市川喜一著作集 > 第8巻 教会の外のキリスト > 第28講

終章 キリストの絶対性とキリスト教の相対性

             ―― 宗教多元主義時代におけるキリストの福音 ――

はじめに

 今世紀が始まった最初の年である二〇〇一年――それは第三の千年期の最初の年でもあるのですが――の九月一一日に起こったアメリカでの同時多発テロは、今世紀の行方を暗示する象徴的な大事件でした。すでに「文明の衝突」ということが言われていただけに、この事件は世界に大きな衝撃を与えることになりました。異なる諸宗教の間に、そして異なる宗教によって形成された諸文明の間に、共通の価値観を確立することは不可能であって、最終的には衝突に至らざるをえないのでしょうか。その衝突は、暴力によるほか解決の方法はないのでしょうか。もしそうであれば、地球上に平和はなく、人類に未来はありません。
 そこで近年、諸文明間の対話の必要が叫ばれ、諸宗教の共存が求められるようになっていました。そこへこの事件が起こり、対話と共存の要請は切迫したものになりました。地球上に異なる宗教が共存し、対話を進めるためには、諸宗教が互いに他の宗教の存在を認めなければなりません。他の宗教の存在を認めることは、自分の宗教が多くの宗教の中の一つであって、絶対的なものではないことを認めること、すなわち自分の宗教の「相対化」を意味します。
 ところが、宗教には自分を絶対化する傾向があります。すなわち、自分の宗教こそ唯一絶対に正しいもの、妥当性のあるものであって、他の宗教は何らかの意味で劣るとか間違ったものであり、いずれは自分の宗教に吸収されて消滅すべきものであるとする「自己絶対化」の体質を、どの宗教もぬぐい去ることができません。とくに一神教の宗教は、自分を唯一の神の最終啓示に基づくものとするので、自己絶対化の体質が強いとされます。
 諸宗教の間に対話が成立するためには、それぞれの宗教が他の宗教の存在を認めることがまず必要です。他者の存在を認めることは、自分を多くの中の一つと認めること、すなわち自分を相対化することです。そのためには、それぞれの宗教自身の中に自己を相対化する原理がなければなりません。それがなければ、どうしても自己を絶対化することになり、他の宗教との「対話」は成り立ちません。これは、キリストにあって生きるわたしたちにとっても避けることができない問題です。今回は、キリストにある者としてこの問題をどう受け止めるべきかを、ご一緒に考えてみましょう。

T キリストの絶対性

キリスト信仰

 わたしたちは「キリストにあって」生きています。キリストはわたしたちの生の根拠であり、意義であり、目標です。キリストなしの生は考えられません。その意味で、キリストはわたしたちにとって絶対的な存在です。
 ところで、このようにわたしたちにとって絶対的な存在である「キリスト」とは、どのような意味で「存在」なのでしょうか。「存在」というと、わたしとは別に、まずキリストがどこかにおられて、そのキリストとわたしが何らかの関わりをもつように感じます。しかし、キリストはそのような意味での「存在」ではありません。わたしから離れて、どこかにおられるキリストを示せと言われても、そのようなキリストを語ることはできません。
 わたしにとって「キリスト」とは、わたしに働きかける神の霊の働きそのものです。神の霊とはどういう霊であるかということも、その働きの内容から知ることができるのであって、あらかじめ神の霊の存在や質を客観的に規定することはできません。以下、この神の霊を「御霊」と呼んで、その働きの姿を述べることにします。
 御霊が働かれるとき、その働きの主体(働きかけをする側)がキリストであり、その働きの客体(働きを受ける側)がわたしです。御霊が働かれるとき、それはキリストがわたしに対して何かをなされるという形をとります。わたしに対する御霊の働きの主体として現れる以外のところにキリストはおられません。そして、御霊の働きの中で、キリストが働きかけてくださる対象となるとき、はじめてわたしが存在します。いや、むしろわたしが成り立つ、わたしが生まれ出ると言うべきでしょう。そのような御霊の働きがないところには、わたしも生成しません。
 いや、それはおかしい、神の霊があってもなかっても、働いていてもいなくても、わたしは現にここにいるではないか、という反論が聞こえてきます。たしかに、一人の人間としてのわたしは現にここにいます。しかし、御霊が働かれるとき、別のわたしが生成し、生き始めるのです。もともといるわたしと、御霊の働きによって(あるいは何らかの宗教的体験によって)生成して生き始めるわたしとの区別は、世界の宗教や哲学で広く認められており、実に様々な名で呼ばれています。たとえば、もともとあるわたしは「自我」と呼ばれ、新しく生成したわたしは「自己」と呼ぶような場合があります。新約聖書では、「わたし」を「いのち」という語で指し、もともといるわたしを「生まれながらのいのち」と呼び、御霊によって生成して生き始めるわたしを「永遠のいのち」と呼んでいます。二つのいのちを区別することで、もともといるわたしとは別のわたしがいることを指し示し、その別のわたしがどのように生きるのかを語るのです。そして、この別のわたしの立場から、もともとのわたしと、そのわたしが所属する世界のことを語るのです。
 もともといるわたしとは別のわたしは、御霊が働かれる場で、キリストの働きの受け手としてのみ成り立ちます。御霊の働きがない場では、キリストもおられず、わたしもいません。このわたしが語るとき、わたしの存在にとってキリストは絶対だということになります。
 御霊が働かれる場とは、その働きの主体に即して表現すれば、キリストが働かれる場、キリストの場ということになります。このようにキリストが霊なる主体として働かれる場を、使徒パウロは「キリストにあって」《エン・クリストー》という句にこめて語るのです。この場におけるキリストは霊なるキリストです。このような「キリストにあって」、キリストの働きによって成り立っているキリストとの関わりを、パウロは《ピスティス・クリストゥー》(キリストの信仰)と呼び、わたしは「キリスト信仰」と呼んでいます。それは、「キリストを信じる信仰」、すなわち、まずわたしがいて、そのわたしがキリストという対象を信じる信仰ではなく、キリストが働きの主体でわたしがキリストの働きの客体という、御霊の場に成り立つ関係を指しています。

十字架の言葉

 このようにキリストを、そしてわたし自身を御霊の働きの場で理解することは、何も新しいことではありません。実にモーセの時から始まっています。神がモーセに御自身の名を啓示されたとき、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われました(新共同訳の出エジプト記三・一四)。ヘブライ語原文では、「成る」という意味の「ハーヤー」という動詞の一人称単数形が二つ続けて用いられていて、強いて日本語で表現すると、「わたしはハーヤーする者として、わたしはハーヤーする」ということになります。神は、出来事を成らせる主体として御自分を示しておられるのです。この「ハーヤー」の三人称単数の使役形(彼はハーヤーさせる)が「ヤハウェ」であり、これがイスラエルの神の名となります(出エジプト記三・一五)。旧約聖書において、もともと神は、世界の中であれ外であれ、どこかに存在している神ではありません。名詞で指し示すことができる「存在」ではありません。この名は、神は動詞(働き)で御自身を示す方であり、働きそのものであることを示しています。
 この神は昔モーセに、燃えながら燃え尽きない柴の中から語りかけるという形で働きかけられました。今は復活されたキリストにあって、キリストを通して語りかけられるのです。そして、その語りかけは、モーセの時は民をエジプトから救い出すという内容でした。今、キリストにあってわたしに語りかける言葉は、「十字架の言葉」です。十字架につけられた姿の復活者キリストが、「わたしはあなたのために死んだ。わたしはあなたを贖った。あなたはわたしのものだ」と語りかけてくださるのです。その語りかけがキリストであり、その語りかけを聞いているのがわたし、すなわち生まれながらのわたしとは別の新しいわたしです。わたしはこの「十字架の言葉」を聞いたのです。その言葉を受けたことによってわたしがあるのです。その意味で、キリストはわたしの存在にとって絶対です。すなわち、キリストがなければわたしがない、という意味で絶対です。

イエス・キリスト

 ところで、十字架の上に死なれたのは地上の人間であるイエスです。「十字架につけられた姿の復活者キリスト」という語りかけの主体は、イエスと一つであるキリスト、イエス・キリストです。地上の人間イエスと復活者キリストが一つであるという事実こそが、「キリストの福音」の核心です。もしキリストがイエスと切り離され、霊的な働きの主体としてだけで理解されるならば、ほとんどあらゆる霊的・宗教的体験はキリストの働きとして記述されることができるようになり、その記述の仕方は際限のない多様なものになりえます。実際にこのことがキリスト教の歴史において起こりました。キリスト教グノーシス主義は、地上の人間イエスの働きを軽視または無視して、自分たちの霊的体験を霊界の出来事として描き、それを精細な神話体系で表現したのです。その神話体系は際限のない多様性を示しています。その霊界での救済を語るグノーシス神話では、地上のイエスは救済に必要な霊界の「知識《グノーシス》」を与えるために天界から降下した者、自ら《グノーシス》によって救われる必要のある救済者、「救済される救済者」となります。
 使徒パウロは、「主は霊である」と言って、キリストが御霊の働きの主体であることを強調しましたが、同時にそのキリストはイエスと一体であるキリスト、すなわちイエス・キリストであることから一歩も離れませんでした。パウロは直接イエスに師事した弟子ではありませんが、イエスに仕える僕としての自覚を深く持っていました。
 ヨハネ福音書の著者ヨハネは、復活者キリストの語りかけを聴く霊的な福音書を書きましたが、それをあくまで地上のイエスの働きとして描き、神の子であるイエスの受難をリアルに伝え、このイエスが御子であることを強調しました。この福音書を生み出した共同体の中から、霊的現実を強調するあまり、「イエス・キリストが肉となって来られたことを言い表そうとしない」者たちが現れたとき、ヨハネはこれが誤りであることを厳しく批判し警告しています(ヨハネの手紙)。
 このように、わたしにとってキリストは絶対的な存在ですが、そのキリストはあくまでイエスと一つであるキリスト、すなわちイエス・キリストであることを強調しておかなければなりません。イエスは地上に現れ、歴史の中で生きられた一人の人間ですから、その働きや言葉を外から見て、ある程度の客観性をもって記述することができるはずです。そうすると、このイエスと御霊の場での働きの主体としてのキリストとの関係が問題になってきます。御霊の場でのキリストとわたしの関わりは、わたしだけの完全に主体的なものであり、他の人にも適用できる客観性はありません。それに対してイエスの存在は、わたしにも他の人にも共通する意味があるもの、客観性があるものです。この二面性が、キリスト信仰の特殊な性格を形成します。

U キリスト信仰とキリスト教

キリスト信仰の歴史性

 以上に述べた一人ひとりのキリスト信仰は、まったく単独で成り立つものではありません。山中でひとり瞑想して悟りを開くというような宗教体験であれば、一人だけの体験として成り立つかもしれません。しかし、キリスト信仰は初めから「歴史的」です。歴史というのは、他の人たちとの関わりの中で、地上の時間の流れの中で成立するものです。まったく単独の人間には歴史はありません。キリスト信仰が「歴史的」であるのは、まずキリスト信仰におけるキリストがイエス・キリストであるからです。
 イエスはイスラエルの歴史の中に現れた歴史的人物です。イスラエルの民の歴史がなければ、イエスの出現はありえません。イエスは、イスラエルの歴史の意味を成就する方、イスラエルの精華として現れた方です。そのイエスが復活してキリストとされ、神の霊はこのキリストにあって働き、その御霊の場にいる者を新しいいのちに生きる別のわたしに成らせてくださるのです。したがって、霊なるキリストの働きは、十字架の死にいたるイエスの働きと切り離すことはできません。そして、イエスはイスラエルの歴史を成就する方として地上の生涯を歩まれたのですから、「キリストにある」御霊の働きは、イスラエルの歴史の中に働いた神の霊の質を受け継いでいます。
 さらに、キリスト信仰は共同体を形成するという意味で「歴史的」です。共同体は歴史の中に生きるからです。「キリストにある」という御霊の場で新しく生まれ出た個々の「わたし」は、そのいのちの質から必然的に、他の「わたし」との交わりの中で生きます。その交わりは共同体を形成し、共同体は歴史の中を歩み始めます。この共同体がキリストの民《エクレーシア》です。このキリストの民の共同体《エクレーシア》は、日本語聖書では普通「教会」と訳されています。

客体化としてのキリスト教

 キリスト信仰が、歴史の中を歩む共同体の信仰として表現されるとき、それは「キリスト教」という形を取ります。キリスト教とは、キリスト信仰の内容を信徒の交わりの内部の者にも外の人々にも客観的に示すために、キリスト信仰が教義と儀礼の形で表現され、それを執行するための教会組織(聖職者制度)で保証されたシステムの全体です。
 最初に述べたように、キリスト信仰は御霊の働きの場で成り立つ、きわめて主体的・霊的な次元の現実です。それは一人ひとりの体験であり、他の人に委譲したり、適用したり、強制することはできません。聖書の表現を用いるならば、「風(霊)は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ福音書三・八)という世界です。
 ところが人間には、自分がそのように自由な霊の働きの対象としてだけにとどまる場にいることに耐えられない性質があるようです。自分が主体となって、自分がこうすればこのような霊の現実が生起するという確かな手段を持ちたいと願う一面があります。自分が主体となって、一切の出来事を支配したいという願いは人間の本性のようです。この本性が、御霊の自由な働きの場をも支配しようとして、キリストとの関わりを教義と儀礼の形で規定し、それを執行する聖職制度で確保しようとします。教会が定めるこの教義を受け入れ、この儀礼にあずかっておれば、それでキリストとの関わりが(したがって救いが)保証されるという客観的な制度が欲しいのです。そうして形成された歴史的形態がキリスト教です。自分が主体となって、すべてを自分の働きの客体としようとすることを「客体化」と呼ぶならば、キリスト教はキリスト信仰が客体化された形態であると言うことができます。
 したがって、キリスト信仰という本来霊的・主体的次元の現実を「キリスト教」という客観的なシステムに変容させる原動力は、キリスト信仰が本来もっている共同体形成力と、霊的・主体的現実を自分が支配できる客体にしようとする人間本性という二面があると考えられます。キリスト信仰が歴史の中で生きるためには共同体の信仰として表現されなければなりません。その意味ではキリスト教という形態は必然的です。しかし、同時にキリスト教にはキリスト信仰の客体化という側面があり、この客体化がしばしば本来霊的な現実であるキリスト信仰を覆い隠し、窒息させ、押し殺してしまいます。肉(人間本性)から生まれたものが、霊から生まれたものを迫害する傾向は昔から変わりません(ガラテヤ四・二九)。

ユダヤ教の場合

 人間は本来霊的次元の存在であり、霊的体験を基にしてその生を形成してきました。人間の霊的体験とそこから出る営みをすべて「宗教」と呼ぶならば、人間の営みはすべて宗教的な営みであると言うことができます。しかし、実際に歴史の中に具体的に現れてくる「宗教」は、人間の霊的・主体的体験が、一つの歴史的共同体の営みとなり、何らかの意味と程度において客体化された現象です。すべての「宗教」がそうですが、ここでは典型的な場合としてユダヤ教を取り上げてみましょう。
 アブラハムが自分に現れて語りかけた神の言葉に従って生きたことから始まるイスラエルの歴史は、つねに語りかける神の働きによって形成されてきた歴史でした。その神の語りかけを担った人たちが、モーセを初めとする預言者たちでした。神は預言者たちを通して語りかけ、その言葉に従う民の中に働いて御計画を実現するという形で、救済のためのイスラエルの歴史を形成してこられました。ところが、イスラエルの民は預言者たちを通して語られる神の言葉に従うことに失敗したので、バビロン捕囚という神の審判を受けることになりました。
 赦されて捕囚から帰還したイスラエルの民は、再び失敗することのないように、神の言葉を厳格に守ろうとしました。ただそのさい、その時その時に語りかける神の働きかけに従うのではなく、過去に語られ伝承として受けている言葉を自分で実行することによって、神との関わりを維持しようと懸命の努力をしました。昔預言者を通して語りかけられた神の言葉は、すでに捕囚前のイスラエルの歴史の中で共同体の法律となり祭儀となっていましたが、捕囚後にはそれを神の「律法」として、それを自分の側から厳密に順守することで、神の民としての祝福を確保しようとしたのです。このモーセを通して授けられたとされる「律法(トーラー)」を順守することが、ユダヤ教という「宗教」を形成します。きわめて図式的な言い方をすれば、イスラエル預言者たちの霊的・主体的「神の言葉」体験が客体化されて「ユダヤ教」という宗教になった、と言えます。
 イエスや使徒たちの時代にはこの客体化が高度に進み、「律法」は神殿祭儀に集中的に具現し、民の日常生活の細部に至るまで規定する定めとなり、その順守が要求されていました。神殿で律法が規定する祭儀を行い、生活の中で律法の規定を順守することがユダヤ教という宗教の内容になっていました。このように高度に客体化したユダヤ教に対して、イエスや使徒たちはどのように対処したのでしょうか。イエスと使徒パウロの場合について見てみましょう。

V 宗教を相対化するもの

イエスとユダヤ教

 まず、イエスの場合を見てみましょう。イエスは生粋のユダヤ教徒でした。ユダヤ教の中で生まれ、育ち(教育され)、ユダヤ教社会で生き、宣教活動をし、ユダヤ教徒として死なれました。ユダヤ教を代表する最高機関である最高法院は、イエスを聖なる律法(ユダヤ教)を汚す背教者として、死刑判決を下しました。死刑を執行したのはローマ総督ですが、イエスはユダヤ教に背いた者として死なれたのです。
 では、イエスはなぜユダヤ教に背く重大な背教者とされたのでしょうか。それは、突き詰めると、イエスがユダヤ教律法を相対化されたからです。イエスは、当時のユダヤ教社会で律法を守ることができないので「罪人」と呼ばれていた人々と食卓を共にし、彼らに神の救いの力を注いでいかれました。彼らは律法を守れないままで、神の子として受け入れられているのだと説かれました。イエスは律法を否定されたのではありません。イエスはユダヤ教徒として、律法に従う生活をされていました。人々に律法を無視するように説かれたのでもありません。ただ、神を父とする交わりに入るのに、律法をどれだけ順守しているかは関係がないとされたのです。すなわち、律法を相対化されたのです。これは律法の絶対性を否定する者として、律法を絶対とするユダヤ教指導者層から憎まれ、死刑の判決を受けることになるのです。
 イエスが律法を相対化されたのは、父の恩恵を絶対とされたからです。イエスにおいてユダヤ教を相対化する原理は、父の恩恵の絶対性です。父の恩恵が無条件絶対であるという霊的現実が、ユダヤ教の律法をどれだけ守っているかどうかとは無関係に、恩恵に身を委ねる者を救うのです。この場合、恩恵が「絶対」であるというのは、父が愛を注ぎ子とされるのに、相手の資格とか条件を問題にしないという意味、相手に絶しているという意味で「絶対」なのです。そして、この無条件絶対の恩恵は、それを受ける以外に生きる場のない者には、それがなければ自分がないという意味で絶対です。唯一絶対必要なものという意味で絶対です。この場合「恩恵の絶対性」という表現においては、「絶対」という語に二つの意味が重なっています。

パウロにおけるユダヤ教の相対化

 次に、熱烈なユダヤ教徒でありながら、御霊の交わりの中でキリストを生きたパウロがユダヤ教にどのように対処したかを見てみましょう。
 まず、パウロが熱心なユダヤ教徒であり、終わりまでユダヤ教徒であったことをはっきりとさせておかなければなりません。パウロは、ダマスコ途上の回心でユダヤ教からキリスト教に改宗したのではありません。パウロの時には、まだキリスト教は存在しません。パウロは最後までユダヤ教を捨てていません。パウロは最後までユダヤ教徒として生きたのです。
 パウロは、タルソで生まれ育ったギリシア語を用いるディアスポラのユダヤ人ですが、おそらくエルサレムで当時の碩学ガマリエルの下で律法を学び、エルサレムのギリシア語系のユダヤ人会堂で律法を教える教師(ラビ)として活動を始めていたと見られます。ユダヤ人にとって「律法」とはユダヤ教の全体を指します。パウロの律法への熱心、ユダヤ教への精進は同輩をはるかに凌駕するものでした(ガラテヤ一・一四)。
 その頃エルサレムで、イエスの弟子であったユダヤ人の一団が、イエスが復活したと証言し、このイエスを神によって立てられたメシア・キリストであると宣べ伝え始めます。ある人物をメシアと仰ぐ運動は、当時のユダヤ教内部では珍しいことではなかったので、ユダヤ教当局は彼らが律法を順守するかぎり、ユダヤ教の中の一つの信仰運動として認め、成り行きを見守るという態度をとります(使徒五・一七〜四二)。
 ところが、彼らの中の一部の者たちが、イエスを信じる者は神殿祭儀と律法順守をもはや必要としないというような主張を始めたとき、放置することができなくなり、激しい迫害が始まります(使徒六・八〜一五)。このような主張をしたのは、ステファノを代表とするギリシア語系のユダヤ人信徒たちでした。ステファノは石打で殺され、信徒たちはエルサレムから追われて、各地に散らばります。律法への熱心に燃えていた若き律法学者パウロは、律法を汚すような言動をするユダヤ教徒を許すことはできず、彼らを探索し、会堂で審問し処罰する活動を始めます。この迫害は、ギリシア語系のユダヤ人会堂で起こったことで、「使徒たち」をはじめ律法を順守しているアラム語系のユダヤ人信徒には及びませんでした(使徒八・一〜三)。
 パウロは、律法を汚すイエスの信徒を探索するためにダマスコへ向かう途上で、復活されたイエスの顕現を体験します。復活者イエスに遭遇したパウロは、その時からイエスをキリストとして告白し、そのイエス・キリストを宣べ伝える者となり、生涯イエス・キリストに仕える僕となります。パウロは、まさに自分が否定し迫害した信仰、すなわち律法とは別の義の信仰にひっくり返るのです。
 パウロは、この体験により、また御霊によりイエス・キリストとの交わりを深める過程で、人が義とされ救われるのは、信仰によるのであって、律法(ユダヤ教)の行いは関係がないことを示されます。信仰とはもちろんイエス・キリストとの交わり、最初に述べたキリスト信仰のことです。もはや異邦人(異教徒)は、ユダヤ教に改宗して律法を順守するユダヤ人(ユダヤ教徒)にならなくても、異邦人(異教徒)のままで、キリスト信仰によって神の民となり、神のいのちと栄光にあずかる者となることができるのです。これが、パウロの福音の核心をなします。パウロは、「律法(ユダヤ教)と無関係の神の義」を異邦諸民族に宣べ伝える使徒となります。
 このような福音を宣べ伝えるパウロは、ユダヤ教を絶対的な神の啓示とするユダヤ教徒からは、神聖な律法(ユダヤ教)を汚し否定する者として糾弾されることになります。事実、パウロは何度もユダヤ教会堂で審問され、鞭打ちの刑を受け、石打で殺されそうにもなります(これはパウロがユダヤ教徒であるから起こったことです)。それだけでなく、イエスを信じるユダヤ人からも、異邦人は割礼を受けてユダヤ教徒にならなければ救われないと主張するユダヤ人信徒から、批判されて、彼の伝道活動は繰り返し妨害されます。
 しかし、パウロはユダヤ教を否定したのではありません。パウロは最後までユダヤ教徒として行動しています。誓願を果たすためにエルサレムに上るなど、ユダヤ教徒として行動しています(使徒一八・一八)。最後に生命の危険を冒してエルサレムに上ったときも、ユダヤ教の慣例に従って行動しています(使徒二一章)。また、異邦人に割礼を受けさせてユダヤ教徒にしようとする者たちには、福音の真理を確立するために命がけで対抗しましたが、ユダヤ人信徒にはユダヤ人(ユダヤ教徒)のままにとどまるように、すなわち「割礼の跡を無くそうとはせず」、ユダヤ教の慣例に従って生きるように勧告しました(コリントT七・一七〜一八)。パウロはユダヤ教の存在価値を認めています。
 パウロは、ユダヤ教を否定したのではなく「相対化」したのです。ユダヤ教徒はもちろん、割礼を受けてユダヤ教徒にならなければ救われないと主張するユダヤ人キリスト信徒も、ユダヤ教を絶対化していることになります。パウロはそのユダヤ教の絶対化を否定したのです。パウロは、自分が体験し、それによって生きている「キリストの絶対性」のゆえに、ユダヤ教という歴史的宗教を相対化することができたのです。
 本講の最初に述べたように、わたしたちにとってキリストは絶対です。すなわち、キリストがなければわたしがないという意味で絶対です。パウロは、このような意味でキリストを絶対として生きたので、自分が生まれ育ち、今もその中にいるユダヤ教という歴史的宗教を、その価値と尊さを認めながらも、それがなくてもキリストとの交わりに生きて、救いに達することができるものという位置に置くことができました。ユダヤ教徒ではなく、違った宗教的・文化的背景をもつ人たち(異邦人)には、ユダヤ教なしで、異邦人のままで神の民となることができると宣言することができました。これが、ユダヤ教を「相対化する」ということの意味です。
 では、このようにイエスやパウロがユダヤ教を相対化したことは、現在のわたしたちに何を教えるのでしょうか。今わたしたちが生きている「キリスト教」という世界について考えてみましょう。

W キリスト教の相対化

「キリスト教」の成立

 先に、わたしたちの「キリスト信仰」から「キリスト教」が生成する事情を簡単に描きました。では、その「キリスト教」はいつ、どのようにして実際に成立したのでしょうか。その答えは「キリスト教」をどう定義するかによって違ってきます。ここでは、厳密に学問的に定義するのではなく、きわめて常識的に歴史をたどって見ていくことにします。
 イエスをキリストと信じる信仰運動は、はじめは復活者キリストを宣べ伝える宣教にともなう聖霊の力強い働きによって、喜びに溢れた個々人の革新体験として始まりました。当初、イエスはユダヤ教で待望されていたメシアとして宣べ伝えられていたので、イエスを信じる者たちは、ユダヤ教の一派として見られていました。イエス・キリストを信じる者たちがユダヤ教徒とは別であることが最初に認められるようになったのは、異邦人も信仰に入るようになったアンティオキアで、信徒が「ユーダイオイ」(ユダヤ教徒)から区別されて、「クリスティアノイ」(キリストの者たち)と呼ばれるようになった時であると考えられます(使徒一一・二六後半)。しかし、まだこの段階では「キリスト教」が成立したと見ることはできません。
 その後、パウロたちの活動により、イエスをキリストと信じるキリスト信仰の波は、ユダヤ教の枠を超えて、異邦の諸民族に及んでいきます。しかしペトロやパウロなど使徒たちが活動した時代は、ユダヤ教会堂との対立や迫害はありましたが、ローマ社会ではまだユダヤ教の中の新しい一派の運動と見られていました。ローマ社会では、ユダヤ教は「合法宗教」と認められていたので、キリスト信徒たちもユダヤ教の中の一派として「合法」的に信仰の群れを形成することができました。ローマでイエスをキリストと信じるユダヤ人と反対するユダヤ人との間に争乱が起こったとき、クラウディウス帝は49年に、キリスト信徒であるかどうか区別せず、ユダヤ人を全部ローマから追放しています(使徒一八・二)。
 ところが、ユダヤ戦争によって70年にエルサレム神殿が破壊され、その後ヤムニアの学院に拠ってユダヤ教徒を指導したファリサイ派ユダヤ教会堂が、イエスを信じる者を異端者として会堂から追放したので、キリスト信徒の共同体ははっきりとユダヤ教会堂とは別の宗教団体として世に現れることになります。この時期(ユダヤ戦争から一世紀末まで)は、ちょうど福音書が成立する時期であり、キリスト信徒共同体は自分たちの信仰を自覚的にユダヤ教会堂とは別のものであるとして提示することになります。
 その後(二世紀から三世紀にかけて)キリスト信徒の共同体は、外からの迫害(ユダヤ教会堂からの迫害と異教ローマ社会からの迫害)とに対抗し、また内部でお互いに対立する違った教えによる分裂を回避するために、自分たちの信仰内容を明確な信条で表現し、様々な内容の信仰文書をこの信条の基準で選択して正典とするようになります。また、キリスト信仰を表現するとされる洗礼と聖餐を中心とする儀礼により、共同体に参与する者の境界を明確にし、その儀礼を執行する聖職者(単独司教制)を組織化して、教会制度を整えていきます。このように、信条と正典をもち、洗礼と聖餐などの儀礼を行い、それを執行する聖職者組織をもつ宗教共同体がローマ帝国の中に形成されるようになります。
 このように制度化されたキリスト信徒の共同体が「キリスト教会」であり、この「キリスト教会」がその信条と儀礼で表現する宗教が「キリスト教」です。先にも見たように、「キリスト教」とはキリスト信仰が「キリスト教会」という歴史的宗教共同体によって客体化されて表現されたものに他なりません。キリスト教とキリスト教会とは一体であり、切り離すことはできません。三世紀の半ばには、「教会の外に救いはない」(キプリアヌス)と高らかに宣言することができるまでになっていました。この時期を「キリスト教」の成立期とすることができるでしょう。

 この時期にキリスト教が成立するさい、ローマ帝国の政治的国家宗教的概念としての「レリギオ」という形を受け入れ、自己を「真のレリギオ」として「レリギオ・クリスチアーナ」となったことについて、水垣渉氏の論考(「日本の神学」42号231頁以下)を参照してください。

 初期に燃えた御霊の力強い働きによって形成されたキリスト信仰は、このキリスト教の形成過程で、殉教も辞さない熱烈な信仰心と兄弟愛による堅い結束をもたらし、ローマ帝国内で異例の強固な宗教共同体を形成しました。四世紀になると、求心力を失ったローマ帝国は今まで迫害してきたキリスト教に帝国を統合する基盤を求めざるをえなくなり、キリスト教を公認し、ついに四世紀末には帝国の国教とするに至ります。
 こうしてローマ帝国の宗教となったキリスト教は、その後、東方のギリシア正教会(および東方諸教会)と西方のローマカトリック教会に分かれ、さらに西方ヨーロッパ世界にはプロテスタント諸教会が成立して、それぞれ特色のあるキリスト教として展開してきました。現在では、世界で最大の信徒数をもつ宗教となり、キリスト教諸国はイスラーム圏や仏教圏と対抗する大きな文明圏を形成するに至っています。

キリスト教の自己絶対化

 こうして成立したキリスト教は、その長い歴史を通して自己を絶対化してきました。すなわち、キリスト教こそ最高の宗教、いや唯一の宗教であり、他の宗教は間違った宗教であるか、究極の宗教であるキリスト教に到達する途上にある不完全な宗教であると見てきました。すべての民はキリスト教に帰すべきであって、他の宗教は存在する必要のないものであると見てきたのです。
 キリスト教が自己を絶対化する要因は、キリスト教自身の中にある内的要因と、キリスト教が置かれていた歴史的状況という外的要因とがあります。まず、キリスト教自身の中にある内的要因の方を見ましょう。
 どの宗教にも自己を絶対化する体質があります。宗教というものは、人間の霊的体験を社会的な形で表現したものですから、共同体の統合原理として機能するためには自己を絶対化する必要があります。この宗教は信じても信じなくてもどちらでもよいのだというのでは、共同体を統合する力にはなりえません。必ず信じるべき絶対的な価値があるものとして共同体の成員に臨みます。キリスト教も一つの宗教として例外ではなく、このような自己絶対化の体質をもっています。
 宗教にも様々な種類と形態がありますが、その中で一神教宗教は自己絶対化の傾向が強いとされます。それは、自分を唯一の神の究極の啓示であるとするからです。そう主張する以上、他の宗教の存在を認めることはできません。せいぜい、他の宗教はこの最高究極の啓示に至る途上にある宗教として、自分に包摂することができるだけです。包摂できないものは抹殺せざるをえません。
 世界の一神教の中で、キリスト教は独特の意味で自己絶対化の要因をかかえています。それはキリスト教をキリスト教としている「受肉」の教理です。すなわち、キリスト教はナザレのイエスを神の受肉として信じることを核心としているからです。見えない神が地上の一人の人イエスとなって現れたとするならば、このイエスを神として拝む以外に宗教はありえません。そうしない者はすべて神に背く者か神を知らない者になります。他の宗教による救済の可能性は否定されます。
 この特異な教理は、イエス自身の教えによるものではなく、キリスト教がキリスト教として形成される過程で成立したキリスト教独自の教理です。先に「キリスト教の成立」の項で見たように、二世紀から三世紀にかけて、キリスト教がキリスト教会という歴史的共同体の宗教として成立する過程で、御霊の働きの中でイエスを復活者キリストと告白するキリスト信仰は、客体化されて信条という形になります。そのさい、復活者キリストが主体として働かれる御霊の働き(それが人への神の現れです)を、人間の言葉の論理という枠の中で表現しようとするのですから無理が生じます。その無理を(ローマ帝国の宗教になってからはとくに帝国統一の要請など権力からの圧力によって)押し通してできたものが信条です。このキリスト教の形成期に教会は何回も司教たちの会議を開いて、イエスを神の子と信じるキリスト教の信仰内容を表現する信条を討議します。ニカイア信条(325年)では、イエス・キリストを「聖父と同質なる御方」と規定します。そして、ついにカルケドン信条(451年)でイエスを「まことに人、まことに神」であるとし、イエスにおいて人と神の両性が「混ざらず,変わらず,分かれず,離れない」で存在すると規定するに至ります。受肉の教理の完成です。この教理を認めない者は、異端者として教会から放逐されました。
 このカルケドン信条は現在に至るまで、東方正教会と西方のローマカトリック教会およびプロテスタント諸教会の基本信条とされています。人間イエスが神(厳密には創造者である父なる神と対面する第二位格の子なる神)の地上における現れ、すなわち神の受肉であるとするこの教理は、キリスト教を唯一絶対の啓示として、他の宗教を認めない自己絶対化の原動力となります。
 次に、キリスト教が自己を絶対化する外的要因を見ましょう。キリスト教はその成立間もなく、ローマ帝国の国教とされます(四世紀末)。他の宗教を認めず、自分だけを唯一絶対の宗教であるとすることが、皇帝の権力によって保証される体制が出来上がります。間もなく西方ではゲルマン諸民族によってローマ皇帝の支配は崩壊しますが、コンスタンティノポリスを首都とするローマ帝国(ビザンチン帝国)はキリスト教帝国として千年にわたって存続します。その間、西方ではローマ教会の布教活動によりゲルマン諸民族がキリスト教に改宗し、ローマカトリック教会が形成されます。東方ではビザンチン帝国の国教として東方正教会が活動し、スラブ系の諸民族をキリスト教に組み入れます。こうして形成されたキリスト教世界は、七世紀にアラブ世界に勃興して急速に拡大したイスラーム世界と対峙して、一大文明圏を形成することになります。
 世界にはすでに仏教圏や儒教圏も存在しましたが、近代に至るまでは交通通信の能力の限界から、各文明世界はそれぞれ別の世界として成長発展してきました。そのような状況で、キリスト教はキリスト教世界で唯一絶対の宗教として君臨し続けることができました。自分の世界で唯一の宗教として自己絶対化の体質を深く染み込ませたキリスト教は、他の世界に対しても改宗か征服かで自分の支配下に置こうとする傾向を抑えることはできませんでした。それは、近世初期のアメリカ大陸におけるローマカトリック教会の伝道に典型的に見られる通りです。
 近代に入って、ローマカトリック教会から分離して成立した西欧のプロテスタント諸教会も、近代化をいち早く成し遂げて力を蓄えた西欧諸国が海外に勢力を拡大する動きに合わせて、世界に活発な宣教活動を展開します。その活動は、純粋な福音の宣教という一面も保持しながら、やはり近代化を成し遂げた西欧諸国のキリスト教文明の優越性を背景に、キリスト教を絶対的な価値として、自分たちのキリスト教に改宗させることをおもな内容とするものにならざるをえませんでした。

キリスト教の相対化

 ところが、二十世紀になって交通通信手段の急速な発達により、世界は狭くなり、どの国どの民族も世界の諸民族と密接な関係をもって生きる以外に存続することができなくなりました。とくに二十世紀末から始まった航空機などの交通手段と情報通信技術の発達により、生産活動や文化活動は国境や文明圏の境界を超えるようになり、いわゆる「グローバル化」の時代を迎えることになりました。これまでキリスト教も比較的孤立していた自分の文明圏で、唯一絶対の宗教であることができましたが、その諸文明圏が地球規模で関わりをもたざるをえない状況になってきたのに伴い、他の宗教の存在を認め、対話を始めざるをえない時代になりました。キリスト教も世界の諸宗教の中の一つとして、他の宗教と相対することになりました。すなわち自己を相対化せざるをえなくなったのです。これは外からの要因によって各宗教に押しつけられた相対化の圧力です。
 先に、わたしたち自身の場合として、キリスト教が自己を絶対化する内的要因を見ました。では、キリスト教には自分自身の中に自己を相対化する要因はないのでしょうか。もしそのような内的要因がないのであれば、外からの要因に迫られたとしても、真に自己を相対化することはできないでしょう。この問題を考える手がかりとして、先に見たパウロとユダヤ教の関係をもう一度取り上げてみましょう。
 先に「パウロにおけるユダヤ教の相対化」の項で見たように、パウロは最後までユダヤ教徒として生きました。パウロは復活者キリストに遭遇するまでは、ユダヤ教の絶対性をつゆ疑いませんでした。ところが、キリストに遭遇し、キリストにあって生きるようになったとき、キリストの絶対性のゆえに律法(ユダヤ教)は相対化されました(フィリピ三・二〜一一参照)。すなわち、律法の中でもキリスト者(キリストに結ばれキリストに属する者)として生きうるし、律法の外でも(律法なしでも)キリスト者として生きることができることを知り、それを「福音の真理」として命がけで主張しました。パウロは、ユダヤ教を否定してキリスト教に改宗したのではなく、ユダヤ教の中にいるままで、キリストにあって生きることの絶対性のゆえに、ユダヤ教を相対化したのです。キリストの現実は、ユダヤ教徒パウロの中でユダヤ教を相対化する原理であったわけです。
 同じことがキリスト教についても言えます。キリストの現実(霊なるキリストとの御霊による交わり)は、キリスト教を相対化する原理、内的要因です。先に見たように、キリスト信仰は歴史の中ではキリスト教という形を取らざるをえませんでした。しかし、キリスト信仰は、キリスト教の歴史の中でいつもキリスト教を相対化する原理として働き続けてきました。たとえば、ローマカトリック教会が支配するキリスト教世界で、パウロの「信仰による義」という福音の真理、すなわち恩恵の絶対性に目覚めたルターは、ローマカトリックのキリスト教を相対化しました。ルターは初めからローマカトリック教会を否定したのではありません。カトリック教会の中で、教会の儀礼にあずかり教義や戒律を守るのとは別の原理(キリスト信仰)によって義とされることを主張したのです。それが、カトリック教会から異端とされて破門されたので、別の教会を形成せざるをえなくなるのです。
 現代のわたしたちも、ユダヤ教徒パウロがユダヤ教を相対化し、カトリック修道僧ルターがローマカトリック教会という形のキリスト教を相対化したように、現代のキリスト教徒であるわたしたちも、キリスト信仰によって「キリスト教の絶対性」を否定して(「キリスト教を否定して」ではありません)、キリスト教を内側から相対化する必要があります。

「受肉」の問題

 キリスト教を内側から相対化するさい、もっとも困難な問題は「受肉」の教理です。先に見たように、「受肉」の教理はキリスト教を唯一妥当性のある宗教として絶対化する最大の要因でした。イエスが神の受肉であれば、イエスをキリストとするキリスト教こそ唯一の神の最終啓示であり、それ以外の宗教を認めることはできません。キリスト教を相対化して、他にも妥当性のある複数の宗教の存在を認めるならば(それが宗教多元主義です)、イエスが神の受肉であることを否定しなければならなくなります。イエスも神とか絶対者を啓示した多くの聖人とか賢人たちの中の一人になります。「受肉」の教理は、キリスト教をキリスト教ならしめている中心の教理ですから、キリスト教を相対化するさいの最大の難関になります。
 最近、世界の現状に迫られてキリスト教神学界でも「宗教多元主義」が唱えられるようになり、日本のキリスト教学会も二〇〇二年の総会で、「キリスト教の絶対性と宗教多元主義」という主題のシンポジウムを開くまでになりました。この宗教多元主義に向かう流れの中で、英国のジョン・ヒックが宗教多元主義を神学的に根拠づける著作を多く発表していますが、その中に『宗教多元主義への道』(間瀬・本多訳、玉川大学出版部)があります。この著作の原題は(直訳しますと)『神の受肉のメタファー ―― 多元主義時代のキリスト論』であり、宗教多元主義の立場から「受肉」をどう理解すべきかを論じています。その論点は、結論だけを言いますと、イエスが神の受肉であるというキリスト教の主張は一つのメタファー(比喩、隠喩)として理解すべきであるということです。よく誰それはその時代精神の受肉であると言います。そのように、イエスは神の臨在を完全に身に体して、人々に神を示すことができた人物であるという事実を、聖書は「受肉」というメタファーで語っているのである、とする論旨です。さらに、後の時代の教会がギリシア哲学から「実体《ウーシア》」という概念を借用して、人間イエスを神と同じ「実体」をもつ存在としたカルケドン信条を制定したことは間違いであり、この間違いから教会は自己を絶対化して多くの歴史的過誤に陥った、と論じています。イエス自身は自分を神の受肉であるとは主張されていないのであるから、わたしたちは「受肉」というキリスト教用語を一つのメタファーとして受け取り、イエスの他にも霊的現実の受肉として真理を説いた者がいることを認めなければならない、という主張です。
 ヒックの「メタファーとしての受肉」論には、これまでのキリスト教の実体論的な受肉の教理に対する批判として、傾聴すべき点が多くあります。しかし、新約聖書の受肉信仰の理解について疑念が残ります。聖霊によって復活者キリストとの交わりに生きている者が、その場から地上のイエスを語るときに、まさにこのイエスが復活して現在キリストとして生きておられるのであると語らざるをえませんでした。この復活者キリストと地上のイエスの同一性が、ヨハネ福音書などで「受肉」という用語で表現されたのです。従って、受肉信仰は逆方向に表現された復活信仰に他なりません。ところが、ヒックの議論では、聖霊による復活者キリストとの交わりという復活信仰の内容が希薄であるため、その逆方向の表現としての受肉信仰の位置づけがありません。あくまで地上のイエスを地上の人間の立場から理解しようとする視点です。従って、実体論的な受肉教理を克服するためには、メタファーとしての受肉理解しかなかったのではないかと考えられます。しかし、受肉をメタファーとすると、受肉信仰の源泉である復活信仰をもメタファーとしてしまう危険があるのではないかと危惧されます。

 受肉信仰は逆方向に表現された復活信仰であることについては、拙著『キリスト信仰の諸相』277頁「神の子の誕生」を参照してください。

 受肉信仰を逆方向に表現された復活信仰とする立場から見ると、復活信仰も受肉信仰も共にキリスト信仰の場、すなわち御霊による霊なるキリストとの交わりの場で語られる事柄です。「キリストにある」という御霊の場では、最初に述べたように、御霊が働かれるとき、その働きの主体がキリストであり、客体がわたしになるのです。その働きの主体であるキリストは、地上でイエスとして現れた方ですから、地上の人間イエスが今霊なるキリストとして働いておられるのだという方向で述べられた告白が復活信仰であり、逆の方向、すなわち今キリストとして働いておられる方はかって地上にイエスとして生きられた方であるとする告白が受肉信仰です。両方とも御霊による霊的現実(体験)の告白です。
 しかし、この霊的現実を第三者に解説しようとすると、何らかのメタファーが必要になります。イエスも神の支配(その内実は父の絶対恩恵の支配です)という霊的現実を語るのにいつも比喩を用いられました。パウロも「キリストにある」という場の現実を語るのに、奴隷の解放というようなメタファーを用いています。ヨハネが「見よ、神の小羊」というとき、それはすでにメタファーです。したがって、霊的現実を語るのにメタファーを用いることは誤りではなく、むしろそうせざるをえないという必然でもあります。聖書はメタファーで満ちています。ただヒックの場合、「受肉」という表現の仕方がメタファーであることを強調するだけで、出発点として復活者キリストとの御霊による交わりという現実が希薄であるため、わたしたちにとってのキリスト(復活者キリスト)の絶対性が見失われる危険があるように感じられます。実体論的な受肉の教理を克服するには、「受肉」という表現をメタファーであるとする理解をもたらす原動力として、復活者キリストの絶対性を告白して、受肉を逆方向に見た復活信仰であるとする位置づけが必要ではないかと考えられます。

内村鑑三の無教会主義とキリスト教の相対化

 実は、日本のキリスト教史において命がけでこのキリスト教の相対化を唱えた人物がいました。内村鑑三です。内村は無教会主義キリスト教を唱えた人物として有名ですが、彼の無教会主義とは実はキリスト教の相対化の主張に他なりません。ただ、内村の無教会主義はキリスト教を相対化する思想であると言うには、多少の説明が要ります。
 無教会主義というのは、教会なしでキリスト教がありうるという主張です。教会に所属していなくても、洗礼や聖餐の教会儀礼にあずかることがなくても、人はキリストを信じ、キリスト教徒でありうるし、キリストの救いにあずかることができるという主張です。内村は教会を否定したわけではありません。教会と協力して伝道活動をしています。教会の歴史的意義と価値を認め、教会の中に立派なキリスト者がいることを十分承知し、敬意を払っています。ただ、キリストを信じて救われるのに、教会に所属し洗礼や聖餐の儀礼にあずかることは絶対に欠くことができない条件ではないと主張したのです。従って、無教会主義とは、教会を相対化していると言わなければなりません。
 内村の時代(日本のプロテスタント宣教の初期)には、キリスト教といえばキリストを信じてキリストの救いにあずかること(本稿でキリスト信仰と言っていること)を指していました。内村が「教会なしのキリスト教」を唱えたとき、実は教会が主張するキリスト教の外で、キリスト信仰がありうることを主張していたことになります。内村の時代と状況では、まだキリスト教自身を相対化する必要は感じられていませんでした。キリスト教の絶対性は揺らぐことなく、欧米からの宣教師が欧米風の教会を形成することが、日本にキリスト教を確立することだと考えられていました。その中で内村は、欧米の教会キリスト教の制約から解放され、日本の文化的風土に根ざした福音の確立を目指したのです。その結果として、教会の外でのキリスト教の可能性を主張することになります。内村の場合は、欧米の教会的キリスト教からの解放という実践的な動機から出ている面がありますが、その原理はパウロがキリスト信仰によってユダヤ教を相対化したのと同じです。
 今わたしたちはキリスト教そのものを相対化して見なければならない時代に直面しています。パウロがユダヤ教を相対化し、ルターがローマカトリック教会のキリスト教を相対化し、そして内村が西欧プロテスタント教会のキリスト教を相対化したように、二十一世紀のキリスト者はキリスト教そのものを相対化しなければならない状況にあります。最後に、キリスト教を相対化しつつキリストを宣べ伝えるとはどういうことかを見ましょう。

X 二十一世紀におけるキリストの福音

伝道とは何か

 伝道とはキリストを宣べ伝えることであって、キリスト教という宗教に改宗させることではありません。キリストを宣べ伝えることを「キリストの福音を伝える」あるいはたんに「福音を伝える」と言うならば、伝道とは福音を伝えることであって、異教徒をキリスト教に改宗させることではないと言えます。キリストを伝え、人々をキリスト信仰(御霊による復活者キリストとの交わり)に導き入れることと、キリスト教に改宗させることとは別のことです。この区別は、キリスト教という宗教を相対化するところで初めて可能になります。キリスト教を絶対化しているところでは、この区別を認めることはできません。
 パウロの場合を見ましょう。先に見たように、パウロはキリストの絶対性のゆえにユダヤ教を相対化していましたから、キリストを信じた者が割礼を受けてユダヤ教に改宗する必要はないとしました。ところが、ユダヤ教を絶対とする者たちは、ユダヤ教のメシアであるイエスを信じる者は割礼を受けてユダヤ教に改宗しなければ、聖書が約束する救いの祝福にあずかることはできないとしました。パウロは、人が義とされるのはキリスト信仰によるのであって、割礼を受けてユダヤ教の規定を実行するかどうか(律法の行い)とは関係がないという「福音の真理」を確立するために、異邦人信徒は割礼を受けるようにという要求(ユダヤ教への改宗の要求)を断固として退け、妥協しませんでした。
 このキリスト信仰という霊的現実と歴史的共同体の宗教の峻別は、パウロは当時すでに形成されつつあったキリスト教団にも向けていました。当時、キリストの福音を聞いて信じた者はバプテスマを受けて信仰を言い表し、信徒の共同体に加入していました。バプテスマは実質的にキリスト信徒の共同体への加入儀礼となっていました。そのバプテスマについてパウロはこう言っています。
 「キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためである」(コリントT一・一七前半)。
 ここでパウロははっきりと、バプテスマを授けることと福音を告げ知らせることとを別のこととしています。パウロはバプテスマを否定しているのではありません。事実、パウロはコリントでも数名の者にバプテスマを授けています。また、信徒はバプテスマを受けているものと前提してバプテスマの意義を語っています(ローマ六・三)。しかし、パウロはバプテスマを授けることとキリストを宣べ伝えることを区別し、バプテスマという儀礼を、それを授けることは自分の使命ではないと、相対化しているのです。
 キリスト教の成立の過程で、バプテスマは古代教会の時代からすでにキリスト教への入信儀礼としての意義を確立し、現在ではバプテスマを受けることは、他の宗教からキリスト教へ改宗し、キリスト教会に加入することだと、キリスト教会でも一般の社会でも認められています。そのような状況で読むと、パウロの言葉は大きな示唆と衝撃を与えます。わたしたちがキリストにある者としてこの世界に置かれている(遣わされている)のは、異教の人々をキリスト教に改宗させてキリスト教会に加入させるためではなく、「福音を告げ知らせるため」、すなわちキリストを告げ知らせて、御霊による復活者キリストとの交わりに導き入れるためであるというのです。このような理解は、キリストの絶対性のゆえにキリスト教を相対化することに他なりません。
 では、何らかの宗教に所属していた人がキリストの福音を聞いてキリストを信じた場合、キリスト教に改宗しなくてもよいのでしょうか。今までの宗教の中にとどまっていてもよいのでしょうか。今までに述べてきたように、キリスト教を特定のキリスト教会の宗教であるとすると、原則として改宗して特定のキリスト教会に所属するようになる必要はない、と言えます。必要必須ではありませんが、既成のキリスト教会に所属するようになることが有益である場合は多くあります。それは多くの場合勧められることです。しかし、今までの宗教にとどまっていてもよいかどうかは、場合によって違ってきます。
 もし、御霊による復活者キリストとの交わりに生きるようになっても、今までの宗教の中で矛盾なくキリスト信仰に生きることができるのであれば、今までの宗教を捨ててキリスト教に改宗する必要はありません。パウロは、キリスト信仰に生きるようになったユダヤ教徒にユダヤ教の中にとどまるように勧めています。その場合、新しく生きるようになったキリスト信仰は今までの宗教を相対化し、もはやその宗教の規定に外から拘束されることなく、キリストにある新しい生き方によって、その宗教を内から変革していくことになります。すでに特定のキリスト教会に所属しているような場合は、御霊を受けて復活者キリストとの交わりに入ったからといって、その教会から他の(いわゆる聖霊派の)教会に移る(一種の改宗の)必要はありません。
 わたしは、キリスト教会以外の宗教でも、その中でキリスト信仰に生きる可能性があるのではないかと考えています。たとえば仏教の中でも、教義にとらわれず個人の内面的な悟りを重視する禅宗などは、その中でキリスト信仰を生きることができるのではないかと思います。また、浄土系の仏教では、唱える名号は違いますが、自力を捨てて絶対的な恩恵とか慈悲に身を委ねるという点で共通の信仰原理がありますから、その中でキリスト信仰に生きる可能性はあるのではないかと思います。
 もし、御霊による復活者キリストとの交わりに生きるようになった結果、今までの宗教とは相容れない生き方であるとして追い出されるような場合は、その宗教から出て行かざるをえません。たとえば、偶像を礼拝することやキリストに従うことに反する行為を強制するような宗教の中では、キリスト信仰に生きることはできません。出て行かざるをえないでしょう。しかし、その場合でも特定のキリスト教会に所属するという形で改宗する必要はありません。宗教の枠の外で、自分が置かれている生活の場でキリスト信仰を生きることができます。
 キリスト信仰のゆえに既成の宗教から追い出されたり、宗教のない人がキリスト信仰に生きるようになった場合、同じキリスト信仰によって交わりが生じ、キリスト信仰に生きる者たちの共同体が形成されます。このような共同体では、もはやキリスト教という宗教を絶対化することはなく、他のキリスト教会とも、さらに他の宗教の人々とも、宗教の枠にとらわれない交わりをもつようになり、人間同士としてキリスト信仰の喜びを伝えていくことができるようになるはずです。

原理主義の克服

 ここで注意しなければならないことは、キリストの絶対性とキリスト教の絶対性を混同しないことです。最初に述べたように、わたしたちキリストにある者にとってキリストは絶対です。キリストなくしてはわたしはありません。その意味で、キリストを否定することを強制される場合は、命がけでキリストを告白せざるをえません。初期のキリスト教徒が殉教も辞さない熱意をもってキリストを告白したのも、御霊による復活者キリストとの交わりの絶対性から出たものでしょう。しかし、このキリストの絶対性をキリスト教の絶対性に持ち込んではなりません。両者は別の次元の事柄であり、混同してはなりません。
 この混同の一つの形態にキリスト教原理主義(ファンダメンタリズム)があります。ファンダメンタリズムというのは、聖書の文言は一言一句すべて神の霊感によって書かれた神の言葉であるとして(逐語霊感説)、聖書が語る六日間の天地創造、キリストの神性と処女降誕、奇跡、十字架の死の代償的意義、キリストの身体的復活と再臨、最後の審判における信者の永遠の栄光と不信者の永遠の刑罰など、キリスト教の根本的な教義内容(ファンダメンタルズ)を文字通り信じることを主張する立場です。これは、近代に入って聖書の批判的研究が進み、このようなキリスト教の根本信条が揺らいできたことに対して危機感をもった敬虔なキリスト者たちが、聖書を歴史的文献として批判的に理解しようとする近代主義に対抗して唱えた信仰上の立場です。この立場から進化論を否定し、学校での進化論教育を裁判で争ったアメリカでの進化論裁判が有名です。
 このファンダメンタリズムの立場は、キリスト者にとってのキリストの絶対性という霊的次元の問題が、歴史的に形成されたキリスト教教義の次元に無批判に持ち込まれて、キリスト教の絶対性の主張になったと考えられます。たしかに、ファンダメンタリズムの主張はキリスト教教義の絶対妥当性の主張であって、他の宗教に対するキリスト教の唯一妥当性の主張ではありません。近代主義に立つキリスト教も他宗教に対するキリスト教の絶対性を主張してきました。しかし、ファンダメンタリズムは、キリスト教教義の絶対性を主張することから必然的に他宗教に対するキリスト教の絶対性を主張することを伴います。ファンダメンタリズムにおいては、二重の意味でキリスト教の絶対性が主張されることになります。
 このようなファンダメンタリズムの傾向は、聖典宗教であるユダヤ教やイスラームにも見られ、それぞれの聖典を絶対化して批判を許さない、すなわち異なる立場をいっさい認めず、同じ理解を強要するという硬化した原理主義を生み出しています。この宗教原理主義は当然その宗教の絶対化を伴い、お互いの間の対話を妨げ、時には力ずくで自分の宗教を強要する姿勢になってきます。イエスの時代のユダヤ教では、「熱心党」がそうでした。イスラームには「ジハード(聖戦)」の教えがあり、自分の宗教を貫徹するためには武力の行使も辞さないということになり、(民族問題などが複雑にからみあってですが)イスラーム原理主義の過激派による武力紛争が世界に絶えないという状況になってしまいます。一方、アメリカのキリスト教にも原理主義的な体質が一面にあり、対話を困難にしているようです。
 このような宗教原理主義を克服するには、それぞれの宗教の内に自己を相対化する原理がなくてはなりません。キリスト教の場合については、これまで論じてきたように、キリストの絶対性とキリスト教の絶対性を混同することなく、自分にとってのキリストの絶対性を見失わないで、歴史的キリスト教を相対化する必要があります。これからの福音宣教は、キリスト教の絶対化に陥ることなく、キリストの絶対性を証言して告知するという課題を背負うことになります。

宗教寛容とキリスト教の相対化

 自分の宗教(信仰体系)を他者に強要せず他の宗教(信仰体系)の存在をも認めることは、しばしば「宗教寛容」(トレレーション)と言われます。この宗教寛容と宗教の相対化はどう違うのでしょうか。ここで、この「寛容」の問題を取り上げておきます。
 「寛容」(トレレーション)はプロテスタント・キリスト教の産物です。ローマカトリック教会だけが支配する中世ヨーロッパでは「寛容」は問題になりませんでした。宗教改革によってカトリック教会以外にプロテスタント諸教会が成立したとき、一つの社会の中で複数の教会が自己を絶対化して生存をかけて争い、悲惨な宗教戦争に陥らざるをえませんでした。また国家権力が特定の教会と結びつくとき、他の教会は国家権力による弾圧を被らざるをえませんでした。このような状況を克服するために、互いに他の教会の存在を認めようという主張が起こってきました。その要求は、ピューリタンのような非国教会系の自由教会の不屈の働きによって、「国家と教会の分離」という社会制度に結実します。アメリカ合衆国はこの原理によって形成された国家です。現在の日本国憲法の「信教の自由」も、この寛容理念の延長上にあります。
 したがって、「寛容」という概念は、倫理的・心情的なものではなく、社会制度です。また、「寛容」は神学的なものでもありません。神学的には自分の教会の宗教を絶対化したままで、社会制度として他の教会(宗教)の存在を認める体制です。しかし、「国家と教会(宗教)の分離」は、祭政一致の長い人類史上はじめて、プロテスタント・キリスト教がもたらした近代社会形成の原理です。宗教と政治の区分があいまいなユダヤ教やイスラームは、このような原理を生み出すことはありませんでした。また、個人の悟りに立つ仏教も、このような問題については基本的には無関心であったり、無原則に権力に癒着したりしました。このように、キリスト教世界内のことですが、「寛容」という社会制度を生み出すことで、諸教会の相対化を成し遂げたプロテスタント・キリスト教は、これからの宗教多元主義の時代に指導的な理念を生み出す使命があるのではないかと考えられます。

 「寛容」の問題、とくに「教会と国家の分離」については、前記シンポジウムにおける大木英夫氏の発題講演(「日本の神学」42号221頁以下に所収)を参照してください。

 このように、プロテスタント的な自由教会の在り方はキリスト教世界での諸教会共存の「寛容」を生み出しましたが、それはまだキリスト教を絶対化したままの、キリスト教世界内での共存のための社会制度でした。そこにはまだ、ユダヤ教とかイスラームとか他の宗教と共存するために、キリスト教そのものを内側から相対化するという神学的姿勢はありません。それに対して現在の「宗教多元主義」は、キリスト教そのものを相対化して、他の宗教の妥当性を認めつつ、その中でキリスト教の存在意義を追求する神学的営みです。その中には当然、キリスト教諸教会の信仰体系の相対化も含まれてきます。では、キリスト教内の諸教会も、またキリスト教自体も相対化されたとき、キリストの福音はどのような姿をとるのでしょうか。

宗教多元主義時代におけるキリストの福音

 キリスト教の相対性を指摘する議論には、キリスト教の側から猛烈な反対が出て来ます。しかし、それは往々にしてキリストの絶対性とキリスト教の絶対性を混同しているところから出ているようです。キリスト教の相対性を認めるならば、キリストの救いは絶対的なものではなくなり、キリストを信じなくても救いが他にもあるということになるのではないか。そうすれば、キリストを唯一の救済者として世界に提示するキリスト教の存立は脅かされ、伝道の意味はなくなるのではないか、という反論です。この議論には、キリストの絶対性とキリスト教の絶対性の混同が見られます。
 冒頭で述べたように、キリストの絶対性とは、御霊の働きの場において主体として現れる霊なるキリストが、御霊の働きの客体としてわたしにとって絶対であるという意味でした。このような意味の絶対性は第三者に押しつけることができない性格のものです。それは、あくまで御霊の働きよって存在する新しいわたしにとっての絶対性であって、それは証言することはできますが、客観的な妥当性を主張する性格のものではありません。証言することによって、それを聞く人をこの御霊の働きの場に導き、その人もこのキリストとの交わりに入るようになること、それがキリストの告知であり、福音の宣教です。
 先にも述べたように、このキリストの絶対性から出る福音の宣教活動は、異教徒を唯一妥当性のある宗教であるとされるキリスト教に改宗させるという意味の伝道とは違うものです。しかし、両者はしばしば混同されて、議論に混乱を生じています。キリストの絶対性の体験がいつの間にか社会的歴史的現実態であるキリスト教の絶対性の主張となり、キリストの絶対性の名によって、キリスト教の相対化が激しく非難されるという混乱が起こっています。キリスト教はキリスト信仰という霊的・主体的体験が客体化されて歴史的共同体の現実となったものですから、そのキリスト教が自己を唯一妥当性のある宗教であると絶対化するとき、社会(それは今や地球規模になっています)の成員にその宗教を受け入れることを要求することになります。その要求を実現するために伝道活動を行います。そこでは、しばしばその宗教を体現する教会の存立と拡大が伝道活動の目的になります。教会が自己目的になっているのです。そのようなキリスト教は当然、キリスト教の相対化の思想を受け入れることができません。
 歴史的諸教会はこれからもキリストの福音の器として重要な使命を果たし続けるでしょう。しかし、そのさい自分の教会やキリスト教を絶対化することなく、自分を相対化して、柔軟な姿勢で、すなわち硬化した宗教の枠にとらわれることなく、人間同士として隣人に各自が体験しているキリストを証言し、キリストの救いを伝えていく必要があります。そのような姿勢が、これからの宗教多元主義の時代に求められるキリストの福音(キリストを伝える活動)の姿であると思います。

人間性の変革としての救い

 では、キリストを伝えることで目指している「救い」とはどういうものでしょうか。何度も繰り返すことになりますが、わたしたちにとってキリストとは御霊の働きの場における主体としてのキリストです。そのキリ ストの働きにより、生まれながらのわたしとは別のわたしが誕生し生き始めます。その新しいわたしは、生まれながらの古いわたしとは、いのちの質が違います。反対方向に向いていると言えるほど違います。その新しいいのちが貫かれて生き様に現れてくるとき、人間性の変革と言うべき現象が起こります。これは、思想の変化とか、生活習慣の変更という程度のものではなく、いのちの質、その人の人間性そのものが変わるという変化です。
 人間は一人ひとり顔が違うように個性がありますから、その変化の現れ方にも違いがあります。しかし、その違いを貫く共通の根源的な変化があります。それは、使徒パウロの表現を用いると、彼が「肉」と呼んでいる自我を追求する生まれながらの人間本性が、内に賜った御霊によって克服されて、他者を赦し、受け入れ、仕える愛、「御霊の愛」に変えられていく過程です。それは、「主の霊の働きにより、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく」過程です(コリントU三・一八)。この御霊による人間性の変革が「救い」です。十字架されたキリストを告知する福音も、この御霊の場に入るための入口です。
 イエスの場合は、この人間性の変革は次の一句に凝縮して表現されています。イエスは、「あなたたちの父が憐れみ深いように、あなたたちも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ六・三六)と言っておられます。このお言葉で、「父が憐れみ深いように」は、わたしたちの在り方の目標とか模範ではなく、わたしたちが憐れみ深くあることができるための根拠です。「父が憐れみ深いのであるから、その憐れみによって生きるあなたたちは、憐れみ深い者にならざるをえないではないか」という意味です。イエスが言われる「父の憐れみ」とは、無条件にわたしたちを受け入れ、そのいのちを与えてくださる慈愛、絶対の(相手の資格や状況に絶した)愛、すなわち恩恵です。このような父の恩恵によって生きる者は、隣人に対しても同じ絶対無条件の慈愛に生きないではおれません。そのように生きるのでなければ、父の無条件の慈愛の場、恩恵の場にとどまることはできないからです。この父の恩恵が支配する場に生きることによって生まれながらの自我中心の人間本性が変革されていくこと、これが救いです。

 このように愛を本質とする神の御霊が、現実の人間においては「信仰と愛と希望」という形で現れる消息については、拙著『キリスト信仰の諸相』を参照してください。

 世界の諸宗教は、それぞれの形でこのような人間性の変革を追求してきました。それがどれほど実現しているかが、その宗教の実力と価値を示します。諸宗教がそのような人間性の変革としての救いの道を提供している限り、その存在の意義と価値を認めなければなりません。それが宗教多元主義です。その中で、わたしにとってはキリストの福音がその変革を与える唯一の道でした。他の道(宗教)がそれぞれどのような実力をもっているのかどうかは知りません。少なくとも、厳しい修行や高度の学識が要求されるような道は、わたしのような弱い人間には向きません。無学の凡人がありのままの姿で入っていける救いの場が必要です。わたしにとっては、わたしのために死なれたキリストに合わせられ、このキリストにあって注がれる御霊の場、絶対恩恵の場に生きることだけが救いの道です。他の宗教の価値を認める中で(すなわちキリスト教を相対化しつつ)、わたしはこのキリストの福音を証言せざるをえないのです。

聖霊運動とキリスト教の相対化

 このように、救いが神の霊の働きによる人間性の変革であるとすれば、伝道とは異教徒をキリスト教という別の宗教に改宗させることではなく、キリストを告知する活動(それが福音宣教です)の中で、どの宗教宗派であるかを問わず、人々が聖霊の働きを受けるようにすることが主要な内容になってきます。その意味で、二十世紀初頭から始まった聖霊運動は重要な意義を担っています。この運動は、異言や預言や神癒などのカリスマ(御霊の現れ)を伴う聖霊の注ぎの体験から始まり、聖霊の力による宣教活動を展開した運動です。その運動は、既成の教会の枠から出て、新しくペンテコステ派と呼ばれる諸教会を形成しましたが、聖霊運動の波はローマカトリック教会を初め既成の諸教会にも及び、二十世紀の宣教活動の大きな流れになりました。実は、わたしもこのペンテコステ派宣教師の教会で信仰に入り、その中で育った者です。
 宗教多元主義の枠組みの中で展開することになる二十一世紀の世界において、キリスト教が人間性の変革をもたらす実力のある宗教として主導的位置を占めることができるとすれば、それはこの聖霊運動の波がキリスト教という宗教の枠を超えて、世界の人々に及んでいくことによると考えられます。その波がキリスト教の枠の中だけに終わるならば、キリスト教は内部で活力を得るでしょうが、キリスト教そのものは他の諸宗教と並ぶ一つのローカルな宗教としてとどまることになります。
 ペンテコステ派諸教会はしばしば、その聖書に対する熱意のゆえにファンダメンタリズムの傾向を強める場合があります。それは、広く人間性の変革をもたらすはずの神の霊の働きを、特定のキリスト教会の中に閉じこめてしまう結果になります。人間性の変革をもたらす神の霊の働きが、キリスト教会の枠を超えて広く人類の祝福となるためには、それをもたらすキリストの福音の宣教がキリスト教会の枠を超えていなければなりません。そのためにはキリスト教の相対化の視点が必要です。キリスト教を絶対化するかぎり、神の霊の働きはキリスト教の枠を超えることができません。その意味で、キリスト教の相対化は、聖霊の働きにおいて現れるキリストの絶対性が世界に確立するために不可避の条件となります。

むすび

 以上、キリストの絶対性とキリスト教という宗教の相対性について論じてきましたが、御霊の現実の絶対性と宗教の相対性という対照は、実は新約聖書の時代から始まっているのです。その事実をあげて、この論考のむすびとします。
 イエスは、初期に洗礼者ヨハネと一緒におられたユダヤからガリラヤに行かれる途中、サマリアを通られます。ヨハネ福音書四章によれば、イエスはそのとき井戸のそばでサマリアの女と語られます。自分の過去をすべて見通したイエスの言葉に驚き、そのサマリアの女はイエスに言います、「主よ、あなたは預言者であるとお見受けします。わたしたちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」。
 わたしたちサマリア人は先祖以来このゲリジム山で神を礼拝してきましたが、あなたがたユダヤ人は神を礼拝することができるのはエルサレムの神殿だけだと主張しています、と当時のサマリア教とユダヤ教との対立が語られています。ゲリジム山での礼拝とはサマリア教という宗教であり、エルサレムでの礼拝とはユダヤ教を指します。サマリア人というのはサマリア教徒のことであり、ユダヤ人というのはユダヤ教徒のことです。当時サマリア教とユダヤ教は、同じモーセ五書を聖典としながら、歴史的経緯から別の宗教となって厳しく対立していました。それぞれ自分の宗教を絶対としていましたから、相手を汚れた誤謬と見下し、その存在すら認めようとせず、ユダヤ教徒がサマリア教徒と関わりをもつことはありませんでした。
 そのサマリア教徒の女にユダヤ教徒のイエスは言われます、「わたしの言うことを信じなさい。この山(ゲリジム山)でもなく、エルサレムでもなく、父を礼拝する時が来るであろう」。イエスは、サマリア教でもなく、ユダヤ教でもなく、宗教の枠にとらわれず、宗教の枠の外で、父を礼拝する時が来ることを予言しておられるのです。では、宗教によるのでなければ何によって神を礼拝するのでしょうか。イエスはすぐにこう続けられます、「まことの礼拝をする者たちが御霊と真理によって父を礼拝する時が来るであろう。いや今がその時である」。
 人間は自分の存在の根源を畏敬しないではおれません。その畏敬の対象は普通神と呼ばれますが、宗教によって創造者とか永遠者とか法とか様々な呼び方をされます。イエスはその方を父と呼んで、その方を礼拝する「まことの礼拝」がどのようなものかを世界に示されたと言えます(その方との関わりを、ヨハネ福音書は当時の宗教用語である「礼拝」という語で指しています)。イエスが示された「まことの礼拝」とは、「御霊と真理によって父を礼拝する」ことです。ヨハネ福音書において「真理」というのは霊的現実(リアリティー)を指しているので、「御霊と真理によって」という表現はほとんど「御霊の現実の働きによって」というのと同じであると理解してよいと考えられます。御霊の現実の働きの場で、父、すなわち自分の存在の根源なる方と関わること、これが「まことの礼拝」です。
 イエスは、この御霊の場は父の恩恵が支配する場であることを、教えやたとえなどの言葉を用いながら、その働きで身をもって示されました。パウロは、その御霊の働きの場を、わたしのために死に復活しておられるキリストとわたしとの関わりの場として、すなわち「キリストにある」場として語りました。そのような御霊の働きの現実に生きているヨハネ(ヨハネ福音書の著者)は、「まことの礼拝をする者たちが御霊と真理によって父を礼拝する時が来るであろう」と、「まことの礼拝」の質を明らかにした上で、直ちに「いや今がその時である」と宣言します。今キリストにあって生きている者は、御霊によって父を礼拝するという「まことの礼拝」をしているのです。この現実が到来した今は、サマリア教とかユダヤ教というような宗教は相対化されます。すなわち、その宗教でなければ父(根源者)を礼拝できないという絶対的なものではなくなります。
 ヨハネは地上のイエスの物語として福音書を書いていますから、視野は当時のイエスの周辺に限られ、登場する宗教はユダヤ教とサマリア教という二つの宗教に限られています。しかし、御霊の現実によって宗教を相対化するという原理はすでに明確に宣言されています。現在では地球規模の視野でこの原理を貫かなければなりません。すべての宗教、キリスト教そのものも、その中の諸教会もすべて相対化して、御霊の働きの場におけるキリストの絶対性を確立しなければならない時代です。この小論も、諸宗教が相対化される宗教多元主義の時代に、キリストの絶対性を見失うことなく、キリストの福音を確立することを願って書かれたものです。