信徒たちを滅ぼそうとして迫害していたとき、神はパウロに御子を啓示されたのです。「御子」とは、言うまでもなく、「主イエス・キリスト」のことです(ローマ一・二〜四)。「示された」というところの原語は《アポカリュプサイ》(啓示した)となっています。「神が御子を啓示された」というのは、復活されたイエスが神の子としての栄光をもってパウロに「現れた」ことと同じ出来事を指しています。神は御子を啓示することによって、パウロを「福音を異邦人に告げ知らせる」使徒とされた、というのです。このように、パウロはこのダマスコ途上での復活者キリストの顕現の出来事を、自分が使徒として召された出来事として語っているのです。
 パウロはこのダマスコ途上での体験を、はっきりと復活されたキリストが自分に現れた出来事であり、それが自分を使徒としたのであることを次のように語っています。

 「そして最後に、(キリストは)月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって(使徒としての)今日のわたしがあるのです」。(コリントT一五・八〜一〇)

 キリストの敵、迫害者パウロはダマスコ途上で復活されたイエスに遭遇し、この復活者キリストであるイエスによってそれまでの存在を覆され、捕らえられ、使徒にされたのです。この箇所で、パウロは復活者キリストの「現れ」を受けた自分の体験を、ペトロやヤコブや十二使徒への顕現の系列の最後に置いて、自分が彼らと同じ立場の復活者キリストの証人、同じ資格の使徒であることを主張しているのです(コリントT一五・五〜八)。

人によるのではなく

 パウロはダマスコ体験を自分の救済の体験とか救済の保証として語ることはありません。彼がダマスコ体験を語ることはきわめてまれですし、語り方も控えめです。彼がこの体験を語るのは、自分が使徒であることを語るときに限られています。コリント集会のある者たちがパウロが使徒であることを問題にしたとき、パウロはこう叫んでいます。

 「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」。(コリントT九・一)

 「主イエスを見た」ことを誇るようなことは決してしないパウロが、このように叫ぶのはよくよくのことであると思います。使徒であることを問題にされては、その根拠として「主イエスを見た」ことを明言せざるをえないのです。この文にはパウロの激しい感情の高ぶりが感じられます。
 パウロは他の使徒たちとは違って、地上のイエスに直接師事したことはありません。「主イエスを見た」というのは、復活されたイエスを見たということです。ここで「《キュリオス》・イエスを見た」と言っていることが重要です。《キュリオス》は普通「主」と訳されていますが、日本語では多くの場合、イエスまたはキリストにつける敬称ぐらいの軽い意味でしか受け取られていません。《キュリオス》はきわめて重い意味の称号なのです。死者の中から復活し、高く上げられて神の右に座し、天地の万物、霊界の全存在を神の権能をもって支配する方の称号なのです(フィリピ二・九〜一一参照)。そういう《キュリオス》としてのイエスを見た、すなわち、復活して神の栄光をもって現れたイエスを見た、とパウロは言っているのです。そして、その事実を自分が使徒とされた出来事としているのです。
 パウロに反対してガラテヤの信徒たちに割礼を受けさせようとした教師たちが、パウロの権威を引き下ろすために、パウロはイエスに直接召された弟子であるエルサレムの使徒たちに従属する者であるとし、パウロが彼らと同等の使徒の資格がないことを吹聴したとき、パウロはさらに激しい言葉で自分が使徒であることをこう宣言しています。

 「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」。(ガラテヤ一・一)

 「人々から派遣された使徒でもなく」と断言し、さらに畳みかけるように、「人によって立てられた使徒でもなく」と続けています(新共同訳で、人を「通して」と訳されたところは、すぐ後でキリストと神「によって」使徒とされたと言っているのと同じ前置詞です)。エルサレム教団の使徒たちであれ、他の(たとえばダマスコやアンティオキアの教団の)指導者たちであれ、そういう人間的な組織から派遣された使者ではないし、また人間的な手続きと任命によって資格を認められた使者でもないことを初めに断言し、そのことを、自分が使徒とされた経緯を語ることによって(ガラテヤ一・一一〜二四)、またエルサレム会議で確認されたペトロたちと自分の関係を報告することによって(ガラテヤ二・一〜一〇)説明しています。
 この説明によって、パウロは自分が直接神によって立てられ派遣された使徒であることを明らかにしているのです。ここの「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」という表現からも、パウロがダマスコ途上の復活されたキリストの顕現を自分が使徒とされた出来事としていることが十分にうかがえます。パウロはダマスコ途上で復活されたイエス・キリストに遭遇したとき、「キリストを死者の中から復活させた父である神」に出会ったのです。それまでのパウロの神は律法の授与者としての神でした。律法を守る者に命を与え、破る者を裁く神でした。ダマスコ体験以後では、パウロにとって神は「キリストを死者の中から復活させた神」となります。キリストを復活させることによって救いを成し遂げられた神となります。復活者キリストと出会い、そのキリストに捕らえられて使徒とされたことは、同時にパウロの神理解の決定的な転換となりました。ダマスコ体験以後のパウロは、そのような神の救いの使信を、そのような神によって直接使徒とされた者として宣べ伝えるのです。

神の選びと恵みによって

 パウロは自分が使徒であることを語るさいに、それが神の選びと恵みによるものであることを付け加えないではおれませんでした。ローマ書冒頭の挨拶のところでも、「(神に)選び出され」た使徒だと言い(一・一)、「恵みを受けて使徒とされました」(一・五)と述べています。先に引用したように、コリント書で復活者キリストの顕現によって使徒とされたことを述べたとき、すぐに続けて「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって(使徒としての)今日のわたしがあるのです」(コリントT一五・九〜一〇)と言っています。また、ガラテヤ書で自分が使徒とされた経緯を述べるさい、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき」(ガラテヤ一・一五〜一六)と言っています。
 神に選ばれて使徒とされたということと、神の恵みによって使徒とされたことは同じことを言っているのです。両方とも、パウロ自身の側には使徒とされる理由は何もないという自覚の表現なのです。パウロは神の教会を迫害したキリストの敵であったのです。パウロは自分に神の使徒となるような資格があるとは考えられません。その自分がいま現にキリストの使徒として働いているのはどうしてなのか、説明がつかないのです。それは、神がそのように選ばれたからだとしか言いようがありません。神が資格のない者に無条件に賜る恩恵の賜物だとしか理解できません。パウロは、キリストの敵であった自分がいまキリストの使徒とされている事実に、圧倒的な神の恩恵の支配と、神の世界救済の進展のための選びを、畏怖の念をもって実感しているのです。

パウロの使徒性の意味

 パウロが使徒であるということはわれわれにとって何を意味するのかを二つの面について述べておきます。

 1 使徒というのは神の福音を伝えるための使者ですから、わたしたちにとって大切なのは使者ではなく、使者が伝える「神の福音」です。わたしたちは本書で使者パウロを研究するのではなく、パウロが伝えた「神の福音」を正確に聴き取る努力をしなければならないのです。もちろん、先に述べたように、パウロが伝えた福音を理解するためには、パウロという人物と生涯とその働きをできるだけ正確に知る必要があります。しかし、それは目的ではなく、「神の福音」を正確に聴き取るための手段です。わたしたちはパウロを教祖とする宗教を探求するのではなく、パウロを通して告げ知らされた「キリストの福音」を聴こうとしているのです。

 2 パウロは異邦人に福音を告げ知らせるために、神がとくに選んで召された使徒ですから、わたしたちユダヤ人でない世界の諸国民は、パウロが伝える福音を神が語る福音として受けとらなければならないのです。すでにパウロが伝道していた時代に、パウロが使徒であることを認めないで、パウロとは違った福音を宣べ伝える者がいました。そのような者たちについてパウロは激しく断罪してこう言っています。

 「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい」(ガラテヤ一・六〜九参照)。

これは、自分は神によって選ばれて立てられた使徒であるという自覚の一つの表れです。パウロが神によって立てられたキリストの使徒である以上、パウロが使徒として宣べ伝えた福音以外に、「他の福音」というものはありえません。
 ですから、わたしたちはパウロが語る福音をできるだけ正確に聴き取らなければなりません。そして、聴くところを全面的に「神の福音」として受けとめ、その全体に聴き従わなければなりません。それが「信仰の従順」です。パウロも自分が使徒とされたのは、異邦人をこのような「信仰の従順」に導くためだと言っています(ローマ一・五)。
 しかし、この「神の福音」に対する「信仰の従順」は、パウロの言葉を絶対的な神的権威として文字通りに従わなければならないとする、いわゆる「逐語霊感説」と混同してはなりません。「従順」とは、外からわたしたちの思想や行為を規制する(法律や道徳のような)規範としてパウロの言葉に従うことではなく、パウロの「福音」の言葉が指し示す霊の現実を規準として、わたしたちの霊的体験を理解し形成してゆくことです。パウロが旧約聖書について、「文字は殺し、霊は生かす」と言ったことは、新約聖書とされたパウロの書簡についても言えます。
 パウロがキリストにあって生きている霊の現実を語り出すとき、その表現はパウロがそこに生きていた特殊な歴史的文化的環境によって規定されています。その特殊性を絶対的な規範としてはなりません。歴史的批判によってパウロの時代の特殊性を認識して、その特殊性の容器に盛られている「神の福音」の霊的質を受け止めて行かなければなりません。そのような意味でパウロの語る「キリストの福音」を受け取ることを、本シリーズで力の及ぶ限り試みたいと願います。