市川喜一著作集 > 第8巻 教会の外のキリスト > 第8講

第T部 神の民の形成

7 聖霊のバプテスマ

 「わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」。

(マルコ福音書 一章八節)

復活者キリストのバプテスマ

イエスの復活

 イエスは復活されました。イエス・キリストは十字架の上でわたしたちの贖いを成し遂げて、死者の中から復活し、死に定められた人間に永遠の命を与えられます。この事実を告げ知らせる言葉が福音です。たしかに、これは主の言葉であって、変わることも朽ち果てることもない永遠の言葉です。しかし、その言葉が告げ知らせる事柄が人間の中に実現するのでなければ、それは現実の人間と何の関わりもない、虚空に響く空しい言葉にすぎません。この福音の言葉を信じる者の中に実現する力が聖霊なのです。聖霊は福音が告げ知らせる復活のキリストを人間の中の現実とします。聖霊によって、わたしたちは復活のキリストに出会い、十字架の贖いを身に受け、新しい命に生きるようになるのです。聖霊によって、わたしたちは復活のキリストと結ばれて生きるのです。聖霊の働きがなければ、福音は中身のない言葉にすぎません。ペンテコステがなければ、イースターの歓喜の告知は虚空に消え去ってしまうのです。今回は、復活のキリストがペンテコステの日に始められたとされる聖霊のバプテスマについて語りたいと思います。
 このイエス・キリストの福音を世に伝えるのに四つの福音書が書かれました。その中で最初に書かれたとされているマルコ福音書は、まことに独特の書き方で福音を提示しています。福音とはイエスが復活したキリストであることを告げ知らせるものですが、マルコ福音書はイエスが十字架につけられて処刑されたことを詳しく物語った後、イエスを葬った墓が空であったという記事(一六章一〜八節)で唐突に終っています。普通、イエスが復活されたことを宣べ伝えるときには、復活されたイエスが弟子の誰それに現れたという顕現の証言が伴うのですが(たとえばコリントT一五・四〜八)、マルコ福音書にはそのような顕現の物語が一切ありません。これはあまりにも不自然に感じられるので、後に他の伝承からの記事(一六章九〜二〇節)が加えられて結びとされたようです。マルコ福音書を下敷にして書かれたとされるマタイとルカの両福音書も、空の墓の記事まではほぼマルコに従っていますが、その後にそれぞれ独自の復活されたイエスの顕現の記事を加えております。
 本来のマルコ福音書が十六章八節で終っていたとすると、これは一つの著作の終り方としてはたしかに不自然であるので、写本の末尾が失われたのではないかとか様々な推測がなされています。しかし、マルコは意図的に空の墓の記事でその福音書を終えたと見ることができます。彼の意図は、墓に来た女性たちに「白い長い衣を着た若者」が語った言葉にはっきりと表現されています。その「若者」はこう言っています。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」(一六・六〜七)。復活されたイエスにはガリラヤでお会いすることができるというのです。そのことはすでにイエスご自身が予告しておられたことでした。イエスはご自身の受難と弟子たちのつまずきを予告された時、こう言っておられます。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(一四・二七〜二八)。このイエスの言葉と空の墓での若者の言葉によって、マルコは復活のイエスに出会い、復活のイエスに従おうと願う者をガリラヤに連れ戻すのです。こうして、マルコが描くガリラヤでのイエスは、現実に地上を歩まれたイエスの姿であると同時に、復活されたキリストの顕現という相を帯びたものになってきます。

洗礼者ヨハネの預言

 そうすると、マルコが彼の福音書をイエスのバプテスマから書き始める理由が分かります。それは死から復活されるイエスの記事なのです。バプテスマの水は死を象徴しています。ご自身を進んで死に渡されたイエスが、神の御霊によって死から立ち上がって出て来られ、神の子と宣言される出来事なのです。そこから福音は始まるのです。ヨハネのバプテスマは復活者キリストが舞台に現れるために神によって備えられた入口です。その入口を備えるために遣わされたという意味で、ヨハネはキリストの先駆者なのです。ヨハネが「わたしの後に来る方」と言ったのは、実にこの復活者キリストです。復活者キリストと比べるからこそ、「女から生まれた者の中で最も大いなる者」といわれたヨハネも、「かがんでその方の履物のひもを解く値打もない」のです。そのヨハネが自分の後に来る方、すなわち復活者キリストが為される働きについて語ったただ一つの預言がこれです。「わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」。
 ヨハネは水でバプテスマを授けました。それは「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」でした(マルコ一・四)。この大預言者が語った内容は詳しくは記録されていませんが、マタイ福音書(三・一〜一二)とルカ福音書(三・一〜二〇)に伝えられている僅かの資料によると、ヨハネは最終的な神の裁きが迫っていることを宣べ伝えた預言者でした。ヨハネが「悔い改めよ。神の支配は近づいた」と言った時、その神の支配とは神の裁きによる支配、「差し迫った神の怒り」を指していました。そして、その差し迫った神の怒り、神の裁きを火という象徴で語りました。ヨハネは「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」と叫んでいます。ですから、「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と言って、自分の後に来る方のバプテスマを予告した時、それは「火によるバプテスマ」、すなわち審判の預言であったはずです。そして、それが審判の火であることを、さらに脱穀場の火の比喩で明らかにしています、「そして、(その方は)手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」。
 このように、ヨハネは差し迫っている火のバプテスマ、すなわち神の裁きに備えて、罪の赦しを得るためにいま悔い改めるように呼びかけたのです。そして、その悔い改めの告白として水のバプテスマを受けるように求めたのです。ところが、ヨハネが予告した「後に来る方」が来られた時、その方は審判の火で焼き尽くす方ではなくて、信じる者に聖霊を授け、聖霊で満たす方、聖霊でバプテスマする方だったのです。ヨハネを復活者キリストの先駆者と認めた教団は、ヨハネの火のバプテスマの預言が実は聖霊のバプテスマの象徴であることを悟ったのです。それで、ヨハネの預言の内容を伝えたマタイとルカは、火を聖霊の象徴として並べて、「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」という形で伝えたのです。マルコはさらに徹底して、ヨハネの預言の内容は一切省略して、彼のバプテスマ活動が予表するところを端的に語ったのです。それが「その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」という一句に凝縮されているのです。マルコにおいては、ヨハネが授けた水のバプテスマはただ復活者キリストがなされる聖霊のバプテスマの予型としての意義を担うものなのです。マルコ福音書は復活者キリストを、何よりもまず聖霊によってバプテスマを授ける方として世界に告げ知らせるのです。

水ではなく聖霊でバプテスマする方

 当時のユダヤ教とその周辺でバプテスマを宣べ伝えていたのはヨハネだけではなかったようです。エッセネ派でも洗礼を授けていました。クムランの荒野の修道院的な共同体はエッセネ派の宗団だとされていますが、そこでは清めのために毎日水の洗礼が行われていました。荒野の預言者ヨハネのバプテスマとこのクムラン宗団の洗礼との間になんらかの関係があったことが推察されますが、その性格はかなり違っています。しかし、両者とも当時のユダヤ教の主流であったファリサイ派とサドカイ派に対する激しい批判であることは共通しています。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、バプテスマを受けに来たのを見て、こう言っています。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『わたしたちの父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ三・七〜九)。イエスはファリサイ派のラビの弟子にはならず、またエッセネ派のクムラン共同体に入ることもせず、ヨハネのバプテスマに神の呼かけの声を聞いて、ヨハネからバプテスマを受け、ヨハネのバプテスマ運動に身を投じられたのでした。
 イエスがヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになったことは確かな事実であって、四福音書がすべて報告しています。その報告の仕方には少しずつ違った点がありますが、共通していることは、その時イエスに聖霊が降ったという記事です。これがイエスのバプテスマについて最も重要な点なのですが、このようなイエスの内的な出来事に関する報告の性格については別にして、ここではヨハネのバプテスマ運動に対するイエスの外的な関わりを見ておきましょう。イエスはヨハネからバプテスマをお受けになった後、しばらくヨハネと同じように神の支配の到来が差し迫っていることを宣べ伝え、人々にバプテスマを授けておられたようです。このことはヨハネ福音書が明言しています(三・二二〜三〇および四・一。バプテスマは弟子たちが授けたという四・二の記事は後の加筆)。イエスがしばらくはヨハネと行動を共にされたことは、ヨハネ福音書の一章の記事だけでなく、イエスが最初に集められた弟子たちがもともとヨハネの弟子であった人物である事実からも十分うかがわれます。ところが、ヨハネが捕らわれた後、ガリラヤに行って宣教活動を始められたイエスは、もはやバプテスマを授けることもバプテスマについて語ることも一切されていません。マルコ福音書は、イエスのバプテスマの記事の後、ユダヤでのイエスのバプテスマ活動に一切触れることなく、ただちにガリラヤでの宣教活動に入っていきます。これは、イエスが水でバプテスマを授ける方ではなく、聖霊でバプテスマを授ける方であるという宣言にふさわしい書き方といえます。

地上のイエスと聖霊の約束

火を投じる前に

 このように福音書は、ヨハネの後に来る方が聖霊によってバプテスマを授ける方であるという宣言で始まるのですが、福音書に描かれる地上のイエスが聖霊によるバプテスマを授けられたという記事はありません。むしろ、なぜ地上のイエスは聖霊のバプテスマを授けられないのかという理由を語る言葉が伝えられています。たとえばルカ福音書(一二・四九〜五〇)は、「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう」というイエスの言葉を伝えています。ここでイエスが「火」と言っておられるのは聖霊を指しています。キリストを信じて約束の聖霊を受けた者は、自分の体験からして、イエスがご自身の中に働く神の霊を「火」という象徴で語られたことを十分理解することができます。聖霊はたしかに人間の中にあって火のように熱く燃えて、神を愛する生涯に駆り立てます。
 外典福音書の一つである「トマス福音書」に、イエスの言葉として、「わたしに近い者は火に近い。そして、わたしから遠い者はみ国から遠い」という言葉が伝えられています。この言葉は外典の中の言葉ですが、十分イエスの真正の言葉として信じることができるとわたしは感じています。わたしは聖霊によってイエスを知ったとき、イエスは溶鉱炉のような方であると感じました。イエスの中には熱い火が燃えているのです。どのように汚れて不純な人間でも、イエスの中に受け入れられると、不純物は燃やされて、神に対する純粋で熱い心だけがその人の中から流れ出てくるようになるのです。マグダラのマリアとイエスの出会いは、その出来事を語る典型的な物語だと思います。イエスはご自分の中に燃えるその火が地上のすべての人の中に燃えるようになることを切に願われたのです。しかし、地上におられるイエスはその火を地上に投じることはまだできませんでした。それができるようになる前に、イエスはもう一つのバプテスマを受けなければならなかったのです。それはイエスがヨルダン川でお受けになったバプテスマが象徴していたことです。すなわち、自らを死に引き渡すことです。すべての人の罪の贖いのために、自らを神の裁きに引き渡すことです。この苦しみが終って、イエスが死の中から復活されるとき初めて、イエスは復活者として聖霊でバプテスマを授けることができるようになるのです。地上に火を投じることができるのです。

生きた水の約束

 同じことをヨハネ福音書(七・三七〜三九)は違った表現で語っています。イエスが仮庵祭にエルサレムに上られた時、祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、立ち上がって祭の群衆に向かって大声で言われました、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」。そして、この言葉についてヨハネ福音書はすぐにこう続けます、「イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている御霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ降っていなかったからである」。すなわち、イエスが語っておられる「生きた水」というのは、イエスを信じる者が受ける聖霊のことであり、その聖霊はイエスが栄光をお受けになって初めて降るものであるというのです。「栄光を受ける」という表現は、イエスの受難と復活を指すヨハネ福音書独自の表現ですから、ヨハネ福音書も、地上のイエスではなく復活者キリストが聖霊でバプテスマを授ける方であると言っているのです。

父の約束

 このように、ご自身が受けておられる聖霊を人々に与えることは、地上におられる間はまだできなかったのですから、イエスが聖霊について語られるとき、将来の約束という形をとらざるをえなかったのです。いま引用したヨハネ福音書の「生きた水」の言葉も、未来形を用いた約束でした。この約束についてはルカ福音書がもっとも明確な表現で語っています。イエスが語られた約束の言葉の中で、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」という御言葉ほど印象深く、力強いものはありません。その約束の言葉を、ルカは聖霊に関する約束の言葉としてわたしたちに伝えているのです。ルカはこの約束の言葉に続けてこう言っています。「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ一一・九〜一三)。ここでは、「求めなさい。そうすれば、与えられる」というのは聖霊のことであるとされています。しかも、それが父が父である以上、求める子には必ず与える賜物であることが、人間の父親のたとえを用いて強調されています。これは「父の約束」なのです。同じルカが書いた使徒行伝では、復活されたイエスが弟子たちにこう言われたと伝えられています。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」(使徒行伝一・四〜五)。ここではっきりと聖霊によるバプテスマが「父の約束」であることが語られ、それはイエスが地上におられた時繰り返し語られた約束であることが示されています。

パウロにおける福音と聖霊

顕現体験と聖霊体験

 復活されたキリストが始められた聖霊によるバプテスマがどのようになされたかについては、ルカの使徒行伝が詳しく報告しています。それによれば、イエスの十字架の死の後、エルサレムにとどまっていた弟子たちに復活されたイエスが四十日にわたって現れ、オリーヴ山で弟子たちが見ている前で天に昇られ、それから十日ほど後の五旬節(ペンテコステ)の日に、二階座敷で祈り待ち望んでいる百二十人ほどの弟子たちに約束の聖霊を注がれたとされており、さらに、この日から聖霊の力に満たされた使徒たちによって、イエスが復活されたキリストであることと、信じる者に罪の赦しと聖霊の賜物が与えられるという福音が宣べ伝えられたとされています(使徒一〜二章)。しかし、この記事はルカ独特の神学に基づく図式に従っており、イエス復活後の進展は実際にはもっと多様であったことが推察されます。たとえば、先に見たように、マルコは復活されたイエスがガリラヤで弟子たちに顕現されたことを前提にしていますし、マタイははっきりとガリラヤの山での顕現を伝えています。ヨハネ福音書も二一章でガリラヤ湖での顕現を伝えています。本来、復活者キリストの顕現と聖霊を受ける体験とは一つなのです(ルカは両者を区別して描いていますが)。そのことは、現れた復活者が弟子たちに息を吹きかけたというヨハネ福音書(二〇・二二)の記事が象徴しています(息は霊と同語)。また、パウロのダマスコ体験が典型的に示しています。聖霊の働きの本質は復活者キリストを啓示することです。ガリラヤで復活者の顕現があったことは、そこでも聖霊の注ぎがあったことを示唆しているのです。これはルカの記事と矛盾しません。ガリラヤで聖霊の注ぎを受けて復活者の顕現を体験した弟子たちが、何らかの理由でエルサレムに戻り、そこからイエス復活の証言活動を開始したことは十分考えられることです。
 ところで、エルサレムに成立した最も初期の教団も、その後ヘレニズム世界に宣教したヘレニストの教団も、福音を信じて受け入れた者たちに水のバプテスマを施していたことは事実のようです。イエスが授けることを止めておられた水のバプテスマを、初期の教団がなぜ再び授けるようになったのかについては多くの議論がされています。様々な理由があげられていますが、結局はイエスご自身がバプテスマを受けられた事実が最大の根拠でしょう。しかし、初代の教団が授けた水のバプテスマは、もはやヨハネのバプテスマのように「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」ではなく、「イエスの名によるバプテスマ」、すなわちイエスを主キリストと信じる信仰の告白としてのバプテスマでした。初期の教団はたしかにバプテスマを授けましたが、バプテスマを宣べ伝えたのではありません。バプテスマは宣教の目的ではなく結果にすぎません。実際、福音の宣教の初期においては、教団は聖霊の力に満たされて復活のキリストとその十字架による贖いを宣べ伝え、その福音の言葉を信じた者たちに聖霊が注がれて、多くの人々が復活者キリストの現実を体験し、確信と喜びとに溢れてキリストを告白するようになったのです。人間の思いをはるかに超える圧倒的な聖霊の注ぎとその啓示の働きがなければ、十字架につけられたキリストというような、ユダヤ人には最大のつまずきであり、ギリシャ人には愚かさの極みであるこの福音を命がけで告白することはできませんし、初期の信徒の群れの爆発的な拡大も説明できません。そこで、初期の宣教における聖霊の注ぎについて、最も初期の文書であり、最も確かな一次資料であるパウロの手紙によって見てみましょう。

福音と聖霊

 パウロは自分の宣教の内容を「十字架につけられたキリスト」という一言で言い切っています(コリントT一・二三)。それをもう少し詳しく言うと、「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして三日目に復活した」ことです(コリントT一五・三〜四)。これはパウロも受けた最も初期の福音の定式です。ただ、パウロはその福音を宣べ伝えるのに、教義の解説としてではなく、自分が聖霊によって体験し、そこに生きているキリストの現実から、聖霊の力によって語ったのでした(コリントT二・四)。そして、それを聴いた者も、頭で理解して納得したからではなく、福音が語られる場に働く聖霊の力に圧倒されて信じたのでした(テサロニケT一・五〜六)。
 パウロはガラテヤの信徒たちにこう尋ねています。「あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか」(ガラテヤ三・二)。もちろんこれは、聖霊を受けたのは律法を行ったからではなく、福音を聞いて信じたからであることを確認しているのです。パウロの福音宣教においては、福音が語られ、その言葉が信仰をもって受け入れられるところでは聖霊が注がれたことがよく示されています。パウロは、キリストの十字架は約束されている聖霊をわたしたちが信仰によって受けることができるようになるためであった、とはっきり言っています(ガラテヤ三・一四)。ガラテヤ書、コリント書、ローマ書などのパウロの主要な書簡では、聖霊のことが語られる回数が圧倒的に多いだけでなく、信仰にとって本質的なこととして、すなわち聖霊がなければキリストにあって生きることが成り立たないこととして語られています(とくにローマ書八章)。
 それに対してパウロがバプテスマについて語るところはごく僅かです。宛先の信徒がすでにバプテスマを受けていることを前提にして、バプテスマの意義を説明しているところ(ローマ六・三〜四ほか二箇所)を除けば、パウロがバプテスマについて語るのは、自分はバプテスマを授けるために遣わされたのではないという箇所(コリントT一・一四〜一七)だけです。パウロがその宣教活動においてバプテスマを授けたのか、あるいは授けなかったのか、彼の手紙からは確定できません。しかし、彼の発言からすると、パウロはバプテスマを信仰にとって本質的なこととは見ていなかったことは確かなようです。パウロは聖霊の授与について語るときも「聖霊のバプテスマ」という表現は用いていません。強いて捜せば、「わたしたちはみな一つの御霊によって一つの体へとバプテスマされたのです」(コリントT一二・一三私訳)という表現があるくらいです。これはキリストの体の一体性を語る言葉であって、「聖霊のバプテスマ」の主張とするのは無理なようです。信じる者が受ける聖霊の注ぎを「聖霊のバプテスマ」と呼ぶことは、パウロ以後のことであると考えられます。

聖霊のバプテスマ ―歴史と現代

歴史的状況

 先に見たように、復活者キリストを「聖霊でバプテスマを授ける方」と最初に呼んだのはマルコ福音書でした。マルコにつづいてマタイもルカもヨハネも同じように証言しています。とくにルカはこの点を強調しています。このように一世紀の終りころになって「聖霊のバプテスマ」という表現がよく用いられるようになったのは、どういう事情によるのでしょうか。それは、その頃広く行われるようになった各種のバプテスマ運動に対して福音の本質をはっきりさせるためではなかったか、とわたしは考えます。ヨハネのバプテスマはヨハネの死後も弟子たちによって続けられ、その教団はこの頃にはキリスト信徒の群と競合関係にあったようです。エッセネ派のクムラン宗団も洗礼を重んじていました。また、当時ユダヤ教の一派で、救いのための秘密の知識(グノーシス)を重んじるマンダ教もバプテスマを救いの要件としていました。このようなユダヤ教の周辺各派だけでなく、本流のファリサイ派もこの頃には改宗者にバプテスマを授けるようになっていました(改宗者のバプテスマが確認されるのは八〇年ころからとされています)。これはおそらくキリスト教も含めて各派のバプテスマ運動の進展に刺激されたものでしょう。ヘレニズム世界の密儀宗教でも水や血による洗礼儀礼はよく知られていました。このような宗教的状況において、キリスト教会が授けるバプテスマも、水のバプテスマだけでは一種のイニシエーション(加入儀礼)にすぎないものと理解され、他の各派のバプテスマとあまり変わらないものになってしまいます。それで、福音が与えるバプテスマはたんに水に浸されることではなく、復活者キリストが聖霊によって授けられるバプテスマであること、その点において他のバプテスマとは本質的に異なるものであることを明確にする必要がでてきたのではないかと思います。

現代への使信

 初期の教団が「聖霊のバプテスマ」を掲げるに至った事情がこのようなものであるとすれば、それは現代の教会への使信ではないでしょうか。現代ではバプテスマを授けるのはキリスト教会だけになっています。「洗礼を受ける」ことはキリスト信徒になることと同じに扱われています。教会は洗礼を授けることで信徒を得たと満足しているようです。しかし、人を真にキリスト者とするのは水の洗礼ではなく聖霊のバプテスマなのです。聖霊の注ぎとその働きに与ることなのです。そして、聖霊を受けるのは、洗礼も含めて何か儀式に与ることによるのではなく、福音の言葉を聞いて信じることによるのです。現代においてペンテコステ系の諸教会が「聖霊のバプテスマ」を強調しているのは、一世紀末の教会が「聖霊のバプテスマ」を唱え始めなければならなかった事情と同じではないでしょうか。ペンテコステ派諸教会が「聖霊のバプテスマ」を教義とし、その形態を異言など外的な現れで固定することには問題がありますが、その「聖霊のバプテスマ」の主張には、水のバプテスマに安住する現代の教会に対して根本的な反省を迫るものがあります。現代の教会は、パウロが「キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではない」と言った言葉を、もっと真剣に考えて見るべきではないでしょうか。
 「聖霊のバプテスマ」という表現を用いるかどうかとは関係なく、キリストを信じる者に聖霊が賜物として与えられることは福音の本質です。聖霊の授与と働きがなければ、福音は福音でありえないのです。その聖霊の働きと現れは実に様々な形をとります(コリントT一二・四〜一一)。ルカも使徒行伝において「聖霊のバプテスマ」の代表的な場合を数例あげていますが、それがすべてであるわけではありません。聖霊は風のように自由に吹き、信じる者を通してさまざまな働きをなし、さまざまな現れ方をされます。時には預言となり異言となり、場合によっては病気を癒し奇跡を現し、人によっては特別な知恵や知識となって現れます。しかし、それらの現れは聖霊の働きの一時的で部分的な特殊な面です。聖霊の働きの本質的な面は復活者キリストを啓示すること、人をキリストと一つに合わせることです。そのことによって、イエスを主と告白させ、父への信頼、人への愛、死を超える希望に生きるようにさせるのです。聖霊はわたしたちの命そのものです。

(天旅 1992年3号)