市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > まえがき

まえがき

 本書は、マタイ福音書全体を段落ごとに順次講解して、マタイが語るメシアとしてのイエスの物語を、できるだけ正確に聴きとろうとする試みです。

 本書は、先に出版された市川喜一著作集の二つの著作を前提にしています。一つは『マタイによる御国の福音―「山上の説教」講解』です。これはマタイ福音書の五〜七章のいわゆる「山上の説教」を講解した著作です。「山上の説教」はマタイ福音書の中心で、マタイの特色がもっともよく出ている重要な箇所です。それで、マタイ福音書を講解するにさいして、先に取り上げ、やや詳しく取り扱いました。したがって、本書では「山上の説教」の部分は、重複を避けるために省略して、目次にその存在を表示するだけにしています。市川喜一著作集においては、マタイ福音書の講解は、前著『マタイによる御国の福音―「山上の説教」講解』と本書『マタイによるメシア・イエスの物語』の二冊で構成されることになります。
 もう一つは『マルコ福音書講解』(TとUの2冊)です。マタイ福音書の著者は、マルコ福音書を物語の枠組みとして用いていますので、マルコ福音書の物語はほぼすべてマタイ福音書に取り込まれています。マタイにあってマルコにないのは、おもにイエスの語録をマタイ独自の視点でまとめた五つの説話集(説教集)です。その代表的なものが「山上の説教」になります。本書はマタイの特色である「説話集」に重点を置いて講解しています。二つの福音書が重複する部分(おもにイエスの働きを物語る部分)については、『マルコ福音書講解』ですでに講解していますので、本書では物語の筋を追うために必要な限りの簡単な要約で済ますか、マタイの記事の特色を説明するだけという扱いをしています。このように、マルコ福音書と重なっているために簡単にした記事も、マタイ福音書が物語るメシア・イエスの理解には必要で重要なものですから、その部分については『マルコ福音書講解』で信仰上の意義を確認した上で、本書によってマタイの物語の特色を理解するように努めていただきたいと願います。
 マタイ福音書の成立事情については、前著『マタイによる御国の福音―「山上の説教」講解』の序章「イエスの語録と福音」でやや詳しく解説していますが、本書だけを読まれる方、または本書を先に読まれる方のために、本書でも序章第一節「マタイ福音書の成立」で、それを要約した形で再録しています。「語録資料Q」とマタイ福音書の関係は、この福音書の理解に不可欠だからです。必ずこの節をお読みの上、本論へ進んでくださるようお願いします。前著『マタイによる御国の福音―「山上の説教」講解』をお持ちの方は、なるべくその序章の「イエスの語録と福音」をお読み下さるようにお願いします。

 では、ご一緒にマタイが語る「メシア・イエスの物語」を聴いていきましょう。

 二〇〇三年 九月
               京都の古い町並みの中から
                    市 川 喜 一


改訂版について

 初版には段落を指し示すフッタ(各頁の下にある標題)がないので、扱っている聖書の箇所を見つけにくいというご指摘がありました。それで、この改訂版ではフッタをつけて、問題にしている聖書の箇所を講解している頁を見つけやすくしました。なお、初版では終章「マタイ福音書の位置」の中の「マタイ福音書の神学的位置」の項で、それを図解するのに図が間に合わず文章だけで解説していましたが、改訂版では(本文の頁数を変えないために)巻末に「福音進展の三段階」という図をつけました。
 なお、初版では最近の神学界で慣用的に用いられ、新共同訳も使用している「宣教」という用語を使っていましたが、「教えを宣べる」という意味の「宣教」という用語は、わたしの福音理解になじまず、著作集の後期では用いないようになり、もっぱら「福音告知」とか「告知」を用いるようになっていました。それで、(検索上の便宜も考慮して)著作集での用語を統一するために、この改訂版では「福音告知」とか、「告知」または「福音」という用語に置き換えています。ただし、「宣教」がふさわしい場合は、例外的に残しています。その他、「ペテロ」を「ペトロ」にするなど、表記を統一するように努めました。

  二〇一三年 三月     
                    市 川 喜 一