市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第1講

序章 神の力としての福音

はじめに ―― 資料としてのパウロ書簡

パウロ書簡

 使徒パウロが世界に告知したキリストの福音がどのようなものであったかを知るための資料は二つあります。一つはパウロ自身が書いた文書、もう一つは「使徒言行録」を書いたルカの報告です。パウロ自身が書いた文書は、伝道活動において各集会に書き送った書簡だけですが、本人が書いた文書として、彼が宣べ伝えた福音を理解する上でもっとも確かな一次資料です。それに対して、ルカが書いた「使徒言行録」の中のパウロに関する記事は、パウロの生涯と働きについて、それがなければ知り得ない貴重な情報を含んでいますが、その中のパウロの説教などはルカの意図によって構成されたもので、あくまで一次資料であるパウロ書簡によって確認し、批判的に受け取らなければなりません。本シリーズでは、パウロ書簡を基本的な資料とし、「使徒言行録」を書簡によって批判的に用いて、パウロが告知した福音の内容を探求します。
 パウロ書簡の中では「ローマの信徒への手紙」(以下「ローマ書」と略称する)が一番長くて体系的に書かれています。それで、パウロによるキリストの福音を提示するのに、ローマ書講解という形をとる場合が多いようです。たしかに、他の書簡が大部分、宛先教会に発生した問題に対処するために書かれたという性格の書簡であるのに対して、ローマ書は自分が形成したのではないローマの集会を初めて訪問しようとするにあたって、パウロが自分の福音の全体を示そうとしているので、パウロの福音のもっとも包括的で体系的な提示になっていることは事実です。さらに、問題なくパウロ自身の作とされる書簡の中で、ローマ書が最後のものであり、パウロの福音の集大成であり、またパウロの遺書としての位置を占めているという事情もあって、パウロが宣べ伝えた福音の提示がローマ書講解という形をとるのは自然のことです。本シリーズも最後にローマ書の講解という形で「パウロによるキリストの福音」を提示することになります。
 しかし、パウロが告知した「キリストの福音」の全体像はローマ書だけでは尽くすことはできません。ローマ書はもっとも包括的で体系的であるといっても、やはり特定の状況で特別の目的のために書かれたものであることにかわりはありません。福音の重要な内容で、ローマ書では触れられていないか、ごく簡単に要約されているだけなので、詳しいことは他の書簡によらなければならないことが多々あります。それで、本シリーズで「パウロによるキリストの福音」を探求するにあたって、ローマ書を基本的な枠組みとして常に視野に納めながら、ローマ書にいたるまでの他のパウロ書簡をも扱っていきます。しかし、パウロの全書簡を一節づつ講解するということは、わたしに残された時間からして不可能なことになりますので、ほぼ歴史的な順序に従って各書簡の内容を大づかみにまとめていき、その流れの中でパウロによるキリストの福音の全体像が立体的に浮かび上がってくるようにしたいと願っています。
 このような課題を前にして、峻険を目の前にしている登山家のように、その困難さにたじろぐ思いがします。一方では、同じ御霊に導かれているところから出てくる深い共感と親しみがありますが、他方では、パウロの世界を追体験することによって理解することの厳しさにたじろぐ思いをもつことになります。パウロを理解することの困難さは、一つにはパウロの霊的体験の想像を超える深さからくるのでしょうが、もう一つにはパウロが生粋のユダヤ人であって、わたしたち日本人の宗教的文化的背景と全く異なる世界に生きていた人物であることからくるのでしょう。しかし、どのように困難であっても、わたしたちは「パウロによるキリストの福音」を追求していかなければなりません。それなくしては、新約聖書の福音は正しく理解できないからです。わたしなりに自分の信仰の量りに従い、御霊の導きを祈り求めつつ、この困難な課題に向かっていく所存です。

パウロの生涯における各書簡の位置

 「パウロによるキリストの福音」は、書簡という文書からだけではなく、パウロの人物、生涯、働き、著作の全体から理解されなければなりません。とくに、パウロの著作はすべて、パウロの宣教活動の一環として生み出されたものですから、書簡を資料として「パウロによるキリストの福音」を追求するとしても、それをパウロの人物、生涯、働きと切り離して理解することはできません。それで、まずパウロの生涯と働きを概観しなければならないのですが、それだけでも一冊の著作を必要としますので、それはすでに刊行されている他の著作に委ねておきます。パウロの生涯を概観した著作は多くありますが、手に入り易い書物の中で、最新の学問的成果に基づいて、一般の読者に読み易いように簡潔にまとめた優れた書物として、次の一書をお勧めしておきます。
  佐竹明『使徒パウロ ― 伝道にかけた生涯 ― 』(NHKブックス四〇四)
 もちろん、本書の中でも必要なかぎり、それぞれの書簡が書かれた状況について解説も加えますが、パウロの生涯の全体像については、このような書物によって見当をつけておいてくださると、さらに理解の助けになると思います。
 本題に入る前に、本書で取り扱うパウロ書簡の範囲と取扱い方について、次の二点にまとめて一般的なことを述べておきます。

 1 本シリーズではローマ書までのパウロ書簡を取り扱います。新約聖書にはパウロの名による書簡が十三ありますが、その中でローマ書以前に書かれた書簡は次の六書であると見られます。[( )内は本書で用いる略称]

   テサロニケの信徒への手紙 T  (テサロニケT)
   ガラテヤの信徒への手紙    (ガラテヤ)
   コリントの信徒への手紙 T   (コリントT)
   コリントの信徒への手紙 U   (コリントU)
   フィリピの信徒への手紙    (フィリピ)
   フィレモンへの手紙      (フィレモン)

 この六つの手紙とローマ書を合わせて七つの手紙を本シリーズで取扱い、これらの七つの書簡によって「パウロによるキリストの福音」を追求していきます。その理由を説明するために、参考資料として「使徒パウロの生涯」と題する年表を添えておきます(書簡名は太字)。

 この年表で各書簡がパウロの生涯のどの時期に成立したかがほぼ見当がつきます。もっとも、個々の書簡が書かれた年代については不確かな点が多く、すべての研究者がこのような年代に同意しているわけではありません。とくに獄中書簡であるフィリピ書とフィレモン書については、パウロの晩年に起こった三回の投獄(エフェソ、カイサリア、ローマ)の中のどれかが争われています。ここではエフェソ説に従って扱っていきます(理由についてはフィリピ書を扱うときに触れます)。もし、カイサリアまたはローマで書かれたとすると、この両書はローマ書以後の成立となりますが、この二つの書簡の真正性には問題がありませんので、上記の七書簡を資料としてパウロの福音を再構成するのに問題はありません。
 この七書以外の書簡は、パウロの名によって書かれていますが、パウロ自身が書いたものか、パウロの弟子がパウロの名を用いて書いたものか、研究者の間で議論があります。ここではこのような議論に立ち入ることは控えます。誰が書いたにせよ、上記七書以外の書簡はローマ書より後に書かれたものであることは確実です。それで、本シリーズにおいては、パウロ自身が書いたことが争われていないローマ書までの七書簡によって、パウロの福音の内容を追求します。ローマ書以後にパウロの名によって書かれたとされる書簡については、補論として別巻で扱い、パウロ以後におけるパウロの福音の展開を跡づけることにします。
 年表を見てすぐに気づくことですが、これら七つの書簡が書かれたのは、パウロの最晩年に属する五年ぐらいの短い時期に集中しています。そして、この時期はマケドニア、アカイアなどのギリシア、および小アジアへと、異邦人への使徒としてのパウロの働きがもっとも油の乗り切った時期であり、パウロの宣教活動の絶頂期であると言えます。ローマ書までの七つの書簡を扱うということは、この時期の「パウロによるキリストの福音」を提示することになります。そして、この時期のパウロの福音をもって、「これがパウロによるキリストの福音だ」と言ってもよいことは、パウロの生涯においてこの時期が占める位置からしても明らかであると思われます。

 2 このように、ローマ書までのパウロの七書簡を、ほぼ成立の年代順に取り上げて、その内容の主要部分を見ていきます。年代順に扱うということは、まずその手紙が書かれた状況に即して理解する必要があるので、パウロの宣教活動の進展の順序に従って取り上げるので、自然にそういう順になるだけです。パウロの福音の内容とか思想が年とともに発展変化していく過程を追うためではありません。ただガラテヤ書に関しては、この書簡がパウロの自伝的な要素を含んでいるので、成立年代順という原則の例外として、最初に取り上げます。
 パウロを理解するにあたって、初期の書簡と後期の書簡では主題とかその取扱い方に差があることに着目して、パウロの思想に発展があり、その各段階を区分して説明する方法をとる説もあります。しかし、ローマ書までの七書簡に関する限り、このような発展段階説をとることはできません。
 もう一度年表を見てください。先にも述べたように、七書簡はパウロの最晩年、パウロの宣教活動が絶頂期に達した五年ほどの期間に集中しています。三〇年代初期にダマスコ郊外で復活されたキリストの顕現を体験し、使徒として召され宣教活動を開始して以来、五〇年代にこの書簡群を書くようになるまで、ほぼ二十年が経っています。この二十年の間、パウロはダマスコ教団の宣教者として、またアンティオキア教団の指導的な一員として、アラビア、シリア・キリキアで福音を宣べ伝える活動に従事してきました。このような活動の二十年間にパウロの福音は確立していたはずで、その後の独立伝道の五年間において、その初めと終わりでパウロが宣べ伝えた福音が変わってきていると考えることはできません。七書簡の間で取り上げられる主題やその取扱い方に違いがあるのは、あくまで宛先教会の問題の違いやその他の状況の違いからくるものであって、パウロの福音の内容が変わってきているものではないと理解すべきです。
 それで、本書では、「パウロによるキリストの福音」を追求するにあたって、七書簡を一体のものとして扱います。各書簡をほぼ年代順に取り上げて講じていきますが、そのさい、主題を説明するのに他の書簡から自由に引用することになります。それは、この七書簡は一体として、どれも同じ福音を証言していることを前提にしているからです。
 前置きが長くなりました。さっそく本題に入っていきます。